はてなキーワード: いじめられっ子とは
「一部の人が『自衛しなければならない』事を肯定するというのは、一部の人に対する差別を容認する事である」
というのは、なかなかわかってもらえないようですね。男性にも通用する、改変コピペでも作ってみるか。
用心するということ ~顔と進学…結果に責任~
某底辺高校が、受験の面接時に顔を判定基準にするという規則を作ろうとしたら、それは「憲法に違反する」と若者からの突き上げがあった、という。
警察は「憲法に違反しません」と言う。高校がこういう防止策を講じようとしたのは、もちろん最近残酷ないじめ事件が起きているからだろう。
もちろん決定的に悪いのはいじめっ子だが、被害者の遺族の気持ちを考慮せずに言えば、最近のいじめられっ子は、用心するということをしない。キモ顔の学生が、荒れていて自分でも怖いと思うような高校に入る、ということが本来は常識外なのである。
日本の都会以外なら、キモ顔の学生たちは必死に勉強して、受験校に入学する。偏差値の低い高校に入学したりすることは考えられない。いかにもいじめてくれ、という顔の学生が底辺高校に入学するのが非常識な行動だと、なぜ都会では教えないのだろう。
今でも忘れられないのは、いわゆる「田舎の町」の中学校で、都会の雰囲気を持つ学生が地元の中学生達にいじめられて殺された事件である。
もちろんいじめた中学生が悪いのだが、都会の雰囲気を持ちつつキモメンであれば、『キモメンのくせに田舎を馬鹿にしている、こいつはいじめられても当然だ』と思われても仕方がない。それは日本の田舎のどこでも示される反応だ。
基本的な行動の自由と、自衛の手段を講ずることとは、全く別の次元である。というか、行動の自由を口にするなら、十分すぎるほどの用心や、日本の田舎の常識を学ぶことができなくてはならない。
東北在住の日本人が驚いているのは、秋葉原にいる若者が、どうしてあんなキモい顔をテレビでさらしているのか、ということである。あれでは不良たちに手をだしてください。といわんばかりですね、と彼らは言う。
先日某農村で地方局のテレビ番組を見たら、アキバにいるキモメン男性が出演していた。しかし農道を行く人たちは、普通の顔、服装ばかりで、私は少しびっくりしたのだが、
「キモメンはいじめられるのが当然なので出歩きません。そういう人は夜遅くです」
「いじめられたくないお金持ち階級は、車に乗って移動するんです」
という2つの返事で納得させられたのである。
キモい顔をしていじめに遭ったと言うのは、いじめられた側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその顔は、結果が予想されるからだ。いじめは、いじめっ子の暴力によるものが断然多いが、「いじめられっ子も同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの学生の平等だ。
親の庇護の下にある間は、キモメンは進学する学校や通学地域に気を使い、DQNのいないところを選ぶという常識を教えて当然だ。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい、と私なら言いそうである。
曽野綾子氏の発言を支持する人は、↑これも支持するのかな。
面白い発想ではあるけど、それでいじめっ子を道連れに出来るってのはどうだろ。
どっちかというと、その手の道連れを求めた動画といじめられっ子に
冷笑・嘲笑が浴びせられる可能性の方が高いんじゃないかなあ。
今だって自殺で飛び降りた人を本気で心配してるような人、ほとんどいないっぽいし。
既にブコメで指摘があるようだけど、そういう配信を見た人間が、
正直、そうやって他人に復讐を任せるぐらいなら、
直接ナイフや爆弾や毒ガス使って殺そうとする方が確実だなーと思う。
(そもそも復讐してどうすんだよって話だが)
【スティッカムで飛び降り自殺配信中:アルファルファモザイク】
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51530107.html
遺書の中で、いじめっ子の名前や住所、その他の個人情報を晒せば、
遺書が残されるケースが少なくなかった。
それは、できることなら自分の死後にいじめが問題視されて欲しい。
いじめた奴らに一矢報いたいという心性によるもの。
死ねば死にきりとはいかないもの。
今は、インフラが整った。
そして、ネットには「(歪んだ)正義感」から私刑へ走る人達が居る。
そのような人達を炊き付けるための火種だけを作れば復讐が成立する。
この手段に頼る思考回路が理解できなくもないと思う。
卑怯だなんだと言われようが、
その対価としていじめられっ子を道ずれにできるのなら、なんてことは無い。
【スティッカムで飛び降り自殺配信中:アルファルファモザイク】
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51530107.html
遺書の中で、いじめっ子の名前や住所、その他の個人情報を晒せば、
遺書が残されるケースが少なくなかった。
それは、できることなら自分の死後にいじめが問題視されて欲しい。
いじめた奴らに一矢報いたいという心性によるもの。
死ねば死にきりとはいかないもの。
今は、インフラが整った。
そして、ネットには「(歪んだ)正義感」から私刑へ走る人達が居る。
そのような人達を炊き付けるための火種だけを作れば復讐が成立する。
この手段に頼る思考回路が理解できなくもないと思う。
卑怯だなんだと言われようが、
その対価としていじめられっ子を道ずれにできるのなら、なんてことは無い。
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20091017/M
ダウンタウンやナイナイが粉まみれにならないとか,どんだけテレビ見てないんだこの人.
普通になっとるよ.ダウンタウンがひどい目に遭うことも多々あるよ.
少なくとも年末の笑ってはいけないシリーズだと松本だろうが浜田だろうが容赦ないだろうが.
問題なのは,世の中にはいじめられっ子よりもいじめっ子(もしくは傍観者)の方が多くて,
結果的にいじめっ子側向けにテレビ番組を作った方が視聴率が取れるっていう構造なんでわ.
番組を作るのはテレビ局なわけで,そいつらが視聴率を求めるから
若手いじめが起きてるんですよ.
とはいえ,志村が露骨に叩かれるのを嫌がってるのをテレビで見たときは
こいつは芸人じゃないなぁ,と思ったなぁ.
そりゃみんな嫌いやわ.
私自身も中学1年・2年生の頃いじめを受けていた。しかしこれを実践することで、中学最後の年にはいじめと無縁の生活を送れるようになった。以下では私がこう考えるにいたった軌跡を書こうと思う。
先述したとおり、私は中学一年生のころからいじめを受け始めた。理由は些細なことだった。
「あいつをいじると反応が面白い」
そういって私は数々の嫌がらせをうけた。トイレのホースで水をかけられたり、サンドバック代わりに殴られたり、教科書を捨てられ貴重品を奪われたり、自分の机に「キモい死ね」と書かれたり、あげく「(自分の名前)菌がうつるから近づくな!」と言われクラス全員から避けられたり・・・。これ以上書くのはやめておくけれど、世にいう「いじめ行為」は一通り受けたのだろうと思う。
もちろん私の心は愉快ではなかった。学校から帰って部屋にこもり「どうやったら楽になれるだろう」とずっと考えていた。学校にも居場所がない、家の外にも場所がない、だから家にこもる。けれども家では親に悲しい姿を絶対見せたくなかったから、私の居場所は自分の部屋しかなかった。
「このまま生き続けたとしても、くだらない人生を送るんだろうな」
薄暗い部屋で自分の悲しい末路を考えたあの時間を、私はいまだに忘れられない。涙が止まらずに床にポタポタと落ちた。うめき声を押し殺すように、私は口に手をやり突っ伏した。そして暗い中にずっとそのまま沈んでいた。
しかし中学二年生の夏、そんな私にも転機が訪れた。それは「本」との出会いだった。当時の担任の先生が私に「面白いから読んでみなさい」と、大平光代の「だから、あなたも生き抜いて」を貸してくれたのだ。
私は驚くと同時に興奮した。その本を読み終えると、私はジャンルを問わず沢山の本に触れるようになった。江戸川乱歩の「怪人二十面相」シリーズ、田中芳樹の「銀河英雄伝説」、そして三国志演戯。本を通じて私は「いじめられている現状」だけが人生ではないことを知った。大平光代のように自殺未遂を乗り越えて弁護士になる人もいるし、怪人二十面相のようにプライドの高い大泥棒もいるし(想像上だけど)、ラインハルト・フォン・ローエングラムのように強烈な天才もいるし(此方も勿論)、義に生きた関羽や超雲のような武将もいる。
「もっともっといろんな人の生き様や考え方を知りたい」
そう思った私は、読書だけでなく勉強にも精を出すようになった。
社会の時間が一番のお気に入りになった。日本史や世界史に出てくる偉人の話を聞いていると、私の背筋はゾクゾクした。だからどれだけいじめられようと、学校は絶対にやすみたくなくなった。そしてこれまでしたことのなかった授業の予習復習もしてみた。そうするとテストでも点数がとれるようになり、勉強が好きになった。(いじめられっ子を見返してやりたいという気持ちも、勉強を好きになった原因の一つかもしれない)。そして「大学でもっとたくさんの人生・考え方に出会いたい」という夢を抱くようになり、これまで考えもしなかった高校進学にも憧れはじめた。
学内でぶっちぎり底辺だった成績も、次第に真中くらいになっていた。
そして私はこう思った。昔の自分には、学校という場所しかなかった。しかし今の俺は読書という、自分だけの打ちこめる「場所」を手に入れたんだと。それがきっかけで、きっと心にも余裕が生まれて、他の色々なことにも気づくことができた。担任の先生が「本」を貸してくれたのが、きっと俺の人生の転機だったんだ、と。
だからこそ、いまいじめられているあなたも「自分の打ちこめる何か」を探してほしいと私は思う。私の場合それは読書だったけれど、世の中は本当に広い。こうしてネットを使えているのだから、あなたも自分の好きなものにすぐ出会えると思う。そして学校なんてどうでもいいから、その自分の好きなものに熱中してほしい。そうするとあなたも心に余裕が生まれて、いじめなんてしょうもないものだと思えるようになると思うし、その先に自分の新しい生き方も見えてくるはずだよ。
幸運を祈ります。
「キモい」と言われてダメージを受ける心の弱さとキモいと言われる容姿が悪いのか、それとも「キモい」と言う人が悪いのか、どちらなのかは考えるまでもない、と書こうとしたら「おまえの顔がキモいのが悪いんだよwww」という声が聞こえてきてなんかもうどうしようもない。
現実的な対処法が「ヘラヘラ自分を誤魔化して過ぎさるのを待つ」しかないのもどうしようもないし(ここらへんは人それぞれですが)、キモいキモい言ってくる人もどうしようもない。もちろんキモい自分の顔もどうしようもないんだけど。
こういうこと書くと服がどうだの喋り方がどうだの言われそうだけど、昨日までキモいキモい言われてたのに今日いきなり言われなくなる訳はなく、かといって徐々に変えていくのもありえない。いじめられっ子に向かって、ボクシングでも習って勝てよというくらい理不尽。ありえない。それにキモい奴は努力すればするほど好感度じゃなくて道化度が上昇するぞ。
なにもしていなくてもキモいと言われて楽しく生きることができるとは思えない。実際全然楽しくないし。
あと、キモいって言われると死にたくなりますね→努力しろ-→努力で解決したら死にたくならねーよクソが→努力が足りない→アホか→……のいつものパターンを見るたびに、あーこれやっぱり絶対なにも変わらず今後もキモいキモい言われるんだろうなー死にたくなるなー。
環境や他人の所為だからって責任から逃れたり、時には自分を過剰に責めて悲劇のヒロインぶって・・・
「可哀想」って思ってくれることが嬉しいみたいな。
それでも良かったら読んでくれ。
リアルでは周りは皆無関心で、話しかけられる度に相手をひかせてしまうような人間だ。
皆青春で楽しんでる中、自分だけ取り残されてる。そんなよくいる非モテ。
挙動不審で会話も成立しない上、人格にも問題があるのだろうから当たり前なのかもしれないが・・・なぁ
ぼっち苦しいわけよ。分かる奴いるだろ?
休み時間やら便所飯が苦痛で、グループワークやら学校行事が死ねるっつー。
友達がほしいんだ。それだけで幸せなのに、いないという。
たまったもんじゃないわ。
俺のような境遇にいる人が日本中にわんさかいて、無視どころかいじめられてる奴もいるって分かってるが、
そんな奴らでさえ羨ましく思えてしまって・・・
だっていじめられてる奴は非がない場合が多いんだろ?
だったらいじめてる奴らが悪いんだし、世間は皆いじめられっ子に味方するだろうよ。
でも自分はなんだ。
友達を怒らせてしまって、その悪口が周りに広まってぼっちになって嫌われるのは仕方のない事・・・だよなぁ。
性格悪い上に行動が気持ち悪いんだから、人が近付かないのなんて当たり前。
だから余計辛いんだ。自分が悪いって分かってるから。
だけどそれをどうすれば直せるのか自分には分からなくて。
母や先生、カウンセラーにも相談したが、やっぱ解決しないわけよ。
皆、「今は我慢するしかない」って。
人を傷つけないように心がけて、できるだけ挙動不審にならないように気をつけて。
だけど傷つけてしまうことを過剰に恐れてしまって、自然に話せなくなったりして。
でもそんな誰も傷つけずに話すとか、挙動不審を一瞬にして直すなんて、どうやっても無理だろ。
そんなの分かってるけど、たかが一回の失敗でもぼっちにとっては致命傷なわけで・・・
練習に付き合ってくれる相手もいないわけよ。
だからいつも本番で失敗する。
今はぼっちであることが定着してしまったから大分落ち着いたが(それでも十分辛いが)今より酷く病んだ時があったわけよ。
だけど父が病院に行くことを許可してくれなくて。
父が精神科目指してた医者だからそこまで深刻じゃないと自分で判断したのだろうが、納得できん・・・
まぁろくな医者がいなかったのかもしれないが。
将来も父の命令で自分のしたいことができないし、一回殺されそうになったことあるから歯向かうなんて恐れ多いことできるわけないからさぁ
いつまで我慢すればいいんだって話・・・
将来激しく後悔するのが見え見え。絶望しか見えない。
年齢的にはまだ更生できる可能性もあるのかもしれないがさぁ(ちなみに女子高生だ)
だからって何すればいいのか分からないんだよ。
マジで、具体的に俺は今何をすればいいんだ?
現在進行形で後悔への道を辿ってる今、俺にできることは何だ?
リア充になりたいとかそういうのじゃなくて、今はただ人並みの幸せがほしいんだ・・・
ちょっと贅沢な悩みがあるぐらいの、平凡な日々を送りたいんだ・・・
こんなん皆にとっちゃありきたりだろうに、書いて悪かった。
だったら書くなって言われるかもしれないが、ちょっとでも話を聞いてくれる人がほしかったんだ。
色んな人の意見が聞きたいんだ。未熟な奴ですまない・・・
説教でもなんでもいいから誰か助けてくれ・・・。
気を大きくして悪用→しっぺ返しでドラえもんに泣きつく的なオチも結構あったような。
そうなんだけど、いたずら程度のもので暴力的な印象は薄い。
正直、「僕はいじめられっ子だけど、いじめた相手に仕返しすれば満足するよ!」
なんて人間いるのか?
いじめを止めさせるための手段のひとつとして報復しろ、という話もあるけど、
のび太は満足するために仕返しをしてる。
でも、確かに一理あって、のび太がジャイアンに逆らい続けるのは
勝ち組にこだわるスネ夫のように「ジャイアンのいじめ容認派」になるのが嫌なんじゃないか。
のび太が「ジャイアンのいじめ否定派」の立場を意地でも変えないからかもしれない。
共通の敵がいる映画では結託しているんだし、
新しくいじめられっ子を作れば、のび太もスネ夫のポジションに行けるはず。
でも、のび太はそれは絶対にしない。
http://anond.hatelabo.jp/20090907225448
今まで他で聞いたことがないので、300人に1人もなるものなのか?と思ってググってみたら、たしかにそうらしい。
軽重はあるようだが、300人に1人なら、増田の中にも当然いるはずだ。
ペニスが小さいだとか包茎だとかなら、まだ(ネット上であれば)ネタにしやすいかもしれないが、
未だかつて尿道下裂の人の話を小耳に挟んだことはない(積極的に探したこともないが)。
尿道下裂で悩んでいる人のために、そして尿道下裂を知らない人(当然女性もだ)のために、
あくまで俺個人の例ではあるが、書き連ねてみよう。下世話な話もあるが、よかったら読んで欲しい。
酔っている(自分にではない、ビールにだ。夜中に飲んだのがまだ残っている)ので、多少読みづらい点があるかも知れないが、ご容赦を。
最初に付き合った彼女にでさえ、一部しか話していないことだ。
「おい、ちんちんみせろ」
当たり前のように言われ、当たり前のように見せていたので、特にこれと言った感情はない。
オヤジは尿道のあたりやら、むき出しの亀頭を見ては、納得したようなしてないような雰囲気だった。
今思えば、オヤジとしては自分の子どもが「尿道下裂」という得体の知れない病気であることは、
もしかしたら「こんな風に生んでしまって申し訳ない」という罪悪感と、
しかし「なんでこうなってしまったんだ」と認めたくない拒絶感を覚えていたのかもしれない。
ネットのない時代、情報もろくに集められずに不安で、不安で、不安でしかたがなかっただろう。
こう書くとすぐ差別だ云々いう奴が出てくるだろうが、俺と両親と、将来生まれるである俺の息子の問題である。
そこに差別はないと断言する。
同じく尿道下裂で悩む人をどうこう言うつもりはないし、その親を否定するつもりも皆無だ。
俺は両親を否定するつもりもない。ただ、自分の息子が尿道下裂であったら、それは申し訳ないと思う。
今は彼女がいないが、将来的に結婚する前に、ちゃんと彼女にも尿道下裂のことを説明し、息子に遺伝するかもしれないリスクを説明するつもりだ。
そして万一息子が尿道下裂だった場合は、オヤジがしてくれたように、息子に手術を受けさせようと思う。
話が横道にそれたが、尿道下裂のせいか、俺は子どものころから通常時でも亀頭が出ていた。
そのため、「むけた・むけない」の話が理解できなかった。
また、勃起したときには、下向き、横から見るとへの字型に勃起した。
だからマンガで勃起のシーンがあっても、「何故上部に盛り上がるのだろう?」と、いまいちピンとこなかった。
いくつかの性器への疑問と、風呂場でのオヤジとの「儀式」、そして夏休みに検査のために病院へ行く。
診察してもらったのは泌尿器科だった。
糖尿病の老人が多かったので、待合室にいるのはひどく恥ずかしかった。
一度だけ患者に「糖尿病?お若いのに大変ね」と言われたことがあり、違う、と思ってもうまく説明できないもどかしさがあった。
今ググって確認してみたら俺の症状は、尿道は尿道で存在し、その上でペニスの中ほどに尿道がもうひとつある「亀頭部下裂」だったようだ。
たしかに入院前くらいには、小便をする際に、勢いが強いときだと少し真ん中から洩れていた。
(「ニョウドウカレツ」という病名を受け入れるのに精一杯で、難しい用語は覚えていない。
漢字でさえ、ネットを始めてから改めてこれだったと思い出したくらいだ。)
また前述の通り、下向きに勃起し、
(外尿道口から包皮小体にかけて陰茎索といわれる結合組織束を伴うため、陰茎は腹側に弯曲するそうだ)、またペニスが短いという点がある。通常時で7センチ程度、勃起時で11センチ程度だ。
日本人男性のペニスの大きさは~などというが、そのサイズが通常時なのか勃起時なのかで非常に困る。
エロ本買う時は、完全に勃起している。短いから血が巡りやすいだけかもしれないが(笑)。
なお、元増田は胸が膨らむなど女性ホルモンの影響があったようだが、俺にはなかった。
元増田より軽度なのかもしれない。
亀頭は幼いころからむけていたので、「皮がむけたのがいつ」というのはないが、
陰毛が生えたのは遅く、中三~高一の頃だったと思う。
背は小さい方で、いじめられっ子だったので、そう言った点で多少「女々しい」のはあったかもしれないが、環境と性格的な部分に起因すると思う。
経緯は覚えていない。
手術の経過が分かるのも怖いので、全身麻酔をしてもらったが、手術後、もの凄い痛みで目が覚めたのを未だに覚えている。
それまでの入院生活がなんだったのかと思えるほどの、地獄のような痛み。
「明日になれば楽になる、楽になる」とひたすら念じていた。
手術前後に言われたのは、今後成長にともないペニスが大きくなるにつれ、下向きに勃起するためセックスがしづらい可能性があるということ、
手術後もペニスの真ん中から尿が激しく漏れるようだったら、再度手術する必要があるということだった。
一番気になったのが、「遺伝するか」。
当時は「遺伝はしない」と言われたが、ネットで見る限り、しないと断言できるわけではなさそうだ。
将来もし俺の息子が手術するようだったら、オヤジに相談しようと思う。
そして何十年越しになってしまうが、「手術を受けさせてくれてありがとう」と御礼を言いたい。
もうひとつの尿道からの、洩れは、まだ少しある。尿の排泄時に、雫が垂れる程度に。
いいのかどうかわからないが、あまり気にしないようにしている。
ただ、セックスは問題ない。
彼女には「子どもの頃ペニスの病気で手術した、下向きに勃起するが気にしないでくれ」と言ってから、セックスをした。
下向きに勃起するわ短小だわで、コンプレックスは強かったが、挿入はもちろんできたし、彼女もちゃんと感じてくれた。
その後の付き合いでも、つまらないケンカはしたが、セックスで問題になるようなことはなかった。
汚い話もすれば、風俗で遊んだこともあるが、特に何か言われたこともない。
相手もプロだから、わざわざ傷つくようなことを言わないのは当然だ(まれにそうでもないらしいが)。
だから、もしペニスが小さかったり、下向きに勃起したりする増田がいても、気にせず遊べばいい。
また女性の増田で、もし彼氏が下向きに勃起していたとしても、驚かないであげて欲しい。
下向きに勃起している=尿道下裂とは限らないと思う。そういう人もいると、受け止めてあげて欲しい。
難点としては、尿道を手術しているので、性感帯としては弱いし、痛くなりやすい程度だろうか。
風俗に行くときはアルコールが入ってからのことが多いせいもあるかもしれないが、勃起はするが射精しづらい。
そのため素股やフェラではいきづらいので、仕方なしに慣れた自分の手で処理することが多々ある
(ローションをつけていても、すぐ手コキも痛くなってしまう)。
思ったより長くなってしまったのでまとめよう。
鬱がわかりづらいように、病気や障害というと、どうしても目に見える範囲のものを思い浮かべてしまう。
だが目に見えない部分で、人には言えない部分で悩みを抱えている人もいる。
性器のことであれば、なおさら人には相談できない。
でもそういった人たちにも、極力コンプレックスなく、セックスを楽しんで欲しい。
それが(女性は嫌がるだろうが)風俗だろうと、彼女とのセックスだろうと。
言うまでもないが性欲は人間の三大本能と言われるくらいで、それを抑え付けたままにしようというのは、大変なストレスだ。
ペニスへのコンプレックスよりも、性欲の解消の方が重要で、とにかく人肌が恋しくて仕方がなかった。
女を抱かないと気が狂いそうだった。
そう言った意味で、風俗嬢には非常に感謝しているし、彼女らを侮蔑する言動は好まない。
敢えて人目にさらすことで、自信をつけたかったのもあるかもしれない。
いじめられっ子で下半身丸裸にされた経験もあり、余計下半身にはコンプレックスを持っていたが、おかげでだいぶ和らいだ。
露悪的すぎるくらいにあれこれ赤裸々に書いてしまったかもしれないが、こういったことは病院のサイトでは説明されていない。
重度の尿道下裂だとまた問題が違うかも知れないが、
俺の例を通して、尿道下裂の人やその他性器にコンプレックスを持ってる人が、少しでも楽になってもらえればと願っている。
なおWikipediaによると、
とのことである。
2000人に1人いるという半陰陽、インターセックスについては、六花 チヨのマンガ『IS~男でも女でもない性~』が素晴らしい。
丁寧な取材と温かい目で描かれた、笑って泣ける傑作だ。是非手にとって欲しい。
あ、まったくコンプレックスが解消されたわけではないので、短小乙とか言わないでくれよな!
まとまりがなくて読みにくいけど、思いついたことを書く。
反対。理由は
自らの裸体、あるいはいじめられっ子の裸体などを撮影して印刷し、気に入らない教師の机に仕込むなどして通報すれば、性犯罪者のできあがり。
などをやめない限り、冤罪多発(特にマイノリティや特定の宗教信者、特定の政治活動家に対して)の怖れがある。
というか、児童でなく成人であっても、撮影した・撮影させた・撮影された裸体や性行為の写真・映像が流出するリスクはあるので、成人のものも含めて可能な限り現在の流通を減らし、未来の被害を防ぐ方法を考えたい。
法について不勉強で無知なので、もしとんでもないことを書いてたら申し訳ない。
問題意識や意義は理解できるものの、「セクスティング」(http://www.usfl.com/Daily/News/09/03/0327_021.asp)などにおける児童自身が自らの裸体や性行為を撮影したものも「児童ポルノ」の範疇なので、「児童ポルノ」と「児童虐待写真・映像」をイコールで結んでしまうのは抵抗がある。児童自身が被害者であり加害者ということになるから。
そのレベルとやらは絶対評価じゃないからなぁ。
それに「自分の評価」をどこに位置づけているか、で相手のレベルが下かが決まるし
だが、
レベル5:逆らったら何されるかわからない不良集団
~
この差は余りにも近いんでないか(笑)
どっちも基本関わりたくないし、関わったら自分のレベルが落ちるだろ?
やっぱ○○みたいな逆らえないやつらが一番上にいて。
次に俺らがいて。
お前や●●みたいな優等生がいて。
ちょっとつまらない◆◆みたいな奴がいて。
□□みたいな関わりたくない奴が一番下。
お前はレベル低い奴とばっか絡んでるから低く見られるんだよ。
もっと俺らと一緒に遊んでればいいじゃん。
-----
もう7〜8年前だけど。
衝撃を受けた、友人だと思ってた人の言葉。
彼の話の中に出てきた定義をまとめるとこうらしい。
レベル5:逆らったら何されるかわからない不良集団
どうやら俺はレベル3に属する模様。
それなりに誰とでも話す人間だったので彼にとっては面白くなかったらしい。
自分まで低く見られると思ったのかな?
で、一番上の会話に繫がったわけだけど。
どこの猿山だよと思う。
でも現実見ると変わり者なのは俺の方なんだってことにそれからしばらくして気づいた。
その言葉の周辺で正に彼の言ってたレベル2〜レベル4のランク付けがされていた気がする。
皆さんは普段どんな目線で人を見ていますか?
2chやはてなや個人blogをだらだらと読んでいると共感することが多い。
自分を含めた一般市民つまり弱者たちは過去には強者に従うしかなかったけど今はネットを通じて声を集約し張り上げることができる。
たくさんの人たちがそれぞれの正義を主張して時に炎上や電凸という行為を起こす。
共感しながらけど時々苦しくなる。
戦う相手が強者ではなくて自分たちと同じ弱者の側であることもある。
だいたい強者か弱者かなんてどのようにして判断できるのか。
苦しくなるのは過去に自分がいじめられっ子だったときのことを思い出してしまうからだ。
共感することに危うさを思う。
いじめっ子たちは『弱っちいから強くしてやってるんじゃん』だったり『いじめられる方が悪い』だったり『こいつには友達がいないから相手してやってるんだ』だったり『いらいらしてる他のやつらを代表していじめてやってるんだ』なんてそれぞれの身勝手な正義を持っていた。
身勝手な正義感はそのまま放っておかれることもあるし周りの大人たちによって正しい方向に導かれることもある。
きっかけなしに自分自身で気づくことはほとんどない。
気づけるほどに人間は賢くない。
ネットで騒がれる正義が身勝手か身勝手じゃないかは本人たちには判断できない。
その一員である自分にも判断できない。
だいたいの人は正義か正義ではないかなんて関係なくただ楽しければいいやってことなのかもしれない。
自分と同じように昔いじめられっ子だった人がネットにはたくさんいるだろう。
そんな人たちは今のネットを見てどう思うのだろう。
結局は誰だっていじめっ子になりたかったのかもしれない。
…というのを高校のころから続けているわけだが。
毎年誕生日の前の数日、生まれてきたことが本当に辛くなるようで、
毎年この時期1度は空元気が切れてはスイッチが入ったように朝までぐずっている。
自分にはFランでも大卒の弟1(家業の跡取り)と今国立院生の弟2がいる。
幼いころ仕事の忙しい父とは滅多に遊んでもらえず、母親中心の育児を受けていた。
厳しく、そして本人は三女で下に長男という構成の姉弟関係に生まれた母には長子の気持ちなど理解できない部分が多いようで、
どちらかといえば男男女の一番上の父ならそれなりのシンパシーを感じられるのは父だが
母が嫁いだ時点ですでに病んでいた叔父(後述)の病理を一切説明していなかったらしい等が後ろめたかったのか
聞くべき愚痴すらもまだ小学校の高学年くらいだった娘に父は丸投げしていた。
わたしは母にとって「娘」で有り「弟たちの姉」で有り「家族の愚痴などを話す為の夫」だった。
流石に耐えきれなくなった時、父に「お父さんが聞けばいいことまでわたしが聞いている」と泣いたら
「娘一人なんだから聞いてあげなさい」と返されてわたしは一体何なのか解らなくなった。
母が怖かった。
集団生活が怖かった。
鬱屈していた。
無気力だった。
多分行き遅れて居候し続けていた大叔母や
精神を病んで居て入退院を繰り返し居候していた行動が予測できず恐ろしい叔父に
母は子供らを関わらせたくないと必死だったのは解らなくはないし、
子供らがならないようにしたいと思ってたのも解ってる。
人との関わり方も苦手で「苛められっ子」だったと自称するのは実に馬鹿げていてみじめなものだが
自分という人間をカテゴライズされると「苛められっこ」だったのは否定できない。
苛められたとき、「こなくそ!」と反抗的になるのには幾つかパターンがあって、
わかりやすいのは反抗を反抗で示すパターンでだと思う。
ならわたしの場合はどうだったのかといえば
「苛められるならならば自ら「苛められっこ」になってやる」
といった後ろ向きな反抗をしていた。
反抗することで更にいじめられるよりも、
いじめられっ子というポジションを維持することで何とか自分を保っていた。
他人との関わり合いが凄く苦手で、苛められっこを演じることで
「疎ましがられる者」というポジションを得て、それからどうかしようという余力が無かった。
居場所がないことより「疎ましい存在」という位置づけでも居場所を得たかったんだといまだとそう思う。
今となってはそのころに演じすぎた「苛められっ子」の意識が抜けきれず、
「どれが一体自分なのか」「自分は一体どういう人間だったのか」それがほとんど思い出せないし、どうしたらいいのか解らない。
母には「一番上でしょう」と言われ
父には「お母さんの話を聞いてやれ」と言われ
弟たちには軽蔑され
学校ではただでさえ少ない友達にも話せる内容でもなく
教師にはただただ失望感を覚え
それでも休ませて貰えることはなく
泣くことも一人でしか出来ず
笑うのも叫ぶのも億劫で
親は多分何も期待してないというのはもう何年も前から自覚していて、
おまけに不倫ばかりをし続けた挙句50近くまで居候し続け、結局死ぬまで独身だった大叔母のことや
長女だということもあって追い出しがかかってこのところ結婚しろ結婚しろとうるさい。
結婚はしたい気もする。でも相手はいない。
仮に夫になるかもしれない人が出来たとしても、こんな自分を受け入れてもらう自信がない。
自分に自信がない。
せめて自分の子供(いつできるのか・作るのかどうかは解らないが)が出来たなら一番上の子に
「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんでしょ」というような言葉は言わないようにしたい。
それが元で歪ませたり折らせたりするのが厭だ。
ここまで書いてきてこんな自分よりも大変な人など幾らでも居るだろうに
「自分が可哀想」というのか「自分が辛く感じている」と思うことが厭で仕方ない。
そう思うことすら、優越感の表れなんだろうか。
自分が何をしたくて何ができてどう考えてるのかどうしたいのかどうすればいいのかわからない。
とりあえず発作を鎮める薬は飲んで今はちょっとだけ楽になってはいる。
よくこういうことを言うとさ自分がそこから出る努力しろとか環境を変える努力をしろとか
それ系のことを言われるんだけど、そういう努力する気力すら沸かせる事が出来ないのが一番つらいのに、
そういうことを言う人はいとも簡単にぽっと言ってしまうけど、無責任な言葉だなぁと感じるよ。
だから人と話しているときにそういうことを言わないようにしてる。
人様の悩みや苦しみなんかを聞いて聖人面してどうこういったり
人の言動を断罪するようなそういう資格なんて多分ないのだから
物心ついたときから、他の子よりも動作がトロい、周りが見えてない、物事を覚えるのが遅い、としょっちゅう母親に怒られる‥というより癇癪を起こされていた。小学校に入っても、ハーモニカがうまく吹けない、漢字や計算のドリル、作文が時間通りに仕上げられないと毎日のように終業後も残されて、やっと解放されて帰宅すると、母に正座されられた上小一時間説教された。
そういう有様だったから、当然のようにいじめられた。たまに一度も殴られも蹴られもせずに済む日があると、「今日はツイてた!」と内心大喜びしたものだった。母は私が泣いて帰る度に「どうしてやり返せないの?」「あなたがちゃんとしないからいけないのよ」と嘆いたり愚痴ったりした。チョークの粉まみれになった私の頭上めがけて、「どうしてもっとしっかりしないの!」と畳んでいた洗濯物を手当たり次第に投げつけたこともあった。
そんな当時の一番の安らぎといえば、漫画や偉人伝を読むことだった。のび太はどんなにジャイアンやスネ夫に酷い目にあってもドラえもんが助けてくれるし、本の中の「偉人」たちは子供の頃どんなにいじめられても、成績が悪くても、貧乏で辛い目に遭っていても、最後はかならず成功して名を残す。私の中に1つの、確固たる欲望が芽生えだした。「勉強を頑張って、偉くなろう。今私をいじめた連中を見返してやろう」加えて、手塚治虫が昔いじめられっ子で、医学部卒業後漫画家になったという経歴はさらに私の心に光明を与えた。「大きくなったら、大学に行って、漫画家になろう! そして、有名になれば、母も認めてくれる!」
母の期待と強制もあって、成績は上位を保った。クラスメートは「成績が良いからっていい気になりやがって」とさらにいじめをエスカレートさせた。六年生の時、母が発作を起こして入院した。更年期障害だった。退院後心身共にさらに不安定になった。母は、「あなたが面倒ばかり掛けるから治らないのよ」と泣いた。
中学に入るといじめは激化した。突き倒され体中踏みつけられ、ショーツを脱がされそうになっていたところを、見かねた学年主任が止めてくれた。以後、あからさまないじめは止んだが、相変わらず一人だった。漫画を読むことと描くことが救いだった。
何とか高校は進学校に入り、いじめ連中とはようやく別れることが出来た。しかし成績は落ちた。唯一、平均以上の評価を与えられていたのは美術だった。「将来、イラストや漫画の仕事をしたい。だから、美大か美術系の学校に進みたい」と言ったら、母は激昂して発作を起こした。父は「お母さんがこんなに反対してるじゃないか、うちはそんな金もないし、普通の大学へ行け」と言った。そんな両親は、後に、妹の私大の獣医学部へ行きたいという願いを二つ返事で聞き入れ、親戚中を資金集めに奔走することになる。
大学では漫画三昧だった。卒業後も漫画雑誌へ投稿を続けたが、賞に掠りもしなかった。イラスト関係の大賞も落選続きだった。バイトは単純作業以外のもの以外は次々クビにされた。母とは始終口論続きだった。見かねた父は私に昔の同僚が経営している会社への就職を勧め、私はようやく一人暮らしを始めた。
現在、正社員になって5年目になる。父は行った。「お前、いつまでもその仕事が続けられると思うか? いまの社長の年を考えてみろ」
結局、漫画家にはなれなかった。もちろん有名にもなれなかった。それどころか、「社会人」としても、実の親からもろくに認められていない。
ある人は私に言った。「あなた、一体、自分がいくつになると思ってるの?」…どうやら、他人からは、「成人」としてすら認識されていないらしい。
ちなみに、妹は一浪して念願の獣医学部を卒業後、就職して一年足らずで「実家がマンションを三つ持ってる」資産家の次男と出来婚した。
私は負けた。世の中にも。家族にも。かつてのいじめ連中にも。そして、自分自身にも。
というより、最初から相手にもされていなかったのかもしれない。