2009-06-14

いじめっ子いじめられっ子

2chはてなや個人blogをだらだらと読んでいると共感することが多い。

自分を含めた一般市民つまり弱者たちは過去には強者に従うしかなかったけど今はネットを通じて声を集約し張り上げることができる。

たくさんの人たちがそれぞれの正義を主張して時に炎上電凸という行為を起こす。

共感しながらけど時々苦しくなる。

戦う相手が強者ではなくて自分たちと同じ弱者の側であることもある。

自分たちよりさらに弱者だったりすることもある。

だいたい強者か弱者かなんてどのようにして判断できるのか。

苦しくなるのは過去自分いじめられっ子だったときのことを思い出してしまうからだ。

共感することに危うさを思う。

いじめっ子たちは『弱っちいから強くしてやってるんじゃん』だったり『いじめられる方が悪い』だったり『こいつには友達がいないから相手してやってるんだ』だったり『いらいらしてる他のやつらを代表していじめてやってるんだ』なんてそれぞれの身勝手正義を持っていた。

勝手正義感はそのまま放っておかれることもあるし周りの大人たちによって正しい方向に導かれることもある。

きっかけなしに自分自身で気づくことはほとんどない。

気づけるほどに人間は賢くない。

ネットで騒がれる正義が身勝手か身勝手じゃないかは本人たちには判断できない。

その一員である自分にも判断できない。

本当の正義なのかもしれないし偽りの正義なのかもしれない。

だいたいの人は正義正義ではないかなんて関係なくただ楽しければいいやってことなのかもしれない。

自分と同じように昔いじめられっ子だった人がネットにはたくさんいるだろう。

そんな人たちは今のネットを見てどう思うのだろう。

最近ネットの全員がいじめっ子の側に見えてしょうがない。

結局は誰だっていじめっ子になりたかったのかもしれない。

いじめっ子でもいじめられっ子でもない立場じゃなくて完全ないじめっ子の立場。

今の自分はきっといじめっ子だ。

昔の自分が憎んでいたいじめっ子だ。

  • だいたい強者か弱者かなんてどのようにして判断できるのか。 一人を集団でボコる。 一方的にストーキングをする。 仲間で口裏を合わせてターゲットは被害妄想が強いと疎外さ...

  • そういう連中は、「立場の弱い一般人を傷つけるものは許さない!」と叫びながら、大衆の力という圧倒的な「暴力」を行使することに躊躇がないからじゃないかなぁ。 本当の弱者は、...

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