はてなキーワード: いじめられっ子とは
何年かぶりにゲーセンに行ったんだが、
目を一瞬たりとも閉じることなく、ただ機械のように高速でボタンを叩く女性がいたのだ。
伸ばし放題の手入れもしない髪の毛を振り乱しながら的確にボタンを叩いていく姿はまさにマシーンであった。
それがミスをしたとたん一転する。
しゃがみこんだかと思うと立ち上がって筐体を小さく喚きながら叩きつけていたのだ。
ヒステリックどころの騒ぎではない。
そしてそのせいか、周囲には誰も寄り付こうとしなかった。
ちょっと前なら神コンボをたたき出している格ゲープレイヤーの周辺なんかはギャラリーが出来上がっていたものだが、
その日見た音ゲーコーナーの住人達は一人で自分の世界に没頭しており、何か気持ち悪い集団に感じてしまった。
見ようによってはいじめられっ子や不登校児に見えないことも無く、ゲーセンは未だにそういう人種のたまり場になっているのかなぁとも思い、感慨深かった。
元いじめられっ子だけど、お前には同意できんわ。
長ったらしい持論を述べてはいるが、要は、「俺のために女神様でいろ。ただしお前のの都合は知らない」だろ?そして、女神様でいてくれない元増田に対して憎悪をぶつけている。歪んでるのはお前のほうだよ。
「いじめない」の基準なんて、無視しないとか話しかけたら普通に話すとか公の場でハブらない程度のことでいいんだよ。それ以上の「親友」とか「恋人」とかのプライベートな付き合いは、自分と相手の気持ち次第。自分のほうが仲良くなりたくても、相手が自分と仲良くなりたくなければ諦めるしかない。
俺と仲良くしてくれ。でないと虐めだって、そんな無茶な話があるかよ。「非モテを虐めるのは良くないから、周りから恋愛関係だという眼で見られることに耐えてね」とでも言うのか。それは過度な自己犠牲だろ。
「才能なんて努力の積み重ね」だとは言うけれど、自分は過去に努力をした覚えがない。そういう意味で自分は全くの無能だ。
血眼になってゲームをしたことはあるけど、そもそも実のないことを努力とは呼ばないし、それでも人には遠く及ばない。
いじめられ(ある本の言葉を借りれば、性質は「いじり」に近い)、心を閉ざし、誰とも口を聞かない、典型的ないじめられっ子に堕してからは、
ああ、ここにいる自分は自分じゃない、こんなクズなわけがない、他の場所では、人とも話せるような、面白い自分でいられるはず、ただ、この場所ではこういう役割を演じないとダメなだけ・・・
そういう上っ面だけで地に足のつかない、浮ついた理想を糧に生きてきた。
逆に言えば、努力することを知らなかった自分には、それが無ければその時点で今のように絶望し、前向きに生きてこれなかったとも今なら回顧できる。
今でも親に「他人行儀でものを話すな」と言われるけど、そうやって理想として形の無い自分と現実に形を持った自分とで存在を分けてきたのが一つの原因だと思う。
もちろん、いざ「いじめられっ子」というレッテルの拭われた場所で一度他人と会話をしてみても、ノリも悪く全く面白みのない話しかできない自分しかそこにはいない。
面白いと思われているような人がどういう生活からそのパーソナリティを形成してきたかはまるで見当もつかないけど、周囲の人間と多く接し、会話が手馴れているということは自分にはありえない。
それはおろか、会話の要点すら変な言葉ばかりを選んで的確に伝えることすら覚束ない。理想の自分とはかけ離れていた非コミュも甚だしい社会不適合者が出来上がっていた。
今から直そうとは思わない。直すための猶予期間は、とっくに過ぎている。
いじめられていたから、高校生活では、部活にも入らず、ただただ「高校から逃げたい」という一心で過ごしていた。
その中で通信制高校という逃げ場の存在を見つけたけど、そこに入るためにどうしても退学したいとは切り出せない。そこで、自分は退学せざるを得ない状況を作ろうと考えた。
暴力は自分の性質上振れないし、振る対象もいない(いじめに対抗することも考えられない)。自分がとった方法は成績を極端に下げて単位を取れなくするというものだった。
そのために、テスト前であろうがいつであろうが、ひたすら勉強をしなかった。それまで無縁だった赤点もいくつも取った。
ただし、禁忌に触れるのはやはり否定したのか、最終的にはいつも追試はパスし(させてもらい)、低い成績ながらなんとか単位はもらっていた。
3年になって大学入試の勉強が必要な時期に入っても、先述のいじめに関連して「大学には入りたいけど大学に入っても今のままじゃ高校時代と同じだから」などと理由をつけ、勉強から逃げた。
「成績は下げても学力はキープしておく」という発想が全く無かったことから、勉強をしなかったのは単純に怠惰で、先の「退学したかったから」という不勉強の理由も実はこのように後付のものではないかと思ってみたりもする。
大学に落ち、一年浪人をしたけど、結局それまで勉強部活その他諸々努力するという習慣がついていなかったことから全くうまく行かず、再び居場所を失った。
部活といえば、中学生の頃は運動系の部活に入っていたけど、毎日出た反面、面倒臭さ3/4ぐらいで接していた分なのか、その腕前は見るに堪えないくらいにひどいもので、試合でも同級生の中で一人だけ別のカテゴリで試合に出されたり、同級生や後輩からひどく馬鹿にされていたのだけど、改善しようという発想は無く、下手なことを甘んじて受け入れていた。
そうした過去の積み重ねが、今ことごとく悪い方向に作用しているのだと実感する。むしろ、今まで現れて来なかったのが不思議なくらいだ。自分はもう、世間一般と同じ尺度で測ることなど到底できないクズへと、人が輝かしい過去と懐かしむような学生時代をかけて、変異していたのだ。
自分の兄も、学生時代に見た目は自分と同じように全く努力しているように見えなかった。今でも努力を放棄し呑気にしている部分がいくつか見受けられる。自分は彼をそういう目で見てたけど、気づいたら自分も同じだった。ある意味、影響されたのかもしれない。そんな彼は、現在まともに職もなく、派遣社員として降りかかる就職問題に苦しみ喘いでいる。自分はどう足掻いても、じきに彼と同じ、いやそれ以下の人生を進んでいくのだ。虚しい。
http://anond.hatelabo.jp/20090116090907
おめーは「100億年すれば宇宙は消滅する。だから、生きていることに意味はない」なんて言うけどよ、全く考えが浅すぎるんだよ。
「勉強するだとか、人を助けるとか、必死に生きるとか、世の中で意味があるとみなされていることに何の意味があるのだろうか?」なんてしたり顔で書きやがって。はっきし言って考えが足りなさすぎなんだよ。
じゃあおめーは、めしを食ってうまいと感じないのかよ? もしさっき食っためしがやたらまずかったとしても、「うまくてたまんないめし」があることぐらいは分かるだろうが。おめーにも好物ぐらいあるだろうよ。それを食った時に、幸福感を感じるだろ!また食いたいとか、いくらでも食いたいとか思うだろ!そしたらそれには意味があんだよ。価値があんだよ。
そしたら、そのうまいめしを作ってくれる人を尊敬するだろ。あるいは、自分がそういう人になりたいと思うこともあるだろ。そうやって、人に「あんたのつくっためしが食いたい」と心底言わせる人に意味がないなんて言わせねーよ。
そりゃ100億年したら誰もいないかもしれねーよ。誰も覚えてくれてる人なんかいないという事もありえるよ。
でもよ、おめーはそうやって目の前の現実から目を背けてるだけなんだよ。
もしおめーがいじめられっ子で、さっきフルボッコにされてきたところで、絶望して今すぐ死んだ方がマシだと思っていたとしても、例えば綺麗で暖かいトイレで用を足せれば、それはそれでちょっと悪くないことだろ。そしたら、そのトイレを作った人や、掃除してくれた人や、電気を作ってくれた人や、そして自分がまだ生きてることに感謝しないとダメなんだよ。そこにはれっきとした「意味」があんだよ。
そんな時でも例えば可愛い女の子を見れば、心が動かされたりするんだよ。自分の身近にいる人が傷つけられると怒りを覚えるんだよ。身近な人を守りたいと、考えるんだよ。
で、そん時におめーの望むことを(例えばあの警察でもいてよ、)うまいことやってくれるサービスがあったら、嬉しいだろ。意味があると思うだろ。
だいたいよ、100億年たったら何の意味もなくなるなんてことは、偉人と呼ばれる人は誰でも考えてんだよ!100億年たたなくても、100年たてばもう自分はこの世にいねーよ!でもよ、それでも自分の目の前の何かを良くしたいと思って、自分の祖国を良くしたいと思って、いつか死んでしまう自分という存在を受け入れた上で、そういう偉人たちは行動してきたんだ!
おめーは自分が人類で始めてそんなことを思いついたみたいな感じで書いてるけどよ、そんなもん誰でも思いついてんだよ。それを踏まえた上で、受け入れた上でみんな生きてんだよ!
それをなんだおめーは。現実を見ねーでよ。アホみたいに得意げによ。
「100億年すれば、宇宙は消滅してしまう」のが真実だとしてもよ、それは「今のこの世の中に価値がない」という事にはなんねーんだよ。消滅するのも真実だが、それでもなお今の世の中には意味があんだよ。価値があんだよ。それは両立すんだよ!
どーせおめーは文明は進歩し尽くしたみたいに思ってて、こんな感じの生活がずっと続くと思ってんだろーけどよ、これからどうなるかなんて、誰にもわかんねーんだ。今起こってることってのは、世界初の出来事ばっかりなんだよ。人間が65億人もいて、ますます増える世界なんて、誰も経験したことねーんだ。
だいたいよ、1000年前から考えたら、ずいぶん人類は進歩したんだよ。だからあと1000年したらもうガラッとちげー世界なんだよ。神は全てを知っているとか、そんなことも残念ながらねぇんだよ、人間が、今まさに世界をつくってるとこなんだからよ!こんなこたー物理学でも深く勉強すりゃそう気付くんだよ。
そしたら、1000年後には、生命にはなんか目的がもしかしたらあるとかいう事が分かるようになるかもしんねーじゃねぇか。今は気付けてないことが1000年後にはいっぱい分かるようになってんだよ!んで、それを作るのが今生きてる人間とその子孫なんだよ!
それでも生きていることに意味がないって言うならよ、じゃおめーこれからどーすんだ。
自殺でもしねー限り、おめーは死なねぇんだ。
心地いいことを、心地いいと感じる自分がいるんだよ。現実に目を向けりゃ、色んなところに価値を見出してしまうんだよ。おめーみたいな人間でもよ、頑張りゃ価値を見出されるんだよ。それをどう受け止めるんだ。
おめーは「100億年すれば宇宙は消滅する。だから、生きていることに意味はない」なんて言うけどよ、全く考えが浅すぎるんだよ。
「勉強するだとか、人を助けるとか、必死に生きるとか、世の中で意味があるとみなされていることに何の意味があるのだろうか?」なんてしたり顔で書きやがって。はっきし言って考えが足りなさすぎなんだよ。
じゃあおめーは、めしを食ってうまいと感じないのかよ? もしさっき食っためしがやたらまずかったとしても、「うまくてたまんないめし」があることぐらいは分かるだろうが。おめーにも好物ぐらいあるだろうよ。それを食った時に、幸福感を感じるだろ!また食いたいとか、いくらでも食いたいとか思うだろ!そしたらそれには意味があんだよ。価値があんだよ。
そしたら、そのうまいめしを作ってくれる人を尊敬するだろ。あるいは、自分がそういう人になりたいと思うこともあるだろ。そうやって、人に「あんたのつくっためしが食いたい」と心底言わせる人に意味がないなんて言わせねーよ。
そりゃ100億年したら誰もいないかもしれねーよ。誰も覚えてくれてる人なんかいないという事もありえるよ。
でもよ、おめーはそうやって目の前の現実から目を背けてるだけなんだよ。
もしおめーがいじめられっ子で、さっきフルボッコにされてきたところで、絶望して今すぐ死んだ方がマシだと思っていたとしても、例えば綺麗で暖かいトイレで用を足せれば、それはそれでちょっと悪くないことだろ。そしたら、そのトイレを作った人や、掃除してくれた人や、電気を作ってくれた人や、そして自分がまだ生きてることに感謝しないとダメなんだよ。そこにはれっきとした「意味」があんだよ。
そんな時でも例えば可愛い女の子を見れば、心が動かされたりするんだよ。自分の身近にいる人が傷つけられると怒りを覚えるんだよ。身近な人を守りたいと、考えるんだよ。
で、そん時におめーの望むことを(例えばあの警察でもいてよ、)うまいことやってくれるサービスがあったら、嬉しいだろ。意味があると思うだろ。
だいたいよ、100億年たったら何の意味もなくなるなんてことは、偉人と呼ばれる人は誰でも考えてんだよ!100億年たたなくても、100年たてばもう自分はこの世にいねーよ!でもよ、それでも自分の目の前の何かを良くしたいと思って、自分の祖国を良くしたいと思って、いつか死んでしまう自分という存在を受け入れた上で、そういう偉人たちは行動してきたんだ!
おめーは自分が人類で始めてそんなことを思いついたみたいな感じで書いてるけどよ、そんなもん誰でも思いついてんだよ。それを踏まえた上で、受け入れた上でみんな生きてんだよ!
それをなんだおめーは。現実を見ねーでよ。アホみたいに得意げによ。
「100億年すれば、宇宙は消滅してしまう」のが真実だとしてもよ、それは「今のこの世の中に価値がない」という事にはなんねーんだよ。消滅するのも真実だが、それでもなお今の世の中には意味があんだよ。価値があんだよ。それは両立すんだよ!
どーせおめーは文明は進歩し尽くしたみたいに思ってて、こんな感じの生活がずっと続くと思ってんだろーけどよ、これからどうなるかなんて、誰にもわかんねーんだ。今起こってることってのは、世界初の出来事ばっかりなんだよ。人間が65億人もいて、ますます増える世界なんて、誰も経験したことねーんだ。
だいたいよ、1000年前から考えたら、ずいぶん人類は進歩したんだよ。だからあと1000年したらもうガラッとちげー世界なんだよ。神は全てを知っているとか、そんなことも残念ながらねぇんだよ、人間が、今まさに世界をつくってるとこなんだからよ!こんなこたー物理学でも深く勉強すりゃそう気付くんだよ。
そしたら、1000年後には、生命にはなんか目的がもしかしたらあるとかいう事が分かるようになるかもしんねーじゃねぇか。今は気付けてないことが1000年後にはいっぱい分かるようになってんだよ!んで、それを作るのが今生きてる人間とその子孫なんだよ!
それでも生きていることに意味がないって言うならよ、じゃおめーこれからどーすんだ。
自殺でもしねー限り、おめーは死なねぇんだ。
心地いいことを、心地いいと感じる自分がいるんだよ。現実に目を向けりゃ、色んなところに価値を見出してしまうんだよ。おめーみたいな人間でもよ、頑張りゃ価値を見出されるんだよ。それをどう受け止めるんだ。
境遇は欲にているんだけど、考え方や人に対する接し方が正反対な兄がいる。
兄はどんなことでも貯めて、貯めて、貯めて、爆発させるタイプ。表現、発想が極端。統合失調症。
俺は貯めずにその場で小爆発を起こすタイプ。なるべく一般化してものを話すタイプ。双極性障害。
以前から、
という考え方をして、努力とか反省をいっこうにしないところに腹が立っていた。
で、今朝、
なんてことを言うので、
_ちったあ努力しろ。
_みんな簡単に楽しみを見つけてると思うのか?こつこつとやってきたから楽しみになるんだ。
と言ってやった。しばらく黙った後、姿を消したと思ったら、
親のところへ「あいつ腹立つ。あいつを殺してやりたい」なんて言ってた。
もうバカかと。アホかと。
30をとっくに超えたおっさんが、親にいうことか。
思っても口にするな、バカが。
それでなくても、おまえのことを親は心配して、
「私が死んだら、あいつの見方はおまえしかいない、仲良くしてやってくれ」
なんて言ってるんだぞ。
その親にさらに心配させてどうするんだ?
正直、こんな兄の老後なんて見たくないぞ。
「橋下もそう。全く論理的な事を話さない。」
橋本に限らないけど、日本には「政治とは結果責任だ」という人が少なからずいる。
村上春樹が小説の登場人物:政治秘書に理想溢れる政治家がどんどん堕落していくのとか
唾棄すべき最低な性根が見事な結果をだしたことなんて、いくらでもある、みたいな感じのことを
「ねじまき鳥クロニクル」で言わせていた。
その「結果責任」の立場を取る人からみれば、タイゾー騒動なんて全く持って論理的ではない。
タイゾーが何をしたか、あるいはしなかったかを議論するのなら解るのだけど、彼の非政治的な言動を
マスメディアが報じるのってなんなんだ?とか。
もちろん「政治家は信条責任だ」と思っている人達にとっては、結果がどうあろうが評価には関係ないんだよな。
ちなみに竹村健一も昔そういう「信条責任」を批判して辛口評論家と言われていたんだが、それはまぁいい。
橋本の立場に立たない、知りたくもない者には論理が解らんだろうな。俺だって全て理解している訳じゃないが、
母子家庭でいじめられっ子だった少年の立身出世の過程で培った信念とか思想を、聞きかじった程度では
論理的だと思っている。
「人の気持ちをちゃんと考えたことあるのか?」
「いいえ、ないです」
「そんなことだから君は駄目なんだ。人の気持ちを考えて発言する。これは人として当たり前のことだよ」
「ということはAさんも人の気持ちを考えてから発言されてるんですか?」
「当たり前じゃないか」
「じゃあ今僕に『人の気持ちを考えて発言する。これは人として当たり前のことだよ』と発言されたわけですが、これを受けて僕はどのような気持ちだとお考えになられたんですか?」
「……それはだな。そう。聞いた時は不快に思うかもしれんが、それも君の将来のためであるから、いつかわかってくれるだろうと思って、発言したんだよ」
「ということはその人の将来のためになれば、その時のその人の気持ちは無視してもいいわけですか?」
「……そういうわけではないが。しかし君のような相手の場合はそうとも言えるな」
「なるほど。じゃAさんの将来のために発言させて頂きますが、人の気持ちなんて考えてわかるもんじゃないですよ。ちなみに僕は今カレーのことを考えていました。金曜日に作ったんですが、昨日食べた後に、冷蔵庫へ入れるのを忘れていたことを思い出していたので。危ない気もしますが、もう秋も深まってきたので、大丈夫かな、それともやっぱり危ないかもしれないから、帰りに何か買っていこうかなって」
「それは君みたいな相手だからだよ。普通の人が相手なら考えればわかるだろう」
「そうですか。じゃあもし仮に相手の気持ちがわかるとします。そうすると今度は違った問題が出てきます。たとえば被害者は加害者の気持ちを考えて発言しなければなりません。いじめられっ子は自分いじめて楽しむいじめっ子の気持ちを、強姦被害者は罪を犯してまで自分を犯した加害者の貪欲を、子供を殺された親は我が子を殺した犯人の快楽を――」
「それは特殊な例だろう」
「では被害者の場合には相手の気持ちを考えなくても発言してもいいと」
「まあそうだろうな」
「じゃあAさんが、Aさんの発言で不快に思ったと考える、僕の場合は?」
「君の場合は駄目だよ」
「はあ。軽度の被害で、それが相手の将来のためになる場合は免除になるわけですか」
「被害と言うのかはわからないが、まあそうだね」
「わかりました。自分のような者のために、有り難いお言葉の数々、誠にありがとうございました」
「なんだなんだ。急にどうした」
「いえ、生意気な口を聞いたにもかかわらず、それでも苦言を呈してくださるAさんの思いに、心を打たれました。本当に自分の将来のためを思って頂いてるんだなって。ですから、散々生意気なことを言ってしまった後ではありますが、Aさんに感謝の言葉を述べたいと思いまして」
「おお、わかってくれたか」
「相手の気持ちを考えるってこんな感じで喜びそうなことを言っておけばいいんですか?」
「わかってないじゃん」
や、確かにそう読めるね。ごめんよ。
元増田が
こういう空気を浸透させれば、いじめ被害者は減るような気がする。
いじめ行為への抵抗感を増大できるかもしれない。
と言ったことに対し、こうした空気は既に存在しているんじゃないか、ということと、それは別にいじめ行為への抑止として機能しないんじゃないか、ということが言いたかったんだ。
どうも、いじめっ子・いじめられっ子の双方が不可触民扱いになって、入れ子的にいじめっ子・いじめられっ子の構造がもう一つ追加されるだけに見えるから。正直、スクールカーストの数が一つ増えるだけなんじゃないか…って思ってる。
現状の把握としてはより正しくなるのかもしれないけど、それは解決策とは何か違う気がしてるんだ。
現時点で既にそういう層も差別はされてるんじゃないかなー。
直接いじめに加担もせず、いじめられている側を助けもせず、いじめる奴もいじめられる奴も見下している人間って普通に居ると思うんだ。実際に手を下さないから罪悪感はもちろんないし、事が露見したときに責任を問われるようなリスクは取らない。つきっぱなしのTVの過激なバラエティ番組を見ている感覚でそういう場を受け入れる。そういう人間からは、いじめっ子も(いじめられっ子と同じように)「バカだなあ」って目で見られていると思うよ。
そういういじめが存在することを消極的に容認して、双方から距離を置く態度ってありがちじゃないかしら。傍観者にとっては、いじめている奴もいじめられている奴も「双方等しく」可哀想な子なのであって、どちらも肩入れして直接何かをしてやろうとするという対象ではない…という。
そこまでは行かなくとも、そのしょうもない行為を見ながら心を痛めたり、あるいは楽しんだりしながら、TVの向こうの出来事のように消化することで、一段上の位置に身を置いているように見える人も多い。何か手立てを取ろうとすれば、もう番組の視聴者じゃなくて出演者になってしまう…そうなれば自分も「可哀想な子」の仲間入りだ、と思っているみたいに。
そう考えると「可哀想な子」という視点がいじめの抑止に繋がるとは思えない。むしろ、いじめへの傍観者的態度を助長するだけなんじゃないかな?
…もちろんだからって良い考えがあるわけじゃないんだけどさ。どうすりゃいいんだろうね。
元増田です。
君がやることはそれほど多くない。
自分のやりかたで仕事をするだけだ。
「おまえは言われたことだけをやっていろ」
「既存のものを崩してはならない」で切られました。
現場上がりの強みで、現場の方式は殆ど私が構築してきたものなのですが、
如何せん本社業務については「自分のやり方」を入れる余地はありません。
怒られたら、3秒待て。
目をみて、ニコリと微笑んでやれ。
一度似たアドバイスを受け、
「いじめられっ子がおどおどしてたらそりゃいじめるよな」と思い、
試したことがあります。
「へらへらしてんじゃないわよ、謝る気あるの?」で終了。
絶賛くじけてしまいました。
最近は声かけても見向きもせずに応答するので、目を見ることも出来ません。
ネタバレ注意です
友や校長の協力を得てヴォルデモートの影を打ち破りゴブレットを手に入れようとしたときあのマルフォイが立ちはだかる。
「貴様は…、いつもいつもそうやって!なぜ己のつとめを果たそうとしない!」
「何のことだ!」
「死んだ方がましだ!」
二人の魔法が炸裂し互いの杖が砕け散ってしまう。
「お前には拒否する権利はない!
なぜなら、お前はあのお方の息子…、魔王ヴォルデモートはお前の父親だ!」
「嘘だあぁぁぁ!」
もはや魔法はいらなかった。拳と血が飛び交う。
リーゼントの崩れたマルフォイが馬乗りになって叫ぶ。
「透明マント、箒、ゴブレット。お前は何か一つでも自分の力で手に入れた物があるのか!?」
「僕には友達が居る」
「ふはははは、笑わせるな。彼らはプレゼントなんだよ。」
「ハリー考えてみろ、マグルの世界ではいじめられっ子なおまえがなぜこの世界でヒーローになれた!?
一人も友達がいなかったお前がどうして仲間に囲まれている!?」
「何が言いたい!?」
「この世界は、お前の父親がお前に託した最高で最大のプレゼント、「魔法の世界」なんだよ!
この世界はお前のために用意されお前のために存在する!俺たちもお前のお友達もな!
つまり、お前の父親、あのお方は「神」なんだ。」
「ふざけるな!ロイもシャーマイオニーもダンブルドア先生も作り物だというのか!?」
「ダンブルドアは少し違う、あいつはあのお方に造られた物の中で唯一反抗した物だ。
あいつはお前がこの世界を支配するのが気に入らないらしい。」
「だったらお前はなぜ僕を殺そうとするんだ!?」
「俺の役目はお前の友達になることだった。だがお前はそれを拒否した。役目を失った俺はどうしたらいい!?俺は何のために生まれてきた!?
そして悟ったんだよ。どうしたらいいのか。
http://twitter.com/tsuda/statuses/850434927
http://d.hatena.ne.jp/magoshin/20080704#p1
ハゲ言われたおっさんです。
童話の「はだかの王様」って、せいぜい数百人の国民の前で、子供一人から「王様は裸」って言われただけじゃない?
こっちは10000人+2000人の前で、何十人から「おっさん」「ハゲ」呼ばわりされて、2000人から大笑いされたんだから、
これは王様より凄いんじゃね、と思う。
このリアルタイム性&匿名性を持った告発者の発言、実際に受けてみると、
率直に言ってかなり面白い。
別に強がりとか自虐とかでなくて。だって、考えてみてよ、可視化された率直な感想の、リアルタイムな集合体を、
芸能人や政治家みたいな有名人ではなく一般市民の立場で世界初で見ることが出来たんだよ。
パラダイムシフトが起きた瞬間を体験出来た人間が、世界中にどれだけ居ると思う? そのパラダイムシフトを
体感出来たのは、世界でオレだけだと思うし、実際のところ見てて自分でも面白がれた。
…精神弱い人がこれを食らっても大丈夫か、という意見に対しては、正直わからんね。引き篭もったり首吊ったりする
可能性も否定出来ない。
だけど、この流れが止まったり逆流するかって考えれば、多分それはない。
携帯電話が当たり前になったように、こういう、善意悪意を問わない率直な意見の可視化の流れも、
そのうち当たり前になるんじゃないかな。
最後に一言。
まだ34歳なんだから、おっさん呼ばわり勘弁な。
(7/7 12:05 追記)
# 編集出来るの知りませんでした…。別立てしないで追記すれば良かった。
いまのところ、自分が書いたのは
http://anond.hatelabo.jp/20080706112744
http://anond.hatelabo.jp/20080706185812
http://anond.hatelabo.jp/20080706190131
の3つだけです。…実は本人じゃない、の増田は見た時「頭良いな」と思いました。
顔も声もバレているのに匿名のままで頑張っている理由は、単純に
「会社休んで遊びに行ってるのが、会社にバレたらヤだなぁ」というそれだけの話です。
ハゲ頭の写真を撮ってはてな日記にアップして、見ている人が「確かにこのハゲ具合は、
まさしくハゲのおっさんと一緒だ」…って、どこのガラスの靴試し履きしてるシンデレラですか?(笑)
とりあえず、ニコニコ動画の連絡フォームを使って連絡をして、ハゲのおっさん=増田=私であり、
私しか知らない&当日の動画を再生して見れば確認出来る出来事を伝えてみました。
上手く行けばニコニコ動画さんの方で本人認定してくれるのではないかな? と思っています。
無駄に騒動を起こした、という事は否定出来ませんが、自分としては良い『紛れの一手』が打てた
のではないかな、と思っています。
自分の想像の域を出ませんが、自分が増田で一言を書かなかったら、ニコニコ大会議の質疑応答の
感想は「あれはイジメだ」「魔女裁判だ」「対象者が嫌がる事を絶対にするな」といった、一方向の流れに
行ってしまったのではないでしょうか。
自分の一言で、感想をいう人から「本人か騙りかに関係なく」とか「本人がどう思おうとも」といった
マクラを引き出せたり、また参加していた人から「あの場の雰囲気はそんなに悪くなかったよ」
といった感想も引き出せたと考えています。
(逆に、自分以外に質問された4名の方々の意見を言う機会を塞いでしまったかもしれませんが…)
(7/9 1:10追記)
ハゲのおっさん(34歳独身)です。
なんとか本人証明が出来たので、そろそろ幕引きをした方が有終の美を飾れるかな、と思っています。大きな変化とか、あまりにも反論したくなるコメントとかが出ない限り、ハゲのおっさんとしての増田の書き込みは今回で終了と致します。
日曜からずっとはてなブックマークを辿って、ブックマークから見えるBlogは全部見たはずです。
…えーと、どうやら私は12000人からDisられても平然としてるdankogaiさんみたいなマッチョで、涙こらえて笑顔で道化やってる『いじめられっ子』ならぬ『いじられっ子』で、イジメのせいで精神分裂起こしかけてるビリーミリガンで、祭りの場で舞い上がったお調子者で、聞かれもしない感想を言う出しゃばりで、ついでに「私はハゲです」Tシャツを着て都会を歩いている人、らしいです。…凄いな、ハゲ言われた感想を書いたら、ここまで言われなきゃならんのか(笑)。
Blogやコメントを書かれる方々の多くの人は「あれはイジメ」と考えていて、なのに、12000人からハゲと笑われたハゲのおっさんは暢気にも「これは空気読みのパラダイムシフトやーー(彦麻呂の口調で)」なんて言っているので、その乖離を解消する為にハゲのおっさんを自分側から排除した部外者として処理しているのかな? と思っています。
色々と個別に意見とか反論をしたいBlogとかありましたが、ハゲのおっさん7日間戦争 - ls@usada’s Backyard( http://d.hatena.ne.jp/shibata616/20080708/1215510163 )
を読んだらどうでも良くなりました。こういう文才が欲しいです。
最後に、ここだけは気になったので。
ニコニコ大会議で行われた「リアルタイム中傷」( http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0807/07/news096.html )
> ハゲと書かれた人は、しばらく声を失っていたところを、ひろゆき氏がフォロー。
> 中傷コメントに対して自重するよう書き込むユーザーも多かった。本人もそれほど気にしていなかったのか、その後元気に質問をしていてほっとした。
声を失ってたワケじゃないです。MP3聞いただけだとその場の状況分かりづらいですけど、この時は笑い声が上がってもずっと続けて話してたのですが、笑い声が大きくなりすぎてマイク通しても聞こえないくらいになったので、ひろゆきが一旦声かけて「もう一度初めからお願いします」っていう流れになったんです。で、皆が静まるまでハゲ頭に手置いて林家三平のマネして時間潰して、それから話し直しただけで、別段あの程度でうろたえる程でも無かったですよ。
繰り返しになりますが、今回は楽しませて頂きました。次回のββの大会議もあったら出席出来ればと思っています。
(12/3 1:20追記)
ハゲのおっさん(35歳独身)です。ニコニコ大会議2008冬の招待に当たりましたので会社休んで参加する予定です。早めに行って並んでいますので、お気軽にお声をかけて頂ければ幸いです。
http://anond.hatelabo.jp/20080622205700
正直、まともに論理的な議論ができない奴に限って「詭弁のガイドライン」とか言うんだからなあ。ガイドラインとか言う前に、必要条件と十分条件の区別ぐらい付けてほしいよ。
男女比が偏っている、と言う特殊なケースの例を挙げても仕方なくね?詭弁のガイドラインの「ごくまれな反例をとりあげる」かよ。
集団内の小集団で男女比が偏ることはよくある、と書いたはず。ちゃんと読むように。むしろあらゆる小集団が均等に分かれる方が作為的で異常。
人間関係の形成される場、の話をしとるんだ。
そんなことはない。女が絡まないといじめは間違いなく減るよ。非モテ男を攻撃する奴の中には「女の前でいいカッコしようとして、自分より弱い奴を落として自分を相対的に上げる」をやる奴が多いんだから。むしろ、男が男をいじめるときに非モテをネタにするんだよ。「おまえは童貞だろwwwキモwww」とか言ってな。男子校に行くと全体の相対的な非モテ度が上がるからその意味で非モテは救われるというのもあるわな、そういえば。
http://anond.hatelabo.jp/20080609110751 を読んで。
まるで赤子の叫びを見ているようで、読んでいてひどく心が痛んだ。
「いじめられて自殺するくらいなら苛めたやつを復讐する」なんて考えを持てるような奴は、いじめられない。
いじめっ子だって復讐されるのが怖いのだから、相手を見ていじめるからだ。
「いじめられて自殺するくらいなら苛めたやつに復讐すればいいのに」
という言葉を理解できるようになるのは、危機が去った後だ。
いじめの真っ最中に「復讐」なんて気のきいたことは思いつかないし、
思いついても身の危険を感じてなかなか実行できない。
成長してからの「それでも復讐すればよかった」なんて後悔は、なんの役にも立たない。
ただ、「手遅れ感」が残るだけである。
増田は、この「手遅れ感」を「レイプされた」と表現しているのだろう。
密閉された「人形」の中でうごめく「手遅れ感」という負の感情。
この負の感情を昇華するためには、他者という「外界」が必要である。
もしかすると、加藤容疑者にとってこの外界へのgateが、「秋葉原」であったのかもしれない。
加藤容疑者は、掲示板に「『誰でもよかった』 なんかわかる気がする」と書き込んでいたらしい。
社会から隔絶すると、「他者」はひどく抽象的になる。なぜなら、目の前には誰もいないからである。
(ちなみに、ここで言う社会とは、「自分をよく知る人が周りにいる状況」のこと)
この教えに沿えば、いじめっ子は咎められ、いじめられっ子には何らかの救いがあるはずだ。
にもかかわらず、目の前で「いじめ」が行われていても誰も助けてはくれなかった。
彼はこの「価値観の嘘」に苦しめられたのかもしれない。
だからこそ、彼はこの「価値観の嘘」に対して対話しようとしたのではないか。
たとえ狭くとも、いじめを受けていた世界は彼にとって「全世界」であった。
そして、社会を隔絶した彼にとっての外界は「テレビの中の世界」であったのかもしれない。
早い段階で社会を残絶し成長する機会を失った彼が取れる行動は、まっとうな対話ではなく、「ヒステリー」であった。
(掲示板への書き込み「夢…ワイドショー独占」(午前2時48分))
彼は「世界の中心でアイを叫んだけもの」となることで、「他者が注目してくれる自分」を確認したかったのかもしれない。