はてなキーワード: 風土とは
「CDは、そこに入っている音のみで評価されて売れるべきものだと思っている。」
すごく無理がある。
おそらくは彼自身も音のみで評価なんてしていないと思われる。
している「つもり」ではあるだろうけど。
実際音楽をCDに入っている音のみで評価するなんて不可能に近い。
文化的背景なくして音楽は生まれようが無い。
人が作るものなんだから、その人の生きた、人生、社会、時代、そして文化、
そういうものが渾然一体となって、音楽に反映される。
だから、音楽を鑑賞するときには文化背景を知るとより深く鑑賞できる。
そしてそれは演奏する人にとっても同じ。
それこそ「新世界より」の意味を知らずに演奏してるプロなんてほとんどいないだろう。
クラッシックの話で説明すると大仰だけど、JPOPだろうが、初音ミクだろうが、みんなおんなじ。
ダライアスの音楽が好きだって言っても、ゲームを抜きにして音楽の話は語れない。
だって作り手もゲームを抜きにしては作っていないし、
歌っているのは、男か、女か、楽器は何を使っているのか、
いつの時代の何処の国の、どんな境遇の人が何を思って作った音楽なのか。
みんな大切なことだ。
「人間が作っている」ってのはそういうことだ。
逆に、もし彼が頑なに音楽を音だけで鑑賞しているのだとしたら、
それはもったいないから、ぜひもっと、
その音楽が生まれた広い文化や歴史や風土と一緒に鑑賞することをオススメする。
分からなかった音楽が、分かるようになるよ。
音楽を通して、相手の文化に触れることができるようになるよ。
初音ミクが楽しんでいる人は、Pと呼ばれる作り手の試行錯誤にリアリティを感じている人達。
初音ミクの声やキャラクターから沸くイマジネーションを共有することができた人達。
楽しめない人は、音だけを聞いた人達。
文化的断絶があると楽しめないのは、いたって普通のこと。
履歴書には、うちには勿体ないような経歴が書かれていたので採用しましたが、
ふたを開けてみたら、
お願いした書類を一ヶ月かかっても書き上げることができないし、
全く困ったもんなんです。
でもね、もうフリーダム過ぎる彼を首にしてしまったら、
次に雇ってくれるところはないんじゃないかと思って、我慢しています。
そんな彼ですが、仕事へのやる気はまるっきりだめでも、
実はセキュリティホール探しを任せたらピカイチってことに最近気付きました。
根気よく使っていれば、長所が見つかるもんです。
このように、うちはエリートの集まりではありません。
Lanタソから、「この子、ニートにしておくのはもったいないですよ」と
頼まれて仕方なく採用したり、公募で採用してもはまちや君のような人しかきません。
それでも、それぞれの長所をうまく活かしてやれば、
大手にだって負けないすごいもんが作れたりします。
日本漢字能力検定協会さんなどの案件が
持ち込まれるのは、その証拠です。
今回も、すごい人は望んでいません。
はまちや君よりも仕事ができれば、御の字です。
でも、期待はしています。
あなたに、うちの会社の将来がかかっているんですから。
仕事はからっきしだめで、職場では突然歌いだしたりするはまちや君も、業務外のセキュリティホール探しでは人一倍盛り上がる影の情報管理部長です。彼をはじめ、みんなXSSが大好きな陽気なメンバーばかりで、勉強会も盛んです。気が向いたときはご近所の他社の方も招待し、総勢10名ほどの大勉強会を催します。とは言え、普段の職場はそんな体育会系なノリでもなく、黙々と仕事に打ち込める環境ですので、オンオフのメリハリをつけて働きたい方にとってはぴったりです。
https://rikunabi-next.yahoo.co.jp/rnc/docs/cp_s01800.jsp?fr=cp_s00900&rqmt_id=0006504823
地元の道端でクリスマスっぽさを見かけたことはあまりなかった。もしツリーなんて出そうものなら、毎年ほぼ確実にウルトラホワイトクリスマスだから、吹雪で電飾が飛ばされてあぶない上にごみだらけになる。カーネルおじさんも余裕でバタンキュー。外出には重装備が必要で、大した用事もなく街をぶらぶらできる季節でもないから、商店街なんぞ飾り付けたところで誰も見ない。スーツ着て駅前を歩くサラリーマンなんか冬関係なくはなから存在しない。かろうじて大型ショッピングセンターの店内だけは、コストに見合う程度に見てもらえるので、そこそこクリスマスっぽかった。
数年前にあったかい地方に引っ越して、店でもなんでもない普通の家が電飾にまみれてぺかぺかしてるのを初めて目撃した。東京は電気がすごいんだよという噂は地元にも届いていたが、民家まで光るとは思ってもいなかった。ファーストインプレッションは「うわもったいない」だった。東京エレクトリカルランドって感じがした。電飾飛ばされないし、人も通るし、お金とエネルギーの使い道をそういうハイカラなことに使う発想もこの風土なら育つことができるから、決して変でももったいなくもないんだなと、家路めいっぱい使って結論付けた。
はじめからないものをあるつもりでいると無駄に絶望するけど、はじめからないつもりのものがありまくってるのを見かけるとそれはそれでびびるよって話。
私の家系は無宗教なのに、亡くなった時は真言宗にいつもお経なりを世話してもらってます。しかし、私としては、2日以上も葬式などに時間を奪われる価値はないと思っていますし、この日本文化の意味も全くもって分かりません。しかも、これが終わっても、法事地獄がまってんだぜ!全くこの仕組みが分からん。 父や母は、先祖代々からやってるから、親戚、周りの目があるので常識的にするしかないのよって 言ってます。
誰が考えたんだろう、こんなメンドクサイシステム。お寺さんか? 昔なら分かるぜ、田舎のほうとかさぁ、でも、この昨今ではこんなメンドクサイシステムする必要ありますか?もっとシンプルに1時間くらいで済ませてくれよと思うのは私だけですか?それとも異常ですか?
しかも、母はお布施をいくら包めば分からないこともあり、葬儀屋さんに相場の額を聞いていました。葬儀屋さんいわくお寺さん一人に対して、25から30万円くらいのお布施、初七日が3万くらい、交通費、諸経費が2万円くらいと言っていましたが、基本的にはお寺さんに直接聞いてくれと言ってました。なぜなら、昔からの長い付き合いの方はもっと額が跳ね上がるのだと言う。もう、意味不明です。そもそも、なんで直接聞くの?額なんて気持ちの問題だろ?しかも、こっちが高い金額で雇っているのに、坊さんが偉そうにするのはなぜ? 立場逆だろよ!! しかも、最初にお経を言う「枕なんとか」の帰り際に、「今日忘年会だからねぇ」などとほざきやがる!! 税金払えボケ!!交通費くらいだせよボケ!! 葬儀屋と癒着してるんだろうがよ!! 葬式の日は坊さん2人来るからお布施もその分だせって どうゆうことだよカス!!
あ"ーーーーーーーーー イラヅク!!
で、今日から、お通やと葬式に貴重な時間を奪われると同時に、高額なお布施をむしりとられ、葬儀屋にもお金をもっていかれ、遺体の祖母もたらい回しにされる。おかしくないか?この制度? そんなメンドクサイことせずに、火葬で焼いて土の肥料にすれば良いのではないのか? それから、墓場の存在よ。墓場なんかいらないし、墓参りもいらない、そうすれば、高額な墓石も買わなくていいだろ!!
なんで、シンプルに短時間で埋葬して低額で済むやり方を選択できない世の中になってしまったのだろうか?誰の洗脳だ?何回も言いますが、私には全くもって意味が分かりません。しかも、こんなひねくれた考えをして、葬式などに出ないと、周囲から揶揄されること間違いないだろ。あー意味不明だよこの習慣というか風土というか。
私が死んだときは一切そんなことはして欲しくない。直ぐに焼いてくれ!そして直ぐに土にまいてくれるように頼むよ。で、こんな私みたいな考え方する人って結構いるんじゃないだろうか?しかも最近では。ちょっと前までだと嫌々親戚付き合いや、葬式をしていたけど、そろそろみんなで取っ払おうぜ!この文化を!! みんなが徐々に短縮していき、追々はこんな制度辞めていけば、定着するからさ!
とりあえず、父と母が死んだときは、ちゃんと常識的にやってくれと言われているので素直にやりますが、心の中では "はてなマーク" が100個くら充満していて、意味ないのになぁと思いつつ、今回も祖母の葬式に行ってまいります。
最後に質問させて下さい。
皆様はこのシステムどう思われますか?
頑張っても出来ない(・・・と見える)のを「やる気が無い」「低能」と言う感じで見てる。
頑張ってるのはやる気がある、って事だと思う。
けど、出来ないのを「低能(力)」と見られるのは仕方がない。
というか、出来ないから頑張ってるんだろうけどね。
と言うか、一回教えただけで次から確実にできるようになると思っているらしいというところがおかしい。
・・・で、「それはおかしいんじゃないの?」と聞くと「悔しければ出来るようになれ」と言われるだけらしい。
「それはおかしい」ってのは元増田?
悔しければできるようになれ、というのは悪い面だけじゃないと思う。
大概、できなくて悔しい気持ちが出来るようにさせる努力を導くから。
がんばってます、努力してます、って言うだけで、メモも取らないとか、(後からでもメモはできる)
メモ取っても二度と見ないってのは結局口先だけだし。
ADHDの彼女が頑張っても「やる気がない」といわれるのは、もしかしたらそういう所なんじゃないのかな?
だったら、元増田がメモ取ってあげるとか、そもそもマニュアル整備を考えるとか、業務フローの整理とか
できる事一杯あるんじゃないかな。それこそやる気があれば。
そんなの派遣の仕事じゃない!正社員が悪いんだ!って話じゃ何も進まない。自分の仕事の範囲内だけでいいんだし。
ただ、「こういう仕事は私はやりたくありません」って平気で断言するようなやる気がない社員を目の前にしてるとADHDの彼女みたいなのは貴重だと思うんだよね。
とはいえ、「頑張ってやります!」って言ってる陰でコネで根回しして、嫌な仕事を自分でやらなくていいようにする人間もいるから、見た目だけの頑張りってのも鵜呑みにもできないけど…。
正直、やる気表明だけで手放しにいい子いい子できるような時代じゃないと思う。
それに、彼女は派遣社員だよね?ちゃんと条件つけてその道のプロを雇ってるんだよね?
うちの会社は人格否定的な風土はないけど、派遣で資格とスキルの条件つけて雇ったくせに、「頑張ります」だけで、全く仕事をしない人間が来たときは、流石にキレてたよ。
何時間もかけて仕事教えて、成果ゼロ(会社としてはマイナス)。
http://anond.hatelabo.jp/20081111184519
いい人って単語は褒めてないんだよね。
http://anond.hatelabo.jp/20081110140051
いつの間にか、伸びていてびっくりです。
なんか、皆さん。
”私は” 『いい人』という言葉を、『褒め言葉』だと思わない。
という事をお話しされていて。
そりゃぁ、おっしゃるとおりと思います。『私』の言葉の定義は『私』が決められるんですから。
で、どちらも、別に間違ってませんよね。年代、地域、性別、風土風習が違えば、言葉の意味も違うのですから。
僕は30代ですが、わりとこのぐらいの年代って、TVなどで、『いい人』じゃぁ、しょうがない。『ちょい悪』でもいいから、モテないと。
といった、いい人よりも、ちょい悪い人の方がモテるし、良いんだ。的な文化があるんだと思います。
ほかにも『いい人止まり』といった文化もあり、いい人とは認識されるんだけど、恋人にはなれない。一押しが足りない。など、TVや雑誌で
特集されたりして、『いい人止まり』が『友達以上 恋人未満』的な単語で使われていて、『いい人』という単語に良いイメージがない。
ことが、発言の根底にあります。
なので、このぐらいの年代または、そう言った文化背景を持つ人を相手に、『いい人』と言った場合、褒めてくれていることは認識できるんだけど
というのをくみ取ってもらえると助かるなぁと思います。もちろん、相手が本当はどういう意味で言っているのかはケースバイケースで空気を読まないといけないと思いますが。
※おれも30代だけど、そんな文化ねーぜ、的なコメントは付けてもらっても、あくまでも、そう言う意味で『私』は言ったというだけですので、同じ30代でも違う解釈をされる人は沢山いるかとも思います。
たまにできたヒマをもてあましペットでも飼おうかと思うが、ペットを飼ったら一生独身確定と思い、植物を買ってみた。
で、買ったのがニーム。前もちょろっと書いた。
虫除けになるんだってさ。1本500円。
実際に育てはじめると、窓際において3日に1回水をやるだけでグングン育つ。
今は丈が70cmくらいになった。元が50cmくらいだから、ちゃんと育ってる感満々。
ひょろひょろ伸びるせいで、傾いてきてしまった。
これどーすりゃいいんだろ。
当然ネットも駆使。
そこで初めて分かったんだが、ニームって基本的に日本で育てるのが無意味らしい。
ニームはインドセンダンとか言うインドの植物なわけだが、センダン種を育てたいなら日本のセンダンがあり、当然そっちのほうが日本の風土で育てやすいわけで。
なんでインドから持ってくるのよ!インドより日本の方が寒いんだから枯れちゃうでしょ!
ってかんじで越冬が大変らしい。
が。
俺が今問題としているのはニーム様の傾きだ。
こういうのどーすりゃいいんだ。
で、俺は思い出した。
世の中、菊みたいなひょろひょろした植物には添え木が当てられてる。それだ。
つーことで、amazonで添え木(正確には支柱)を買おうとしたら、ラン用とか菊用とかいろいろあるのな!
いやー園芸は奥が深い。
ついでに、1回鉢を倒して土をこぼしたんで、補充用の土も買おうとした。
が、ブルーベリー用やら草花の土やらあって、一体どれを買えばいいやら分からん。
園芸は奥が深いな。
今朝、夢に及川光博が出てきた。(おそらく)TVの画面の中からこっちを指して「この国はおまえのものだ!」と叫んでいた。
夢の中の俺は思った。ちがう!この国はおまえのものじゃない。この国はおまえと、おまえが日本一きらいな奴のものだ!
日本人は世界でも珍しいぐらい周囲に気を使う国民だろうに、意外と変なところで他者が見えなくなってないか、と普段から思っている。学者も言ってるが、この国にはウチとソトがあって、その中間にPublicがないのだ。別にそれが悪いというわけじゃなく、ただ、それじゃこのご時世、どんどん生きづらくなるだけだと思う。案の定、神奈川の松沢知事みたいな規制大好き君がはびこってきて、県民に妙ちきりんな規制を強いて「これがPublicのルールだ」みたいなことを言い出している。
Publicの意識がないから、「だいたいこんな感じか?」と外から概念を借りてくると、みんなで「こんな感じか?」とやっていくことになるわけで、そうすると変な我慢もまかり通っちゃったりするわけで、そうすると何かよく分からないもののために我慢する状態になるわけで、でもそれが周囲の空気になるわけで、そうなるとKYを嫌う風土である以上そのままやっていくしかないわけで、どんどん生きづらくなるのだろう。
元増田です。
詳しい人、ありがとう。
元増田は、2chには詳しくないが、同人にはそこそこ知識や経験はあるんだ。
だからこそ、疑問に思ってる。
あと、出入りしている板はキャラ板なんで801板じゃないが、キャラが腐受けする奴なんで、
貼ってる「絵師」と、喜んでる住民はあきらかに女だと思う。
上手いのを見た事もないし、叩かれてるどころか、そろそろ空気読め的な静止も見たことがない。
偉そうって思われたら申し訳ないが…
…やっぱり、下手なのは下手だからさ…申し訳ない。
どうして、あれを晒す風土が出来上がっているのか疑問だったんだ。
素人さんが褒めてる、ってのは分からなくもないけど、
同人じゃなくても素人の絵なんてオタだったら山ほど見る機会があるんだから、
それがどれくらいショボいのかは分かってると思う。
でも、みんな小学生絵なんだよな…
2chには小学生絵しかアップしちゃいけないルールでもあんのかと思うくらいに。
絵は小学生。
そのギャップたるや怖いモンがある。
その小学生絵に対する暖かい目と愛は普通の書き込みに回せないのか?と何時も不思議なんだ。
元増田はそんな不気味な場所に自分の絵を晒す気にはなれんです。
はいはい。どこが論点が違うかわかりました。
合コンにそんな、帰れコールみたいなルールを作る風土が、イジメを生む風土。
多対1 という状況において 斟酌しない。という文化だねと。
というツッコミで
たぶん、この話は、どこまでいって、ジャイアン理論で。俺たちのルールがマイルール。という世界なので。
厳しいかと思いますが。おっしゃられていることはマイルール的にはあってるんだから元増田がわるい。という事かと思います。
そして、私の指摘は、そのマイルールが、標準的な大人の倫理に対して良くない面がある事を否定しきれないという指摘です。
マイルールというのは、あくまでも、マイルール や ハウスルールなので。
正しいという根拠なんかどこにもない。ってことです。
そのマイルールに基づいて正しい、正しくないっていわれても困るというはなしで。
おなじくイジメもクラスのマイルール的にはイジメじゃないが、本人からすればイジメって事です。
0か1かではないですし、刑事訴追を受けるようなレベルではないですが、良心に基づいて、最良の対応であるとは言い切れないと思います。
大学時代、気にくわない講義は出席もせずノートも買わずに単位を取って卒業していた俺が来ましたよ!
自分を高める為に通う勉学の場である大学においてまでごまかしとはあまりに情けない。○○大学卒という肩書きはインチキで卒業した程度の人物でも真面目に講義に出て勉強していた者との区別はつかない。
肩書きはインチキできるけど、学んだ内容自体はインチキできない、それだけの話ですね。きちんと講義に出ていても、丸写しノートを一夜漬けした程度の理解もない人って結構多いですけどね。むしろ、実践においては講義で教えられた知識だけで事足りるということはあり得ないので、一夜漬け能力も重要ですよ。
私に言わせれば、一夜漬け野郎程度の理解もできていないできの悪い学生が、真面目に講義に出席していたというだけで単位に温情を与えられる方がよっぽどインチキだと思いますがね。
あと、どうでもいいことですが。
読書感想文なんてのは、教師が「生徒の自主性」の名の下に、予定調和的に自分のお気に召す作文を書かせる儀式なわけですね。要するに「正解がある問題」なわけです。だったら、正解をどこから探してきてそれをコピペするのは当然過ぎるほど当然。その程度のくだらない課題なんだから。俺は小学生の時は「この課題図書はつまらん」とかいちいち書いて提出してましたが、労力の無駄でしたね。
ただ、元記事やそのブクマにも腹が立つのは確か。要は単なるサボりの自己正当化とルサンチマンでしょうと。
これについては、私もcoconutsfineさんに賛成だ。「時間を節約させる」ソリューションをお金で売るのは正当なことであって、ビジネスの基本ですらある。世の中には、お金を出して時間を買いたい人がたくさんいる。
大学の中はビジネスの世界と同じ原理で動いていない、それだけのことですね。
マジメに勉強すれば成果が出るとは限らない。それは、マジメに働いても成果が出るとは限らないのと同じだ。現実の社会では、マジメさももちろん重要な資質だが、能力の違いやプロセスの違いも結果に大きな差を生む。
こういう人の言う「現実の社会」とは「ビジネスの世界」の単なる言い換えなんですよね。「アカデミックの世界」は現実じゃなくて虚構の世界に存在しているわけですか。へーえ。そういうお為ごかしの言葉を使って自分を正当化するのはよろしくないですねえ。
ちなみに、じゃあお前はどうやって単位を取っていたかといわれそうですが、自分で本を探して独学したり自主ゼミ組んだりしていました。
私の大学には、一部の教官の間でも、「講義は一手段であって拘束ではない、ただし結果は一切自己責任」という風土もありました。そのかわり、そういう教官の試験は一発勝負の温情なしだから、単位に甘いというわけでもなかったのです。
そうやって、どの講義に出てどの講義を捨てるかということを試行錯誤していく中で、「学問との付き合い方」という、ある意味では学問の中身それ自体よりも重要なことを学んで行けたように思いますね。卒業して以降、在学中に学んだ知識の全てが役に立ったとは言い難いですが、在学中に「学んだ」こと自体は大いに役に立っていると言えるでしょう。真面目に受けた講義が実はカスだったり、捨てた講義が名講義だったことに後で気づいて後悔したことも、今となってはいい糧となっていますね。
この話を思い出したよ。
http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51203278.html
「そんなん知ってたら行くかよ、と思いました」。東京電力に、事務系枠で入社した中堅社員がそう回想する。入社以来、検針業務が3年近くにも及んでいたからだ。
研修の一環として短期間ならまだしも、とても有名私大卒の自分がそのような単純業務を3年もやるとは予想だにしていなかった。
「入社後、最初に配属先を言われたときは、まあ1年だったら、と思っていましたが、3年は長かった。でもそれがこの会社では普通のことで、今でも5年間やる人だっているんです」
168 名前: メルラン(愛知県)[sage] 投稿日:2008/05/31(土) 20:12:51.98 ID:x+s/K5Lq0
東電ほど学歴でくっきりと給与や昇進の体系が明示されている会社も少なく
有名私大→事務系配属であれば、間違いなく30代後半で年収1000万です。
ただ、当然下積み時代というものがあり、1??5年は支社で高卒と泥仕事をやらされるのが
こればかりは避けて通れない。
むしろ、期待しているからこそ下積みをさせるわけなんですがねぇ。
あなたが思った「つまんない仕事」は現場を知るための下積みで、ゆくゆくは管理職になって高給取りコースかも知れない。大企業ならその可能性はありだ。
10年後、あなたが望まない形の差がついてるかも…。
どうも、この記事の作者です。前もって補足記事に追記して釘を刺しておいたにも関わらず、よくわからない反論(?)が来てしまったので、一応フォローしておきます。同様の誤解をしている人も結構いるらしいので。
実を言うと、この記事については反論することはあまりないんですね。言ってることは、細部はともかく全体としては同意できるものですし、知らないこともいろいろ書いてくれて勉強にはなりました。
ただし、唯一同意できないのは、それをもって私への反論だとしていることです。だって、この人の書いてることって、私の書いたことの「東京」と「関西」を入れ替えて、似たような立場から書いただけの話なんですから。それに私が文句言うわけないじゃないですか。そして、「関西の風土のよい点を聞きたい」といわれても、私は最初からお国自慢なんかする気はないと補足記事で断ったはずです。木によりて魚を求められても困ってしまうのですが。
この人に限らず、反応の中には、自分が批判されたと思いこんで怒っていらっしゃる方がおられたようで、それが少し気になりました。そうした方々は、私がいったい何を言っていると思ったんでしょうか。私は「東京」を批判したのではなく、「東京は中心で地方は周縁」という迷信を批判したのです。いくら私でも、東京の人の全員が「大阪人は民度が低い」なんてことを言っているとは思いませんよ。確かに、最初の記事を意地悪く読めば「東京の人間は全員偏見まみれ」と読めなくもないかもしれませんが、たとえば「アメリカでは、進化論さえも政治的な話題として扱われてしまう」という書き方だったらどうでしょうか。アメリカとかアメリカ人を全部ひっくるめて批判したことになるでしょうか?
その辺の誤解を防ぐために補足記事を書いたわけだし、題名に「東京が嫌いなんて誰が言った?」と書き、本文中に「文化や言語に優劣などありはしない」と太字を付けてまでわかりやすく書いたにもかかわらず、「お前なんか大嫌いだ」と言われるのであれば、もはやこの方は私が何を言おうと気にくわないのだと判断するほかありません。「そうですか、残念です」としか言いようがないことです。
この人ばかりではなく、同様の感情的な罵倒がいくつかあったことは残念です。「東京は中心」という迷信を批判したらそれがすなわち東京を批判したことになっているのだとしたら、その人の中では「東京こそが中心」という迷信が自明化されてしまっているのでは、とこちらまで邪推したくなりますよ、そのうち。
あと、埼玉の件が思った以上に誤解を招いているようなので、一応補足しておきます。
おそらく、誤解を招いているのはこの一文でしょう。
この「埼玉人」は集合名詞ではなく一般名詞です。つまり、「おおよそ埼玉人という奴らはすべて卑屈であって」という意味ではなく、「埼玉人の中にの卑屈な奴がいて」という話です。
たとえば「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」と書いたとして、「大阪のおばちゃんは全て百円ショップで値切るほどがめついと思われているのか!」と読む人はいないでしょう。そういうわけで、最初は「『産む機械』じゃあるまいし、邪推も大概にしてくれ」と思って無視していたのですが、確かに主語が「我々」となってみると、「埼玉人」も集合名詞であると誤解しやすいかもしれないと思い直したので、一応念のため補足しておくことにしました。ただそれにしても、直後に
それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。
とまで書いているのだから、埼玉が馬鹿にされたと読まれるとは正直思いもしなかったのですが。
あ、ちなみに、上の引用箇所の「東京人」も「(その手の)東京人」とでも読み替えてくださいな。なにしろ、ホットエントリになると思わずに愚痴を書き捨てただけだから、細かいところで舌足らずなのは正直ご勘弁いただきたいです。そこを補うために補足記事を書いたくらいなので。
以下蛇足。私が匿名日記を書くとときどき、捨て記事のつもりで適当に書いた記事に限ってホットエントリに入ったりする(受けを狙うと全くといってよいほど入らない)んですが、そのとき必ず一部の特定の同じ人たちが罵倒を浴びせてくるのはなんでなんでしょうね?毎回、全然違う話題について述べているのに。好意的な反応をくださる方は毎回顔ぶれが別なので、ますます不思議です。
もういい加減腹が立ってきた。
b:id:perfectspell 間違い探しゲーム, 100字コメント一部にそういう人がいるから「埼玉は卑屈」「埼玉は馬鹿にされている」と書くのがOKなら、「大阪は民度が低い」と全てのメディア(ネット含む)が言ったとしても、エントリ主には「一部の」と脳内補完されて無問題?
本当に「間違い探しゲーム」ですね。まず、「民度」という言葉は集団に対して使う言葉ですね。次に、「馬鹿にされている」と書くことが罵倒なら「障害者は差別されている」と書けば障害者差別なんですかね?最後に、「埼玉は卑屈」なんて書いてないでしょ。人の書いたことをわかりやすく歪めないでください。だいたい、「一部の」とかそういう問題じゃなくて、たとえば「馬鹿な男が」とか書いたら「男は全員馬鹿」って意味になるんですか、という話ですよ。誤解の余地がある書き方をしてしまったことは認めますが、わざわざ悪い方に解釈されるのは心外です。
博士の就職が難しい理由なんて、普通の会社で3年過ごせばすぐわかることだろうに。
終身雇用前提だから、社員は一生その会社で人生を過ごすことを想定して仕事してる。
年功序列だから、上司は無能が多いし、無能でも給料はおおよそ平等に貰える。
天下りみたいなのも普通にあって、幽霊老人社員とかいるわけよ。
そんなんでも会社は余裕でまわる。
(あんまりぬるま湯につかり過ぎると、世界競争に巻き込まれて日本沈没かもな)
中には「俺は社会人」とか言って張り切ってるやつもいるけどさ、
3年以上会社勤めしてるが、これらのことは全然実感ない。働いたことない人がステレオタイプなイメージで語っちゃってるだけなんじゃないかという気がする。これ書いた人は一体どういう業界職種で何社くらい勤務経験があるんだろうか。あるいは自分の会社=普通と思い込んでるのかも。
ほかの先進国だって規制はたくさんあって自由競争というわけでもないし、税負担率が日本より高いことから見ても税金工事的な仕事は日本より多いはず。日本は外需伸びまくりで内需低迷してること見ても世界市場でも競争に負けてるから沈没というより国内で金使わないから沈没というほうが妥当と思う。
気をつけろよ。
「国」や「日本」という言葉が具体的に何を指しているのかは、人によって案外大きく違ったりするもんだ。
(しかも人によって「現在の政治制度」のどのあたりを指しているのかが違うこともある)、
また別のある人にとっては「生まれ育ってきた馴染みの人間関係と食い物と酒」かもしれない。
他にもいろいろあるだろう。
Aさんが「(Aさんにとっての)日本」を愛するが故に、
その存在を脅かす「(Bさんにとっての)日本」を憎むことがある。
でも、Bさんだってやはり「(Bさんにとっての)日本」を愛していたりする。
そんなこともあったりするものだ。
02年8月24日から29日にかけて横浜市で開かれた、第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、世界で日本が実質自殺率1位でした。
マスコミは同年、「自殺4年連続3万人超」「昨年 目立つ経済苦」などと報じました。遺書から動機や原因を分析したところ、「健康問題」が統計のある78年から連続してトップ。次いで2番目に多かったのが「経済・生活問題」で、内訳は多い順に「負債」「事業不振」「生活苦」「失業」「就職失敗」「倒産」でした。
年次別自殺者の推移を見てみると、1978年(昭和53年)から1997(平成9年)までの自殺者数は年2万人台でしたが、1998年には3万2862人に急増します。1997年からの増加率は50歳代男性54%、同40歳代男性33%で、以後この傾向に変化はなく、20003年の自殺者数は3万4427人に達しています。このことから1998年は、自殺者が3万人台に定着した「自殺境界年」、また自殺理由の中で「経済・生活問題」が一気に上昇した「自殺理由境界年」に、当たります。
同年以降、同一グラフ上に完全失業率曲線と自殺率曲線を描くと、両曲線の推移は見事に一致します。また、東京都立衛生研究所は「日本における自殺の精密分析」において、「自殺の増減は景気の動向と密接に関連しているといえよう」と記しています。以上から、自殺誘引の大きい要素の1つに、失業増加があることが分かります。同時にこの動向は、日本男性がマネーを生死の判断基準にさえしているという悲しき真相を、如実に語っています。
命あってこそ!
人の願望の極致は、マネーにではなく幸福にあります。マネーは単なる幸福になるためのひとつの、しかもニュートラルな手段に過ぎません。東京・上野公園に小屋掛けするホームレスにも幸福な人はいます。マイクロソフトの創始者で、世界有数の資産家ビル・ゲイツが幸福とは限らないのですから。
人は自殺するとき、うつ状態になるといわれています。しかし中には死ぬ前に生命保険に加入するなど冷静に計画を立てていた事例もありました。たとえ多額の生命保険金を受け取っても、遺族は悲しく悔しい思いに苛まれ、屈辱感・無気力感に襲われます。しかも、それらを生涯抱えて生きていかねばならず、いつまで経っても、遺族に春はやって来ないのです。
「自殺する勇気があれば、人生やり直せる」などと、よく人口に膾炙されている警句は正しいのです。仕事の失敗、失業・不治の病などに遭遇したとき、死を考える気持ちは痛いほど私にも理解できます。しかしその試練はあなたにとって、人生に一度の、最高の学びのチャンスでもあるはずです。その苦しみを成長の機会に転じることができたなら、それは人生最高の歓びであり、財宝であり、自信として結実します――。
スポーツでも「ピンチの裏にチャンスあり」と言うではないですか。事実、ノーアウト満塁、絶体絶命のピンチを凌いで、逆転勝利する場面を私たちはたびたび観戦させられます。また命あってこそ、逆転満塁ホームランを打つ至福の瞬間を味得することが可能だし、打たなくても、その希望を常に持ち続けていくことができるのです。
ニッポン人の劣化
日本とアメリカは20世紀後半から21世紀初頭に、絶頂期を迎えた近代科学文明の優等生でした。特に、日本はこの文明の熱心な教徒であり、保守も革新も哲学者もみな、その礼賛者でした。その執念が実って日本は今日の経済大国・技術大国になったのです。ところが、いまわが国は長期不況の下にあり、労働者は失業や賃率の低下・長時間勤務・サービス残業に直面し、またフリーターやニートも増えています。それに加えて、年金受給額の引き下げと負担増、近い将来に予想される消費税率引き上げが追い討ちをかけます。労働者にとって茨の道は長く、さらに厳しくなっていきますが、この程度ならまだいいのです。
亡国の兆候ともいえる事件が日本社会の隅々にまで広がり、それは明示的にあるいはメタンガスの気泡のように、不気味にぶつぶつと隠れて噴出し始めています。たとえば、最近のマスコミ紙面を見てみましょう。「世帯所得、4年連続減」「個人自己破産 24万人」「雇用悪化が家計圧迫」「週50時間以上労働日本人4人に1人」「離婚率上昇中」「世帯の所得格差最大に」「働かない若者、年28万人に急増」「ニート急増、社会の機能不全映す」「不登校10年で倍増」「増える若者のひきこもり」「小学生1割強抑うつ傾向」「日本の高校生 自分は駄目」「検挙率 少年、成人の8倍」「10年で治安悪化86%」などの見出しが踊っています。
さらに憂慮すべきことは、東京都衛生局のアンケートに対し、18歳から24歳の層が「仕事の疲れがとれない」「生活に張り合いを感じない」と答えたことです。他の調査では「授業中じっとしていない」が小学校で8割、中学校で6割、高校で5割、「首、肩のこり」「不登校」「腰痛」「腹痛」が中学校、高校とも8割でした。これはいわば一昔前の老人に特有な症候群でした。日本の若者は、精神的にも肉体的にも確実に老化に向かっているのです。
ともあれ実質世界一豊かな日本なのに、皮肉にもその豊かさ指標マネーを苦にして自ら命を絶つ同胞が後を絶ちません。しかもこの数の陰にはその10倍??20倍もの自殺候補者がいると推定され、日の出の来ない日没を見送るような、なんともやるせない心境にさせられます。
だが、《自殺大国》になったのは不思議でもなければ偶然でもありません。
芝伸太郎は、「日本人」、「鬱病者」という言葉を同意語的に用いています。つまり内向性・律義・几帳面・苦労性・馬鹿正直・融通がきかないなど日本人一般の人格構造を極端にしたのが鬱病者の人格構造だからです。この風土の中で培われてきた繊細な日本人のメンタリティーが、価値観をマネーに置く文明、人間疎外の文明に拒否反応を起こしているからのです。