今朝、夢に及川光博が出てきた。(おそらく)TVの画面の中からこっちを指して「この国はおまえのものだ!」と叫んでいた。
夢の中の俺は思った。ちがう!この国はおまえのものじゃない。この国はおまえと、おまえが日本一きらいな奴のものだ!
日本人は世界でも珍しいぐらい周囲に気を使う国民だろうに、意外と変なところで他者が見えなくなってないか、と普段から思っている。学者も言ってるが、この国にはウチとソトがあって、その中間にPublicがないのだ。別にそれが悪いというわけじゃなく、ただ、それじゃこのご時世、どんどん生きづらくなるだけだと思う。案の定、神奈川の松沢知事みたいな規制大好き君がはびこってきて、県民に妙ちきりんな規制を強いて「これがPublicのルールだ」みたいなことを言い出している。
Publicの意識がないから、「だいたいこんな感じか?」と外から概念を借りてくると、みんなで「こんな感じか?」とやっていくことになるわけで、そうすると変な我慢もまかり通っちゃったりするわけで、そうすると何かよく分からないもののために我慢する状態になるわけで、でもそれが周囲の空気になるわけで、そうなるとKYを嫌う風土である以上そのままやっていくしかないわけで、どんどん生きづらくなるのだろう。