はてなキーワード: 風土とは
祝日分散化の嘘
ttp://slashdot.jp/~gedo/journal/502193
まずドイツでは既に円滑に導入されているというのは嘘です。
実はドイツの制度は単に学校の夏休みを州毎にずらすだけで、親は子どもの休みに合わせて適当に休んでと言う制度なので、民主党が導入を目指している制度とは、全くの別物です。
対象が学校限定で企業は対象外ですから、当然民主党案で経済界が懸念している全国展開している企業とか他地域の取引先とかの問題は、そのドイツの制度とは全くの無関係ですから、問題が起こりようがありません。
あと、ヨーロッパ圏はバカンスの習慣が定着していたり、有給休暇取得率が低いと企業側が罰せられる国も多い一方、日本は一週間の有休休暇なんて憚られたり、取引先が休みだとクレームをつける24時間社会という、社会風土の違いや、日本はドイツと異なり連邦制ではないといった部分もスルーしてゴリ押ししていることも暴かれてしまいました。
外資って競争社会だし、誰かの足を引っ張ることに抵抗ない奴が多いんだよ。
そういう奴の決まり文句が「あんたも俺に同じようにしていい」
空気読みの強要や体育会系的な統率が無い分、個人同士が徹底して競う風土がある。
相手の心情を思いやってたら叩き潰されるわけ。外資っても色々だけど、大抵は同僚を手助けする風土そのものがない。
まぁ、ある日突然会社から出たらカードキーが使用不能になるような場所だから当然と言えば当然なんだけど。
頼む相手を徹底的に吟味しなきゃならないんだから。俺も昔は日本企業に反感を抱いてたけど
あれはあれで一つの効率性を生み出してると思うんだよ。
2番候補、3番候補の中から選んだんでしょ。
お見合いなら選んだには入らないが、条件があっている物の中から(その母集団が負け組でも)、選んだんでしょ。
それって、普通のことじゃん。第2志望の中から選ぶなんて事はよくあることだよ。
男として重要なのは、じゃぁ、そうなって、容姿じゃないときになにを磨のって事でしか無いかと思うので、こういう話。
というか、その辺って、言葉のピックアップの感性の問題で、感性をすり合わせようとしても、不毛だと思う。
別の増田が言っていたけど、
女性は、およそ、容姿・性格(コミュ力)・経済能力 などの要素を適切に配合しながら、自分の条件や競争などの外部条件を加味してパートナーを選んでいる。
環境要因や、地域国籍、風土文化も含まれているので、一意にコレとはいえないが、バランス的に容姿・性格(コミュ力)・経済能力の3つは、かなりポイントが高いらしい。
でいいんじゃない。誤解が無いように長く書くと。
ようするに、配られたカードで戦うしか無いんだから、愚痴を言ってる間に自分の武器を磨けと言う、当然の帰結に落ち着いて、さぁ、寝るかと。
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20100129
バカすぎてうんざりする文章を平気で書く感性が理解しがたいね。
そう見えているのは君だけだろ。
いくらなんでも、「親が子どもを殺すのが普通」な地域なんてあるわきゃねえだろ。そりゃ、地域や風土によって多い少ないはあるにせよ、「普通に見えてしまう」というのは君の目がおかしいだけだよ。
本文をちゃんと読め。
虐待の結果、子どもは死んでしまったんだ。その虐待行為自体が、その地域では異常ととらえられていなかったんだ。「しつけ」だと認識され、しつけは許容されていたんだ。
結果として子どもは殺された。でも、この子よりひどい虐待も、ネグレクトも含めて日常茶飯事に行われていた。だから、この子は「普通の子」として見過ごされたんだ。
これを普通と言わずに何という?
あのさ、もうちょっと文章ちゃんと読もうね。がんばれ!
見る人が見たらわかっちゃうなと思ったので、ちょっと削除しました。
寝て、頑張ります。
お仕事が見つかるといいなあと思いつつ、一歩が踏み出せない。
コメントを下さり、ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20100124234655
一人反省会をして、改善したいなと思って働いていた覚えがあります。
行動がないと、反省もできないので。
http://anond.hatelabo.jp/20100124235351
理由は何一つとして言われずに、ほぼ初対面で言われてしまいました。
なにか間違いをしてしまった可能性もあるのですが……。
http://anond.hatelabo.jp/20100124235948
言われた一言がなければどうにかなったのかもしれないですが、
ほぼ接点のなかった上司にいきなり「おかしい」認定を受けたので。
「悪い点があれば改善したいのですが、日ごろ何か問題ありますか?」
って聞いたりもしたのですが、「問題ない」とのことでして。
逆に、悪いところがわかれば楽なんですけどね。改善できるので。
日本じゃエンジニアがスパークできない理由を探しまわるのが一部の人達で流行っているようです。とても恥ずかしいですね。
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20091211/1260534895
どいつもこいつも「日本じゃエンジニアが成功できない理由」を書き連ねてるわけだが、アメリカ除けば日本はトップクラスに恵まれた国だって。中国みたいに非民主的な規制は無いし国内市場は大きいしネットインフラは揃ってるし。東南アジアとか実際ひどいぜ。中国じゃお上のさじ加減ですぐ潰されるんだぜ。
なぜアメリカと比較して劣ってるからといってサジを投げるかね。それ本人の資質の問題だろ。あなたがブログで愚痴ってる間に成果を出し続ける日本人エンジニアは星の数ほどいるだろ。
なんでこうも一部の人達は「できない理由」を述べてそれで満足するかね。KoshianXって言う人は以前こんな事をtwitterでつぶやいていたんだが、矛盾しまくりじゃん。
「できない理由」がダメだって言ってるのは、そんなもんは考えればいくらでも出てきちゃうからなんだよね。結局何もできなくなっちゃう。だから物事を動かすには「できる理由」しか必要じゃない
なにこれ超自己矛盾。自分の都合のいいことをその場の思いつきで述べる人間に見られる特有の現象ですね。
あなたは40年近く生きてきてイノベーションとやらを起こそうと一度でもチャレンジしたことがあるの?してないっしょ!絶対やってない。挑戦すらしてない人間がイノベーションを起こせる風土を作りましょうなんて片腹痛いって。あなたは評論家じゃなくて行動する側の人間じゃないんですか?ここでも自己矛盾しまくってますよ。
日本人エンジニア(非web)は今まで世界をリードするイノベーションをいくらでも起こしてきたじゃん。なんでこうもwebの一部の連中は「できない理由」をブログでぐちぐち述べたがるかね。君が世界の片隅で叫んだところで得られる賛同は同じ非挑戦者からだけだし、世界は何も変わらないよ。あなたがもしアメリカに生まれて今シリコンバレーにいたとしても、同じような愚痴をブログで述べて同じ非挑戦者同士で傷を舐め合って短い生涯を終えていたんじゃないでしょうかね。
written by 良家ver.2
ピンチその物に危機的状況という意味があるのに、危機的状況が語られていないというのはおかしい。
また、言葉は、その前後や地域風土によっても異なるので、端的にとらえて言うのは危険。
アフガニスタンでテロが目の前で起こっているという状況でピンチはチャンスと言われても、というのはおかしいが。
現在の日本で言えば、そういう危機はなかなか起こらず、ピンチといっても死ぬほどのことはなかなか無い。という事が話の前後関係にある。
という想定で、語られていることはおおよそ、理解できるので良いのではないか?
ピンチはチャンスだから、ピンチ0%チャンス100%とはだれもいっていない。ピンチ100%だけど、同時にチャンス100%でもあると言っているだけの気がする。
本気で働く意味を模索してみました。みなさんはどう思われるでしょう。
エントリーシートの練習問題を元にしています。
Q.あなたにとって働く意味は何ですか。またどんな目的を持って働きたいと考えますか。
A.
現代は変化の激しい時代です。
アメリカの力が弱くなってきており、中国やインドが影響力を増している。
マスメディアの広告の価値が下がると同時にネットメディアの影響力が強化されています。
今思いつくだけでも、このように社会構造全体のダイナミックな変化の過程であり、先の読めない時代です。
そんな環境の下で私は働く意味を「自分に力をつける」ことだと考えています。
なぜなら、いざというとき頼りになるのは自分だけだからです。
まず一つ目は「人脈を築くこと」
最終的に自分を助けてくれるのは仲間だと考えています。
少数の強い絆で結ばれた仲間と多数の細く長い関係の仲間。
少数の強い絆で結ばれた仲間は、ほんとうに困ったとき助け合える。
相手にとって厳しいこともあえて伝える、そんな関係。
多数の細く長い関係の仲間は、お互いに利益があるように情報交換を行ったり強みを融通し合えるそんな関係。
人は生きていくうえで誰かと関わらずにはいられない存在です。
この力を軽視していると、どんなに成功しても豊かな人生と呼ぶことはできないと思います。
いまだ社会を知らない存在である私は、社会人のみなさまからすれば赤子同然だと思います。
そのままでは、厳しい変化に対応することができません。
ですから、どんな状況においても役に立つロジカルシンキングやコミュニケーション能力を身に着けることで、
まずは自分、そしてその先には周りの人や組織に価値を与えたいと考えております。
三つ目は「経済的に自立できるだけになる」
私が現在感じている、豊かに生きるための制限として「時間」と「お金」があります。
時間はすべての人に共通する制限であり、私にできるのはせいぜい効率的な生産方法を工夫することまでです。
一方お金に関してはやり方しだいで、制限から開放することができます。
上記①②によって自分が社会的に価値ある存在とみなされれば、③は自然に達成されるものではないかと考えております。
また、経済的に豊かなことはそれ自身が①②を強化する働きもあるので、正のスパイラルが生まれます。
以上の理由で私は働く意味を「自分に力をつける」ことだと考えています。
そして、私にとってそれは変化に対応する手段でもあります。
最後に、働く目的として「所属している組織や周りの人たちに価値を与えることの存在になる。」を挙げようと思います。
これは、目標として自分のことは自分で始末できるようになってからの長期的なビジョンです。
・ちなみに、私は成長過程にある企業を志望しています。
企業選択の軸は「上下関係のフラットな企業風土」「若いうちから責任ある仕事をまかせられる」の2つを考えております。
・コメントで意見・感想を伺えたらうれしいです。 <h3>o- ***********************</h3>
コメントありがとうございました。
もっと焦点を絞って深く突き詰めようと思います。
転職を考えてはいるんだけど、いまひとつ転職活動に踏み込めない。なぜ転職を考え始めたかというと、給料が安すぎるからというのが一番の理由。同じくらいの収入の彼と同棲しているけど現状では生活するだけでカツカツで、満足に友達と会うことも叶わないし、病気でもしようものなら大赤字だ。このままじゃ結婚も難しいだろう。生活が苦しいせいでストレスもかなり溜まって、彼とも要らない喧嘩をしたりしてる。もっと稼げる仕事についた方がいいのは明らかなんだけど。
お金以外の部分で、今の会社は相当恵まれていると思うのだ。まず人間関係。販売職で普段接する同僚は女性がほとんどなんだけど、皆年齢が近くて仲が良く、先輩後輩なんかの上下関係も気にしない風土なのでとても気が楽。勿論合わない人はいるし、自分は同僚たちと少し距離のある付き合いをしているけど、和やかな雰囲気の中で働けるのは嬉しい。それから今の会社では有給が取りやすい、取りやすいどころか使い切りなさいというお達しが会社から出ているので、勤めて長い人は公休と有給を合わせると週休3日くらいになる。(ただしお盆・正月なども全社的に長期で休みになることはないけど)みんな当たり前に休みを取るから、休んだことに文句を言われたり悪く思われたりということも皆無。あととにかく残業が無い。先の有給についてもそうなんだけど経営者が外国人だからなのか「仕事は定時内に終わらせるもの。残業で会社に余分な金を払わせるな」という空気があるので、定時前に仕事を締めはじめ、キッカリにタイムカードを押して帰る。どうしてもお客さんの加減で残業になってしまうこともあるけど、そんな時はヤバいヤバい残業なっちゃったと速攻で仕事を終わらせる。
とにかく働きやすいと感じるので、もし転職して他の会社で働き始めて、そこのシステムについていけるのか?というのが心配。興味を引かれた企業の紹介文に「皆で話し合ってノー残業デーを設けることになりました。時間をやりくりしてノー残業デーの残業なしを実現しています」と得意気に書いてあって、その程度なのか・・・と何だかがっかりして応募をやめたこともある。と言って大多数の企業では当たり前に残業しているだろうし、休みもなかなか取れないんだろう。そもそも与えられた権利を使わないこともおかしいし、仕事は定時内に終わらせるものだし、どうやっても終えられない量の仕事を与えられるならそれは会社が悪い!と自分は思ってるんだけど、そんな考えはほとんどの日本の会社では通用しないわけで・・・
楽なことに浸かってしまっている、と言われればそうなのかもしれない。仕事も人生の一部だけど、仕事以外の時間も人生。自分はどちらかといえば仕事以外の時間を充実させたいし、そのために仕事をしたい。でも現状では仕事以外の時間を充実させるに足るお金が入ってこない。転職すれば仕事以外の時間はきっと大幅に減る。
あと、数年以内に結婚したいし子供ほしい。結婚するにはお金が必要だけど、子供できたら時間が必要になるだろう。
ああどうすれば・・・
具体例の中に
他の男性の同期にチクってシメてもらった
なんて言葉がサラリと混じっていたので
(反撃するなって意味じゃないよ。
職場の頼れる仲間と一緒に、
仲よく喧嘩したらいいじゃん、と思う。
ただ、そこに増田の擁護は要らないよね。)
そうは言っても
http://anond.hatelabo.jp/20090929004218
の絡み方は、ちょっとどうかと思った。
具体例を出せと言われて、素直に具体例を箇条書きにしてるだけなのに、
それに、男性全般に一般化もしていない。
と書いてある。読んでいないのだろうか。
こいつみたいな男がいる限り、男は馬鹿にされるんだろう。
いい迷惑だ。
http://anond.hatelabo.jp/20090927210711
「具体例がほしい」とか今更チンケなことを言っておられる方がいるようなので、
わたしが親切にも職場で受けたことのあるセクハラを、ここに書ける範囲で列挙しようと思う。
男性の年代と出身地、ならびにわたしの取った対抗策も書き添えておく。
・デスクの下に潜り込んで「あれっ?USBハブが見つからないなあ?」と言いながらスカートめくり。
50代九州出身、無視
・「増田さんは胸が小さい」とメモした付箋を貼った書類を職場内に回覧。
20代九州出身、他の男性の同期にチクってシメてもらった
・「おはよう!」とすれ違いざまに乳をぽいーんとやろうとする。
50代九州出身、無視したら諦めた
・「元気ないぞ!」とすれ違いざまに尻に手を伸ばす。
50代九州出身、無視したら諦めた
・「増田さん、ここ数日おっぱいが大きいみたいですが生理前か生理中ですか?
実は彼女から、女の人は生理が近づくとおっぱいが大きくなるって聞いて云々」と付箋メールが届く。
20代九州出身、「確認をいたしますが、それはセクハラと解釈してよろしいでしょうか?」と返信をしたら
翌日の会議のとき、おびえたような目でこっちを見ていた。
「増田さんが足にはいてるのってパンツですか?(つま先にひっかけるだけのレーシーな靴下)
ていうか違うのは知ってますけど、どう見てもパンツみたいで興奮しちゃうんです…」
20代九州出身、目をまっすぐ見て「年、おいくつですか?」と尋ねると黙った。
・「増田さん、俺のビッグマグナムを一度見てくれ!」と付箋メール
30代愛媛出身、まあこの人はこういうキャラで通ってるし別にいいや、と思い
「申し訳ございません、日程の調整がつきかねます。」と返信したところ逆に怖がられたようで
連絡が来なくなった。
疲れた。もういいや。
一部上場でもたまにこういうわけのわからんところがあるんよ。それはまあ知っておけ。
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▽
遠山の金さんといえば庶民感覚で犯罪者を裁いた”名裁判官”として歴史に残る。通俗大衆小説のモデルにもなり、何回かテレビドラマにもなった。
お白砂には花吹雪舞う刺青の松方弘樹扮する金さんが颯爽と登場して悪を懲らしめ、弱き庶民から拍手喝采をあびる。
江戸時代までは検非違使の伝統が息づいていた所為か警察、検察、司法が同じ行政機関で行われた。警察が逮捕し、検察が起訴し、裁判所が法に従って結審するという近代の概念はなかった。火つけ強盗改めの長谷川平蔵も然り。
大岡越前守も温情主義裁判で庶民に人気がある。考えてみれば南町と北町奉行所の同心だけであらゆる民事裁判をまかなっていたのである。
江戸時代を世界同時代的に俯瞰すると日本はたいそう治安が良かった。日本人が裁判沙汰を好まなかった証左にもなる。
水戸黄門様は印籠をかざして即席裁判。これは超法規行為であり、そもそも黄門様は司法の独立って概念を知っていたのかな。
そういうわけだから日本人は争い事が嫌い、裁判は避ける。なにごとも裁判で決着をつけ、交通事故でも弁護士をよぶ米国とは法律の風土が違う。
だが世の中が変わり「国際化」というアメリカ化が進んだ。外国人の犯罪ばかりか、外国企業との軋轢、特許係争が頻発し、あげくは米国からの強い要求が突きつけられる。日本に弁護士が少ない、と。
この結果、二つの政策が実現した。まずは大学に雨後の竹の子のごとく誕生した法科大学院。
そして日本に馴染むかどうか不明な新制度、すなわち裁判員である。しかもこの裁判員が臨む裁判と言えば殺人、傷害致死、放火、身代金誘拐などの重大犯罪であり、死刑か量刑か無罪かを決める「大岡越前」の小型ヴァージョンとなる。実際に最初の判決が八月初旬に実現し「業界予想よりすこし思い」量刑が下った。世間の常識が裁判官の常識を変えた例になった。
ともかく裁判員制度の発足は米国からの圧力が遠因、これに財界の要求が一致し、日弁連が便乗した。奇妙な、面妖な裁判員制度が日本にうまれた。
左右の境界線がないまま賛否両論が渦巻き、「ともかく始めてみなければ分からない」ということになったわけだ。
議論は曖昧なまま、米国へのジェスチャーのごとくに審議が進み、国民が誰も知らないうちに米国流の「陪審員」制度の誕生となったことは述べたが、米国には黒人奴隷制やリンチによる縛り首があった。日本とは異なり犯罪者も多く、弁護士は百万人以上、なかには悪徳弁護士、アンビュランス・チェイサー(救急車を追いかけて患者から事故の弁護士を成功報酬でいかがかと注文をとる)もいれば、マッチ・ポンプもいる。セクハラをでっち上げて日本企業から大枚をせしめた手合いもいる。
だから伝統重視の保守派がいきり立って反対の論陣を張る。教養の低い、裁判官に比べると法律知識のない素人にそんな重大犯罪を判定させて良いのか、それこそ左翼の思う壺ではないのか、と。
第一に無知蒙昧なる庶民が重大犯罪を裁けるのか。冷徹な判断が出来ず情実に走り、死刑を避ける傾向が顕著になるのではないのか。
第二に陪審員は買収されやすく誤審、冤罪が多く死刑執行後に真犯人がでるケースが米国では頻発している。だから「逃亡者」というテレビは大ヒットした。反面で、陪審員を黒人ばかりにして、妻殺しの「無罪」を勝ち取ったO・J・シンプソン事件のような法廷テクニックの悪用がおこる。
第三にこれは基本的に人民裁判であり、ソクラテスの「法は法なり」と言って毒杯をあおいで死ぬようなケース、あるいはマリー・アントアネットのように左翼お得意の人民裁判が復活する恐れはないのか。
▲上告審には適用されず、なんのために必要なのかは不明
細かな問題点はほかにも多々ある。
一、選挙管理委員会のリストを元に無作為に選ばれる「裁判員候補者」は面接で拒否されることもあるシステムとはいえ、拒めば罰金とか、法廷の密室での協議内容は一切喋ってはいけないが、違反した場合、数十万円の罰金とか馴染めない特徴あり。
四、多数決で裁定することが本当に妥当なのか等々、問題点が沸騰する。
ところが新制度では凶悪犯罪の一審でしか適用にならず、高裁から最高裁へと上告するに従い、裁判員はおかれない。どのみち現在の裁判で一審で終わる裁判は稀だから、それならいったい何のためにこういう「改革」が必要かも論議された。
裁判員制度導入に賛成する保守の論客も意外に目立つ。代表選手はコラムニストの高山正之氏だ。
高山氏は産経新聞ロスアンジェルス特派員時代に多くの裁判を傍聴し、陪審員制度に精通し日米の裁判に関連する著作も多い。
法律の解釈しか知らない裁判官、世間知らずの無知な裁判官より大衆の叡智、つまり民度が裁いたほうが適正な判決が出やすく、主知主義、インテリの暴走、左翼優勢といういまの偏向状況を覆せる嚆矢になるかも知れないという。世間智の欠如甚だしきインテリの裁きより大衆のほうが賢いという日本人への信頼がそう言わせるのだろう。これぞまさしく遠山の金さんの時代への回帰ではないか。
ただし米国の陪審員制度といい、今度の日本の裁判員制度といい、これらは民主主義の発展とは相関関係にはない。司法の民主化などというお題目は寝言の部類であり、推進側だったはずの日弁連ですら一部は反対に回っているそうな。
通巻第2702号
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今、なにが一番ストレスになっているかといえば。
やはり、会社の中で、自分がお荷物でしかなく、誰にも彼にも迷惑をかける存在でしかないということ。
この一点なのだ。
(同期入社の人だって、まだ利益を出せる働きが出来てるわけじゃないけど、仕事を思い込みで進めてよく失敗していて、連絡が遅く、しかも病気がちな私の比ではないだろう。)
仕事が遅れて連日夜10時ごろまで残業するハメになったり、通勤に往復3時間近くかかったりすることは、まあ負担になってないとはいわないけど、大して苦ではない。
うちの会社は、ただ言われたことだけをこなす人間と言うのは感心されず、自分で判断する、自分の意見を主張することを常に求められる風土である。
今の自分がお荷物だというのは、変えようのない現実であって、それを脱するためにはどうすればいいかと言うと、こうすれば良いだろう、こうしたい、と何事にも自分でベターな判断を自然に下せるようにしないといけない。
しかし、自分が評価されていないということを意識してしまうと。自分を信じていない状態でいると、自分の判断はどうせ間違っているだろう、行動を起こしても失敗するだろうという恐れから。日和見、他人に任せる、何もしない、これはまずいんじゃないかと思っても黙っている・・・そんな行動を起こす。
行動を起こせない結果、ますます自分を信じられなくなる。自己不信のスパイラル。
結局の所、この事についていくら考えてみたところで。
たとえ自信がなくても、評価されていなくても、思ったことは主張していくしかないという当たり前の結論しか出ない。
そもそも、先輩や上司だって、自分の行動に常に絶対の自信を持って動いてるわけじゃない。
失敗するかもしれないという不安は、誰もが常に持っているはずだし、それでも自分のやるべきことをやっているはずだ。
ただ、上の人間は、失敗した時どう責任を取るか、どうリカバーするかは考えているし、部下や家族とか守るべきものがあるだけ、責任を背負う気概もあるはず。
それだけの話だろう。
おかしいな。この答えには、すでに半年前にたどり着いていたハズだけど。
どうしていまさらこんなことを考えているんだろうか。
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これを書いてから、1年9ヶ月が経った。
ああ・・・成長してないな、俺。
http://anond.hatelabo.jp/20090808163358
日本少子化で国際貢献していると思うよ。あと100年で日本人って1人になるらしいね。そうなったら、世界のマイノリティーと同じで保護運動とか起こって、どこかにまとめられて「日本村」って展示されて、着物とか着て見物人集めて入場料とかで暮らすのかも知れない。
元々の日本の国体は外国人にのっとられて、日本はアメリカみたいな多国籍人がひしめく国家になるんだよ。でもなあ。「島国根性」とか「ムラ意識」がなかったら、こんな狭い国土に1億人も住んでられないと思うんだけど。日本で育つと誰でも「空気読め」とか言うようになるんじゃないかな。
リスクコミュニケーションというか、イメージを損なうようなことが露見した場合に限るよ。これは。普通、あの事務所ってそういうことは徹底的に隠す。シャレにならないことが、SMAPにもないわけではないそうじゃないか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090604074650
ブコメ見てたらさ、日本の政治と絡めてる人が結構いて、それはそれで分かるんだけど、でも都合の悪いことは徹底的に隠すってあまりいいことじゃないよ。政治の場合には、とくにね。
日本の政治風土だと、都合の悪いことは徹底的に隠して、国民にもっと完ぺきな茶番劇を見せた方がいいのかもしれないけれどもね。
4月の終わりぐらいから、A型インフルエンザの患者が増加していたという医療従事者のコメントが出てきた。A型インフルエンザであって、株については調査していなかった為に、豚インフルであるかどうかは不明であるが、豚インフルが国内において人から人への感染を起こしているのに、重篤化した患者が発生していない事を考えると、4月の中旬以後に、日本に持ち込まれていたと考えるべきであろう。というのも、日本の気象風土ではインフルエンザの発症が時期によって別れており、シーズン末期の3月にB型インフルエンザが主流になって、その年のシーズンが終わる。従って、それ以後にインフルエンザが流行るというのは、新しい株が外国から持ち込まれた場合に限られるのである。
swine fluの死者は、後進国や中進国であっても貧民層であったり、幼児や他の慢性病を抱えていた人ばかりである事を考えると、日本国内においてもとっくに蔓延しているのであるが、栄養状況が良く、また、医療機関へのアクセスも相対的に低額で可能となっている事から、死者が発生せずにパニックにならなかっただけという解釈が成り立つ。
同じ病気でも、それぞれの国家の医療体制や栄養状況によって、死者が発生してパニックになる事もあれば、全然気がつかないということもありえる。他国のパニックを見て慌てて対策をとり始めたが、調査してみたら、泰山鳴動して鼠一匹という話になってしまったのである。
もちろん、インフルエンザウィルスは変異し易く、明日にでも変異型が出てくる可能性はある。しかし、変異したウィルスが株として広まるには、宿主となった豚や鳥に大量死を発生させ、養豚・養鶏業者を倒産させたり、池一つが丸ごと渡り鳥の死骸で埋まるぐらいの集団的感染が何回も発生しなければならない。そういう集団感染の中から、抗体を獲得した個体がウィルスを外部に広げるsuper spreaderになる。寿命が長く、抗体の蓄積がある人間の体内で変異交雑を起こして新株が発生する可能性はありえず、豚や鳥といった、寿命が短くて抗体を持っていない集団の中で、既存株が同時感染を起こして変異交雑を起こして、ようやく、新株になるのである。株として固定されて、しかも、それが広がるというのは、それほどに珍しい事なのである。
栄養状況と体力に気をつけていれば、今流行しているswine fluは、通常の季節性インフルエンザと変わらないと考えるべきであろう。
昨日財布を拾ったら紙幣はなくてカードや免許書だけ残ってたので、
それで今日交番から「落とし主が見つかったからきて」との連絡がありました。
行ってみたら、落とし主らしき人がかなり怒ってて
「お前がカネ盗んだんやろ!犯罪や!裁判したろか!」といきなり怒鳴られました。
「だいたい財布だけ届けるなんておかしいやろ!疑われんようにする為に届けたんやろが!」と殴りかからん勢いで近づいてきたので警官が間に入ってとめようとしましたが、押しのけて「はよかえせや!」といって殴られました。
「やってない」と反論しても聞く耳持たずに「やましい事あるから怒るんやろ」と逆切れ。
書くのもうんざりするようなやり取りがあって結局泥棒として逮捕されるようなことにはなりませんでしたが。
なんというか大阪人の恐ろしさに驚きました。民度の低さを大阪民国と揶揄する下品な2chネタがありますが、やっぱりそういわれるような風土があるのかなと思ってしまいました。
大学進学で都会に出てきたのは初めてで東京とかほかの街の事情は知らないので、大阪だけがそうだと決め付けるのは短絡的なのかもしれませんが。
まぁ何にせよ私は二度と落ちてる財布を拾わないことを決めました。
研修後は全国に散らばるから、100人ちょっとの同期と顔を合わせるのも後わずか。
気が合う人もいるし、キャピキャピ(死語)してて苦手な人もいる。
全体的な雰囲気としては、ポジティブで明るくて自信があるという感じか。
ネガティブでクールな俺はたまに胸焼けするのだが、人として魅力的なやつに囲まれてまぁまぁ楽しい研修を過ごしている。
配属後はメンター社員とやらになり、コンサルというのかメンタルサポートというのかとにかく人と密に関わる仕事をする。
会社からよく言われるのは「人にプラスの影響を与えられる人になれ!」ということ。
「研修プログラムの後残って~~をしよう」「朝礼の際に~~をしてはどうか」
自主性にあふれた非常に良い状態というべきだろう。
ところが副作用が俺を悩ます。
毎日のいろいろな部分で「しきり合戦」が行われるのである。
机のレイアウト変更だとか集団で移動するときの引率だとかしょーもないところでも前に出るやつが多い。
仕切りが有効な時もあるが、大概は各人のレベルで作業すれば済むことだ。幼稚園児の集まりじゃねぇ。
意地悪な見方をすれば、仕切りによって全員の当事者意識が損なわれているといえる。
少なくとも俺はそう思ってる。「働きかけ」の内容を横にどけて行為そのものが尊ばれるのはおかしいと。
ところで俺は毎日帰るのが早い。与えられた業務はすぐ片づけるし報告書もサッサと書く。
「君の段取り力をみんなに教えてやってくれ」
拒否した。
どう伝えればいいのか分からないってこともあるが、それこそ各自自主的に学ぶべきだと思ったからだ。
「こうしたほうがいいんじゃないでしょうか」という提案の形を借りたアピールをするお仲間には入りたくない。
だけど会社の風土やら研修の目的やら配属後の仕事のことを考えると拒否したことは失敗だと言えるかもしれない。
「あえてしない」という選択は怠惰を取り繕った甘えなのだろうか。
お世話とお節介の違いは何だろうか。
相手のことを真剣に考えての行動であれば、お節介は許されるのだろうか。
(出かける時間が近づいて、後半練らずに書いちゃいました。)