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2010-01-14

永住権取得のガイドライン

永住権者に対する地方参政権の付与に関する議論の参考になればと。

法務省より

http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan50.htmlなど。

永住許可に関するガイドライン

法律上の要件

(1)素行が善良であること

法律を遵守し日常生活においても住民として社会的に非難されることのない生活を営んでいること

(2)独立生計を営むに足りる資産又は技能を有すること

日常生活において公共の負担にならず,その有する資産又は技能等から見て将来において安定した生活が見込まれること

(3)その者の永住が日本国利益に合すると認められること

  ア 原則として引き続き10年以上本邦に在留していること。ただし,この期間のうち,就労資格又は居住資格をもって引き続き5年以上在留していることを要する。

  イ 罰金刑や懲役刑などを受けていないこと。納税義務等公的義務を履行していること。

  ウ 現に有している在留資格について,出入国管理及び難民認定法施行規則別表第2に規定されている最長の在留期間をもって在留していること。

  エ 公衆衛生上の観点から有害となるおそれがないこと

 ※ ただし,日本人,永住者又は特別永住者配偶者又は子である場合には,(1)及び(2)に適合することを要しない。また,難民の認定を受けている者の場合には(2)に適合することを要しない。

2 原則10年在留に関する特例

(1)日本人,永住者及び特別永住者配偶者の場合,実態を伴った婚姻生活が3年以上継続し,かつ,引き続き1年以上本邦に在留していること。その実子等の場合は1年以上本邦に継続して在留していること

(2)「定住者」の在留資格で5年以上継続して本邦に在留していること

(3)難民の認定を受けた者の場合,認定後5年以上継続して本邦に在留していること

(4)外交社会経済文化等の分野において我が国への貢献があると認められる者で,5年以上本邦に在留していること。

「我が国への貢献」に関するガイドライン

次のいずれかに該当し,かつ,5年以上日本において社会生活上問題を生ぜしめることなく滞在してきたこと。

1 各分野に共通

国際機関若しくは外国政府又はこれらに準ずる機関から,国際社会において権威あるものとして評価されている賞を受けた者

例:ノーベル賞フィールズ賞,プリッカー賞,レジオンドヌール勲章

日本政府から次のような賞を受けた者

国民栄誉賞勲章文化勲章又は褒章(紺綬褒章及び遺族追賞を除く,)日本国際賞

日本政府又は地方自治体から委員等として任命,委嘱等されて公共の利益目的とする活動を概ね3年以上行った者

医療教育その他の職業活動を通じて,日本社会又は地域社会の維持,発展に多大な貢献のあった者

外交分野

外交使節団又は領事機関の構成員として我が国で勤務し,日本とその者の派遣国との友好又は文化交流の増進に功績があった者

日本の加盟する国際機関の事務局長,事務局次長またはこれらと同等以上の役職として勤務した経歴を有する者

経済産業分野

日本上場企業又はこれと同程度の規模を有する日本国内の企業経営に概ね3年以上従事している者又はかつてこれらの企業経営に概ね3年以上従事したことがある者で,その間の活動により我が国の経済又は産業の発展に貢献のあった者

日本上場企業又はこれと同程度の規模を有する日本国内の企業管理職又はこれに準ずる職務に概ね5年以上従事している者で,その間の活動により我が国の経済又は産業の発展に貢献のあった者

○ 我が国の産業の発展に貢献し,全国規模の選抜の結果として賞を受けた者

例:グッドデザイン賞財団法人日本産業デザイン振興会主催)の大賞又は特別賞

先端技術者,高度技術者等としての活動により,我が国の農林水産業工業商業その他の産業の発展に多大な貢献があった者

文化芸術分野

文学美術映画音楽演劇演芸その他の文化芸術分野における権威あるものとして一般的評価を受けている賞を受けた者

例:ベネチア・ビエンナーレ獅子賞,高松宮殿下記念世界文化賞アカデミー賞各賞,カンヌ映画祭各賞,ベネチア映画祭各賞,ベルリン映画祭各賞

文学美術映画音楽演劇演芸その他の文化芸術分野で指導者又は指導的地位にある者として,概ね3年以上日本で活動し,日本の文化の向上に貢献のあった者

教育分野

学校教育法に定める日本大学又はこれに準ずる機関の常勤又はこれと同等の勤務の実体を有する教授助教授又は講師として,日本で概ね3年以上教育活動に従事している者又はかつて日本で概ね3年以上これらの職務に従事したことのある者で,日本高等教育の水準の向上に貢献のあった者

研究分野

研究活動により顕著な成果を挙げたと認められる次の者

研究活動の成果としての論文等が学術雑誌等に掲載され,その論文が他の研究者論文等に複数引用されている者

② 公平な審査過程を経て掲載が決定される学術雑誌等へ研究活動の成果としての論文等が複数掲載されたことがある者

権威ある学術雑誌等に研究活動の成果としての論文等が多数掲載されている者

権威あるものとして一般的に評価されている学会において,高い評価を受けて講演等をしたことがある者

スポーツの分野

オリンピック大会世界選手権等の世界規模で行われる著名なスポーツ競技会その他の大会の上位入賞者又はその監督指導者等としてその入賞に多大な貢献があった者で,日本における当該スポーツ等の指導又は振興に係る活動を行っている者

○ 国際的規模で開催されるスポーツ競技会その他の大会の上位入賞者又はその監督指導者等としてその入賞に多大な貢献があった者で,概ね3年以上日本においてスポーツ等の指導又は振興に係る活動を行っている者

○ 我が国におけるスポーツ等の振興に多大な貢献のあった者

8 その他の分野

社会・福祉分野において,日本社会の発展に貢献し,全国規模の選抜の結果として賞を受けた者

例:ワンモアライフ勤労者ボランティア賞,社会貢献者表彰の各賞

日本における公益的活動を通じて,我が国の社会,福祉に多大な貢献のあった者

我が国への貢献による永住許可・不許可事例(平成18年1月1日現在

○永住許可事例

(事例1)

 科学技術研究者として活動し,科学技術誌に研究論文数十本を発表した実績が我が国の科学技術向上への貢献があったものと認められた(在留歴9年5月)。

(事例2)

 我が国のアマチュアスポーツ選手として活躍し,その間にW杯への出場やスポーツ指導者として我が国のスポーツの振興に貢献があったものと認められた(在留歴7年7月)。

(事例3)

 音楽分野の大学教授として我が国の高等教育活動に従事し,その間,無償でアマチュア演奏家を指導するなど我が国の教育文化の振興に貢献があったものと認められた(在留歴5年10月)。

(事例4)

 日本文学研究者として勲3等旭日中綬章授賞のほか各賞を受賞し,文学の分野での貢献があったものと認められた(通算在留歴9年,入国後3月)。

(事例5)

 長期間にわたり我が国の大学教授として勤務し,高等教育に貢献が認められた(在留歴7年)。

(事例6)

 大学助教授として我が国の高等教育活動に従事し,その間,科学技術研究者としての成果も顕著であり,多数の科学技術誌への研究論文の掲載の他,各種学会研究グループの指導等を行い,我が国の産業教育等の分野に貢献があると認められた(通算在留歴9年5月,入国後7年11月)。

(事例7)

 システム開発等の中心的役割を担う立場として顕著な実績を挙げており,その実績は高く評価されていることから,我が国の情報技術産業に貢献が認められた(通算在留歴10年9月,入国後6年)。

(事例8)

 長期間にわたり在日外交官として勤務し,国際関係分野において貢献が認められた(通算在留歴6年3月)。

(事例9)

 本邦での研究の結果,多数の学術誌に掲載し,国際会議での招待講演を要請される等,その分野において国際的に認められている他,国内の企業研究所との共同研究に携わっており,我が国の学術・技術分野に貢献が認められた(在留歴7年9月)。

(事例10)

 我が国の大学助手として4年以上勤務しており,高等教育活動に従事しているほか,派遣研究員として第三国で研究活動を行う等,研究面においても一定の評価があることから,我が国の学術分野において貢献が認められた(在留歴7年3月)。

(事例11)

 我が国の大学の常勤講師として3年以上勤務しており,我が国の高等教育外国語)の水準の向上に貢献が認められた(通算在留歴8年1月)。

(事例12)

 我が国の大学助教授として5年以上勤務しており,高等教育外国語)の水準の向上に寄与しているほか,大学入試センター試験等各種教育活動に参画していることなどから,我が国の教育分野において貢献が認められた(在留歴7年2月)。

(事例13)

 我が国の大学助教授として3年弱勤務しており,我が国の高等教育情報技術)の水準の向上に貢献が認められた(通算在留歴17年4月,入国後4年11月)。

(事例14)

 我が国の大学助教授及び教授として5年以上勤務しており,我が国の高等教育国際法)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴5年6月)。

(事例15)

 我が国の大学助手として3年以上勤務し物理学研究指導等をおこなっているほか,基礎物理学研究を行いその成果は学術雑誌に多数掲載されている等,我が国の学術分野において貢献が認められた(在留歴11年2月)。

(事例16)

 我が国の大学教授として3年以上勤務しており,我が国の高等教育国際政治学)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴13年7月)。

(事例17)

 入国以後,我が国の大学で約9年にわたり勤務し,我が国の高等教育外国教育学外国文化)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴8年11月)。

(事例18)

 我が国の大学教授として通算約22年間勤務し,我が国の高等教育神経心理学)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴7年6月)。

(事例19)

 生物学研究者として活動し,その研究の成果が実用面への利用されていること等,十分な結果を出していることから,我が国の研究分野において貢献が認められた(在留歴10年10月)。

(事例20)

 入国以後,我が国の大学教授として8年以上勤務し,我が国の高等教育情報技術)の水準の向上に貢献が認められるほか,研究分野では国内外から高く評価されていることから,我が国の教育研究分野において貢献が認められた(在留歴9年9月)。

(事例21)

 医療関係の研究を行っており,関係機関から表彰を受ける等,国内外から高く評価されていることから,我が国の研究分野において貢献が認められた(在留歴9年8月)。

(事例22)

 在日外国公館に通算約10年勤務し,その間に我が国と派遣国の国際交流に貢献があったものと認められた(在留歴8年)。

(事例23)

 入国以後,我が国で先端技術に係る研究を行い,その成果は国内外の学術雑誌への掲載,学会での発表等しており,我が国の研究分野において貢献が認められた(在留歴8年3月)。

(事例24)

 入国以降,一貫して地方における英語教育に従事する一方で,地方方言で語りながら伝統楽器演奏することで伝統文化を内外に宣伝する活動あるいは大学での講義を通じて外国人の視点に立った我が国の地方文化を内外に広める活動を行っており,文化芸術分野における貢献が認められた。(在留歴7年)

(事例25)

 我が国の大学医学部整形外科学講座で3年以上勤務し,整形外科学に係る学術雑誌において多数の論文が特集で掲載され,著名な専門雑誌にも論文引用されており,研究分野における貢献が認められた。(在留歴13年4月,就労資格変更後3年)

(事例26)

 我が国の大学農学部助教授として5年以上勤務しており,我が国の高等教育の水準の向上に貢献が認められたほか,国内及び国外の学会においてその研究成果が高く評価され,著名度の高い外国雑誌に掲載されるなど,研究分野においても貢献が認められた。(在留歴5年7月)

(事例27)

 入国以来6年間にわたって,独立行政法人に所属しながら我が国の研究所において研究活動に従事しており,専門分野の雑誌に掲載されている論文も多数あり,我が国の研究分野における貢献が認められた。(在留歴6年)

(事例28)

 我が国の大学の常勤講師として6年以上勤務しており,独自の語学教授法を開発し,教科書の編纂や講師教育にも従事し,我が国の教育分野における貢献が認められた。(在留歴6年2月)

(事例29)

 本邦内で,日本応用磁気学会日本セラミックス協会,日本応用物理学会等において学術活動をし,磁性薄膜及び応用分野の学術・技術発展に貢献し,多数の論文特許出願を行っており,我が国の研究分野への貢献が認められた。(在留歴8年8月)

(事例30)

 本邦内の会社員として勤務しながら,電気学会において多数の論文を発表し,学術雑誌等において表彰され,権威ある賞を受賞していることから,研究分野での貢献が認められた。(在留歴10年4月,就労資格変更後4年3月)

(事例31)

 本邦内の国立大学工学部教授として約8年間勤務し,我が国の高等教育の水準の向上に貢献したことが認められた。(在留歴8年3月)

(事例32)

 入国以来,本邦内の大学で,専任講師教授等として,約7年間英語教育に従事し,我が国の高等教育の水準の向上への貢献が認められた。(在留歴6年9月)

(事例33)

 本邦内の自動車生産会社に勤務し,粉末冶金関係の論文を多数発表し,日本金属学会誌等に多数掲載されているほか,権威ある協会から表彰されており,産業の発展及び研究分野における貢献が認められた。(在留歴8年6月)

(事例34)

 本邦内の大学経済学部博士課程を修了後,大学教育職員として採用され,約3年間助教授として講義担当しているほか,国際的ネットワークを構築するためのプロジェクトメインコーディネーターを任されるなど教育分野での貢献が認められた。(在留歴7年)

(事例35)

 オリンピックに出場した日本人選手コーチを勤めていたほか,現在も次期オリンピックに出場する見込みのある選手コーチをしており,その他の活動等を通じて,我が国におけるスポーツ等の振興に多大な貢献のあった者として認められた。(在留歴6年7月)

(事例36)

 約20年前から日本国内でスポーツ競技大会に出場し,日本において競技生活を続けている者で,権威ある協会から,日本における同競技の発展に大いに貢献している旨表彰されており,我が国におけるスポーツ等の振興に多大な貢献のあった者として認められた。(在留歴7年6月)

(事例37)

 留学生として約14年間在留し,以降大学の専任講師として約4年間,異文化コミュニケーション等の授業を担当しており,我が国の高等教育の水準の向上に貢献したことが認められた。(在留歴18年1月,就労資格変更後4年8月)

(事例38)

 本邦内において,ナノテクノロジーフルカラー半導体ナノ粒子の合成等に関係する多数の論文を発表しており,日本化学会,高分子学会等において,独自の研究成果を発表していることから,研究の分野への貢献が認められた。(在留歴8年8月,就労資格変更後3年7月)

○ 永住不許可事例

(事例1)

 日本競走馬生産・育成,輸出,馬産農家経営コンサルタント,講演等を行っているとして申請があったが,入国後1年半と短期であることから不許可となった。

(事例2)

 画家として多数の作品を製作・保有し,美術館建設後に寄贈するとして申請があったが,在留状況が良好とは認められず(不正な在留に関与),不許可となった。

(事例3)

 外国人の子弟の教育を行う機関において教師の活動を行っているとして申請があったが,当該活動のみをもって社会的貢献等には当たらないものとして不許可となった。

(事例4)

 約1年間,高校で教師をしている他,通訳等のボランティア活動を行っているとして申請があったが,当該活動のみをもって社会的貢献等には当たらないとして不許可となった。

(事例5)

 本邦で起業し,当該法人経営を行っているが,その投資額,利益額等の業績からは顕著なものであるとはいえず,我が国経済又は産業に貢献があるとは認められず,不許可となった。

(事例6)

 大学研究生として研究活動を行っているが,教授等の指導を受けて研究している通常の研究生学生等の範囲内での研究活動であり,研究分野において貢献があるとまでは認められず,不許可となった。

(事例7)

 投資関連企業課長相当職にある人物であるが,当該勤務のみをもって我が国経済に貢献があるとは認められず,他に貢献に該当する事項もないことから不許可となった。

(事例8)

 システム開発関連企業課長補佐相当職にある人物であるが,当該勤務のみをもって我が国経済に貢献があるとは認められず,他に貢献に該当する事項もないことから不許可となった。

(事例9)

 約9年間,本邦に在留し,作曲活動や自作音楽作品発表会を行い,我が国と本国との音楽分野における交流に努めているとして申請があったが,文化芸術分野における我が国への貢献とは認められず,不許可となった。

(事例10)

 約9年間,本邦に在留し,我が国の芸能人による本国での公演の実現,我が国と本国企業交流にかかるイベント実現等を理由に申請があったが,我が国への貢献とは認められず,不許可となった。

(事例11)

 入国後,3年間は留学生として在留し,その後,我が国の大学医学部助手として5年間勤務していたが,我が国の高等教育の水準の向上に貢献があったものとは認められず不許可となった。

(事例12)

 語学指導助手として入国し,3年間は本邦内の中学校で,それ以降は高等学校において約4年間英語教育に従事していたが,日本大学又はこれに準ずる機関の常勤又はこれと同等の勤務の実体を有する教授助教授又は講師としては認められず,高等教育の水準の向上に貢献のあった者とは認められなかった。(在留歴6年11月)

これらのガイドラインからすれば、そんなに簡単に永住権を取得できるものかな。

それも、申請に対して、法相裁量が広範に認められてるし。

2009-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20091014002623

社会は多様で10人いれば10様の性格人間がいると思って差し支えありません。

その中で、あなたや世間にとっての「当たり前」を当たり前に受け止めてくれない人もいるかもしれません。

あなたのメールを受け取って件の教授がどう考えたのか考えみると違った受け止め方ができます。


サラリーマンであれば儀礼的なメールや格式的なメールは間違いではないと言えるでしょう。

しかし、教授院生というのは研究職なわけですから

そういった儀礼的なメールに「何故」を突きつけることができること自体

研究者の心構えとしては尊敬すべき、見習わざるを得ないこと、と考えられるかもしれません。


少なくとも話を伺う限り失礼な文面になってしまっているとはお見受けしますが

多忙な職務の時間を割いて返信をしてもらえた、というのはそれだけで感謝に値することだと思います。

少なくとも私が同じメールを受けとったらそのように受け止めます。

また、逆に「私が教授だったら…」と考えると

新しい研究生踏み絵的な意図でそういったメールを送ることもあるかもしれません。


貴方が学問としてどういった分野を専攻されているかわかりませんが

学生卒業プロフェッショナル研究者としての一歩を踏み出すにあたって

絶対的なアドバイスとして伝えられる何かがあるとしたら、

学生時分のように正解と不正解に仕分けできるような単純な「答え」は存在しない、という事実です。

曖昧模糊な価値基準の中でその時その時の「ベスト」を尽くして行くしかありません。


「私は考えすぎなのでしょうか?」と仰っていますが

貴方は考る段階にすら至っていないのではないか、というのが私の感想です


駄文ですがご参考までに私見を述べさせてもらいました。


そして最後にもう一つ。

これは私が最近の若い方の相談を受ける際に例外なく言わせてもらっていることですが

この点が現代の学生達が総じて伸び悩むボトルネックのような気がしています。


「これから貴方が出会う貴方の先輩たちはすべからく貴方に興味がない」


貴方の舞台は主役ではなく脇役から始まる、ということです。

長文失礼致しました。

2009-10-03

LABプラ

LABプラスとは研究室教授との“日常”の交際を楽しむゲーム

現実の日時や学会と連動し、教授と同じ時間を過ごしている感覚が持てる。

論文に対してダメだしされるスキンシップや音声での会話(説教)もある。

教授の服装は2種類、学会研究会などのイベントは4000以上。

教授タイプにおいても「ワンマン(同歳)」、「無能(年下)」、「天才すぎてついていけない(年上)」という様々な性格を用いている。

だが、最大の特徴は、単位を次々と“取得”していく既存の大学生活と違い、学部を卒業した後の修士研究ゲームの本番というところにある。

卒業した後の「修士パート」ではDS内蔵の時計を使用した「リアルタイムクロック」(RTC)により、現実時間学会に合わせたリアルタイム永遠に続く「研究生活」が体験できる。

教授とのやり取り次第で教授髪型や服装、性格、専門が変化するなど、プレイヤー次第で様々なシチュエーションが楽しめるのも特徴である。

また「修士パート」では、「学部パート」と異なり、いつでも教授メールをやり取りすることが出来る。(「原稿まだ?」「なんで大学来ないの?」等)

プレイヤー研究コマンドを実行することで、進捗力をため、休日には進捗力を消費することで教授学会に誘うことが出来る。

学会では、タッチペンプレゼンを行うことが出来、上手くいくと教授とのキスも。

ワイヤレス通信機能を使うと自分教授と他のユーザー教授同士をおしゃべりさせることもできる。

群馬県高崎市男子大学生(23)は、教授の1人である小早川輪講に夢中になっていると告白した。

「さっき教授と学会行ってきました。今度本当に国際学会で発表しようか?って話になり次回の学会は国際学会に決定です」

「(国際学会)連れてって?」の言葉で、燃え死んだといい、「うぉぉぉ!オレは人間を辞めるぞぉぉ!!!教授!!!」と雄叫びを上げている。

また巨大ネット掲示板2ちゃんねる」では

「まだ卒論前なんだけど威力高いな。卒論後には(激務すぎて)おれ、死ぬのか?」

「(教授の)おかげで学会の査読に受かった」

「初学会で興奮のあまり髭触って怒られましたww」

など、感嘆の声が連日連夜、アップされている。

2009-07-28

二十代で研究者人生ダメにするための"論文"の読み方

 二十代の人が、研究者人生を棒に振ってしまうためのフラグの立て方は色々あるが、そのなかでも有名なものの一つに「悪性の論文調査」というやつがある。若いうちから、アカデミズムの海で実験結果を誤魔化すような処世術を身につけたり、捻れた教科書論文との付き合い方を覚えてしまったりした人は、まぁ、あとあと難しいだろう。

  

研究者人生ダメにするための“論文”いろいろ 

 では、研究者人生を棒に振るような“悪性の論文調査”とはどういうものか。色々なパターンをみかけるなかでも特に頻度の高いもの三つを、書き残しておこうと思う。

 

研究分野を色眼鏡で眺めるために論文を読む

 目の前の実験結果なり、自分が置かれているポストなりが気に入らなくて、それを色眼鏡でみる為に論文調査に耽溺するタイプ。このタイプの人は、実験装置のややこしさや理論の不完全性を承知しながら注意深くモデルを適用してみようという姿勢になりにくく、むしろシミュレーション理論という名のロードローラーを使って、研究対象をとにかく単純化・抽象化する姿勢へと傾きやすい。思想理論が含んでいて然るべき、実験結果に合致しない部分や不完全な部分を留保するよりも、自分が見たいビジョン自分研究範囲を染め上げることが優先されるものだから、教条主義的・原理主義的な研究者になりやすく、融通のききにくい“理屈だおれ”にもなりやすい。

 

 このタイプ人達にとっての“論文調査”は、研究分野のことを広く識るための“論文調査”というよりは、研究対象への見方をむしろ限定し狭めるための“論文調査”という体を為しやすい。彼らにとっての理論シミュレーションとは、視野を狭窄させるための色眼鏡でしかないし、まさにそのために“先行論文”が必要とされている。

 

 見たくない実験結果を自分の視界から締め出すために本を積み上げる人が、良い研究者になれるとは思えない。

 

・本の威を借りるキツネになるために論文を求める

 読んだ論文の数や著者の名前が、履歴書になると思っている人達の“論文調査”も、研究者人生を棒に振りやすい。本棚に並んでいる教科書参考書の立派さのためばかりに教科書参考書を買い求める人達も、同様である。

 

 本来、先行研究調査なんてものは「誰の論文を読んだのか」よりも「どんな影響を受け何を考えるようになったのか」のほうが遥かに重要な筈だし、ときには一枚のレターが、十冊のペーパーよりも強いインパクトファクターを与えるなんてこともザラにある筈だ。しかし、このタイプ人達にとっては、読破した論文の数を数え上げ、難解で有名な何某という先生論文を読みきったという事実証明のほうが重要らしい。ポスドク募集に提出するCVに載せるために論文を読むような、あるいは本の威を借りるキツネになるために強面の論文を敢えて選ぶような、そういう空疎論文の読み方に耽る人間というのは、いないようで結構いるものである。

 

 論文からの影響や論文の内容よりも、他人の論文の威を借りることに夢中になっている人が、良い研究者になれるとは思えない。

 

 

・優越感の袋小路に逃げ込む為にマイナーな分野を求める

 学会やコンペティションのような、他人同士が競り合う分野では劣等感が強烈過ぎて、それを補償するために、およそ誰も競争相手がいない研究領域を敢えて選んで、そのジャンルで悠々と優越感を味わうために知識を求める、という人も、可能性を勉強で囲い込んで腐らせてしまいやすい。

 

 例えば、研究生活のなかで劣等感が強い人が、その劣等感補償する為に勉強に手を伸ばすケース。実のところ、やり方は非常に簡単で、ラボの誰も興味を持ちそうにない分野の、ちょっと難しそうな参考書を見繕ってきて、ラボのなかで見せびらかすようにそれを読めば良い。ラボ流体力学を読んでいるやつがいなければ流体力学でもいいし、一般相対性理論教科書でも、マイナージャーナル論文でも構わない。とにかく、“ラボの頭の悪い連中”が手をつけそうに無い“俺だけが重要性を知っている”分野の論文を選びさえすれば、劣等感から身を守る大きな防壁として十分に役立ってくれる。

 

 しかし、こういう本の選び方ばかりしていれば、当然、“ラボの頭の悪い連中”とのコミュニケーションはますます困難になるばかりでなく、興味や関心の分野を著しく狭めてしまうことになりかねない。また、選んだ分野についての造詣を深めようにも、単に競争相手がいない場所を選んでいるばかりでは切磋琢磨など望むべくもないし、万が一、ポスドクとして行った大学などで競合相手に遭遇した場合、そこで再び劣等感を刺激されてもっとマイナーな分野へと逃避するしかないような、そういう逃げ癖が身についてしまうことも有り得る。

 

 マイナー研究を防壁にしながら劣等感から逃げ回るだけの人が、良い研究者になれるとは思えない。

 

まとめると

 

 このように、ひとつ“論文調査”と言っても、研究対象に対する視野を狭めたり、都合の良いモデル実験結果の埋め合わせをするために論文の山に埋もれるような、そういう惨めな論文教科書との付き合い方というのは十分に有り得る。世界を多様な視点で眺める術を与えてくれる筈の論文が*1、景色を歪め、視野を狭めるためのツールに堕するというのは、とても哀しいことだが、こういう事例は枚挙に暇が無いのが現状だ。

 

 矛盾した物言いに聞こえるかもしれないが、二十代の研究者劣等感補償する為に難しめの論文チャレンジしてみるとか、他の人が手を出してない研究分野を学んでみるというのは誰にだってあることだろうし、むしろある程度はキャリア相応に必要なプロセスでもある。だから、上に書いたような論文の選び方が全部ダメだというつもりは無い。けれども、上に書いたような論文の選び方ばかりを繰り返しているしているようでは、やっぱり良い研究者になれるとは思えないし、どんなに論文を読んだとしても、得るところが少ないだろう。

 

こちらより改変。

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090727/p1

●追記

ブクマ数見て驚いた。

こういうネタバレは無粋かもしれないけど、これ、半分は改変元の記事への皮肉で書いてます。あの理屈研究者に当てはめるとこんなヘンテコなことになるよ、というのを示すつもりで。でも、ブクマで賛同してたりする人が結構いて、ちょっと何だかなあという気分。(22:45)

2009-07-02

ちょっと理系の諸先輩方に聞きたいのだけど

研究生活に於ける「打ち込み」って何でしょうか?

現在そこそこの大学工学大学院一年生たる自分ですが、研究って何をすればいいのか分からない。

学部四年生の頃から研究室にいたからなんとなく分かっていてもおかしくないはずなんだけども。

うちの研究室は学部四年生でも研究室宿泊が当たり前的な空気があり、ゼミでもそれなりの成果を求められとる。

こんな増田を書いてる時点で分かると思うけど、自分は結果が出ていない方なわけ。

で、自分は何か辛い状況に直面した時には柔道部時代の経験則からヒントを得ることが多いので、今回も考えてみたのですよ。

学会」が「試合」

ゼミ」が「乱取り

自分研究」が「自分がもってる技」

だとしたら、どうやって「試合」や「乱取り」で満足の行く結果が出るようになるのか。

そう考えると、最近自分は先輩に「技のコツ」ばかりを聞いていたように思う。

曰く

「この技って効果的な奇襲ですかね?」

「どうすれば手痛い反撃を受けないですみますかね?」

これって自分が一番嫌いなタイプの後輩だったじゃん!

即片羽絞めかけながら「打ち込みせいや!」って言ってたじゃん!

でもそこで思うのは冒頭の一行なんですよね。

強くなるには「打ち込み」しか思いつかねえけど、何を反復練習すりゃいいんだ?

論文読めばいいのか?アイデアにもなっていないような妄想をすりゃいいのか?それって次の「乱取り」までに形になんのか?結構「試合」近いぞ?エントリするのは規定路線っぽいぞ?持ってる技は先輩が「やってみたら〜?」程度で示した技くらいだぞ?「乱取り」で使ったら「その技クソじゃね?」みたいな扱いされたぞ?

わかんねー。

2009-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20090414194624

研究」を「仕事」に置き換えても同じ。

いくら能力があってもうまく行く仕事ばかりできるとは限らない。

仕事がうまく行かなかったら死ぬしかない? もちろんそんなことはないよ。

趣味だって音楽だって楽しめばいいし、好きなことはそれはそれでやればいい。

その代わり、数時間集中して取り組めば、悶々と1日中悩んでいるよりは良い結果が出ると思う。

どうしても嫌なことがあったらふらっと旅に出て、ひょっこり戻ってきて教授の驚く顔でも拝んでみるくらいの余裕を持って望むのが吉。

ちょっとくらい研究のことから頭を外しても別に取って食われたりはしないよ。

この先一生辛い研究が続くわけじゃない。

指折り数えて研究生活が終わるのを待とう。

人生万事塞翁が馬

#念のため、中間報告と提出前1週間はそれなりに頑張る素振りを見せるように。

2009-02-28

同年代より就職の餞を

エントリ

http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733/

に対するコメントとして書いたら非常識な長さになってしまったため,

仕方なく日記にしてしまったものです.今更推敲するのも面倒だし.修論締切やばいし.

以下コメント

私,ちょうど現在修士論文の提出用最終稿を書いている真っ最中です.

卒業を諦めかけ,それでも卒業できることになりそうな身の上の者が,修士までの研究卒業について書きます.

あなたのエントリを読ませていただいて,一番強く感じた疑問は,「卒業は誰のためのものか?」です.

私は卒業とは自分保護者のためのものではないかと感じています.

日本的お優しい環境なので(学部)卒業できた~」とありますが,研究室先生研究者純粋教育者ではありません.

あなたの保護者ではないのであなたが卒業研究から何か得ようが得まいが関係はありません.

たとえば博士課程後期にでもなれば自分研究利益をもたらす可能性が多少高まるので積極的に構うでしょうが,

学部生レベルじゃ「留年すると担当教諭として面倒だから単位やっちまえ」くらいに思っているかもしれません.

(特に東大ではその傾向を感じるのですが,ここでは言及しません.根拠となるデータなんてないので.)

だから卒業できた,いやさせられたのではないかと感じました.

何しろ卒業生の優秀さはその先生研究者としての評価に直接は関係ないのですから,ある意味当然の振る舞いかもしれません.

あ,念のために注釈すると,それでもやる気のない生徒を卒業させようと頑張ってる先生は大勢います.

理由は研究者を育てるという教育者の責務に駆られたとか単純に甘いとかはそれぞれなんでしょうが.

結局,卒業にこだわるのは本人とお金出してくれてる人だけ.あと内定先の採用担当もいれましょうか.

そして,本人以外は卒業事実だけで充分.学校生活の内容にこだわるのは本人だけ.

卒業までの短い期間で自分が満足いくまで研究するのも,就職予備校と割り切って卒業に必要なだけの研究をするのも,

こんな短い期間じゃ研究なんてできっこないと決めて何もしないのも本人次第.

大学ってある程度自由な選択肢があるところなんですよ.授業出席やテスト勉強に限らず,卒研さえも.

勿論明言はされませんが.

それに気づけるかどうかも本人次第.

そこに18歳だから気づけないとか22歳だから気づけるなんて因果関係はないと思います.

私は齢22にして卒研の意義が分からず,とりあえずやってみて,そんなもんかとがっかりしたクチです.単純ですね.

あなたは,同じ状況で頭を働かせ,とりあえずやらなかった.それだけのことでしょう.

そこに新卒採用制度が絡んであなたの問題を複雑化させているのはわかりますが,

結局就職できるようですし,結果オーライのご様子.

就職先で卒業研究の内容を駆使することが求められるわけでもありませんしね.

卒業研究なんてただの飾りです,偉い人には~なんてね.

そうそう,私がなぜ卒業を諦めかけたかの話が抜けてました.

(どうでもいいなら一段落すっ飛ばしてください)

すごくありがちな話で,ビョーキです.

学校に行きたくても行けない期間は辛かったでした.

なぜって,内定をもらってるのに卒業できないかも,という恐怖が常に襲ってきたので・・・

でも,半年も研究室にいなかったのに無事卒業できるようです.

その時に再び思ったのですよ.

あー,やっぱり卒業研究は成果じゃなくて,本人が頑張ったらOKの世界なんだな,って.

この曖昧な文章に無理矢理結論づけるとすれば,

あなたが「学問」できなかった,しなかったのは,他でもない,あなた(のせい)だということ.

そしてそれにうちひしがれて自分から退学を願い出たということ.

担当先生でもなく,就職予備校でもなく,学の府でもなく,あなたがね.

あなたは学問したいのであれば,きっと研究者を目指せばよかった.

でも,卒業研究ができなくて就職,という(逃げ)道を選んだから,あなたの中で大学学問する意義がわからなくなってしまった.

大学院に行くということは,就職のために行くのではないという,オトナ達からの刷り込みによる思い込みのためだけにね.

大学院での研究生活は就職だろうと研究だろうと,人生の糧になりうるものですのに.

そして私がこれを書きたいと思った動機は,あなたが研究室に入ってくる生徒達にとてもよく似た考えをしているから.

研究室に入りたてだった頃の彼らに.

毎年,あなたみたいな考えの人が研究室にきて,無駄なことはいやだと最短ルートの入口を探し,

仕方なく研究を始め,いつの間にか慣れ,卒業を迎える.

それが正しいのか,抗うべきなのかはわかりません.

でも,私は毎年こう声をかけてきちゃいました.

「とりあえず,研究っぽいことやってみなよ.

 頭で考えられる範囲で研究になるかどうかわかるようなテーマ研究ではないから.単なる演習だから.

 卒業研究は成果よりもやってみることが大事だから.

 やってもみいくちゃ無駄かどうかわからないことにチャレンジするのも,長い人生,たまにはいいんじゃない」と.

私は今でもそう思っていますから,うっかり言ってみたくなったんです.

卒業研究大学の意義について悩んだ挙句,私とは別の選択肢をとったあなたに,私の考えを.

所詮は終わってしまった選択肢,戯言ですがね.

なにはともあれ,就職おめでとうございます.

あなたなりに納得のいく人生が送れることを切に願いつつ.

2009-01-19

がんばれラボの仲間たち

教授

DQN院生撲滅のエースで今まで輝かしい戦績を誇ってきた。理不尽さ、物わかりの悪さ、不登校にさせた学生の数とも文句なし。

【高齢助手

教授と比較し人当たりは軟らかいが、研究に向かう気力を減殺する雰囲気の醸成に一役買うマルチ兵器。

オーバードクター

学振PDや筑波のポス毒が増えて職にあぶれた悲惨なODは減少してしまったが、

それにも採用されないテクや研究補佐員として研究人生の悲惨さを見せつける。

メンヘルD4D5・学位無し大学院研究生

研究に逝き詰まり、精神バランスを崩し真面目な院生まで巻き込みドロップアウトを堅実にアシストする縁の下の力持ち。

学振PD

持ち前の1stオーサシップへの執着力で気の弱い院生からデータテーマを奪いちゃっかり自分の業績にしてD3の逃げ道を塞ぐ。

いつかはラボから居なくなるもののタイミング良く助手ポストが鮮やかに決まった際、生え抜き院生を失意のズンドコに叩き込む。

ロンダ社会人院生

知識の貧弱さと研究室マナーに関する常識の無さで、真面目な院生の足でまといとなる無視出来ない存在

モラトリアム女子院生

ラボの士気に影響を与える力はないが、色恋によれたDQN院生をただれた生活に引き込むブービートラップ

公務員文系就職志望】

徹夜実験論文読みを一切拒否するクールガイ。ひたすらPCに向かいエントリーシートを打ち込むか、問題集を解いているラボの異分子

某所より転載

生物系だとこういう研究室が多いような気がする。前時代的な徒弟制度というか。

毎日日付が変わるまで実験やってるし。しかも学費払って。

進学する場合は、慎重に研究室指導教官)を選んだ方がいいですよ。

息子(娘)の博士課程進学で親ができること

2008-12-16

俺ももう一度大学院行きたいわ

今だったら遥かにまともな研究生活送る自信あるのになあ。

就職の実質的な年齢制限は害悪でしか無いわ。ほんと。

2008-11-23

パソコン子育て

見てみたら日記をつけてから今日で2000日目だった。ちょっと振り返ってみることにする。

ちなみにパソコンは全然詳しくない。

親がパソコン好きだったので、小さい頃からネット環境があっただけ。

Netscapeが好きで使ってたけど、Internet Explorerが出たときの衝撃は今でも覚えてる。

とにかく軽くて、スタイリッシュな感じ。今はもう太っちゃって当時の面影はないな。

確かOSはwin98だったかな。

そのあとMeのマシンを買ってもらって、それで随分遊んでた気がする。

Meも大事な友人の一人と言っていいくらいの時間を一緒に過ごした。

よく顔を真っ青にしたり、起きたと思ったら顔面真っ白で驚いた顔したりしてたっけな。

出来の悪い子だったと思うけど、いまでもMeって言葉を聞くと顔が自然とにやけてしまう。

Meは自分の成長を犠牲にしたかわりに、人を育てる能力に長けていたんじゃないかと思う。

侍魂見て爆笑したり、MXチャットで色んな奴と話したり、メッセで知り合った人とボード行ったりもした。

ダイヤルQ2に引っかかって10万も請求きたりして親にこっぴどく叱られたこともあったな。

この頃知り合った人は今でもたまに連絡取ったりして関係が続いてる。

なんかあったかい時代だったなと思う。

実家回線ADSLから光になって、ちょうどその頃実家を出た。

1年浪人して、大学入って研究漬けの毎日。

よくほっかほか亭で塩カルビ丼喰いながら夜通しくだらない話してたっけな。

塩カルビ丼が終売になったときはみんなで抗議しにいったっけ。

終売になってからも冗談で「おばちゃん塩カルビ」って言ったら本当に出てきたりして。

あのおばちゃんまだ働いてるのかな、元気でいてほしいなぁ。

あとはゼミさぼってみんなで雀荘行ったことが先生にばれて、バケツ持たされて立たされて。

「叱り方が昭和だよな」とか言いながら笑ってた。

院に行くのに必要なTOEIC受け忘れて、1年研究生として研究室勤務になったこともある。

バイトしながら学費稼いで、4年の研究の面倒見つつ麻雀して研究して。

学会もこの頃からお世話になるようになったんだな。

国際学会のときの原稿全部Excite翻訳にしてこっぴどく怒られて、

後輩に全部手直ししてもらって発表したのはいい思い出だ。

この頃になると昔ほどネットにいることは減ったけど、休みには必ずネットはしてたな。

ブラウザFirefoxにして。

拡張機能とかで色々とカスタマイズ出来て本当に便利な時代になったもんだと思う。

LDRize、Minibuffer、AutoPagerizeとか一回使うと離れられなくなるな。

あとTomblooっていうのが最近のお気に入り。

RejawTumblrDeliciousに飛ばしてるけど情報収集するのに最適だな。

ネットも変わるもんだ。

Rejawは昔から知ってる奴が結構いいよっていってたから使ってるんだけど、

検索機能も充実してていいね。

なんか顔なじみの奴が結構Rejawにいて驚いたけど、あんまりメジャなものではないのかな。

そいつは、はてなとかガキしかいないじゃんとか言ってたけど、ガキで何が悪いんだって話。

ガキ最高、ガキ上等。

まー、ちんたらとここまで振り返ってみたけど、とにかく懐かしいな。

就職して、結婚して、今は普通リーマン2年生。

休み普通に取れるし、給料普通

来週には俺もパパだ。

幸せ家族計画への第一歩ってやつだ。

今はとにかく嫁も子供も無事に産まれてくれればそれでいい。

パソコン使えるまでは俺と嫁と爺さん婆さんでしっかり育ててやる。

パソコンが使えるようになったらMeにバトンタッチだけどな。

2008-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20080911130225

研究生活って孤独との戦いだからね。

自分一人で粛々と、将来役に立てられるのかどうか分からない(そして多くの場合役に立たない)事をやっていると、

誰か隣に居てくれる人がこれほど大事なことなのかって身を以って知った。

寂しさと孤独と恐怖で潰れていく人なんて毎年何人も見るし、そういう感情に囚われて何も出来なくなる人が本当に多い。

一瞬でも自分の研究に対する信念に疑問を感じた時に、誰も周りに居ないような感覚に陥らなくて済む人が居るのって、本当にありがたい。研究者なんて何も出来なくなったらただの穀潰しだし。

そういう感覚を知っている人が多いから、愛妻家が多いんじゃないかなあと思う。もちろん研究バカで家庭には目もくれないって人も当然中には居るけど。ただ、今まで見てきた感じ、優秀な研究者ほど、妻とか家族とか周りの人を大事にしてると思う。

2008-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20080522150331

世間の中で少数だって言うのは知るべきでしょう。

だってたかだか1冊の本だよ?

逆に、こんな本の著者で「全部30代院生なんだよ!」って言わないと、誰も30代院生が実在するとは思ってないわけでしょ。

そもそも大学生院生なのに、院生中の30代の割合ってどれだけ高いって話なの?

30代まで研究生活できるのは、よほど裕福ってことになると思うんだけど…。

で、訂正。特殊環境ってのは書いてたw

2007-10-14

(そろそろ)公衆衛生の問題

大学研究室にて、かれこれ一ヶ月風邪をひきっぱなしな人が居る。

確かに研究生活は忙しいんだろうし、平日研究、土日バイトで苦しいんだとは思いますが、

そろそろ治していただかないと、研究室内にばら撒かれるセキで、私の健康が心配です。

というか、一人を除いて一回風邪で倒れてます。そろそろ何とかしてください。

とは言えないよね。

2007-09-21

社会に馴染めないから大学に残ってるんだろ、みたいな言い方はよくされるようだが

なんでそういう人聞きの悪い物言いしかできないんだあんたは

「私は日本大学の概況を知るほど見聞が広くありませんが、少なくとも私自身はいい教授に恵まれ平和且つ順調な研究生活を送っていますよ」って書けばいいじゃないか

http://anond.hatelabo.jp/20070921232050

2007-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20070626161248

アドバイスでなくとも、増田たちの就職体験談などでも構いません。

「俺の就職体験談

まったく役に立たないから参考にするな。

時は戦国弥生時代氷河期なんてちゃちなもんじゃねぇ、もっと恐ろしいモノの片鱗を…の時期に大学4年生の俺。

配属された研究室教授とそりが合わずに鬱気味。

もうその時から就職活動はしてなかった。

つーか、3年生の時から就職活動するなんて信じられず、どんどん届く立方体ぐらいになっちゃってる就職雑誌に恐れおののく。

で、大学院試験に逃げる。

失敗。

行きたかった研究室研究生として潜り込み、大学院試験勉強を1年する。

大学院入学。

やっぱり就職活動するつもりなし。

このまま大学に寄生できればいいなーとほのかに何の行動も起こさずに考えていた。

で、研究室OB会社見学に来ないか?というので、弁当テレカ交通費に引かれて遊びに行ったら、そのまま入社試験を受けさせられて、1回本社で面接を受けたら入社が決まってた。

だから、会社を選んだことはない。就職活動もしたことがない。

それでも就職できるんだから、大学で遊んでいたら?

2007-03-12

「「「格差の話で...」という話で...」で思ったんだけど」を読んで

格差っていうものがどーにもこーにも実感がないというのがわからない。

格差と言うか下のほうが酷いことになってるって話がわからないとか言ってる人が。

反感を買うことを恐れないで言えば年収○○万以上とか聞くと「何で?」って思ってしまう。

俺自身普通の家に生まれて、普通に公立の小中学校に通った。

で、高校受験も県立だけど順調に第一志望で受かった。

で、大学受験。これは落ちた。そして浪人生

浪人時代は本屋入り浸る。

こりゃヤバイと思って頑張り始めたのが一年目の冬休み終わってから。あまり点は悪くなかったんだけど番号がなかったのに愕然として、後期日程では普通に地方国立大に入る。

大学ではテニサーとか実家通いの地元出身者とかが幅利かせててさ。毎日大学の友達が車やバイクを見せびらかせんの。さっさとバイト見つけてきてさ。こっちは時給千円の深夜コンビニ勤務で働きすぎて寝不足で学校遅刻とかしてさ、お金ないから風呂共同の物件に住んだりしてさ。

そんな生活してて学校がうまくいくはずもなく、2年の時に幸い留年はしなかったんだけどさ。でも、その時点でもう既に現役の奴らと比べたら1年も遅れてるわけ。

もうこりゃやばいと思ったのが就職活動を控えた4年の前期ぐらいかなぁ…成績もよくないし、このままじゃ就職する気力もない!と思って就職説明会なんてあったかどうか記憶にないけど、自分のやりたい事なんてわからなくてさ。

学校就職セミナーとか、体験面接とかも全部ぶっちぎって、やっぱり就職はまだ無理だと思って、院試を受けた。2回受けて両方落ちた。

で、必死に勉強して1年研究生してたけど、合格して第一希望研究室に潜り込んだ。

で、今社会人10年目。一ヶ月の生活費は家賃込みで18万ちょっと。年明けに医者にもうちょっと痩せなさいって言われた。最近残業していないから手取りは減る。

どっちかって言うとこれといった失敗は結構していて精神病院に2ヶ月ぐらい入院したり、病欠を半年ぐらいしたし、堅実なんて言葉忘れた生活して頑張ってないので、未だに冷たいアパートと鳴らない電話

このまま結婚して子供持つなんて信じられない。そもそもする気ないし。

自分の周りの知り合いもそんな感じだし。

だから毎日早くから遅くまで働いたりして、家には寝に帰ってるだけってくらいなので、もう将来のことは気にしない。

このまま生きて、このまま死ぬ。

俺の人生ネタなので、みんなで笑えばいいと思う。

独身だからまだがんばれるけど、これが結婚してからも続いたらほんとにだめかもわからんね。

だから俺は死人と生物の中間の生命体となり、永遠にこの世をさまようのだ。

そして死にたいと思っても死ねないので

―そのうち俺は考えるのをやめた。

http://anond.hatelabo.jp/20070312165428

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