はてなキーワード: 旧約聖書とは
http://anond.hatelabo.jp/20090503233005
これは二次裏でもimg鯖でまとめられたオススメ本一覧2008年度バージョンだったらしい。
元は「中高生のため」と限定したわけじゃなく単純に他の人に薦めたいというものだとか。
1年毎にまとめられているようで、これの2007年度バージョンを見つけたので貼ってみる。
4 シラノ・ド・ベルジュラック エドモン・ロスタン
9 風が吹くとき レイモンド・ブリッグズ
10 黄金の法 大川隆法
15 パンセ パスカル
20 シブミ トレヴァニアン
22 もの食う人びと 辺見庸
26 愛に時間を ロバート・A・ハインライン
30 マルドゥック・スクランブル 冲方丁
32 薬菜飯店 筒井康隆
34 変身 カフカ
35 チリの地震―クライスト短篇集 ハインリヒ・フォン・クライスト
40 恋のかけひき他11篇 マルキ・ド・サド
44 ロリータ ウラジーミル・ナボコフ
47 最悪 奥田英朗
50 泥流地帯 三浦綾子
57 魂の駆動体 神林長平
60 エルマーとりゅう-Elmer and the Dragon ルース・スタイルス・ガネット
65 一万一千本の鞭 ギヨーム・アポリネール
66 暗闇のスキャナー フィリップ・K・ディック
67 夏草冬涛 井上靖
68 家守奇譚 梨木香歩
72 アリス―Alice in the right hemisphere 中井拓志
74 かめくん 北野勇作
76 てのひらの闇 藤原伊織
77 極大射程 スティーヴン・ハンター
78 初秋 ロバート・B・パーカー
84 インスマス年代記 スティーヴァン・ジョーンズ
85 鬼麿斬人剣 隆慶一郎
90 サムライ・レンズマン 古橋秀之
92 死者の代弁者 オースン・スコット・カード
95 ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち リチャード・アダムズ
98 されど罪人は竜と踊る 浅井ラボ
聖書知らなくても楽しめるならそれで良いんじゃね?「ドストエフスキーはどんな気持ちでこれを書いたんだろう」とか「キリスト教圏の人はこれをどう読むんだろう」とか知りたいんじゃなければ。
ちなみに非キリスト教徒が聖書を紹介している本としては阿刀田高の「旧約聖書を知ってますか」と「新約聖書を知ってますか」がある。自分は旧約の方しか読んだことが無いけど、「一部は面白いが、一部はよー分からん。当時のユダヤ人は変なこと考えるな」みたいな感じで書かれていたので、増田には読みやすいんじゃないかな。薄い文庫本だから、すぐ読めると思う。
あと、「首を傾げる場面」は聖書とは関係なくてロシアの歴史や風俗に根ざす描写だったり、ロシア正教独特の考え方だったりするかもしれないから、聖書知識を得てもさほど理解は深まらないかも。
とりあえず自分は生きてるわけですよ。
こうやってキーボード打ってるわけですから、まぁそれは誰も否定しないでしょ。
幽霊ではないのですよってことね。
我文章打つ、ゆえに我ありって感じで、とりあえず一応存在してるわけです。
すいませんね。ほんと。
まぁ人生色々つらいことありますけどね。
んで、自分がいるってことは、親がいるわけですよね。
これは確実ですよ。
父と母がちょめちょめして、精子と卵子が結合して、自分が生まれたわけですよね。
まぁ生まれてよかったかどうかなんてわかんないけど、気にしないでおきますね。
んで母親にも親がいるわけですよね。祖父、祖母。
んで祖母にも親がいるわけですよね。
要するにこれが繰返されるわけですよね。
どんどん祖先をさかのぼっていくと、進化論的にいうと、ダーウィンさんでしたっけか、哺乳類抜けて、は虫類的なものまでさかのぼるわけですよね。
んで、は虫類ぬけると魚類とか菌類ってなるのかな。中学レベルの知識だからまぁ細かいことはいいんです。
とりあえず続いてるってってことですよね。
我文章打つ、ゆえに我ありってことで、とりあえず我あるからには続いてきた結果が自分で今文章打ってるんですよね。
自分は今の自分の認知できるすごい狭い範囲しかわからないけど、とりあえず自分個人じゃなく、生命としての連続の過去があるわけですよね。
認知できないものなんて存在しないのと同じと割り切ればそうなんでしょうけど、ここはね、認知してると思って思考してみますよ。
A(自分)→B(両親)→C(祖父母)→→→→→誰か?誰っていうのは人間を指すから何かの生命か?
とりあえず自分がいるってことは繋がりの連鎖の結果とりあえずいるわけです。
人類の誕生は旧約聖書だとアダムの肋骨、コーランだと精子だっけか?
まぁここは進化論を信じますけど。とりあえず今自分がいるってことは、とりあえず数万、数十万?
地球が46億年ということであれば、40億年に生命が生まれたとしてね。
40億でだいたい1世代が10年として、平均ね、4億か!すごいな。
なんで40億とか10年で計算?とかは聞かないでね。
うん。あるある。小さいことは気にしないほうがいいっておばあちゃんがいってたもん。
個人として考えるんじゃなくて生命、種として自分の今のいる原因をふと思ってみると、俺の知的な考察の結果10億世代の結果自分がいるわけ。
いるってこと現在の結果の前には、結果にいたる原因があるわけで、その原因っていう結果の先にはさらに原因があるわけで、それが
10億回くらいつづくわけ、
人間って弱いもんでね。
仕事で嫌なことあって、酒あおってるわけですけどね。
ウイスキーラッパ飲みですよ。
要するに酔っぱらってるわけですけどね。
こんな酔っぱらってる自分でちょっとなんで俺苦しんでるんだろとか思ったわけです。
苦しんでる原因は何?
上司?顧客?仕様?いやいや生まれたから苦しんでるだろって思って考えてたわけですよ。
んじゃ生きてる意味考えてみようと思ったの。
酔っぱらってるけど、酔っぱらって誰にも迷惑かけてないから許してね。
とりあえずここまで考えて酒がうまいよ。
生きてる意味とか、この今の自分がいるっていう現時点での最終結果の意味があるかわかんないけど、なんとなくなく、
そこはかとなくがんばるかって思ったのよね。
酒うまいし、いい気分だし、それでいいか、ごめんね祖先の諸君。
とりあえず自分は生きてるわけですよ。
だめだめだめだめ。
識者の方々がオススメする本は難しすぎます。
あんたらが読ませたいターゲットはそんな難しい本渡されても、すぐ投げ出されるか、ナナメ読みされて知識として根付くこともないでしょう。
ニーチェがすごい、ドラッカーがすごい、とか啓蒙しても、残念ながら普及はしないです。普及してたらあんなにブックマークがつくことはないですもん。
まず、本を読まないひとってのは文章以外の場所から知識を仕入れるわけだ。だから難しい単語や日常会話に無い言い回しがあるだけで読み取り回路がフリーズ。もしかしたら比喩表現でも受け入れてもらえない可能性もある。専門用語が出てきたらシャットアウトだね。
もしそれを我慢して読もうとしても、1行を読み解くのに時間がべらぼうにかかる。初めての英文翻訳を思い出して欲しい。単語を端から訳して、並び順から日本語に直そうと四苦八苦する。だっていつも使っている言語の話じゃあないからね。文章を読まない人ってのは、そんなレベルからスタートするって考えた方がよい。活字離れが多くなっているとかよく聞くけど、この作業をするのが苦痛で逃げ出しちゃったんだろうと思うよ。
だから、別のアプローチをしようという提案をするわけだ。そういう層にも受け入れられそうなところから興味を持たせ、本当に読ませたい本に立ち会ったときに、すんなり受け入れられるように助走をさせてあげる何かを。
チャラい感じのヤツなんかだったら、ケータイ小説かmixiだな。特にmixiなんかよいね。ケータイオンリーなユーザは日記を書いていたらレスをつけないといけない文化を守る人が多いから、そこに哲学的日記を書けば、相手を啓蒙することができるかもよ。
聖書だったら「アートバイブル」をオススメするべきだと思うな。やっぱり絵から入るのはよいね。知識や経験がないと文字から映像を作ることができません。手塚治虫も旧約聖書やブッダのように宗教系の漫画を描いているからオススメ。
アニメに抵抗がないなら話は早い。「エヴァンゲリオン」を見せれば哲学的な考えの初歩の初歩をかすることができると思う。おまけに聖書に興味を持たせられるかもしれない。
映像に興味がありそうな堅物さんなら「2001年宇宙の旅」なんか良いね。説明セリフが少ないわりに、なんだかすごいメッセージ性がつまってそうな映像だし、時々映画ランキングにも入ってくるからプライドの高そうな人にもオススメできるかもね(笑)。そこで一言「小説を読めば答えが書いてあるよ」とでも言えば、活字を読み解くことをするかもしれない。意外に平坦な文章だったよ。
いま挙げたものはいずれも「知っている人口が多い」ものだ。質問に対する回答が返ってくる確率は高い方がよい。ちょっとネットで探しても自分語りしてるひとはいるから良いことづくしだ。
もっともっと平易に伝える手順ってのはたくさんあるはず。プログラムを携わるひとならおなじみの「グッドラッパー」となるべきアプローチをとるべきだと思うんだ。スタートしたらなんだか難しそうだったので投げ出しましたってのを無くす方向に持っていきたい。はじめの一歩はかんたんに。
あんまり気にしなくて大丈夫。
(韓)>でも敬虔なクリスチャンには、「イスラーム(?)が汚れの象徴の豚をキリストの聖女(主人公はジャンヌの生まれ変わり)に食わせようとしている」と映る。
手元にある「豚料理大全」にはフレンチの技法もイッパイ、なぜだろうねw
フランス人はレビ記や申命記の戒律(コシェルってヤツね)を嫌い、
以下、聖書はJSS版からの引用。新共同訳は探すのが面倒でね、すまん。
(旧約聖書)>
Gen 1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
Gen 1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
(韓)>ほかにもサブタイトルにいくつか性やら麻薬を連想させるものがあってアウト。
いやいや、そもそも聖書の記述が「性的恥辱を感じました」そのものだから。
(旧約聖書)>
Gen 3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
Gen 3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
(韓)>イブ=ジャンヌ=まろん(主人公)という設定も完全にレッドゾーンらしい。
(韓)>仏教の考えである輪廻転生がなぜか使われていたりする。
(韓)>「これはクリスチャンぶち切れるよ」とのこと。
まあ確かに魂の継承や輪廻という概念はキリスト教からみれば「異端」だけど
(少なくともプロテスタント、カトリック、ロシア正教、ギリシャ正教はそうだろう)、
reincarnation や karma という言葉が一般的なくらいに神秘思想も知られているよ?
そもそも輪廻は仏教思想じゃなく、元はヴェーダから来たヒンドゥー思想。
(韓)>たぶんイブは誘惑に負けてリンゴを食べた者なのに…。ってことかな?
イブが食したのが「リンゴ」であるという記述は聖書のどこにも書いてないw
確かにヨーロッパで「知恵の樹の実」は伝統的にリンゴだとされているけど、
創世記の最初の舞台メソポタミア周辺の気候はリンゴ栽培にあんまり向いてないんだもの。
(旧約聖書JSS)>
Gen 3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
Gen 3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
Gen 3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
Gen 3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
Gen 3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
蛇の言ったことの方が事実だったんだから。
神が自分を「われわれ」と呼んでいることにも注目!
これは多神教時代の名残の消しそこないで、「唯一神」の自己否定(w)が旧約聖書に載っている。
神の呼称のひとつ「エル」に複数形「エロヒム」が存在する理由でもあるw
(旧約聖書JSS)>
Gen 3:22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」
Gen 3:23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
Gen 3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
(韓)>ほかにも、(まあこれはこじつけ見たいにも思えるんだけど。)ロザリオの形がハーケンクロイツに見えるコマがあったり、
うん、こじつけ。
スワスティカは「調和」「秩序」のシンボルとして十字架よりはるかに長い歴史を持つ。
キリスト教自身でスワスティカを変形十字架として使ってた例がある(コレ重要w)。
ここ数十年の反ナチという刷り込み、思想制御、言論統制の方が私には恐いね。
(韓)>それと韓国人が「子供の頃フランス人の女の子にジャンヌダルクってあだ名を付けてからかったら、
(韓)>その女の子の父親がマジ切れして殺されかけた」ってゆってた。
日本人が韓国に行って、韓国人に「ヒデヨシ」と呼ばれ続けたら俺も怒るw
これはジャンヌうんぬんが問題なわけじゃないぞ。
皮肉な見方にはちがいないけれど、「正直者が馬鹿をみるのは御免だ」と、しきりに主張する人は、当人はなるほど二で割れば正直なほうかもしれないけれど、それはやむをえず正直者になってしまったのであり、もし不正直者になってごっそりお金が儲かるものならば、彼は内心、「それもわるくないなぁ」そう思っている人なのではあるまいか。
本当の正直者は、正直であること、それ自体が彼の生きかたなのである。それで完結している。どちらを向いても、だれに対しても、天にも地にもなんらやましいこともなく、心は清々朗々、まことにここちよく、すがすがしい。そのすばらしさを愛でているのだから、そのことによって世俗的に多少損失を蒙ることがあっても、部分的に馬鹿をみることがあっても、深く拘泥しないだろう。
増田はさー、どうせ今まで正直者でやってきたんなら、とことん本当の正直者になりきればいいと思うよ。
追記:
もうちょい書き足しておこう。(元増田に送るのにちょうどいい言葉があったよなと思って、そっくり引用したんだけど、それ以上おれが言えることもなくて、かと言って、ほぼ引用だけで終わらせるのは著作権的に良くないと思っていたんだよね。)
で、何を足そうかとおもったんだが、引用した部分だけ見ると、この本、教条的なお堅い本なのかななんて思われてしまいそうで、それは残念なので以下、「旧約聖書を知っていますか」の紹介。
阿刀田高さんの「旧約聖書を知っていますか」は、西洋文化の根底に流れる旧約聖書の世界観を、むずかしいことは抜きにしてエッセンスだけを取り出し、物語調に仕立てた読み物。これがすっごく面白い。ただ旧約聖書の面白いところだけを選りすぐって物語にしたのではなくて、物語の端々で著者のナレーションが入っていて、これが旧約聖書の世界にはじめて出かける旅行者の手を引き案内するツアーコンダクターのような役割を果たしてくれているから読んでいて飽きないの。
ほかにもおなじシリーズで「新約聖書を知っていますか」「ギリシア神話を知っていますか」などなどがあって、どれもおススメ。個人的には「ギリシア神話を知っていますか」が特に好きだ。いじょ。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
夕食を食べている時に、アパートで一緒に住んでいるインド系アメリカ人Yは言った。
『同じガイナックス制作でも、フリクリは好きなんだけど、エヴァは嫌いだよ。
1話2話は見たけど、後はすっげーつまんなくて、見るのを辞めちゃった。』
アメリカではシンジ君のような内気な少年タイプの主人公はあまり理解されないと言う。以前ネットで見つけた
"アメリカオタクが選ぶ好きなアニメキャラクターアンケート"みたいなページでシンジ君がボロクソにけなされていたのを
思い出す。Yも優柔不断なシンジ君が嫌いなんだと思った。でも、Yの次の発言は少し予想外だった。
『映画版のエヴァ(古い方)も最悪。でも、唯一、テレビ版の最後の二話は最高だった。』
え、という感じだ。おめでとう、で終わるテレビ版のラストは日本のファンには不評だった。作者自身もテレビ版の最後を上書きするように
映画版を見た。映像美がクライマックスに達するのも、哲学的な主題に一応の結論が出されるのも映画版のエヴァだ。何でテレビ版の
最後は良くて、他は駄目なんだろう。Yは続けた。
『宗教的すぎるんだよ。キリスト教のさわりだけかじったようなストーリーが受けつけないんだ』
あ、と思った。かなりEye-openingな発言だった。
キリスト教的価値観はアメリカという国の根本的なものを形成している。
宗教的自由を求めて移民してきた中産階級達が設立者となった国である。妊娠中絶の問題も
ゲイの婚姻問題もIntelligence Design(笑)も、アメリカの政治のジューシーな部分を占めるのはキリスト教(もちろんプロテスタントが主流)
が関係する政策論議だ。宗教右派からの支援に頼っている政治家だけでなく、民主党左派系の政治家達もキリスト教へのリップサービス無しには
国民多数からの支持を得られない。
そんな国である。キリスト教教育に関しては日本より何歩も先にいっている国である。
そんな国で、旧約聖書だの、リリンだの、キリスト教を土台にしたストーリーのアニメが受けるか否か。
作者はアメリカンアニメギークのポリティカルコンパスのぶれ具合を全く知らないのであるが、
まず、聖書の教えに忠実でないストーリーは保守・右派には受けないであろうことが予想される。
更に、Evangellionという題名がEvangelical(宗教右派とほぼ同意語で使われる)を連想させることから
宗教右派にあまり良い印象を持たない左派(都会のスタバでラテを飲みながらThe New York Timesを読む人たち)
にも支持を受けないに違いない。
キャラの性格云々よりも、宗教的なストーリー故に、エヴァンゲリオンはアメリカで受け入れられにくいのでは無いか、Yと話している
時にそんな仮説が浮かんだ。作者は余り覚えていないが、Yに好評だったテレビ版のラスト二話は、
More philosophical, but less religiousだったと記憶しているが、まぁ、定かではない。
そんなYは今、ファイル共有ソフトでDLしたアニメ版ひぐらし(Free Fan Sub)に夢中だ。園崎魅音と梨花ちゃまがお気に入りだそうだ。
グローバル化の波を感じずにはいられない。
偉大な事業を完成するためには、人はつねに緊張していなければならない。サン・シモン
志を立てて以て万事の源と為す。吉田松陰
着るものは新しいうちから、名誉は若いときから大事にせよ。プーシキン
われわれは、ことばではなしに、行為を見守らなければならない。そしてまた、われわれも、ことばではなくて行為で示さなければならない。J.・ケネディ
大変な仕事だと思っても、まず、とりかかってごらんなさい。仕事に手をつけた、それで半分の仕事は終わってしまったのです。アウソニウス
汝の活動、ひとり汝の活動のみが、汝の価値を決定する。フィヒテ
規律は、宗教に似ている。ばからしいように見えても、それが人間をつくるのだ。サン・テグジュペリ
至上の処世術は、妥協することなく、適応することである。ジンメル
決心する前に、完全に見通しをつけようとする者は、決心することはできない。アミエル
他人のために尽くすことによって、自己の力を量ることができる。イプセン
取らんと欲する者はまず与えよ。老子
学生をして自重の風を養わしめるためには、これを紳士として待遇しなければならない。アーノルド
礼儀は人を神聖にする。カント
一事をよく為す者は多くをよく為す。トマス・ア・ケムピス
余り考え過ごす者は何事をも成し得ない。シラー
まず汝自身を落ち着かせよ。そうしたら他人の間にあっても落ち着くことができよう。トマス・ア・ケムピス
とてもかくても、つとめだにすればできるものと心得べし。本居宣長
神は自ら助くる者を助く。フランクリン
心は盤石の如くおし鎮め、気分は朝日の如く勇ましくせよ。黒住宗忠
始まりはすべて小さい キケロ
意志あれば道は通じる。ハドソン
死を決するの何の難きことやある。ただ死すれば足る。難きは死地にありて生を決するにある。河村瑞軒
正しく思考されたものであるかぎり、それは必ず明瞭な表現をとる。ボワロー
鶏鳴に起きざれば日暮に悔あり。楠木正成
ときとして勇気は、征服者の心さえ動かす。ヴェルギリウス
道徳的勇気が正しいと感ずれば、なしえないという個人的決意はない。ハント
一つの冷静な判断は千のやかましい会議に勝っている。なすべきことは光を与えることであって熱を与えることではない。T・W・ウィルソン
人間の一生について、また彼の運命全体について決定するのはただ瞬間のみ。ゲーテ
過ぎ行く時をとらえよ。時々刻々を善用せよ。人生は短き夏にして、人生は花なり、彼は死す。ああ、何ぞ死するの早きかな。S・ジョンソン
機会が二度君のドアをノックすると考えるな。ジャンフォール
大人物と小人物の差異は、一度意を決すれば死ぬまでやりとげるという覚悟があるかないかにある。シェリング
賢くなることを明日に延ばすな。明日の太陽は汝の頭の上に輝かないかも知れない。コングリーズ
最も堅固な決心は最も有用な知識である。ナポレオン
心強くして進め。汝のすべて往く処には汝の神も偕に在せば、懼るるなかれ戦慄くなかれ。旧約聖書
用事を弁ぜんとせば自ら行け。リチャード
およそ世に障害のない仕事はない。障害が大きければ大きいほど、その仕事も大きい。マクドナルド
力は一切のものを征服する。しかしその勝利は短命である。リンカーン
各人は天より与えられて、各自自身の思想の主人公たる権利を有す。スピノザ
思案しないで我々を働かせよ。これこそ人生を堪えるものにさせる唯一の方法である。ヴォルテール
偉人の達した高峯は一躍地上から達したのではなく、同伴者が夜眠っている間も、一歩一歩とよじ登ったのである。ブラウニング
他人を支配せんと欲する者は、まず自らの主人であらねばならぬ。マシンジャー
一つも馬鹿な事をしないで生きている人間は、彼が自分で考えているほど賢明ではない。ラ・ロシュフコー
敵に勝ったからとて勇者ということはできない。おのれに勝った時初めて真の勇者といえる。T・ブラウン
井戸を掘るなら水の湧くまで掘れ。石川理紀之助
一日延ばしは時の盗人である。上田敏
神は行動せざる者をけっして助けず。ソフォクレス
汝ら善き行いをもってその身の飾りとせよ。キリスト
初めに計画せよ。然る後に実行せよ。モルトケ
確信をもつこと、いや確信をもっているかのように行動せよ。ゴッホ
功の成るは成る日に成るにあらず。蘇老泉
心ある人は時間の損失を最も悲しむ。ダンテ
人の持つ尺度は、その異常な努力によってではなく、その日常的な行為によって測定されるべきものである。パスカル
真面目とは実行するということだ。夏目漱石
汝もし真に熱心ならば、後と言わず今ただちにこの瞬間においてなすべきことを始むべし。ゲーテ
一日作さざれば一日食わず。百丈禅師
ことばと行動は、神の力のまったく異なったモードである。ことばも行動であり、行動もことばの一種である。エマーソン
われわれがいくつかの危険に気づいているというので、動かずにじっとしていることを自己に課するならとんでもないことである。トリアッテ
人間の行動は思考の最上の通訳者だ、と私はつねに考えた。ロック
してしまえば片付くのだったら、早くやってしまったほうがいい。シェークスピア
一日善いことをしなかったら、生きている価値はない。ロバーツ
行いは必ず人に先んじ、言は必ず人に後る。大載記
君の心の庭に忍耐を植えよ。その根は苦くともその実は甘い。オースティン
この秋は雨か風かは知らねどもきょうのつとめの田草取るなり。二宮尊徳
幸運と愛とは勇者とともにあり。オヴィディウス
勇気こそ、君よ、これこそ男をも女をもいと美しく見せしむれ。テニスン
大人は虎変す。中国のことわざ
現在われわれは悪い時期を通過している。事態はよくなるまでに、おそらく現在より悪くなるだろう。しかしわれわれが忍耐し、我慢しさえすればやがてよくなることを、わたしはまったく疑わない。チャーチル
公正をもって生活すれば、ゆくとして安全ならざるところなし。エピクテトス
希望が逃げていっても、勇気を逃してはいけない!希望はしばしばわれらをあざむくが、勇気は力の息吹である。ブーテルヴェク
いやしくも悔恨しないことを欲するならば、人は何事もしないほうがよい。しかしながらまた、何事もしないところの人生も、ひとしくまた悔恨なのである。萩原朔太郎
己に克つの苦功を用ひずして、怒りを遷さず、過を再びせざるは、柔惰振わざるの士にあらずんば、かならず奸を掩ひ非を飾る者なり。大塩平八郎
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。織田信長。
昨日憎しと思ふこと心に染み、昨年の嬉しと思ふこと心につきて、はなれねば、それより根ざして、まよふとか、聞けり。松平定信
気随に成り行き候はゞ、一日一月と延び、一月は一年と遅々に及び、一生空しく打ち過ぐべし。土井利勝
道に堀があるからといって、渡るのを嫌って、そこに止まってしまったのでは、その人はいつまでたっても、進歩することは難しい。大きな溝の中に落ちたからといって、いたずらに悶えるばかりであったならば、その人は一生溝の中で終わらねばならない。藤原銀次郎
困難とは作業衣を着た好機会にすぎない。H・カイザー
諸君が困難に会い、どうしてよいか全くわからないときは、いつでも机に向かって何か書きつけるがよい。小泉八雲
今日はよく働いたと夕方になって考えることほど、私にとって大きな楽しみはなかった。大倉喜八郎
身には疾あり、胸には愁いあり、悪因縁は逐えども去らず、未来に楽しき到達点の認められるゝなく、目前に痛き刺激物あり、慾あれど銭なく、望みあれど縁遠し、よし突貫して此逆境を出んと決心したり。幸田露伴
境遇とか!われ境遇を作らん。ナポレオン
金を失うことは、小さく失うことである。名誉を失うことは大きく失うことである。しかし勇気を失うことはすべてを失うことである。チャーチル
男子、死中に活を求むべし。坐して窮すべけんや。范曄
理想はわれわれ自身のなかにある。同時に、理想の達成をはばむもろもろの障害もまた、われわれ自身のなかにある。カーライル
人もし忍辱の鎧を着て戦うときは、一人の力をもって八万四千の魔軍を挫くべし。釈迦
人は幸運の時には偉大に見えるかも知れないが、真に向上するのは不運の時である。シラー
禍福は天上より出ずるにあらず、地中より出ずるにあらず、おのれ自ら之を生ずるなり。説苑
キホ積まずば、以て千里に至るなし。荀子
僕の病気は治らない。僕は社会の中で十分に生きていくことができない。だったら、この世界なんて、そっくり消えてしまえばいいと思う。僕の生きてきた人生がその根拠だ。恵まれた人間、強い人間、狡猾な人間だけが弱者の犠牲によって栄えるこの世界など、消えてしまえばいいと心の底から思う。
梅田望夫のポジティブエントリーなんて失笑するしかない。僕はこうしてこの一人きりの部屋からひっそりとキーボードを打つ以外の、何の能力も可能性も持ち合わせていないんだ。あいつらみんな、はやく死んでしまえよ。人間なんて皆、いや、不安や苦悩を恐れる全ての生命は、この世から消滅してしまうべきだ。僕の前途には苦しみながら死を待つだけの時間しか待っていない。
いったい、これは何なんだ。何の罰ゲームなんだ。僕は罰を受けるためにこの世に生まれてきたのか。僕に何が起ころうと、季節は移り変わり、波は果てしなく海岸を打ち、強者は弱者を踏みつけ続ける。この世の中には、それしかないじゃないか。これ以上、何か語る必要があるとは思えない。これを残酷と形容しようが、美しいと形容しようが、そんなものは強者の虚栄でしかない。弱者には終わりのない痛みが待っているだけなんだ。
旧約聖書のヨブ記では、サタンに全てを奪われたヨブがこう嘆いている「なぜ、わたしは母の胎にいるうちに死んでしまわなかったのか。せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。なぜ、膝があって私を抱き、乳房があって乳を飲ませたのか。それさえなければ、今は黙して伏し、憩いを得て眠りについていただろうに。」僕の問いは、すでにヨブがはっきりと示していたのかもしれない。ともかくここには何の解決もない。何の言い訳も、感傷も、虚栄心も、同情を誘う算段もない。ほんの微かな自己憐憫くらいならあるかもしれない。でも、そんなささやかな感情の淀みなど一瞬にして姿を消し、後には何も残らないだろう。