はてなキーワード: 内部障害とは
混雑レベルは、席が全部埋まっており立ってる人がちらほらいる程度の車内。
ある駅で乗ってきた家族連れと思しき3人連れ。
夫は、ラグビーやってました風のタテにもヨコにもデカイ大男(30代)、ウエストポーチ装着で手ぶら。
妻は、背の小さい母親(30代)。
乳飲み子を前抱きの抱っこ紐(?)で抱えている上、両手は重そうなボストンバッグと菓子折りの袋でふさがっていた。
乳飲み子はママの抱っこ紐の中で眠っている。
この一家が乗り込んできた時、ちょうど降りる人がいて席が空いたので
当然このママ(と抱っこされている乳飲み子)が席に座るものと、多分見ていた誰もが思った。
両手に荷物+乳飲み子を抱えた母親は、短い両足を踏ん張って、電車が終点に着くまでの間20分ほど立っていた…
乳飲み子抱えて荷物いっぱい持った母親を、電車で突っ立たせている…
せめて手ぶらの大男は「その荷物持つよ」と申し出ることくらいしてもよさそうなものだが、それもなかった。
なにも俺は、「妊婦・子連れ女性はいつなんどきでも最恵国待遇で優遇されるべき!!!ベキベキッ!!!」的な
いらぬ煙の立ちそうな主義主張の持ち主ではないんだが、
それでも、「乳飲み子抱えて両手に荷物の女を立たせて、ガチムチ体格の手ぶら男が座る」という発想は、俺の常識にはなかった。
座らせてやりゃいいじゃん。せめて、荷物持ってやりゃいいじゃん・・・。
他の誰かが席を譲りゃあよかったって話かもしれないが、
どう見ても健康そうな身内すら席を譲らないのに、他人が申し出るのも妙なもんだろう。
なんだか、いろんな意味でモヤモヤしてしまい、あの男が座っていた正当な理由 を、あれこれ考えている。
・健康そうに見えた大男は実は深刻な内部障害を抱えており、病み上がりであった?
それなら座るのは仕方ない。だが、せめて座ってる間、荷物は持てよ。
・一見家族に見えたが、実はただの顔見知りで、席を譲ってやるほどの義理もなかった?
家に帰ったらあの棚をあっちに動かして模様替えを…みたいな話をしていたので、身内であることは確かだ。
だいたい、もしただの顔見知りだとすればなおさら席を譲るのがマナーだよね?
・抱っこ紐で子供を抱えていると、立ったり座ったりするのがかえって重労働(あるいは子供が起きてしまう?)なのであえて座らなかった?
・妻のほうが旦那に惚れ込んで頼みに頼んで結婚してもらった格差夫婦?
席にふんぞり返って平気でくつろいでいた男を見るかぎり、これが一番ありそう・・・しかし、認めたくない真相である。
内部障害者で東大卒だが、弱者の自殺を社会は望んでいると強く感じる。
自分の障害は先天性心臓病(内部障害)なので、見た目には全く分からない。見た目で障害が分かるかどうかが、社会に歓迎されるかどうかの分岐点だ。
人は予想より出来れば歓迎し、予想より出来なければ憎悪する。
障害が見た目で分かれば、人は健常者より出来ないと予想して歓迎する。
見た目で分からない障害は全く逆。勝手に健常者であることを前提に期待され、そして、跡から障害者であることを言うと、失望される。
自分は障害を持って生まれてきたから、頭が良くなければ社会に抹殺されると思って東大に入った。言っちゃ悪いが、東大に入れる障害者は少ない。自分と同じ疾患で入ったのは、おそらく自分の他にこの10年で1人いるかどうかだろう。この疾患を持つ者の中では、学歴はトップレベルのはずだ。
そのトップレベルの自分でさえ、障害を他人に伝えれば失望される。自分の障害は先天性だ。生まれつきだ。つまり、日本社会は東大を出ようが何だろうが、私と同じ疾患を持つ者には生まれてきてほしくないのだ。存在して欲しくないのだ。日本社会は、自ら手を下して我々を殺すのも面倒くさいから、ただ自殺して欲しいのだ。手がないとか足がないとか、目が見えないとか耳が聞こえないとか、そういう分かりやすく、健常者を事故満足させるような障害者以外、障害者は要らないのだ。それが社会の本音だ。
私の疾患は生後すぐに手術しなければ数歳で死ぬ。私はこの社会に望まれて生まれてきたのだと信じてみたこともあったが、実態は違ったというのが結論だ。珍しい症例だから大学病院でモルモット的に直されただけだ。私に限らず、手術しなければ死ぬことが確実な疾患を持って生まれた者は、どうせ育った所でこの国ではマトモな職に付けないのだから、赤ん坊の段階で処分しても良いのではないだろうか。その方が、日本社会と本人の双方のためになり、win-winだ。なにしろ、そういう状況に生まれた私自身がそう感じるのだから、実体験一票だ。よく検討して欲しい。