はてなキーワード: ドクターストップとは
いままで色んな趣味に手をだしてきたが、ドクターストップか人間関係の不和で破綻している。
スポーツ系のドクターストップならとにかくとして、およそ怪我のしようがないインドアな趣味でさえドクターストップがかかるまで熱中する危ない人だ。
飲まず食わずではないにしろ、一旦没頭しはじめると水分とカロリー補給の時間以外は止まらない。
当然、家事は手につかなくなる。
家族から文句は出るが、
母の趣味友は
「あなたが頑張ってる姿をみて、みんな勇気付けられるんだから」
そんな母の友人たちも母の激しすぎる性格を嫌って、遅かれ早かれ去っていくわけだが。
今度きたブームは海外旅行だ。
苦行のようなスケジュールで出かけては疲れ果てて帰ってくることを繰り返していた。
車の運転が出来なくなって帰れなくなったりもした。
車の運転が出来ないってのは、故障とか、眠気とかじゃなくて、俺には理解できないんだけど頭の中が沸騰しすぎて運転出来なくなるらしい。
そして、今度は海外旅行の熱が高まってきている。
ヨーロッパをさらっと巡る旅をした。
得意気に添乗員に説明された文化遺産にまつわるエピソードなんかを家族にしたものの、たまたま母以外にとっては常識だった。
なんか悔しくなったらしい。
久々に帰省したら、教科書の最初の数章の余白にはびっしりとメモ書きがされ、付箋が挟まれ。ページは擦り切れかかるほどだった。
エジプト文明、インダス文明ときたら、メソポタミア文明のイラクは渡航できないだろうし次は中国あたりかな?っと思ったが甘かった。
せめて英語が通じる国とか、せめて先進国とかいう発想はないらしい。
もちろん、どの旅行も友達も家族も連れ立たず、一人でツアー参加だ。
「夫の稼ぎで暮らしてる専業主婦なんだからもう少し大人しくしとけ」
っと誰かいうべきなんだろう。
あるいは言ったのかもしれない。
しかし、言ってどうなるというのだ。
言って聞くような、理性的な人間じゃないことは誰よりも知ってる。
そして、母がいない家は母がいるときよりもずっと平和なのである。
欧米人ってさ、たまに極端な人がいるじゃん。
毎食ずっとビッグマックしか食わないアメリカ人とか、ヒョウに憧れて裸で暮らすフランス人とか。
そして、少なからず自分と弟にもその病的な凝り性の血は流れてる。
「バーベルを上げ下げするときに叫ばないで下さい」
と注意されたことがある。
反動をつけずにゆっくりとストレッチをしていただけなのに、肉離れするまで伸ばしてしまったことがある。
弟は考え事があると左右を確認せずに道路を渡る。
気付いてないだけで自分もそうなのかもしれない。
なんか怖い。
最初の発病のときは、急に会社に(というか家の外に)出られなくなって、
なんとか復帰して、違う職種でがんばりつつも薬で状態をコントロールできるようになり、
最終的には転勤だの職種転換だのにも対応できるくらいには回復できていた。
「わからない」が認められない。でもわからないものはわからない。
必死の思いで仕事して、なんとか進捗遅れながらも成果は出していた。
異動のあとしばらくしてから、日中に居眠りするようになってしまった。
同時に、今まで睡眠薬で不眠に対応できていたのにダメになった。
寝付きが悪く眠りが浅いけれど、それは数年間ずっとなので、根本原因ではない。
今の睡眠薬はかなり強い処方で、これで眠れないと次は麻酔しかない程度には
そのうち、気がついたら土日のうち半日が完全休息になり、それが1日、1日半と増えた。
平日も、帰ってごはんとお風呂済ませたら撃沈、朝までうとうと(熟睡はできない)。
病院でも職種転換を持ち出されるようになり、それでもがんばっていたが、
とうとうドクターストップがかかった。
もう休息や気力でカバーできる状態を超えていると。
半ば説得される形で診断書を持ち帰った。
火曜日に上司に診断書を提出し、異動の検討を約束してもらったが、
「君はうつには見えないんだよね」
「上にうつと報告すると、君の将来にも影響するし」
必死で頑張ってるからそう見えないんだよ!
本当にダメになるときは突然なんだ!前だってそうだったんだ!
将来より今のほうが大事!
たぶん上司の評価が下がるからだよね。職場からメンヘル出すと。(ため息)
でも、前々からキツイ辛いって伝えてはいたし、超意外ではないと思うんだ。
ヒョードルが負けた。2000年に高阪に負けて以来、じつに10年ぶりの黒星だそうだ。その高阪戦だってファーストコンタクトで不運にも目の上を切ったヒョードルにドクターストップがかかったもので、負けたヒョードルはピンピンしていたし、高阪は済まなそうにリング上で頭を下げていた(このときの高阪の態度はじつに立派だった)。
昨日、ヒョードルは三角締めを取られたそうだ。柔道出身なのにストライカーとしても異能者だったヒョードルは、今までだって何度も三角に取られる展開を経験していたはずだ。相手を倒して前からマウントを取りに行けば、まず下の選手は三角を狙う。それを100%の確率で潰しきってきたヒョードルが、わずか1分かそこらで三角を取られたというのだから、やはり、ヒョードルのなかに変化というか、退化が訪れていたと考えるべきなのだろう。
ぼくはヒョードルと同い年だ。33歳という年齢は、若者というにはトウが立ちすぎているし、かといって立派な大人というには精神的にも銀行口座的にも決して豊かな蓄えがない、そんな感じの世代だ。いわゆる氷河期、76世代といわれるぼくたちの年代でもっとも有名なのはたぶん中田英寿だろう。ぼくは中田がペルージャでのデビュー戦でユーベ相手に衝撃的な2発を叩き込んだことをよく覚えているし、彼が旅人に転じたのを微妙な気分で眺めたりもした。
この10年、中田もぼくも、その程度の差はものすごいのは当然なのだが、いずれも挫折や苦悩を経験し、己の限界を知り、別の道を模索したりしてきたわけだ。ぼくはといえば、ようやく、なんとなく、今後の生きる道のようなものが見え始めてきている。
10年前、大きな挫折を経験したぼくは、その後3年くらいを無為に過ごした。心を殺して死んだ目でアルバイトに勤しみながら、いつ死のうか、とそんなことばかり考えていた。駅のプラットホームで思わず座り込んでしまったこともあったし、アルコール中毒寸前までいったこともあった。6畳風呂なしのアパートは荒れに荒れ、押入れのなかはネズミの死骸と糞でとんでもない悪臭を放った。
何度か訪れた再起のチャンスも、手を伸ばせばするりと抜け落ちていった。がんばって稼いだ金をかすめ取られたりもした。何もうまくいかなかった。そのたびに血が出るほど唇を噛んで、なぜだ、なぜだ、何が悪いんだ、そう自問自答を繰り返したが、巡ってきたチャンスが大きければ大きいほど、ぼくは深く傷つくだけだった。そんな日々のなかで、いつしかぼくは自分に期待することをやめた。人は希望さえ捨ててしまえば、二度と絶望に泣くことはないのだ。ぼくはそうして、生きることを選んだ。
20代の後半になったころ、ぼくは過去のいろいろなものを捨てて、新しい仕事に就いた。その会社のトップを仮想敵に見立てて、そいつらを打ち負かすことだけを考えて働いた。働けば働くほどそいつらは打ち負かされるどころか潤うわけだが、そいつらが「君が必要になった」という顔をする瞬間にだけ快感を求めて、その顔をひとしきり眺めては会社を変えた。今の会社のそいつはたいへんな強敵で、とうてい打ち負かすことなんてできそうもなく、ならばそいつに助けてもらおうと考えを変えた。考えを変えたら、時計の針がゆっくりと回り始めた。気が付けば、10年前にぼくを深く傷つけた場所が、違う立場で目の前に広がっている。
その10年、ヒョードルは勝ち続けてきたのだ。スポットライトの中で、勝者であり続けてきたのだ。そう考えたら、くらくらした。コンマ数秒、気を抜けば打ち負かされていたかもしれない。殺されていたかもしれない。そういう緊張感のなかで、ヒョードルは勝ち続けてきたのだ。
10年前、ぼくは特別な人になりたいと願っていた。その願いに目がくらみ、いつのまにか普通の人ですらなくなってしまっていた。それから普通の人を目指して、いまようやく、普通の人になれたという実感がある。
その10年を特別な人として過ごしたヒョードルは、今回の敗北で普通の「強い選手」のひとりになった。契約の関係で、少なくとももう1試合はリングに上がることが決まっているそうだ。これからもヒョードルは、勝ったり負けたりするのだろう。
本当に面白いのは、これからだぜ?
僭越ながら、そう言ってやりたい気分だ。
結婚できなければ誰しも不幸なのか。
独身女性が楽だなんてこれっぽっちも思わないであろう。
働くにんげんの辛さは誰もが知っている筈だから。
主婦がそれに劣るというとこも決してない。
家族を思いやる心のなんと温かく有り難いことか。
職種・労務の内容は異なれど、そこに貴賎はない。
大切な人の、幸せを願い、気持ちを注ぎ続けることで得られる
心の豊かさが幸福を育むのだ。
しあわせは、自分の心が決めることだから。
一生心を添い遂げられるパートナーと出会えることは幸運であろう。
しかし、それが配偶者である必要が、果たしてあるのか。
今持てる家族、友人を大切にすることから始まるのではないだろうか。
それらを踏まえた上で。
夫より早く家を出、先に却って夕飯の支度をし、の繰り返しの日々。
せめて5時間は寝たい、と思いながら、夫の手取りの半分ほどの給料を稼いでいた。
室長は無能だった。責任を逃れるために全ての職務を女性のリーダーに委ねていた。
リーダーは奔走し、室長は虚ろな目で右往左往するばかりで役に立たなかった。
その様子を尻目に、我々一般社員は死にものぐるいで働いていた。
室長は定時を過ぎても居残っていたが、1日の仕事はメールを1通書くだけであった。
ある日室長の給与を知ることになったが、それは一般社員の3倍ほどの額であった。
いつしか、私は心も体も疲弊しきって、ドクターストップのもと退職した。
そこで待っていたのは、安楽な時間。
こんなに楽をしていいのかと思った。
私が働かなくても、夫の給与だけで十分食べていける、貯金も出来る。
職種の違いはあれど、男女でこれほど収入に差が出るものかと改めて思い知った。
実際室長は糞の役にも立たないのにあれほどの大金を手にしていたではないか!
私は、理系4大卒の新卒採用正社員で、入社5年目で手取りが20万に満たなかった。
研究職なので残業代は出ない。往復5時間かかる出張にも手当は出ない。
私に限ったことではなく、社内の女性社員は大体横並びの収入であった。
一緒に働いていた仲間に、申し訳なくて顔向けが出来ない。
もしも心身が元通りになったならば、また働きたいと思ってるのではあるが。
以前よりもましな会社が果たしてあるのか。
【はじめに】アスペルガーの判断を受けていない。コミュニケーション能力が異常に低い。
Q.1 ハンドルネームをどうぞ
教えたくない
Q.2 年齢(○十代)、性別、 誕生月を教えて下さい。
教えたくない
とてもおとなしく、手のかからない子。
Q.5 無口な方? よくしゃべる方?
時と場合によるが、どちらかというと無口。
Q.6 涙もろいほう?あまり泣けないタイプ?
涙もろい。
できるときとできないときがある。
Q.9 学校の頃の、得意な教科、苦手な教科は?
Q.10 子どもの頃理解できなくて困ったルールや、大人になってから知ってびっくりした世の中のルールは?
沢山ある。。。
(子どものとき)あいさつの意味がわからない、天気の話が苦手、そもそも自分が理解できないルールは率先してやぶる(でもなぜか、あまり怒られなかった)。
(大人になって)天気の話が苦手、ルールの意味が少しずつわかってきた、会社は働くところではなく他人とコミュニケーションをとるところということを教えてもらって驚いた。
多くの人は「白黒はっきりさせる」ことが苦手だということを知った。
他にも、驚くこと、わからないことが多すぎる。
Q.11 どんな分野の仕事をしていますか? アスペの人に向いている仕事(職種)って、何だと思う?
現在、ドクターストップで就業できない。向いている職種は、研究する仕事かな。
母と妹
Q.13 最初にアスペルガーかもしれないと気付いたのは、どんなきっかけ?何歳頃?その時の気持ちは?
最近。社会復帰するにはどうしたらよいのか考えて、ネットで情報収集したのがきっかけ。ほっとした。
Q.14 ASの診断は下りましたか?その時の気持ちは?(下りていない人は、もし下りたらどう感じると思いますか?)
おりていない。ASでもADHDでも高機能でもどっちでもいい。そもそも現在の世論が、自閉症スペクトラムの中の細かな定義にこだわることよりも、うつ病・統合失調症その他の精神疾患も含め、いろいろな「個性」をもっている人がいるということを認識しよう、ということになっている。
Q.15 WAIS-R検査を受けましたか?IQ値や言語性と動作性の有意差は、どうでしたか?
これから受ける。
Q.16 併発・二次障害がありますか? その対処は?(処方箋・カウンセリングなど)
二次障害として、うつ病。精神科に通院。わずかな量の抗精神薬と睡眠薬を投薬。カウンセリングはこれから。人間不信なので今までカウンセリングを受ける気がなかった。
Q.17 精神科へ通院している人のみに質問です。二次障害の診断名は何ですか?
上記のとおり
Q.18 自閉症スペクトラム指数(AQ)での自己診断の点数は?
これからやってみます
Q.19 タイプでいうと、積極奇異型、孤立型、受動型、どれっぽい?
たぶん、積極奇異。人見知りがなく、他人と接触をもちたがるため。
Q.20 どんな「こだわり」がありますか? 「勝ちたいこだわり」ってある?
なにがこだわりかわからない。こだわりの「可能性」としては、「目についたよけいなもの(レシート、ダイレクトメール、スパムメールetc。有形であるか無形であるかにかかわらず。)」をとにかく捨てる。要するに「捨て魔」。
「勝ち負け」にはこだわらない。なぜ「勝ち負け」にこだわる人がいるのかわからない。
わからない
(常同運動)とにかくそわそわしている。何かを待つのがとても苦手だから。あと、感情・感覚に何か刺激があると、四肢が動く癖がある(TPOである程度抑えられる)。
Q.23 記憶力はいい? 赤ちゃんの頃のこと今でも覚えてますか?どんなこと?
3歳ごろの記憶がある。虐待(主にネグレクト)の記憶がある。記憶力は、悪いほうだと思う。
Q.24 関節はユルい?固い?
たぶん固い
Q.25 コタツに入って、足が見えなくなると、感覚がなくなる?
そんなときもある
Q.26 やけに暑がりだったり、やけに寒がりだったりしませんか?
暑さに弱い。しかし、暑さ・寒さに対する反応はにぶい(薄着をしていて周囲から「寒くないのか?」と聞かれることがある)。
Q.27 感覚過敏はありますか?(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)
視覚過敏(20代の頃、パソコンの入力作業をしていて「画面がまぶしくて頭が痛くなるので、仕事を変えてください」と上司に言ったことがある。
味覚過敏(ミョウバン漬けの雲丹(うに)が食べられない。生の雲丹は好き。牛乳は低温殺菌を好む。マクドナルドのハンバーガー類はどうしても完食できずに残して捨ててしまう。しかし、幼児期は異常に薬物が好きで、風邪薬などはすすんで投薬を受けた。小児用バファリンの味が好きだった。今は嫌いではないが好きでもない。)
触覚過敏(化学繊維の下着類は、成人してから着けられるようになった)
Q.28 好きな食べ物、苦手な食べ物は?(コーヒー、チョコ、ナッツ等は?)
Q.29 苦手な音は?
若い女性の対談。
子どもの頃は、風船の割れる音、飛行機のジェット音、関節をぽきぽき鳴らす音etcが嫌いだった。
苦手ではない
Q.31 苦手な服は?(タートルネック、ピタッとした下着は?)
タートルネック、ピタッとした下着は苦手。
わからない
Q.33 反対に、鈍感すぎて困ったことはない?
聴覚は鈍感。
Q.34 恐怖症はありますか?何恐怖症?
”恐怖症”がどういうものかわからない。
「先端恐怖症」とかですか?
うーん、ないかも。
Q.35 右と左は混乱しませんか?
ごくたまに混乱する。
Q.36 人の顔を覚えられない?
覚えにくい。間違えやすい。芸能人の顔も覚えにくい。
Q.37 どんな人が苦手? 苦手な男性のタイプ、女性のタイプは?
Q.38 じゃがいもとさつまいも、豚肉と鶏肉、芸能人のあの人とこの人など、長い間区別がつかなかったものはありますか?
芸能人は今でも区別がつかない。
Q.39 声が大きすぎたり小さすぎたりして困ったことはありますか?
知らないうちに、声が大きくなりすぎたり小さくなりすぎたりする。自分では普通だと思っている。
Q.40 パニックになるのはどんな時? その時、どう対応する?
時間の感覚がずれたとき。とりあえず、とまって冷静に考えてみる。
Q.41 「予定変更パニック」って、ある?
さほどない。
Q.42 フラッシュバックはありますか? つらい?
いろいろある。つらいってほどでもない。普通だと思う。
Q.45 四角四面の物事を額面通りに考えるタイプ?
たぶん、はい。
Q.46 ファンタジーは好き?
大好き。ドラクエなどのゲーム。ファイナルファンタジーは勝手に話が進みすぎて苦手。
Q.47 あなた独自の計算方法がある?
ないと思う。計算苦手なくせに、レジでの精算は、お釣が少なくなるよう工夫できる。
Q.48 量の感覚がつかみにくい?たとえば?
時間の感覚はつかみづらい。料理をするとき、材料が多くなりがち。
Q.49 時間は、守れるほう?遅れるほう?
基本的に守れる。待ち合わせに極端に早くなったり遅くなったりすることもある。普通だと思う。
Q.50 正義感が強いほう?
Q.51 割り込みをする人や「ゴミのポイ捨て」を見たら、どうする?
むかつく。場合によっては注意する。
Q.52 定型発達者と「これは違う!」という異文化(あなたの考えや趣 味)について教えて下さい。
会話が通じなくてすいません。。
あと、どれが異文化かわからない。
Q.53 あなたの趣味は?
多趣味。料理、インターネット、読書、ゲーム、マンガ絵を見る描く、クラブ・レイブに行く、ドライブ、テクノ(サイケ?ハードミニマル?)、クラブジャズ、シューティングゲーム(秋葉原のHEYにあるようなもの、弾幕STG好きだが、下手。横STGは見るのは好きだが、下手すぎるので自分ではぜったいやらない。)、旅行、アート的なもの全般、資格試験勉強(体調不良のため現在はやっていない)、etc・・・今思いつくのはこれだけ。
ない。
(・・・ひょっとして他人の趣味のこと?いろいろあるけど答えたくない)
Q.55 あなたのコレクションはなんですか?
ない。捨て魔なので。あ、クラブのフライヤーが少し残っている。
幼少期は切手やら、マンガ雑誌の切り抜きやら、いろいろ持っていた。
Q.56 「これだけは誰にも負けない」というマニアックな知識を一発。
絶対負けるので秘密。
Q.57 「オタク」? 何の?
「オタク」には「一般人」といわれる。が、すでに述べた趣味と重なる。
Q.58 どんな本が好きですか? お勧めのAS関係の書籍は?
永山則夫「無知の涙」、みうらじゅん「正しい保健体育」(大爆笑★)、
Q.59 どんな音楽が好きですか?
Q.61 見ていて飽きないものは?
水と火etc
Q.62 地図、辞書、電話帳、色見本帳、時刻表。どれが一番ハマる?
地図。色見本帳も好き。
Q.63 オススメの観光スポットやレジャー施設は?(できれば理由も)
北海道。南国生まれなので。
Q.64 アスペの人にとって、住みやすい都道府県はどこだと思う?
東京都(ルールが重視される、他人との距離感がほどよい(良い意味で他人に無関心)。
田舎はコミュニケーションを求められるので苦手。地理的に不便なこともイライラする。
Q.65 アスペの人にとって、住みやすいと思う国はどこだと思う?
外国がよくわからない。
Q.66 どんな家や部屋に住みたいですか?
なるべく何もない部屋。
Q.67 できれば在宅で仕事をしたい?
Q.68 カバンの中身を教えてください。常に持ち歩いている必需品って、ある?(消臭スプレー、サングラス、耳栓・携帯音楽プレーヤー、タイマー、等は?)
服用している薬の説明書(いつ何時、何があるか分からないので)、精神障害者手帳、大きいサイズの付箋、ペン、自宅周りの地図(方向音痴のため)。
Q.69 服装について、人から何か言われたことは?
派手。極端に地味。年齢不相応な若い人向けの服を好む。
Q.70 お風呂には週に何回?
Q.71 色や音付きの夢を見る?
見ない
Q.72 なかなかやめられない「儀式」って、ある?
儀式が何か分からないが・・・ないと思う。
Q.73 実年齢より若く見られる?
はい。
高校生までは、大人びていた。
Q.74 対人コミュニケーションで、工夫していることは何ですか?
あいさつをすること
Q.75 定型発達者と関わる時はどうなる?
ごく普通の人を装う。
Q.76 リアルでAS当事者と遭遇したことはある? その時どうする?
ある。どんな知識を持っているのかいろいろ教えてもらう。
ある。実際はO型。
Q.78 あなたのリラックス法は?
踊ること
Q.79 最近失敗したことは、何ですか?
コンロの火を消し忘れた。
すべてが楽しい
人と会話が合わないとき
比較的男性脳
Q.84 恋愛についてどう思う?
すばらしい
Q.85 どちらかというと、異性に興味がなかった?
小さい頃から普通にある。
Q.86 異性と話せるようになったのはいつ頃?
Q.87 女っぽい女性や男らしい男性が好み?中性的な人が好み?
男らしい男性
Q.88 20代以上の方、思春期はどうでした?
遅かった(なかったかもしれない)。
Q.89 さみしくなるのはどんな時?
Q.90 親に言われて辛かった言葉は?
(両親から)お前はひろわれた子どもだ
(母から)私に似たらもっと美人になれたのに
(母から)あなたは3歳のころ、自閉症なんじゃないかって保母さんに言われたのよ。でも、絶対に違う!こんなにいい子だもの。私の自慢の子どもだもの(自分の話ばかりなのがむかつく)。
(母から)うつ病なんて・・・あなたはそんな病気にかかる子じゃない。あんなに立派にしているじゃない。私の自慢の子どもよ(投稿者に関心がないことがむかつく)
(10歳くらいのころトイレットペーパーの芯をとるといういたずらをして、母から)いたずらできるようになって・・・よかった。でも、そんなことしちゃだめよ。
Q.92 理解者は周囲に居ますか? 悩みは、誰に聞いてもらってる?
Q.93 今の悩みは?
普通の人と会話ができるようになりたい
頑張れ
Q.95 アスペルガーな人に一言。
頑張れ
Q.96 定型発達の人に一言。
頑張れ
Q.97 あなたの言いたいことを一言。
とくになし
Q.98 お疲れ様でした。全問やるのに何分かかりましたか?
2時間くらい?
Q.99 順番どおりに答えましたか?
はい
Q.100 今の気分は?
おもしろかった
※ソース※
当時は学生であったが、私は過労死寸前だったそうだ。どういうわけか奇蹟的に生き延びたというだけのことらしい。周囲の方々は、私の能力を無駄にしまいと研究を続けさせたのだろう、ということらしい。本来ならば、ドクターストップがかかって当然の状態であった。しかし、たまたまそのときの私のお医者さんは楽観的な方だったので、研究を続けることになった。幸か不幸か、分からんね。
別のお医者さんに言わせれば、奇跡的に生き延びたそうだよ。よくもまあ、そんな状態で研究を続けていたねえ、私なら止めるよ、と言われた。尋常ではないほどの抗うつ薬を飲んでいたそうだ。よく生きていられるねえ、というくらい。
まあ、自分の身は自分で守らんといかんね。私が今、生きているということは、必然ではない。それは確かだ。
工業系大学を出て就職したソフトウェアの会社でプログラマーやってた。学生時代から付き合っていた彼女と2年前に9月に結婚もした。
それが、去年の3月に鬱手前でぶっ倒れてドクターストップ。3ヶ月休職してやすんだんだが、そのままドロップアウト。7月から無職になった。
嫁は働いてるし、病気で仕事ができなくなったから退職してからも傷病手当もそこそこ出てさ。ボーナス+退職金も貰ってたから、当面の生活の目処もついた。もちろん、何ヶ月もニートでやっていけるわけもないから、すぐにでも復職はしようと思ってたんだけど。でも、体調が良くならないと無理だと思ってたから、まぁ1・2ヶ月は就職先を探しながらのんびりしようかと思ってた。
ただ、地元を離れて知り合いは嫁しかいねぇ土地で、日中は一人で生活するってのはツラかった。
朝起きると10時→時代劇の再放送→いいとも→ごきげんよ→昼ドラ→草野仁→時代劇の再放送→刑事ドラマの再放送→テレ東アニメ
基本はこれ。ちなみにネットは並行試聴。時期によっては甲子園。地区予選から全部見た。こんな生活してたらさすがに気が狂う。でも、科捜研の女は見逃せないとか言ってるオレがいるわけよ。そりゃあさぁ。図書館にでも行けばとも思うんだけどね。図書館の前に辞めた会社があってさ。近づくだけで鬱だし。
そんなこんなことしてたら10月になってさ。ふと面接を受けた某工場の事務の仕事にありつけちゃって無事転職。プログラマやってた前職より全然給料良いのね。なんだよ、ガンダムをうまく乗りこなせるより、ジムを適度に操縦できる方が生活安定するのかよってさ。いや、そんなことはどうでもいいんだ。今回は環境に恵まれたんだってことはわかってる。
さて、ここまでが前置き。実は、この復職するまでの3ヶ月間。一番の支えになった人。それが、隣の部屋に住んでる人妻。旦那さんは長距離トラックの運転手で、あんまり家にいないらしい。
ある日、食材を買出しから帰ってきたときに、なんとなく世間話をするきっかけがあった。仕事してた時は、何度か家の前で挨拶してた程度だったんだけどさ。さすがに、今まで日中は誰もいなかった部屋から、突然毎日人の気配がし始めたことに気づいたみたいで、「なにかあったんですか?」みたいな話をして。そしたら、どうやら同じ歳みたいでさ。すんげぇ意気投合。なんかねぇ。水を得たオレ。精神的に弱ってるときには、人の温かさが一番の薬だわ。
それからは、毎日がメイショウドトウのように過ぎていった。
気づいたら、隣の部屋に上がりこんで一緒に昼飯食ってるオレ。
気づいたら、隣の部屋に上がりこんで一緒に科捜研見てるオレ。
気づいたら、隣の部屋に上がりこんで一緒に酒飲んでるオレ。
気づいたら、隣の部屋に上がりこんでノコノコでカートに乗ってるオレ。
気づいたら、隣の部屋に上がりこんで人妻に乗ってるオレ。
就職してから約半年。新しい職場でうまくいってる。ここまでこれたのも、その人のおかげだと思う。
どーすんの?ちょっと・・・どーすんのオレ!?
[5年連れ添ったセックスレスの妻]
[半年前に出来た心の支え]