はてなキーワード: テクニカルとは
情報送信でスパイウェア警告、ドングル導入検討、2chで訴訟をほのめかす
体験版の30分制限
どうしてこうなった・・・
正式版のダウンロードを購入者のみに制限、体験版での登録ができなくなる
不正使用対策のため、シリアルキーが新しく変更される(要再登録)
新しいシリアルキーに、ダウンロード時に登録したメアドが含まれるようになる
Ver.9の購入者がVer.8を使えないことに苦情が寄せられる
エディタの起動時に情報を送信していることが確認される(スパイウェア疑惑)
キージェネとクラック情報の存在が確認され、緊急バージョンアップが行われる
「ドングル導入を検討していた」という噂が流れる(作者本人は否定)
ベクターで新規購入するとユーザー情報が「ベクターのお客様」になることが判明
不正使用対策で自己改変チェックが行われるようになり、起動がもっさりになる
法人限定でシリアルの内容がメアドから会社名に変更可能になる(要申請)
苦情を受けて、新規ユーザーにもVer.8のシリアルを発行開始(要申請)
自分のスパイウェア疑惑を棚に上げ、クラックやキージェネの危険性を警告
Ver.9.07で自己改変チェック機能が外される
ライセンスとセキュリティポリシーの問題で公式サイトがまた荒れる
後付けの規約変更連発で事態の収拾を図ろうとする
作者の意に沿わない発言をする者に対し、公式フォーラムからの退会を勧告
作者から一方的に議論打ち切り宣言が出される(掲示板の一部がロックされる)
作者が2ちゃんねるに降臨。「テンプレを削除しないと訴えるぞ」と恫喝
公式サイトとトリップが一致し、本人の書き込みであることが確認される
しかし、まったく効果がなく、わずか1日で2ちゃんねるから撤退
Ver.9(の続き)
Ver.9.09で登録情報の送信回数が減らされ、同時にキージェネ対策が行われる
返金を申し入れたユーザーのメールがスパムフォルダに振り分けられていたことが発覚
公式サイトのリニューアルで、ロックされていた掲示板が削除される
Norton Anti VirusがVer.9.11をスパイウェアの可能性があると警告
公式で報告された不具合をユーザーの環境のせいにして済まそうとする
このスレの指摘で上記の問題がソフト本体のバグであったことが確認される
確認ダイアログの表示前に、通信をしている可能性が指摘される(9.14で修正?)
Ver.10で再度シリアルキーが変更される
体験版の使用制限が強化され、30分ごとにソフトが強制終了するようになる
体験版の制限が30分ごとの強制終了から30分ごとの警告ポップアップに変更
「印刷時のフォント計算バグは次のメジャーアップデートまで直しません」発言
Ver.11 有料アップグレード(予定)
かわいい女から初めて「生でしよ」といわれて断れる男はいない。
女に知識が無かったり、ピルをちゃんと飲んでなかったり、それまで付き合った男が糞で、
「生でも妊娠した事がないから大丈夫」とかいう女だったら終わり。
不妊症の定義は単に期間で決まるが、産婦人科が触れない原因にセックスの稚拙さがある。
医学的にはしらんが、グレイズアナトミー(笑)とかLの世界(笑)でやってたので本当だろう。
お前らがセックス本を読んで、実際に実践してフィードバックを得てカイゼンするような奴ならなおさら危ない。
「今までこんな男はいなかった」と完全に勘違いされ、舞い上がる。
セックスがさらに良くなる(ESO の世界)ー>もーどうでもいいー>妊娠。
いやそりゃお前、今までイケメンとばっかり付き合ってたからそういう努力はされなかっただろうよ。
ピルができて、テクニカルには女が妊娠の権利をコントロールできるようになった。
でも人間は変わらない。そしてバカな女ほど愛おしい。
某地方都市で、
俗に言うデスマーチな職場でSEモドキのようなバイトをする日々が続いて1年ほど経っただろうか
もともとは異なる業種で、
社長の思いつきにより 日本語とローマ字の切り替えもできないような若干名で立ちあがったプロジェクトだった
さて、ノースキルな人間が どうでもいいような人を面接で通してしまったために事態がおかしな方向へ向き始めた。
断っておくが、もっとも社員と言っても、厚生年金など出ないような 弱小中の弱小だ。
僕は若干週末に顔をだす程度で、平日の深夜にコーディングを行う。
”彼”は phpのハッシュあたりで躓いているようで、もちろんDB関連もままにならなず 正直使い物にならない。
(そうたった1言語くらいズブの素人じゃないんだから、3ヶ月でなんとかしてくれ!)
彼は僕のことを毎回毎回。天才と呼んでくれて 非常にイライラする日々が続いた。
そうこうしているうちに、新人が入ってきては辞め、新人が入ってきては辞め、を繰り返していった。
彼を雇った一番の年長も、辞めていった。
”彼”は。
■ 周りが分からないことを良いことに、転職先に出す作品を就業中に作る
■ 彼は、”僕”は普通だ、を切り札に、何もしない
・ 他社の動向調べてよ 無理です
■ 僕は辞めます > そうですか
■ 僕は辞めますよ!? それでもいいんですか > そうですか
(メッセンジャーで。個人的に)
あのさ、君、
君みたいなスキルは中学生でもいるんだし、僕より年上なんだからもっとしっかりしてくれ
もう僕は君を助けられないよ。
■ 本当にあなたはひどい人だ、僕は普通だから、罵倒される覚えもありません!
・・・。
どうぞお好きに、路頭にでも好きに迷ってくれ。
教訓。
つぶれかかってる会社に技術を安売りして変な延命措置はしてはならない。
それはそうある運命なんだ。あなたが安売りをやめたとたん淘汰されることに変わりはない。
僕も大きな勘違いをしていたが
簡単に技術伝達できれば苦労はないよね。
ずっとピンだったから本当に気がつかなかった。
ずっとピンで技術を磨いているそこのあなたに警告しておくけれど
うぬぼれは最大の敵であると同時に、自惚れないといけないところでキチンと自惚れないと(あなたには無理、見果てぬ夢を見てはならぬ、と伝えること)
一緒にコールタールに沈んで行くよ。
あんたがどういう職についてるかは知らないが、非モテ・非コミュとリア充の関係は、特性的に営業職と技術職の関係に近い。
で、返し方についてだが、そもそもの視点が大きく違う。
つまり、相手の言葉に対して正しい返答をすることこそ重要で、視点が自分中心。
会話が続かない、という話をよく聞くが、回答という名の返答で会話を打ち切り、相手が次の言葉を続けられないのだから当然。
上での技術職という置き換えをすると、そうすることが求められる立場にいるため間違ってはいないが、自分の知識で対応できる人間、自分の知識を理解できる人間しか相手にできない。
一方、リア充は話を転がすことを前提に答えを返そうとする。
つまり、相手から次の言葉を引き出すことこそ重要で、視点が相手中心。
必ずしも正しいことを言う必要性は感じておらず、応答という名の返答で会話を次々に繋げる。
上での営業職と言う置き換えをすると、出来る限り顧客との接触時間を延ばし、言葉を引き出すために自分の知識の及ばない話にも対応することが求められるので、色んな人間の相手ができる。
これからおれがやることは、増田の仁義から外れることだ。
でも、おれはやっちゃうのだよね。だって増田なんだから。嫌ならみるな。
本題に入ろう。
最近、おセンチ派のはてブの人気を集めている「体験談」作者の増田がいる。
決して自身では名乗らないが、どうも同一人物らしい。
A:生まれて初めて父の死因を知った。
http://anond.hatelabo.jp/20100719153148
http://anond.hatelabo.jp/20100718044500
http://anond.hatelabo.jp/20100721024511
三点リーダ:AとCでは「…」Bでは「・・・」
技法:AとCでは特に結びが酷似(フレーズを繰り返してなんだかJPOP)。Bも若干その気がある。全体的に見てみると三者ともフリレーズやってる。
言葉遣い:Aでは「動きまわってた」「思ってた」などの「い」抜き言葉が目立つ。Cでも文章前半では「思ってた」が使用されていたが、後半部ではなぜか修正されている。
一文の長さ:いずれもAnonymous Diaryの規格にぴったり収まる程度。長くなる場合でも句読点を巧みに使い、改行している。おそらく増田はこれを目算で、無意識にやってのけているものと思われる。プロの犯行と呼ぶにふさわしい。
以上はテクニカルな特徴に過ぎない。
しかし、なにより「似ている」のは三者におけるテーマの共通性ではないだろうか。
どの増田も身近な「死」や「命」を扱っている。
Aは「昔亡くなった父親」
いずれでも重要になってくるのが増田の死者に対する距離感、ポジショニングだ。
Aでは「近くて遠い他人みたいな親」というアンビバレンツな距離に呼応して、オチもめちゃくちゃで不器用な心情の吐露で終わっているし、
Bでは「圧倒的に他人」である他者の命をポジティブながらもしかし、冷静な観察者の目線で捉えている。
Cでは「自分に直結する命」を序盤では現代のワカモノっぽく無感動にとらえつつも、最後には失われた命に対する懺悔と慟哭という弔辞にふさわしいものとなっている。
仮にこれら三つないし二つの増田(ポスト)が同一増田(人物)だとするならば、
単に愉快犯的な「力試し」だとはみなしがたい。
内容とは異なるにしろ、「体験談」には増田個人の苦悩が反映されているのだろう。
ところが事業内容は未定。
「世の中には優秀な若者がいる。
そして、彼らと話し合って事業内容を決める。」
勤続30年を超える彼は自信満々の顔でこう言った。
仕事の知識はあるが語学や資格も無い。海外旅行どころか国内旅行の経験も少ない。
ごく狭い地元と、NHKの激動中国みたいな番組が彼の世界の全てだ。
それが、企業や大学のオープンセミナーに参加しただけで業界を理解したような気になっている。
3DCADが、金型が、テクニカルイラストレーションが、等々、彼の口からは脈絡なく単語が出てくる。
金型について、俺は基本的な質問をした。
彼はしばし固まったのち、
「マイクロソフトの正社員のセミナーに出た」「この教授のセミナーに出た」
と答えた。
だから、どうしたというのか。
彼は他の業種も批判していたが、万事この調子だ。
なぜ既存業者がそうしてるのか、基礎的な知識も実際のヒアリングも無く、自分がより高い位置から物事を見ている旨を滔々と述べるのだ。
彼はセミナーの類が好きだ。
役所の同僚と違ったことをしてるというだけで彼の自尊心は満たされるのだろう。
しかし、あんなもんで企業人レベルの知識が得られるわけがない。現場からすれば鼻で笑われるような内容だろう。
地元企業の社長連中と交流を深めていると言ってるが、ビジネス経験の無い小役人がまともに相手されてると思ってるのだろうか。
具体的なアイディアも無いのに人を集める。彼らと事業を決める。元役人。
集まった人材で出来る範囲のことを事業化する。これ自体はアイディアとしてありうるだろう。
が、楽天の三木谷社長ならともかく、事業経験も無い元役人に、誰が自分の人生を賭けるというのか。
県の補助金が出ると言ってるが、これで出すほど役所も馬鹿ではない。
これで我が家系は途絶えるのだろう。
サッカー日本代表のグループリーグにおける進化を目の当たりにして、棋士の羽生善治の言葉を思い出した。
勝負どころで一番大切なのは自分を信じること。自分を信じられるかどうかが一番難しい。他人のことは100%は知らないので、簡単に神格化できる。日常から自分を信じられると、決断しなければならない場面において不安がなくなる
初戦のカメルーン戦、続くオランダ戦、そして歓喜のデンマーク戦、この3戦における日本代表の進化はまさしくこの言葉通りではないだろうかと思う。
岡田ジャパンが戦前からコンセプトに掲げていた、運動量と組織力によるディフェンス。何戦も行ったテストマッチで全くと言っていいほど結果が出ず、岡田監督が目指すサッカー自体に問題があると、ほぼすべてのサポーターは思っていたはず。
オランダ戦を終えた時点でディフェンスに関する不安は払拭出来ていたからこそ初めてデンマーク戦でオフェンスが機能した。
過去オフェンスが機能しなかったのは、テクニカルな要素以上にディフェンスに自信を持ちきれなかったことが一番の要因だったかのように思える。
さらに言うと、こんな短期間で劇的な進化を体現できたのは、それがW杯という大舞台のゲームだったから、ということ。
タイトルのかかったような重要な一局であえて得意ではない戦法を試すのはなぜかという問いに対し羽生は、
今一番手堅い戦法は次の一局に勝つためにはベストだが、五年後、十年後と長期的に見るとベストかどうかと言われるとそうではない。リスクをとって大舞台でやってみなければ学べない、怖い思いをしてやらなければ吸収できないものはたくさんある。
将棋自体には詳しくないのだが、この言葉を聞いてそれを感覚的に理解できても、ある意味勝ち負け二の次でそんな場面を自分の進化に利用している羽生は恐ろしいほどの境地にいるように思えるが、それほど大舞台では人間は進化できるということ、それを成功させた日本代表に更なる勝利を望む。
サリンジャーは好きだが読んでる奴は大体嫌い
中島敦、梶井基次郎は大好きだが、熱く語るのは恥ずかしいと思っている
ドゥルーズの理論をフォローするのはイヤだが、どうしてもレポートがまとまらない時の最後の手段として良く使う
「ドストエフスキーはラノベ」とか言われると「そうかもな」と思う
イタロ・カルヴィーノやポールオースターといったポスモ作家に憧れるが、同時にイラつく
「巧いとは思うけど、小手先だよな所詮」
東洋哲学をいつかやらなきゃと思いつつ、絶対やらない。
しかし、ストロースについて論じるのはニワカ臭いのでヤコブソンについて話したがる
記号論が具体的にどんな学問なのか説明できない
脱構築って言っとけばなんとかなると思ってる
カルチュラル・スタディーズの全体像がわからない
共産主義については理解しているが、むしろ資本主義をわかってない
しかし、実際の院生を見ると同情を禁じえない
就職活動を始めると、むしろ疎外感を味わう
http://anond.hatelabo.jp/20100305133620
「受け入れがたい現実」があって、「どうあっても変化させたい」から頑張っているだけで、今の現実で満足している人は、その現実を守ればいいと思うんだけど。いったい、何を煽りたいのかわからない。
私が戦ってる現実? くそったれな無線LAN機器がまともに動かないから、プロバイダに頼んで交換してもらったのに、やっぱり、無線の電波をパソコンで拾えなくて、有線でネットに繋いで、こうして増田で愚痴ってるわけで。どうしても無線にしたいから、これから戦うけどさ。昨日のテクニカルサポートの人親切だったけど、今日も親切な人が出てくれるかなあ。電話しよ。
非公式ながら、クライアントから変わった要望があった。
随分とテクニカルな指定だなあと思って、クライアントの中の人と別件で会った時にその件に触れて、その意図を尋ねてみた。
するとオフレコを条件にこんな答えが帰ってきた。
「3、4秒程度」というのは、ニコニコ動画でコメントが表示される時間を意識したものだ。
画面上部や下部に固定された(右から左へ流れない)コメントが表示される時間がおよそそれくらいだ。これより短いと、次のカットに移ったときもコメントが残ったままで見栄えが悪い。
おたくの所に発注したものも、どうせいずれはあそこに転載されるのは目に見えてるのだから、利用者に「利用」も視聴もしやすく、一人でも多く目に触れられるよう工夫しようと考えた。
ああ、そういう事なら、と、俺も個人的な案をいくつか出してみると中の人も結構乗り気になり、後日それらを反映した追加発注をかけてくれた。めでたしめでたし。
492 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/11/02(月) 21:50:41 ID:i3F0bPCb0
http://h.hatena.ne.jp/hokusyu/9258649500411272639
http://b.hatena.ne.jp/entry/h.hatena.ne.jp/hokusyu/9258649500411272639
ただ、あらゆる「水からの伝言」に対して科学の知識の不備といいだしかねない人はいそうですが。
それから、ネットにおける「水からの伝言」の議論が、科学の観点から、
テクニカルな問題として「水からの伝言」は可能かどうか、という議論に偏りすぎていたので
そのような危惧を抱いたということもあります。
それが政治的対立であることが見落とされてしまうと、「水からの伝言」に反対することがたとえば
科学の文脈において正しいのだ、とされている「水からの伝言」反対派のコンセンサスの中で
(それは正しいとも間違ってるともいいませんが)、「水からの伝言」に賛成する立場が、単なるレベ
497 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/11/03(火) 08:44:29 ID:fW9YdK1iO
北守はアレだな。
まず最初に子供じみた正義感があって、そこにテンプレで知識を肉づけしてる。
だから同じ理屈で正反対の思想でも単語を入れ替えたらそのまんま擁護できる。
結局は内実がないというか、童貞が集まって「理想の女の人はどうあるべきか」を語ってるレベル
これじゃあ他人に対して影響力なんか及ぼせるわけがないんだが…
それとも、あなたのいう「東洋的発想」って現代日本って意味なの?
だったらわかるように書いて欲しかったな。ただ私も現代日本人なんで対応に困るけど。
誰が「前近代の日本では植物は生物ではないとされていた」って趣旨のことをいったの?
「山川草木悉有仏性」という言葉を見ればわかるとおり、むしろ「山」とか「川」のような、現代的視点では無生物であるものまで生物扱いされていたと考える方が正しい。
仏性って宗教的にテクニカルな発想だから、単純に「生命」や「意識」とは置き換えられないものと理解しているけど。
それはともかく、植物や無生物がアニミスティックに擬人化されることがあったのは事実だね。
ただそこっから、前近代の日本が「動物を食べるのも植物を食べるのも同じ罪だから云々」な文化だって主張を成り立たせるのは誤りだろう。
「イスラム圏では違うので、東洋全部じゃない」って反論なら言いがかりだけど、「東洋的発想」って主張への反論への列挙の中に加えただけなら言いがかりとはいえない。
むしろジャイナ教の一例を持って、「東洋的発想」とか言う方が無茶でしょ。
一括りにはできないね。一応肉食禁忌の流れは平安時代からあったはずだが、色々な変遷はあっただろうけど。でもそれでさえあなたのいう「東洋的発想」の反証には十分。
「厭う」ってあのな。漁師だってサディストじゃないんだよ。「もっとマシな方法があるからそれを使えば」という建設的な提案なら聞く耳も持つだろうよ。単に「人道的な屠殺」というのが見え見えの口実だから依怙地になってるだけだろうに。
漁師の話がいつの間に出てきたのかちょっとわからない。「人道的な屠殺」っていう実践は偽善で、「罪の意識や感謝の気持ち」って内面の問題こそ大事って主張に対する批判だよ。
別に漁師が苦痛を最小化するよう努力を払ってても別に驚かないし、この際関係ない。自分の主張への批判を何で漁師にそらすかわからないです。
そもそも、日本人が奴らに反発するのは「お前が言うな」という心理が一番強いだろう。人間に対して「人道的な屠殺」という言葉を使った奴らにまさにナチスというのがいるんだが(ガス室は人道的な処刑法だと強弁していた)、「牧場での牛や豚の屠殺は人道的だからいいんだ、それに対しておまえらの屠殺方法はなんだ、野蛮人!」というのは、まるでヒットラーがスターリンや毛沢東やポルポトをえらそうに罵倒してるようなもんではないかね。
「私は感謝の気持ちを持って屠殺してる。それに対しておまえらの内心はどうだ、野蛮人!」ならいいの?
と言うか、そのたとえだと残虐なやり方で虐殺しているスターリンや毛沢東やポルポトにだって「お前が言うな」と返す資格はないと思うんだが。
「他人を見下すため」という理由付け自体が言いがかりなので反論の必要なし。
言いがかりじゃないでしょ。
あなたのいう「感謝の気持ち」や「業を背負う」ことが大事って主張は、「人道的な屠殺」だの動物福祉だのベジタリアンを偽善と見下す以外に何の意味があるのかわからない。
正確には「他人を見下すため」以外に意味を持たないって方が適切かな。
同じような状況で、子供ができてからすれ違いがひどくなり離婚して、再婚してからいろいろわかった者としてアドバイスできれば。
元増田さんは、典型的な男脳で目的志向だから「正しいことをやるべし、だからいいでしょ」と、それがたとえ奥さんの手伝いをすることであっても、考えてしまうんだと思う。それが物理的、現実的に役立つんだからいいじゃん、といった感じ。
でも奥さんの求めているのはそれじゃなくて、日々の細々した自分が普段やっていることをやってもらっても嬉しくはない。僕は再婚した人が言語化の上手な人でずいぶん教えられたけど、望んでいるのは、自分のしていることを認めてもらうことで、そうすれば奥さんは変わると思う。
じゃあどうしたらいいの?というのはあるけど、ものすごくテクニカルなやりかたとしては、まずはアクティブリスニングを学ぶのがいいんじゃないだろうか?もちろん他にもあるように、サブに徹するというのは意外と簡単だし、慣れればその上で主張もできたりする。
参考まで。
僕のときも増田があればよかった。。
元増田の人ですが、定年の年齢を引き上げるというのはよく言われるし、ある程度の効果はあるのだろうけど、
現実的にはそれほど効果的ではないと思うよ。
要は食わせる人と食わせてもらう人の比率が問題なわけだけど、
じゃあ定年間近の老人たちが、労働の生産性を著しくあげるのに貢献できるか?と考えた場合に、私にはそうは思えないよ。
例えば最新の技術を学んでそれを導入しようってなった場合には新しいことを学ぶ必要があって、それは老人には向かない。
それじゃテクニカルな仕事以外で貢献しようって思っても、単純作業こそは効率化の中で縮小すべき部分だし、肉体を使うような仕事は高齢者には難しい。
何が出来るの?っていうと、経験を生かして人に何か伝えるとか、経営者的なポジションだろうけど、そこに人数かける必要がない。
結果としては、給料泥棒が増えることになって、定年引き伸ばしがセーフティーネットの代わりになるだけ、って落ちにしかならないと思う。
日本での「祝賀」報道とは裏腹に、9日に発表された「ノーベル平和賞」受賞のニュースは、アメリカ社会にとって、そしてオバマ大統領にとっても驚きと困惑以外の何物でもありませんでした。慎重に言葉を選んだ9日午前の会見、そして12月の授賞式にノルウェーには行くが、賞金は全額寄付するという「苦渋の落としどころ」その全てがオバマの「窮地」を物語っています。
問題は2つあります。まず医療保険改革でアメリカの保守派と全面対決状態のオバマにとっては、「国際派エリートのきれいごと」を嫌う保守派をこれ以上刺激したくないということがあります。また、アフガンの戦況が思わしくない中、平和賞をもらっておきながら増派というのも国外から非難されますし、逆に平和賞をもらった勢いで宥和策などということでは、やはり国内保守派からは強硬な反対が起きるのです。
オバマの周囲は「先週の五輪が当たりで、今回の平和賞がハズレだったら良かったのに」という声が聞かれます。「北欧から2週続けて変な決定が来た」というわけです。ちなみに、世論は全く分れており、受賞賛成論、賛成だが時期尚早、反対のそれぞれが3分の1ずつという感触です。ただ、関心は高く、10日の早朝にニューヨークの空港ロビーでCNNを見ていた乗客は、このニュースになると真剣にTVに見入っていました。勿論、ニューヨークのとりあえず飛行機を待っている層では、全員が反対ではないわけだと思いますが、要は政治的なプラスマイナスについて非常に微妙な問題として関心が高いのです。
更に私がビックリ仰天したのは、11日の「広島・長崎市長」による五輪招致構想です。平和賞の衝撃どころではありません。これは本当に大変な問題です。提案した側は、オバマ大統領の核軍縮宣言に勇気づけられ、それがノーベル平和賞で世界から承認された流れを受けて、招致に自信あり、などという感覚で言っておられるのでしょう。そこに悪意は何もないと思います。ですが、これは完全に逆効果であり、オバマ大統領の足を引っ張るだけだと思います。11月の訪日へ向けても暗雲が漂ってきました。
恐らく、オバマ夫妻の個人の胸の内としては「ヒロシマ・ナガサキ」へ赴いて、自分がアメリカを代表して謝罪するようなことも、心の準備ができていると思います。そうした大統領がアメリカで在任しているというのは大変なことであり、千載一遇のチャンスとして周到に流れを組み立てなくてはなりません。ですが、まず、このオバマ大統領のヒロシマ・ナガサキ献花ということと五輪というのは、全くの別問題です。五輪というアイディアは逆効果の方が大きいと思うのです。
まず、アメリカには「日本への原爆投下は必要な作戦だった」とする世論がまだ50%弱は残っています。その一部は「本土決戦による米兵の流血、日本人非戦闘員の大量殺戮、日本の本土インフラの完璧な破壊、天皇制の崩壊、共産化」といった最悪の事態を回避したテクニカルに正当な作戦という認識です。また、そんな難しい話に興味はなく、ただ「アメリカが極悪人にされることには何でも反対」という世界中どこにでもいるナショナリズムの感覚で言っている人も多いと思います。下手をすると、「ヒロシマ・ナガサキ五輪」にはアメリカは参加できないかもしれません。そのぐらい、原爆投下の倫理的評価というのは、残念ながら国論を二分する問題なのです。
いずれにしてもアメリカの保守派は、オバマ大統領の核軍縮戦略そのものも敗北主義であり、アメリカを核攻撃の脅威にさらすモノとして反対しているのです。こうした反対論に上手く対応しながら、「献花によって日米同盟がより深化する」「日米の世論が最終的な和解に至る」という演出をしながら、夫妻にヒロシマ・ナガサキ訪問を成功させるというのは、非常に難しい問題なのです。恐らく、日本の知米派、アメリカの知日派の心ある専門家の方々は、コツコツ難問を解くようにしてこの問題に取り組んでいると思います。
1つのカギは、明仁天皇、美智子皇后両陛下にハワイのオアフ島にある真珠湾の「戦艦アリゾナ記念館」で献花をしていただくことです。そこで日米の和解を長い困難の果てに完結させる輪の半分が出来、そしてアメリカ側から「オバマのヒロシマ・ナガサキ献花」という行為が輪の残り半分を完結させる、そうしたストーリーです。これでアメリカの保守派が100%納得するとは思いませんし、日本の保守派は抵抗するでしょう。憲法に禁じられている天皇陛下の政治利用になる、その論議も避けては通れません。
ですが、これなくしてコロコロ変わる日本の総理大臣がどんな言動を行っても、2つの国家が歴史の上に「和解の輪を完結させる」ことにはならないのです。それは憲法にうたう「国民統合の象徴」による行為ではない、単なる行政府の長の「事務仕事」では耐えられない重みがある問題、国外からはそう思われているからです。
残念ながら今年のカナダ・ハワイ公式ご訪問に際しては「アリゾナ」献花は実現せず、両陛下は丘の上の「太平洋平和記念碑」に献花をされただけでした。これは外務官僚、宮内庁官僚の失態ではありません。麻生政権という「弱体政権」では、こうした込み入った問題に関する世論との対話能力がなかったからでした。このままですと、この構想は時代の流れの中で実現せずに終わる恐れもあるように思います。ギブアンドテイクというのは道徳的ではない印象を与えるかもしれませんが、この「相互主義」というのは外交の基本原則です。これなくして、この種の厳粛な問題は進みません。
もう1つの問題は、五輪がヒロシマ・ナガサキで行われた場合は、アメリカは「犯罪者」として参加する位置づけになります。オバマ大統領の核軍縮が進み、国内の反対論が弱まっても尚、自分の国が「唯一何らかの謝罪をする側」に立たされる中での五輪参加ということは、アメリカとしてはまず無理でしょう。仮にアメリカが参加できたとしても、例えばの話ですが、開会式でコッソリ「エノラ・ゲイ」の旗でも振る選手でも出ようものなら、何もかもが台無しになってしまいます。
それに、アメリカ以外の国はその「非核五輪」に参加しながら自分も核廃絶をしようと真剣に思うでしょうか? 例えば中国は「これだけ反核の機運が高いのだから自分も廃絶へ努力」しようなどとは思わないでしょう。むしろ、日米の世論にヒビが入ることのメリットを感じるのではないでしょうか?
私としては、残念ですが、現実論として「ヒロシマ・ナガサキ」五輪は不可能だと思います。不可能なことを進める場合に、それでも運動を進めることに意義があるケースもあると思います。ですが、今回の一件には反対です。それはこうしたアイディアを進めること自体が、オバマ大統領の足を引っ張ることになるからです。それよりも何よりも、膨大な死の記憶を継承している慰霊の地で「運動会」ですか? 私にはどう考えても非現実的だと思うのです。
元増田だけど
有権者向けに簡単なのをひとつ
団体向けに詳しいのをひとつ用意する必要があると思った
日経とかの論評かじり読んだ程度からだけどね
誰にでも理解できるような説明で国家のあり方について主張してほしい
そうすれば有権者は好みというものがでるでしょう
たとえば自民なら経済成長によって給料を○円増やしますと説明してもいいし
民主なら国関連の法人を減らして、そのぶん養育費に○円回しますといってもいいと思う
※我ながらこれでもまだ難しいと思う
視聴者に対してこの政党なら具体的にどうなるかわかりやすく説明したほうがいいと思う
おそらくこれは彼らの勉強不足にゆえんする
具体的な方法論については普通の有権者は語らなくていいし、語れないと思う
本来テクニカルすぎるのでどこが問題点かわからなくて当然だと思う
それにかかわる利権とかは割と難しい話
具体的な方法論というのは圧力団体に任せていいと思う
子だくさんの知事によって分権が進みそうな機運が生まれたしね
有権者の所属する団体の利益はきっちり組織された団体が主張する土壌があると思う
だから細かいのは団体に任せていいと思う
正しい方に入れればいいと思った
あんたらの言うように、もし日本人という存在そのものが抑圧の構造なのだとしたら、そもそもあなたが何を言おうがそれは詭弁でしかないし。
その理屈で言えば、あなたはいかなる切り口を持ってしてもマイノリティの側には立てないよ。
そもそも「差別」というものがどういうことかまったく理解していないのにそれを語ることそのものが「まったくもって迷惑千万」です。
ナチスが何をやったのか、よもや差別を語る人が知らないとは思えませんが、あなたの場合は「まさか」で済まされないほど洒落にならないようなので、以下に書いてあげますよ。
かれらが虐殺して回ったのはユダヤ人というラベルを貼った人だけじゃない。精神障害者、同性愛者、信仰宗教信者、シンティ・ロマ、他にもいるでしょうが目ぼしいところでざっとこんなですよ。
これでも何が言いたいかわからないでしょうから、教えてあげますけど、「差別主義者」が「差別」の対象にするのは「あらゆるマイノリティ」であり、「差別」というのは、「浄化主義」みたいなもんなんですよ。
在日外国人への差別と同性愛者を始めとした性的マイノリティと障害を抱える様々な人々と、それらの差別の構造はまったく同じです。
いずれも「マジョリティ」が「マイノリティ」を抑圧しているだけ。
だからこそ、仮に「在日外国人」への差別だけに絞って、一定の成果を得たと仮定しても、その差別主義者の浄化思想そのものが容認され得る限り、次に標的になるのは単に「別のマイノリティ」に過ぎない。
あなたはそれを容易に切断して物を語るが、それは「それ以外のマイノリティに対する迫害の容認・教唆」にしかならない。
それとも、日本人のマイノリティがいくら差別され迫害されようが、それは「日本人」の問題だから関係ないんですか?
だからこそ俺は「マジョリティ」こそが「マイノリティ差別」の「解消」を引き受けるべきだし、対話すべきは「マジョリティの中のマイノリティ」である「排外差別主義者」ではなく、あらゆる点で無責任かつ無自覚な「その他大勢のマジョリティの中の傍観者」であるべきだ、と指摘した。
一つのマイノリティを「守る」(それが本当に守っているのであれば、ですが)ことが、「他のマイノリティ」への差別を誘発するようなことは容認され得ないし、されるべきではない。
だからこそ、差別、という点において、在日韓国人だけを切り出したりすることはしない。それは「民族問題としての政治闘争」ではあるかもしれないが「社会における差別の解消」にはならないからだ。
被差別者は程度の差はあれ、等しく被差別構造の中に納められているんだよ。
勝手に「あなたと同じ」マジョリティなんかにしないで欲しいもんだ。
この点について、自身がマイノリティであることをこの場で宣言する、という行為そのものが自分として最適な選択肢かどうかは未だに悩んでいる。
それは自身がマイノリティであることをもってして、この主張が特権化し兼ねない、という懸念が今も少なからず存在するからだ。
マジョリティとマイノリティを反転して特権化することで、マイノリティによるマジョリティの差別、などというアホらしい主張すらされ得る可能性もある。
そのリスクを犯してあえて宣言したのは「あなたがいかに差別という構造を理解していないか」「差別というものの露呈のしかた隠蔽のされかたを理解していないか」の論理を補強するためにやっただけ。本来話が通じる相手であれば、こんな話を持ち出す必要もなかったんですけどね。
二つ目。
あのデモの場で「反日上等」と騒いだかどうかを問題にしてるんじゃない。
「あなたが反日上等」という用語を「在日外国人用語のスローガン」として掲げること自体が、「差別主義者」が「在日外国人」を「反日だ」と排撃する口実になっている、という反転構造に無自覚な時点で、「片棒を担いでる」って言ってるの。
挑発に乗ったのが失敗?それなら「反日」という強烈な、それこそ「挑発」としてのラベリングに乗ったあなたは何なの?無関係なの?
逮捕されたのが問題?それなら「あなたみたいに逮捕されるリスクがなければ」何を言おうが関係ないの?
テクニカルな問題?そうであれば、まさにあなたが「反日」という「挑発と抑圧の構造」に対して乗っかっているそのことそのものがテクニカルな問題なんだよ。それは上で指摘した通りだ。
3つ目。
具体的に言うならば、彼が「反日」という言葉が現場に、当事者に及ぼす悪影響のリスクを懸念していたのは文面からも読み取れたはずだ。(読んでないのかな?)
それに対して「外国人の権利を擁護するなら反日じゃなきゃいけない」(まさにここであなたが主張していることですよ)といって、まるでそのリスクも差別の構造も理解もせず、自身が正義であるかのように「反日」を振りかざしている、「反日大好き運動」そのものについての件だよ。
彼はそのリスクを軽減するために、「あんたが大好き」な「反日」の言葉そのものについて慎重だった。
それでも「論を詰めて、それでもその言葉が選択されるなら、「反日」という言葉も受け入れる」可能性があることを表明するのと平行して、「今使われている「反日上等」という応答そのものが「言葉が軽い」として必ずしも容認しなかった」という件だよ。
彼を追放した、という表現が嫌なら、「よってたかって彼をリスクに巻き込むことしかしなかった」ことによって「彼は現場のために撤退した」んだよ。
「反日」大好き組は「一人ひとり個々に」表明しているつもりなのかもしれないけど、部外者から見ればあれは「議論を装った集団リンチ」にしか見えなかったんだけどね。
だからブクマでもいしけり氏を擁護した。あの議論は議論じゃなくて、そこに「自分達の意見に従わない、意見を容認しないものは排除する」という差別構造そのものが見えたからだ。
差別を拒否するのに右も左も関係ない。一人の人間として、そういう行動を取った。
俺が擁護の点を(あの状況じゃとても線など作る余裕はなかったしね)張ることで、彼には迷惑がかかるかもしれない旨を連絡もした。それに対して拒否の回答は無かったよ。
俺は左派の皆さんが勝手に内部分裂しようが山の中でくたばろうが、そんなことは知ったこっちゃない。
ただ、「差別を温存する」ことを「無自覚」に行っている「行為そのもの」に対しては対抗する。
自覚的にやっていれば、まだ対処のしようがある。カウンターデモもできるだろう。
でも「無自覚」にやらかしていることに対しては「それが差別を容認している」ことを指摘しておかないと、空気を読む別の第三者が誤解する可能性だってある。
それをこそ一番恐れているんだよ。
ま、「マジョリティ」で「マイノリティの味方」を気取った「中身」がなく「論理」もないあなたには、そんなことそれこそ「想像」もできないでしょうけどね。
あなたが想像できるのは、差別主義者と同じ「日本人」「外国人」(もっと言うなら朝鮮人、ですか?)という「目に見える」ラベリングぐらいなんですから。
いや、俺の言ってるケースでいうと、ある種のポルノについては、テクニカルな法律論として正しくても表現の自由を主張すべきではないことがあるんじゃないか、という問題提起だから、これは運用法ではなく、運用することへの批判だな。運用法的には正しいと認めてるんだから。
一般に、「表現の自由はそんなことのために使うものではない」式の物言いをする人がいいたいのは、法律の額面上表現の自由がそこで成立しない、ということではなく、法律上たとえ正しくても、エロコンテンツのためなんぞに使うんじゃない、ということだろ。濫用の禁止、なんてのはそのための口実として実によく使われる。主に権力側(必然的に右派)が使うけど、はてサも時々使ってるよな。そして君も今使っている。
そのたとえでいうと、スイッチを押すこと(権利を訴えること)自体は絶対にけなされてはいけないんだよ。押してみて、そういう権利は通らないみたいだねえ、ということはあっていいけど。