あんたらの言うように、もし日本人という存在そのものが抑圧の構造なのだとしたら、そもそもあなたが何を言おうがそれは詭弁でしかないし。
その理屈で言えば、あなたはいかなる切り口を持ってしてもマイノリティの側には立てないよ。
そもそも「差別」というものがどういうことかまったく理解していないのにそれを語ることそのものが「まったくもって迷惑千万」です。
ナチスが何をやったのか、よもや差別を語る人が知らないとは思えませんが、あなたの場合は「まさか」で済まされないほど洒落にならないようなので、以下に書いてあげますよ。
かれらが虐殺して回ったのはユダヤ人というラベルを貼った人だけじゃない。精神障害者、同性愛者、信仰宗教信者、シンティ・ロマ、他にもいるでしょうが目ぼしいところでざっとこんなですよ。
これでも何が言いたいかわからないでしょうから、教えてあげますけど、「差別主義者」が「差別」の対象にするのは「あらゆるマイノリティ」であり、「差別」というのは、「浄化主義」みたいなもんなんですよ。
在日外国人への差別と同性愛者を始めとした性的マイノリティと障害を抱える様々な人々と、それらの差別の構造はまったく同じです。
いずれも「マジョリティ」が「マイノリティ」を抑圧しているだけ。
だからこそ、仮に「在日外国人」への差別だけに絞って、一定の成果を得たと仮定しても、その差別主義者の浄化思想そのものが容認され得る限り、次に標的になるのは単に「別のマイノリティ」に過ぎない。
あなたはそれを容易に切断して物を語るが、それは「それ以外のマイノリティに対する迫害の容認・教唆」にしかならない。
それとも、日本人のマイノリティがいくら差別され迫害されようが、それは「日本人」の問題だから関係ないんですか?
だからこそ俺は「マジョリティ」こそが「マイノリティ差別」の「解消」を引き受けるべきだし、対話すべきは「マジョリティの中のマイノリティ」である「排外差別主義者」ではなく、あらゆる点で無責任かつ無自覚な「その他大勢のマジョリティの中の傍観者」であるべきだ、と指摘した。
一つのマイノリティを「守る」(それが本当に守っているのであれば、ですが)ことが、「他のマイノリティ」への差別を誘発するようなことは容認され得ないし、されるべきではない。
だからこそ、差別、という点において、在日韓国人だけを切り出したりすることはしない。それは「民族問題としての政治闘争」ではあるかもしれないが「社会における差別の解消」にはならないからだ。
被差別者は程度の差はあれ、等しく被差別構造の中に納められているんだよ。
勝手に「あなたと同じ」マジョリティなんかにしないで欲しいもんだ。
この点について、自身がマイノリティであることをこの場で宣言する、という行為そのものが自分として最適な選択肢かどうかは未だに悩んでいる。
それは自身がマイノリティであることをもってして、この主張が特権化し兼ねない、という懸念が今も少なからず存在するからだ。
マジョリティとマイノリティを反転して特権化することで、マイノリティによるマジョリティの差別、などというアホらしい主張すらされ得る可能性もある。
そのリスクを犯してあえて宣言したのは「あなたがいかに差別という構造を理解していないか」「差別というものの露呈のしかた隠蔽のされかたを理解していないか」の論理を補強するためにやっただけ。本来話が通じる相手であれば、こんな話を持ち出す必要もなかったんですけどね。
二つ目。
あのデモの場で「反日上等」と騒いだかどうかを問題にしてるんじゃない。
「あなたが反日上等」という用語を「在日外国人用語のスローガン」として掲げること自体が、「差別主義者」が「在日外国人」を「反日だ」と排撃する口実になっている、という反転構造に無自覚な時点で、「片棒を担いでる」って言ってるの。
挑発に乗ったのが失敗?それなら「反日」という強烈な、それこそ「挑発」としてのラベリングに乗ったあなたは何なの?無関係なの?
逮捕されたのが問題?それなら「あなたみたいに逮捕されるリスクがなければ」何を言おうが関係ないの?
テクニカルな問題?そうであれば、まさにあなたが「反日」という「挑発と抑圧の構造」に対して乗っかっているそのことそのものがテクニカルな問題なんだよ。それは上で指摘した通りだ。
3つ目。
具体的に言うならば、彼が「反日」という言葉が現場に、当事者に及ぼす悪影響のリスクを懸念していたのは文面からも読み取れたはずだ。(読んでないのかな?)
それに対して「外国人の権利を擁護するなら反日じゃなきゃいけない」(まさにここであなたが主張していることですよ)といって、まるでそのリスクも差別の構造も理解もせず、自身が正義であるかのように「反日」を振りかざしている、「反日大好き運動」そのものについての件だよ。
彼はそのリスクを軽減するために、「あんたが大好き」な「反日」の言葉そのものについて慎重だった。
それでも「論を詰めて、それでもその言葉が選択されるなら、「反日」という言葉も受け入れる」可能性があることを表明するのと平行して、「今使われている「反日上等」という応答そのものが「言葉が軽い」として必ずしも容認しなかった」という件だよ。
彼を追放した、という表現が嫌なら、「よってたかって彼をリスクに巻き込むことしかしなかった」ことによって「彼は現場のために撤退した」んだよ。
「反日」大好き組は「一人ひとり個々に」表明しているつもりなのかもしれないけど、部外者から見ればあれは「議論を装った集団リンチ」にしか見えなかったんだけどね。
だからブクマでもいしけり氏を擁護した。あの議論は議論じゃなくて、そこに「自分達の意見に従わない、意見を容認しないものは排除する」という差別構造そのものが見えたからだ。
差別を拒否するのに右も左も関係ない。一人の人間として、そういう行動を取った。
俺が擁護の点を(あの状況じゃとても線など作る余裕はなかったしね)張ることで、彼には迷惑がかかるかもしれない旨を連絡もした。それに対して拒否の回答は無かったよ。
俺は左派の皆さんが勝手に内部分裂しようが山の中でくたばろうが、そんなことは知ったこっちゃない。
ただ、「差別を温存する」ことを「無自覚」に行っている「行為そのもの」に対しては対抗する。
自覚的にやっていれば、まだ対処のしようがある。カウンターデモもできるだろう。
でも「無自覚」にやらかしていることに対しては「それが差別を容認している」ことを指摘しておかないと、空気を読む別の第三者が誤解する可能性だってある。
それをこそ一番恐れているんだよ。
ま、「マジョリティ」で「マイノリティの味方」を気取った「中身」がなく「論理」もないあなたには、そんなことそれこそ「想像」もできないでしょうけどね。
あなたが想像できるのは、差別主義者と同じ「日本人」「外国人」(もっと言うなら朝鮮人、ですか?)という「目に見える」ラベリングぐらいなんですから。