私は、日本には女性差別があると思うし、夫婦別姓は認められるべきだと思うし、あらゆる性犯罪はこの世からなくなればいいと思うし、ある程度自由な格好で働けるほうがいいと思うし、過度に性的な広告は見る人が限定されるコンテンツのみに使われるのが正しいと思うけれど、フェミニストは苦手だ。
厳密に言うと、ネット上(特にTwitter上)にいるフェミニストが苦手だ。
考えには賛成なのだ。
現に私だって、女だからという理由で来客用のお茶を用意されられるのだとか、営業の女性はヒールを履くべきという暗黙のルールだとか、駅でぶつかってくるおじさんだとか、有名人のセクハラ報道だとかには心底うんざりしている。
だから、最初にフェミニズムを知ったときは自分のモヤモヤした気持ちを言語化してくれるものだと思ったし(これは今でも思っている)、フェミニストとして活動している人々から色々吸収したいと思った。
でも、いざフェミニストとして発信しているアカウントのTwitterを訪れてみると、そこはフェミニストとアンチフェミニストとミサンドリストとミソジニストが跳梁跋扈する地獄だった。
最初こそ、「皆、女性差別と戦ってるんだ!」と思ってたけど、だんだんフェミアカウントの発言の方にもモヤモヤするようになってしまった。
アンチと無益な舌戦を繰り広げ、たまにある正当な反論に対しトーンポリシングだとリプライし、同じ内容の発言でも女性が言えば称賛し男性が言えば批判する。そしてほぼ全員が安倍政権を叩いている。
そして「#検察庁法改正案に抗議します」をみんなが呟いていたのを見て、全フェミアカウントのフォローを解除した。
検察庁法改正案に賛成している訳ではない。安倍政権を手放しで支持している訳でもない。
ただ、フェミニズムとは直接関係がない政策に全員が全員反対しているのが気持ち悪く感じてしまったのだ。
検察庁法改正案については、反対派が多かったが、問題ない法案だと言う声も一定数あった。でも、私がフォローしていたフェミアカウントは全員反対していた。50人近くが、だ。
小中学生のころ、クラスの少し目立つ子の意見にクラスの全女子が乗っかっていたのを思い出した。あの頃は私も浮くのが嫌だと思って乗っかっていた。
今考えると、Twitterで情報を得ようとしていたのが間違いだったのだと思う。本当にフェミニズムを学ぼうと思ったら、書籍等から入るべきだったのだ。
今、いくつかフェミニズム関連の本を読んでいるが、自分の考え方が整理されるのを実感している。
しかし、考えが整理されたところで、発信しようとするとまた同じ道を辿りそうな気がするのだ。発信なんかしないほうがいいのだろうか。
フェミニストっていう括りを作って、属性で固めて同じ性質だと判断することが難しいのでは。考え方の方向性が同じだったとしても、程度はグラデーションで人によって全然違うだろ...
俺も鉄道は好きだけど鉄オタは嫌いだからわかるよ