アスペルガーの彼氏というブログを読んで昔のことを思い出した。
ところが、働き始めて少し経つと言葉にしくいような違和感を覚えるようになった。
単純に言語化しにくいということと、自分が嫌な奴のように感じてしまうので言語化するのを避ける、という意味だ。
ただ、同性の先輩はそのブレーキが掛かり難かった。
このままだとマズイなと感じ、
時には他人とのコミュニーケーションでのそれを話すようにした。
そうすることで彼女も同じような経験を話してくれるかもと思ったからだ。
そして、彼女は話してくれた。
勤務先の受付に同僚が飾った花を『え~、これ趣味悪くないですか?』と本人の目の前で言ったこと。
その際に隣にいた同僚から『そういうことを言うべきじゃない』と怒られたこと。
会議中に上司が話した販促策を自分の顔の前で手をたたきながら『それは、立派な策ですね~』と笑ったこと。
ご主人が寝ているベッドの隣で男性の友人と楽しく会話をし、
その他、聞いている私もかなり心臓に来るエピソードが延々と続いた。
そして彼女は私にこう言った。
『みんな、ひどくないですか?』
あぁ。
花の時は、それを話した友人が『まあ、確かにあの花より〇〇の方が良かったかもね』と言った。
会議の時は、『友人が後で私に、ああいうことする人だからね』と言ってくれた。
ご主人は何だったか、すまん、忘れた。
特にご主人のエピソードは多すぎて、『物静かな人だったのに、本当はあんな人だったなんて』という言葉に
その言葉が彼女にとって真実になってしまう可能性があると思ったから。
ただ、その可能性があることが分かったので、
当時はAIR H"の時代だったので、今のように情報が氾濫しているほどではなかったが、
それでもある程度の知識を持つことが出来た。
アスペルガーの可能性があるとは他人には言えないので、非常に難しかった。
それを不満に思っていたのではないかと思う。
そして今回のミスが自分ではなく、あなた(私)の責任であると責め始めた。
例えば指示と行動の時系列や、仕事の分担の境界線の誤りだけは指摘しつつ、
今起きている問題が大きなことではないことを話しながら彼女の感情が収まるのを待った。
それが逆に気に入らなかったのだと思う。
そして私は頷いてしまった。
彼女がアスペルガーであったかどうか、本当のところは分からない。
でも、もしそれが本当だとしたら、自分にとっての誤りは
『それでも自分なら正しく対応できる」と過信したことだと思う。
表面上の問題が起きていないことを、うまく出来ていると思い込み、
今でもそれを見ながら考えることがある。