私は腐女子で、普段は好きな作品の2次腐向け小説を書いたりしているオタクなんだけど、ひとつのジャンルに長くいられないタイプで長くても一年とかで移動しちゃうんだよね
友達とかにも「また移動したの?」ってからかわれるのが嫌だった
で、自分が長くいられない理由について深夜テンションで考察してみたんだけど、やっと理由がわかったような気がして面白かったのとすっきりしたのとこれからどうしていいかわかんないのが混ざった感情のまま世界にさらけだすことにしました
まずそもそもとして、私が新しいジャンルのこのカプの小説書きはじめるときは、基本的にこのカプのこんな話よみたい! で書いてたんだけど、小説書くのも好きだし自分が書けば推しカプ作品がひとつ増えるしでうれしくて、自己満足で書いてたんですよ
でもそうやってそのジャンルでオフもオンも同人やってくと、そのうち他人の生み出すそのカプに萌えなくなっていくんだよね
作品として良かった、すばらしかったとは思うんだけど、萌えがあるかって言われたら違うというか……
自分の作品も、この表現好きだとかこのシチュエーションいいなとかは思うけど、読んでて萌えにつながらない 「作品としていいかどうか」にばかり気をとられてしまう
これは結構前からなんとなく気づいてて、理由もわかってた。自分で作品を書くと自分の中の推しカプ解釈が定まってしまうから、で自分の解釈が一番好きだから他人の作品も「解釈が合うかどうか」「この解釈が受け入れられるかどうか」にばかり重きを置いてしまうようになっちゃうんだよね
私が今までハマってきたジャンルはどれも大きなジャンルのメジャーカプで、少ないほうでもカプだけでpixivに小説が2000件以上ある
私の解釈はそのカプでいうとマイナーなものが多くて、つまりカプで一般的とされてる解釈は私に合わなかったから、そんな大海の中から自分好みの作品を探すのは難儀でだんだん自カプ作品を漁らなくなっていくようになる
自カプへの愛はあるし創作意欲だってあるんだけど、自カプ作品で萌えなくなってしまうというか……
なんていうか、作品書いてしまうと自カプに対する感情が萌えから信仰へと変わっちゃって、他人の作品も聖書読ませてもらってる感覚になるわけ だからこの聖書良いとかこの解釈合うとかは思うけど聖書に萌えないっていうか……
そんな感じで、自分が今一番書きたいジャンルと自分が今一番萌えるジャンルが一致しないようになっていくことに気がつきました
それってオタクとしてどうなんだろう? って思う だって萌えるから書くわけじゃん こんな話絶対萌えるな、読みたい、が小説書く動機じゃん
2次創作ってそうあるべきだと思ってて、誰かに読んでもらいたいとか承認欲求満たすために原作を利用するべきじゃないって考えだから、そこは絶対にブレたくない
なのに私が書きたいカプで私は萌えない
そうなると今度は新しいカプで作品書くのもこわくなってくる もしまたこのカプ書き始めて、他人の作品に萌えなくなっちゃったらどうしようって それなら書かないほうがいいんじゃないかって
ふたりがそこにいるだけで幸せになれたのに、ひとたび作品を書いてしまうとふたりの在り方に文句をつけてしまう
嫌なんだよね
私は自カプがめちゃくちゃ好きだし、大きなジャンルで作品もたくさんあるとしてもいつだって増えてほしいし、もっともっと書きたいって欲はあるんだけど、でももう萌えないんだよ
萌える作品を探せていないだけだってずっと自分に言い聞かせてたけど
ハマりたてのあの頃みたいにふたりがいればそれでいいって思えないんだよね
でも2次小説書くのはめちゃくちゃ好きなんだよね
1次創作はできないんだよ、向いてないしやりたいとも思えないから
萌えなくても書いてていいのかなあ
もうなんかわかんないや
最初は萌えてたのになあ どうして萌えることができないんだろう
そのジャンルを好きな気持ちは変わんないっていうかむしろ強くなっていってるのになあ……
まあ元から2次創作は向いてない人間なのはわかってたんですけど……
オタクやめたい
オタク論的には関係ない研究職の人間ですが、めっちゃわかる気がしたので。 自分の一つの研究テーマについて一つの論文で発表した後に、 その結果に応用効かせて論文数稼ぐために...
原稿中に次の新刊やりたくなるみたいな感じなのかな オタクは趣味だけどお仕事なぶん大変ですね……