私が10代の頃に、大人たち─塾の先生、先輩、憧れていた芸能人はそう、笑って言った。
大人になれるんだと思ってたんだけどさぁ、何にも変わらないんだよね。
またまたぁ、と私は返した。実際、ハタチ過ぎれば酒もタバコも解禁されるし、専門や短大出身の人は社会人になるし、大学生も3、4年になればゼミや就活が始まる。それは10代の私からしたらとても大人なことだった。旅行が好きな私は、旅行に行く度に親の承諾書を旅行代理店に出さなくていいのもとても魅力的だなぁと思っていた。
私の知っている「ハタチ過ぎても大人にはなれない」と言う人は大抵笑い話としてその話をした。でも確実に彼らは成人としての自覚を持っていたし、バーだったり、シーシャだったり、ちょっとお高いレストランだったり、私の知らない贅沢の仕方を知っていた。仕事やバイトで稼いだお金を持っていて、自立しているように見えた。
21歳になった今の私はどうだろうか。
大人にはなれていない。
笑い話にも出来ない。むしろ部屋の隅で膝を抱えて泣くくらいには大人ではない。
そのことで親を泣かすし
もうしばらくアルバイトにも行けてない
部屋はいつもぐちゃぐちゃで
ゴミの日を何度も逃すし
朝は目が覚めるのに起き上がることができない
今日は1日何していたのと聞かれても答えられないくらいには記憶がない
とても大人ではない。いやヒトですらないのかもしれない。
私がヒトでない間にも友達は外に出て、遊んで働いて学んで社会に出るための準備をして、着実に大人になるためのステップを踏んでいる。いつしかしんどくなってSNSを見るのもやめた。そうして部屋に引きこもって、たまにどうしても出なきゃいけない時には、マスクをして背を丸めて早足で誰にも会わないように、見られないように街中を歩いた。
こんなの、10代の私が想像していた大人じゃない。部屋の隅で何度も泣いた。幼子のように声を上げて泣きじゃくった。こんなはずじゃない。こんなはずじゃないのに。
でもしばらくすると涙も出なくなる。私一人くらいいなくたって何も変わらないよなぁと、包丁を取り出してみたり、荷造り紐を輪っかにしてみたり、岬までのルート検索をしている自分がいた。
おかしいなと思った。
高校までの私はとても綺麗好きだった。
外出前、寝る前には部屋を綺麗にすることが当たり前だった。
まあ、たまにネガティブになることはあるけど、こんなに死ぬことばかり考え続けたこともなかったんじゃないかな。
コドモの間でも出来ていたことがハタチ過ぎて出来なくなるってどういうことだ。
心臓が飛び出すんじゃないかと思うくらいに緊張しながら、メンタルクリニックに電話して、予約を取って、診察室に入った。
鬱だと診断された。
今は薬を飲んで、劇的に何かが変わる!って訳でもないけど、家から出るのにまだまだとてつもない気力がいるけど、なんとかヒトモドキからヒトに、大人になろうとしている。
10代の私へ
あなたが想像していた大人にはなれていません。タバコだって吸えないし、酒は一杯でしんどいし、お洒落な店とか知らないし、日常生活を営むことだってものすごい疲れる。想像していた、憧れていた大人には程遠いものです。でもいつかは大人になれたらいいなと思います。過度な期待はするな。
おつかれ 抗うつ剤ちゃんと飲んで、規則正しい生活して、彼氏と一発やることだね
子供を産むと初めて大人になれると思う。 他人の人生に責任を負う。その感覚が人を大人にするのだ。