勢いランキング上位のスレッド名だけは毎日確認しているが名前を見るだけで中身は開かない。
スレの中に答えや自分では見つけきれない情報もあるのだろうけどそこまでわざわざ見ていく必要はない、その事に気づいた。
匿名掲示板をやめた事で少しだけ人付き合いの欲が増えたが、それは職場の人間と前よりコミュニケーションしたりして解決している、と言えたら格好いいのだが実際はあまり変化はない。
代わりにツイッターのフォローを50人ほど増やしてバランスを取った。
もっと増やしたい気持ちもあったけど再現がなくなりそうだったのでこれぐらいで十分だ。
可処分時間の2割~5割ほどを今まで使っていたのだから当然と言えば当然だ。
そもそも元から5割も時間を使う気は無かったのに複数のスレでリロードとレスを繰り返すうちに気づけば時間が経っているのだから恐ろしい。
それとなんだか心がささくれ立たなくなった。
今まではネタにするために他人の弱みを見つけようと血眼になっていたり、他人からレスバトルをしかけられるんじゃないかと気が張っていたり、健康的じゃない心の使い方をする時間が多かった。
今は前不健康な事を考えていた時間はゲームをしたりテレビをみたり勉強をしたりと適当に過ごしている。
普通の人間がやるような普通でつまらない時間の使い方だが、多くの人間に指示されるだけあってなるほど無駄な心の疲れがない。
ゲームやテレビを見たときの感想を人と語り合う機会はほとんどないが、そのおかげで自分の感想を素直に持てるようになった。
批判する側と賞賛する側に別れてバトルしていた頃はまず最初にどちらの陣営につくかがあり、そして陣営についてから自分がそこについた理由をいちいち洗い出したりもしていたが、そういう無駄な堅苦しさはなくなった。
私生活で無駄に精神力を浪費してないおかげか仕事も最近はスムーズに行くようになった。
不特定多数が情報交換を刷ることで自分では思いつかなかった切り口からの情報が入ってくることがあるし、誰かがニュースを手に入れたらそれが一気に拡散されるので自分でアンテナを常に強く貼っている必要もない。
だけど使い方がとても難しい。
情報を歪めるために使われる事があったり、取捨選択のタイミングを鈍らせられることも多い。
なにより雑談のために使われだすと、話しのネタを求めて話題がセンセーショナルと下卑た物へと傾いていく。
それに呑み込まれてしまわないように歩むためには最初に自分が何の情報を取りに来たのかを見失わない気持ちが必要だ。
そしてその気持ちは匿名掲示板そのものに入り浸る気持ちとは相反する物なんじゃなかろうか。
もしもそうならば匿名掲示板を本当に使いこなすのには、匿名掲示板の事をよく知っていてかつ入り浸っていないという矛盾すら感じさせるバランスを実現させる必要がる。
それはとても難しく、自分にはそれが出来るほどの技量はなかった。
後悔の気持ちがないわけじゃない。
今でも匿名掲示板に戻れば楽しく下品に話し合いながらネット中に散らばる話の種が自然と集まってくるのを楽しめていただろうから。
だがそれよりも匿名掲示板をやめた事によって手に入った穏やかな気持ちの方が大事だ。