撫で撫で。
わたしには 甘えても良いんだよ。
言いたいこと、書きたいこと、全部吐き出していいんだよ。
いつでも、ここにおいで。
という当たり前のことに改めて気付いた。周りにとっては良い年してアホかってだけだ。だからもちろん誰にも話さない。殴られたアザも見た目は元通り。心に傷が…なんて証明できない。親は子供が飢えなければ社会的な評価はばっちり。カオスな家庭環境でも金に困らなければ素晴らしい親。戦前戦後を生きた世代と高度成長期を生きた世代の価値観がその点で変わっていないことに最近気付いた。
生きてるだけで丸儲けなのかもしれない。ああいう人みたいに何か才能があればまた違っただろう。才能はなくとも努力だけは人一倍していたはずだが、方向がねじれていて何も残っていない。何の希望もない。普通の幸せには価値を感じない。幸せを想像できない。心は反応しない。
社会は厳しい。聞いていた通りだった。予想以上に冷酷だった。子供の頃の家庭環境の匂いを少しでも表に出したら、面倒なやつと思われて捨てられるだろう。意地でも普通の人間のフリをし続けなければならない。
でも、一番辛いのはねじれた人格そのものだ。心は死んでいる。そうとしか表現できない。全て投げ出したいが、それをしたら戻れなくなる確信がある。だから耐えながら模索しなければならない。
最近、食べ物を美味しいと感じることに気付いた。景色をきれいだと感じることに気付いた。アホみたいだがそれが最近気付いたことだ。こんなこと誰にも話せない。引かれる。でも、これが自分の真実だ。あらゆるものに耐えながら、アホくさい模索をし続けるしかない。自分の心を動かすものを見つけ出さなければならない。求められた行動をするだけのロボットのような人格ではなく、温かい血が通った人格を手に入れるために。人として当たり前の土台を手に入れるために。
もしかしたら全部自分が悪いだけなのかもしれない。元々精神的におかしかっただけなのかもしれない。もう理由なんてどうでもいい。生きる価値はそれ以外にない。何でこんな人生なのだろうと思う。でも仕方がない。それが現実。
女性の美しさは単に肉体が若いとかじゃなくて、その表情や立ち振舞いとかにもある。上品な女性は、それほどの美形でなくても美しい。ほがらかな女性も美しい。
でも女性にそういうふうにほがらかに、肯定的に、生き生きしてもらうためには、経済的な不安とかをなくさないとだめだ。うまいものを食い、好きな服を着ている女性は美しい。
いろんな人の話を聞くと、必ずしもそうとは言い切れない闇があるらしい・・・・