ノンバーバルコミュは重要だが統御が難しく、もともと似通った人間どうしがそれなりに仲良くなる程度であればさほど苦労は無いが、
まったく異なる人間どうしが信頼関係を結んだり、利害関係のある他者と交渉したり、恋人ときわめて親しくなったりしようとすると多大な困難がともなう。
なぜなら、これらはマニュアル化されたやり方が通用しないイレギュラーな状況だからであり、そうした状況では無意識のノンバーバルなメッセージを
自覚して臨機応変にコントロールするというとてつもない離れ業が必要になるのである。ドラクエ3にアカイライというモンスターがいたが日本語に訳すと真っ赤なウソである。
しかしよく考えてみてほしいのは、ネットではこうした苦労があまり伴わない。ノンバーバルなメッセージが伝わらないからである。
それはそうだがやっぱりネットだと伝わりづらいと思う人が大半だろう?たしかにネットではリアルとは勝手が違うので最初はとまどうかもしれないが、慣れればどうってことはないんだよな。
では何故多くの人が伝わりづらいと感じるかというと、一つにはノンバーバルコミュに依存しているから。もう一つには、バーバルだけど無意識なメッセージを伝達することで誤解を生んだりよからぬ本音を伝達したりしてしまっているから。
前者は解決がむずかしい。ノンバーバルに頼りすぎてノンバーバル無しにはうまく伝えられない人というのは総じてロジックが苦手である。周知のとおり、ノンバーバルは文化の差異が大きい。
チョムスキーはジェネラルグラマーを提唱したがノンバーバルにはジェネラルグラマーが存在しない。むろん、不機嫌なときに顔をしかめたりするといった生理的な共通性はあるが。
海外旅行ですぐ現地人と仲良くなれるようなリア充の友人がいるが、彼は生理レベルでうまくやっている。しかしだ、異質な人間と「深い」やりとりする場合はどうだろう?
深いやりとりには冒頭に述べたイレギュラーな状況が絡んでくる。そうした場合には、どうしてもロジックが欠かせない。でもさ、ロジック苦手な人って多いじゃん日本人。
ロジック苦手なこと自体はさほど大問題ではないが、ロジックを使わず「言わなくても分かるだろう」式コミュに依存しすぎてるのが問題なんだ。幼少からの長年の習慣ってなかなか抜けないよ。
そこで二つ目のアプローチ。「バーバルだけど無意識なメッセージを伝達することで誤解を生んでしまっている」。これを正す。実はこっちのほうが簡単なんだ。
バーバルなコミュニケーションは文字で視認することもできるし、非常にスカスカの内容なんだよね。dogなんてたったの3バイト。3バイトで犬の何が分かる!それが分かるんだよね。共通理解があるから。知識と経験。
視認できてスカスカだから修正は簡単。でもどこを修正すればいい?そこなんだよな最後の壁は。多くの人は自分のバーバルコミュのどこに問題があるか気付いていない。
たとえ気づいたとしても、それは特定の状況に限定される特殊な問題なんだ。だから、修正してそれでおしまいって話でもない。
たとえば、敬語を使うのが適切かどうか、どんな敬語を使うべきかは状況に依存するので、敬語を習得してそれでおしまいって話ではない。非常にデリケートでシビアな問題なんだ。
賢い大人はこの問題をどう解決してるか?なんと誤魔化しているのだ。自分にはどこかおかしな所があると気づいている人もいるが具体的にどこがどうおかしいか分からないし、
それを直すこともできないから、全部丸ごとオブラートに包んで、人々に受け入れられやすい形でパッケージ化してるんだぞ。もちろん、彼らはこれをほぼ無意識にやっている。
パッケージ化以外には、囮を作りダミーを叩かせている人もいる。自虐ネタとは一般的には自分の醜い部分を笑いに変える技術と考えられているが、そうではなくて、
正確に言えば、自分の醜い部分は「巧妙に押し隠して」、仮に作成した欠点を笑いに変えることで醜い部分自体への批判を免れる技術なのである。
たとえば、太っている自分をネタにする人は自分の肥満体を受容しているわけでは決してなく、一見自分の肥満をネタにしているように見せかけて、それとは微妙に違う「肥満キャラ」を仮設して受容させたり叩かせたりしているわけである。
ほかには、エクスキューズとか予防線を準備しておく手もある。何にしてもすべて同じで、ただ誤魔化しているだけである。決して問題そのものは解決していない。