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はてなキーワード: 代数学とは

2008-12-03

諸君 私はサイエンスが 好きだ

諸君 私はサイエンスが 好きだ

諸君 私はサイエンスが 大好きだ

帰納法が好きだ 演繹法が好きだ 思考実験が好きだ 実証実験が好きだ 

代数学が好きだ 関数解析学が好きだ 集合論が好きだ 統計学が好きだ 情報理論が好きだ

Unixで Linuxで MatLabで Mathematicaで C++で Javaで 紙と鉛筆で 口頭で

全てのプラットフォームで行われる ありとあらゆる論証行為が 大好きだ

数列をならべた 並行スレッドの一斉実行が ファン音と共に他のプロセスを reniceるのが好きだ

ふと思いついて計算してみたモデルが 想定していた通りの結果をはじき出した時など 心がおどる

Athlonの64bit(フィア・ウンド・ゼヒツィヒ)でフェドラ7を使うのが好きだ

某M木先生さー、何でもかんでも「脳科学で説明出来ます」って擬似科学入ってるよねー、と言われた時は 我が意を得た様な気持ちだった

ラグランジュの未定乗数で ハミルトン原理の拘束が表現されるのを知るのは 楽しい

ゾラッティの ミラーニューロンに関する基調講演を聞いた時など 感動すら覚えた

還元主義のfMRI万能論者達の発表が 質問攻めと共に叩きのめされる様などはもう たまらない

居並ぶフックス型微分方程式が 私の押したEnterキーとともに

金切り声を上げるCPUに あっという間に計算されるのも最高だ

哀れなM$オフィスユーザー達が 雑な数式エディタで 健気にもフィッツヒュー・南雲モデルの方程式を書こうとしている時に

PCフリーズして ドキュメント過去時間分のテキストごと木端微塵にされるのを見ると TeX使いは ちょっと優越感を覚える

露助教授に「あなたの理論は間違ってる事が(ロシアで)20年以上前に証明されていてねぇ」と指摘されるのが好きだ(ラボ内だったからな)

必死に守るはずだった仮説が反証され 実験の不備が指摘され 論文リジェクトされるのは とてもとても 悲しいものだ

米国の物量(研究金的意味で)にものを言わせた研究所に 自分と同じ研究内容を先にPLoSに発表されるのだけは 勘弁だ

締切り(近々だと1月に1こ)に追いかけられ 太平洋標準時だからこっちの朝4時まで大丈夫!と徹夜するのは 体力的にそろそろ無理だ

諸君 私は博士課程を 地獄の様な博士課程を 望んでいる

諸君 教授に付き従う 戦友(D論的な意味で)諸君 

君達は 一体 何を 望んでいる?

更なる 論文発表を望むか? 

情け容赦のない 鬼の様なピアレビューを 望むか?

並列処理の限りを尽くし 三千世界CPUを焼き尽くす 嵐の様なシミュレーションを 望むか?

D論(クリーク)!! D論(カフェイン)!! D論(メンタルヘルス)!!」

よろしい

ならば学会発表)だ

我々は満身の 力をこめて 今まさに スライドを指し示さんとする レーザーポインタ

だが この暗い研究室の中で 3年もの間 堪え続けて来た 我々に

ただの論文発表ではもはや足りない!!

大論争を!! 

一心不乱の大論争を!!

。。。。えー、

「男が出来る気がしない」と、 http://anond.hatelabo.jp/20081127063438 を書いた増田ですが、

どーせ釣りだろと言われた/予想以上にHELLSINGに反応してくれた人がいた/NIPSに持ってかなきゃ行けないスライドがいつまでたっても終わんない/ので、ついカッとなってやった。反省はしている。

2008-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20080918052053

お前さあ、マクローリン展開って本来は大学レベルの話だよ?

本当は「面白い」ことをやってるんだよ。残念ながら君がその面白さに気づけてないだけで。

教師の教え方が悪いのか、君の食らいつきが足りないのかどうかは知らんけど、高校から大学学部あたりまでの勉強はそういうもんだよ。人類がここ数百年に発見したことを無理に濃縮してるんだから。だからこそ、山登りと同じように忍耐強くやってやることが必要なんだ。

と、説教ばかりしてもなんだから、それなりに面白い数学の本を紹介してやろう。これを全部読めれば大学2年ぐらいのレベルにはなる。そんなに簡単ではないが、じっくり読んでいくとよい。勉強に飽きたらこんなのでも読んでればいいよ。


遠山啓「数学入門」上・下(岩波新書

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/9/416004+.html

高校生以上向けの数学古典。とりあえずこの辺からはじめるとよい。


高木貞治代数学講義」(岩波

http://www.amazon.co.jp/dp/4320010000

高校数学をもっと深く掘り下げる本。三次方程式とか四次方程式とか、高校で扱われないけど面白い題材に興味があったらどうぞ。かなり骨があるので、何度もくじけずにじわじわ読み進めるとよい。


ポントリャーギン「やさしい微積分」(ちくま新書

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480091499/

中学生でも微積を独学できるような本。著者は有名な盲人数学者


志賀浩二数学が生まれる物語」「数学が育っていく物語」「大人のための数学

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/11/1/115271=.html

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/5/007911+.html

http://www.kinokuniya.co.jp/nb/bw/math/index.htm

学校数学とは別に、ゆったりと語った本。著者は幾何学大家。こんな名著が絶版になるなんて信じられんが、まあ図書館ででも探してみてほしい。


あとは、普通数学とは違うようなのをいくつか。

戸田山和久論理学をつくる」(名大出版会)

http://www.amazon.co.jp/dp/4815803900/

「私の言うことは全て嘘です」みたいなパラドックスが好きな人にどうぞ。分厚いので全部読む必要はない。


アマン「やさしいコンピュータ科学」(アスキー

http://www.ascii.co.jp/books/books/detail/4-7561-0158-5.shtml

コンピュータを「使い方」ではなく「原理」から理解したいならこの本を。ただ、かなりあっさり書いてあるので最初はかなりとっつきにくいかもしれない。


山本義隆「新・物理入門」(駿台

受験参考書馬鹿にするなかれ。これは本気で「物理学」という学問の入門に適した本。数学がどう役に立つかを実感できる一冊でもある。

http://www.amazon.co.jp/dp/4796116184


E.T.ベル数学をつくった人びと」「数学科学女王にして奴隷」(ハヤカワ文庫

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url?_encoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=E.T.%20%E3%83%99%E3%83%AB

息抜きに読んでも面白い数学歴史。これを見て、興味のある分野を独習するのもよい。


こんだけあればどこかで好きなの見つかると思うよ。時間はいくらでもあるんだし、ゆっくり楽しんでくれ。

2008-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20080504201241

芸術家云々と書いたものですが、

芸術家」かどうか関係なく、プログラマーはまずは人間ですから、質や程度の差こそあれ、自己表現欲求や生きる葛藤みたいなのを抱えると思います。

いや、あれはあなたに対する意見ではないので無視していただいて結構です。

私が言いたかったのは、「プログラマープログラマーであるだけで生産的で創造的なのだ」というような自家撞着に陥っている視野の狭い人たちへのあてこすりです。単なる愚痴ですし、私の前の記事ぐらいからすでにあなたの話と無関係なところに行っているので無視していただいて構いません。敢えて言えば、あなたのような問題意識の(経験したことが)ない人を批判しているとは言えるかもしれません。

そこらへんの思いと自分のプログラミングが結びつけている人がいるなら、どう結び付けてるのか、結びつけないのならどう結び付けていないのか聞きたいです。

別にプログラミングに限らないんですよ。私は学生代数学科にいましたし、純粋数学やってる人間ってのはプログラマー以上に「純粋数学こそが真理だ、役に立つか立たないかなんてクソ食らえ」っていう意識が高いわけですね。そういう意味では純粋数学者ってのはギークなんかよりよっぽど芸術家気取りでしょう。しかし、その巨大な自負に見合うだけの能力(運や努力やめぐり合わせも含め)を持っている人というのは僅かしかいない。その辺に疑問を持つような人は純粋数学から応用数学転向して技術者として就職したりするわけです。

で、その上で言うのであれば「数学的思考法」というのは非常に役に立つと思います。プログラミングも、ギークレベルならともかくリテラシーレベルならば簡単に身に付けられるし。と言いますか、コンピュータサイエンスっての数学の分派なので、「プログラミングを学べば人生に役立つ」とか言ってる人にはかなり微妙なものを感じるんですよ。「それなら数学を学んだ方がよっぽどいいんでないの」と。

いや、数学に限らないんですよ。抽象的な思考を操りこなせるようになれば視野が広がるのは当たり前なんです。ただしそれは、分野特有のものじゃない。だから正直「プログラミングを学べば人生に役立つ」とか言ってる奴には「まだその段階か」と思わざるを得ないんです。ある程度以上の段階に至れば後は今まで学んだ思考法の繰り返しになって、勉強自体が人生を切り開いてくれるってことはなくなる。

そこから先をどう考えるか、です。

2008-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20080309203930

既存の代数学に頼った計算機科学には、よくてもこじんまりとしたささやかな工夫くらいしかそこには評価すべき技術は存在しない。

全然、息子でも子供でもセックスでも何でもないです。本場の生数学の方がよっぽどエロいです。

2007-12-01

自分のバックグラウンドを少し明かしたほうがいいのではないか

まじめに話し合おうとしているのか、中2病の大学生二日酔を慰めようとしているのかによって対応は違うから。なんにせよ、元増田ゲーデルを知らないことはよく分かった。以下読み物。

数学歴史は長いが、ユークリッドピタゴラス以降、恐ろしく長い空白があった。その後、ニュートンライプニッツあたりから突如急角度の上昇が始まる。この後、オイラーガウスといった大天才がヨーロッパに続けざまに現れて17世紀から19世紀くらいまでは数学の黄金期と言って良い。こんな急激な進歩があったのは、数学物理学、工学がかみ合って足並みをそろえて進歩を始めたことに原因がある。当初、数学は本当に純粋学問だったが、微分積分が物体の運動を予言できることからにわかに風向きが変わり始めた。

反証可能性」「未知の事象の予測」「知られている事象との一致」といった厳しい原則に基づく科学的アプローチは天動説に反する観測的事実が蓄積し始めたことに端を発するといってよい。太陽を中心とする円形軌道に地球を諸惑星を置いたコペルニクスモデルは、当時の精密化した天動説と大差ない誤差を持っていたが、太陽を焦点とする楕円軌道を提唱したケプラーは、きわめて精密に観測結果に一致した。

その後、ニュートンが現れ、ケプラーの法則万有引力の法則と微積分で説明することに成功した。

このように近代数学と近代科学は足並みをそろえて歩き始めたのだが、この二つには大きな差がある。自然科学(いわゆる科学)は自然の事物を理解するための仮説の集合であるのに対して、数学とは最初に提示された公理とその操作方法に基づく演繹された知識の体系であるということ。つまり、数学自然に根ざしていない。これは強調してもしすぎることはない点で、しばしば数学者はこの数学の自立性を以って自然科学を見下すことがある。

数学公理とその操作からなる演繹的な体系と書いたが、もちろんはじめはそうではなかった。最初はものの数を数えるところから始まり、距離を測り、面積を測り、重さを量り、時間を計るためのツールだった。つまり自然に根ざしていた。が、19世紀後半に精密化が進んだ後、いったん数学は崩壊の危機に面した。それを救うために公理系を整理し、再出発して網羅的に数学の完全性、無矛盾性を証明しようとする動きがあらわれた。だが、最後にはゲーデルが現れ、完全且つ無矛盾公理系はないと証明して、公理主義者たちをがっかりさせた。

数学は出発点こそ自然科学に密着していたが、今では(失敗したものの)公理に基づく独立した体系と考えて良い。そうしたところで、数学の出す答えが変わるわけではない。が、じっくりと考えたときに、自然現象がこうもうまく数学に従うという点については少し気味の悪さを感じざるを得ない。たとえば、速度を積分すると距離を算出できるというのは、科学的な仮説である。この仮説は徹底的に検証されているので安心して利用できる。だが、速度ときょりという自然現象がなぜ数学概念である微分積分にこうも厳密に従うのか。突き詰めて考えると、それは時空間の線形性、時普遍性に支えられているが、それ自身がなぜそうなのか、誰にも分からない。

微分積分というのは公理から出発して導き出された数学の体系のひとつである。それ自身は自然科学的アプローチで反証する必要ない。なぜなら、数学の証明は自然科学実験による「証明」とはまったく異質の厳密な証明だからだ。一方、自然科学実験による「証明」は確からしさを積み上げることでしかない。

http://anond.hatelabo.jp/20071201141145

2007-10-08

とある元エセ数学屋のぶつくさ

「頭のいい人は説明もうまい」問題で、一番肩身が狭いのが数学屋と哲学屋。哲学屋さんの弁解は哲学屋さんに任せるとして、エセ数学屋の立場からその弁解を書かせて欲しい(哲学屋さんも事情は似たようなものだと思うけれど)。

まず、世間では誤解されてると思うのだが、数学というのは理系の他分野(物理学とか、生物学とか)とは少し性格が違う。数学は、具体的な対象を想定しない。むしろ、具体的な対象と遊離したところを記述するための「言葉」を作る学問なのだ。

よく言われることだが、新たな数学理論発見とは、わかりやすい概念や記号法を発明することといっても過言ではない。一番わかりやすいのが「未知数をxなど文字で置き換える」というものだろう。これによって、古代エジプト古代ギリシャ賢者大勢を悩ませた問題も、中学生の練習問題に早変わりする。しかし一方で、多くの賢人を悩ませた問題を少数の記号やキーワードに集約するのだから、そもそもそんなものを簡単に説明できる方がおかしい。中学校あたりから数学が途端に難しくなるのはこのためだ。

抽象概念を説明することの難しさは、プログラミング世界とも共通している点があるだろう。たとえば、「多態性 (polymorphism)」という言葉機械音痴の人に説明できるだろうか、考えてみてほしい(このたとえのわからない人は、次の段落まで読み飛ばしてほしい)。もちろん、例えば「同じ『鳴く』という動作でも、犬は『ワン』で、猫は『ニャー』だ」などと、わかった気にさせるようなたとえ話でごまかすことはできるだろう。だが、そんな「説明」が役に立たないことは明らかだ。「そんなことの何がすごいのか、ポリバレントだかなんだか知らないがそんな偉そうな名前をつけるほどのことか」とかいわれて終わりである。現実に「説明」を求められる場合とは、「誰かに金を出させるために説得しなければいけない場合」なのである。ユーザ企業に「オブジェクト指向による開発」の必要性を説得するとき、そのような子供だましでは金を出してもらえないことは明らかだろう。

そして数学は、プログラミング言語よりもっと包括的に「人間の思考の一部を記述する言語」なのである(正確には、コンピュータサイエンス数学の一分野である)。そして、プログラミング言語などという概念たかだかこの数十年のものにすぎないが、近代数学は数百年の積み重ねがあるのである。素人専門家の乖離にもそれだけの差があると思ってもらって構わない。説明が絶望的に困難なことは明らかだ。その困難さは、たとえば英語を知らない子供に「関係代名詞」を説明するのと同じぐらい難しい。いや、数学は「頭の中の普段使っていない部分」を使う言語だから、英語などよりもっと難しいと言っていいかもしれない。英語日本語の間では直訳はできないことはないが、数学語やプログラミング言語日本語の直訳は不可能だからだ(できるのならば、プログラマは全員失業である)。

しかし、こうした事情を多くの人はわかってくれない。そこで、「数学屋(と哲学屋)は物事をわざわざ小難しく説明する権威主義者だ」だの「他の分野の専門家に比べて説明能力に欠けている」だのと非難を浴びるのである。こういうハンディを背負っていることがなかなかわかってもらえないのである。

追記

多態性のあたりはあまりいい例ではなかったかもしれない。犬はワンで猫はニャーというのは、多態性という概念の発想を適切にとらえたたとえ話ではあるからだ。純粋数学の場合は、こういうわかりやすい例が見あたらないものも多いのである(たとえば「解析関数」を「複素数」や「微分」を知らない人に説明するとなるともうお手上げだ)。無論、こういうたとえ話が、多態性概念プログラミング世界でいかに有用であるかを説明することにほとんど貢献していないのは明らかだけれども。プログラミング経験がない人には、それだけのことがいかに役に立つのかなど到底実感ではわかってもらえないだろう。

蛇足

なお、こんな記事が話題になっているが、この程度の説明ならまともな数学屋なら誰でもできるので念のため。このスレッドの住人はsinとかcosのような高校数学概念も怪しかったわけだが、そんな人を相手に文中に出てきた「バナッハ空間」だの「ヒルベルト空間」だのの説明をさせられたらとても困っていたはずである。正直、これらの概念専門家には「イロハのイ」レベルのことに過ぎないが、ピアノで「猫踏んじゃった」しか弾けない人に「エリーゼのために」を教え込むのと同じぐらいは難しいだろうと思う。それぐらいのレベルの差がある。

蛇足の蛇足

ついでに、上のスレッドで挙がっている「日本語論理的でない」とか「英語フランス語数学に向いている」というのはウソと言える。言語能力は、相互に翻訳ができれば等価であるといってよいからだ。実際問題としては、論理的で厳密な文章ほど、直訳は簡単である。つまり、言語による論理能力の差というものは存在しないといってよいのだ。言語によって一番表現力の差が生じるのは、むしろ「前衛詩」のような、一番「論理的でない」部分である。

2007-05-24

実務向けなのか知識欲を満たしてるだけなのか

http://anond.hatelabo.jp/20070524111812

うちとこが良い情報工学科なのか悪い奴なのかは判らんが、

情報数学(っていうのかな?)が結構な部分を占めてたと思う。

微積代数学の基本的なところから

計算機における数値表現の方法、それによる誤差や精度保証の仕方。

離散数学とか統計とか諸々、プログラムを組む上で

必要になってきそうな部分を一通りかじってた。

レベルな部分だとフリップフロップ論理ゲートの仕組みから始まって

パイプラインCPUの仕組みを網羅して

クロックずつ手で書きながら追ってみる、っていうのが面白かった。

その後アセンブラ、C、Javaなんかを順次やっていってたから

http://anond.hatelabo.jp/20070524004238

その後に集積回路の使い方を覚えるんだ。単に電子回路を集めてモジュール化しただけのものだから簡単なはずだ。

そうしたらCPUの作り方がわかってくる。CPUを動かすには機械語が必要だけど、どうして機械語CPUが動くかがわかるはず。

そこまでいったらあとはアセンブラC言語Javaとだんだん高レベルな世界に行けばいい。

これを地で行ってるのかもしれないね。

本当に最初のところ、「0と1で何でコンピュータが動けるの?」「プログラムってどういう仕組みなの?」っていう疑問を

持ってた自分としては凄くマッチした学習方法だったと思う。

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