「反証可能性」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 反証可能性とは

2011-11-01

まどマギエヴァの違い

 まどマギエヴァ匹敵した! 否! 追い越した! という主張が釣り半分でちらほらと見られる

 しかし断言するが、そんなことはない。まどマギ所詮は消費される一部アニメの一つでしかない

 何故か?

 それは、まどマギには、反証可能性というものが欠けているのである

 簡単に言えばオワコンなのだ

 エヴァには、反証可能性が存分にある、我々が議論し、そして改善したり、議論を共有していく余地が多分にある、そこには弁証法的な力がある

 しかしまマギにはそのような力が無いのだ

 それこそが、エヴァまどマギの決定的な差となっているところであろう

2010-09-25

ホメオパシーは確かに「正しい」

ホメオパシーだの代替医療だのといった、いわゆる疑似科学についてはあらかた意見が出されていて、もう議論の余地はないと思われるのだが、そうした問題について考えるとき、どうしてか疑似科学それ自体、もしくは推し進める当事者のことばかりクローズアップして、疑似科学を支持する利用者のことがあまり注目されないのはちょっと妙な話であり、この偏りはマズいのではないかと思う。

科学というのもつまるところ美術文学と同じであり、考案者と追実験者のコラボ、それを追いかけて信憑性や科学性を視認する研究者、そうして知識として蓄積された学問を後追いで学ぶ学生といった階層性が歴然として存在する。確からしさや権威は独創的な「表現者」が単独であれこれと試行錯誤するだけでは付随してこず、「鑑賞者」が群がってあれこれと議論することで科学体系は形成されるのだ。

とすると疑似科学もそれと同じことで、それが科学の衣をまとっていられるのは、「表現者」の誤謬だけではなく「鑑賞者」の支持も多大な要因としてあることが推測されるだろう。ところが件のホメオパシー議論では、「表現者」にばかり気を取られて「鑑賞者」側の心理を分析していくアプローチがあまり見られない。それどころか、医学と一対一対応させて医学に軍配を上げ、だからホメオパシーは誤りである、といったお決まりじみたストーリーで反駁する主張ばかりで、ホメオパシーという体系がなぜ批判されねばならないのか、という根源的な問題への解答を避けているものが少なからず多い。そうした偏向はつまるところ科学の絶対的真理性や反証可能性、さらにはアプリオリな真理の存在といった諸々の難解なテーマになんら疑問をもつことなく、権威の安楽さにフリーライドしていることの裏返しであり、彼らもまた科学という教条に絡め取られているのではないのかと危惧するに到る。

もはや焦点は「なぜそれが正しいのか」ではない。「なぜそれを信じるのか」である。「科学は正しいから美術文学とは違う」と言い張る人間がいる。そのくせ地球が丸いことを実地で確かめたこともないのだからおかしいものだ。正しさの担保が分からないなら、それは正しいのではなく信じているのである。ならば、「科学者ならそれ(=科学的知識)が正しいと言い張れるじゃないか」という反論は一見成立しそうだ。だが、それは同時に「疑似科学者ならそれ(疑似科学的知識)が正しいと言い張れるじゃないか」という主張となんら変わりないように思える。なぜなら、正しさの担保は今現在明確な形で示されていないからである。

ポパーにしろクワインにしろ、ある点で建設的な、もしくは過激な条件づけで科学の特徴を言語化しようとしたが、どれも一長一短で、条件づけした途端にそれまでれっきとした科学の一部であった知見が科学でなくなってしまう。幸い、ホメオパシーについては科学でないということはテストによって容易に示されるかもしれないが、知識の欠けた「鑑賞者」に関しては全く問題が別である。それがありがたい体系で身体の健康に役立つと感じられるなら、ホメオパシーもまた利用者にとって十分に医学でありうる。この認識論的な事情科学全般に延長できてしまうものなのだ。

今一度、問題点を問おう。科学というものは、証明能力を有する人間と利用する人間とで「正当」の意味内容が著しく異なり、しかも当の科学者であれ「正当」の普遍的な根拠が未決定の状態である。こう表現するとホメオパシー擁護論にも思われるかもしれないが、それは誤解だ。ここで言いたいことは、たとえホメオパシー支持者が科学的思考の持ち主でないとしても、ホメオパシーという体系それ自体が非科学的であることを決して意味しはしないこと、そして現代医学科学性がホメオパシー非科学性を意味しもしないことだ。後者の指摘については、免疫学が謎めいた「自然治癒能力」を反駁することが(今現在)できていないという一例でも分かるだろう。必ずしも、ある体系の正当性が別個の体系の正当性を否定するというわけではないのである。また、これが最も核心的なことだが、科学証明とは無縁のいずれの「鑑賞者」にとっても、信じることで一方を支持し、信じないことでもう一方を唾棄しているに過ぎないという深刻な背景を宿していること。

治療に関して、被治療者にはいかなる治療を受けるか選択できる権利がある。このことをしっかり認めた上で、ホメオパシーに傾倒する被治療者を理性的に説得することは、果たして可能なのだろうか。

2010-03-14

非実在青少年コミックスコード

経済学者歴史家田中秀臣が批判されている。

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/8636

nornsaffectio Twitter, まとめ, still again ところで、Togetterでhidetomitanakaの文字に出くわすととても残念な気分になるのは僕だけだろうか? 2010/03/09

WinterMute 表現規制, Twitter nk12=海法紀光アメコミ翻訳家なのだが。自称アメコミファン呼ばわりとはなー/畑違いの学者陰謀論をかます現象に名前をつけたい 2010/03/09

yellowbell コミュニケーション twitterってほんと使う人の傲慢さをさりげなーく浮き彫りにするよなあ。こわいわー。 2010/03/09

multiplex00 漫画, 規制 個人的に興味深いジャンルだったので見てみたらなんだこりゃ。/個人攻撃しかできない奴にはライフェルドっぽくなる呪いを掛けるぞ 2010/03/09

mgkiller Communication, 漫画, リテラシー 自分がものを知っていると言う前提で視野狭窄に陥っているという構造面白いね、本人は自覚無いみたいだから余計に。 2010/03/09

Lhankor_Mhy なんとなくブクマ, コミュニケーション なんだかよく分からないが、レッテル貼りスキルの典型を見た気分。 2010/03/09

tokoroten999 なんか15年前ぐらいの掲示板タイムスリップしたかと思った/いきなり人格否定に行くのはなんかそういう流派を学校で教えたりしてるのか? 2010/03/09

sinx 何か典型的な悪役みたいだな。TL見たら捨て台詞まで吐いてるし。 2010/03/09

p260-2001fp Twitter, 出版, 表現規制 Twitterは140文字でしか表現出来ないが故にその人の本性が垣間見える 2010/03/09

triggerhappysundaymorning ソース出せって言われた直後からの田中某氏のファビョりっぷりが面白いw.この人有名なの? 2010/03/09

zeroset comics, society タイトルだけみて田中秀臣だろうなあ、と思ったらやっぱりそうだった 2010/03/09

daihx Webネタ マナーまなーmanner言ってる人が一番以下略//そういう時にwなんて語尾に付けたらバカにしてるようにしか見えないよなー 2010/03/09

mame_3 Twitter twitter距離感というか、語尾にwをつけながら他人に礼儀を説く人の距離感分からん。 2010/03/09

人格批判を批判しながら人格非難しているブクマの列だ。

だが以下のリンク先を見ればわかるように、nk12は以前から田中秀臣氏に粘着している人物だということをわすれてはいけない。

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20100314#p1

田中秀臣氏がソースを出してないという指摘に関しては、ググレカスの一言で終了である。

田中秀臣氏自身のブログではっきりと書かれている。したがってnk12もそれを知っている可能性も高い。

ワーサムの主張を歪めて反論をしたアメコミ業界のディビッド・フィンらの画策。

そしてその歪めた反論に合わせる形で自分たちの都合がいいようにアメコミ業界コミックスコードを導入し、ワーサムに責任押し付けた。

James E.Reibmanの手によって明らかにされている。

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070719#p1

しかし実証性無視のアメコミおたくたちは、ワーサムと国家が悪いと自分たちをイノセントなものとして描く。

偶然かも知れんが『非実在青少年問題』もよく似ているよな。

イクオリティ・ナウアグネス・チャン等の主張を『二次元キャラ人権擁護論』と歪曲して批判。
そしてその歪曲どおり、『非実在青少年保護法』が導入される。
アメコミおたく同様に、日本おたくたちも、あくまで自分たちはイノセント被害者だと叫び続けるのだろう。


なお、nk12氏らの粘着行為はここにまとめられている。

http://itok.asablo.jp/blog/2006/08/14/483548

流れの要約

アメコミおたく松山「その本はデタラメだ!勧善懲悪ワンパターンじゃない名作だってあるもん!アラン・ムーアとか!」

田中氏ら「でもごくごく一部でしょ?だいたいあってるよね!」

松山アメコミは善役と悪役が固定してるストーリーなんて嘘だ!ウルヴァリンは元々『超人ハルク』の悪役だった!」

田中氏ら「ウルヴァリンは『超人ハルク』じゃなくて『X-MEN』で正義の味方になったんだよね?別の漫画キャラが再利用されてもそれはストーリーの中で善悪が固定されてるってことにはかわないよね?何かひとつ漫画の中で善悪が入れ替わった例ってあるの?」

松山「…。「子供戦争で敵を殺せるようするためにアメコミ会社勧善懲悪コミックスコードを導入した」ってのは陰謀論だ」

田中氏ら「仮説ってわかるかな。こう書いてあるよね。(引用する)」

松山「そんなこと書いてないもん。陰謀論だもん」

田中氏ら〔引用にそんなこと言われてもね。〕

松山氏逃亡

nk12ら「部分的に間違ったところがあるので、この本は全部間違い。それを認めない人間は反証可能を無視している」

田中氏「反証されているかどうか理論的に考えて見ましょう」

nk12ら「間違った部分があるので反証されてる。コミックスコードのせいでアメコミは壊滅した!だがアメコミコードを跳ね返そうとクリエイターががんばったので新たなものとして復活した!」

田中氏「その事実が何を反証してるかを考えるために理論を組み立ててみましょう。コミックスコードがあった場合のない場合、それぞれの効用の可能な最適化を考えて見ましょう。ない場合のほうが最適化されますよね?〕

nk12ら「復活したんだから反証されてる。」

田中ら「だから反証可能性を検証するために理論をまずしっかり作ろうという話です。」

nk12ら「復活したんだから反証されてる。」

田中ら「だから理r」

nk12ら「反証可能性を認めないあなた方はトンデモ

田中氏ら「理論的な話ですし、コミックスコード下で需要最適化されてないからアングラコミックスというものがはやったのです。コミックスコードアメコミ壊滅というのも事実ではありません。」

nk12氏ら「そんなの関係ない。コミックスコードの前の犯罪コミックスアングラコミックスは別物!ナイバーグの本にもアメコミ壊滅と書いてあった」

専門家小田切氏参入「田中氏の方が正しい。ナイバーグの本にアメコミ壊滅なんて書いてない。陰謀論仮説についても朝鮮戦争後のアメリカでそのようなことはありえた」

田中「ナイバーグの本は実は読んでました」

nk 12 ら逃走

田中氏がこういう態度を取るのも当然といえる

http://togetter.com/li/8636



田中氏ご本人による補足

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20100315#p3

国家による規制自主規制より悪いとは限らない

2010-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20100309014716

や、だから素人が実現可能性を議論しても意味ないって言ってるのになんで財源の議論を吹っかけてるの?

てかそもそも俺はBI導入は可能だするべきだって言っている訳じゃなくて、実現可能生の議論は無駄だって言っているだけなんですが


例えば今俺が誰か専門家が試算した実現可能だとされている財源のプランを持ってきて、

そして「この専門家によれば実現可能だから、お前の意見は正しくない」って主張するとする

はたしてこれが議論と呼べるものなのだろうか?

専門知識がない人が財源について議論した所で、財源プランの妥当性を検討する知識はない

だから肯定派も否定派も、実現可能性を議論しようとしたら専門家が試算した財源プランを持ってくるだけで

その妥当性が検討出来ない以上、疑似化学と同じで反証可能性がないんだからまともな議論になるわけがない


あとついでにつっこんでおくとなんで所得税累進課税なのに定数になってんの?

2009-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20090922184520

非常に狭い科学観ですな。

(1)科学長所は、(2)理論が正しいかどうか実験などによって客観的に確かめられる点にあります。

それでは、(3)進化論天体物理学など、実験を行えないものは「科学」ではないのでしょうか。

  1. 科学長所・・・何が科学で何が科学でないかの定義についての話をする文脈で、長所の話をしているのがおかしい。
  2. 理論が正しいかどうか・・・実験で得られた現象を理論的に説明するという逆のパターンがある。
  3. 進化論天体物理学など、実験を行えないもの・・・進化論では大腸菌の数万世代の継代実験http://blackshadow.seesaa.net/article/103212061.html)もある。天文学では、観測や力学シミュレーションを「実験」と呼ばないのは狭すぎる実験観である。

 

科学反証可能性」だと思い込んでいる人がいて、

そういう人は、

実験で検証できないものは科学じゃないんだろ?」と

短絡的に思ってしまう。

そういう人は、

「そもそも科学とは何ぞや」とも、

反証可能性とは何ぞや」とも考えたことがないのではないか。

手順に従う限り、誰がやっても、いつも同じ結果になるから、

反証可能になるということを考えたことがないのだろうか。

 

そして、単純に

科学多数決」だとか、

宗教と同じである」とか、

科学のもつ一面だけを見て、語ろうとする。

それこそが非科学的態度であるということに気がつかない。

2009-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20090724142704

トンデモ反証可能性が無いことを主張するから、そういう場合は反証しなくて良いよ。それが自然科学の流儀ね。

一方、人文科学ではそればっかりではうまくいかないから、実証的な論じかたが全てではない。

論文投稿経験くらいはあるけど、俺は修士までしか行ってない。

2009-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20090415232353

反証可能性以前にそもそも前提が実証されてない気がする。完全競争とか効率市場とか。

でもそれは一部の分野かもしれなくて行動経済学なんかは科学っぽく見える。

http://anond.hatelabo.jp/20090415231445

反証可能性に若干の難があるので、反証主義の立場からは科学と言い難い面はあるな。

2009-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20090328151739

反証可能性というのは反証できる可能性があるということで

実際に反証できなかったからといって反証可能性がないって事にはならない。

ポパー反証可能性って、ぶっちゃけどうよ?

>20世紀科学哲学者、カール・ポパーに従えば。

>彼は科学疑似科学の境界を「反証可能性」に求めた。

いつも思うんだが、ポパーって、そんなにありがたがるほどの奴か?

僕はヴィトゲンシュタイン言語ゲーム万世派の人間なせいか、

科学反証可能性」とかの発想は、すげえ薄っぺらくみえるんですけど

2009-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20090326205141

反証可能性はその通りだけれども、進化論に限らず、理論と呼ばれるものは、常に条件付の言明であって、if A then Bの形でかける。進化生物学教科書みれば、進化論(自然選択説)で何がAにあたり(具体的には、形質の変異、適応度の違い、遺伝の3条件)、何がBにあたるか(進化が起こる)かは分かるはず。全ての理論と同様に、Aが起こっているときBにならないことを示せば、進化論は反証可能だ。

進化論は理由を外に求める、っていうけど、何の理由?キリンの首の例では、現在見られる首が長くなっていること(パタン)を説明するために進化論が有力な仮説となるという話なんでないの?その場合にAが起こっている証拠をつかまずして進化論の証明にはならないわけだが、Aを起こす要因(首が長くなるほうが沢山の子孫を残せるようにさせる要因)がたくさん考えられるので、それらの要因を、進化論の外に求めているだけでは(首が長いほうが、他の草食動物との資源をめぐる競争に強くなるとかいろいろあるよね)?だから、進化論のif A then Bのフレームワークは維持されたままなので、進化論自体はその正当性を支える理屈を外に求めることはない。たぶん、言葉定義に問題があるのでは?

気象理論疑似科学である

http://anond.hatelabo.jp/20090326205141

20世紀科学哲学者、カール・ポパーに従えば。

彼は科学疑似科学の境界を「反証可能性」に求めた。ある理論科学であると認められるためには、それが「反証可能」でなければならない、すなわち、

1:その理論に基づいてある予測をたてることができ、

2:かつそれを現実世界経験と照らし合わせて検証することができなければならない。

ポパー疑似科学の例としてフロイト精神分析論を好んで取り上げた。例えば、ある男が子供を川に殺意を持って突き落とそうとしており、もう一人の男はその身に代えても子供を助けようとしているとする。フロイト論者は、この二人の行動を、同じくらい簡単に説明することができる。一人は抑圧されており、もう一人は昇華を遂げたのだ、と。フロイト論者は、どんな行動に対しても、それに対する説明を編み出すことができるわけだ。ポパーはこれはおかしいのではないかと考えた。何でも説明できてしまう理論は、むしろ理論と呼ぶに値しないのではないかと。


気象理論もこれに似たところがある。どんな天気でも、その原因は気圧変動で説明できるとされる。昨日雨が降ったのは、日射により大気が膨張し、上昇気流が起きたからだ、という。気象理論はどんな天気に対しても、理由を探し出して気象理論的な説明を編み出すことができる。

フロイト理論と気象理論が違うのは、気象理論は理由を気象理論の外に求める点だ。気象理論自己完結した理論ではない。「日射により大気が膨張し、上昇気流が起きるから」であるという主張は、気象理論それ自体からは導き出せない。その主張を入れ替えれば、気象理論はどんな天気にも適用することができる(もちろん主張それ自体がある程度の説得力を持っている必要はあるだろうけれど)。

気象理論反証可能性を持つのだろうか?そもそも自己完結していない気象理論科学理論と呼んでよいのだろうか?それとも単に僕の中での言葉定義がおかしいのだろうか?




メカニズムについての理論と、個々の事象への対応を混乱するとこうなるのかな。天気予報が外れたからといって、気象理論モデルが否定されるわけではないというところを、もうちょっと考えてみたらいいかもね。



http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/index.html

Q.進化論は反証不可能なので科学ではないのでは?

A.例えば先カンブリア紀の地層から大量の石器が発見されれば進化論に対する強力な反証になります。進化論科学ではないと思いたいために「進化論は反証不可能である」と主張する創造論者もいますが、原理的に反証不可能であることと、反証の証拠が見つからないことを混同すべきではありません。進化論原理的に反証可能ですが、現在のところ反証されていません。[2000.4.11]

2009-03-26

進化論疑似科学である

20世紀科学哲学者、カール・ポパーに従えば。

彼は科学疑似科学の境界を「反証可能性」に求めた。ある理論科学であると認められるためには、それが「反証可能」でなければならない、すなわち、

1:その理論に基づいてある予測をたてることができ、

2:かつそれを現実世界経験と照らし合わせて検証することができなければならない。

ポパー疑似科学の例としてフロイト精神分析論を好んで取り上げた。例えば、ある男が子供を川に殺意を持って突き落とそうとしており、もう一人の男はその身に代えても子供を助けようとしているとする。フロイト論者は、この二人の行動を、同じくらい簡単に説明することができる。一人は抑圧されており、もう一人は昇華を遂げたのだ、と。フロイト論者は、どんな行動に対しても、それに対する説明を編み出すことができるわけだ。ポパーはこれはおかしいのではないかと考えた。何でも説明できてしまう理論は、むしろ理論と呼ぶに値しないのではないかと。


進化論もこれに似たところがある。どんな生物でも、その形質は進化論で説明できるとされる。キリンの首が長いのは、高い位置にある木の葉を食べるのに、首が長い方が有利だからだ、という。進化論者はどんな生物に対しても、理由を探し出して進化論的な説明を編み出すことができる。

フロイト理論進化論が違うのは、進化論は理由を進化論の外に求める点だ。進化論自己完結した理論ではない。「高い位置にある木の葉を食べるのに、首が長い方が有利」であるという主張は、進化論それ自体からは導き出せない。その主張を入れ替えれば、進化論はどんな生物にも適用することができる(もちろん主張それ自体がある程度の説得力を持っている必要はあるだろうけれど)。

進化論反証可能性を持つのだろうか?そもそも自己完結していない進化論科学理論と呼んでよいのだろうか?それとも単に僕の中での言葉定義がおかしいのだろうか?

2009-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20090225073138

「何故○○を守ると良いの?」は当為についての議論だ。

当為を論じてるときに反証可能性という科学哲学フレームは使えないだろ。

科学事実を論じるものであって当為を論じるものじゃない。

学術的権威が認める主流の見解をとりあえず信用しよう、というのは、科学でも疑似科学でもない。非科学だ。いわば世間知だ。

そして、そういう態度が善いかどうかは科学的な議論ではなく、社会的な議論だろう。

擬似科学批判批判が変に見える件

「別の擬似科学を批判する擬似科学」を「擬似科学批判」と誤って呼んでるからおかしく見えるんだよ。

先鋭的なネトウヨと先鋭的な護憲主義者の対立なんて両方とも反証可能性なんて最初から否定した真理レベルでの信仰であって、要するにどっちが擬似科学でどっちが擬似科学批判という問題ではない、単に両方擬似科学なだけだ。「何故○○を守ると良いの?」と訊ねられて逆ギレするような連中科学の側に置くんじゃねえ。

現在主流の科学理論反証可能性を否定ないし何らかの仮説を含むことを認識せずに結論として信仰することは、たまたま結論が一致しているだけで最初から擬似科学だ。

2009-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20090203010118

言いたいことはわかるけど、それはプロの間でしか通用しないよ。一般には、教科書にあるから、本に書いてあるから、立派な先生が言ってるから、だからきっと正しいんだろうと考える。そういうものでしょう?反証可能性だの論文だの、普通の人には無関係だもの。そこんところが問題なんじゃないのかな。

そうですね。『何かの本に、人間自分に都合の良い事、自分の思っていることと同じ事がマスメディアで語られると、立証なしにそれを正しいと信じ込むという都合の良い習性がある』と書いてありました。まったくその通りだと、なんの実験もせず、反証もせず、うんうん、その通りその通りと思った、天動説うんぬん言い出した増田の私が通ります。

であるからこそ、なるべく、実験するクセを付けることが大切。証明することが大切。査読することが大切。と自分に言い聞かせていることもあり、強く言ってしまいました。

まぁ、難しいですね。

http://anond.hatelabo.jp/20090203004703

天動説云々は同意するけどね。

天動説疑似科学として持ち出すような人をたまに見かけるが、教科書にあるから学校先生が言ってたから地動説が正しいとか思い込むことこそ非科学的なんだけどね。

言いたいことはわかるけど、それはプロの間でしか通用しないよ。一般には、教科書にあるから、本に書いてあるから、立派な先生が言ってるから、だからきっと正しいんだろうと考える。そういうものでしょう?反証可能性だの論文だの、普通の人には無関係だもの。そこんところが問題なんじゃないのかな。

http://anond.hatelabo.jp/20090203003332

昔は、天動説が証明することもなく当たり前でしょう、と言われていましたが、今では、地動説の方が一般的です。

よくこういう勘違いあるけど天動説でも千年以上実用に耐える天体運動予測ができてたわけで証明なしに正しいとされていたわけじゃない。観測結果に基づいて正しいとされていた。それに相対論的には絶対座標自体がないんだからどっちが中心でどっちが動いてるかなん解釈次第でこれに反証可能性なんかない。どちらが実用的か程度の話。

天動説疑似科学として持ち出すような人をたまに見かけるが、教科書にあるから学校先生が言ってたから地動説が正しいとか思い込むことこそ非科学的なんだけどね。

2009-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20090202223239

科学哲学的には反証可能性というのをもっと深く考えたほうが良いのでは?

既存の理論実験結果に違いがある場合後者のほうが間違いだとされがちなのは反証可能性があるといえるのかとか、前提条件あとから継ぎ足してつじつま合わせるとか。

2009-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20090120003918

モトマスダ科学をする人というのはいい着眼点ブクマコメント技術科学の区分けが云々は、自分を特権化しすぎ。この議論のミソは、人は科学技術を分けて話をしているのだろうかなので。


じゃあモトマスダをどう議論したら、説得力を持つのかということ。これはもう徹底的にコミュニケーションや行為に着目しちゃえばいい。

まず宗教って何?ていうのを観念的な一神教or多神教or云々みたいな話じゃなくて、デュルケム的に宗教とは事柄を聖/邪で区別し、聖堂に集まることみたいな、形に置き換えてしまうべき。現実には教会や寺にいかない人が増えてるとかあるけど。

じゃあ科学って何よ、といえば反証可能性やらパラダイムやらを持ち出さなくても、因果関係のもっともな説明をつくりだしていく過程で実は十分。傾向としてはよりシンプルな説明原理が好まれてるけどね。

そこで宗教を契機にしたコミュニケーションはいったいどういうものなのか。科学を契機にしたコミュニケーションはどういうものなのか。比較してみたらいい。

科学人類学とか科学についての社会学とかはそう言う分野。まぁ科学業界宗教団体ぽいと示したら、他の組織と比較することが求められるんだけどねぇ。

コメントを下さった方々へ

http://anond.hatelabo.jp/20090120003918です。色々なご意見忠告ありがとうございます。



まず、科学技術宗教哲学思想がごっちゃになっていることについては、本当にすいません。勉強してきます。

それと、私の視点がとても狭いものだったと言うことに改めて気づかされました。

コメントや紹介された記事から、もう少し自分の考えを整理したいと思います。

(改めて、と言うのはこのエントリーを書いているときに自分でも「?」だったからです。)



あといくつか言い訳など。

「極端に言えば・・・」の部分は、恥ずかしい話ですが「俺うまいこと言ったwww」的な何かを感じ取ってしまい、そのまま載せてしまいました。

すいませんでした。極端どころか間違(ry

自分が言いたかったのは、いいことだけじゃなくて犠牲にしたものたくさんあったんじゃないか、ってことです。

(それも反省すべきところの多い考え方ですが)ネットの下りは、はい、黒歴史がまた1ページ。



私自身は工学系で、科学的なものの考え方(反証可能性とか、多くの人と認識を共有できるかとか)は有用だと思います。

と言うか、それが出来ないと飯を食っていけません。食えていけるのか不安です。

話は変わりますが、文章を書くのも他人に分かってもらわないとダメなわけで、勉強して他の人の理解に近づけるって事は大事だと実感しました。



最後になりましたが、こんな低レベルで昔から何回も書かれているネタコメントしてくださってありがとうございました。

「!!」と気づかされるコメントや、紹介された記事は、私にとって宝の山です。

これからまた、他の人が似たようなエントリを書いたときにも、どうか暖かくコメントしてあげてください。

私も勉強してコメントできるようになりたいです。



直接的に恥をかかず、おいしいところ(良コメントや記事紹介)だけを得られるのがいいことなのかどうかは分かりませんが、

もう少し増田でやっていこうと思います。

2008-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20080910175430

気づかない間にレスがついてた二日前の話題をサルベージ

例えば、針治療って科学的な根拠がよくわからないけど、実際にその方法で針を刺して治療をしてみると、腰痛や肩凝りがよく治るよ。

結果だけみると科学的だよね。

普通、結果が科学的とは言わないと思うが、それはさておき、針治療に関する研究を反証主義に対する反論とするのはおかしい。

科学のあり方として「針治療をすると腰痛や肩凝りが治る」という現象のメカニズムについて仮説を立ててこれを検証するという方法があって、針に関してこういう有効な研究がない(の?)というのは良いのだが、それだけが反証主義で言う科学ではない。

「針治療をすると腰痛や肩凝りが治る」という現象があって、その因果関係統計的に有意であるということを示すのもまた反証主義の定義する科学であると言える。

というのは、「針治療をすると腰痛や肩凝りが治る」のが偶然直る以上の有意性を持つかどうかはなんちゃら検定を行えば分かるので、十分に反証可能性があるからだ。

ジュセリーノ予言であってもメカニズムは分からないが、予言が有意かどうかを科学的に検証することが可能だろう。

てかあの人外しすぎw

2008-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20080910164406

いや、そのポパー的な反証可能性だけで科学って思われたらなんだかなと。

- 転職ならen
- 派遣ならen
3ページ中1ページ目を表示(合計:63件)