はてなキーワード: 繁殖とは
ああ
わかってくれとは言わないが
そんなに 俺が悪いのか
ちっちゃなころから人数多いせいで受験戦争だったし。近所の公立中高は荒れててガラス無かったよ。
オタク趣味にはまりかけたら連続幼女殺害犯人の同類として扱われ、触るもの皆キモがられた。
世に出る前にバブルが消えた。あんなに好景気だったのに。
人数多いくせに不況で就職氷河期と呼ばれたよ。
企業の定年はどんどん延長されていった。上の世代が残りっぱなし。
繁殖力が低いとか言うけれど、この平均年収でどうやって子育てしろと言うのだろう。
ああそうだよね、自己責任なんでしょ?はいはい。勇気を出して切り開けば良かったんでしょ?
駅のホームでつかまって
力任せに殴られた
そんな空気。
上の世代の言うことを聞いていればいいのだという押さえつけと、そいつらが国をバブルで調子悪くしてた現実。
ああ、文句言うなら俺たちが直せっていうんだろ?この国。そろそろそういう年代だし。
でも俺らそんなに悪い事した?
ああ
わかってくれとは言わないが
そんなに 俺が悪いのか
女の「産む」という能力って重視されねーよなぁ
男女は違うんだからとかよくいうけど その違いは結局どこからくるかってーと女が産むってとこからきてるだろ
逆に言うと男の体力があるとか、脳の性差、男の方が論理的だのなんだの(これはまあ個人差の方がでかいしあんまり意味ないが)とかそういうのはある意味男は産まないからこそ出てきた能力と言える
それならば男は力があるからとか仕事に向いてるのは男だとかなんとかそういった男特有の(特有ってわけでもないが、暫定的にそう書く)能力を「すごいもの」とするならば、女の「産む」という能力もそれと同じくらい「すごいもの」としないとつりあわないだろう。男の方が力があるし頭がいいから男の方がすごいんだっていうバカな男がいるが、仮にそれをそうだとしてもだ、じゃあなぜ女はそうじゃないのか?といえばそれは女は産む能力があるからなわけだろ。体力に関しても脳の性差にしても、産む→狩りにいったりする必要がない→空間能力とかいらないみたいな流れで出来てるわけで。
だから男の方が力があるし空間把握能力とかすげえから男の方がすげえ!ってのは、そもそも最初から男に有利な指標で考えて、で、男の方がすごいから、すごい、っていう、なんかトートロジーみたいな、あんまり意味がない言い分だろう。それを言うならば、「産む」能力がある方が凄いという指標のもと男女を評価するのであれば、圧倒的に女の方が上となるわけだろ。
そもそも今の世の中の指標自体がまず男が決めたものであって、ある意味それで男の方が上となるのは当たり前の話で、寧ろそんな中なのにこれだけ女が進出しているというのは、「産める上に仕事とかもできちゃうの?」ってこっちは恐れるべきなんじゃないのか。
せっかくなので五輪に例えると、100mの成績こそが全ての指針!みたいな場があるとして、それで100mに参加してる競泳選手達がイマイチ奮わなくて、でも最近は準決まできたよみたいな流れの中「競泳選手とか100m遅すぎwwww」って100m選手が言ってるようなものなんじゃないのかって。じゃあ競泳を指針にしてみよーぜ、ってなったなら100m選手は全然泳ぎじゃ敵わないわけで。寧ろ「お前ら競泳選手なのに100mもここまできちゃうの?」って恐れるべきなんじゃないのか、正しい態度としては。何暢気に「男の方が上wwww」とか言ってるんだよっていう。
でもそもそもなんで女も仕事とかそういういわゆる男的な方に進出してきたかっていうと「女独自の能力」を全然男が認めないまま「お前ら俺より下」ってやってきたからだろ。だから進出してきたんだろうけども、じっさいそういう働きたい女を認めるのは必要だけど、それじゃあくまで男指標の中で女も頑張ってるってだけにすぎないんであって女には不利(そのわりに凄いよくやってるけど)なんであってさ根本的な解決にはなってないんじゃないのか。て別にだから男は仕事女は家ってのをやれ、じゃなくて、産む能力ってものにもっと高い評価をすべきなんじゃないのか。つまり平等にすべきは指標であって、各男女が実際に行う行動を同じにするのでは、今の男指標のままの世界では結局女が不利ではないか。でもそれでも結構なんだかんだやってきてる女がいるってのは逆に、「男って何なの?産むこともできない上に仕事というお家芸でも株とられまくりで…意味あんの?」みたいな自虐思考に走ってしまいそうなのだが。
男と女は違うから、男女平等といってもなんでもかんでも同じにするのは違うってのは分かるんだが、それをやるんなら「指針」を平等にしないといけない。男指針のままでそれをやるのは、結局「女のすることは女のすることだから下」というトートロジー的な単なる女性蔑視を生み出すだけだろ。
とにかく産むっていう能力に対してもっと高い評価をすべきじゃないのか。今は海外はどうなのかしらんが日本じゃ少なくとも実績の割にあまりの低評価。なんていったって「産む」だぞ。ぶっちゃけた話、数学で新しい公式が見つかろうが証明ができようがんなことしたって次世代の子供がいなきゃ俺ら人類は滅びるんだから「産む」事に比べたらたいしたもんではない。
あとこれは男女とは関係ないがそういう意味で農業とか漁業ももっと高い評価を受けるべき。生きるところに直結するものから評価は高めるべき。なんといっても我々人類は、生きて繁殖しなければ全てが終わりなのだから。
そういう「生」に直結することをなぜか、寧ろ今って低評価しすぎな傾向がある。
「産む」能力がない俺らって一体何なんだろうと俺たちが自虐に走るくらい高い評価をしてもいいくらいだろ。本来は。(てかそういう考えに陥りたくないからこそ、男がその能力を否定してきたんだろうが)
動物ってさー、種類にもよるかもしれんけどつがいを作るべ、つがいをよ。
それって、主義とかじゃないべ。
俺にとってあの木の実ついばむほうが価値あるし、つがいなんてつくってらんねーよ。
とか、そういう鳥いねーべ。いや、いるかもしれないけど、いたとしてもそれは明らかに「おかしな鳥」だろ。
恋愛に商業主義がからんでくるのは俺もうぜーというか、なんだかなーというか、思うよ。うん、思う。
でも、恋愛ってデフォだろ。恋愛しないやつは、動物として機能不全だろ。
いや、動物である必要ないっていうなら、俺はぐうのねも出ないけどね、うん。
人間だから理性がどうとかって言われても、俺はぐうのねも出ないけどね、うん。そんだけどうでもいい話。
あとさ、巨乳より貧乳が好きってやつも、動物として機能不全だしね。
だってよー、類人猿のメスって繁殖可能になると女性器が腫れるべ。肥大化つったほうがいいのか。
それがでかけりゃでかいほど、オスへのアピール力が高いんだよ。私はもう子供を作れますよって、アピールしてるわけなのよ。
でも人間は二足歩行だからよ。ほら、まんこ腫れたら歩けねーじゃん?
だからかわりに胸が腫れるわけよ[要出典]。
だから、チチのでかさと乳の出の良さは別問題っつーこと。ボインなサルもいねーべ?
そいういうことだからさ、貧乳好きは動物としてどうかしてんだよ。俺も好きだけどよ。
でも、恋愛するよ。つがいがいないと、なんか寂しくなるよ。
で、結局何がいいたいかというと、動物としてどうかしてる人って、病気なんじゃないかってこと。
いや、病んでるっていうとなんだけどさ、ほら、○○障害とか、そういう類。
医学的にまだ認知されてないだけでさ、なんかあるじゃないかなぁ。
だってさ、きれいじゃないオスを好むメスの孔雀がいたらさ、動物学者はぜったい脳とか輪切りにして調べるでしょ。よくわからんけど。
だから、生殖能力のない年端もいかぬ女性を性的な対象としてみちゃったり、巨乳より貧乳が好きだったり、恋愛とかいらないと考える人って、どっかおかしいんだよ。
いまから参戦だけど、0からの創作なんてありえないって。
「現代美術の印象派」と括れているってことは、そうじゃない前人がいたっていうこと。
模倣と創作は完全にわけてもらってもいいとおもうが、前人の業績を踏まえない創作なんて模倣以前のレベルだとおもうぞ。
そりゃ突然進化でいままでとまったく異形になることはあるけども、ルーツは共有している。
それが踏襲されたものがまったく0というのであればそれは生物以前だろ。
より世間に理解されたければプラットフォームはなるべく近似であるほうがいいというのには、納得だな。
あまり変な変異ばかりするとあたればでかいかもしれないが、ほとんどの場合は繁殖もできずに死んでいく。
理解されない創作なんて作らなかったのと一緒だ。
胎児??幼児期の死亡率がどのくらいあるのかと、狂気犯罪者とか自殺者とか精神病とかアレルギーとかの割合とを比較してみたい。
こういうことを言うと差別主義だとかいわれるけど、
一部の社会問題が遺伝的にどこかが通常以上にダメな人間が、その部分を医療や社会がかばいきれなくなったときに、起こっているという例があってもいいと思うんだ。
そういう目で見てみると、中国のように遺伝的な淘汰圧が強くかかりなおかつ繁殖力の高い地域から、一般人では太刀打ちできないほど病気や環境汚染に強い、超人類が誕生しても良いと思う。そして次の世紀を生き残れる人間がいるとすれば、「超人類」か、従来型人類だけど、機械で周りの環境をなんとか変えられる大金持ちかの二者択一になるだろう。当然、後者がいつまでお金があるかにもよるのだが・・・
何歳になっても自分の子供が持てる上、自分は何もしなくていいんだから
凄すぎじゃね?最強じゃね?
例えばさ、自分は何もしなくても自分の子供が得られる代わりに、年齢制限がある、とかならまだ、あーあーまあね、一長一短あるよね人生、みたいな話じゃん。
でも両方。まさかの両方だよ。何歳でもビンビンなうちは自分の子供を持てるし、その上何もしなくていいんだよ。さ……さいきょうすぎる!一長一短どころじゃない!才色兼備みたいな贅沢な話だよ。
ちょっとさーちょっとどうなの?あまりに女に偏りすぎじゃね?苦労偏りすぎじゃね?
いやまぁさ……動物時代は流されるままに進化し続けていればよかったし、その結果こういう事になったわけですけどね。
ちょっといくらなんでも現代社会と合わないこの負担ぶり。ちょっと不平等すぎる。
その辺ダーウィンどうにかならんかったのか。ダーウィンに言ってもしょうがねーが。
じゃあ神か?でも神様といってもデンデだよ。デンデに罪はないよ。
とにかく特に苦労せずとも子孫のこせるとか恵まれ具合が凄すぎだろ、オス。しかも唯一の仕事の種付けは寧ろオスが一番大好きな作業だよ。何、オス。お前ら、何。ちょっと神とかなんか……その辺の責任者さあ。ちょっと出て来い。なんかなかったの?もうちっとなんかあったろ。もっと平等な繁殖法。魑魅魍魎の自然界に平等とか言っても意味ないけどさ。
なんかその辺考えると産むのバカらしくね?高齢出産に怯えて結婚慌てたりするのもなんかめっさバカらしい。いややんそんなん。その辺考えてたら、「ていうか、結婚も出産もしなければいいんじゃん!そもそも自分したいとか思ってないんだし!」と唯一の回答を思いついた。天才的なひらめきだよ……
そもそも、小学生の時、周りの友達に自分の凄さを誇示するため、調子こいて無理して給食の牛乳を一気のみしまくったりしたら(完全なる小五病)家でひどい下痢になってへとへとになったとき、テレビでちょうど妊婦のドキュメンタリーとかやってて、子供産むのに「ぎゃああああ!!!」って叫んでる女の人が写されてて、お母さんに「これ、下痢より痛いの?」って聞いたら「比べもんにならんわ。下痢の50倍だわ」とか言われて、もう瞬間的に「あ、無理だ」と悟ったくらい年期入ってっから。腹痛とかお前……ただでさえ痛みの中で痛さベストワンなのにそんなん耐える気はっきりいってゼロだから。子孫とかどうでもええっちゅうねん。自分の身体が一番大事やっちゅうねん。それにあれじゃん。どうせ500万年後には人類滅ぶしさ(←フューチャーイズワイルドに簡単にインスパイアされた)。
でもさそういうこと言うと、なんか、出産の幸せとか、私にとっては豚汁より価値のないものを語ってくる人が居るんだけどさ、それ絶対あれじゃん。余りに辛い妊娠出産をどうにか意味あるものにしようとした結果の自己弁護っていうかさ……そんな匂いしか感じられない。語る人が必死に「女の幸せなの!」「本当に子供を産んでほんっっっとうに幸せになれた!生んでよかった!」って、なんかそれ、私らに言ってるっていうより、自分にそう言い聞かせてない?っていう。だからそう語られれば語られるほど「ああ語らずにはいられないほどやっぱキツいんだ」としか思えん。大体さ、男の人が「女の人は出産が出来て羨ましい」とか言ってるとこ聞いたことあるか?そりゃまあ奇特な人ならいなくもないけど(それも大概は女性へのリップサービスだし)普通は「俺が産むんじゃなくてよかったー」じゃん?なんかもうそれで勝負ついてるっていうか……腹から何か出すなんてうんこで十分だよ。うんこ以上のものひねりだせんよわしゃ。必死に「これが女の幸せ」とか自分に言い聞かせてまで産みたーないで、全く。
いや、違う。分かった。おかしいのは、未だ原始的な繁殖をしている人間の方なんだ!な、なんだってー!
考えてみ。出産とか、原始的すぎるでしょ。そんなんお前、何万年前からやってたの、我々は、って話で。もうそんな古いの捨ててこ。ばっち捨ててこ。今まで私ら色々捨ててきたじゃないの。コンクリートで道作ったり空飛んだりビル建てたりしてきたじゃないの。森林は一秒の間にテニスコート云面分減ってるだのなんだの言ってるじゃないの。伐採し放題じゃないの。挙句の果てにネットなんてもんを作ってみたり世界中の皆と友達的なことまでし始めたじゃないの。そんなお前。そんなデジタルな時期にお前、出産とか妊娠ってのがもう古い。もっと言うと睡眠とか、飲食とかももう古い。原始的すぎだろ。これらはねもう、趣味にすべきだよ。趣味に。出産は趣味!クイック手続きで簡単とりつけ人工子宮で男性も女性も1ヶ月で子孫をゲッツ!みたいな感じで。スナック感覚で。
※なんか「出産は女の幸せ!」とか、欺瞞じゃん?ってとこだけに反応してる人がいるけど、別に全ての出産者にそう思ってるわけじゃないYO!書いてある通り、こういう風に妊娠出産に否定的な事を書く女が現れると、すぐさま「そんなことはない出産は女の幸せであり云々」とか「そんな事言う人ほど産むわヨ!」「本当に幸せよ!だからあなたも生むべきヨ!」とか言ってくる人に対して言ってるんだよ!(最初からそう書いたけどね!読んでないんだね!脊髄反射はダメダメ☆)
そうやって他人の価値観を潰してこようとする辺りが必死すぎてみていられないって話☆そういう人って絶対幸せじゃないって(笑)
つーか、男は、メスが妊娠したかどうかは判別できないわけだ。
妊娠しない可能性も多分にあるわけで、不確実性を無視して待つのは繁殖の観点から効率的じゃない。
数を打って確率的な誤差を極小化するのは生物の基本方針だろう。遺伝子レベルでそうなってるわけだし。
対して、女は自分が妊娠したかどうかはわかるからね。
女は自分の遺伝子をより繁殖力の高そうな男の遺伝子と掛け合わせる方が有利なのでとっかえひっかえプレイボーイを漁るようになる
ところが、とっかえひっかえ漁ってたら、誰の子供かわからなくなるんだな。生でやったら確実に妊娠するわけじゃないし。
そうかなあ?
全く同じ理由で「男は自分の遺伝子で確実にはらむ身持ちの堅い女を求めるため慎重に相手を選ぶようになり、女は自分の遺伝子をより繁殖力の高そうな男の遺伝子と掛け合わせる方が有利なのでとっかえひっかえプレイボーイを漁るようになる」とも言えるじゃん。
「男は自分の遺伝子で確実にはらむ身持ちの堅い女を求めるよりも単純に数をこなした方が統計的に見て効率がよい」し、「女は自分の遺伝子をより繁殖力の高そうな男の遺伝子と掛け合わせる方が有利なのでとっかえひっかえプレイボーイを漁りたいが一回の繁殖に最低でも十ヶ月くらいかかるから男ほどは数がこなせない」の方が正しいと思うけど?
街はおっぱいだらけだから、僕は夏が嫌いだ。
嫌でも目に入る、目に入るから見てしまう、見てしまうというより、直視してしまう。
小さければそれで終わり、大きければ谷間を探す、形を想像する、変態かと言われればそうですとしかいいようがない。
それくらい僕はおっぱいが好きだ。
目に見える女性全てに食いつきたくなる、吸い付きたくなる。
でも僕はそれができる立場ではない。
先日僕は結婚した。彼女は24歳だから、僕より五つ下の、若妻と言って良い年齢の子だ。
性格もよく、家庭的で、贔屓目なしにしても可愛い。僕にはもったいないくらいの子なのだが、
しかし、一つだけ不満を言わせてもらうなら、おっぱいがない。
貧乳なのだ。
そりゃ出会った頃から巨乳ではないのは見て解っていたし、それでもつきあって、引かれ合って結婚まで至ったのだから、
不満を言うのも門違いであることは、よくわかっているのだけど、それでも今後永年、僕が甲斐甲斐しく、
誠実でまともな男性であろうと思ったら一生この町中にあふれるおっぱいたちと、ふれあう事ができないと思うと、悲しくもなる。
そもそもどうして僕は巨乳に引かれるのか。
幼少時代のトラウマか何かなのだろうか。
母親の愛を知らないわけではない、とりわけ悲しい人生を送ってきたわけでもない、記憶にある限りでは。
そもそも男というものはなぜおっぱいに惹かれるのだろう。
陰部に惹かれるのはわかる、本能だろう、生殖の為に必要な部分だ、惹かれずにはいられない、それはわかる。
しかしおっぱいはどういうことだろう。別に繁殖繁栄の為に必要かと言われれば、そうではないだろう。
たしかに赤ん坊の頃の大事な栄養源となることはわかるのだけれど、それならば男女平等であるべきだ。
男だけなぜおっぱいに惹かれるのだろうか。
朝から何を馬鹿な事を考えているのかと自分でも思う。
通勤電車、つり革にぶら下がりながら、前に座っている女性に目をやる。
なんとしたことだ、これまたおっぱいである。
僕は開いている胸元に谷間を確認する。
しかしそのおっぱいたちに僕が何ができるかといえば、何も出来ない。
出会う事もないのだ。
何かできるとしたって、僕は何も出来ないだろう。
僕は誠実でまじめな男なのだ。そして弱虫なのだ。
外に一日出て、平均で10おっぱい、それが毎日である。
家ではかわいい若妻が待っている、僕は何も口にしない。
そんな毎日がずっと続くかと思っていたが、転機が訪れた。
会社の健康診断の結果が返ってきて、自分の身体について見てみたら
胸囲が100cm以上あったのだ。
昨日送られてきた「バスト? 89だよ!!」というスパムメールに対して
という返信をした事を思い出した。
求める巨乳は自分自信が持ち得ていたのだ。
僕は自分の乳をもむ事にした。特に気持ちよくはないけれど、巨乳が手の中にはじける。少しうれしくなった。
変態のように思えるだろう、しかししょうがないのだ、法律が悪い。既婚者である僕が、24歳の貧乳の妻に対して、
甲斐甲斐しく、誠実で、まともな男性であるためには、仕方が無い事なのだ。
活路を見いだした。僕はこれで我慢すれば、幸せはずっと続いていくことだろう。
かなり面倒。
美味しいけど、塩分調整が難しいのでかなり趣味色が濃い。
これならパンチェッタの方が俺は好き。
1.
豚バラ肉をかたまりで買ってくる。
塩を全体にこれでもかってくらいまぶして5日くらいジップロックにいれておく。
もしくは、15%くらいの塩水を作り漬けて同様にジップロックで保存。
2.
5日後、豚肉を取り出して水で塩を落とす。
端っこを切って、焼いてみて塩加減を見る。
しょっぱかったら、ボールに水を入れて肉を漬ける。
30分くらい毎に塩加減をチェックする。
ちょうどよくなったら、水分を抜くんだけど2つやり方がある。
3a.
市販の脱水シート(ピチットシート)など
で豚バラを包んで、1日毎くらいにシートを換えて4日くらい乾燥させる。
細菌の繁殖を防ぐため、包む前ごとにウォッカなどの強い酒をスプレーで吹き付けること。
3b.
トレイに網を載せて、その上に豚バラをそのまま載せて冷蔵庫に入れる。
この場合も、細菌の繁殖を防ぐため、1日おきくらいにウォッカなどの強い酒をスプレーする。
これも4日くらい。
4.
スモークする。
チップは買ってくる。
深めの鍋やフライパンの底にアルミホイルを引いてチップを載せる。
1時間くらいやれば完成。
スモークしたてだと、薫香が強いので1日くらい置く。
ちなみに3a or 3b を2週間くらい続けるとパンチェッタになる。
(スモークはしない)
作って比較するとわかるけど、パンチェッタの方が美味しい。
両方とも完成したら、小分けで冷凍するといいよ。
とにかく、ウォッカで消毒は忘れずに!食中毒になっても責任はもてません。
くせがあるけど、便利。
イタリアンが好きなら作っておくといい。
ただ、材料が手に入いりにくい。
カタクチイワシ(地域によってはヒコイワシ)、塩(自然塩がおすすめ)、オリーブオイル、好みでハーブ類を用意する。
1.
鰯を軽く水洗いし、水気を拭く。
2.
タッパーに塩を1面ひいて、鰯をまるごと並べていく。並び終えたら上に塩をひき、以下繰り返す。
3.
常温でOK。夏場は期間短め、冬場は長めにする。
4.
数ヶ月後、タッパーを開ける。
思ってるほどくさくなくて、煮干しっぽい香りがします。
鰯を取り出して、手開き( or 包丁で開く)する。
清潔な瓶を用意し、身を入れオリーブオイルで満たす。
このとき、オイルから実が出ないようにする。
いろんなハーブをいれてもいい。
ちなみにタッパーの中には汁がありますが
これは濾して火をいれるとナンプラーになります。
オリーブオイルに入れた鰯を2週間くらい冷蔵庫で保存すれば完成。
けっこう面倒だけど。
50匹単位くらいで仕込めるので年1回作れば1年中使える。
オリーブオイルに入れとけば基本的には腐らない。
毎日新聞より。
ビスフェノールA:プラスチックの原料、胎児に影響 国立衛生研、ラットで確認
◇基準以下でも
プラスチック製品の原料になる化学物質ビスフェノールAが、現行の安全基準以下でも胎児や新生児に影響を与えることを国立医薬品食品衛生研究所(衛生研)などがラットで確認した。厚生労働省は、内閣府の食品安全委員会に評価を諮問する検討に入った。【下桐実雅子】
実験では、母ラット5群に、妊娠6日目から出産後20日まで、ビスフェノールAを毎日投与。与えない群も含め、胎盤や母乳を通じた影響をみるため、生まれた子の発情期など性周期を約20匹ずつ長期間観察した。
大人に相当する生後7カ月になって比べると人の1日摂取許容量の体重1キロ当たり0・05ミリグラム、それ以下の0・005ミリグラムと、同40ミリグラム以上の高い量を与えた3群の計5群の子ラットに発情期が続くなど乱れが起きた。
ビスフェノールAについて環境省は04年、魚類で内分泌かく乱作用が推察されるとしたが、人への影響は認められないとしている。
衛生研の菅野純・毒性部長は「性周期の異常は、ビスフェノールAが中枢神経に影響を与えたためと考えられる。大人は影響を打ち消すが、発達段階にある胎児や子供には微量でも中枢神経や免疫系などに影響が残り、後になって異常が表れる可能性がある」と分析している。
ビスフェノールAについて米政府は4月、「胎児や子供の神経系や行動に影響を与えたり、女子の早熟を引き起こす恐れがある」とする報告書をまとめた。カナダ政府もビスフェノールAを含むプラスチック製哺乳(ほにゅう)瓶の輸入、販売、広告を禁止する方針を示している。
誰も指摘していないようだけど、これの一番の注目点(問題点?)は、「低用量効果があった」ということ。低用量効果については、http:////www.engineer.or.jp/cpd/uneyama.pptなどを参照。記事になった国立衛生研の実験では、40mg/kgの高用量と、0.05mg/kg、0.005mg/kgの低用量で影響が見られたとのことなので、その間の用量では影響は無かったということだ。普通は用量が少なくなればその分、影響は少なくなるのだが、この場合は(中間の用量から)用量を減らしても影響が出る。これは毒性学の常識に反しており、このような低用量効果の存在をめぐって議論がある。欧州食品安全機関や産総研によるビスフェノールAの評価では、低用量効果は否定されており、FDAも同じ意見を持っている。
低用量効果の存在の有無について、低用量効果が無いとした論文は企業などから金が出ていることが多く、信用できないといった意見があるが、本当か。しばしば相反する結果を評価しなければならない場合、どのようにするかといえば weight of evidence(証拠の重み付け)といった考え方が用いられる。企業から金が出ているとされた論文は、一般的に、公的なガイドラインに沿った試験法を用いて、十分な匹数(10匹以上)で、熟練した技術者の居る試験機関において、GLPで実施(→データの改竄など不可能)されている。一方、低用量効果があるとした論文は、標準的ではない(しばしば独自の)試験法で、少ない匹数で、「環境ホルモン」が話題になりだしてから実験をはじめたような人たちが、大学などで非GLPで実施(→データの改竄・恣意的な統計処理などが可能)されている。評価にあたって、企業側の出した論文しか評価されないといった批判もあるが、どちらのデータがより信頼できるか考えれば、仕方の無いことだ。企業から金が出ているとされた実験のほとんどは、必要があれば生データを評価機関に提出できるが、大学で行われた研究ではどの程度まで生データを保存しているかは研究者によるのではないか。
企業は「低用量効果がない」ことを証明したいという動機があるかもしれないが、もちろんデータの改竄はできない。それを言い出すならば、大学や公的研究機関のほうも、「低用量効果がある」ことを証明したい動機があって、動物実験につきもののばらつきなどを低用量効果と誤解したり、低用量効果があるはずだというバイアスが試験結果に及ぼしている影響もあるかと思う。このへんは信頼関係で成り立ってるんで、フォン・サールみたいに「企業が金を出した研究は信頼できない」って言われると、それは科学論争ではなくなってしまう。低用量効果を言い出したフォン・サールの助言に従って、条件を揃えて別々の機関で追試が行われたが再現されなかった。1998年の環境ホルモン国際シンポジウムではフォン・サールから「企業側の試験では陽性対照でも影響が出ていないから試験全体が無効」という反論があった(http://www.southwave.co.jp/swave/7_spe/news_9901.htm)。このときの陽性対象は低用量のジエチルスチルベストロール(DES)で、実験するほうはこんな用量で陽性がでるわけが無いと考えているのだが、フォン・サールが強硬に主張するので入れられたものだ。もし低用量効果が無いんだったらこの陽性対象であるDESでも影響出ないに決まってるじゃんフォン・サールは何を言ってるのか。っていう空気になった。
低用量効果以外の話では、環境ホルモンがらみでは、それは何か意味がある指標なの?毒性学的にどんな意味があるの?といったものも多い。ラットの脳に直接、ビスフェノールAを注射投与したら、活動量が上がったので、多動と関係あるかもしれない。とか。そんな研究がリスク評価の、何の役に立つの? 環境ホルモンがらみだと研究費がとれるからっていって、本当ろくでもない研究も多いし、税金の無駄だと思うがこの辺はいくらでもあげれそうなので省略。
さて、国立衛生研の試験に戻るが、ビスフェノールAの胎児期からの投与と、生まれた雌の性周期に関する研究はすでに行われてる。ラットの三世代繁殖試験で性周期も含めた観察が行われ、低用量効果が無かったことが確認されている(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12075117)し、マウス二世代でも同様(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18445619)。国立衛生研の試験とほぼ同様と思われる試験で、ラットの無排卵持続発情状態になるまでの期間も測定している試験がある(http://www.jstage.jst.go.jp/article/jrd/50/3/349/_pdf)が、やはり低用量効果は観察されなかった。これらの結果は現行のADI 0.05mg/kgは安全であることを支持する。
そもそも種類にもよるが、7ヶ月のドンリューラットはそろそろ無排卵持続発情がはじまる時期で、いつはじまるかは個体差によるばらつきが大きい。このような微妙な指標を用いて試験すると、偶然によるばらつきもあるし、そもそもそれがちょっと変化したからってどの程度の毒性学的意義があるかも不明なのではないかと思う。DESの高用量投与では、かなり早い時期から無排卵になることは知られているので、それで実験してみたのだろうと思うが。
人間は、ラットよりもビスフェノールAの感受性が低いと考えられる合理的な理由がある。肝臓でグルクロン酸に抱合され急速に排出されることや、妊娠中のエストロゲン濃度が非常に高く、ラットで影響が出たような量では影響が無いと考えられることなど。
このへんまでが予備知識で、この実験の詳細に関してはやっぱり論文見るまでなんとも言えないな。
ここからは雑談。子どもが出来たら、たぶんポリカーボネート製の哺乳瓶を使うと思います。軽いし丈夫だし。でも、もしかしたら、ポリカーボネート製の哺乳瓶なんて無くなってるかもしれないな。塩ビみたいに。
なんか不思議だなと思う。
周りを見ていても、少子化だの晩婚化だのなんだの言っていても、なんだかんだいって皆(ちなみに私は大学生で周りもおのずとそのくらいの年齢だが)、結婚願望、子を持ちたいという願望は備えている。し、実際そうしようとしている。なんだかんだいってまあ最終的にはやっぱり結婚するしやっぱり子供持つよね、みたいな流れ。男女とも。
その当たり前のような流れが凄く不思議。
昔の人ならまだ分かるけども、今のご時勢でなんでそんなことを思えるのかって。いや、彼彼女らが、「今の少子化日本を救うために、我々が立ち上がらなければ」と考えているなら凄いけど、まあ、そういうわけじゃないんだろう。
少なくとも私的には絶対ナシ、ナシというか、もう「無理」な感じ。
結婚したら、なんだかんだで共働きでも妻がほとんど家事やってる家がほとんどなのが現状。
子供なんか産んだら仕事していられないだろうし。そしたら退職するんだろうけど元に戻るなんて今の日本じゃ建前上可能でも実際には無理っぽい。よほどいい所でもないと。子供が育ってきて、公立は色々と危ないから私立にいれるなんていったら、金かかりまくり。そしたら子育てしつつパートとか?夫も残業しまくりでへとへとで二人になってへとへとで?たとえばそうやって子育てしている間に、夫が実はとんでもない人だと分かっても、今更離婚なんてできない訳じゃん。今の世でシングルマザーなんて考えただけでぞっとする。そもそも子を産んだら、その時点で夫に依存せざるを得なくなる。その状態が正直恐ろしい。夫がとてもすばらしい男性でありその状態が永遠に変わらないという前提があれば問題ないが、そんな前提は当然ながら現実的ではない。実際、そういうことで苦労している女性のなんと多い事か。ああいうのを見ていると結婚なんてなぜするのか、そのメリットが恐ろしいほど一つも見出せない。苦労して育てた子供も自分の面倒見るかどうかなんてわからないし、そんなことを強いさせるわけにもいかない。
とにかく赤の他人に生活を依存せざるをえなくなるというシステムが私にはまず怖い。しかし、子供を産めば今の日本では女性はよっぽど仕事面で有能な高給取りでもなければ一時的どころかその先ずっと夫に頼らざるを得ない。それが非常に恐ろしい。夫がどんなに酷い人間であってもあるいはなっても、逃げることができない、あるいは、逃げても悲惨な道しか待っていない。そんな可能性が割りと多分にあり頻繁に起きているこの世で結婚をしたいという人が信じられない。
「結婚前によく相手を見極めればいい」なんて現実離れした話。そんな事は所詮絵空事で実際に可能とは思えない。出来ているつもりの人も多々いるけど、それはたまたま、今まで関わってきた人が裏切らなかっただけの話で、どんなに人を見極めるのが得意のつもりの人でも、いつ騙されるかなんて分かった物じゃない。そもそも人間は変化する。その時点で結婚前に見極めても無意味だ。
まあ実際に私が万一結婚するということになったとしたなら、私は家事を一手には絶対に引き受ける気は無いので、その時点で私と結婚したい男性などほぼ皆無になるのだろうけど。したくないというよりそういう意味では無理だ。その上子供欲しくないなんていったらますます私と結婚したい男性などいなくなるだろう。別段、私には人より優れた魅力があるわけでもなし。
そういうわけで、結構最初から結婚は諦めている。したくもないし、したいとしても相手がいないので無理、ってことで二重に無理。高望みなのかもしれないが、高望みもなにもその条件がダメなら私には結婚に対してデメリットしか生まれてこないので、結婚自体する意味がなくなるというだけの話。
メリットデメリットなんていうなんて変、結婚は愛があってするものだ、とか、子供は夫婦が愛し合った結果云々とか、そういうロマンス的な事を語ってくる人もいる。別にそういうのを否定するわけじゃない。わけじゃないが、それだけじゃ生活は成り立ってゆかないのも事実。現実的生活を直視した際に、そういったロマンス的な要素は味付けにこそなってもメインの土台には到底なりはしない。愛がいくらあっても食べていけなきゃどうしようもない。ロマンス的な理由だけで結婚や子供を作ることが可能なのはよほどの富裕層の話で、私のようなおそらく下流人には既に結婚等にそんなロマンスを楽しんでいる余裕など無いと思うのだ。悲しいけど。
大体情熱的な愛とやらの勢いで結婚した所でそれはいつまで持つのだろう。子供ってなんか可愛いし、子育てしてみたーいなんていう子も周りには多いけど、子供がそんな愛くるしいのって幼児までなんじゃないのか、中学生くらいになって「うっせえよババア!」とか「ていうかお母さんホントウザいんだけど。キモい。アンタに似て生まれてきて私可哀想」とか言われてきてもそんな悠長な事言ってられるのだろうか。いや、多分大多数の母親はそれでも子供が好きなんだろうけど(偉いなホント)、でもそれは「子育てしてみたーい。可愛いし子供」なんてノリでは到底務まるものじゃないんじゃないのか。私にはそんな事が出来る自信はない。一人の人間を育てる自信も責任を負う自信もない。そう言う意味で母と父は凄いと思うけど。結構今のご時勢、子連れの母には「つーか子供つれてくんなウザい」という視線も強いしなあ。そんな社会の空気のなか厳しい子育てなんて出来る自信はからっきしない。てか無理。むりむりむりむりかたつむり
ていうかもうぶっちゃけ根本的な事を言えば、そもそも子育てなんかしたくない。面倒くさい。
他人の子供はそこそこ可愛いと思うし姪っ子の世話くらいはするけど、それらが楽しいのは、単に一日だけ預かったりというレベルだからだ。毎日会ったらきっと疲れるだろうし、子供に対して暢気に「可愛い」とかいう感想だけを抱いてはおれないだろうと思う。
自分の遺伝子を残したいとも特に思わないし、残せない事に特に何も思わない。
また更に根本的な事を言うと男性と付き合うという事に特に興味が無い。結婚もしかり。別に男性が嫌いなわけでもないけど、かといって好きなわけでもない。異性関係というのに興味が無い。いや、興味が無いというのは嘘かもしれない。萌えることはするし。性欲ないわけじゃないし。ていうかあるし。
興味が無いというより異性と付き合って、何をするの?ってのが一番素直な所かもしれない。遊園地?映画館?喫茶店?カラオケ?…一人で楽しんだほうが楽しそうだ。数少ない趣味も、適当にドライブしがてらPAめぐりをするのとか本屋で本を探るとかそんな一人でやれそうなもの、というより一人でやるべき物の方が多い。とすると結局恋人同士ならではのことってキスとかセックスくらいしかないけど、別にやりたかない。二次元絵でも探ってオナってる方が正直よい。(よいっつってもしたことないんだけど)
そうすると老後寂しくなる&厳しいかもしれないとしても、淡々と一人で仕事しながら生きていく選択肢の方がなんぼかマシかな、という気になりもする。というよりも、消去法でそれしかないといったほうが近いのかもしれない。まあ……人生におけるロマンス部分はこう漫画とかゲームで補わせていただくとして。サプリのごとく。
しかし……こういう事を考えていくと、「何で生きてるんだろう?」っていうところにどうしても思考が行き着いてしまう。ずっと一人でさ。食っていくために仕事してさ。病気に怯えつつ細々と暮らしてさ。……何になるのさ?なんで生きてるの?って感じはする。もしかして人はその疑問、不安を補う為、子を育てているのかな。
私はなぜ生きているのか、といわれたら、とりあえず、死にたくないし、くらいしか答えが無い。あとは今連載中の漫画が終わるまではとりあえず死ねないとか、やっぱ死んだら親悲しむし、まだ親孝行とかしてへんし、とか、死ぬ勇気(これを勇気といっていいのかどうかわからないけど)がそもそもない……リスカなんて痛そうでとてもできん!毒も怖い!飛び降り!?むりむりむり!!死ぬの怖いよー。漠然と長生きしたいけど、でも長生きしてどうなる?っていわれるとどうしようもない。ただこの世の中というのは、どうなっているのか、この世界の仕組みというか、そういうものにはずっと、興味がある。科学的なアプローチでも哲学的なアプローチでも。なぜ、そもそも、私が存在するのか、私はどこに存在しているのか、なぜ生まれたのか、その前は?私というヒトの個体が生まれた理由は単に、私の親が繁殖活動を行ったから、で終わりなのだが、そうじゃなくてなぜ地球が生まれたか、つーか宇宙が生まれたか、そういうことや、哲学系の本でよくある「そもそもほら3秒前に世界が出来たのかもしれないよ?え?そんなはずない?だって証明できる?できないでしょ?」とかそういう話が大好きなのだ。でもそれは、そういう「未知」の部分に私が逃げているだけなのかもしれない。宇宙やら意識やらという大それた話の、未知なる部分というもので、無味乾燥でどちらかというと辛いだけっぽい人生にロマンス分を補っているのかもしれない。無意識の補填活動なのかもしれない。どこかで「全てが嘘でした」みたいな、そういう根本からひっくり返してくれる何かを少しだけ期待している気がする。今生きているのが滅茶苦茶辛い、一刻も早く死にたい、というわけではないが、結婚も子も完全に期待していないのを前提に、ただ己が食っていく為働き、疲れ、それを繰り返す、その先にいつかは死が待っている、その人生を送るよりかは、たとえ悪い方向だとしても大きな変化を求めているのかもしれない。根底では。でも多分だけれど実際に大きな変動があったら以前の変化しなかった日常を愛しく思うのだろうな。心のどこかで「全てが嘘でした」「(なんでもいいが)大災害で全部地球ぶっこわれました」というのを望んでいるけれどそれが叶ったら多分後悔する。複雑な気持ちだ。
平凡な結論だけれど、やっぱり、何のために生きているのかもなにもない、なんていっても、人間だって結局は単なる動物の一つに過ぎなくて、私という個体はそのなかでも現在だけでも何十億といる同じヒトの中の一匹に過ぎないわけで……私がいなくなろうが世界は(少しばかりの人がひっそりと悲しんでくれるだろうけど)当然ながら動いていくし、いるからといって特に影響があるわけでもない。色んな人がいる、酷い人や、ムカつく人や、優しい人、色々いる、というより、一人の人間において、優しい面もあれば、酷い面もある、いや、というより、優しいと私が感じるような行為を相手が行うこともあれば、酷いという行動を相手が行うこともある。昔は、いや今もその気があるけど、一つ一つのいわば反正義的な行為が許せなくていちいち憤慨していたが……今ではある意味仕方が無いのだとある程度思うようになった。世の中、理不尽で不平等なのだ。そういう世の中なんだ、ってことじゃなくて、そもそも人間の価値観からすれば根本的に理不尽で不平等な「もの」なんじゃないかなと。理不尽というけれど世にはただ原因と結果があるだけで、個々に対して理不尽とか正しいとか平等とかそういうものはない。それに人間独自の感覚で味付けを施しているだけなんちゃうかな。それでも人間は自らルールを決めなるべく快適に生きられるようにと色々な工夫をしている。だからおそらくはまだマシな方なのだろう、理不尽さが「ある」から酷い、のではなく、寧ろ基本的に存在するはずなのにこれだけ消えていることに驚くべきことなのではないだろうかと思う。それでもやはり怒るものは怒るし許せないと感じるものは依然として許せないと感じる。しかし理不尽が当たり前だからと言ってそういう感情が私から発することとはまた別なのだろうと思う。納得してある程度消すことも可能だけれどそれはその方がいいのかどうかは分からない。結局……まあ、あれだ。無意味だとかなんとかいっても、そう、そもそも意味なんかないんだよな。別に。ないんだけど、うん、ないんだから、いいのかねえ?「あ、あなたの生きる意味、これですから」って使命書手渡されても、それはそれで、困るし。合致していたらいいけどね、嫌なことだったらそれはもう単純に苦しみだよ。しかしこの場合の「無意味」というのは、「だから自分で作るんだ!」という類の「無意味」とも違う気がする、なんというかもっと根本的な無意味、自分で自分の人生に意味を作ったとしてもそれは砂上の楼閣であり、やはり無意味な事に変わりなし、といったレベルでの無意味さなような気がする。うまくいえないが。
だからどうする?わからない。とりあえず、苦痛を避けたい。結局それか。やはり何か人生レベルの目標があったほうがいいのかもしれないけど「この命を賭しても……!」といえるくらいの目標がまだ作れない。プチ目標ならあるが、「この命と引き換えにでも」とか言い出すとやはりそこまでではない。何かもっと、「エベレストに登れるならば、この命、登った途端に消えうせても本望じゃ!」みたいな、確固たる目標があると多分生きやすいんだろうな。うん。そう言う意味ではやはり、「あなたの生きる意味これですよ。ハイ」と手渡された方が、思考停止できて、楽なのかもしれない。でも、無い。色々試すには、時間も無い。帯に短し、たすきに長し。漠然と生きるには長すぎる。でも何か本気で探すには、短すぎる。人生ってやつぁ……犬生や猫生より、頭でっかちな分、厄介だなあ。
ペマ・ギャルポ氏が「パンダはチベット固有の動物」と言っているようだが
ジャイアントパンダはかつての大チベットの領域から四川省、陝西省にかけて広く生息している動物。
ペマ・ギャルポ氏のこのような発言は民族主義者にはありがちだが
問題なのはそれを鵜呑みにしてデマを広げる人々。
どうして一度ググっておかなかったのか?
<参考>
http://panda100.jugem.jp/?eid=70
<おまけ>
>現在の海外リースパンダはほとんど成都市の成都パンダ繁殖研究基地謹製パンダで
>神戸のコウコウ&タンタンは臥龍中国パンダ保護研究センターのこれまた人工飼育パンダ。
>それ以前の贈答用パンダは
>ランラン(メス)は宝興塩井郷
>カンカン(オス)は宝興ロン東鎮??羊溝
>ホアンホアン(メス)、フェイフェイ(オス)は宝興ヤオジー郷
>残り
>リンリン(オス):( 北京動物園生まれ>ホアンホアンの子ユウユウとの交換で日本へ)
>妻のトントン死亡後、3度にわたり繁殖の為にメキシコに行ったりしたが駄目だった。
>シュアンシュアン(メス、リンリンの後妻で繁殖の為の短期リース。失敗して帰国)(メキシコ)
>チュチュ(オス。生まれてすぐ死亡)
>の三匹はホアンホアン、フェイフェイの子供で上野動物園生まれの日本産
>和歌山の現在も存命の4頭も日本産(ワシントン条約で所有者は中国)
>和歌山では都合8頭生まれていて1頭は直後に死亡で名前も付けられず
>1頭病死。2頭中国へ。で残4頭。
そもそも応用的な内容が、簡単に多くの人に通じるなら、それは本当に応用的な内容か疑問だな。
応用的=難解というのは安易な置き換えだとしても。
一方で、無知だからこそ出来ることもあるので、その見極めは極めて難しい。
本来は、簡単な理屈で、ある程度難解なことがすぱっと説明できることが醍醐味なのだろうし、
それがある程度に留まっている範囲を見極めることが基礎レベルに達するということでしょう。
学問的なはなしであればそれで済む場合もあるが、そうでないと一段とやっかいになる。
その素人さんらが安易に参入したがる分野というのは、得てして魑魅魍魎とした世界で、
応用的=内部にだけ通用する理屈、特殊な知識や風習に精通することでもある。
そこは陰謀論の繁殖地だし、繁殖地だからこそ内部の人は得することも多いので余計に温存されやすいのだが。
そうでなくても一定以上のトレーニングが必要だが、そのトレーニング環境も魑魅魍魎としていること少なくないw
基礎が分かった上で、なんらかの矛盾を感じながらも応用に取り掛かることと、
応用だけをみて対処法だけを学んで矛盾を感じることとでは、矛盾の質が異なるのだが、
なんだかそこは難しい。上滑りと切り捨てることは簡単だけど、それが通じる相手でもない。
http://anond.hatelabo.jp/20080504032459
私も同意。
今の先進国の少子化問題って、人間の生物としての本能なんじゃないかと私は思っている。
動物は、繁殖だけが本能で、それが際限なく繰り返されるかというと、実際には何らかの形で歯止めがかかっている。
大抵は他の動物に捕食されるというパターンだけど、場合によっては生まれてきた子供を間引くなんて事もある。
どちらの歯止めが利かなくなったとしても、結局は餌が足りなくなって数が減ってしまう。
人間の場合、昔は衛生状態が悪い、病気が多い、食糧不足、戦争などが、人口の淘汰される原因だったけど、特に先進国ではそのような状況が著しく改善されている。
それに、先進国の文化水準を保ったまま人口が増えると、地球資源を食いつぶしてしまうおそれがある。
「産めよ増やせよ」もいいけど、それだけだと人類共倒れ。地球資源大食らいの日本が自然に人口抑制の道をたどっているのは、まさに自然界の叡智ではないかと思う。
でも、少子化は解消されるけど、戦争とか食糧不足とか病気とか凶悪犯罪が多発して、そっちの方法で強制的に人口抑制される日本の方がいいって思う人もいるのかな。「自分はその一人になるはずがないけど」とか言いながら。
http://anond.hatelabo.jp/20080327165138
生きるために食べること、寝ること。交尾をして子孫を残すこと。これらは生き物として最低限の活動であって
その「最低限の活動」を全うできない個体が「劣っている」と評価されるのは至極当然のことだと思う。
とっくに学問的には否定されてる社会ダーウィニズムを信じている馬鹿がいつまでも淘汰されないのはなんでなんだろうね。
その、進化論的文脈でいう「劣っている」とか「優れている」は「繁殖」という一面に着目しての評価だから、あんたの言ってる「繁殖力の優れた個体は(繁殖力に)優れている」ってのは単なるトートロジーなの。そんなことぐらいちょっと考えればわかるだろ。