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はてなキーワード: 精神論とは

2008-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20081224153714

精神論とかじゃなく、それがいちばんの具体的な解決方法だと思うよ。

マスコミがよってたかって「派遣は不幸」とレッテル貼りして、どうしようもない社会的弱者のように扱うのがこの問題の癌。

幸福派遣もいれば、不幸な正社員もいる。

いまの雇用問題の原因はマクロにあって、デフレ対策がとにかく急務。

派遣だから問題なのではなく、職がないのが問題。

派遣という制度が不幸の源みたいなレッテル貼りが、幸福だった派遣すらも生きにくくさせている。

http://anond.hatelabo.jp/20081224032359

理想はそれなんだけど、現実にはなかなかうまくいかない。

たとえ自分がやりたくなくても、何かに付随して発生する必要な勉強というのはよくある。

勉強をやめろ」だと言葉狩りとか精神論になってしまう。

むしろ個人的には目的を見極めることのほうが重要だと考える。

経験的にはモチベーションの維持とは切り離して考えたほうがいい。

勉強するかどうか」が気分に左右されることになり、一定的に前に進むことが難しくなる。

2008-12-21

はてなの)非処女の何が気持ち悪いのかを考えてみた

これはネトウヨにも通じる事だが

とにかく都合が良すぎるんだよね

自分の細かいことはきにしない

相手の細かいことはつつきまくる

ようするに自分が可愛すぎる

ただ愛(国)だのに浮かれて腰振ってただけのくせに、さめたら童貞野郎経験してないくせにみたいな

どっから出てくるんだっていう優越感と、男の所有欲論などでたいしたことない意見デコレーションして逃げる。

ネトウヨも、戦争犯罪は否定しても、戦時の武勇伝は好きで、天下国家大好き)

やばくなったら相手を気持ち悪い!とか適当な事言って精神論で煙に巻く

中古

ってやつを考えてみた

オナニーしたら中古になるのか

手ではどうなのか

なにか道具を使ったらどうなるのか


まぁ当たり前の話だけど、処女って存在精神的なものなんだろうと自分のなかで思ったんだ

だからさ

非処女中古という話がおかしいのなら

その反論で、膣に膜なんてないとかいうのはおかしい

中古の人たちは

処女厨は気持ち悪いと、精神論人格攻撃することに逃げつつあるけど

もうすこしまともな反論をするべきだよね

2008-12-20

逃げまくってきた末に行き着いた俺の精神

http://anond.hatelabo.jp/20081219121223

上の増田の気持ちと精神構造はすごく共感できる。ってか君は俺か。

たしかに逃げ癖,負け癖の蓄積は精神破壊する。

何度も精神的に死にかけたし、何度も妄想で人を殴り殺した。

現実にならなかったのはほんのちょっとのタイミングの違いだ。

タイミングさえ違えば今頃塀の中で暮らしてたかもしれない。

増田と同じくちょっと俺のカスな逃げ話もカウントさせてください。

小学校4年の頃、近所の少年野球チームに入った。

ヘタクソのままレギュラーにもなれず1年で辞めた。(1回目)

小学校5年生のころ、学校サッカー部に入った。

これもヘタクソのままカス扱いのまま1年で辞めた。(2回目)

小学校6年生のころ、ラグビーチームに入った。

もちろんヘタクソ鈍足ガリガリチンカスは変わらず半年で辞めた(3回目)

もうこのへんくらいからスポーツは向いてないと悟ったので

中学生の頃は帰宅部になった。勉強やろうと思った。

高校はそこそこ中途半端進学校にはいることができた。

で、高校2年生のとき高校ごと辞めた。(4回目)

根性足らずで勉強について行けなくなった。そんでやる気もゼロになった。

そうしてるうちに朝起きても体が動かなくなった。

夜起きて昼間に寝るようになった。

テレビばかり見てメシ食って屁こいて寝るだけの生活になった。

そしてたくさんいた友達は全ていなくなった。

ヒキコモリを2年やった後、バイト生活を転々と計4年ほどやった。

最後のバイト先は1年半ほどやってバイト仲間ともすごく仲良くなったが

ある日突然そのときの気分で衝動的にバッくれた。(5回目)

トレインスポッティングエンディングみたいにバイト中に走って逃げた。

バッくれたその足で衝動的に地方から東京に出た。

たくさんできた友人知人もまたいなくなった。

東京にでてきてから自分の繰り返す不甲斐なさ情けなさに激しく落ち込んだ憤った死にたくなった。

ヒキコモリから精神的に立ち直っていたのに、この一件で再びおかしくなった。

具体的には自虐的かつ暴力的な思考が加速した。一人言の口癖は「殺したろか」だったと思う。

でもその意味わからん怒りをパワーに変えようとした。そして一応決心した。

バイト生活、非正規雇用不安定な生活から抜け出してやると。

社会階層を駆け上がるべく専門職に就くことを考えた。

選んだ道は大学法律を学ぶことだった(弁護士コースではないけれど)。

その後1年間のバイト受験勉強を両立してマーチレベルの私大に入った。早稲田には落ちた。

まあ中途半端レベルまでしか受験勉強できなかったってことだ。

大学に入ってからはサークルにも属さずひたすら授業と資格勉強をやった。

まあ通常より5年も遅れているから今更大学デビューとかいう気にもなれなかったし

何より精神的にはかなりすさんでいた(暴力的に)ので、あえて大学では勉強のみに集中した。

何ていうか肩が触れ合った、目が合った、足踏まれたとかで完全に殺すつもりで喧嘩になるの前提で

怒鳴り散らしてた。俺があまりにもキティGUYだったのか、怖がられたのかキモかったのか

不思議と一回も暴力沙汰にはならなかった。

冒頭に塀の中にいないのはタイミングの違いだけと言ったのはこのへんのこと。

大学1年の終わりには法律むいてないっていうか

どうしようもなくつまらなくなってやめた。(6回目)

勉強の動機が不純というか目的のための手段でしかなかったので

法律の内容自体に興味関心がなかったのが敗因だったかもしれない。

う、ここまで書いてたら改めて情けなくなってきた。orz...

大学2年のときなぜかプログラミング始めて色々ツールとか作ってるうちに

大学院に行こうとまたいつもの心変わりの決心をした。

周りに競争相手もいなかったので(文系学部の図書館でひたすらCとかJavaとか数学とかやってた)

スイスイ自分のペースで集中して勉強できた。

結果大学院(他大学理系)にも受かった。

大学院に入ったはいいが周りの出来の良さに驚愕した唖然とした自分の身の程を

客観的に知った死にたひタスケテ状態になった。

ゼミレジメきるだけでも頭の違いが良く出るのだけれどもそれはそれはもう

俺のやってきたことがフェイクだった事を200万回はわからせてくれるほど

レベルの違いは明らかに出た。微分方程式って何ですか?おれ馬鹿ですかありがとうございました。

それでも1年のときは何とか食らいついてギリギリこなしてたけど

2年になって就活つまづいたのをきっかけに完全に死にたい死に体となって

死んだも同然の幽霊学生となりかけたのだけれども逃げかけたのだけども

何とか踏ん張ったり落ちこんだりを繰り返して繰り返して

何とか仕切り直して極低レベルな内容だけど修論書いてる。(7回目免れかけている)← イマココ!

学会発表にももうすぐ出場する予定。

長くなってすいません。言いたいことはここからです。

逃げまくってきた俺がここで今逃げないのはなぜか言わせて下さい。

「逃げるなら死んだ方がマシ(精神衛生上)」と心底思うからです。

死んだ方がマシというのはやりきって玉砕したほうがマシという意味です。

マッチョ精神論ではないです。

賞味の話20代後半で7回目逃げるってもうその後の精神状態考えられない。

発狂する死ぬ。もう立ち直れない。もうここで逃げたらこの先メンタル完全に退廃。過去にがんじがらめになって

次の一歩を踏み出せなくなる自尊心のかけらもなくなる何をやるにしても実績がないので自信がないetc...。

過去の負け続けた経験にこのまま一生苦しむくらいなら今ここで死ぬまでやりきって完全燃焼して

結果ダメでも結果体壊して死んでも結果大恥かいて羞恥プレイの刑にあって自尊心を虐殺されてもやりきる方が

逃げた後の死ぬほど情けない気持ちを一生引きずるよりいいと思いませんか。

僕思いましたもう逃げたくないです現場で死にます。

冒頭の増田さんにもどうか問いかけたい。

あなたの気持ちは痛いほどわかる。つらかろう死にたかろう俺もたまにまだ死にたくなるよ自分が情けなさすぎて。

ただし!

死ぬなら現場玉砕する方向で行きませんか。やって死のう。完全燃焼して死のう。恥かいて笑われても疲れきってやりきって死のう。

何歳からでも何をやるにも遅くないと信じろ。It's never too late. この素晴らしき世界でこのクソザコ人生を歩んだ俺は

世間的に見たら小さな自分から見たら大きな夢に向かって死ぬまで歩き続けるつもりでいる。

人と比べんな、俺らみたいな人生は人と比べたら至極当然に死にたくなるので、自分の考えた自分の道を歩まなければいけない。

正しい目標一生懸命コミットするしか道はない、もう後ろに道はないよ、前しかない後ろは崖左右も絶壁。

進むしかないだろ、部屋の中でゴニョゴニョ悩むのはもう十分やってお腹いっぱいだろ、歩き続けろ、

毎日ケンカすると思って世の中にでろ、殺し合いと思って世の中にでろ、挽回しろ巻き返せやり返せ殺し返せ

増田にしかない道を作れ、増田みたいなドロップアップ人生歩んだ奴らが目標となるような人になれああ俺はなるよ

歩き続けるやり続ける殺し合いに脊髄反射で応じ続けていつでも死ぬ気で対峙するよ、で結果も何とか出すよ。

なんの実績も経歴もない俺が言うのも恐縮だけどもう書いちゃったからこのまま額面通り受け止めてほしい。

おれもがんばるから増田さんもがんばれ。色々考えながらこれ書いてたらもう1時間経ったよ力作だよ俺からの遺書と思って受け取ってください。

(そして老婆心ながら具体的にアドバイスもさせて下さい。むかついたらカス寝言と思ってスルーしてください。

非正規雇用労働時間遵守で働きつつ空き時間資格勉強再開しろ経理の事務とかいってないで税理士事務所の敏腕営業マンぐらいは目指せ

稼げるから。税理士事務所会計系の専門学校に行けば求人が結構ある税理士事務所の合同説明会的なものがあるから専門学生のふりして

潜って行って面接受けたら前職がスタバの店員や資格浪人5年のNEETでも雇ってもらえるから何とか受かって前に歩き続けて下さい。

結局何をするにしても勉強するか経験するかしか社会階層駆け上がる道はないと思います。)

で俺はといえば今度歩けなくなったら潔く死にます。

長々とお付き合いくださってありがとうございました。

2008-11-27

さぁゆっくりゆっくり。嫌なのは最初だけだから。

って言いながら勉強していた。

下のほうで勉強の仕方と言うか勉強に対する心構え?精神論?みたいなのがあったから思い出した。

勉強ってさぁやるぞ!となるのが個人的には一番の難関。

始めてしまえば意外と続くんだけど。

だからタイトルのこと言い聞かせてぐでーって勉強していたな。

今でこそ勉強嫌じゃなくなったけど、それでも嫌なことはいっぱいある。

始めてしまえば割とやり切れること多いけど。

寒くなってきたから布団から出るのは今でもつらいし。

そんな時また言い聞かせてみようと思った。

やっぱり学んだことって忘れるね。

2008-11-25

解決策としてモラル向上などの精神論を述べる人の気持ちを知りたい。

モラルが向上されたと見える仕組みを考えようということなのか。

それとも、実は何も考えてないが、とりあえず解決策らしいことをいっておくかってことなのか。

はたまた、真剣に人間の善性を信じているのだろうか。

2008-11-23

体罰ってある種の精神論・根性論じゃないか?

「愛の鞭」としての体罰必要悪、という発言を見る度にそう思う。

つまりさ、

1.特定の生徒に何らかの問題がある

2.教師側はそれを是正したいと考えている

という状況のとき、解決方法はいわば無数にあるわけだ。

そのとき「暴力」によって解決しようという発想は、実際のところ全く持って合理的でない。

「俺はこんなに憤っているんだ」という感情ばかりが先行して、肝心の方法論を見失っているというか。

つまりこれって、旧来の「根性さえあれば何でもできる」という精神論的発想と、いわば根が一緒ではないかと。

そんな人たちに、僕はこの言葉を送りたい。

「えーマジ、根性論!?」「根性論が許されるのは昭和までだよねー」

2008-11-17

へこたれなければスキルは身につく。へこたれさせない目標設定と評価をしようぜ!

すごい物を見てもへこたれない人

なぜ、へこたれたのかを分析しよう

精神論だったり、「才能」や「努力する才能」だよ、という言葉で片づけるのは簡単だけど、それでは何もプラスがないし、つまらない。ここはもう少し細かく考えてみよう。

すなわち、君はなぜ「できない」「もう無理」と思ったんだい?

一つには環境要因があるだろう。お金時間、周囲との人間関係…。これらはすぐに改善するのはなかなか難しそうだ。

だけどもう一つ、「何をすればいいのか分からず途方に暮れた」「あんなこと、今の自分には難しすぎる」…努力しなきゃと思っていても、一体どこでどう努力すればいいのか分からない。そういう理由なら、それは何とかなるかもしれない。

発達には最近接領域がある

まず最初に知っておいて欲しいことがある。人間は1歩先の足場にしか届かない。

これを教育専門用語で「発達の最近接領域」という。最近接領域とは「自分一人でできる」以上「誰かの助けがないとできない」未満の領域のこと。

その人の学習段階(レディネス)にあわせて、ちょうどぴったりの「発達の最近接領域」範囲内に次の足場を用意する。実はこれこそが教育の正体だ。

「発達の最近接領域」となる範囲の幅は広い人もいれば狭い人もいる。歩幅と同じで個人差があるのだ。体調にも左右される。一足飛びで上達しているように見える人は、この幅が広いに過ぎない。その人も自分の歩幅で一歩ずつ発達段階をのぼっている点ではあなたと同じだ。

歩幅の違いはあるいは才能といえるのかもしれない。しかし裏を返せばスピードの違いこそあれど、歩ききることさえできれば、ほとんどの人が目標に到達すること自体は不可能ではないのだ。

むしろ注意したいのは、自分の最近接領域内に足場を設定できないと発達できないという点。発達できないと疲れだけがたまる。自分の歩幅を的確につかむことが最重要だ。それが最後まで疲れずに歩くことにも繋がる。

「最終目的地」と「次の一歩」、2つの目標が必要

さて、これを踏まえた上で、どこに努力力点を置くか、である。ポイントは2つある。

まず努力ポイント1つ目。「最終目的地」を持つことだ。

登山でいうならどの頂上に向かうか。当然といえば当然だが、目的地が分からなければルートが割り出せない。適当に動いたのでは遭難してしまう。マクロな視点、俯瞰的な視点で最終目標さえ捉えていれば、そこに至るまでのルートはわりと自由が利く。自分の行けそうなルートを選ぶことができる。

目的地が遠すぎる…と思ったら、もうすこし近めに設定しても良い。目標は途中で変えても良いからだ。

次、努力ポイント2つ目。「次の一歩」を見つける。ここ重要ですよ、テストに出ます。

今度はミクロな視点、さっきの「最近接領域」というやつだ。

学校教育では教師がきみの歩幅に合わせた足場を用意してくれる。趣味仕事ではそれができる人に師事するか、自分で足場を見つける必要がある。目標が達成できるか否かは最近接領域内にうまく足場を設定できるかどうかが肝だ。

自分より少しだけ上手い人を探して、マネをする。というのも良い手立てだ。

ポイントは自分に学習状況にあわせて、こまめに足場を設定すること。最近接領域は刻一刻と変化する。繰り返しになるが、歩ききれば目標には到達できる。だからこそ自分に適切な足場を設定すること、途中で疲れはてないように注意することが最重要だ。

「何をどうすれば上達できるか分かんないよ!」となってしまったときは足場が遠すぎる可能性が高い。もっと「一歩」を小さくしたり、より基礎部分に戻ればいい。

逆に、もうこのレベルは簡単にできるようになったな、と思ったら少し(ほんの少し!)レベルを上げる。

普段の運用は2つ目「次の一歩」に注力すればいい。1つ目「最終目的地」はそうコロコロとは変わらないからね。逆に「次の一歩」は毎回ていねいに確かめる必要がある。そうして時々ルートがずれてないか、最終目的地を確認すればいい。

もしも、1つ目「最終目的地」が変わったら、そのとき自分の位置と新しい目的地から、次のルートを割り出しなおそう。

カーナビを使うときのイメージだ。

「次の一歩」ごとに評価する

さて、歩ききるため(または歩ききらせるため)に重要なことがもう一つある。

評価だ。

どのタイミングで評価をするかについて、多くの場合、大目標に到達したときが頭に浮かぶだろう。学校ならテストだったり、仕事なら一つこなしたとき。趣味なら発表会とかかもしれない。

だが、それだけではない。実は「次の一歩」で動いたときに評価をするのだ。

一歩がうまく行った時は、全力で褒めていい。そして、そのまま行けばいい。

うまく行かなかった時は、「次の一歩」の足場の見直しをする。

ポイントは、評価とは点数付けに意味があるのではなく、むしろ最近接領域の状態を見極め、次の足場の設定へのフィードバックを行うことこそが真骨頂という点だ。

これは先ほどの、こまめに足場を設定する、という話に繋がる。こまめな設定には、こまめな評価が必要だ。

しかも、こまめに褒めればモチベーションも維持しやすいという特典付き。完璧な作戦だ。

こんなの無理\(^o^)/

おま…だから、いきなり全部やろうとすんなとあれほど…

はい復習ー。むりぽと思ったときは?…そうだね、「一歩」をもっと小さめに設定するのがコツだったね。

「できない」「もう無理」「やっぱ才能ないわ自分」って思ったときほど、設定を見直せー。

それでも「出来る」なんて思えない?

大丈夫、みんな義務教育はしっかりこなしただろ?国語も算数も苦手なりにも一応は出来るようになっただろ?

…出来てるじゃん。あれと本質は同じだ。だから、できるよ。慣れは必要だけどな。

補足

ま、なんにせよ時間は必要だから、この10000時間ってのを一つのめやすに長期計画立てると良いかもしれんね。

あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則

あと、へこたれそうになってる人には、周囲の励ましがよく効きます。特効薬です。

無理とか言ってる人も、おだてれば木に登ります。だからみんな俺に優しくしてくれメソッド発動。

追記:このエントリ、ほとんど元増田の言い換えだったり、ちょっと元増田の文脈からずれてしまったりしてるのが申し訳ないが、誰かのお役に立てれば幸い。

あとちょっとタイトル変えた。

http://anond.hatelabo.jp/20081117024252

あー、それ、痛いぐらいわかります。

私は本業の方ではそれなりに努力しただけのものを得てきた自負はありますけど、音楽の方では素人なりに努力した割には素人の中でも全然ダメ(というのは主観的な表現なので具体的にどの程度か想像つきにくいでしょうけれど)だったんですよ。

正直、「音楽才能の問題だから凡才は努力しても無駄」というのを真面目に信じ込んでましたねー。今思うとそれが一番悪かったです。自分が本業でやっているような努力(何が必要かを考えて、次にそれができるようにするためにはどうすればよいかを考えて、それを実行する)をそのまま持ち込めばよかったのに、変に卑屈になってしまったから結局無駄なことばっかりやってた。数をこなすことが必要だという精神論に陥ったりね。

ま、有り勝ちなのは、ワタシは自然に弾けたみたいな法螺を吹く人はいます(笑)。悪気はなくて、どうせ素人には何も分かんないつっておちょくってるだけなんですけどね。

実は素人同士でもそういうのがあるんですよ。あるいは、プロになろうとして挫折しようとした人とか。そういう連中の中には無駄プライドだけ高いのがいるから困りますね。子供の頃にいい教育を受ける機会に巡り会えたのはお前の努力の結果じゃないだろって正直思います。

2008-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20081113121012

「伝えたいこと」または「伝えないといけないこと」が

あるから必要にさしせまられて、「伝わる文章」または「うまい文章」になる気がする。

別に精神論とかじゃなくてテクニックの習得の話だよ。

だからこの人も「もっとすごい自分」を見せたい気持ちになれば

うまい文章が書けるようになると思う。

頭の中は空っぽみたいだけど。

2008-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20081112092221

「あきらめたらそこで試合終了」

結局は精神論以外の何物でもないからな

2008-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20081027031948

んー、「抽象的な人生論・精神論」で相手をまるめこむのを議論と勘違いしている…という批判は鋭いと思うけれども、橋下氏に対する評価をそういう一色で塗りつぶすのもどうかな?自分も別増田橋下知事の批判をしているけど、

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/localpolicy/156795/

橋下知事は治水の必要性を認める一方、「府は財政立て直しのため医療や福祉、教育などの行政サービスに切り込んでおり、国とは施策の優先順位が違う。国の事業は国だけで何とかならないか」と、地元財政負担を求める国直轄事業の矛盾点を指摘した。

この辺りの国への詰め寄り方はまあ割と上手いし、論理的にぶっ飛んではいないかなと考えてる(賛同するか、という次元ではまた話は変わってくるけど)。個別の例における「非論理性」から飛躍して、橋下氏の行動全体・支持者に至るまでを「非論理的」と称してばっさり斬って捨ててしまうのはあまりよろしくない手法じゃないかしら?論理・非論理的という批判は、あくまで個別の政策・判断に対して行う方が話がこじれないと思う。

その辺をきっちり切り分けしないと、結局ファナティックな橋下ファンを増やすだけじゃないかなー。どうかしら、その辺。

P.S 別増田引用繰り返しみたいな感じで申し訳ないんだぜ…。

http://anond.hatelabo.jp/20081026025416

橋下派ってのは何かと抽象的な精神論ばかり言って論理的な話をしないから困るよなあ。

橋下もそう。全く論理的な事を話さない。「16歳は壁にぶつかってぶつかって」とかオッサンの人生論かよwってなことでまるめこもうとするんだからおつかれさまですwそしてそんなのを「正論」とかいって(何が正論だよww論ですらねぇよw)勘違いして喜んでるようなバカどもだから、しょうがないのだろうけど。

このエントリが反論している相手も、「みんなダメで、でもダメでも頑張ってて」とかそんな抽象的なスピリチュアルですか、てな精神論しか話さない。話にならない。橋下とあれを正論とか言ってる一派ってのは議論を勘違いしている。なんかよさげな人生論・精神論で相手をまるめこむのが議論じゃねーっつーのw

2008-10-25

橋下がやけに賞賛されてるけど

痛いニュースなんかでは、やれ女子高生が泣いた、男子高生が「いじめられたから私立しかいけなかった」とかよくわからないことを言ってる高校生とバッサリ切り捨てる橋下しか書かれていないが、高校生も一応言うこと言ってるんだよな。まあ、確かに、稚拙ではあるが。

「ちゃんと税金取っているなら、教育医療、福祉に使うべきです。アメリカ軍とかに使ってる金の余裕があるのなら、ちゃんとこっち(教育)に金を回すべきです」と涙ながらに訴えると、橋下知事は「じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」と切り捨てた。

さらに高校生が「それは、わたしが政治家になってすることじゃないはずです」、「高速道路なんか、正味あんなたくさんいらないと思います」と税金無駄遣いがあると指摘すると、橋下知事は「それは、あなたがそう判断しているだけで、わたしは必要な道路は必要だと思っている」と反論し、一歩も引かなかった。

道路とかまずなんとかすべきでは?」にたいして

「それは、あなたがそう判断しているだけで、わたしは必要な道路は必要だと思っている」

ってこれ、反論じゃないよォオオオ!?

なぜ必要か根拠も示さない。議論になってねぇw

一方が「こう思うのだが」(まあこの高校生も、もう少し具体的に指摘するなどしたほうがよかったんだけど)と言ったら「それはあなたの意見。私はこう思う」って、反論じゃねぇw「意見交換」って銘打ってるのに、意見全然交換する気ねぇw何て意味のない場なんだ!

そこはしっかり、きょうは議論したいと思いますので

って言ってるのにこれっておまw

議論してねーよw

初めから「俺の意見はこうだ。あ?高校生意見はそう?ああそう、でもおれはこう思うから」

って意味わかんねーよw議論じゃねーよwジャイアンリサイタルだよw

大体こいつ、反論なんてほとんどしてない。高校生高校生で何言ってるのかわからんのも多いが。「16歳は壁にぶつかって、ぶつかって」とか「今は自己責任が基本!」とか、反論でもなんでもない。だいたい言ってることがイメージ的すぎ・曖昧すぎ。議論でもなんでもなくて、「オレの考え発表ショー」でしかない。だって高校生が「反論」(稚拙だが、むしろ高校生の方が一応「反論」はできている)したら「それはあんたの考え、オレは思わない」んじゃ議論もへったくそもねーだろがwで、挙句の果てに「だったらお前がこの国変えれば」って、結局「オレはこう思う。だから従えよ。従えないなら出てけよ」ってちょwww独裁国家ktkrwww民主主義びっくりwwww

橋下徹の、『オレが日本を変えてやる』ディナーショー」はもう腹いっぱいだよwwwwww

これに「そのとおりだ!」「正論だ!」っていってるやつはなんなんだよw

小泉の「痛みを伴う改革!」

「え?痛みって具体的になによ」

「痛みは本当に伴わねばならないのか?」

「ていうか漠然としすぎじゃないのか、結局具体的には何やるんだよ?」

等と本来は皆が冷静になり疑問に思わなければならなかったのに

「確かになんか、改革するっていったら痛みは避けて通れない感じするなぁ」

感覚レベルでついていった日本国民の地は結局未だ変わっていないw

「確かに、自己責任だよなぁ」「学生は甘えたこといってないで勉強しろ!」

何も議論なんかねぇ。初めから心地よい一般論をただ主張してるだけ。

ニホンジン、ギロン、デキマセーン。

この高校生たちはこう応対すればよかったのに。

「やっぱり16歳はぶつかって、ぶつかって」

橋下知事、失礼ですが、僕は知事の個人的な人生観を聞いているわけではありません。

具体的な言葉で説明をお願いします』

知事道路にはメスをいれない改革派ということで有名ですが

教育財政を削る以前に、不必要と思われる道路等の財政の見直しが先ではないでしょうか。

知事の発案された「大阪プログラム案」を調べましたが、

道路ダムなどの大型公共事業予算はそのままで、教育医療などの予算は大幅削減する、という内容になっています。

例えば新名神高速道路なんかは、あまり必要性の低い道路であると僕は考えますが、これは1キロ180億円もの金額がかかります。一方、私学への助成金は、28億円です。

勿論、大阪府財政状況が大変厳しいものであることは、僕たちもニュースを通じて知っています。本当にどこをどう削ってもこれ以上どうしようもない、私学の助成金も削らざるを得ない、そうであれば僕たちも勿論大阪府民として了承せざるを得ないとは思います。

しかしながら、あまり必要とも思えない道路放置し、一方で国の基本ともいえる教育の、それも道路一キロ分の6分の1ほどの財政を細々と削るというのでは到底納得できるものではありません。

知事はそのあたりについてどうお考えなのでしょうか』

「それは、あなたがそう判断しているだけで、わたしは必要な道路は必要だと思っている」

『はい。私はそう判断しているだけです。しかし知事のご判断も、それはそれで知事がそう判断しているだけですね。

その知事の判断の理由、妥当性について私は問うているのですが。なぜ、必要だと思っているのか、それを問うているのです。道路が必要にせよ不必要にせよ知事が必要だと考える理由、根拠。必要だとしても教育より優先すべきか、という議論。その辺をしたいといっているのですが』

『失礼ですが、この会は意見交換の場だったのではないのでしょうか。僕は僕なりに僕の考えの根拠を示し、知事に提示しました。知事がそれに反論するのなら、それ相応の根拠と説明をもってしてもらわなければそれは「反論」にはなりえません。

最初から「高校生はそう思うのかもしれないが、知事である自分はこう思う、だからそれでいい」のならば、意見交換以前の問題ではないでしょうか。知事はさきほど「議論をする」と言っていた記憶がありますが、知事の言う「議論」とは最初から知事の考えをゴリ押しする、高校生が何かを言ってきても「それはお前の考えだ、自分は違う」と切り捨てることだったのでしょうか、ご返答お願いします』


日本自己責任が原則」

生徒『それは新自由主義者の考え方ですね。そういった考えが、今日本・米国を初めとして

主流であるのは認めますが、日本憲法にそう示されているわけではありません。

知事個人の思想を、大阪府政治に持ち込まないよう深くお願いいたします』

「いいものを選べば、いい値段がかかる。条件を比較して、あなたが選んだのでは」

生徒『僕はこれだけの助成金が支払われている私学を、その通り比較して選んだわけです。

その前提を知事が変えようとなさっているので、こうして反対しているわけです』

「最後のところを救うのが今の世の中。生活保護制度がちゃんとある」

生徒『知事、その台詞生活保護制度が実際にきちんと実行されているのが前提で言える言葉ではないでしょうか?』

「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」

生徒『それは、日本国憲法にそう書いてあるのですか?漠然とした感情論精神論はやめていただきたい。また、知事個人の思想政治に持ち込まぬようお願いします。また、知事の言う自己責任とは何でしょうか、きちんと定義をした上でお願いしたい。僕は自己責任というのは、そもそもその個人が自由に選択をできる場が保証されているのが前提で起きるものだと考えます。例えばですが、一種類の道しか目の前にない、あらかじめ他の道を実質削除されているのに、その道を進んだ結果起こった事が全部お前の自己責任だとするのは、それは本当は他者の責任であったものも、ある一人へ全て背負わせているだけの、ある種の「甘え」ではないでしょうか?勿論これは一つの例であり、僕たちが全てこうでるとは言いません。僕たちの責任もあります。しかし現状を全て自己責任自己責任と切り捨てるのでは本当の問題が見えてこないのではないでしょうか?自己責任だといって、知事権力のもと、ただ切り捨てるのは簡単ですが、それは独裁政治とどう違うのでしょうか。知事はどういうつもりで自己責任という言葉をお使いになっているのでしょう、お聞かせ下さい。それを聞いてからでないと、何かと言えば「どれもこれもあれも自己責任」では、初めから議論にも何もなりません』

というかそもそも橋下のあれってちっとも正論じゃなくね

対話も全然かみ合ってない、非論理

つーか「やっぱり16歳は壁にぶつかって、ぶつかって」「今の日本自己責任ですよ!」とか、頭で考えて喋ってねーだろwwwwなんだその意味不明精神論はw壁だのなんだのそんな漠然としたイメージで語るなってのw論理的以前の問題wまた高校生高校生なりにバカなもんだから全然議論なんてなりたってねぇw動物の会話だよw

泣き落としVSうさぎ飛び的精神論

どっちも勘弁してくれよw

理系人間一人組み込ませてやってくれw少しは対話がまともになるだろう

たかじん番組の時からそういう兆候は出てたけど

あいつが上手いのは「アホな庶民が「正論じゃね?論理的じゃね?」と思ってしまうような論を感情を微妙にミックスさせて主張する事」。小泉と同じ。「なんとなく正論を言ってる気がする」と庶民どもがまた騙されてゆく。ていうか基本日本の庶民なんて「努力すべきだ」とかいう類の精神論を忍ばせておけば簡単に騙される。なぜならそれに反対することは「恥」であると感じているから。恥パネェw恥んとこいじくりゃ日本の民衆なんてひとひねりだね。

2008-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20080910012947

「謝金とか不透明なことやめます」という正論大学が振りかざしてる現状

すいません正論振りかざさないと文科省はじめ世論とかいう奴にすごい勢いで潰されかねないんです……特に国公立大学

教員免許更新制度をスタートさせて大学と小中高の持ちつ持たれつ関係をカネなしで復活させようって話みたいですけどね。

お互い苦しんでるから頑張りましょうとかどんな精神論だよ、と思わざるを得ない制度設計です。

2008-09-07

化粧をすれば女は変わる!とか、化粧でかなりばけるから!とか女は化粧があるからいくらでも誤魔化せるじゃん!とかいうけど

人間は二通りいるんですよ、すなわち化粧栄えする人間と化粧映えしない人間です

そして私は後者です

ブスの上、化粧映えしない。終わった。

服もちゃんと勉強した。壊滅的なセンスではないはず。

化粧もした。でも映えない。

痩せた。でも美乳じゃない。顔だけじゃなく乳までブス。終わった。

非モテ努力不足で自己責任!というし色々やってみたけども

会話のテクみたいな本とか買ってみたけども

美容院すら怖いのに、色々な会合に顔だしたりしてみたけども

ダメだ。全くダメ

合コンとかいってみたよ。何度も。

他の子は全員メアド聞かれてるのに一人だけ聞かれないとかwwwwwwww

露骨すぎだろJK

まあでもめげずにこっちから聞いてみたんよ。そしたら

「ごめん携帯持ってないんだー俺」って言われた。

でもあとから聞いたら、その人、友達と番号交換したらしい。

あれれー?お兄さん、さっきは携帯ないっていったよね?(コナンの声で)

一周まわって笑えてきた。

なんかもういいよ!彼氏とかいいから全然wwwwwwと悟ってみた。友達と遊ぶよwwwwと皆に連絡とってみた。「来週遊びにいこうぜ!」

友A「あごめん彼氏デート

友B「ごめん彼氏旅行

友C「ごめん彼氏カラオケいく」

……。

そう……ですか……サー……セン……

その日は結局一人カラオケだった。まさかとは思うがCと鉢合わせるとかなり気まずいのでわざわざ遠出した。何やってんだろう……

なんかもうあれかな……そろそろ二次元に本腰いれるときが来たのかもしれない。

つーか……理系学部だとモテるって言ったの誰だよ……

全然じゃねーか……都市伝説じゃねーか……

寧ろ周りの男子は、「同じ学校(特に同じ学部)の女とつきあったら負け」的な感じの価値観を持っているんですけど……

「手近の地味女で妥協した」と思われるかららしいよ。おいおい言っておくけど私は地味じゃないよ!ブスなだけ!

いそいそと皆、女子の多い私立の大学とかへ向かっていってます。アレか。テニスか。テニスサークルで仲良くなってアレでコレでソレでチョメチョメか。チクショウが。しらんけど。

何?何なんだ?何がそんなにダメ?会話そんなにダメか?服そんなにセンス悪いか?

って、まあ、分かってるんですけどね。顔ですよね。ダメなのは。まあ分かってたけど気付きたくなかった。

あとなんか多分オーラキモいんだろうな。「爬虫類みたいだね」って言われたもん。爬虫類て。いや、爬虫類は悪くない。爬虫類は結構可愛いよ。お前らは自信持て。

なんか「ベロのばして虫とか食べそうwwwww」って、合コンのとき、ちょっと酔い始めた男が言うんだよね。それで、女たちもそれにのっかってさ。「えーちょっとひどいよwwwww」「でもちょっとだけそうかもwwww」って笑ってるんよ。もうどうしろって。この空間で何をどう努力したらモテるのかと。まあでも自分までのっかっちゃって、てかのっかるしかないわなもう。ピエロになるしかないわこれ。黙ってたら「え…何マジにショックうけちゃってんの…」「てか○○のせいで空気悪くなったよね…」みたいな視線がくるし(てか過去に実際言われた。後者の台詞)、のっかるしかねぇだろ……虫を捕獲するカメレオンの真似とかしながらいつから自分はお笑い芸人になったんだろうと考えてた……いや、ごめん、それは芸人に失礼か……

それで爆笑してることにちょっと気をよくしてる自分がまた情けないよ……どんだけ賞賛に飢えてるんだよ……

もう!マジで勇気自己責任

この顔は自己責任なのか!

顔のせいにするからだめなのか!いや、いっそ、そうしかってもらいたい。「顔のせいなんかじゃねーよ!性格のせいだよ!」とか。だったらまだ直しようがあるってもんだろ。寧ろしかってくれ!いつも「女は顔ばかり見る」っていってるくらいだから、男は顔で判断するわけないよね?ないよね!?そこに一縷の希望見出したい。

そういえば「○歳すぎたら、その顔は自分の責任!」っていうけどバカいうな!無責任にバカ言うなホント!○歳すぎたら劇的に顔が変わるわけじゃねーのにどうしろってんだよ!いわく気持ちが顔にでる、性格が顔に出る、だのどーのこーのバカッ!そんなんチョモランマに対する、子供が作る砂の山くらいの効果しかないよ!そんな精神論、所詮造形という厚い壁には勝てないよ!美人がにっこり→「優しい人だなぁ」:ブスがにっこり→「なにあいつニヤニヤしてんだ…キメェブス…」

最近なんだか脳内彼氏の性格と姿に一貫性が出てきたから、フィギュアにしてみようと思って作り始めた。もうこれが完成するまでに彼氏ができなかったら、これを彼氏にするわ。色んな漫画キャラからいいとこどりしたキャラだから最強。しかもこれ三次元だからね!二次元じゃないから。れっきとした三次元彼氏だ。これは普通に「彼氏できた」って誇っていいと思う。うおおお創作意欲わいてきた!!!ディティール作りこむぞ!!!!!!!!

2008-09-01

ゲーム人間失格

今までは「趣味ゲーム」を地で行く狭い世界を生きる人間だったけど

そろそろそれも終わりなのかもしれない。

ゲームがつまんないw

楽しめてないというのが正しいかもしれない。

理由は三つ。

ひとつはゲームが少しも上手くならないこと。

自分はゲームセンターにあるストリートファイターIIみたいな格闘ゲームとか

グラディウスみたいなシューティングゲームを主にやってる人で、

特に一年前、目標なし進路なし未来なしで高校卒業したあとに予備校行って浪人してる傍ら

高校時代までは田舎に住んでた土地柄で全然行けなかったゲームセンター

勉強そっちのけてゲームセンターとか何考えてるの?馬鹿なの?死ぬの?」と思いつつも

それこそ予備校の授業以外はゲーセンと言っていいぐらい熱心に100円を繰り返しゲーム型賽銭箱に入れていた。

でも少しも上手くならなかった。

下手なうちからもうこれ以上強くなれないという思いが出てしまったというか。

「そんなこと思ってるから勝てない」とかいうありがちな精神論は別にしても、

読み合いにはこれ以上読み勝てる気がしないし、その割には強い相手には何やっても先読みされたように処理されて負けてしまうし

シューティングゲームにしても同じように弾避けなどの基本的スキルを伸ばせる気がしない。

腕前としては

格闘ゲームはある程度歴史の長いゲームとはいえ

キャラを手足のように動かせるようになっても一年以上も一方的に負ける側で連勝することはできなかった。

ゲームセンター行く前もPC上でネット対戦とかちょろっとやったりゲーセンに行けなくなった後に別の家庭用のゲームネット対戦をやったりしたけど、

ほとんど同じ、勝った回数が指で数えられるぐらいの結果だった。

シューティングゲームも、2ちゃんねらーが口を揃えて「一日そこらでクリアできる」「超簡単」みたいな評価してるゲームに半年以上かかった。

(追記:ゲーム名は伏せる必要なかった?自分が主にやってたのはGGXX虫姫さまふたり、スマブラXタイマン。)

何事も上手になるのに必要なのはトライアンドエラーだと思う。

基本的なこと、それができたら応用的なことを覚えるのも重要だけど

負けた場合に負けた理由をよく考えて、それに対処して負けの可能性を減らしていくのが特に重要

自分は基本操作はそれなりにはできたけど

「そこ、引っかかるとこじゃなくね?」って所が悪い癖がついて躓いてた自覚が強く

応用操作はわからなかったので手をつけてなかった。

「次第に慣れていく」と思い込みすぎてほとんど思考放棄でプレイしてたので

どうして負けたのか全くわからなかった。相手の一定した動きを見つけられなかった。

何が何に強いのかわからなかった。キャラ対策を考える材料が無かった。

最近は何でもインターネット情報交換される時代だけど、時間が無かったし

学問みたいに長年をかけて培われてきたことじゃないことから

上手い人なら勝手に自分で考えるだろという思い込みも強かった。

勉強でも同じようにして常に考えるということをしてこなかったんじゃないかと思ってる。

ふたつは、

以前はRTSやFPSみたいなコア向けのゲームはやってないまでも

RPGとかシミュレーションゲームとかスパロボとか、ゲーオタの好きそうなゲームを好んでやってたけど

そういうゲームはどうやってもクリアできてしまう(ように親切に設計されてる)から、

確かに楽しいし楽しめるけど、挑戦しないからかえって時間無駄と思うようになってしまったこと。

いわゆる江川達也的発想。

三つめは

ゲームに関連したコミュニティに全く入れなかったこと。

スパロボ』のコミュニティには熱心に参加してたけど

ロボットアニメを見てないままスパロボにハマった異端者だったことが会話のネックになったことや

コミュニティオフ会に参加したときの周りのオタク臭さにまるでついて行けなかった。

オタク的な会話にすごく熱を入れて華を咲かせることもできなかった。

元々会話下手で友達いない人だった。

ゲームセンターに関しても

シューティングゲームでは周囲に同じくシューティングゲームに熱を入れてる人はいなかったし

いたとしても得てしてすごく上手い人だった。話しかけるなんて畏れ多い。

格闘ゲームも毎回ボコボコに負けてるような人に誰も話しかけてくれるわけもないし

こっちからもそんなの恥ずかしすぎて話しかけられるわけがない。

ゲームってのは元々コミュニティも楽しむものだったと認識するようになってからは

自分をすごく疎ましく思うようになってきた。

(追記:言われて思い出したけど「相手が楽しいと思ってくれてるか?」を意識するとますます思いをややこしいことにしてた。

「対戦後感想」を書かれても褒め言葉の大体が嘘を吐いてるように思うしかなかったし、

逆に正直に「弱いねお前」なんて感想は名前つきでくれるわけもなかったけど、

その「弱い、見るところなし、死ね」と思われていると自分で思い込んでしまったことでいろいろと邪魔したように思える)

特に「趣味ゲーム」にとってゲームの上手さは人生の一大事だと思ってた。

別に全国一位になりたかったわけでもないけど、時間さえかければそのぐらい行けそうみたいな感じがあれば十分だったけど

自分はピラミッドの最下層近くに位置する下手糞以外の何者でもないし、その一方でゲームを単なる遊びと捉えてる人が自分の実力を簡単に上回っていく。

ゲームを必死にやった者としてそんな現状を正視できなかった。かといって素直な心でゲームを楽しむことも、ゲームを通じてほかの人間と楽しむこともできない。

他人が上手くなっていくゲームは上手くならないし、一方でゲームを楽しめない、コミュ力も不足してるで、ゲームを心底から楽しめてない自分がいる。

だったらもう、ゲーム世界に参加せずに身を引いちゃったほうが善いのではないかと思ってる。

別にゲームがつまらない・悪いわけでなく、自分がすぐ上手くなってしかも奥が深くて楽しめるみたいな俺好みゲームを出してほしいわけでもなく。

ただ、一生懸命やった自覚も下手なりにあったし、たかかゲームという思いもあったから、今の自分には「たかがゲームもできないならもう何もできない」って考えしか無い。

(追記:「ゲームも真剣にできない奴が他なことを真剣にできるのか?」と真顔で追求してるのには半分同意半分苦笑。

他なことを真面目にやってそれなりにできてる人は、ゲームも興味さえあればそれなりにできると思ってます。)

自分の時間を大抵ゲームに費やしてきたこともあって、趣味からゲームが消え去ることでもう自分のすべてが消え去ってしまうという気分。

2008-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20080829235643

会社戦前教育なんて全然レアじゃないよ。

「売れなかったら売れるまで売れ」とか、そこら中の電化製品屋で言われてるよ。

お客様には常に笑顔で! 真心サービスを心がけて」とか、そこら中のファミレスで言われてるよ。

あれって戦前教育精神論と何が違うの?

あと「少しだけ見せる」ってどう見せるの?

「あなた達が大人になればこんなに暗くてジメジメした未来が待ってますよ」ってなVTRでも作るの?

それとも「ところがどっこい、ビジネスチャンスはどこにでもあります。ひとつの発見ビッグビジネスに」みたいなビジネス啓蒙ビデオ

結末をどっちにするか知らんけど、社会絶望して死ぬやつ増えそう。

不特定多数に同じ物を見せて、教育するには、社会ってのは複雑すぎるんですよ。

それを教育しやすく一本化したのが「がんばればなんとかなる!」の精神論で、これが戦前教育とつながるわけです。

全然飛躍じゃないですよ。

だから、本当に社会の怖さや難しさを言葉で伝わるように教えたいなら、個別指導しかない。

でも、学校じゃ個別指導は難しいから「親御さんがんばれ」と言ってる。OK?

2008-08-25

あの人が一番わかってない

医者には統合失調症だと言われている。その治療のために、一人暮らしをしているアパートから片道二時間半かかる実家に毎週帰省している。実家の方の病院に通うためだ。診察には毎回母がついてくる。母がついてきたいがための田舎病院通い。

最近はまた少し調子が悪くなってきた。自殺未遂もした。母はそれを心配したのだろう。先週あたりは幼いいとこ達を残して逝ってしまったおばさんの話をされた。今日は私を産んだときの話をされた。どっちの話も死にたくなるような話で、聞いたあとに刃物を首に当ててしまった。先週の刃物も今週の刃物もそこら辺にあったものだったので、ロクに切れなかった。だから、自分の頭をバカみたいに殴った。

先週言われたことの主旨は覚えていない。今週は、案ずるより産むが易しという主旨の話だった。つまり、卒研や就職についてうじうじ悩むよりも、まずは卒研をやれ、今までの大学生活の思いの丈をぶつければなんとかなるという精神論

馬鹿野郎

明日の診察ではなんとか先生と二人になって母の話が重すぎるという話をしたい。

2008-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20080824165021

いや、あのさあ。

何も知らないゼロ子供に、「自分で目標たてろ」、しかも、「自分で目標をたてるんだぞ」とも言われず、何も言われない状態で、「目標は大事だ。だから、自分で立てよう」と決意させるってのがどれだけ高度なことを要求してるかって話で。

小学生にそんなこと要求すんな。新社会人に言うなら分かるが。

てか小学生からみんなそんなことが出来てるなら、学校とか全然必要ねえよw

「そんなの教えて欲しいわけ?」っていうけど、寧ろ一番大事なことだよ。逆に算数や理科の方がよっぽど自分で学べる。

「自分で学ぶんだよ」ていうかもしれない。でもそれは具体的にどうやって?そして、なぜ自分で学ぶ必要がある?

教えればいいんだよべつに。

お前の言う通り教えなくても皆が普通にできる事なら、国民はもっと優秀になってるわなw

現実は、大人でさえも、いい年したオッサンでさえも、そんなことすらで来ていないのが現状。だからライフハックとかが売れてるんだよ。

その現実を見ろよ。まず。理想論で終わるなよ。「そのくらい出来ていて当然」とか無駄プライドに酔ってる場合か。

大体小学生なんて何もない。そんな何もないところへ「自分でやれ」なんていっても意味はない。「自分でやることによって思考力がつく」とか「考える力が」「個性が」とか言う奴いるけど、うんそれ嘘。つかない。そんな力は。

真の力ってのはまず模倣。型。そういうのをつめこんでこそ、自由にやる力、自分で考える力ってのが生まれる。何もない時点で自分でやってみたところで、平凡以下のものができてそれで終わり。ソレがいい経験になる?すまん、あまりならないんだ。そういうのをただ繰り返すだけで終わるんだ。「自分で考える」なんてのは、ほとんど幻想だと考えた方がいい。凡人が「自分で考える」など図々しいんだよ。子供らしい自由なアイデア?自由な考え?全部糞。俺らが考えたところでいい案なんか浮かばない。そんなんで長い教育時間無駄にしてちゃ勿体無い。それより効率を考えたらさっさと詰め込んでいく方がいい。思考力ってのはつめこまれてこそつくもの。自分で考えるってのは、そういう「基礎」「土台」を作ったあとにやるべきもの。最初から何もないのに自由に考えろも何もねえんだよ。

結局、この手のやつって、精神論で終わってんだよ。「そんなの教えてもらうなんて情けなくないのか」とか、そういう感情レベルでものいってる。老害にありがち。

テクニックとかも、「小手先のもの」とか思ってる。

そんなんだから、新社会人になっても、目標の一つもたてられない奴が普通にいるって状況が生まれてんの。

欧米じゃいわゆるライフハック的なこともどんどん教える。実利的なことをどんどん教える。そこに恥ずかしいなんて意識はないんだ。

妙に「なんか実用的なの学ぶのって恥ずかしくない?テクニックテクニックっていうけどさあ、それだけじゃないと思うよ、教育ってのは、ウン」とか特に根拠もなく感情的なことばっかいって、よくわからない授業でお茶を濁していくからゆとりなんて生まれるんだよ。

もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに

どうも日本学校って、何かと精神論になりがちなところがある気がする。

少なくとも俺の通ってたとこはそんな感じで。

例えば小学生の時。絵を描きましょう、なんて時間になったとき。先生は、何も言わない。ただ、校庭に出て、好きな物を見つけて、それを一生懸命描きなさい、心をこめて描きなさい、って言うだけ。

んなさ。心こめて描けっていってもさ。

あと、先生は、「課題物を描けなんて小学生には荷が重いだろうから、なんでもいいから自由に描くようにさせてみよう」って思ったのかもしれないけど、寧ろ、「自由にやれ」なんてほど難しいもんってない。

分からないままに、なんか適当に木を選んで、描き方もよくわからないから、なんか適当に色塗ったりした。

自分でもなんかよくわからんから、ってスタンスで描いてるから、できた絵も当然、別に気に入らない。ド下手とは感じなかったけど、もっとうまく、写実的に描けないものかな(写実的なんて言葉当時は知らなかったが)と思っていた。

でも、先生は当然のようにそんなテクニックを教えてくれない。ただ、遠足気分(あくまで先生的に。別に俺らは全然遠足気分じゃなかった)で外歩いて、好きなものを、子供ナチュラルな目線のまま描きましょう、的な。でもさ、んなこと言われても、俺ら描けない。描き方も教わらず、何を描けとも教わらず、ただただ「自由にやってみろ」って、今思うとこんなに難しいことはない。

で、それで採点されちまうわけで。通知表とか。だったら、「先生にいい風に評価される絵の描き方」を教えてくれよ、って思ってた。でも、先生は、「そういう小手先のテクニックじゃなくて、気持ちをこめて、子供らしいおおらかな絵を描くのが一番いいんだよ」とか言う。正直、わけがわからん。親に聞いても、別に芸術畑で育った訳でもない親は、「絵なんてほとんど才能なんじゃない?だから適当でいいんじゃない」としか言わない。好き勝手に描いても、全然上達なんてしねーし、でも俺の絵ってなんかものたりないなってのは思ってて、でもどうしようもないって先生も親もいうし、絵ってつまんねーな、色塗るのめんどくせ、で終わってた。

国語も、読書感想文とか、「○○の感想」とかいう類のものは困った。まず、何を書きゃいいのかわからん。読書感想文でいえば、3枚は書け、とか言われるんだが、小学生感想なんて「面白かった」「つまらなかった」「よくわからなかった」そんなものしかないわけだ。感想文とか言われても、だから何を書けばいいのかそもそもわからない。例えばあらすじとかは書いて水増ししてもいいのか、なんか読んで思った感想ってのはどこまでの幅を言うんだ、そっから思い出した自分エピソードも感想のうちなのか?とか、全然分からない。先生に聞いても「自由に思ったままを書け」としか言わない。思ったことなんてねえし……「そこそこ面白い」しかねえし。

模範文すら教えてくれない。内容の組み立ても。何もかも。親に聞いても「感想感想だろ」しか言わない。わけわからない。皆も同じくわけわからなかったっぽい。

とにかく、自由すぎる。

自由に考えろ。自由に書け。なんてのは、今思うとかなりの高等レベルだ。人間、枠があったほうが考えやすい。条件つきの方が、自由より寧ろやりやすいんだ。それに気がついたのは高校生のときだった。

自由にやれ、というわりに、しっかり点数だけはつける。いや、それじゃあさ、点数の指針を教えてよ、って思ってた。

そう。指針。それがないと、どうしようもできない。自由にやれなんて聞こえはいいが、当時のイメージとしては、あまりに膨大な大海の上を、一人プカリプカリと心もとなく浮かんでいる感じだった。そうじゃなくて、先生の方で用意してほしかった。きちっとプールにして。50メートルでくぎって。そんで、2週してこい、平泳ぎで、ってそこまで指定してほしかったんだよ。そうすれば自分の目標もたてられる。何も指針がない、何も教えられない、それじゃ目標もたてられない。反省も出来ない。

小学生は、自由にふよふよやらせるのがいいんだろうって先生は思っているのかもしれないけど、寧ろ逆じゃないか。

子供こそ、「これをやれ」って明確に課題を与えられた方が、熱中しやすいんじゃないか。

「でもそれじゃつまらないんじゃ?」って、どのみち自由に絵を描けなんてのもつまらんのだ。絵を描きたかったら、家で勝手に描いてる。もっと、絵にしたって、「影をつけると立体的に見えるよ。影はこうやってつけて。光源を決めて、そこからこうして」とかテクニックをもっと、バンバン教えて欲しかった。それがあれば、とりあえず、「何をやればいいのか」が分かる。それだけで大分違う。それに、上達が目に見えて分かるようになる。「模範的な絵」「模範的な作文」も見せて欲しかった。そしてそれのどこがどう「正解」なのか。小手先すぎるかな、というくらいのテクニックを、教えて欲しかった。そしてもっと、狭い枠の中で、課題を出して欲しかった。そのほうが、自分が上達してるのも目に見えてわかるし、何がダメなのか、何を目指せばいいのかもわかるから、モチベーションが上がりやすい。自由に作文を書け、絵を描け、なんていわれても、モチベーションは全く上がらない。何を目指しているのかすら、不明なんだ。作文だったら「こういう、型にはまった文章を、不自然でなく書けるようにしろ」っていう一定のゴールみたいなものが欲しかった。

作文とか絵とか、今思うと怖かったもんな。

あまりにゴールがなさすぎて。あまりに、とらえどころがなさすぎて。あまりに範囲が巨大すぎて。全体を把握できない。とっかかりもない。どうすればいいのか、ほんと分からなくて、どっからどう手をつければいいのか、全然分からなくて。

もっとも、小学生の自分には、そういう漠然とした想いをこうして文にする力は無かったから、何も言えないまま終わってしまったが。

そしてプラスするなら、「何が出来ればいいのか」という目標を、常に先生には子供意識させてやってほしい。

目標は具体的に何なのか?」ということを漠然ではなくしっかり認識するという大切さを、自分は大学はいってようやく知った。

「自由さ」なんて、どうせテクニック覚えていけば、成長過程で勝手に自分で色々やりだすもんだ。

もっと、漠然とした「絵を描きましょう。作文を書きましょう」とかじゃなくて、課題をしっかり与えて、テクニックをもっと教えて欲しかったよ。


追記。

「テクニックなんて自分で勝手に学べよ」とか「与えられるの待ってるんじゃなくて、そういうのは自分で考えろよ」とか言う人いるけど、そんなん小学生に求めるのは余りに過酷過ぎw板前修業中の若者に言うならまだ分かるけどさ。そういう事を言うのは、大人になってからの話。小学生にんなこといったって無理だって。そういう人は自分が小学生だったときを美化しすぎだと思うぜ。大体、子供のときなんてそんな「考える」力すらない、ゼロなんだから、最初から「自分で考えろ」型教育は、結局何も生み出さないよ。まず模倣、基本の型、そういうのを吸収した後に、「自分で考える」ことが出来るんだと俺は思うけど。ピカソだって基礎をちゃんとやってる。いきなりああいう絵を描いたんじゃない。ベートーヴェンなんかも、違う曲から旋律をマネしたりしてる。ていうかそういう特訓をするために「学校」てのがあるんだと思うんだがなあ。「自由にやれ」って言うだけじゃ学校意味ってないだろ。そういう特訓をしてもいないのに凡人が「自分で考える」なんてやっても、ろくなことにはならない。それって単なる自己満足だと思う。ただキレイノートまとめただけで、「あー、勉強したー」って言うみたいな。

あと体育も、言及してる人いるけど、「走り方」とか教えるべきだね。全然教えてくれないから、早く走るなんて無理なんだ、生まれつきなんだ、って俺思ってたけど、高校生になって陸上部連中に練習法とか教えてもらったらタイム縮まって驚いたもん。そりゃ努力すれば誰でも10秒台、なんてのは無理だけど、でも縮めることは案外できるんだよなあ。

それと、「教えてくれればよかったのに」というタイトルにしたもんだから(これはちょっと、インパクトの観点で選んだところがあるんだが)まるで「先生のせいにしてる」みたいに受け止めてる人もいるけど、別に俺は「今俺が絵下手なのは小学校のときのあの先生のせいだ、恨んでやる!」とか思ってるわけじゃないよ。今は、型とか基本の大事さ、目標をしっかり認識することの大事さとかに気がついてきたから、それはもういいんだ。絵もまた描き始めてるし。

ただ俺みたいな小学生が、また今も量産されてんのかなって思うと残念な気がするんだよね。

それで絵に対する興味を俺みたいに一時的に失ったり、体育本当つまんね、ってなったりするのは勿体無いからさ。それこそ、「子供才能を潰す」って奴だと思うんで。(『本当に才能があるひとはそんなこと関係なく這い上がってくる』とか言う人いるけど、才能のあるなしとメンタル面の強さって別に必ず比例するわけじゃないから。普通に、才能あるけど潰される人はいる。才能ある人は何しても潰されず上がってくれるはず、なんてそんな無責任に甘いこと考えてちゃいけないと思うよ。天才の才能を凡人が潰すなんて、いくらでも有り得ることだから)

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