はてなキーワード: 精神論とは
元益田だけど、やってるよ。
自分が制作するにあたって、自分が撮影・制作したテクスチャ素材や写真なんかはパブリックドメインで公開してます。
CCは思想的にあんま好きになれない(自由に使えるとは違うため)
もういっこ書こうと思ったことなんだけど
みんなクリーンで綺麗な作品を書くために大量に独自の資料を集めていて、尚且つそれを秘匿しているんだったら、いっそみんなで共有したほうが全員の利益になると思う。
(あたりまえだけど、自身が有料で買った素材を公開しろ!ってことじゃないぞ!自分が資料として撮影した写真とかを共有しようって話)
もしかしたら俺が苦労してるんだから、後の奴らが同じ苦労を味あわないのは不公平だ!ってことかもしれないけど。
原画の時、何が必要だったのか。分からなかったことがいくつかわかった。
原画の人でここを見ている人はそんなにいないだろうけれども、
もしも参考に出来たら頭の隅にでも入れておいてほしい。
分かっている人には何当たり前のこと言ってんの、といわれるだろうけど。
1.頭身は合わせる
頭身合わせるのって難しいけど、これが出来てるかどうかで作監作業の楽さは段違い。
特にロングの時は頭身が合ってないだけで全修しなければならない。
絵だけで見ればかわいいのが描ける人とかでも例外ではないので、もったいない。
動きも何もかも書き直しになってしまうので、みんな不幸である。
作監作業が楽だということは、レイアウト戻しも早く出せるので原画さんにもメリット高し。
これに関しては以後の項目も同じことが言える。
2.キャラ対比に頭の位置を合わせる
姉キャラより妹キャラのほうが頭が高い位置にあったら変だ。というのは極端な例だけど、そういうこと。
バストアップの時には特にコレに気を使ってもらえると助かる。
これがアイレベルからズレている場合、キャラの位置とか上下ずらしてーとかで誤魔化せることもあるんだけど、
下手するとキャラから背景から全修だったりする。
3.キャラ配置などがコンテから逸脱しすぎない
コンテはレイアウト発注書みたいなものなので、
上記二つに気を使っていたとしてもコンテと違いすぎると全修になってしまったりもする。
コンテを読む力っていうんだろうか。上手く言葉に出来ないけど。
ぶっちゃけ、最近は絵コンテ自体を上手い人が描かれる事が多くなったので、
そういうコンテの場合、コンテ拡大コピーを元に絵作りしてもらったほうが助かったりすることもある。
とか書くと怒られちゃうかしら。
4.絵に愛を持つ
もう精神論なんだけど。でもこれはじわじわくる。
やっつけで描かれたレイアウトとか、なんで修正しなきゃならんの、とか思っちゃうけど、
例え全修しなきゃならないって状況でも、その絵に愛を感じたなら、作監からその原画さんに対しての敬意も違う。
それは作監修正に自然と反映される。愛のある絵は、よりそれを活かしたくなる。
他にも色々あるんだろうけど、特に1と3は気を使ってもらえると、TVアニメでの作画としてはだいぶ楽なのではなかろうか。
ただ、これは日常アニメの時に重視することであって、アクション重視のアニメだとまた求められるものが少し変わってくるので、
それはまた別の人の話を参考にしてもらいたいなと思う。
あと、1.2を立てれば3が立たず、となることは例外的とはいえよくあることで、その場合は
コンテの配置を重視してパースの微調整をしていく、となるか、
コンテの文脈を読み取ってその雰囲気を守った上、演出様確認の上でまったく違うく変えてしまうとか、
コンテの配置重視でパースを無視してしまうか、とかに分かれていく。
そいつは留学前は日本の悪口ばかり言うようなやつで、日本のWEBは残念のように、日本が抱えている問題をよく言っていた。
でも留学してしばらくしたら、メッセやメールではアメリカの悪口ばかりになった。
曰く、米国も出る杭たたきまくりらしく、とにかく人がやることにいちゃもんを付けるんだそうだ。
宗教や人種、権利にうるさいアメリカ人だから、日本以上かもって言ってた。
そんなアメリカの出る杭を打つ社会で、日本とのただ一つ違いを話してくれた。
違うのは金の回りかたが尋常じゃない。ってことらしい
アメリカではとにかく金。金になるものはないかを察知する連中が、いつもなにか目を光らせているらしい
そして、そういう連中が出る杭の中から、本物を見抜き、すかさず支援する仕組みが、国のシステムみたいな物に組み込まれているらしい
とにかくビジネスに敏感なんだと
つまり、アメリカは、叩かれること前提でどうするのかという社会ができているんだと。
日本のように、精神論的に「叩かれる社会は駄目」で終わらないしたたかさがある
とそいつは言ってた。
このあたりのビジネス的な判断が、日本にできるかどうかが重要なんだろう。
出る杭を打つ天才なのは、自国にこういうセンスを持っている証拠だと思う。
たとえば、ドイツを叩くためにソ連や中国のような社会主義国と手を結ぶ
これがアメリカなんだろう。
アメリカの選挙期間、とにかくライバルを叩きまくるが、当選したらニコニコしながらアメリカの貯めに味方するのも、ビジネス的センスなのかなと。
ある会社がライバル企業を敵対的買収すると発表して、もめているニュースを見たんだけど、提示金額が大きくなると
ライバル企業がすんなり合意して、結局は金かよ・・・って思ったもんだが
こういう話がアメリカは多い
と思った
ひきこもりやニートの親を見ていると、自分から変わろうとしない親連中が多いんですよね。そういうのが子供を一番不幸にする親です。と断言したい。
たとえば、子供がなにか就職のために面接や経験としてアピールできるものを変えようとして大変だから手伝ってもらおうとすると、逃げる。とかくできないからといって逃げるんですよ。
「たしかにブランクはありますが、ここ数ヶ月は老後を楽しんでもらうために親にパソコンの使い方をみっちり教えています」
「その間に、資格や勉強をしていました」だけでもその子にとっては十分なアピールになるのに「いそがしいとか、おれ学校いってないとか」言ってその子に聞くと逃げるっていうんですよ。
よくわからないからレッテル貼っておいて適当にごまかしておけば出て行くだろう。と適当に考えてレッテル貼って逃げている。それで、その子供に話を聞いてみると、普段口ばかり言って僕の話を聞いてくれやしない。理解してくれないし働きたいけど相談に乗らないで精神論ばかり言うと嘆く。それで親はテレビばかり見ている。それじゃあやる気なくすでしょうに。
愚痴を言ったって解決になりゃしません。愚痴は相手から不満と反発を招きますし、ああ。この人口ばかり言ってなにもしないんだなと思われて信用されません。だったら愚痴を言わずに、手伝えることはないかと本人に聞いてみるべきだと私は思います。
生き様とか書くと「精神論wwww」とかいって思考停止するだろうけど、要は日々の生活態度だよ。
別に骨格やパーツの配置が変わるなんて言ってないだろ。
表情や視線、立ち振る舞いに反映されるわけだ。
絵と造形に関わる仕事してるなら、物体形状としての顔だけじゃなくて、
あのさ、被害に合ったのはこっちなわけ。
レイプにはならないらしいけど、
レイプ紛いのことされたら傷つくよ。
それなのに何で精神論めいた嫌味を言われなきゃいけないの?
あんた最低だよ。
家を飛び出して今は漫画喫茶にいるわけです。
ちょっとここ最近、
一緒に住んで喧嘩して疲れるのなら、
一人の方が楽だなという気持ちです。
そこで「なぜ」を考えてみたいと思います。
「なぜ」を考えてぐるぐる同じことを考えてる時があると思いますがそこはご愛敬。
「私の気持ち」と「彼女の気持ちの」2つをスタートにしていきたいと思います。
というわけでまずは「私の気持ち」から。
なぜ私は疲れたかと考えると、
なぜ自分の気持ちを我慢して相手に合わせるのかと考えると、
例えば、「しんどい」「後で考える」「適当で問題ない」という言い訳。
プライベートな行動時は、深く論詰めて考えて行動したくないから。
ダメ男ですな・・・。
「バカなやつだ」と言ってこんばかりです。
なぜ彼女は怒るのかと考えると、
彼女に対して、喜ぶことをしていないから。
なぜ彼女に対して喜ぶことをしていないかと考えると、
一緒に住んでいると家族のように感じ、
私は「彼女はそこにいてあたりまえ」という気持ちになっているから。
うーん、独りよがりな考えなので、
自分勝手なこと言いまくってますねー。
彼女がこれ見たらなんて言いますかね。
まぁ、見せないけど。
もうちょっと自分の気持ちとか、現状を上手く考えることができれば、
今とは違った未来が待ってくれてそうですね。
さて、そろそろ帰りますね、家に。
発達障害を抱えているので、直観力というものが全く働きません。
CTスキャンでくっきり造影されるほどの「真性」障害は300人に一人だそうですが、“気質障害”“形質障害”といわれる比較的軽度な人は、日本の場合「人口の約5%」程度だそうです。
「私」を含めてこういう人は、“空気を読む””直感的に良好な人間関係を築く”能力を持ち合わせていません。
これは、そのほかの様々な身体的特徴と同様その人固有のもので、多かれ少なかれこういった障害を持つ人物に、
「空気を読め」「勘を働かせろ」と要求する事は、
※目の見えない人に『よく見ろ』という
※耳の聞こえない人に『話をよく聞け』という
このような要求と同様に「物理的に無茶な話」です。
日常的に、それなりに勘働きをして生活をしているように思われていますが、それは星の数を超えるほどの膨大なパターン認識を繰り返す事で“学習”し、不測の事態に熟練する事で補っているだけなんです。
「知らない事は理解しようがない。理解できていない事は実践できるはずも無い」
これが事実であり、真理です。いくら精神論や常識論を振り回してもらったところで、生まれつき動いていない器官が正常に動き始めるわけでは有りません。
手足を失った、あるいはそれらをもって生まれてこなかった人に、
「五体満足でないのは自分が悪いのだから、健常者のように手足を生やして来い」
とおっしゃるのでしょうか?
先年、思うところあって障害者支援・不登校支援に参加して、そこで報告される事例に心当たりがありすぎるから診断を受けたら、冒頭のように宣告されました。35歳のときです。
『誰の理解も、何のケアも受けられないで、良くこの年齢まで生き延びてこられたものだ』
そう言って驚かれたものです。無かった事にしたいほど屈辱まみれだった半生を思い起こすと、類稀な精神力を持って生まれたらしき事を果たして喜んでいいものかどうか判断が付きません。
迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、今でも心臓が止まりそうなほどの不整脈が出ますが、リスクとメリットを天秤にかけて、あえて障害者手帳は取っていません。
一見しただけでは分からない、脳や精神に関する障害をもって生まれた事が、本人だけの責任と言い切れるのでしょうか?
いつ何時、些細な差異を理由に命の危険にさらされるような、そんな不寛容な世界に、果たして「あなた」は暮らし続けたいと思うのでしょうか?
普通人・常識人のつもりな「あなた」の“無知と無理解と無関心”が、今も誰かを死に至らしめているのかもしれませんよ?
4/3追記1
その度に宣言してレスつけて歩くのも面倒なので、ここで追記する事で代えよう。
変な誤解が発生してるようなので宣言しておくが、
「空気読め」(http://anond.hatelabo.jp/20090401235551)の元増田とは別人。ついでだからもう一つ宣言、本IDはこっち⇒http://d.hatena.ne.jp/cambrian/
本IDからリンクをありったけ辿って貰えば分かる事だけれど一応書いておく。零細だけれど一応会社役員の末席で、他にも2つのNPO団体から乞われて理事や事務局を勤めさせていただいている。最初に書いた内容は、全て“id:cambrian”という立場から見てきた現実であり、あるいは経験してきた事実に過ぎない。
それがどうして“分かってちゃん”だとか“自己憐憫”だとかっていう話に転がってっちゃうのかわかんねーよ。
「正論を正論として突きつけるのは控えてくれ」と言われる事もあるけどね。今もって「迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、心臓が止まりそうなほどの不整脈が出る」のだから、「道理は道理、正論は正論」というスタンスしか摂りようがない。
対人関係で衝突が増える事なんかとっくに織り込み済みで、「志半ばで命を落す事もありうる」覚悟は完了してるがそれがどうかしたかね?改めて振り返ってみれば、命を落していたかもしれないような危機の連続を、およそ全て力ずくで踏み潰して乗り越えてきた形になっているのな。どれもこれも、「十人十色であり、みんな違っていてみんな良い」のだと信じてきたから。打たれ強いか、弱いかというなら、抜群に打たれ強いんだろうさ。
「知らない事は理解しようがない。理解できていない事は実践できるはずも無い」でしょ?
知らないのも理解できていないのも、知覚・判断能力に個人差があるのも止むを得ないじゃないか。知らなかった事、理解できていない事を理由に吊るし上げられてもどうにも出来ないし、誰かをそのような理由で吊るし上げたりする事に何の価値も利益もない。
「誰の力も手も助けも借りられなかった」からこそ、「力ずくで踏み潰して」でも生き延びてこなければならなかったのであって、そのこと自体を今更どうこうは言わない。だけれども、
もし、只ひたすら助けを求めて泣き叫んでいるだけだったらどうだったんだろうか?
とか、
もし仮にここまで生き延びてこれずに途中で命を落していたとしたら、「人間一人の命の危機をただ眺めているだけだった」自称普通人たちはどうしたんだろうか?
とか思わなくも無い。
それだけの事なんである。
CHANGE!しなきゃいけないとは思えど、染み付いた生活習慣なんてものはそう簡単に変えられるものではなく。
帰ったらつけっぱなしのパソコンで2chスレとはてブ、RSSを巡回。ダイアリやスレに適当なこと書いてから、たまったアニメを見ながらレトルトカレーと作り置きのサラダで夕食。寝る前にモンハン1プレーして布団を暖めてから、携帯から書き込みやらメールの返信やら終えて就寝。
翌朝遅刻ギリギリに目を覚まし、さみーだりーあたまいてーとか言いながらだらだらぬくぬくしてるうちに結局遅刻。そんなクソな勤怠だろうが、本人それなりに仕事できる自覚があるんで何言われても蛙のツラになんとやら。まあ業務中に増田にこんなこと書くくらいだしね。
さて、この死ねばいいのに的な生活習慣をどのように改善するかねぇ。「本人の気の持ちよう」とか「朝頑張って起きればいいだろ」とか、そういう精神論は望んでいません。システムで解決する方法を、増田のみんなも考えてくれやしないか!?
「パーソナルコンピュータ」の略は日本だとパソコンだけど、アメリカだとPCになる。
そのアメリカでは、IBMが出したIBM-PCが80年代初めに売れたものだから、PCがパーソナルコンピュータの意味だけではなく、IBMのパソコン(あと、大量に生まれたIBM-PCクローン)を意味するようになってしまった。
そしてIBM-PCにつまれていたMS-DOSがWindowsに変わっていく中で、IBMのパソコンだけでなくウインドウズ機全般をPCと呼ぶ慣習が生まれてしまった。
なのでアメリカではマックはPCではない、はPCをウインドウズ機の意味で使う限り当然正しい文章なんだけど、このPCをパソコンと理解してしまった日本では混乱が生じて、アップル精神論じみたことを言う人がでてくるんだよ。
http://diary.lylyco.com/2009/03/post_278.html
こういう、
完璧主義!?お前のそれは全然完璧主義なんかじゃない!「完璧主義」というなんて図々しいよ!
系の「完璧主義批判」は時々見るんだが…一言言いたい!
俺もそうなんだが……この手の完璧主義者は、そんなことはよーくわかってるねん。
こんなことしてちゃだめだと分かってる。くだらない拘りだと。「完璧なんてありえないんだよ!」よくいうけど、そんなこた分かってる。言い訳にしてるわけじゃないんだ。
「言い訳にしてる」と言われるってことは、そもそも「完璧主義」をいい意味でとっているってことだと思う。お前はただのグズであり、完璧主義だなんてそんないい属性じゃねーんだ!と、要はいいたいんだろう。それはその通りだ。別にそこを否定するわけじゃない。
ただ、完璧主義者からすると、(そもそもそれで悩んでいるくらいなので)「完璧主義」をいい意味にとっていない。最初から。だからこれはもう言葉遊びみたいな話なんだが……。要は、「完璧主義」を、実際に完璧にやることだと捉えている人と「完璧主義」を、実際はともかくとして完璧にやろうとしてしまう人の違いだと思うんだな。前者の意味で捉えている人は、俺達のような人を見て「お前らのどこが完璧主義者だ」と思うわけだ。でも俺達は、そもそも完璧主義っていいもんじゃないと思ってる。俺達が「俺完璧主義で、ほんとだめで」っていうときは自虐しているのと同じ事なんだ。
「適当にすればいい」「8割で」とかいうんだけどそれが難しい。「8割で」と言われると今度はその「8割」分を完璧にしようとしてしまう。ある意味潔癖症というのか、オールオアナッシングといったほうが近いかもしれない。全部きちっとしなくちゃ気がすまなくて、それが出来ないなら、8割やったところで同じだと思ってしまうのが俺達。なぜ、完璧にできないからといってすぐやめてしまうのかといえば、完璧でないものは、1割だろうが、8割だろうが、どれも同じに見えてしまうから。
あーっ!!わかるわかるよ。「馬鹿らしい!」「アホだろ!」「要領悪い」「お前が完璧になんてできるわけないのに、図々しい!」といいたいだろう!!!でもわかっている。そんなことはとっくの昔に。「完璧主義者」を見るとこうやって嬉しそうに「お前が完璧主義者だなんて10年はやい」「いいわけだ」「要領悪いだけ」「馬鹿じゃないの?」といってくるやつがいる。でも、知っておいて欲しいのは、そんなことは当人たちは言われなくてもよーっっくよーーーーっっっっく知ってるし、知った上で苦しんでいる、ということだ。そして苦しみながらもなんとかそこから脱したいと努力をしてる。
だから余りそんな事を言わないでほしいんだ。言い訳にしてるつもりなんてない。むしろ嫌でしかたがないんだ。
強く言えば、この言葉は、鬱病患者に「元気出せよ!鬱?いいわけだろ」と言ってるようなものだってことを。
分かっているだけに苦しいんだ。ダメだなんて言われなくても本人が一番よーくわかってる。今更誰かが言わなくたってわかってるんだ。
だから頼む。あまり責めないでくれ。さんざん分かっている事をそういわれると本当こたえるんだ。それでもなんとか努力してるんだ。精神科にも通った。ほとんど強迫概念とセットなんだ。こういうのは。だからあまり「なまけるな」精神論を通さないでほしいんだ。健常な人から見たらばかばかしいだろう。そうだろう。でもわかってる。わかってるから。君らがそうやって言わなくても、わかってるんだ。
「伏し目がちは甘えの現われ」の根拠を聞いてみたらいいと思うよ。
まず間違いなく印象論+精神論が返ってくるから。
んなもん気にするな。
http://anond.hatelabo.jp/20090216230336
なのに「愛」が欲しいとか言ってるんだ。あなたにとって「愛」って何? 「私の言うことをなんでも受け入れて聞いてもらうこと」なのかな? 他人に対して誠実であることというのは、相手の身になって考えて、相手のためになることをすること、なんだけど。セフレ彼はともかく、見合い相手は裏切ってるよね。で、そういう女(カレシ、嫌だろうけど、この場合見合い相手ね、を平気で裏切る女だということを、セフレ彼も知ってるわけだ。だから軽く扱われる。結局のところ、あなたが愛されないのは、他人に対して誠実であろうとしていないからだよ。そういう精神論は親切にしたら親切に仕返されるといった単純な損得勘定に基づいていないから、簡単には成果が出ないけれど。
もし、本当に「愛されること」を望んでいるのなら、誰に対しても「相手の気持ちを考え、相手の気分が良くなるように行動する」ということを心がければ、そのうち愛してくれる人が現われると思うよ。
基礎的な知識があればそんな精神論じゃないってわかるはず。
アホだったのがO-157全盛期に荒川恭啓が同じこと言ってて、清潔主義だからこんな病気にかかる的なことを言ってた。
アホかと。ベロ毒素だっちゅうの。過去の0-157にはなくてある時ベロ毒素を持ったO-157が生まれた。だから被害が広がった。
それだけなのに。
一度感染すれば免疫ができて次から耐性ができるっていうシステムが、「鍛えれば強くなる」っていう筋肉とかと同じニュアンスでとらえられちゃってるのが問題なんだろうな。実際は免疫と筋肉(その他)は全然違うものなのにさ。
ジェンナーも草葉の陰で泣いてますよ。人痘にかかると死ぬから牛痘を注射してゆるい病気にして免疫を作らせて人痘にかからないようにしたのに。そのおっさんの論理だと人痘にかかれってなもんだもんな。
そんな単純な若者ダメ論よりくせ者なのが、さっきNHKで大江健三郎が言ってたタイプの若者ダメ論で、「今の若者は100年前の若者と似ている。だから不安だ」的なやつ。