はてなキーワード: 精神論とは
これのはてブコメントで、「連帯責任はおかしいと思ってたからよかった」「連帯責任云々いってる2ちゃんの奴ら、お前らも殺人予告あったら責任とれよ」とか言ってる人が結構多いがさ……
このニュースの問題ってそこじゃなくねーか?
今まで、万引きとか飲酒とか喧嘩とか、そういうので「連帯責任」つって、無関係な部員まで巻き込まれててさ
それで何故か、強制わいせつでその「連帯責任」が突然解除されたのが、変、って話じゃないのか?
今までずっとそうだった(連帯責任なんて問わなかった)のなら分かるが。飲酒とかで連帯責任やっといて、強制わいせつでオッケーって。意味が分からんだろ。強制わいせつは高野連の中で未成年飲酒よりも軽い罪だというのか?
確かに連帯責任とかいう意味の分からん精神論に基づいた罰は俺も前々からどうなのよ高野連、と思ってはいたけどさ。
連帯責任はおかしいと思うよ。でも、なんでよりによって強制わいせつ「だけ」オッケーなんだ?
本気で意味が分からん。これがニュースになってるのもそこがポイントだとばかり思っていたが、はてブにゃ「連帯責任」のところにだけ重きが置かれてるし……ううむ
えーとね、こういうのは経験しないとわからないことがあるから余り俺の意見を言っても仕方ないと思うんだよね。むしろ、人の意見を下手に聞くと間違って鵜呑みにして余計変なことになるのがオチだから、結局は自分で考えるしかないんだけどね。
仮説というほど根拠のあることとは思えない、論理的に飛躍がある、というなら是非、その部分を指摘して、僕の仮説なんかコテンパンにのしてしまって欲しいのですが……僕が一番望んでるのは、それです。僕自身一番認めたくない考えだから。
じゃあちょっとやってみようか。
しかし、既に「問題が解ける」ならば、その問題はあまりやる必要がなくて、寧ろ、解けないものこそ解けるようにすべきなわけだろ。
とすると、勉強をしていて「楽しい」と思う瞬間ってのは、イコール受験・資格勉強的には無駄な時間であって、受験・資格勉強的に有意義な勉強というとどうしたって苦しくならざるを得ないのだろうか?
ここの第一文と第二文が飛躍じゃないかなと思うんだ。なぜかというと、
この辺の話がすっ飛ばされてる気がするからなんだ。
わかりにくいから、ゲームでたとえてみようか。
まず前者は、神竜でもダークドレアムでも何でもいいんだけど、反則的に強い裏ボスを倒すために必死こいてレベル上げしたりするわけだけど、そのレベル上げ自体が苦痛な作業なのかな、ってこと。好きでもないゲームのレベル上げなら苦痛だろうけど、「裏ボスを倒す」という目標を持ってのレベル上げなら苦痛ばかりとは言えないんじゃないの?
後者については、そのレベル上げが終わった後の話ね。裏ボスでも瞬殺できるようなレベルまで上がったとして、君はその裏ボスを倒さずにゲームをやめてしまう?そんなことはないよね。実際は裏ボスを実際に倒してみる。そして、そうしないとわからないこともあったりする。実はレベル上げが足りなかったとか、レベルをそこまで上げなくても勝てたんだとか、いくらレベルを上げても戦術が下手だったら無理なんだとかね。そういうことを繰り返していってはじめて、ゲームの腕も上がるってもんじゃないの。
それを受験勉強に当てはめてみるとどうなるか、ってことだよ。
「楽しいと感じる勉強に意味があるのか」の「意味があるのか」は、精神論的な意味ではなく、「無駄ではないのか」の意味です。「意味があるのか」と書きますと、精神論的なそれと間違いそうになるので、できれば「無駄ではないのか」に変えて欲しいです。
いや、精神論馬鹿ってのはね、「苦しんでやらない努力は無駄」というような迷信を根拠もなく信じてたりするもんなんだよ。
まあ、それはおいといて、俺が言いたかったのは、自分で考えて結論を出せそうもないことを延々と考える方がよっぽど時間の無駄じゃないかな、と思ったわけ。たとえば、星一つない真っ暗な山の中で道に迷ったとき、「方角がわかれば迷わずに出られる」と発想するのは間違ってはいないんだけれど、そこで「北はどちら向きか」と考えても、手がかりがなければ結論だせないでしょ。だったら、一か八かでもどっちかに歩き出すか、あるいは日が昇るまでじっとしているか、何かそういうことをしたほうがいい。
そもそも、自分の勉強のやり方に意味があるかないかを自分で判断できないようなら、まだまだ経験の蓄積が足りないんじゃないかな。失敗も成功も含めてもっと経験を蓄積した方がいい。そうやって体で覚えないとなかなかものの考え方って身に付かないからね。
実を言うと、受験勉強自体が体育会的なんだよね。「これを勉強してなんか意味があるの」と聞かれても、たぶん答えは出ない。正直「勉強したらわかる、それを信じるかどうかは君次第だ」としかいいようがない。なんでかっていうと、学校で教えてることは、今までの人類の長い歴史での知識の蓄積を圧縮して詰め込んだものでしょ。昔の大天才が一生費やしても解けなかった問題を君は練習問題としてこなしていたりする。それが味気ないのは当然だよ。でも、その辺を一度は通過しておかないと、人類の現段階の到達点にはとても追いつけないでしょ。
そういうわけで残念ながら、現代では知の最先端に到達するためには「知識を詰め込む技術」というのもどうしても必須になる。そして、受験勉強をやるということは、その技術を習得するための過程でもあるんだ。むしろ教科書の中身よりも大事なのはそっちかもしれないね。教科書の中身を忘れることはあっても、勉強のやり方を忘れることはないからね。
んー、正直「仮説」というほど根拠のあることとは思えないけどねー。論理的にも飛躍が多いし。自分のことだからその辺は冷静に見えてないんだろうけれど、もう少し落ち着いた方がいい。
自分でも、乱暴な論だとは思います。しかし、それでも、自分の中で反論が出来ない以上認めざるを得ないので、増田に来たんです。どうにか反論してもらいたいなって思って。実際、今まで、こんな言い分は申し訳ないのですがまともな反論は来ていないと思います。いや、それぞれどの方の話も、各自の勉強法論としては、為になる話なのですが……
だから余計やきもきするのです。早くこの論をぶっとばしてくれ、って僕は思ってるんでしょうね。あるいは認めざるを得ないのなら、それはそれでやっていくから、どちらにせよケリをつけたいと感じているのかもしれません。生殺し状態に耐え切れないのかも。
仮説というほど根拠のあることとは思えない、論理的に飛躍がある、というなら是非、その部分を指摘して、僕の仮説なんかコテンパンにのしてしまって欲しいのですが……僕が一番望んでるのは、それです。僕自身一番認めたくない考えだから。
というかね、意味があるのかないのか考えても結論出ないんでしょ?
はい。だから、増田に来たんです。もう僕じゃ無理だと思って。
うーん、意味はあると思います、何故って、それが分かれば、無駄な勉強をカットすることができますから。
僕が恐れるのは、仮に楽しいと感じる勉強は無駄であったとして、それに僕が気付かないまま、楽しい勉強を続けた結果、その勉強が何の力にもなっていない、無駄だった、となる事です。それを防ぎたいだけです。
「楽しいと感じる勉強に意味があるのか」の「意味があるのか」は、精神論的な意味ではなく、「無駄ではないのか」の意味です。「意味があるのか」と書きますと、精神論的なそれと間違いそうになるので、できれば「無駄ではないのか」に変えて欲しいです。
そもそも、自分の勉強のやり方に意味があるかないかを自分で判断できないようなら、まだまだ経験の蓄積が足りないんじゃないかな。失敗も成功も含めてもっと経験を蓄積した方がいい。そうやって体で覚えないとなかなかものの考え方って身に付かないからね。
うーん。こういう体育会的なノリは少し僕は苦手です。というかそれこそ精神論的では、と思うのですが……
と思う僕はやはりまだまだ経験が足りない、ということでしょうか。
ちなみに、そういうお前自身はその問題についてどう思ってるのだと聞かれるかもしれないけど、俺はサボりなので、楽しいと感じない勉強はやらないことにしている。それがよかったのか悪かったのかは知りませんよ。
いや、寧ろ一番これが聞きたかったですね。あなたは楽しいと感じる勉強しかしなかったけど、京大に受かったわけですから……
あと、せっかく言ってくれてるのに、いちいちグチグチうるさいガキですみません。
やや、精神論の問題ではなく、実質的な問題じゃないですか。(だからこそ困っているわけで)
僕の仮説を読んでいただけましたか?あの仮説通りだとするなら、「楽しい」と感じているときは即ちイコール勉強が進んでいない、っちゅーことになるわけで。あの仮説が「正しいとすると」、僕は「楽しい」と感じた時は勉強を改めなければならない。再三いいますけどあの仮説が正しいとすると、その間僕は無駄な勉強をやってることになるわけですからね。
僕は勿論こんな仮説なんか壊れて欲しいのですが、僕の脳内だけじゃどうも、この仮説にたいして納得できる反論が思いつかない。だから増田に書いたのです。
「楽しかったら意味がない」の「意味がない」は精神論的なそれではなく、そのまま単純に文字通りの意味ですから……。「意味がない勉強時間だったのでは?無駄だったのでは?」という意味での「意味がない」であって「お前がいないと意味がないんだ!」とかそういう精神論的な意味でのそれではないです。
精神論的な「意味がない」はどうでもいいですが、本当に「その勉強時間は無駄だった」なんてことになるならそれは困るじゃないですか。誰だって。
そういう小難しい建前論はよその人に任せておけばよいだけの話。
楽しかったら意味がないとかそういうつまらない精神論は三文の値打ちもないと俺は思うけどね。
勝てば官軍、負ければ賊軍。それだけのこと。受験勉強の場合の評価基準は、合格したかとか理解できているかといったことであって、楽しんだかそうじゃないかなんてことではないんだから。
こんな適当な書き方だと信用してもらえないかもしれないけど、俺は一応京大を修士まで出てますんで。範囲の決まってる試験なら、やる気と時間さえあれば何でも取れると思ってるよ。それがどれほどの意味があることかは別として。
一応そういう実感を元にして書いてるつもりですんで、あとはどう判断するかは自分で決めてちょうだい。
※友人がオタクについて語った文章が面白かったので、許可を得て増田へ転載。
以下、友人の弁。
オタクが現実の問題について考えるとき・語るときに陥らないよう注意すべき点として、オタクのなかに強く見られる論理と心理の問題を以下に例示する。
これはべつにオタクじゃなくても当てはまるだろうという指摘があるとすればそれはその通りだが、ここで対象をオタクに限定したのは、筆者自身がいわゆるオタクであり、オタクのなかに見られる論理と心理について、ほかの集団のそれについてよりもよく見知っているという理由による。したがってここで例示したものは、あくまでそれがオタクにおいて比較的傾向的に強く見られるという筆者の観察に基づいている。
カッコイイズム
「カッコイイ」ものに対する素朴なあこがれと肯定の心理。ここで言う「カッコイイ」ものとは、たとえば、強さ、正義、純粋さなど、ヒーローものやロボットアニメなどに典型的に表されている価値観。こうした「カッコイイ」という観念は、具体的な作品を通して、実体的なものと結びついている場合が少なくない。典型的には武器・兵器との結びつき。強さへのあこがれと肯定が武器・兵器へのあこがれと肯定になって表れる。とくに男性オタクの場合、幼少期の経験によって、こうした素朴な心理がほとんど所与のものとなっている場合が多い。
こうした心理が現実の問題に適用された場合、非妥協的で一方的な強硬論の主張として表現されることになる(ヒーローはその純粋さと強さでもって有無を言わさず正義を実現する!)。たとえば、オタクが対北朝鮮問題について一方的な強硬論を唱えたり、日本の安全保障について軍拡論(さらには核武装論)を唱えたりする場合、その中には素朴なカッコイイズムの心理(しかも軍事力と結びついた軍事カッコイイズム)が混入していることが少なくない。もっと穏やかな形では、「あんなヤツやっつけちゃえよ」といった言説。自分だけの単純・素朴な心理(しかもしばしば暴力と結びついている)だけでもって複雑な現実を捉え解決しようとする点で非常に問題。
善悪二元論……敵の悪魔化と味方の無謬化
正義と悪の戦いというものの見方。典型的なヒーローものの論理。
敵=悪玉の論理。相手が何か一つでも悪事をはたらけば、事の大小も問わず、責任の限界も取り払って、相手を邪知暴虐な悪の枢軸にしてしまう。相手のすべての行動が邪悪な行動とされ、相手は邪悪なことなら何でも企みうるし、なし得るとされる。敵の悪魔化・万能化。行動が悪なのは人格が悪だからという論理、悪の人格からは悪の行動しか出てこないという論理。さらには、その悪に関係する人、組織、集団や、悪を擁護するものも一律に悪とされる。悪の肥大化。
これと対照的な形で善玉の論理が出てくる。上記のような巨悪を批判・非難する側はつねに正義であり、悪を殲滅するまで徹底的に攻撃を加えるべきだとする論理。結果として、邪知暴虐な悪との対決にはあらゆる手段が用いられ、往々にして敵よりも残酷で非道な手段を用いることも少なくないが、そうした手段は目的の「正しさ」によって正当化される。敵が悪魔化されたのとは対照的に、味方は無謬化される。宗教戦争に典型的に見られる正戦論の論理。
こうした論理が現実に適用されている例は枚挙にいとまがない。犯罪者バッシング、不祥事バッシングのほとんどがこうした論理によって展開されている。
現実はもっと複雑であり、善悪二元論で割り切れるものではないということ。善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるわけではなく、しばしばその逆であるということ。仮に犯罪や不祥事があったとしても、その事実をありのままに観察して論じること。特定の人格、集団、組織にすべての悪を引き受けさせるのは現実的なものの見方ではない。悪をなした側には悪をなした側なりの論理や心理がありうる(一応、オタク文化にもそうした側面に配慮した例外的な作品はある。『逆シャア』など)。単に人格的なレヴェルの問題だけでなく、構造的なレヴェルでの問題を見ること。そうした現実の複雑さに耐えきれず、問題を最初からすべて善悪二元論の鋳型に流し込んでしまうのは、宗教家かデマゴーグの方法。
問題の人格化
肯定・否定問わず、あらゆる対象を大小さまざまに人格化・キャラ化する論理。
これが現実に適用されると、典型的には民族や国家を人格化するようなことが起こる。さいきんでは『ヘタリア』の例。人格化された対象はある一定の本質を持っているように描かれ、ステレオタイプが促進される。
さらに、人格化された対象が実在の特定人格と結びつく傾向もある。たとえば、日韓関係が小泉vs盧武鉉のような形で著しく人格化されて語られた。これを歴史観に反映すると特定の人物に歴史を仮託した英雄史観になり、現実政治に適用された場合には指導者待望論につながる。
感情移入と過度の思い入れ
対象へ感情的・感傷的に没入する。対象と一体化した共感・同情。惚れた状態。マイナス面が見えなくなる。あばたもえくぼ。
現実に適用された例としては、拉致被害者家族会に対する感情移入。「被害者家族はこんなにかわいそうなのに、どうして北朝鮮に譲歩するのだ」という主張。共感・同情・思い入れが唯一の原理になる。没入対象が民族や国家などの場合は排外的ナショナリズムになる。
主観主義・心情主義
主観的心情と客観的現実とを同一視。あるいは、客観的現実を無視。
典型的な形態としては精神論。あきらめず努力すれば必ず夢は叶うという心情(ジャンプ的な少年マンガにも、少女マンガにも共通した心理)。
観念的空想
観念的な空想をもとに話をしてしまう傾向。「あれは??に違いない」「これは??なのではないか」という、根拠の薄い空想や概念操作を前提として議論を展開する。
オタク的な想像力の源泉とも言えるが、現実の問題に適用された場合、「どうせ??だろう」といった非現実的な憶測・陰謀論や、「もしかしたら??かもしれない」といった希望的観測にしかならない。
拗ね者意識、ルサンチマン
オタクがなお社会的弱者であるという現実から引き起こされる心理。潜在的にせよ顕在的にせよ、自分が疎外されているという意識。
こうした疎外感や拗ね者意識はオタク文化が閉鎖的土壌のもとで独自に発展する要因ともなったが、関心が外の現実に向けられた場合、マジョリティ・メインストリーム・既得権益、さらにはほかの社会的弱者に対する引きずり降ろしの心理がはたらく。
また、社会的弱者であることを一種の免罪符としてあらゆる粗暴が肯定され(被抑圧状態の復讐)、ひとしきり気分よく暴れることで欲求不満を一時的に解消しようとする。
「正しさ」信仰による偏向
どこまでも「正しい事実」を追求する態度。オタク文化の創作物のなかには「正しい公式設定」が存在しうるし、作品解釈をめぐってはそうした(しばしば枝葉末節に渡るほどの)「正しさ」が重要な論点となる場合がある。オタクのパラノイア的側面。
しかし、現実世界においては「正しい公式設定」は存在しない。正しい見方、正しい歴史、正しい勢力は存在しない。あらゆることが論争の対象。「正しさ」だけをもって現実を語ることはできない。政府の「公式見解」が時として「正しい事実」に反することには異議を唱えなければならないが、一方でそれが時として「事実上」(de facto)通用するという現実の意味も認めなければならない。現実の複雑で多様な側面に目を配る必要。一方だけの「正しい」主張しか知らないのはいかにも中途半端で偏向している。
中道、無関心への逃避
積極的な主張をするのではなく、むしろ中道や無関心を言うことで、現実の多様性とそこから要請される態度決定を忌避しようとする心理。「人それぞれ」という底なしの相対主義もこの系列。
しかし中道や無関心も歴然とした1つの立場である。これを認識することが肝要。むしろこうした無自覚な中道派や無関心派は、普段から積極的に態度決定する訓練をしていないだけに、イザというとき冷静な判断ができないおそれがある。
議論ずらしと無責任
「ネタ」「ベタ」「メタ」という形で議論のレヴェルをずらす傾向。オタクのスキゾ的側面。
空想や観念の世界に思いをめぐらす議論ならともかく、現実について考える・論じるときにこれをやると、とんでもない無責任な方言、責任回避になる。
とくにネットのような場所では、万人が非常に気軽に意見表明できると同時に、その影響範囲はきわめて広範囲に及ぶ可能性があり、責任は思いのほか重大。他者に責任を転嫁したり、「ネタだから」などとごまかすくらいならば、意見表明などしないほうがよい。
※投稿者としてはこの主張全てに同意するわけではないのだけど(例えば、一口に「オタク」と言っても、北朝鮮への一方的な強硬論や核武装を訴えるような軍オタにはそうそうお目に掛かれない)、こういう傾向は確かにあるかもしれないと感じる。これを見ているオタクの増田諸兄はどう思われるでしょうか。
そして、それを改修するという気持ちの悪い作業も嫌いだ
「給料分働かどうか」ということが問題なのではなく、現場の人間が肌で感じる不合理が意志決定にフィードバックされていないということであり、それは単なるシステム設計の失敗(あるいは運用の不具合)という問題では。
元増田の提言はそれなりに論理的なので、問題は、その提言が費用対効果を満たしているかとか客からの納期要求を満たしているかとか、そういう部分のはず。そこをきちんと詰め切れない上司に能力が欠けていると思います。「無意味な労働」を「精神論でやり抜く」のが仕事だ、という前世紀的労働観を個人が持つのは別に自由ですが、会社全体として持つのはいかがなものか。
ファッションは宗教だと何度も説いている者です。こちらに激しく同意。
数年??十数年と数十??数百万円を費やして試行錯誤しながら完璧に身に付けて、ようやく「別にかっこよくはない普通のなんでもない格好」を手に入れられると。
そういう「なんでもない格好」をなんでもいいから決めて、「興味無い人はとりあえずこれを着てね」っていうシステムにするのはダメなんですかね。どうしてもキモイやつは血祭りに挙げて、街に出歩けないように足腰立たなくなるまで自尊心を粉砕して引きこもらせないと気が済まない?
済まないんだろうな、と思います。これとそのブクマを見てそう思いました。
どれほど、「ここで結婚できますか?」という質問を「自覚が足りない」と罵倒してる奴が多いことか。
ジェンダーに配慮できるリベラルなはずのはてな民が聞いて呆れるよ。特に、この手の連中でブラック企業や理不尽な上司を普段批判してる奴なんて、自分が管理職になった途端に部下をこき使い出すのがよくわかりましたよ。
「仕事と家庭の両立なんて甘ったれるな」なんて言ってる人が特に当の女性に多いことには吐き気がしますね。ワープアや非モテを除く男はみな、「仕事と家庭の両立」が曲がりなりにも成立できているんですよ?世の中のシステムがそれなりに整備されているからです。男が享受している権利が女が要求するのは当然だし、その当然の権利が保障されているかどうかを確認するのは当たり前のことでしょう。「まだ仕事もしてないうちから権利ばかり要求するな」とか言ってる人は、所詮「雇っていただいている」「給料を払っていただいている」というような主従関係でしか仕事を捉えられていないんでしょうね。
こういう、「俺も我慢したのだからお前も我慢しろ」と抑圧を再生産するような、自分から奴隷の地位に甘んじている連中には本当に吐き気がしますね。自分で自分を抑圧するのは勝手ですが、他人を巻き込むなと。脱オタとかファッションとかと全く同じ構図ですね。
「是を楽しむ者に如かず」という言葉がありますが、俺の経験上「人生とは歯を食いしばって耐えるものだ」なんてクソ精神論振りかざしてる奴が有能であったためしがないんですけどねえ。逆に言えばやる気のない人間はやったって無駄なんだから、ファッションを強要するなんて生産性のない行為はやめたらどうなのかねと思うんですがねえ。
お返事。
b:id:b_say_so ただ道具の扱い方の優劣をテストしてるだけの受験勉強にそこまで思い入れをもたれても…まぁいいですけd/なに高校生とかではないのかΣ
なんでそんな理解になるのかわけがわからないですね。受験勉強と書いたのは「興味もないファッションの丸暗記よりは受験勉強の方がよっぽど生産的だ」という話であって、これは受験勉強を持ち上げているわけではなくファッションをdisってるわけですよ。受験勉強というのは「丸暗記のつまらない勉強」の例として挙げたわけだから。別に受験勉強である必要はなくて語学でもプログラミングでも、要するに「道具の扱い方」だけでしかないものならなんでもいいんですが。
でもね、明確な目的があるならばそういう「道具の扱い方」の勉強も必要かつ有用なわけですよ。それで、僕みたいに根本的にファッションセンスが欠けた人間がそれを勉強して、その先に何の目的を見出せって言うんですか?ケミカルウォッシュだのデニムだのそんな言葉を覚えたらなんかの役に立つんですか?生産的な要素がどこにもないじゃないですか!
彼は、以前の会社の同僚で、頭が良くて仕事が出来たので、仲良くなってから、よく飲みに行っていた友達だ。
SIベンダーでリーダーをしており、最近かわいい子供も生まれて忙しい身だけど、久しぶりに飲みにいけることになった。
ほとんどが、仕事とか、家庭の話だったけど、チベットとかそういう話になったのがすこし面白かったので、書いておく。
俺)最近、オリンピックとかチベットとかの話題で、いろいろあるけど、そういう事を言われたりする?
彼)いや、みんなプロジェクトの事で頭がいっぱいで、世間の話なんかできないよ。
俺)ははは。
彼)でも、奥さんは、中国人とわかると嫌がらせはあるみたい。前からだけどね。
俺)え、それは奥さんがかわいいから嫉まれてるんじゃなくて?
彼)それは、君でしょ。結婚したとき、毎日僕に犯罪者とか言ってた
俺)ゴメン。でも奥さんに嫌がらせとか許せないね。
彼)保育園とかは心配だね。できれば、区立のを使いたいけど。知り合いは、中国人が使うのはおかしいとか言われたらしいから。
俺)どうしても個人を超えた問題になるんだよね。きちんと調べたら、分かるんだけどね。
彼)民族問題や歴史問題は難しい。チベットのことは正直よく分からないんだ。でも、世界中でも大きな国で歴史的に真っ白な国はないでしょう?
事実を一面的に語ることはできない。
俺)でも、チベットの問題では結構強硬的だよね。そういうのは、いまの中国にとっても良い方法ではなかった。
彼)もちろん。人が死んだり傷ついて、泣いたり憎んだりするのは、悲しいよね。誰も望んでないよ。政府には、もっと上手に問題を解決できる人も多いけどまだ力が無いみたい。
俺)中国は変わると思う?
彼)さあ。
でも、ビジネスがもっと好調になれば、今のやり方では難しくなるかもね。誰かを犠牲にしたり、敵対しつづけるのはビジネスとして賢明ではないからね。
でも、それには時間がもうすこし必要だろうね。むしろ、日本が変えればいいのにと思うよ。
俺)ええ、そんなことしたら、外交問題とか言われてとんでもないことになるでしょ。
彼)直接的に言ってはだめだね。日本のほうが先進国だろう。教えるには、良い方法を知っていないとダメだね。
俺)どういう事?
彼)今、会社で新人の研修もしてるんだよね。プログラムもそうだし、エンジニアとしての考え方ね。そういうの。部長が精神論とか講義したりするのもあるんだけど。(笑)他の人が教えてるの見ててさ、中から変わらせるのがうまい人っているでしょ。
俺)癖になっていたり、慣習になってると変われないからね。
彼)そう、でも変えてもらわないと、チームの生産性が落ちるし、本人にも良くない。そういう事。技術は結構時間掛けていいこと教えても本人がモードに入ってないとダメっていうか。
彼)厳しいプレッシャーかけても、自分でも無茶な仕事が出来るとか発見はあるけど、持続できないでしょ。本人が気づくのが大事じゃない。「こっちのやり方だと便利だ」とか「この方法が効率的だ」とか。そういうのwikiに書いても、みんな読まないし、グループセミナーで話しても効果ないじゃない。
俺)みんなモードに入ってないから
彼)タイミングね。
だから、わざと課題に困らせるもの入れておいて、でも、目の付くところにヒントがあって、本人が自分で発見したように思わせる。そういうのは、ちゃんと身に付く。
俺)たしかに。
彼)だから、覚えて欲しい方はそうやって、一度苦労をさせて本人に気が付かせる。教えてない、本人が勝手に気づいた。でも、チームはそれで幸せ。本人も幸せ。
俺)うまく行ってる?
彼)簡単だよ。間違ってる方法をやってれば、絶対にどこかで困ったりするから、そのタイミングを見てればいい。そこで、そっとパスを出す。
俺)なるほど。だから、日本も中国にパスを出せばいいんじゃないかと。
彼)そう、日本は世界中のどこにでも、パスを出しやすい立場にあるよ。世界っていうか、そういうのでしか変われないと思うんだよね。人間は。
彼)中国人は政治とか体制にほとんど興味がない。だれがリーダーかとか歴史とかには、本当はどうでもいい。おいしいもの食べたいとか、かわいいことSEXしたいとか
俺)それ、世界共通でしょ
彼)いや、中国はたぶん一番直感的だと思うよそれで何回も歴史が変わってるから
こんな話だったかな
↓
↓
非モテ「いつもお前らはそういうどっかで聞いた精神論ばっかだお!そんなんクソの役にもたたないお!」
↓
はてな民「んーじゃあこうしてみれば?あるいはこうしてみるとか」
↓
非モテ「そんなのはお前らがリア充だからできる業だお!俺ら非モテにはできないお!リア充はいつもこうだお、弱い俺達非モテのことなんて全然考えずに強者の理論ばっかり言うお!!」
↓
はてな民「ふーん。じゃあまあ出来ないかもしれないけど、しょうがないんじゃないの?ていうか、現実、何言っても嫌だ嫌だ言うんだからそりゃどうしようもないよね」
↓
非モテ「あーほら!ほらね!!!やっぱりね!!!やっぱり俺らには彼女なんて無理だっていうんだお!!リア充は一皮むければこれだお!!!どうせ俺達に彼女なんかできるわけないってやっぱりずっと腹の中で思ってたんだお、このDQNどもめ!!あーあ、俺達ってそれにしても可哀想な存在だお、完全に被害者だおー」
具体的に何をしていいのかさっぱり分からないという人は、
そもそも自分自身が具体的に何をしたいか目的が決まっていないからであることが多い。
そんな人たちに投げかける言葉は、必然的にどんな場合どんな人にでも対応できる精神論になってしまう。
具体的に何をしたいのかまず考えてからだろ。
たとえば今やってるバイトの人たちと話せるようになりたい、等。
自分が何をしたいのかそもそも漠然としている人に投げかける言葉などあるわけがないだろ。
自分がまずそんな調子なのに他人のアドバイスにケチつけてる場合なのか
そもそもなぜ初めから他人のアドバイス頼りなのか……
あまりこういう言葉はつかいたかないが、「それだからそうなんだろ」といいたくなる典型だな。
精神論っていうよりは、弱肉強食社会における自己責任論だねー。
結局こういう精神論に落ちるよね。自分でなんとかする気が初めから無いってこと。
わざわざそういう横レスするお前に他人に対する悪意しかないってことはわかる。
脳(ホルモン)が悪いんです。自分が悪いんじゃありませんって
冗談じゃないよ
って、まがりなりにも好きで付き合っている人の言うことじゃないだろう。と。思うのだが。
結局こういう精神論に落ちるよね。自分でなんとかする気が初めから無いってこと。
要は議論が出来ない人が嫌いなんだ。で、議論が出来無い人の特徴って
こんなところかなーとかって思う。こういう人と触れなければならない場合、
NC-15 「[Text]精神論馬鹿からは逃げるのが最善の戦略」( http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20061110/1163140097 ) の
と言うのに激しく同意なんだけれど、文字通り受け流す事しか今のところしか持ち合せていない…
増田のみんなどうやってる?
それは握りつぶされないような努力をしようってことになるのでは?
できる人はしたらいい。それだけのこと。
そういう努力の方向もあることに気付かなかったり、あるいは具体的にどんな手を打ったらいいかわからなかったり、あるいは実際に有効な手だてがなかったのなら、それはそれで仕方がない。精一杯やったのだから(やってなくても)誰にも責められる筋合いはない。それだけのこと。
単に、「成功するまで努力しろ」といって、社会的責任みたいなものを本人に丸投げするのがよくないと言ってるだけ。
解決策の一つとして「努力する」というのを提案するのは自由。ただし、それが有効かどうかを判断するのは飽くまで当人だし、その解決策が妥当でないという批判も甘んじて受けなきゃいかんよ。まして、「努力する」という解決策を採用されなかったからと言って「失敗しても自己責任だぞ」なんて無用な捨て台詞を吐くのは余計なお世話。「お前は何様だ」と言われてそれで終了。
まともな大人に、人としての最低限の道徳とか社会の最低限のルールを守れ以上のことを軽々しく言うもんじゃないというだけのことだよ。そして、「努力しろ」というのがそんな「最低限」のことだとは俺は思わないからね。
「教えて断固害」といわれて「自分で努力しろ」と答えたら、横から割り込んできて「努力は万能じゃない」「ネオリベ」「自己啓発厨」とか言い出すのは言いがかりのような。
理不尽な状況に追い込まれた人が、具体的な打開策を求めているのに、それに対して筋違いな精神論を上から目線で語るというのは余りにも失礼だと思うが。単に、人の弱みにつけ込んで自慢話をしたかっただけとしか思えない。リア充系のブロガーってどうしてもそういうのが多いし、そういうのをありがたがって聞いてる奴が多いんだから救いようがないと思うけどね。