「知恵」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 知恵とは

2008-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20081227000912

まなめさんは「またまなめか」っていわれても平気だけど有村さんは違うから難しい。

増田知恵を貸してくれ。

2008-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20081226121827

根拠はなくても、判断材料の一つにはなるよねという話。

しかも、それは、(先人の知恵が詰め込まれた)伝統的な判断材料だ。

もちろん、悪しき伝統かも知れないけど、日本だけではなく、他の

社会でも判断材料にしている所はたくさんある。

2008-12-25

人が死んだあとで

たぶんこれは難しいんだと思う。

元記事の筆者です。 別にこのやり方を辞めろとは言わない、ただ、シンプル選択肢常識的に作ってくれと言いたい。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20081220182504

葬式をやるときってのは、関係者一同、平常心じゃない。だから、人が死んだあと、するするとベルトコンベアーのように流れていくように、今なっている。妙にもめないように。これはむしろ、知恵でしょう(もちろん、ビジネスにも配慮して)。

そこで中途半端選択肢をつくると、おそらくもめる。僕の経験からいってもそうで、平常心でない人間が集まるとつまらないことでよくもめる。

これは、いまから死ぬだろう人にも言いたい。自分が望む葬式スタイルがあるなら、それを明確に残しておいてもらわなくちゃ困る。ただ、散骨がいいなあとか、無宗教にしてねってだけでは、葬式する側が本当に困る。というのも、これは死んだ人の遺志だよって側とそうはいっても葬式くらいちゃんとしようって側と、絶対に割れる。実体験でいうと、こういうしこりはあとあと困る(下手すると遺産のことまでからみだす)。こういうの、はっきりいって迷惑。僕の親父は、葬儀会場から通夜葬儀の大体の流れまで手配してから死んだ。ようやるわと笑わせてもらったが、どうせやるなら死ぬ者はここまでやってもらいたい。

それでもベルトコンベアーに乗らない方法でやろうとおもったら、遺族が信頼できる人で、かつわりと冷静にその場をし切れる人がいなきゃいけない。で、批判は一身に受けて強引に押し切る。それだけのことができる人、なかなかいないし、これまたもめごとのもとになったりする。

そうなると、選択肢っていっても、現実にはかなり難しいと思う。葬儀屋との相談の中で選んでいくしか、普通はない。

それがいやなら、葬式イメージを前々からよく打合せておくことですよ。みんなでイメージを共有する。おじいちゃんはいつもこういってるから、いざというときはこんな感じでお送りしましょうねって。笑い話でいいからそういう話をする。イメージをあたためておけば、いざという時に実現できる可能性が出てくる。中心となる遺族がこうやると腹をくくれば、それでいいんだから。死んでからでは、遅いんですよ。きっと。

2008-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20081222164616

割とマジレスすると、年増非処女デブスはそれなりに相手がいる。

世にはデブ専という、ディープ人種がいてやつらをきっちりターゲットにしてるわけで。

世渡りが上手なのさ、あいつらは。適材適所ってやつだ。

あと、概して割と計算高いとこあるから資産持ってる奴が多いのでヒモには受ける。

年取った将来のこと考えてお金だけはあるから、遊ぼうとすれば遊べるわけ。

節操のない奴にはおすすめだが、ここにいるような純粋童貞には苦しい世界だけどな。

あと年増を馬鹿にしてはいかんぞ。

最近アンチエイジングとかで40代くらいまでは結構見れるし、知恵もあるからそれなりに渡り歩いてるぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20081130144046

でも、浮気や行きずりも含めて、一生のうちにたった1人の男

としかセックスしない子なんて滅多にいないわけで。


どうでもいいはなしだけど、うちのオカンは(いまのところ)明らかにそう。オトンがはじめての相手で彼氏

80年代半ばに交際をはじめたようなんだけど、曰く、当時はいまほど男女交際が乱れていなかったと。

さすがにオカンのような例がメジャーではないとしても、付き合っても3,4人とかそれくらいで、なによりもセックスにまでおよぶカップルもそう多くなかったと。

こういうのって時代とか地域差がすごく大きいものだから、どこぞの社交界かキリスト教コミュニティあたりの例外的な話に思えるかもしれないけど、舞台地方都市郊外大学が密集する学生街。もっとヤリまくっててもよさそうなもんだけど、そうでもなかったらしい。

80年代ってポストモダン全盛でみんな差異に戯れってたんじゃないの、とか勝手想像してたんだが。

あれかね、恋愛資本主義(笑)の完成にはバブルの到来を待たなければならなかったのかね。まだ恋愛が多少なりとも慎み深かった(?)時代の最後の徒花、とか。

以上、そんな母親に育てられたからかは知らんけどこのまえヤラハタ達成した童貞談。

ついでに。

 アフリカの某部族の女子割礼(幼児のうちにクリトリスを切り取る

 史上最悪の儀礼)って、それが目的だし。


史上最悪の儀礼とか調子乗って断言しちゃってるけど、それはあくまで今日的観点からのおはなしね。

女子を交換可能な財、として見なすなら決して間違っちゃいない。

http://d.hatena.ne.jp/Britty/20081217/p2

こことか読むとわかりやすい。性の悦びを知らなければ浮気する可能性は低減できるわけで、結果として血族の純潔性はいっそう高まる。

日本でも明治以前は、程度の差はあれこうだったわけでしょ。政略結婚とか。もちろんさっき書いたように時代・地域差があるけど。夜這いしまくり江戸自体の一部農村とか。

そんでそういう発想の極北として女子割礼はあるのだけど(いやあ人間知恵って恐ろしいねえ最初に思いついた某部族の父祖は偉大だよある意味)、西洋近代価値観とは当然衝突するよね、と。

どんな文化にも独自の価値観があるわけで、それを尊重するのが文化相対主義なんじゃないの、と。それでも普遍的な倫理は成立しうる、という立場もあって、まあどうしても衝突するわな。

話がそれたけど、要は他のものさしを知れ、と。枝葉末節だがな。

いちおう断っておけば、俺個人としては女子割礼はナシだけど、それは俺が現代日本の文化に馴染み育ってきたからであって、よその文化がそういうことをしていることについては口出ししないよ、というのがスタンス

……これって処女うんぬんの議論にも適用できんじゃないの? どんだけ罵りあったところで、結局は個人の内面の問題、「人それぞれ」としか。

それがなんでこんなにも気持ち悪く盛り上がっているのかといえば、実際のところは「処女厨きめえ」という罵倒の欲望だよね。ただ「きめえ」じゃ頭が悪いから、もっともらしく現実の例とか学問とかを引っ張り出してそれらしく見せてるだけ。

あと万人の万人に対する恋愛観の闘争。俺(私でも僕でもワシでもなんでも)はこういうふうに恋愛してきて学習しました俺なりのテツガクがありますだからおまえの恋愛観はおかしい、と。

金銭感覚とか習慣とかもいい話のタネだけど、話題がことセックスまわりになるとどうもおかしくなるよなあ、とは思う。

2008-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20081220222426

だからさ、他人は自分の思い通りにはならないという前提があるからこそ、じゃあどうやったら自分の要望を叶えてもらえるのかを考えるんだよ。そうやって多少なりとも自分を変えて相手に合わせる必要性があることに気付く。生きて行く知恵ってそういうことだよ。

それにさ、本来自分の思い通りにならない他人が、自分の要望を叶えてくれたら、ありがたいと思えるじゃないの。でも他人は自分の思い通りになるべきと考えている人は、他人が少しでも自分の思い通りにならないとイライラすることになる。

処女厨は、自分は何も変わらなくて、他人が自動的に自分に合わせるべきだという世界観で生きている。自分に対して関わりの無い女にまで、女は全員自分好みに合わせるべきだと主張し、そうしない女を「非処女中古」とこき下ろす。

2008-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20081220150542

愛と知恵考慮されてないのが気になる。

もちろん勇気は必要だけれども。

2008-12-11

十三年ぶりに知恵遅れの同級生と会った

知恵遅れ、いわゆる、精神発達遅滞の同級生と地下鉄電車で会った。正確には電車内で騒ぐ声を聞いて彼だとわかった。

彼と会ったのは十八、九年前、小学生のとき、先生から学校の特別枠、児童擁護組(花の名前といった●●組)の生徒と紹介された。体育や図工の時間など合同で授業するので、クラスのみんなとは面識はあった。

 彼はいついかなる場所もえへらえへらと笑い、日本語をはっきりと喋ることができなかった。クラスのみんなは早い時期から自分達とは違うんだと気づいた。児童擁護組にいるからという理由で“ヨーゴ”というのが彼のあだなだった。

小学五年生のときだったか、彼は知恵遅れ(当時は精神発達遅滞という言葉を教えてくれなかった)という先天的な障害だということを理解した。しかし、クラスは同じいじめを続けていた。中には彼をかばう女子もいたが、彼がいなくなると決まって陰口を叩いていた。頭の中ではわかっていても、彼を同じ人間とは認めていなかった。

で、というオレも同じようなもので触れるのも触るのも嫌だった。顔からただれる涎がばい菌が移ると思ったこともあったし、フォークダンス時間、彼と手を握るのも吐き気を覚えたぐらいだ。そして何よりもオレをヨーゴと呼ぶヤツがいたから、余計、彼とは一緒にいたくなかった。わけもわからず、なぐりたかった。

だが、小学五年生の時に、先生(小学一年のときとは別の先生)が必死に知恵遅れについて熱く語ってくれたのを最後に、オレは心を変えた。彼を特別視するのをやめ、付き合っていけるように自分偏見と戦いながら、残りの小学生時代を過ごした。

中学からは彼は児童擁護専門の特別学校へ行ったので会っていない。きっと立派な人間になって、自立した人間になるんだと希望を持っていた。

そして、十三年後、地下鉄電車内で甲高い笑い声が聞こえた。オレは、ああ、またか、いるんだよな、と思いながら視線を向けると、十三年前に別れた彼だった。

自分と同じ障害を持った友達と一緒だった。

彼らが電車に乗ると友達に、「欧米か」「欧米か」と言葉足らずに言い、友達は「南米か」「南米か」と応えた。近くに居たおばさんは彼らを見て、ああ、今日運が悪かったな、と絶望的な表情を浮かべていた。

なぜ彼だとわかったか? それは彼の小学生のときから一つも変わっていない顔を見たからだ。まさかと思いつつ、友達が彼の下の名前を呼んだことで、やっぱり、そうか、と確証を得たのだ。

彼を遠くから観察していると、同じ言葉を繰り返してはきゃきゃと笑っていた。

彼はいきなりカバンをあけて「お茶飲もう」と言って、500mlのペットボトルお茶を飲んだりして、まさに自由奔放だった。一方、友達は通路口で隣の電車内に行き来して、彼にかまってもらいたいという合図を送っていた。

彼は小学校の居た時と変わらないまま、大人になった。精神的に大人になったわけもなく、ましてや世間というものについて学んではいない。大きくなったこどものままだった。

いや、オレは何処かで期待していたのかもしれない。どんなヒトもいつかは自立した人間になって、立派になれるんだと夢を持っていた。しかし、それはない。それはなかった。

オレもハロワ仕事を見つけられず、家に帰っていた。時を重ねなれば自動的に立派になれるんだというエスカレーター式な幻想はない。何かが欠けているとずっとそのままなんだ、と面食らった気分だった。

到着駅に着き、俺は電車から出る前にまだ居残っていた彼を見た。午後四時に地下鉄電車に乗っているオレを見て、笑っているかもしれない。まるっきり成長していない自分偶然会った彼と重ね、オレは電車を後にした。

 

精神発達遅滞の方を悪くいうつもりで書いたわけではない。地下鉄に乗車した彼の一面を見ただけに過ぎない。

先日の事件で世間にご迷惑をかけ、精神発達遅滞の社会的立場が弱くなった中、捨てたはずの偏見をまだ持っていた自分気づき、それをなくす意味増田に書いた。

不愉快を感じた方がおられましたら、ごめんなさい。拙い文面失礼しました。

似非自閉症

  • 他人との距離感をつかめない=空気を読めない
  • 落ち着きはないが集中する事は可能=常に注意散漫なわけではない
  • 自分のやりたいことを中心にやるがやめろといわれたらやめる=病的な頑固ってわけではない
  • なぜか診断書にある知的レベルは高いという文字=いわゆる知恵遅れでもない

何かしらの障害を先天的に有しているのか不明だけれど、幼い頃から自閉症を疑われて早二十年以上。どこにいくにしても自閉症扱いをされるが自閉症患者さんとはまた違っていて何でだろうかなーと思ってしまう。医者も俺も親も皆で首を捻りまくり。俺は正常だと思うのだけれど、他人と比べると異質、でも本物の自閉症な訳ではない。不思議ちゃんとはまた違った不思議ちゃん電波ではあるけれど、電波ではない。一番近いのが天然だがやっぱり真性の天然ではない。個性と呼べばそれまでだけど、個性と呼ぶにしてもまた異質。検査オールクリアだけど、オールクリアなくせに言動と素行には問題ありまくり。なあ、もう二十年経ったんだからそろそろ解明してくれよ。俺はどうして他人とこうもズレているんだ?

俺が自閉症かそうでないかは関係ない。そうであってもなくても言動と素行に問題がある俺は変わってくれない。

俺がどうにかしたいのは他人との温度差というか距離感なんだ。何でいつもいつもずれているんだろう。

俺はお前らが何を考えているのか分からないし、お前らから見ても俺が何を考えているのか分からないはず。

けどな、俺は分かりたいし分かって欲しいんだよ。空気読みたいんだよ。もっと他の連中みたいにいたいんだよ。

障害とか病気よりも俺はどうしたらこの見えない隔たりを破れるのか知りたい。知ったら破るために何でもする。

破れないと教えられてもいいよ。もしそうだったら、俺は俺なりに空気を読む方法を身につけようとするし。

だめだな。増田でもだめだな。グチはだめだな。

というか、俺は何がしたいんだろうな。鬱憤晴らしても仕方ないし、そもそも鬱憤晴れないし。

2008-12-07

嫁がカメラに凝りはじめた

最初からいい機種買ったほうが絶対いいと言ってるんだけど、

どうにかしてコンデジに落ち着かせたい。

嫁を納得させる方法は何かないだろうか?

増田の皆さんのお知恵を拝借したい。

2008-12-06

妻が職場でとある一人から妬まれているらしい

その人は妻よりも2,3歳年上の既婚女性。妻が異動する前はその人が部署最年少だったらしい。

妻から聞いたところによると、妻がその部署に異動してきてから妻は他の人たちから注目されるようになり、そのことがその人には面白くないのではないかと。

妻は夫の俺からみれば確かにキレイカワイイけれども、他の人と比べても特に化粧が派手だったり服装が目立ったりはしていないはず。

そういう人はドコにでもいるし、気にしないのが一番で、距離を置くしかないということは伝えたのだけれど、妻はそのことでどうしてもひどく悩んでしまう。

同じ部署の同僚や管理職の人に相談したら、皆同様に距離を置くしかないと言われたらしい。

女性の僻みや妬みは男の俺にはよく分からないのだが、何かいい方法があれば増田の方々のお知恵を拝借したい。頼む。

もうちょっと自己診断してみる。

http://anond.hatelabo.jp/20081130034946

上の無い知恵絞って必死に適当に書いたまとまりのない文章がなんか様々な反響と参考になる意見を沢山もらっていたので

これを元にもうちょっと掘り下げてチラシの裏自己分析(診断?)してみます。

長所短所の裏返し」とのことなので、じゃあ短所長所昇華すれば(ry

もうこういう発想の時点でダメな気がする。気休めの捏ね繰り返しにすぎないと思うけど。欠点欠点だし。

まあ「どこを見ても努力の証が見えない能無しだから」とかだけ言ってしまえば

それで俺は大満足だし皆も言うことないだろうからそういうのは自重する。

一番短所だと思ってるのは、学生時代からずっとコミュニケーションが苦手なこと。

その要因は「滑舌が悪い」「話が面白くない(笑える、興味深いという両方の意味でも)」「声質が変」「声が小さい」「自分の顔が嫌い」「無神経で失礼」

といろいろ。「面白くなくてそれで人間のつもりか」なんて思っちゃってるから、自分からコミュニケーションを取ろうとすることもなく、

克服するために路線バスを利用して料金を払う際に声を出して「ありがとう」と言ってみたり、声を使う仕事に就いてみようとしたり、

「話し上手」なんて無理だから「聞き上手」になろうと聞き手としてどんなアプローチが望まれるのか研究してみたり

ネット上の文章投稿で訓練とばかりの怠惰をしながら「コミュニケーション能力上がらないかなー」みたいなことは思ってたけど

それらが実ることはもちろんなく。そもそも努力ってレベルに満てないから。

そういうこと言ってるけど、実際の所は他人の、主に無神経さによく腹を立てたり憎しと思っていたりで、別に博愛主義者ってわけでもなく。

その辺は、子供の頃に人をからかって遊んでたことは隠せないと思った。

俺はこの短所はどうしようもないと思ってるけど、それでも長所に混ぜ返せるものなのだろうか。

そんなこと考えずに一心不乱に努力しろってのが正解に近い答えだとは薄々気づいているのだけど。

そもそも自分には実になる努力は無理、ってのは非建設的なのでやめておくとして、

目標を達したとしてもコミュニケーションが怖いからとか、目標に先立つ自信がないから動けないとかで。

単純にヘタレ。これも短所か。

自分を好きになれるというか、自信を持つこと、その理由を能力か他人以外にどうしても見出せない。

そういう理屈じゃないとは思うんだけど、誰かうまい自信の持ち方とか教えてくれないだろうか。

自信について、充実した人生送ってる母とか、能力生かして世渡り上手でリア充やってる姉とかに聞いてみたら

「誰も自信に満ち溢れて生きてる人なんていない」って共通した回答が返ってきた。

これは才能なんだな、って思った。

自己陶酔は自信のために必要で、それを表に出すのが驕りに見られるからダメなのかな。

そうは分かっても、自分の体のどこにも自分の好きな所はないんだけど。今のところ。

人と比べるというのは、なんか違う気はする。確かに負けず嫌いな思いは強いけど、人の良い所だけを見ようとは思ってない。

自分の好きな言葉には「十人十色」とか「一長一短」とか「攻防一体」とかあって、

俺と付き合って損なことも一杯あるけど、同じぐらい得なこともあるよって心意気で人とは付き合いたいと思ってるけど

自分には自分から見て絶対的に「一短」しかないな、と。

自分を嫌いと言っておきながら結局自分が好き」という自分ツンデレは、人間としての、抗し難い最低限の防衛機制だと思ってる。

それを含めて自分が嫌いで、そこは持ち上げるには値しないと思う。ここに書いてるのは、部屋に閉じこもってばかりじゃ価値観が広がらないからで。それも怪しいけど。

10才の頃に何してたかなんて、そこまで分析するのはどうかなと思った。

その意味を疑問に思うし、過去からは何も生み出さないっていうし。それに絶対途中でうわあああああああああああああああああああってなるからやりたくない。

こうやって自分にクヨクヨしてるのも、そんな風に今の自分主観というフィルタから見ているだけだからで、

そのフィルタを外すか、とっかえる方法を見つけないとどうしようもないと思う。

・そのパラドックスは怪しいかも。自覚が無いあたりその気がありそう。

・そもそもゼネラリストと言えるほど知識が身につくかどうか・・・

・「自分を受け入れてくれる場所」はネット上で探してるんだけど、IRCでもmixiでも2ちゃんねるでもはてなでもTwitterでもないとは感じてる。

あー、やっぱまとまらずに長いだけの文章になった。分析と言えるかも怪しいな。要は非モテ思考だよな俺。

そんななのでエゴグラムという、より客観的な自己分析をやってみたらこんな感じだった。

そうと言われたらそうなんだろうけど。

2008-12-03

[][]勇気謙虚

松下幸之助

なすべきことをなす勇気と、

人の声に私心なく耳を傾ける謙虚さがあれば、

知恵こんこんと湧き出てくるものです。

2008-11-30

On File Systems

(http://www.kev009.com/wp/2008/11/on-file-systems/)

訳した。分からなかったところは英語のまま。ファイルシステムについて完全な素人なので変な所があるかも。

Introduction(前置き)

ファイルシステムOS重要な要素だが最近ではあまり関心を払われていない。ビットが入ってきてビットがでていく……デスクトップシステムにとっては、たいてい十分に働いてくれる……ただし、電源が落ちるまでは。しかし、そんな状況ですら近頃ではあまり困ったことにはならない。

Linuxファイルシステムの分野には競合製品が多い。ext2が長い間標準とされてきたが、2001年辺りから他の選択肢も主流となった。あまり歴史に深入りせずに要約すると(順番は適当)、ext2進化してext3となり、ジャーナリング機能が付いた。ReiserFSがリリースされた。SGIはXFSを移植した。IBMはJFSを移植した。

いくつかの理由があって(主に政治的な理由で)ext3Linuxデファクトファイルシステムとなった。

Classic File Systems(古典ファイルシステム)

私が古典ファイルシステムと呼ぶとき、基本的にいつも同じ概念を指している。つまり古典的なUnixレイアウトファイルシステムジャーナリング機能を追加したものだ。ここに述べるのは、それら古典ファイルシステムハイライトである。

これは後知恵だが、JFSやXFSが牽引力を持たずに、ext3が人々を古典的時代に停滞させたのは一種の悲劇だった。しかしながらext3は信頼性を証明し、きちんと動くように一貫として保守されてもいる。

NextGen File Systems(新世代ファイルシステム)

2005年SunZFSという爆弾リリースした。ZFSは私が次世代ファイルシステムと呼ぶ時代への案内人である。

ハードディスクが大きくなるにつれて、バックアップ戦略、完全性(integrity)の検証、巨大なファイルサポートは前より遥かに重要になってきている。

ここあげるファイルシステム古典的なVFS lineを曖昧にしたりLVMとRAIDを強固な結合することによって管理を楽にする事を目的としている。

ダメハードウェアで起きる静かな(観測されない)データの破損も心配の種である。これに対抗するために、次世代のファイルシステムチェックサムを供えている。

いろんな意味Linuxコミュニティーは完全に油断しきっており、多くの開発者ZFSリリースされるまで次世代ファイルシステムについて真剣に考えてこなかった。Reiser4はいくつかの新しいアイデアを持っていてキラーファイルシステムとなろうとしたが、Hans Reiserは、他のカーネル開発者との著しく酷い関係を楽しんでいたのだった。ただ幸運な事に、いまではいくつかの、より先進的なファイルシステムが登場しようとしている。

Conclusion(結論)

kernel 2.6.28と一緒にext4がリリースされるが、BtrfsやTuxs3が安定するのを待った方がよい。Btrfsの開発陣は短距離走開発を行っているので、Linuxカーネルの開発サイクルに次か、あるいはその次で取り込まれると思われる。

SSDが普及するのは明白だ。理論的に速度の面で磁気ストレージより圧倒的に早く、現実にも既に書き込み速度が追い付きはじめている。最新のIntelランダムアクセスやIOPSは非常に印象的である。Btrfsは当初からSSDへの最適化を取りいれようとしている。しかし、これらの新しいデバイスは、更に速度の早い新しいファイルシステムを生むだろう。

私自身の考えでは、ウェアレベリングやFATエミュレーションSSDの性能を押し止めているため、 新たなファイルシステムが登場すればパフォーマンス改善できるだろう。

2008-11-21

劣化した勇者の対価

アニメストライクウィッチーズ」の登場人物主人公の上官であった

扶桑皇国海軍少佐坂本美緒は、番組後半、その能力の大半を失ってしまう。

主人公の力が終盤に向けて増大していく、異能戦記ものの物語では、

比較的珍しいことだと思う。

ライバルは成長する

「友情、努力、勝利」が駆動する物語世界では、主人公能力は、

物語の進行とともに大きくなっていく。主人公は怪我をしたり、時には何かを

失ってしまうけれど、代償として、それを補ってあまりあるぐらいの成長を得る。

物語の冒頭、能力主人公を圧倒していたライバルや上官は、中盤以降、

主人公に勝利する機会はほとんど失われてしまう。

ライバルは主人公に勝てなくなってしまうけれど、彼らにはまだ、

普通の人が届く限界」を読者に示す仕事が残っているから、主人公の成長と

ともに、彼らにもまた、彼らなりのペースで成長が約束される。

劣化が隠蔽されない物語

人間世界で30年ぐらいの時間軸で作られた物語だと、年老いた主人公が、

自分の体力の限界に舌打ちする場面が、ときどき見られる。主人公が最初から老境に入っていると、

主人公の口から「能力が高かった頃」が語られたりもする。

そうした人達は、低下した体力の代わりに知恵を得ていることが多くて、物語もまた、

体力の限界能力の決定的な差となって現れる状況を回避するから、主人公能力低下は、

たいていの場合、読者から隠蔽される。

ストライクウィッチーズ」の中盤以降、主人公の上官であった坂本は、20歳という年齢を迎えて、

魔力が低下してしまう。能力を決定するパラメーターがシンプルな、時間軸の短い物語世界では、

「魔力の低下」は、そのまま能力の低下となって、坂本の立場を劣化させる。

力が衰えてしまえば、その登場人物は、物語の展開とともに「劣化」していく。

あの番組は、パンツ以外にもいろんなものを隠さず見せていて、面白い。

劣化した勇者の対価

人は老化するし、能力はいつか劣化する。劣化の代償として得たものが、「栄光」だとか

「成功」であったとしても、その登場人物は、果たして幸福なんだろうか?

手塚治虫漫画どろろ」の主人公百鬼丸」は、妖怪を倒すたびに、能力が低下する。

生まれたときには手足や目を持っていなかった主人公は、勝利するたびに手足を取り戻して、

普通の人へと近づいていく代わり、能力は「普通の人」へと近づいてしまう。

勇者であった人は、低下した能力の対価として、いったい何を求めるべきなのか。

どろろ」の物語は、恐らくはそんなことを語ろうとしたのだろうけれど、物語は途中で終了してしまった。

あるいは手塚御大にも、その答えは出せなかったのかもしれない。

普通の人」へと近づいていく主人公と対峙する敵は、物語が終盤に近づくにつれて、

どんどん強くなっていく。「普通」になった主人公が勝ってしまえば、主人公が失った

能力価値が下がってしまうし、主人公が負けるようなことがあれば、

「世の中やっぱり能力が全て」なんて、物語には救いが無くなってしまう。

21世紀は再び○○の時代に」なんて見出しを付けるベテランがいる。

こんな人達は要するに、自らの人生に、「劣化」の代償として足る何かを見いだすことが出来なかったんだろうなと思う。

老害経験

世界で、老化の問題を前向きにとらえた本というのは、たいていは「老害上等」なんて立ち位置

「よかった昔」を手放しで賛美したい人達思考停止を販売するのは、きっと幸せな商売なんだろう。

劣化の代償に「人脈」を得た人は、老害となって若者に立ちはだかる。

対価として愛を得た人はアルジャーノンになって、寝たきり老人となって介護される未来に臨む。

普通」を目指して手足を得た主人公は、ラストまで走りきれずに、物語は途中で終わった。

小林源文氏が描く戦記物には、ほとんど「おじいさん」になった退役軍人が登場して、

昔語りを始める。あの世界での「劣化した勇者」は、新兵に対峙して、「実戦」の

経験を語り伝えるためにそこに在る。あれは上手な劣化表現だなと思う。

小林の戦記ものでは、かつて勇者だった退役軍人は、劣化の代償として、「思い出」を選ぶ。

勇者能力を手放して、図書目録となり、若い人達に自らの経験を語り伝え、次の世代を育てる。

成功を語ると老害になる

ベテラン若者インデックスであり続けたいのならば、成功体験を語ってはいけない。

成功体験は、成功してみせることでしか、その正しさを証明できない。

成功体験で自らを語る「劣化した勇者」は、経験の正しさを証明するためには「動く」必要があって、

そんな元勇者はだから必然的に老害となって、若手の前に、能力の不足を晒してしまう。

インデックスとしての在りようを選んだ「劣化した勇者」は、だから自ら犯してきた失敗と、

新しい状況に対峙して、今までのやりかたとは違う何かを受け入れて、自ら痛み、失敗し、

変容してきた経験を語る義務がある。

「こうしたら上手くいった」を語り出した元勇者は、もはや単なる老害でしかないことを理解しなくてはならない。

これから先、主人公としてその能力を増して行くであろう宮藤や迫水を横目に、

坂本や穴拭らベテランは、物語世界約束事として、「劣化した勇者」として、主人公に対峙する。

ベテランが、そのまんま理想上司として振る舞えば、主人公達は無敵化して、物語は回らなくなるし、

ベテランが「老害」として立ちはだかった姿は醜くて、なんだかあまり見たくないような気がする。

このアニメーションに続編があるのなら、かつて勇者であったベテランを描写してほしいなと思う。

能力が劣化した代償として、勇者は果たして何を求めるべきなのか。成長して、能力を高めた

主人公と並んで、能力を手放したその人が、その時どんなものを得ていれば、能力を失ってもなお、

登場人物としての魅力を失わずに、その場に立ち続けることが出来るのか。

パンツ語りに加わるには年を取りすぎた人間としては、むしろそのあたりを見せてほしいなと思った。

2008-11-20

キーワード住基ネット

わたしはある都道府県の職員です。わたしはある仕事をしているのですが、市民の方から、毎年定期的に、その方の現状を報告してもらうことになっています。

対象物が身体障害者のために使われている場合、その年の使用料を減額することになっています。でそのご家族の状況確認を本人からの申し出によって行っているわけです。

ところが、まれにその身体障害者がなくなっているにも関わらず、なくなっていないと虚偽の報告がなされることがあります。

そうした理由もあり、上司はこの制度の利用者全員を毎年「住基ネット」でチェックし死亡の有無を確認しようとしているようです。

このような「住基ネット」の使用方法は、憲法違反と言いきれるでしょうか? みなさんの御知恵を拝借したいです。ダメに決まっているという感情論は不要です。

参考 * 憲法13条は、国民私生活上の自由が公権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものであり、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由を有する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%9F%BA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88#.E4.BD.8F.E5.9F.BA.E3.83.8D.E3.83.83.E3.83.88.E3.81.AB.E5.AF.BE.E3.81.99.E3.82.8B.E5.95.8F.E9.A1.8C.E6.8F.90.E8.B5.B7

キーワード住基ネット

2008-11-18

[][][][][][]

可処分時間1時間の値段は、平均2,497円 - シチズン意識調査

8時間 × 365日 = 2920時間
12時間 × 365日 = 4380時間
16時間 × 365日 = 5840時間
24時間 × 365日 = 8760時間
24時間 × 365日 × 4年 = 35040時間

[2522880000秒][86400秒][25億秒][29200日]時間とは出来事である。

[時間とは出来事である][機会費用][権内][権外]英語・会計・IT

[時間とは出来事である][出来事管理帳][出来事を管理する]

google:職住近接

年収を計算するには時給を倍にして1000をかける。逆に時給を計算する方法。年収を2で割って1000で割ります。

自由が丘の社長ブログ : 大事を小事の犠牲にしてはならない - livedoor Blog(ブログ)

毎日起きる事件は、登場人物と行為と場所を入れ替えただけのパターンです。

これはいつになっても変わらないでしょう。

名言・名句・名文・格言・箴言・哲学・言葉・知識・知恵・座右の銘・諺(ことわざ)

ひとつの行動を選択することは、

即、別のひとつの行動を

選択しないことを意味します。

ニュースワイドショーで、

芸能人の色恋沙汰をひとつ知る。

あるいは、バラエティ番組お笑い番組で、

芸能人宴会を見て笑う。

あるいは、スポーツ番組を見て、

他人の人生に入れ込んで涙を流す。


公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな

自分の銭を分けてやりたがる者は見当たらないが、生活となると

世間の人が友愛と呼んでいるものは、ただの社交、欲望の駆け引き、親切のとりかえっこに過ぎない。結局自愛が常に何かの得をしようとする一種の取引に過ぎない。

大抵の友情は見せかけであり、大抵の恋は愚かさでしかない。シェークスピア

すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア

人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン

2008-11-17

[]殺伐としてくるのか

決して周知などされていない。

だがここ最近、水面下で着々と首切りが進んでいるようだ。

しかも、今日聞いた噂だと、ある成績基準をクリアすればよいと言う絶対基準ではなく、俺ら新米の中での相対評価だそうだ。

それを聞いて、なんだか嫌な予感がした。

つまり、これから、俺たちの間で助け合いが少なくなる可能性がある。他人のことなんて助けなければ、あるいは有効な手法や情報を握っても自分やごくわずかの自分のグループ人間だけでその知恵を独占すれば、自分(たち)は助かるから。

いや、まだわからぬ。ただの噂かも知れない。

しかし月を追うごとに1人また1人といなくなっているのはなぜだ?

意図が不明の成績評価が最近になって行われているのはなぜだ?

理由が知らされない。

想像をしたくない。

こういう時にも、変わらず誰かに親切にし続けるような人間でありたいとは思っている。

それは俺の人間性とか、道徳とか、意地に掛けて。

しかしそんなことを言っていたら、次にあの部屋へ送られるのは俺かもしれない。生存率が3割以下のあの部屋へ。

それでも、こういうときによい雰囲気を保つのは俺も含めみんなの小さな心がけが大切で、もしも自己保身のみに走る人間が一定数以上になると、そこから雪崩が起きるように一気に皆のたがが外れて、殺伐としてしまうのではないかと思う。

とにかく、俺は単独での力をつけることにしよう。粛々と。

2008-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20081114015847

入れ知恵する人って何がしたいんだろうね。

代わりにやってくれるわけでもないのに。

何度かそう言うコトされて以来、もっと安くならないのって言われたときは

仕事を信用されてないんだなあ、勉強が足りないなあと思うようにして

請けないことにしてる。

2008-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20081113140641

先々月に二人/日ぐらいの仕事を、6万円という割引価格で請けたら。

「こんなの2万円もしない」という入れ知恵クライアントにした業者がいて、

「ぼったくりだ入金しない」と納品してから言われたことを思い出した。

大の大人が一人、二日間仕事して、一万円ってそれは仕事への謝礼じゃなくてお小遣いだろ。

2008-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20081110235852

あんまり気にしなくて大丈夫

むしろその韓国人キリスト教観の方が心配。

(韓)>でも敬虔なクリスチャンには、「イスラーム(?)が汚れの象徴の豚をキリストの聖女(主人公ジャンヌの生まれ変わり)に食わせようとしている」と映る。

手元にある「豚料理大全」にはフレンチの技法もイッパイ、なぜだろうねw

フランス人レビ記や申命記の戒律(コシェルってヤツね)を嫌い、

創世記にある神のありがたい言葉wを採用してる。

なのでイスラームはぜーんぜん関係ない。

以下、聖書はJSS版からの引用。新共同訳は探すのが面倒でね、すまん。

(旧約聖書)>

Gen 1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

Gen 1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

(韓)>ほかにもサブタイトルにいくつか性やら麻薬連想させるものがあってアウト。

いやいや、そもそも聖書記述が「性的恥辱を感じました」そのものだから。

ここでまた創世記第3章7節のありがたいお言葉

(旧約聖書)>

Gen 3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

Gen 3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

(韓)>イブ=ジャンヌ=まろん(主人公)という設定も完全にレッドゾーンらしい。

(韓)>仏教の考えである輪廻転生がなぜか使われていたりする。

(韓)>「これはクリスチャンぶち切れるよ」とのこと。

まあ確かに魂の継承輪廻という概念キリスト教からみれば「異端」だけど

(少なくともプロテスタントカトリックロシア正教ギリシャ正教はそうだろう)、

reincarnation や karma という言葉が一般的なくらいに神秘思想も知られているよ?

グノーシス思想ならばむしろ連中のほうが詳しい)

そもそも輪廻仏教思想じゃなく、元はヴェーダから来たヒンドゥー思想

種村輪廻ヒンドゥー的でも仏教的でもないけどさw

(韓)>たぶんイブは誘惑に負けてリンゴを食べた者なのに…。ってことかな?

イブが食したのが「リンゴ」であるという記述聖書のどこにも書いてないw

確かにヨーロッパで「知恵の樹の実」は伝統的にリンゴだとされているけど、

創世記の最初の舞台メソポタミア周辺の気候はリンゴ栽培にあんまり向いてないんだもの。

ヨーロッパ醸造された幻想のひとつだ。

(旧約聖書JSS)>

Gen 3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」

Gen 3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。

Gen 3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」

Gen 3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。

Gen 3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

ココはむしろ神自身がウソツキだったことを糾弾したくなる。

蛇の言ったことの方が事実だったんだから。

下の引用に至っては神の狂いっぷりがキモいくらいでw

神が自分を「われわれ」と呼んでいることにも注目!

これは多神教時代の名残の消しそこないで、「唯一神」の自己否定(w)が旧約聖書に載っている。

神の呼称のひとつ「エル」に複数形「エロヒム」が存在する理由でもあるw

(旧約聖書JSS)>

Gen 3:22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」

Gen 3:23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。

Gen 3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

(韓)>ほかにも、(まあこれはこじつけ見たいにも思えるんだけど。)ロザリオの形がハーケンクロイツに見えるコマがあったり、

うん、こじつけ

スワスティカは「調和」「秩序」のシンボルとして十字架よりはるかに長い歴史を持つ。

キリスト教自身でスワスティカを変形十字架として使ってた例がある(コレ重要w)。

ここ数十年の反ナチという刷り込み、思想制御、言論統制の方が私には恐いね。

(韓)>それと韓国人が「子供の頃フランス人女の子ジャンヌダルクってあだ名を付けてからかったら、

(韓)>その女の子の父親がマジ切れして殺されかけた」ってゆってた。

日本人韓国に行って、韓国人に「ヒデヨシ」と呼ばれ続けたら俺も怒るw

これはジャンヌうんぬんが問題なわけじゃないぞ。

名前を無視されること、名前を尊重されないこと」を侮辱と感じただけジャマイカ

宗教概念すら「小道具」にして遊び倒せる下地が日本にあることはむしろ誇るべきことだと思うがね。

2008-11-03

才能知恵努力、体力、時の運。全て平均以下だとしても

1分1秒でも早く「東京で暮らす」というフラグを建てる事ができればそれなりに楽しい人生を送れると思うんだがどうか。全パラメーターが平均以下の俺がなぜそれなりに充実した生活を送る事ができ、この三連休も十二分に楽しむことができたか考えた結果行き着いた結果がこれなんだ。若いうちに東京で暮らす事を決め、実行した。これに尽きる。その後の分岐はぶっちゃけ誤差の範疇だと思う。いやむしろたいした才能がない人ほど一刻も早く東京に来るべきではないか。たいした才能が無くてもこれだけ人がいればどこかになんとかやっていける道はあるだろう。才能がある人は別にいい。どれだけ過疎地域に住んでいようと周りがいろいろ世話をやいてくれるだろう。だって才能があるんだもの。逆にこれといった才能が無い凡人は今すぐ切符を買いに行くべきだ。東京行きなら新幹線でもバスでも船でもなんでもいい。でも車で来るのはやめたほうがいいな。いろんな意味邪魔だから。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん