2008-11-21

劣化した勇者の対価

アニメストライクウィッチーズ」の登場人物主人公の上官であった

扶桑皇国海軍少佐坂本美緒は、番組後半、その能力の大半を失ってしまう。

主人公の力が終盤に向けて増大していく、異能戦記ものの物語では、

比較的珍しいことだと思う。

ライバルは成長する

「友情、努力、勝利」が駆動する物語世界では、主人公能力は、

物語の進行とともに大きくなっていく。主人公は怪我をしたり、時には何かを

失ってしまうけれど、代償として、それを補ってあまりあるぐらいの成長を得る。

物語の冒頭、能力主人公を圧倒していたライバルや上官は、中盤以降、

主人公に勝利する機会はほとんど失われてしまう。

ライバルは主人公に勝てなくなってしまうけれど、彼らにはまだ、

普通の人が届く限界」を読者に示す仕事が残っているから、主人公の成長と

ともに、彼らにもまた、彼らなりのペースで成長が約束される。

劣化が隠蔽されない物語

人間世界で30年ぐらいの時間軸で作られた物語だと、年老いた主人公が、

自分の体力の限界に舌打ちする場面が、ときどき見られる。主人公が最初から老境に入っていると、

主人公の口から「能力が高かった頃」が語られたりもする。

そうした人達は、低下した体力の代わりに知恵を得ていることが多くて、物語もまた、

体力の限界能力の決定的な差となって現れる状況を回避するから、主人公能力低下は、

たいていの場合、読者から隠蔽される。

ストライクウィッチーズ」の中盤以降、主人公の上官であった坂本は、20歳という年齢を迎えて、

魔力が低下してしまう。能力を決定するパラメーターがシンプルな、時間軸の短い物語世界では、

「魔力の低下」は、そのまま能力の低下となって、坂本の立場を劣化させる。

力が衰えてしまえば、その登場人物は、物語の展開とともに「劣化」していく。

あの番組は、パンツ以外にもいろんなものを隠さず見せていて、面白い。

劣化した勇者の対価

人は老化するし、能力はいつか劣化する。劣化の代償として得たものが、「栄光」だとか

「成功」であったとしても、その登場人物は、果たして幸福なんだろうか?

手塚治虫漫画どろろ」の主人公百鬼丸」は、妖怪を倒すたびに、能力が低下する。

生まれたときには手足や目を持っていなかった主人公は、勝利するたびに手足を取り戻して、

普通の人へと近づいていく代わり、能力は「普通の人」へと近づいてしまう。

勇者であった人は、低下した能力の対価として、いったい何を求めるべきなのか。

どろろ」の物語は、恐らくはそんなことを語ろうとしたのだろうけれど、物語は途中で終了してしまった。

あるいは手塚御大にも、その答えは出せなかったのかもしれない。

普通の人」へと近づいていく主人公と対峙する敵は、物語が終盤に近づくにつれて、

どんどん強くなっていく。「普通」になった主人公が勝ってしまえば、主人公が失った

能力価値が下がってしまうし、主人公が負けるようなことがあれば、

「世の中やっぱり能力が全て」なんて、物語には救いが無くなってしまう。

21世紀は再び○○の時代に」なんて見出しを付けるベテランがいる。

こんな人達は要するに、自らの人生に、「劣化」の代償として足る何かを見いだすことが出来なかったんだろうなと思う。

老害経験

世界で、老化の問題を前向きにとらえた本というのは、たいていは「老害上等」なんて立ち位置

「よかった昔」を手放しで賛美したい人達思考停止を販売するのは、きっと幸せな商売なんだろう。

劣化の代償に「人脈」を得た人は、老害となって若者に立ちはだかる。

対価として愛を得た人はアルジャーノンになって、寝たきり老人となって介護される未来に臨む。

普通」を目指して手足を得た主人公は、ラストまで走りきれずに、物語は途中で終わった。

小林源文氏が描く戦記物には、ほとんど「おじいさん」になった退役軍人が登場して、

昔語りを始める。あの世界での「劣化した勇者」は、新兵に対峙して、「実戦」の

経験を語り伝えるためにそこに在る。あれは上手な劣化表現だなと思う。

小林の戦記ものでは、かつて勇者だった退役軍人は、劣化の代償として、「思い出」を選ぶ。

勇者能力を手放して、図書目録となり、若い人達に自らの経験を語り伝え、次の世代を育てる。

成功を語ると老害になる

ベテラン若者インデックスであり続けたいのならば、成功体験を語ってはいけない。

成功体験は、成功してみせることでしか、その正しさを証明できない。

成功体験で自らを語る「劣化した勇者」は、経験の正しさを証明するためには「動く」必要があって、

そんな元勇者はだから必然的に老害となって、若手の前に、能力の不足を晒してしまう。

インデックスとしての在りようを選んだ「劣化した勇者」は、だから自ら犯してきた失敗と、

新しい状況に対峙して、今までのやりかたとは違う何かを受け入れて、自ら痛み、失敗し、

変容してきた経験を語る義務がある。

「こうしたら上手くいった」を語り出した元勇者は、もはや単なる老害でしかないことを理解しなくてはならない。

これから先、主人公としてその能力を増して行くであろう宮藤や迫水を横目に、

坂本や穴拭らベテランは、物語世界約束事として、「劣化した勇者」として、主人公に対峙する。

ベテランが、そのまんま理想上司として振る舞えば、主人公達は無敵化して、物語は回らなくなるし、

ベテランが「老害」として立ちはだかった姿は醜くて、なんだかあまり見たくないような気がする。

このアニメーションに続編があるのなら、かつて勇者であったベテランを描写してほしいなと思う。

能力が劣化した代償として、勇者は果たして何を求めるべきなのか。成長して、能力を高めた

主人公と並んで、能力を手放したその人が、その時どんなものを得ていれば、能力を失ってもなお、

登場人物としての魅力を失わずに、その場に立ち続けることが出来るのか。

パンツ語りに加わるには年を取りすぎた人間としては、むしろそのあたりを見せてほしいなと思った。

  • http://anond.hatelabo.jp/20081121145823 段組みとか語り口調がレジデント初期研修用日記の人に似ているのだけれどパロディ? なわけないか。増田に書く理由ないもんな。

  • しかし星一徹のアームストロング・オズマや伴忠太に対する徹底的な教育を見るに必ずしも老害とは思えないものも。

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