はてなキーワード: 抱き合わせとは
前提として、必需品なのでわけわからないから持たないというわけにはいかないってのがあって
・他社との正確な比較ができなくなるから破壊的な価格設定が起きにくくなる
・どれぐらい使ったらいくらかかるのがわかりづらくなるのでつい使いすぎてしまう(いい加減パケット表記じゃなくてデータ量表記しろよと思う)
・2年契約や3年契約などの消費者に不利な契約をぼやけさせることができる
・「必要のないサービス」を抱き合わせていることをわかりにくすることができる
こんなところだとおもう。純民間で競争しながらインフラ敷設してる訳だし多少はしょうがないとは思うけれど、7円ケータイとか喜んで使いまくる人たちが出るのもどうかと思う。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090723/1248279927
こりゃどう見ても地下猫の曲解だろ。
NaokiTakahashi 2009/07/23 09:17
>「人権に紐は付かない」というのは、「言論の自由は社会的に有用性を証明できる言論のためのものだ」とか、「表現の自由を主張するなら●●の政治運動にコミットせよ」とかの、表現の自由が保護する対象を暗黙に政治的に都合のよい範囲に制限しようとしたり、抱き合わせで特定政治思想への恭順を押し付ける言説のこと
この言説のどこに理解できない部分があるの?>id:tikani_nemuru_M
>tikani_nemuru_M 2009/07/23 19:07
>>NaokiTakahashi
>すこしでもいいからかんがえてごらん
対話を拒否し勝利宣言とは地下猫も墜ちたな・・・
というか、議論の勝利だけを必死で考えてるうちに自分の主張がなくなっちゃってるじゃんw
他は見てないが、これに関してはあなたが正しい>id:NaokiTakahashi
新聞社が生き残る解決策の一つをここで考えてみる。と言っても実行可能かどうかは知らん。
別にCrunchPadでなければならないというわけではない。が、現状で最も私が提示する解決策に適しているのはCrunchPadだからCrunchPadを押すだけ。
どれほどの時間がかかるかわからないが、書籍の電子ペーパー化はこれからも進んでいくだろう。しかしながら現状のネットブックやラップトップは電子ペーパーを閲覧するのには適していない。
1)ネットブック―バッテリーは長持ちだが文字が小さい。電子化された新聞を読むのに適してはいないだろう。(たぶん
2)ラップトップ-文字は大きいがバッテリーが少ない。あと画面が横なのもマイナス。
3)Kindle-Kindleは日本では流行らない。なぜなら現状のKindleは漫画などを表示するのには適していない。
その機械は本を閲覧することができ、インターネットに接続することができ(いちいち書店で確認する必要がない)、そして購入時安価であるべきだ。
現状のCrunchPadはインターネット専用であるが、電子書籍を閲覧させるためにソフトはそこまで複雑ではないはずだ。pdfを使ったり、Mangameeyaみたいな形のものでもいい。電子書籍の種類によってソフトを作ってもいいし、一括のソフトを作ってもいい。CrunchPadは操作が単純に思える。高齢の方にも簡単に導入ができるだろう。CrunchPadとプロバイダーの抱き合わせによってCrunchPadの価格はほぼ抑えられるはずだ。
CrunchPadはプロバイダーとの抱き合わせによってより低価格(ただに近い価格で)で販売することができる。そしてCrunchPadを電子書籍の閲覧機器として応用すべきである。CrunchPadの大きさは本を読むのもよし、書類を読むのもよし、横にして漫画を見開きの状態で読むのもよし、インターネットを閲覧するのもよし。
新聞社はいくつかのオプションの読者に提供できる。現状のような新聞、asahi.comみたいなサイト(広告付き)、公告なしのサイト、公告なしの新聞。新聞社は自社の必要に応じてサービスを提供すればいい。たとえば毎日6時ごろにニュースがまとめられたファイルを自動でダウンロードするように設定してもいい。また、自動でダウンロードされた内容を他のPCに移せるようにするか、それとも購読者は過去のニュースを閲覧できるようにすべきである。これらのサービスをプロバイダー料金に上乗せさせて不明確な形でサービスを提供するといい。
続く。
PhotoshopCS4とIllustaratorCS4アプリの体験版をちょっと弄ってみた。以下はその感想メモ
アプリ全体のウィンドウはVistaっぽくなった。表示操作に関する機能が取り出されてメニューより上の段に並べられ扱いやすくされている。
書類のウィンドウは2種類の状態があり複雑になった。一つはFlashのように書類エリアにハメ殺しになっている状態と書類ごとにウィンドウに分かれた状態。そしてそれぞれで単独の書類を表示している状態と複数の書類をタブでまとめている状態を持っている。少し分かりにくい。実際は自分が作業しやすい一定の状態に落ち着くので問題はないと思われるが「並べて表示」での挙動が違ったりして消化し切れていない印象が残る。
パネル(旧パレットウィンドウ)とドックはCS3から少し洗練され、操作時に思わずクリックしてしまうクローズボタンはドック内では表示されなくなった。
また、スクリーンを共有するというどこかで見たような機能が追加された(β版らしい)。こういうのは諸々のコンセンサスの得やすい社内チーム間とかで使うのだろうか。VersionCueもそうだけど不可視の概念とか設定とかで面倒そうだと使う気にならないなあ。
今回の変更点は分かりやすい。CS3でもGPUに演算させていたそうだが、さらにGPU利用のスムーズなズームとカンバスの見た目だけの回転(回転ビュー)が追加された。特に回転はPhotoshopで絵を描く人にはありがたいだろう。一部でペンツールに補正機能が付いたといってるようだがこれは元からあったブラシオプションの「滑らかさ」がデフォルトで付くようになっただけのようだ。
もう一つ大きな変更は3Dペイントらしいのだがちょっと分からない。何しろすごく重くて弄る気がなくなってしまった。グラボを奢ってる人はいいかもしれない。
写真の自動編集機能も機能強化されている。複数の画像を用いたピント操作(レイヤーを自動合成)はCS3より精度が良くなっている。被写体を除いた背景の自動拡大縮小(コンテンツにあわせて拡大縮小)も追加された。しかし触った所では「自動」ゆえにコントロールできず画像を上手く加工できなかった。既存の機能で手作業したほうが思い通りに扱えるのではないか。
ほかにもスタンプツールの複数コピー元対応とかマスクの編集パレットなど地味ながら使い勝手を向上する変更もある。
残念なことにメニューリストや書類ウィンドウにリフレッシュされない目障りなバグがあるがこれはグラフィックボードに依存して再現されるのかもしれない
総合するとPhotoshopで絵を描く人には要アップデートだがそれ以外の人には別にどっちでもよさそう。
のっけから言わせてもらうとIllustrator CS3は欠陥商品であった。オブジェクト操作に数字にでない誤差(?)が出るバグがあり、カラーパレットには指した値が指定できないというとても不細工なバグがあった。その不具合が直っただけでもアップデートする価値がある。というかさっさとパッチで対応して欲しかった。
大きな変更点は複数アートボードの取扱いが可能になったこととブラシの復活だろう。従来から数ページものの印刷物ならIllustratorで作られたりしていたわけで、そのへんの機能強化ともいえる。でもマスターページも自動ノンブルも無くてどうするのかなと思う。PDF変換が楽とかそういうものかもしれない。
ブラシは既存ブラシのようなパスにシンボルを貼り付けて変形させている機能と違って、10年前、Illustrator 5.5まではあった描画した線の輪郭にパスが付くブラシ機能である。前回との違いはFlashとの統合を意識してか重ねて描いた部分が1つのオブジェクトに結合される所だ。使い勝手が直感的でいいと思う。
あとパネルの改良がされている。カーソルをあっちこっち動かさずにすむよう、その場で設定値パネルを開けるようになっている。いいねえ。
ほかにもDreamWeaverやFireWorksも弄ってみて、CS3の時も思ったが正直メジャーアップデートするほどの更新があっただろうか疑問だ。旧Macromedia製品だからだろうか。
AdobeはCS Suiteというパッケージを売り出してからSuiteのためだけにバージョンの数字を上げているだけに見える。新製品で特定のもの以外、あまり魅力的でなくとも現状のままではSuiteで丸ごとアップグレードせざるをえない。抱き合わせ商法である。個別製品以外に更新意欲がわかないようなバージョンアップをするならSuiteから個別製品へのアップグレードを認めてほしい所だ。
すでにそうじゃね?
たとえば人月45ぐらいの人から100オーバーのひとまで普通にいるぞ。
おれは人月100オーバーだったけどさ、単純にその人月ででるわけじゃなくって、
新人とか使いものにならないひとと抱き合わせ販売になる。
ど新人レベルなんでただでもいいからという人材を一緒にねじ込むわけさ。
一人だと120でも3人だと180ぐらいに収まる。お得!
で、最初だけ入って、保守とかが得意な役職付きとバトンタッチして、
新人に毛がはえたレベルの子達はその場に置いて新しいところへ・・・と転々とするのだよ。
単体でこちらに瑕疵がないところでヘルプで呼ぶと人日で10万とか超した請求かけてた。
もっとも、完全持ち帰りレベルの見積もりだと工数出せるから楽なんだけどね。。
そんな僕もいまはフリーなので人月30まんぐらいでも普通にうごいてます><
こんなだから業界よくならないんだろうな。。。
元増田だよ。
言っていることは凄くもっとも、その通りなんだけど。その上でもう少しその時自分が思ったことを。
自分の中では
・会員であると特定の商品が安くなる
ってのが他のコンビニに対してイニシアチブを取るための戦略だとばっかり思ってたから、ついでに余計なクレジットまでついてきて面食らったというか何というか。正直自分の中では「ファミマでTカードを発行するとついでにファミマで特典があるよ!」程度にしか思ってなかったからな…。ポイントが貯まるカードとか、会員だと安くなる特典があることの見返りはやっぱり「他よりも自分の店を利用する」ことが一番だと思うし。
けど言われるとそうだよな、大手スーパーのポイントカードなんかにもクレジットが抱き合わせでついてくること結構あるもんな、そういうカード自体が抱き合わせじゃないとやっていきにくい物なのかな、とかも思った。なんか不思議に感じるんだけども。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0805/23/news147.html
Itmediaに『「エロゲーで人間性失う」 規制求め請願 円議員の掲示板に批判数百件』という記事が載っていた。
民主党の参院議員が、エロゲーが青少年の心を破壊するから幼女誘拐事件が起きるって国会で主張してるんだってさ。
ま、何をアホなと思うが、それはどうでも良い。
気になるのは、その下に書かれているItmediaの捕捉情報だ。
警察庁のまとめによると、平成19年に摘発した児童虐待事件は前年比1%増の300件、わいせつな画像を撮影されるなどの児童ポルノ事件の被害に遭った児童(18歳未満)は同20.2%増の304人で、いずれも過去最悪になっている。アダルトアニメ・ゲームとの関連性は不明だ。ネット上では児童ポルノなどの規制に関する議論がこれまでも数多くなされおり、今回の請願についても大きな反響を呼びそうだ。
これって、何か関係のないものを持ってきてはいないか?
というわけで調べてみたら、関係の疑わしいデータ、または全く関連性のないデータを「関連性は不明」と但し書きを書きつつ載せていることがわかった。
どんなに「関連性は不明」と書いても、同じ情報に抱き合わせで提供されたら関連性があるように感じてしまう。
メディアによる刷り込みの常套手段と言えるし、卑怯な手段として非難されてしかるべきことだ。
僕はItmediaを信頼できるメディアだと思っているし、準児童ポルノにも果敢に異を唱えているところが好きなんだけど、こんな報道をされれば幻滅だ。
猛省を願いたい。
捕捉1:産経新聞の配信記事との指摘がありました。産経はあまり信頼していないですが、やっぱり猛省を願いたいと思います。
捕捉2:予想外に注目されて驚き。表現を加筆修正。
最初に書かれているこの記述について。
児童虐待事件は前年比1%増の300件
どう読んでも、「児童虐待」についての記述としか考えられない。
児童虐待って、子供に対する家庭内暴力で、あの母親とか内縁の夫とかが子供を虐める話でしょ?
詳しい記事を調べてみた。
毎日新聞の記事
http://mainichi.jp/life/edu/news/20080221dde001040005000c.htmlでは、
児童虐待の被害児童315人の態様別では▽暴行、傷害などの身体的虐待224人▽わいせつ行為など性的虐待69人▽育児の怠慢、拒否22人。年齢別では1歳未満が47人▽5歳児25人▽3歳児24人????など低年齢の児童の被害が目立っている。
「児童虐待」とは、簡単に言えば最近話題になっている親の折檻などを指す。
報告されている限り加害者も身内の人間であり、「児童に対する家庭内暴力」のデータである。
これを読んでみても、どうしてもエロゲーに毒された青少年が関連しているとは考えられない。
検挙件数が増えたものの死者は減少したことについて、同庁は「児童虐待が社会的に知られるようになり被害通報が増える一方で、児童相談所などとの連携が強化され、対応が迅速になったためではないか」としている。
やはり、この記事で「児童虐待が増加している」と捕捉するのは無理がある。
次に、この記述について
気になるのは、児童ポルノの被害者が18歳未満でくくられているということ。
円議員の請願では、以下のような内容が発言されている。
「美少女アダルトアニメ雑誌とゲームの製造・販売の規制法制定に関する請願」で、「街中に氾濫(はんらん)している美少女アダルトアニメ雑誌やゲームは、小学生の少女をイメージしているものが多く、このようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている」と指摘。「幼い少女たちを危険に晒(さら)す社会をつくり出していることは明らかで、表現の自由以前の問題である。
ここで触れられているのは、「小学生の少女」に対する性的虐待が問題だと言うこと。
世界的な風潮でも「児童ポルノ」問題で重要視されているのは12歳以下だから、この発言が「小学生の少女」に限定されていることは問題ない。
そうなってくると、やはり児童ポルノのうち、小学生の被害者がどのように推移しているかが気になる。
詳しいデータを探してみた。
http://www.en-ichi.org/pubs/thismonth/216-4infile.html
2000年から2007年の児童ポルノ事件の検挙数と、被害児童の内訳が載っている。
2005年 - 31人、 2006年 - 38人 2007年 - 33人
若干の増加?と言えるか微妙なところで、これだけのデータでは判断できない。
なにより前年比で減少しているし、「大幅に増加」という状態ではないということがわかる。
(児童ポルノ被害者の増加分はほとんど12歳以上、というより女子高生。)
また、気になるのは、児童ポルノ事件の検挙数が、2006年から2007年にかけて減少していること。
この減少についても、報道姿勢としては触れておくべきではないかと思われる。
それと、この統計が「検挙した事件」で露呈した事実であることもきちんと認識しなければならない。
警察が重点的に捜査活動を行えば検挙数は増えるし、被害者も増加する。
発覚していない被害者が実は大量に増加している可能性もある。
とにかく、実際の被害者の数ではないということ。
まとめると、このように言える。
・児童ポルノ被害者のうち、小学生被害者は大幅に増加しているとは言えず、前年比でも減少している。
この2点より、今回提示された補足情報は、円議員の「エロゲーが小学生の少女の性的虐待を助長している」という請願とは何ら関係がないと判断できる。
今回は、グーグルを使って5分ほど検索を行い、補足情報が妥当でないと判断した。
(文章を書くのにはずっと長い時間がかかったが。)
たった5分でわかる公開情報を調べもせず掲載するのは、報道としての責務を放棄していると私は思う。
この補足情報に対し、私は完全に記者のエロゲーに対する悪意を感じた。
以前のエントリーになるが、本文で、管理されていないレギュラーよりインスタントが美味いと語られブクマコメントでもインスタントがおいしいという意見が散見されたので、インスタントコーヒーを購入した。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/repon/20080318%231205840967
近所のスーパーにて、ネスカフェゴールドブレンドと、ネスカフェプレジデントとが抱き合わせ販売されていたので、購入。試飲。
お湯を完全に沸かす。ティースプーン2杯で140ccと書かれている。計量が曖昧であることにやや落胆しつつ、ティースプーンで2杯入れ、一呼吸おいたお湯をゆっくり注ぐ。香りを確認しながら混ぜる。
この時点でコーヒーの香気が漂ってくる。やはり近頃のインスタントは技術が向上して品質も高いのだと感心。
ところが、ところが、できあがったシロモノを口に入れた瞬間、その香気がどこかへ抜けてしまったようななんともいえない感覚が襲う。香りが弱すぎて、口腔から鼻腔への香りの広がりがほとんど感じられない。コーヒーの香りを愛する自分にとって、まるで気の抜けたコーラを飲まされたような気持ちになった。
そんなはずは無い、これはきっと廉価版のゴールドブレンドだからだと自分に言い聞かせプレジデントに挑む。プレジデントは店頭でもそれなりの値段がした。だからこそのお買い得感。だからこその購入決意。人類の英知と技術が詰まった製品であるはず、そう信じてプレジデントに挑戦。
……なんという脱力感。目の前にあるどうしょうもない物体200gをどうしようかと考えながら、レギューラコーヒーを淹れる。
家ではレギュラー、職場ではインスタント、という人は何故割り切れるのだろう。
缶コーヒーしか飲まないタクシーの運ちゃん、とかならまだ理解できる。日常飲んでいるものがそれだけなのであれば、比較もするまい。炭酸無しのコーラでもそれしか知らなければそういうものだと言えるだろう。飲むかどうかは別として。
しかし、しかしだ、もはや別な液体と言えるほどに圧倒的な差があるこれらの違いを感じていないというのか。家でコーラを飲みながら、職場では炭酸無しで我慢する?ありえない、そんなの絶対無理だ。
いれかたが悪かったのか、それとも買ったコーヒーが悪かったのか、もし指摘があるようなら歓迎だ。しかしそうでないなら、インスタントコーヒーなどというものは世の中から消え去ってほしいとすら思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070529190414
ソフトの値段が高いと買ってもらえないし(だから大抵ハード屋と組んでハードと抱き合わせ販売)、
社内にコンピュータいじれる人がいないから、NumLockが入ってない程度の些細な事も含めて、開発したソフトと関係ないトラブルも含め全部電話がかかってくるし。
サポート料金をケチってサポート契約を結ばない客もいる割には、そんな客に限って、トラブルがあってもずっと無料で診てもらえると思い込んでるし。
そして、そんな客に限ってスポット対応の出張料や技術料を高いの何だの言うし。
大手企業と違って、ちゃんとした仕様書を作ってくれとか言われる事は少ないけど、だから仕様はこちらの自由がきくとは限らず、これまで手書きやExcelシートに自由に書けたのが、システム化したら(いちいちマスタ登録が必要、イレギュラーパターンの時に入力枠をつぶして別の用途に使う事ができない、等)何でこんな不便になるんだと文句言われるから、「システム化とはどういう意味なのか」から教えなくてはいけないし。
ワンマン社長と実際に使う社員の温度差が激しくて、機能の要望について両者の意見が180度食い違うのは毎度の事だし。
SEやプログラマに親切に応対してくれていた古株の事務員さんが辞めるのを機会に、業務のシステム化&ソフト開発というパターンも結構あって、その事務員さんが辞めた後に…あとはご想像におまかせします。
会社の若手メンツ周辺(派遣&正社員)で飲み会が行われるっぽいことをうっかり知ってしまったんだ。○日にどこで飲むー?とか予約しなきゃ的会話が繰り広げられていて、しかもちょくちょく集まってるっぽい雰囲気をかもし出していた。だけど、自分はかーやーのそーとー。
就業時間以外に仕事の話なんてしたくないし。
さみしくなんてないんだから…うぅ…。
とはいえ、人間関係面倒くせぇと思っていることも事実なので、7月に辞める際には送別会を開かないでくれるとありがたい。この職場では派遣に対して送別会をする慣習は多分なかったと思うけれど、誰かと抱き合わせでやったりすることもあるので油断できないな。(自分は派遣です)
気心の知れた友達と飲むのがやっぱり一番。
だからと言って一般的な中国人、韓国人が十把一絡げで全部嫌い、
なんてのはどー考えたっておかしいし間違っていると思う。
大学時代、中国留学生はきさくな人が多くて、人としての付き合いはすごく楽しかったし、
近所の二軒の焼肉屋・韓国家庭料理屋の主人はメチャクチャ愛想が良くて、
在日でも日本が大好きだって言っていて、ネットで見かける韓国人像とは遥かかなた、かけ離れている。
そして、俺は日本という国が好きだけれど、
だからといって一般的な日本人を十把一絡げでみんな好きかって言ったら、ちっともそんなことはない。
昔は良かったって思い出話にしがみついて、最近の若い者はまったくなってないっていちゃもんばっかつけてる割に、
大人としての責任をちっとも果たそうとしない上司とかそこかしこにいる。
マナーもなく人の迷惑なんて何も考えていないやつとか、
自分より下にいる人間を見て差別しまくることに満足するような下劣な精神の持ち主とか、
そーいうヤツらは、韓国や中国と負けず劣らずうんざりするほど、いる。
日本にとってプラスになることに貢献する、っていうのは嬉しいんだけれど、
こーいうようなろくでもない連中に対しても抱き合わせで貢献する、ってなるとどーしても釈然としない。
日本は好きだけど、心の底から絶対に好きになれない連中もどうして一緒に愛さなくちゃならないんだよっ。
…愛国心を持つことに釈然としない理由は、どうしてもここら辺にあるんじゃないかと思う。
だから。
いい人が好き、悪い人は嫌い、っていう発想のほうが、
…国単位じゃなくて、
人単位でものを考えた方が、
ずっとすっきり、ずっとしっくりくるんじゃないかって思う。
日本人の知力崩壊が始まったっていう記事を見たけれど、(http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070316_rotei/index.html)
なんてことはない、日本からでも優秀な人はちゃんと出てるってこの記事の中にはっきり書いてある。
じゃあ何が問題かっていえば、それが日本から海外に流出することが問題だっていう。
でもこれって、国単位で考えるから悲観的になるけれど、
人単位で考えれば、
優秀な人間が世界に羽ばたいていったって考えれば、
これってすげえめでたいことなんじゃないの?
どこの国の何人だろうが、
胸を躍らせるのはごくごく自然の反応じゃないのか?
優れた人を褒めて評価しましょう、っていう考えの方が、
すごい人が、日本から出たからすごい、って褒める。
別に日本から出たから頭ごなしに賞賛するってわけじゃなくって、
単純に、シンプルに、すごいって思ったから、
「日本すげえ」ってそう応援するだけ。
だから。
だからこの記事見て思ったのは、
もう頭の固い愛国心、なんてもーどーだっていいのかもしれない、ってこと。
すごい人が、
アフリカからカナダからタイからインドネシアからロシアからスウェーデンからアイスランドから、
どこの国のどっからでようが、
すんげー人がでたんなら、そいつぁすげーーーー、って、
心の底から思えれば、いいって思う。
国じゃなくて人レベルで評価できるようになれればいいと思うし、
激変の時代にある今の世界がこれから向かう先は、
こういう発想・考え方がスタンダードになる世界なんじゃないか、ってすごく思う。
日本じゃないからがっかり、
日本だったらニッコリ―――。
そんな偏狭な精神の命は、もうこの先長くはない。
………
何かこの日経BPの記事を見て、
こういった一連の気持ちを、
思うともなしにつらつらと思った。