はてなキーワード: 先進とは
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081215AT2D1101715122008.html
岩手県は円高のときは金利が高い、円安のときは金利が安いという債権を発行した。
格付けが低ければ利率は高く、格付けが高ければ利率は低い。
リスクを変えずして利率をそれ以上に下げることはできない。
単にリスクを取れば利率が下がるだけという理由であったならそれは投機に他ならない。
円安のときには利率が安い。どこの証券マンが売りつけた?
全体に占める割合は少ないとはいえ、あまりにお粗末である。
夏冬の気温の変動によって金をやりとりする小売向けのオプションがあると前に読んだことがある。
と個人的には思っている。四半期の終わりにヤキモキすることがなくなるだろう。
サイゼリアも同様な失敗だったのではないかとみる。
彼らの方向性は正しかったのだが、少しだけスペキュレートをしてしまったのではないだろうか。
リスクとリターン。ヘッジとスペキュレート。この違いつけられるようになりたい。
いや別に日本に限ったことではないけど。
どんな地域でも少なからず他地域との交雑があるもので、「純血」なんてものは概念に過ぎない。適度に混ぜないと遺伝的にも弱くなるしね。
あるいは元を辿ると一個の集団にまで遡ってしまうと考えればどう混ぜても純血とも言える。
それはそうと日本の場合はそもそも成立からして「多民族」国家なのだこれが。南はミクロネシア方面から渡ってきた海洋民、北は樺太伝いにやってきたアイヌあたりの人々、それ以外にも朝鮮半島経由での渡来人が馬やら文字やら様々な先進技術を携えてやって来て支配層にあったり、大体4種ぐらいの集団が混在して成立した国であるので「純粋な日本人」なんて考え方自体がそもそもナンセンスだし、血統を保護されがちな天皇でさえ万世一系では決してないのは良く知られるところ。
歴史的には天皇の祖先はどう見ても新羅から天孫降臨してきた征服民であり、つまりは右翼が最も嫌うところの韓国-朝鮮系民族の血統だと言えるんだがその辺はどう考えているんだろう。
2chの2ゲットを悪用して、宣伝行為、扇動行為をする人間の存在をご存知ですか。
「2ゲット」とは、2chでスレッドがたった直後に、一番最初にレスをつける行為をさします。
スレッドがいつ立てられるかを予想できないため、2ゲットを意図的にとるのは困難です。
また、ニュース速報板など人気のある掲示板では、多数の人が同時に閲覧をしていて、
スレッドがたった直後に書き込みをしたとしても、自分の書き込みが2になるとは限りません。
ところがその困難な「2ゲット」を何らかの方法でたやすく行っている人がいます。
そして、その2の部分に2chの多数の住民を扇動するためのコピペを貼り付けるわけです。
2chでは2の部分は非常に重要な意味を持っていることがあります。2の部分にはテンプレや資料が貼られることが本来は多いのです。多くの人が見てしまう部分が2です。
どんな内容がさしこまれるてるかは時期によってさまざまです。
これを行ってる人の個人的主観で、その時期最も広めたい内容が決定されてるようです。
私はずっと昔から気がついてましたが、最初それを黙認する立場でした。
毎日新聞への抗議活動のテンプレが2に挿入されていて、「がんばれ」と思った時期もありました。
しかし、今はこの扇動が怖いのです。勢いのある祭りの発生してるスレッドに工作テンプレがはさまれることが多いです。
おそらく自動巡回ソフトを利用しリロードをくりかえし、スレッドがたった直後に、自動的に書き込みを挿入するプログラムを走らせているのでしょう。
2chを目の敵にしてる弁護士先生などは、ご存じない人が多いですが2chはさまざまな「あらし」から掲示板を守るための先進的なシステムが導入されている掲示板です。あらしやSPAM行為への対策の厳しさでは、ハテナやyahooや各種ブログなどよりも実は2chは上です。ブログ運営会社などは、SEO業者の巣にされています。ここで2chの対策をひとつづつ紹介するのは話がそれますが、匿名プロキシリストのプロキシがすぐに2chでは使えなくなるのは、2chの対策の良さのひとつです。
ところが2ゲットは、その規制をかいくぐってるとおもわれます。
ニュース速報板では同一IPアドレスの人が、一人で多数の書き込みをしてスレッドの乗っ取りやスレッド内世論の誘導などができないように、じっくり考えて書く時間がとれるように「120秒規制」が導入されています。約120秒間は書くことができないのです。
2ゲット工作員は、その120秒規制をかいくぐるためにおそらくIPアドレスを自動的に切り替えてるとおもわれます。
2chを何人の人が同時に見てるのかはわかりません。たかが2chといいたいところですが、
ベンチャー企業の経営者たちがでっちあげたアルファブロガーとちがって、2chは確かに何度もネット世論に影響をまきおこしています。その2chで行われる工作行為、ほっておけますか?
(http://www.kev009.com/wp/2008/11/on-file-systems/)
訳した。分からなかったところは英語のまま。ファイルシステムについて完全な素人なので変な所があるかも。
ファイルシステムはOSの重要な要素だが最近ではあまり関心を払われていない。ビットが入ってきてビットがでていく……デスクトップシステムにとっては、たいてい十分に働いてくれる……ただし、電源が落ちるまでは。しかし、そんな状況ですら近頃ではあまり困ったことにはならない。
Linuxのファイルシステムの分野には競合製品が多い。ext2が長い間標準とされてきたが、2001年辺りから他の選択肢も主流となった。あまり歴史に深入りせずに要約すると(順番は適当)、ext2が進化してext3となり、ジャーナリング機能が付いた。ReiserFSがリリースされた。SGIはXFSを移植した。IBMはJFSを移植した。
いくつかの理由があって(主に政治的な理由で)ext3がLinuxのデファクトのファイルシステムとなった。
私が古典的ファイルシステムと呼ぶとき、基本的にいつも同じ概念を指している。つまり古典的なUnixレイアウトのファイルシステムにジャーナリング機能を追加したものだ。ここに述べるのは、それら古典的ファイルシステムのハイライトである。
これは後知恵だが、JFSやXFSが牽引力を持たずに、ext3が人々を古典的時代に停滞させたのは一種の悲劇だった。しかしながらext3は信頼性を証明し、きちんと動くように一貫として保守されてもいる。
2005年にSunはZFSという爆弾をリリースした。ZFSは私が次世代ファイルシステムと呼ぶ時代への案内人である。
ハードディスクが大きくなるにつれて、バックアップの戦略、完全性(integrity)の検証、巨大なファイルのサポートは前より遥かに重要になってきている。
ここあげるファイルシステムは古典的なVFS lineを曖昧にしたりLVMとRAIDを強固な結合することによって管理を楽にする事を目的としている。
ダメなハードウェアで起きる静かな(観測されない)データの破損も心配の種である。これに対抗するために、次世代のファイルシステムはチェックサムを供えている。
いろんな意味でLinuxのコミュニティーは完全に油断しきっており、多くの開発者はZFSがリリースされるまで次世代ファイルシステムについて真剣に考えてこなかった。Reiser4はいくつかの新しいアイデアを持っていてキラーファイルシステムとなろうとしたが、Hans Reiserは、他のカーネル開発者との著しく酷い関係を楽しんでいたのだった。ただ幸運な事に、いまではいくつかの、より先進的なファイルシステムが登場しようとしている。
kernel 2.6.28と一緒にext4がリリースされるが、BtrfsやTuxs3が安定するのを待った方がよい。Btrfsの開発陣は短距離走開発を行っているので、Linuxのカーネルの開発サイクルに次か、あるいはその次で取り込まれると思われる。
SSDが普及するのは明白だ。理論的に速度の面で磁気ストレージより圧倒的に早く、現実にも既に書き込み速度が追い付きはじめている。最新のIntelのランダムアクセスやIOPSは非常に印象的である。Btrfsは当初からSSDへの最適化を取りいれようとしている。しかし、これらの新しいデバイスは、更に速度の早い新しいファイルシステムを生むだろう。
私自身の考えでは、ウェアレベリングやFATエミュレーションがSSDの性能を押し止めているため、 新たなファイルシステムが登場すればパフォーマンスを改善できるだろう。
第0001回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0001
第0010回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0010
中学生になった僕は、マイコン熱がさらに高めていった。その頃お小遣いもそれなりに増え、折りしも、バブルの好景気にさし掛かろうかと言う時代、自営業である家業もある程度儲かっていた記憶があって、家の財布の紐はちょっとだけ緩んでいた。
住んでいる家は それまで通り6+6畳で狭いままだけど、新しいマイコンをねだれば買えてしまう時期だったと思う。狭い借家にマイコンやモニタが所狭しと並べられ、家の一角だけは未来的な雰囲気(当時としては)が漂っていた。
僕は、当時全盛期だったNECのマイコンどうしても欲しく、初めて自分のマイコン(兄貴との共同出資かもしれない?失念。)を買った。それがPC-6601(1983年発売、定価143,000円)だった。
当時、マイコン小僧たちの憧れはPC-8801シリーズ(この時の最新機種は、PC-8801mkII。価格は20万前後)で、当然ながら欲しいと思っていたのだけど、やはり値段の兼ね合いから却下されてしまったのだと思う。また、どうしてもやりたいゲームがFM-7に無く、PC-6000シリーズにはあったと言う理由もある。(ゲームについては後述)
PC-6601の売りはなんと言っても3.5インチFDD搭載と言う事。その当時出回っていた5インチのフロッピーに比べ、あの完全に磁気面がガードされた3.5インチフロッピーはなんとも先進的で、当時の憧れだった。それから、どう考えても無駄な、合成音声をしゃべる機能があった。
PC-6601を買ってからの僕は、BASICもまぁ触っていたけど、難しすぎるベーマガのBASICプログラムにはついていけなくなり、当時流行り出したアドベンチャーゲームを解く方に熱中していたと思う。
その頃熱中していたゲームは、ミステリーハウスから始まり、T&Eソフトのスターアーサー伝説I 惑星メフィウスやデゼニワールドをなんかを必死に解いていた。この時代は、途中で詰まってしまったらそれまで、攻略本や教えてくれる人など居ないので、月一に発売される雑誌の攻略ページなんかを見て、しこしことゲームをやっていた。当時のゲームの進みはかなり遅かったと思う。1ゲーム解くのに軽く半年くらいは要していたはず。
そもそも上述した「スターアーサー伝説I 惑星メフィウス」なんかは、とある牢獄から脱出するのに、牢獄のドア、3本の鉄格子の右を3回「タタク」と入力するなどと、おそらく知らなければ永遠に気が付かないような謎解きが平然と混入していた。ゲームバランスなんてあったもんじゃない。
あと描画速度の遅かった事と言ったらない。少し凝った絵だと、1シーン1分くらい描画していたように思う。
当時のグラフィックスを今見て、すごく懐かしいなと思うのは、当時は表現できる色数がかなり少なかったので、(8色とか16色とか)アドベンチャーゲームなどで人物や背景を表現する為に、2色で細かい縞模様を作り、無理やり中間色を作り出していた。この描画表現を見ると、かなりノスタルジックな気分になる。
ちなみにその当時、僕はファミコンのゲームをかなり軽視していたと記憶している。
ファミコンが発売されてしばらくの間、ファミコンのゲームはマイコンゲームからの移植で、機能を制限したものが多かった。なので、しばらくファミコンは自宅に無かったし、見向きもしなかった。
ファミコンなんかよりもマイコンのゲームの方が数倍複雑で楽しいし、ファミコン自体は、所詮マイコンの機能限定版だと思っていた。
しかし、この状況はすぐに逆転することになる。ファミコンが思わぬ大流行をしたため、マイコンのゲーム数は、ファミコンにいとも簡単に抜かれた。仕方なく少し遅れ気味にファミコンを買う羽目になる。
あの頃やったアドベンチャーゲームには、色々な思い出がある。中間色を駆使したあのグラフィックスをみると、いつでもあの頃の思いが蘇ってきて、なぜだかワクワクしてしまう。
まだ続くと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20081105135432
去年の8月に参加した2ch軍板でマルチカムと言う物を知り、その10月に中田商店で買って着始めた。
http://www.nakatashoten.com/us-military/a-600.html
これまで戦闘服は3着くらいと付き合ったことがあるけれど、自衛隊の戦闘服と比較して
・設計が先進的・合理的、ただ使い道の分からないポケットが多い
・コーディネイトが散漫にならない、小物一つ一つが必ず「闘う漢」を演出する
・値段が高い、超が付くほどベルクロが固い
といった点が目立つ。
見た目は水墨画かポロックやモンドリアンの抽象画のような芸術性があるのだけれど、要するに中身は男(オレ)だ。
初めは戸惑いもあったが、案外こういう戦闘服を着て歩くのは楽で楽しいと分かってきた。
職質する警官との会話は深いテーマも軽いテーマも内容を伴って交わせる。
いろいろな装備品・階級章・徽章などを試そうとするなど好奇心が強い。
オレは自衛隊の制服も持っているというのに次世代米軍の戦闘服も揃えようと勉強していて向上心の強さがある。
反面、周囲の視線も論理的・合理的なのかな…と思いきや、
周囲の冷たい視線をコントロールできない自分に「おかしいな、普段はこんなはずじゃないのに///」と恥ずかしがる。
問題はどうやって知り合うかだけれど、戦場という戦闘モードの時に誘うのではなく、オフタイム(ミリタリーショップ)が狙い目としか。
初めの一歩が難しいだけで、後は一般的なスーツよりも付き合いは簡単かも。
だって普段サバゲでしているコーディネイトと同じでいいんだから。
あんまり適当なこと書くなよ。それってあんたの住んでる地域の特殊事情なり、関西に関係なくどこでも成り立つ話だろ。
少なくとも俺は阪神間から東京に出てきた人間だが、東京があんたの書いてるような意味の裏返しで先進的な地域とはとても思えない。
たとえば学歴の面で言うなら、東工大や一橋よりも早稲田や慶応が幅をきかせている状況も少なくないが、これこそ親の経済力が学力に優先する典型じゃないか。成功者が利益を還元しないというのなら、あの「ヒルズ族」はいったい何なんだよ?
君のルサンチマンは勝手だけど、あまり主観的なネガティブキャンペーンを張らないでくれ。「大阪民国」とか言ってるネトウヨを調子づかせて鬱陶しいだけだ。あるいは、石原を何選もさせてる分際で「橋下を選ぶ大阪人は民度が低い」とか天に唾吐いてるインテリさんとかな。
http://anond.hatelabo.jp/20080915114729
同じ人間の労働なんだから、「一般先進諸国と同じレベルの要求水準を満たす」ためには「クラス人数(教師一人当たりの担当生徒数)をせめて一般先進諸国平均にまで持って行く必要がある」というだけの話ですよ?
一般先進国と同じレベルにもっていくことが必要なのであって、アプローチはそれぞれ違うんじゃね?こういう手段がありますよって話ならともかく、こういう手段しかないってのは、どうなのよ。
何かといえばジジイは「45人学級の頃は…」を持ち出すけど、その頃と今とじゃまずその要求水準からして変わってるんですよ。なぜその「45人学級」時代のベテランたちの持つクラスが次々と学級崩壊してるか、分かってる?
要求水準が変わってるってどういうこと?学力の要求水準がむかしの方が低かった、けれども今、高い、なので以前と同じ方法論ではやってられないというならわかるけどね。今の学生の方が学力は低いから。
45人学級の時代のベテランたちでも35人学級で学級崩壊が起きているなら、問題は人数じゃないってことでしょ?ここ、理解がおかしい?学級の人数が致命的じゃないってことをあなたも言っているのじゃないですか?
ついでにいっておけばジジィよばわりは普通に失礼だから、あなた。親御さんに教えられませんでしたか。
これもまた、学級崩壊(に由来する荒廃)、の一例?
45人学級の時に学級崩壊が比較的起きていなかったとして、今起きているとすれば原因はなに?
より深刻な学級崩壊が仮に今起きているとして、学級の人数を増やすのは悪条件になり得るという話ならば別に異論はないよ。誰も少人数学級が学力向上にプラスになることは否定してないんだから。否定してる?どこに書いている?
けれどもそれは致命的な悪化要素にはなりませんよ、45人学級の時に学力が満足できる水準にあったなら、今は欠落している何かしら、他の部分で支えられていたわけで、問題は人数じゃなくてそれが欠落していることにあるんじゃないかなって言っているだけ。
橋下がそれを何と捉えているかは知らんけど、生徒間の競争の程度を問題にしていると仮定するなら、競争原理を導入しようということ自体は、間違った方向じゃない。
学校が競争することと、生徒が競争することはけっこう違うけどね、そこはよく考えた方がいいと思うけどね、橋下も。
少なくとも現在のデータを元にして文科省は「少人数教育には効果がある」と評価してる。「少人数教育をやったけど、別に差は無かった」などという研究結果など一度も報告されていないのに感情論だけで効果がないと言い募るのは、結局教育にかける金の出し惜しみに過ぎないでしょう。要するに正直にDQNっぽく本音を言えば良いのに
「ガキに金なんかかけられっかよ!大学に行きたい?100年早ぇんだよっ!」
ってね。
ここはそんなことはまず一言も言っていないので前提があなたのいう、脳内ソースに過ぎないんで、妄想乙ってところだけど、教育にかけるカネの出し惜しみに「過ぎない」って、便利な言い回しだね、「過ぎない」って。ただの反戦平和に「過ぎない」、ただの福祉の拡充に「過ぎない」って、あら不思議、異論や人それぞれの感情がぜーんぶ切り捨てられちゃった。
カネを出し惜しみすること自体はぜーんぜん悪いことじゃない(いいことでもない)。いろんな考えを持つ人がいて、いろんな感情を持つ人がいて、その「過ぎない」人たちもいて、それがまるごとひっくるめて社会だから。
費用対効果なんてどうでもいいの!効果がほんの少しでも費用がどんだけかかってもいいの!っていう人も社会の一部だし、「過ぎない」人も社会の一部。
一学級あたりの人数が何人だろうと、教師の給与が安かろうと高かろうと、どうでもいいと思う。
要は、それで所期の設定目標を満たせるかどうかが重要なのであって。
生徒の数が45人であれば駄目で、25人だといい、ってのは違うよね。費用対効果の視点が抜けてるでしょ、それ。
もちろんそういう意味で。
同じ人間の労働なんだから、「一般先進諸国と同じレベルの要求水準を満たす」ためには「クラス人数(教師一人当たりの担当生徒数)をせめて一般先進諸国平均にまで持って行く必要がある」というだけの話ですよ?
何かといえばジジイは「45人学級の頃は…」を持ち出すけど、その頃と今とじゃまずその要求水準からして変わってるんですよ。なぜその「45人学級」時代のベテランたちの持つクラスが次々と学級崩壊してるか、分かってる?
なのに、かける金を増やすどころか減らすって、正気ですか?、と。
オマケに
だから日本の教育は現状で世界一納税者に負担かけてないという話をしてるわけですが。
45人学級と35人学級に致命的な差、成果としての教育水準の致命的な差はないってこと。
よくいるよね。三丁目の夕日時代を得意げに美化する世代が。でも本当はデータで見れば、犯罪率も高く少年犯罪も今よりずっと多い殺伐とした時代だったんだけど。通り魔とか誘拐とか、普通に多かったよ。少なかったのは交通事故ぐらいじゃない?あなたの「昔の教育で充分」的な意見には、そういう「脳内美化ソース」以外の根拠はあるのかな。
少なくとも現在のデータを元にして文科省は「少人数教育には効果がある」と評価してる。「少人数教育をやったけど、別に差は無かった」などという研究結果など一度も報告されていないのに感情論だけで効果がないと言い募るのは、結局教育にかける金の出し惜しみに過ぎないでしょう。要するに正直にDQNっぽく本音を言えば良いのに
「ガキに金なんかかけられっかよ!大学に行きたい?100年早ぇんだよっ!」
ってね。
池田先生の「造反」でしっちゃかめっちゃかになったようなMIAU、今さらだけど、その趣旨をちょっと見てみた。ココね。
コレを見ると、MIAUがいったいぜんたい何を目指しているのかがわからなくなってくるのね。いや、ページにはいちおうソレっぽいことは書いてある。じゃあ、具体的にどういう方面に働き掛けていくのかをそろそろby nameで示さないといけないんじゃないかなあ。
寄付を集めたり、会員を募ったり、ラジバンダリという行為が必要なのはまあ理解できなくもない。そりゃこういう活動はえてしてカネの掛かるものだから。でも、カネを集められたとしてその使途をどう考えているか、そしてその中長期の計画はどうなのか、といったあたりがクリアにならないとねえ。
津田さんとか小寺さんとか、主要メンバーの子供っぽさも気になる。いや、個人的には津田さんは嫌いじゃないよ。でもね、いいかげん人を食ったみたいな振る舞いはやめようよ。実は、音楽著作権について彼が制度側と反対側の立場でそれぞれ一人二役を演じたあたりから、彼は信用ならないと思ってる。つーかソレってずいぶん前なんだけどw
それと、お墨付きが欲しかったときに池田先生しか思いつかなかったってのもなんか貧相だなあと思ってさ。これじゃ自業自得、身から出たサビと言われてもしゃあない。上武大学なんていう駅弁じゃなくそれ相応の大学のセンセなんかでも、著作権行政に積極的にコミットすることを表明してる法学者はけっこういるんだよ。ググればすぐ出てくる。
そういう人たちが「インターネット先進ユーザ」ってさ、なんか笑わせるんよ。Macをハック(笑)してるから俺って先進的じゃん、みたいな非社会性を感じる。
公人としての立場より特定組織の立場を優先するのがけしからんというのは宗教組織に限ったことなんかな。政党や業界団体の利益を代弁するような大臣くらい普通にいると思うんだが、政治団体、業界団体はいいが宗教団体はだめだということだとすると、それって宗教弾圧じゃないの?
いろいろ解釈はあるにせよ、裁判所が違憲判決出してるわけでもないのに素人が自分勝手な解釈で違憲だとか言うのは言いがかりのような気がする。
こういうこと言うと学会員と思われるかもしれないけどね。
別に前者の立場を知ってるか知らないかという問題ではないと思うよ。
「官僚腐敗の是正も大きな課題だが、政教分離なんて欧米の先進国なら
2世紀も前に解決して来た課題だ。まともな民主主義国家として恥ずかしい。」と元増田は書いてるわけだから、知ってるかしらないかという問題ではないというのはどうかと思う。
少なくとも「宗教は政治に一切口だすな」という政教分離を欧米先進諸国がやってるわけじゃないんだから、欧米ではやってないような厳格な政教分離をしろということなら欧米みたいになれと言ったらだめと思う。