はてなキーワード: 先入観とは
「スカート履きたい。女性はズボンもスカートもあるけど男性にはズボンしかない。悲しい。スカートも履きたい」
「ブラジャーもつけてみたい。デザインがかわいい。先入観を消し去れば、けっこうオシャレなアイテムになり得る」
「このジーパン(私の)はいていい?」
とか言ってくる
「じゃあブラ貸してやろうか?」
というと「うーんどうしよう」
ちょっと実行には戸惑うらしい
「スカートは?」
「……はいてみようかなぁ」
ということで貸してあげた
ところが二人とも忘れていたサイズ問題
勿論はけなかった弟
悲しそうな弟
仕方ないので腹のところがゴムのやつを貸してあげた
履けた弟
「うおおおお!回るとスカートも回るううううううう」
嬉しそうな弟
運動部に入っているためスカートの隙間から筋肉質な足が見える。なんか笑える。
私「まあいんじゃね?スコットランドじゃ男もスカートって言うし」
弟「マジで?これアリですか?」
私「アリじゃね?ファッションは自由だべ?結局布だし、どういう纏い方をしたっていいじゃん」
弟「マジで?ブラもアリ?」
私「別にアリだけどなんでつけんの?とめておく胸とかねえじゃん」
弟「上がブラだけで下がスカートってよくね?」
私「そりゃあれだね、ビキニにスカートみたいな真夏の装いだね」
弟「アレさり気に憧れる」
私「マジか」
あなたはそうかもしれないが、上に行くに従ってどんどん腐っていくんじゃないの?っていう疑問にはまったく答えられていない。
そのような疑問が発端となった記事ではないのになぜそこであなたの個人的な疑問に答えるべきだと思えるのか、単純に疑問です……自己中ですか?
こういう自己中な方が国家公務員には多いということが良く分かった。
たった1人の例を見て「多い」と感じてしまうのはあなたの先入観が原因ですよ。その1人に対する「自己中」という評価でさえ多分に勘違いを含んだレッテル張りなのに……
何が問題かと言うことを理解せずに突っ走る、まさに視野の狭いお役人様。
自分の気分に合致しない人間はとりあえず「問題を理解していない」ということにしてしまう、まさに視野の狭い……何様?
女子がノートをきちんと取ったり、授業を真面目に受ける傾向があると何らかの調査で明らかになっているのかどうかも知らないし、学生時代ノートを取らず男の友人からコピーさせてもらい倒し、一部を除いて講義時間など睡眠時間の確保タイムとしか考えていなかった私が自分のことを棚にあげてかいてみるが、女子がノートをきちんと取り、授業を真面目に聞くのは、「女の子なんだからノートはきれいなはず」「女子なのにノート汚いね」みたいな外野の圧力や、自分の中に根強くあるそういった「あるべき女子像」からの圧迫によるものであることが多い。これは本当に排除が難しくて、時折私は、男だからどうのこうの、女だかどうのこうの、といった全ての認識を消し去った環境で育った男女に、果たして世間で言われるところの男女差(それこそ工学を好むのは男だとか男の方が理系に向いてるとか女の子はきれい好きだとかピンクを好むのは女だとか男の方が将棋が強いだとか)が生じるのかどうかを見てみたいと思う。性別にまつわる前知識や先入観を全て消し去った世界。全てを排除した教育を受けた人々がどういうものなのかを。けれどそういう無意識に染み付いた男女差、という認識を消し去った人々を教育するのはまた、認識を全く持たない人でなければならず、その人たちを作り出すためには……と考えると、それが不可能なことが分る。だから夢想するのみだ。
血液型や性別やら人種やらカテゴリで語ることが盛んな現状を見ると、性別による偏見をリセットを成し得たとしてもまた新たに同じような偏見や認識が生まれるだけなのかもしれないとも思う。それでも、男女差というのは、一部の例外を除いて全ての人間に共通し全ての人間を二分するためか本当に偏見が多く、全て消し去ることができれば、本当に面白く、興味深いものなんではないかと思うのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070610190723
「現状、ひとつだけ案がある。国が払う。でもこのモデルがうまくいかないのはNHKを見ればよくわかる。」
まず、NHKは公共放送であって国営ではないし、国が払わなければならないという必然性が見当たらない。「中立な報道」のため?でもそれは国がコストを支払うことによって担保できるわけがない。メディアとは(この匿名ダイアリーのすぐに忘れ去られる書き込みですらも)全て権力であり、権力は他の権力とのパワーバランスの中で存在せざるを得ないのだから。それはたとえその権力がどれだけ万人の望む正しい志を抱いていたとしても避けられないことで。
ガンダムOOが発表されて、「また腐女子向かよ」という感想をそこここで聞く。悪いけれど、根っからの腐女子である私もウヘァ('A`)と思っている。「腐女子向」というレッテルを貼られた作品は、正しく評価されることがないからだ。
最近で言うと、「おおきく振りかぶって」の評価がそれだ。確かに同人界でおお振りは腐女子内の口コミで流行した。2巻が出るか出ないかのころだったように思う。ただ、この漫画が流行したのは、801萌えの観点からのみではない。なにより漫画として面白かったからだ。ところがこの流行のせいで、「腐女子向だろ?」の一言で読まない人たちが現れだした。これは作品を愛するものとして哀しいことだった。自分たちが好きだということが、作品にネガティブイメージを与えてしまうのはとても哀しいことだった。アニメの開始にともなって、「腐女子向だと思って読んでなかったけど意外と面白い」と再評価されてきているけれど、本当に腐女子狙いのみのキャラクター萌え漫画だったら、そもそもあれだけの流行になるはずがない。
腐女子内で流行る作品には2つの傾向がある。一つは完全なる腐女子向で、制作者側もそれを意識してキャラクター萌えを前面に出している作品。そしてもう一つは、普通に作品としての一般的人気が高い作品。同人界の流行を追っていくと分かるが、後者の方が圧倒的に多い。萌えだけを狙いすぎて作品として面白くないものの評価は、腐女子向に限らず、男性の萌え産業の中でもそうだろう。一般人気と同人人気は必ずしも一致しないが、同人人気のあるもので一般人気がないものは、大した流行にはならない。
つまり同人界で大流行している作品は、みんなも好きだ、と言ってしまってもいい。これは男女共通である。突っ込まれる前に言ってしまうが、Dグレやブリーチ、最遊記は、女性向同人界で流行と呼べる程の大ジャンルにはなっていない。あれだけ腐女子向と言われた種や種死、コードギアスにしたって、どれだけの男性向同人誌が出たのか分かっているのだろうか。
見栄えのする男性キャラクターが複数人出てきただけで、「腐女子向」と唾棄するのはもうやめてもらいたい。初代ガンダムから腐女子はいるのだ。制作者側が狙おうと狙うまいと、作品として面白ければ、腐女子は嗅覚を発揮する。腐女子内で人気が高いなら、なおさら面白い可能性が高い。そんなことで作品を切り捨てるのは非常に勿体無い。
実際、ガンダムOOがどのくらい女性視聴者を意識しているのかは見てみないと分からないが、まずは先入観を取り払って見たいと思う。
なんかねー、動物占いって言うのをやったんだけど(いまさらね。暇だったから)、
ことごとくあたってない。どんな風にあたっていないかって言うと、
気さく
思いやりにあふれる
先入観に左右されない
努力を惜しまない
現実を見極め
信念を持って行動する着実なタイプ
遠い将来を見据えて着実に力を蓄えて行く
とことん追究
責任感が強く頼りがいがある
世間の習慣や噂などには左右されず
これらがあたっていない。
癪だから、一個ずつクリアして行こうと思いました。
とりあえず、気さくになりたいんだけど、どうすればいいの?
↓こんな風に毎日点数つけようと思ったんだけど。
100 | 積極的に話せ、良い会話ができた(双方向) |
---|---|
80 | 良い会話ができた(双方向) |
60 | 積極的に話した |
40 | 気の利いた受け答え |
20 | 無難な受け答え |
0 | 笑わず、話さなかった |
「面白い」と言われるアニメはたくさんあるけれど、どうにも人から聞いて見たものは、
夢中になれない。
大体、人づてに聞くと先入観があって、素直に楽しめないんだと思う。
あと、「感想言わなくちゃいけないのか」と人間関係の面倒臭さを感じてしまう。
それとは違い、自分で面白いアニメを発見した時の喜びはもう溜まらないくらいの快感がある。
大抵の場合、面白いアニメを見つける前に、「つまらないアニメ」をたくさん見ていた後で、
「もうないかな」と諦めていた頃に見つかるから感動が物凄い。
こういう体験をすると、自分の好きなものは2chとか、人の意見は聞かないで、
自分の直感だけを信じて突き進んだほうが満足度が高まるのかなと思う。
でも、全く意見を聞かないとアニメの情報自体も集まらないから、聞き流す程度に
2chとかも見ておいたほうがいいのかもと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20070403000806
題名うろ覚えですまんが、その昔(1990年代前半だったと思う)、月刊アスキーに「女性読者を5%に増やすページ」(特にパーセントの数字はうろ覚え)とか何とかいう連載記事が載ってたのを覚えてる。
どうやらアンケート葉書の統計によると、1990年代前半頃は、パソコンユーザの男女比は9:1どころか、1割を優に切っていたらしい。1ページだか2ページだか使って、女性パソコンユーザ向けの情報を載せていたと思うけど、この連載はすぐに無くなってしまった。
情報工学を専攻してる女子学生とか仕事でコンピュータを使ってる人以外の、趣味でパソコンを使ってる女性なんてほとんどいなくて、当時はこういう記事を作ったところで焼け石に水だったのかもしれない。
そういえば1990年代半ば頃、個人ホームページが出たての頃は、「女性がホームページを作っている」というだけで珍しがられて話題になったもの。それくらい、「パソコン=主に男性の趣味」という意識が非常に強かった。
蛇足ながら、「女性はパソコンを“暗くて得体の知れないオタクな趣味”として全然理解を示さなくて当然なのだから、仕事で必要になるとかでもない限り、結婚したら趣味のパソコンとはおさらばする事を覚悟しなくてはならない」と思い込んでいたからこそ、自分はコンピュータ関連の仕事を選んだし、絶対結婚なんてするまいとずっと心に決めてきた。
意図的に省略されたデータを用いて。
いかにもな煽り方で。ミスリードだと悟られない演出・誘導も必須。
「痛いニュース」的だといいですね。
「これだからゆとり(世代)はーー」「最近の若者はーー」みたいな反応が集まればOK。
日本の伝統を知らない、なんてデータを使って、「サヨクの悪影響」なんてコメントを集めるのもいいですね。
実は中高年のデータでした、とバラす。
どうでしょうか?
はてなで人気の批評家東浩紀氏は院生時代、バイト先の塾で、神戸の場所を知らない
女子高生に会ったことがショックだったらしく、以後ポストモダンの動物化した(同じ
国内なのに関心が薄い)代表例としてこの女子高生の逸話をよく使いまわしております。
若い人のデータだと誤誘導させる演出が必要です。
上手く世代論だと「演出」できればOK。
関係ないですが、鶏肉調理法やライフハック、フリーウェアの話題を入れるとブックマーク
コメント数が跳ね上がるでしょう。
文体に気をつければ、そこそこブクマコメントが集まると思います。
東浩紀氏の名前を出したりポストモダン用語を出したりしたら、ライトノベルやエロゲーや
世代論なんかじゃなかったことをばらします。
実は、地理的知識というのは世代と関係なくかなりあいまいで、穴のある人が多いのです。
もしくは、(1a)の段階では世代論だと本気で信じている(かのような)文章を
書くのもいいですね。(3a)の段階になったとき、謝りながら恐縮しながら
「すいません(汗) まだデータには続きがありました。見落としてました」なんて
ドジなキャラ付けもありです。
大丈夫。ブクマで鋭いツッコミを入れられるほどのリテラシーを持ったユーザーは
コメント中5%くらいなものです。
みんな「ゆとり」が大嫌いですから、たいてい先入観を強化するような言説には
飛びつくものです。
以上を参考にして、馬鹿な世代論イメージをいじってみてはいかがでしょうか。
応用として、地域間格差イメージも扱えるはずです。
それでは。
自分自身では知らなかった良いものがあるかもしれないし、一度試すことは良いことだと思うけど。
つか、世の中の全てのことを一人で判断するのは不可能じゃない?
信頼できる人のお薦めを一度受け入れてみて、それからあうあわないを判断することはいかんことなのか?
http://anond.hatelabo.jp/20070315105048
「こんどよんでみるー」だから試してみるのはOKと言ってるようにしか見えないんだけど。
それとも「今度じゃなくて今試せ!」なのか?
あるは「試さなくていいから俺の話を聞け!」なのか?
思うに、「相手が試して気に入ってくれるかどうか」より「『俺の』おすすめを相手が聞いてくれるかどうか」のほうがあなたにとっては重要だと感じてるんじゃないかな。でも相手は、「先入観を持たずに、まっさらな状態で試したい」と思ってるかもしれないし。
「こんどよんでみるー」なんだから、素直に相手が読んでみるのを待ったらいいと思う。そこから改めてコミュニケーションすればいいじゃん。
相手が「こんどよんでみるー」ばっかりで全然読みゃーしない、という人の場合はまた別の話。
http://anond.hatelabo.jp/20070315094207
直感で切り捨てたりしない人、基本的になんでも一度受け入れるタイプの人、先入観を持たない人はどうも信用できない。
味方以外は全て敵、狂信せざるは信仰にあらず、熱狂しない愛など認めぬ、脇目をふるは尻軽なり。
ニコニコ動画でよく見られ、またコメント数を稼いでいるもののひとつに「ミュージカル・テニスの王子様」の映像がある。なかでも↓の映像が特に人気のようだ。
http://www.nicovideo.jp/watch?v=ut0UePKu4dlA0
確かにトンデモ漫画の世界を実際の人物がヘアメイクや衣装で二次元に近づき、歌と踊りで再現しているさまはおもしろいし突っ込みたくなる気持ちもわかる。ジャンプ連載漫画だから登場人物がわかる人も比較的多く、だから余計に楽しめるのだろう。
映像の上に直接突っ込みを書き込めるというかたちのせいか、リアルタイムで映っている役者の歌やせりふに対する突っ込みがコメントの大半を占めているが、このミュージカルの主役を演じている役者の歌のシーンになると「ちょwww音痴wwwwwwwwwwwwwwwww」といったコメントに占領される。
実際どう聞いても彼の歌は決して上手くないし、明らかに音程を外れている箇所が複数あるし、せりふも滑舌が悪く聞き取りにくいところが多い。
しかし、彼がその公演の1年半前に交通事故で2週間意識不明の重体に陥り、右半身に後遺症を抱えながらの必死のリハビリを経てその舞台に立ったことを知ってしまうと、どうしても一緒になって音痴wwwwwwwwと笑うことができない。
彼が何のハンデも抱えずに歌っていたとしたら私も一緒になって笑っていたのかもしれないと思うと、音痴wwwwwwwと笑っている人たちより自分のほうがよっぽど先入観にまみれた差別主義者なのだと嫌気が差すが、コメントを入れている大半の人はおそらくこの事実を知らないのだろう。まあ彼がお金をもらって舞台にあがることを自分で選択した以上、そんな背景は考えずに舞台の上のパフォーマンスだけで判断するのがあるべき評価だと思うのだが、それでも彼の顔や体の上に表示される大量の"w"の文字を見ているとなんだか無性に痛々しい気持ちになってきてしまう。
Google Maps以前のころ。ヘビーユーザーのあいだではJavascriptオフが常識になっていた。度重なる時計の再発明に業を煮やし、IEのActiveXに警戒心を抱き、不安定なOSをさらに不安定にするため暗躍するのがJavascriptでありJScriptだった。
Google Mapsがあれだけのインパクトを与えたのは、ひとえに、こういった先入観を打ち砕いたからに尽きる。信じられないことに、Javascriptって便利なのだ。実に見事な枯れた技術の水平思考である。
Ajaxという言葉が帰納され、ライブラリがぼこぼこと発表される。ネイティブオブジェクトの拡張と、クロスブラウザのための供物ラッパー集合体たるprototype.jsを筆頭に、様々なものが世に出、様々なアプリケーションがより手軽に実装できるようになった。
script.aculo.usやLightBoxやmoo.fxといった、エフェクト中心のライブラリも出回り始める。IEのせいで煩雑な記述を強要されたグラフィックアーティストが、DOM操作によって問題を解決しようとし始めた。リンクにmouseoverしたらうっとうしいエフェクトを振りまくスクリプトが当たり前のように設けられた。このはてなも、いつの間にか大量のMochikit/*.jsを読み込んでページのレンダリングを遅らせている(たまにad.hatena.ne.jpのレスポンスが遅いときなど目も当てられない)。これらに共通することは、多くの人がそれを望んでいないということだ。
もちろん好ましい方向への進化もあった。OperaがUser Javascriptを発案・実装し、FirefoxもGreasemonkeyでそれに追随。SafariもCreammonkeyを得て、いわゆるモダンブラウザユーザーは、豊かなスクリプトライフを楽しめるようになった(IEにもなんとかいう同様の機構を実現する環境はあるが、IEユーザーには敷居が高いのかほとんど見かけない)。Livedoor ReaderやGoogle Readerはイベントを操作することで、キーボードでの操作を今までにないほど豊穣にした。入力フォームのリアルタイムバリデーション、Google AnalyticsやAdsenseの導入容易さなど、見るべき意匠もいくつかある。
しかし平均的に考えて、何の変哲もない個人ブログにJavascriptは必要ないものだ。素人がつくったタイマーは、いつもユーザーを憂鬱にする。素人がつくったAjaxサイトは、だいたいの場合IEとFirefox以外を排除するもっともらしい理由を得るためにAjaxを使う(Dellが自社サイト上で「Netscape4.6以上で閲覧せよ」と警告することによって、やる気のなさを主張するようなものだ)。
我々が自分のブラウザ上でページを表示するとき、Javascriptによる意外な効果などまったく期待していない。UIにおいては最速こそ正義、というmala氏の言葉を引用するまでもなく、不必要に重いサイトはそれだけで忌避するに足る理由となる。流行を追って常識を忘れるのは愚かとしか言いようがない。
Firefox(のNoScriptアドオン)とOperaは、ページごとサイトごとにきめ細かなJavascriptの挙動を設定できる(不勉強にしてSafariについては知らない。IEはできない)。Javascriptに限らず、広告ブロックや不要ファイルの無視、特定Flashの再生可否など、ユーザーは「何が要らないか」を指定でき、要らないものを気軽に突っぱねられるようになった。不要なものを除去する習慣が、ヘビーユーザーのあいだで間違いなく形成されつつあるのだ。
何かひとつのことをするためのJavascriptは、これからしばらく出現し続けるだろう。ウェブマスターが、重厚長大な飾りで貧弱なコンテンツを隠すためだけに。何かを拒絶するテクノロジーは、今後しばらく発展し続けるだろう。十重二十重のラッピングに疲れた人たちのために。
■ウェブで長文書いて議論してるのを見ると 改行Ver.
いや、本人同士がそれでいいならいいんですけどね、どっちかが長文うぜーなーとか思ってたりする場合も多いわけじゃないですか。ただの野次馬である傍観者にとっては特にそうだと思うんですけど。
はてブに「長い」とかコメントされてるエントリとかを想起していただけるとありがたいんですけど。
どうもそういうのを見るとついついフォード・ピント事件なんかを思い出してしまうわけですよ。
知らない人はググって下さいね。一応映画にもなってたりするんでお暇なら観てみるのもいいんじゃないかとオススメしますですよ、ハイ。(邦題『訴訟』原題『The Class Action』)そんなのめんどくせーよーという人の為には解説してるアドレス貼っときますね。(http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html) んでリンク踏むのさえめんどくせーとかacドメインとか読んでもわかんねーよという先入観をお持ちのあなたの為に適当に解説しちゃいますと、フォードが日本車に押され始めた時代にこれじゃいかんってわけでコンパクト・カーを売り出したの、ピントっていう。しかしまぁリーズナブルなだけあって結構売れちゃったりしたんだけども安全設計もリーズナブルだったのが問題になって訴訟起こされちゃいました。
ちなみにアメリカの訴訟制度ってのはなかなか面白いもので、この手の訴訟だとあの有名な懲罰的損害賠償(企業が痛いな、と思う範囲まで賠償金額上げちゃっていいよ制度)と、Class Action 制度(同様の被害を受けた人は先人の訴訟結果にタダ乗り出来ちゃう制度、日本だと訴訟提起後結審前までは参加が許されたんだっけ、詳しくは知らないんでゴメンネ)のおかげで絶対負けられないんよね。
損して得取れなんて無理無理無理無理かたつむり、松下幸之助も中内功もビックリな制度。
ここら辺はまぁどうでもいいんで次行きますけど、訴訟開始前にディスカバリーって制度があるんですよ。
この手の訴訟の場合被告の企業側に証拠ってあるもんですしね。それを原告側が請求できる制度なんですよ。
といっても原告側もそんなに詳しく企業内事情を知ってるわけじゃあないんで請求内容がある程度曖昧にならざるを得ないわけでね、それを逆手に利用して、被告企業がそれこそ倉庫が一杯になる位の量の内部文書を送りつけるって行動に出るわけです。
そんなことされたら困るよねー。
原告側は何と言っても少数者であるわけだし、精査しようにも人件費が酷いことになっちゃうし、いかんともし難い状況になったよってお話(この先は映画見てね)。
ちなみにこのテクニック割とメジャーなようで僕が講義を受けた国際取引法の先生(商社出身)もやったことあるって言ってたよ。
んでこれを最初の話に無理矢理つなげると、長々と文章書いて相手に対応してる人って、誠実に答えてるようでいて実は単に目晦まししてるんじゃないの?って疑問が湧いたよってお話。
2chでよく言われるように3行までしか読めない、ってのは少々極端に過ぎると思うのだけれど、しかしそうそう長い文章を時間コストをかけて読めるわけではないよね、ってところはなんとなく理解してもらえるんじゃないかなぁ。
世の中には楽しい事やしたい事ってのが一杯あって(セックル(恋人とならタダだと思ってても多分風俗の方が安くて気持ちいいよ、次々入れ替わるから新鮮だし)とか食べ歩き(ってよりこんなところで食事してる俺/私って素敵欲望ドライブなんじゃないの)とかもっと寝たい(偽装請負ご苦労様です。所得隠ししなけりゃ設備投資費用も捻出できない世界有数の好景気大企業の下請じゃポイズン)とかデイトレード(まだやってる人いるの?)とか自己啓発(はてなとFPNってこういう腐臭がするよね、どうでもいいけど。Lifehuckだってw)とか宗教儀式(明治天皇の声が聞こえる!!とかグーグルの狂気とか)とかさ)、ネットで議論なんてモノはそのうちの一つでしかないわけだし。
しかもディスプレイとかブログっていうアーキテクチャはほんと長文読むのに適さない環境なんじゃないかとオールドタイプな僕は思ってしまうわけですけども。
A4一枚分以上は紙で読みたい。
こういう人って結構いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。
そういう人に対して誠実にあるにはどうしたらいいのかねぇって所はこの発達した世の中でも解決されてないんじゃなかろーか。
これってビジネスチャンス?ニートのボクでも起業してお金持ちになってセックル三昧(ここまでjkondo)、金で女は買えると豪語した挙句に証券取引法違反で国策捜査の上つかまってあれやこれや的展開が期待できるかもーうはーすげー。
あ、ごめん妄想入った。
文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。
お前2時間でいいじゃんみたいな。
ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。
ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。
まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。
そんな目で見ないでお願い。
それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生=紫式部か。
終風日記や極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。
挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。
切ないなぁ、ああ切ない。
大島弓子ばりに切ないよ。
伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。
大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。
昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。
あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。
なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。
しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。
あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。
(PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。
しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。
皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。
ってかこれって物象化じゃないのか。
マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。
ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。
中二病といいたければ言うがいいさ。
でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。
さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。
どうせスルーされるんだろうなぁ。
いや、本人同士がそれでいいならいいんですけどね、どっちかが長文うぜーなーとか思ってたりする場合も多いわけじゃないですか。ただの野次馬である傍観者にとっては特にそうだと思うんですけど。はてブに「長い」とかコメントされてるエントリとかを想起していただけるとありがたいんですけど。どうもそういうのを見るとついついフォード・ピント事件なんかを思い出してしまうわけですよ。知らない人はググって下さいね。一応映画にもなってたりするんでお暇なら観てみるのもいいんじゃないかとオススメしますですよ、ハイ。(邦題『訴訟』原題『The Class Action』)そんなのめんどくせーよーという人の為には解説してるアドレス貼っときますね。(http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html) んでリンク踏むのさえめんどくせーとかacドメインとか読んでもわかんねーよという先入観をお持ちのあなたの為に適当に解説しちゃいますと、フォードが日本車に押され始めた時代にこれじゃいかんってわけでコンパクト・カーを売り出したの、ピントっていう。しかしまぁリーズナブルなだけあって結構売れちゃったりしたんだけども安全設計もリーズナブルだったのが問題になって訴訟起こされちゃいました。ちなみにアメリカの訴訟制度ってのはなかなか面白いもので、この手の訴訟だとあの有名な懲罰的損害賠償(企業が痛いな、と思う範囲まで賠償金額上げちゃっていいよ制度)と、Class Action 制度(同様の被害を受けた人は先人の訴訟結果にタダ乗り出来ちゃう制度、日本だと訴訟提起後結審前までは参加が許されたんだっけ、詳しくは知らないんでゴメンネ)のおかげで絶対負けられないんよね。損して得取れなんて無理無理無理無理かたつむり、松下幸之助も中内功もビックリな制度。ここら辺はまぁどうでもいいんで次行きますけど、訴訟開始前にディスカバリーって制度があるんですよ。この手の訴訟の場合被告の企業側に証拠ってあるもんですしね。それを原告側が請求できる制度なんですよ。といっても原告側もそんなに詳しく企業内事情を知ってるわけじゃあないんで請求内容がある程度曖昧にならざるを得ないわけでね、それを逆手に利用して、被告企業がそれこそ倉庫が一杯になる位の量の内部文書を送りつけるって行動に出るわけです。そんなことされたら困るよねー。原告側は何と言っても少数者であるわけだし、精査しようにも人件費が酷いことになっちゃうし、いかんともし難い状況になったよってお話(この先は映画見てね)。ちなみにこのテクニック割とメジャーなようで僕が講義を受けた国際取引法の先生(商社出身)もやったことあるって言ってたよ。んでこれを最初の話に無理矢理つなげると、長々と文章書いて相手に対応してる人って、誠実に答えてるようでいて実は単に目晦まししてるんじゃないの?って疑問が湧いたよってお話。2chでよく言われるように3行までしか読めない、ってのは少々極端に過ぎると思うのだけれど、しかしそうそう長い文章を時間コストをかけて読めるわけではないよね、ってところはなんとなく理解してもらえるんじゃないかなぁ。世の中には楽しい事やしたい事ってのが一杯あって(セックル(恋人とならタダだと思ってても多分風俗の方が安くて気持ちいいよ、次々入れ替わるから新鮮だし)とか食べ歩き(ってよりこんなところで食事してる俺/私って素敵欲望ドライブなんじゃないの)とかもっと寝たい(偽装請負ご苦労様です。所得隠ししなけりゃ設備投資費用も捻出できない世界有数の好景気大企業の下請じゃポイズン)とかデイトレード(まだやってる人いるの?)とか自己啓発(はてなとFPNってこういう腐臭がするよね、どうでもいいけど。Lifehackだってw)とか宗教儀式(明治天皇の声が聞こえる!!とかグーグルの狂気とか)とかさ)、ネットで議論なんてモノはそのうちの一つでしかないわけだし。しかもディスプレイとかブログっていうアーキテクチャはほんと長文読むのに適さない環境なんじゃないかとオールドタイプな僕は思ってしまうわけですけども。A4一枚分以上は紙で読みたい。こういう人って結構いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。そういう人に対して誠実にあるにはどうしたらいいのかねぇって所はこの発達した世の中でも解決されてないんじゃなかろーか。これってビジネスチャンス?ニートのボクでも起業してお金持ちになってセックル三昧(ここまでjkondo)、金で女は買えると豪語した挙句に証券取引法違反で国策捜査の上つかまってあれやこれや的展開が期待できるかもーうはーすげー。あ、ごめん妄想入った。文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。それこそ昨年末のK-1みたいな。お前2時間でいいじゃんみたいな。ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。そんな目で見ないでお願い。それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生=紫式部か。終風日記や極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。切ないなぁ、ああ切ない。大島弓子ばりに切ないよ。伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。非モテでわーわー言ってる人は『太陽の塔』でも読むといいよ。あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。(PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。ってかこれって物象化じゃないのか。マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。中二病といいたければ言うがいいさ。でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。どうせスルーされるんだろうなぁ。