2008-01-02

寄付したら税金減るほうがおかしい

しかし、その金をどう使うかという点に関しては、少しも簡単になったように感じられないのです。寄付控除は相変わらず厳しく、そして寄付先として認められている団体はお役所の息がかかっているところばかり。

年賀状の返事 - 第三の道@isologue

そもそも原理的に言えば、寄付控除、というか簡単に言えば寄付したら税金が減るほうがおかしいんですよ。寄付って言うのはあくまで自己犠牲精神でなされるもの。だからそれによって自分の利益なっちゃいけない。利益を得るのであれば寄付ではない。dankogaiが大好きなWikipediaにもこうある。

寄付(きふ)とは、金銭や財産などを公共事業、公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること。

Wikipedia税金が減るというのは自分の利益になる。だから寄付したら税金が減るという方がおかしい。寄付税金減らなきゃ寄付できないという時点でそれは寄付じゃない。寄付の原理からいって寄付したら税金が減るほうがおかしい。

政策的に見てもおかしい。簡単に100人が住む村で考えよう。この村では5人の貧困者がいる。ほかの95人は慈悲深く自分の所得の1%づつ持ち合ってこの5人を救うことにした。このとき寄付金でその負担が減るとこの所得の再配分の効果が薄れる。仮に1億円稼ぐ人が5人、1000万円稼ぐ人が10人、500万円稼ぐ人が40人、300万円稼ぐ人が40人いたとする。このときすべての所得の合計は

100百万円 * 5 + 10百万円 * 10 + 5百万円 * 40 + 3百万円 * 40 = 920百万円

で、9億2000万円となる。従って5人の貧困者に配分される金額はその1%である920万円となる。しかしこの負担が寄付金によって減るとするとこの金額は減る。仮に1億円稼ぐ人が寄付をして納めるべき税金がなくなってしまうとすると、貧困者に配分される金額が100万円減ってしまう。ということはその寄付が所得の再配分に対し効果のあるものでない限り、そのぶん所得の再配分の効果が減る。政府の役割としては今後所得の再配分が重要になってくるので、これはよろしくない。また上記のような所得の再配分という観点だけでなく、政策による効果の享受という観点からもおかしい。この村は戦国時代くらいの村だったとする。これまでこの村では警備を行っていなかった。しかし最近盗賊団が発生し、治安が悪化していたとしよう。そこで村人の多数決を行い、警備員を雇うことにした。その費用は村人に課される税でまかなうことになった。このとき寄付税金が減ると減った分だけ、フリーライドが生じる。警備員雇用による治安向上というサービス効用は村人全員が享受するのに、寄付によってその負担が減るからだ。政府国防警察などを行っている。高額所得者もそうしたサービスを享受し、そうしたサービスで実現されている経済環境で高額所得を得ているのだから、そのサービス恩恵をほかの人よりも多く享受している。だから所得に応じて対価、つまり税金を支払うべきである。それを寄付で減ることになったら、その分だけフリーライドが生じる。従って所得の再配分の観点のみならず、サービスの享受という観点からも寄付金控除はよくない。

仮に選択納税制度を実現する手段として寄付金控除を認めるとしても、政策の選択なのだから寄付金控除を認める寄付先は必然的に「お役所の息がかかっているところ」になる。

百歩譲って選択納税制度として寄付金控除を利用するとし、かつ寄付先に「お役所の息がかかっているところ」以外に認めるとしても、寄付金控除を安易に認めたらそれこそ武富士のような市民感情にあわない租税回避を引き起こす。広範囲な寄付先を認める場合でも寄付金控除は厳しくなる。

寄付したら税金減るほうがおかしいし、仮に一万歩譲って寄付金控除を認めるとしても寄付先は「お役所の息がかかっているところ」に限定されるか寄付金控除の条件が厳しくなる。

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