はてなキーワード: エッセイとは
才能なのか生まれ育った環境かわからないけど、努力して努力してやっとこ満足な文が書けるって人は、
むしろ自分の好きな分野の「ライター」を目指したほうが大成すると思う。
「うまい・・・感じちゃうっ・・・!」って文章がうまい文章かなw
シリーズものの作者だと、既に醸成されている世界観や登場人物の力を借りつつ
「読者どもッ!これが俺の書いた物語だッ!WRRRRRRRRRYYYYYYYYYYYYY!!!!」
ってやることができる。(もっともそれだけ懐の深い「設定」を産み出せるのは並じゃない)
でもそんな、いわば外部の力を借りることなく凄みのある文章を練り上げるのは・・・
中島らも御大のエッセイ(空からぎろちん)に「私の文章の書き方」ってのがある。
「うまい文章」を書く、ということを、まず初手から僕は諦めている
中略
ところが、ある日翻訳ものから目を転じて泉鏡花を読んだ。知らずに宝石箱をあけてしまったような感動だった。
世の中にこんな芳醇な、古酒のごとき文章があると知って、それから明治大正期の作家を読み始めた。
藤村、白秋、荷風、谷崎潤一郎に三島由紀夫ときて、文章に酔う喜びもさることながら、
「あ、こりゃだめだ」
と、気付いた。これだけの文章を書く人たちがきら星のようにいる以上、うまい文章を書こうという自分の望みは、
むしろこっけいに思えるのだった。逆立ちしようが百年千年練習しようが、自分には不可能であることに遅まきながら気付いたのだ。
何冊も売れた人でもこう言うんだからw
「あ、こりゃだめだ」って感覚に俺は耐えることができなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20080203234224
確かにブログは素人文章だから玉も石もある。ソースがあればそれをトレースできるけど、書きなぐったエッセイなんか判断が難しい。特に意見は。でもそれは新聞記事でも同じで、プロでもひどい記事もある。
であれば、読者が賢くならなくては、という意見は正しい。とは言っても、誰もがそれだけの時間を取れるわけでもないから、まず本を、というのは限界はあると思う。読者の立場は気楽だから。義務ないもの。
むしろ、情報発信するならそれくらいはしてほしい、というのはあるだろうし、書くときは十分気をつけないといけないという自戒はある。素人ならではの甘さがめいっぱいあるのは痛いほど知ったし。だから書き手としての意識を高める方が実りは大きいと思うけれど。意識の高さを問題にするなら、書き手の意識を高める方が楽だと思う。
なんか暇だから著作権についていっぱい調べてたんだけどさ。ネットの上でだけだけど。
アホくさくなってきた。特に今後の見通しに関して。
「太陽が東から昇る事を禁止する。また、朝の時間帯に東の方角に太陽を見たものは違法とする。」って法律作ったってさ、誰が守れるのよ。あーあ。
あとさ、酒税法とか酒税の歴史について調べてたんだけどさ、著作権の末路な気がしてきた。きっとこんな感じになる。
なんでこんなこと思ったかって言うとさ、酒税法も著作権法もさ、人間が生得的に持ってたとされる権利とかから派生したとか、なにか社会的にまずいことが起こってたから防止のために作られたというよりは、商売の都合で何にもないとこからひょこっとでてきてんのね。そもそもの成り立ちとして。
あと、黎明期のポジションに共通点を感じる。こう書くと似てるとおもわねえ?
酒に消費税じゃない税金がかかってるのって、あんまり合理的な理由がないんだよね。取れるところからとる、という意味しかない。タバコと一緒。あとは価格統制か、必要ないと思うけど。酒の値段の下限値にキャップをかけることによって過剰な流通を防ぐ。
製造の規制自体はあんまり不衛生な飲み物が市中に流通するのを防ぐって意味では必要なんだろうけど、自家醸造を禁止する意味はない。
著作権だって検閲できたから国の利益があって業者への保護とか特権の意味あったけど、今じゃ検閲できないんだから保護する意味ないだろ。
著作権ってさ、最初の最初になると「創造的な仕事の保護」「文化の発展」なんてのは欠片も存在しないの。それ後付の理屈なの。(どっちかっていうと今の「不正競争防止法」っぽいんだよな。)だからさ、本来の形に戻って「既得権者のベタベタな保護」のほうに突っ走られるのはなんか当然な気がしてきた。きっと俺たちは創作の手を縛られていくぜ、今後。今、家で蜂蜜酒やどぶろくが醸造できないようにさ。今ある産業の目先の保護が、なんたって第一優先なんだから。
小説もエッセイも詩も音楽も絵も動画も、俺たちはかもせなくなっていくんだ。俺たちはじわりじわりと死んでいくんだ。
まあいいか。人口も減っていくんだ。コンテンツ製作者も減っていく。製造業が必死になって世界から集めた富は、どんどん浪費されて国の外へ流れていく。最後に残るのは文化しかないのに、その担い手は「会社」だ。草の根からどんどん枯れていく。俺たちは静かに滅びる。それでいいじゃないか。いいじゃないかよ、ねえ。「ヨコハマ買出し紀行」みたいにさ、衰退していこうよ。
あくまで集団就職をしたのは、その世代の一部(中卒で農業の次男・三男という条件を満たす)と言えるので、あまり具体的な追跡資料はないようです。
(見付かったらぜひ教えて下さい)
比較的資料と言えるかもしれないのは、
http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl95/wp-pl95-01402.html
●面白そうな論文
http://fm.koeki-u.ac.jp/~mihara/2005.1.20tsuchida.pdf
●関連書籍
現場労働者の工場小説・1960年の春・中学校を卒業して大手の製鉄会社に集団就職・その後、昼夜三交代勤務で働く労働の実態・家族・労働者の群像を描く小説集。
・「金の卵 転職流浪記 集団就職で都会へきた少年のそれから」大宮知信 1300円
集団就職で都会へやってきた少年の、「それから」。下町の個人商店や町工場に引き取られ、劣悪な労働環境の中で青春を駆け抜けた。元祖フリーター、「金の卵」の著者が描く哀歓溢れるエッセイ。
で、以下は個人的な意見ですが
集団就職した人達は、結局土地や家の相続ができない(居所がない)ために「集団就職」を選ばざるを得なかったわけで、田舎に帰ったケースはあまり多くはないのでは。
職を転々としながら、今は掃除のおじさんをやってたり、配達のおじさんをやってたりという感じなのでは…と思います。
これからニセ科学批判に言及しようとする人のために、先人の足あとを集めてみました。
◎マークは続き記事あり。いつもの彼がコメントしている記事も多いので一応注意を。
8月24日 「水からの伝言」への批判が増えてます 【誘いの果実】
8月17日 分析化学会は「ニセ科学」と向き合うか◎ 【技術系サラリーマンの交差点】
7月27日 水伝は現代科学に風穴を開ける突破口になるか◎ 【hasenkaのメモ】
6月20日 ありがとうの方がうれしいじゃない 【整体師のでこぼこ日記】
6月19日 水、結晶、ニセ科学、そして否定 【「断想」 _since 2004】
6月3日 いまいちど認識をあらためる時だ◎ 【アルバトロス海溝 D島改】
6月2日 ボクは血液型マニア◎? 【なんちゃってサラリーマンの独り言】
3月24日 ニセ科学、疑似科学論議よりも具体的な批判を◎ 【― ブログ・発見の「発見」/科学と言葉 ― 科学上の発見から「意味」を発見】
3月20日 なぜエセ科学をネタとして採り上げる方々は「タバコ有害論」を採り上げないの?◎ 【uumin3の日記】
3月2日 書評 - 水はなんにも知らないよ 【404 Blog Not Found】
2月15日 血液型性格診断について小考察ver.2-daily◎ 【うろぶろぐ】
2月14日 ニセ科学を糾弾する人は科学で解明されないもののうち、何を信じているのだろう 【DELICIOUS LIFE】
1月30日 科学とニセ科学◎ 【Intersecting Voice Cafe】
1月12日 科学的根拠が無いものを信じてはならないのか◎? 【煩悩是道場】
12月28日 ニセ科学 【管理ポスト(VIDI AUDIVI LEGI)】
12月28日 年またぎ企画:コミュ論05-11「マスメディア+ブログの時代」(その1) 【アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)】
12月24日 道徳やしつけの根拠は自然科学にある◎ 【404 Blog Not Found】
12月18日 科学って一体なんだろうな◎ 【上を向いて歩いていくブログ】
12月11日 水の件 【Walk in the Spirit - 楽天ブログ】
11月13日 水からの伝言を信じないでくださいに含まれる科学的に見えて非科学的な部分。◎ 【レビログ】
11月11日 『「水からの伝言」を信じないでください』と言うのならやるべき事は一つだろう?◎ 【音極道茶室】
11月9日 「「水からの伝言」を信じないでください」を信じないでください」◎ 【ゲームの為なら女房も泣かす】
収集元はpoohさんのところとTAKESANさんのところ。
もっと気になる人はたかぎFさんのブックマークをどうぞ。
他にもあったら教えてください。間違いとかも。
林檎を買おうと、果物屋に行った。
ところが、並んでいる林檎はみんな、どれもこれも、虫に食われていた。
よく見てみると、虫の食った痕ではない。人間の歯形だ。
この林檎には一つ。あの林檎には二つ。あの林檎はあちこち囓られて、もう原型を留めていなかった。
いらっしゃい、どれでも一つ千二百円、お好きなのを選んでって、と、果物屋のおやじは言う。
囓りかけの林檎じゃなくて、まともなのは置いてないのか、と、私は聞いてみる。値段はともかく、そっちの方がもっと問題だ。
何をおっしゃいます、みんなまともな、おいしそうな林檎じゃありませんか、何か問題でもあるのですか、と、店主はむっとした表情で聞き返す。
おたくも良さそうなのがあったら、とりあえず囓ってみなさい、と笑って答える店主を、私は怪訝そうに見つめていた。
後ろから、若い男がやってきて、例のかじりかけの林檎を品定めし始めた。
自分と同い年くらいだが、自分とは比べものにならないくらいハンサムな男だった。
そして、例の「商品」の林檎を、片端から、手に取っては囓り、また元に戻し、他の林檎を手に取って囓り・・・を何度か繰り返した挙げ句、店を出て行ってしまった。
店主は、毎度ありがとう、と、にこにこ顔で彼を送り出した。
おや、おたくは、まだ決まらないの?
店主が私に声を掛けた。
決まるも何も、囓りかけの林檎なんて買う馬鹿がどこにいます、と、私はむっとして答えた。
ほほう、ひょっとしておたくも、最近世間を騒がせる「林檎泥棒」のお仲間ですかな、そんな事はお止めなさいな、と、店主は言う。
私には全く意味がわからなかったが、店主の話によると、こういう事だそうだ。
世の中には、どうしても新品の林檎でないと気が済まない、誰かが囓った林檎など食べたくないという、「潔癖性で変態な」連中が一部にいるという。
かつては果物屋でも新品の林檎が当たり前のように手に入ったが、今ではごらんのように、まず見かけない。
そこで、林檎農家の林檎畑に忍び込んで、収穫前の、囓られてないだけが取り柄の青い林檎を盗んでくる連中がその中から出てきて、問題になってるのだそうだ。
もちろん、いわゆる新品林檎「厨」の多くは、彼ら犯罪者共を白眼視している。
「ああいう連中と俺たちを一緒にされちゃかなわんね」と言いながら、昔の、果物屋に新品の林檎が並んでいた日の思い出話を語り合ったり、当時の事をエッセイやイラストや漫画で表現した同人誌を作ったりして活動しているのだが、「絵に描いた林檎」と馬鹿にされて、世間の評判はあまりよろしくないそうだ。
まったく、おたくみたいなのが、ちゃあんと林檎を買ってくれないおかげで、うちらは商売上がったりだ!
私が囓りかけの林檎を買う気がないのを見てか、突然、店主が逆ギレした。
商売上がったりなのは、商売人がこんな態度だからだろう、と私は思う。
私が反論の言葉を口にしようとしたその瞬間、遠くで時計のベルが鳴った。
気が付くと、私はベッドの上にいた。
朝の支度を済ませながらも、あの夢は何だったのだろうと考えてみる。
駅へ向かう道の途中に、果物屋があった。
囓った痕ひとつないピカピカの林檎が、山盛りになっていた。
私は怪訝そうにそれを見つめながら、思わずそのひとつを手に取ろうとした。
あっ、この林檎は、買う前に囓ってはいけなかったのだ。
ふと我に返ると、そんな行動をしそうになった自分が急に恥ずかしくなってきた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070622090947
2007年06月24日 tomo-moon ふーやれやれ, これはひどい, バカ コレって夢にかこつけて女を馬鹿にしてるとしか言いようがないんだけど。本人はいいこと言った気にでもなってんだろうな、あー醜い。誰も突っ込まないのが不思議。女はモノでも食いもんでもありません
誰も突っ込んでくれないのではと冷や冷やしてたが、やっと突っ込んでくれる人が出た。「モテ陣営だろうが非モテ陣営だろうが、女をモノのように扱ってる男が少なからずいるのは一緒」という皮肉をこっそり埋め込んで書いてみたんだけど、それを見事掘り起こしたtomo-moonさん、鋭い。
あと、ブクマで褒めてくれた人には悪いけど、私の今回の文章は文章を書くお手本にはあまりならないように思う。その一つとして「怪訝そう」が何度も繰り返されてるのが、後で読み返して気になったし。
ごめんまたオタクな話だけど語らせてね。ちなみに元増田です。まずね、少女マンガについて語る前に、いいたいことを書いておきます。オタクってのは「自分の好きな分野に関して語りたくて語りたくてたまらない病」ってのがあると思うんです。もしも自分が大学にでも通ってオタク系サークルで日夜少女マンガやらアニメについて語っていたらこんなにも増田で語りたい欲望というのは強くならなかったと思う。自分には語る場所がないから仕方がないから(?)増田で語っているわけです。
さて、少女マンガについて数多くの方からの意見をいただいたわけですが、どのマンガにも興味が向いてしまって、どれから読もうか迷っています。とりあえず今は金欠なのでブックオフの100円コーナーにある本を中心に読んでいきたいと思っております(マンガ業界に貢献しない「くずオタ」とはまさにワタクシのことでございます)
そういえば昔、きんぎょ注意報ってアニメがあったよな(あの「ねんがらねんじゅうはればれっ!」ってところが頭の中を反響しています)、って思い出してマンガを探してみました。いやー、新装版が出ているはずなのにジュンク堂にすらない。だからやっぱりブックオフの100円コーナーで発見したものを購入しました。読んでみると……おもしろい!とにかくコミカルな表現に飛んでいて、男性の読むギャグマンガとはまた違った形のユーモアがうまく表現されていると思いましたね。実を言うとまだ一巻までしか読んでいないので、これから先ギャグ一辺倒で進むのか、それとも恋の話もおりまぜているのか、とかいろいろと気になります。アニメの記憶はすでに風化してしまってよく覚えていませんから、この機会にアニメも見返してみようかな、なんてことを思っています(ちなみに『姫ちゃんのリボン』もアニメをみてみようと思って近所のレンタルショップにいったんですけど、よく考えたら自分、アニメとか映画とかCDとかまったく観ない(聞かない)から、会員カードをつくってなかったんです。それでちょっとやる気がなくなってきて、まだみてませんけど、姫ちゃんのリボンってアニメもおもしろいですか。かなりの話数があるので、ちょっとずつ観ていこうと思っています)。それと柊あおい『耳をすませば』も読んでみました。いやー、こういう王道的少女マンガ大好き。話も暗くなりすぎず、何と行っても主人公が読書好き、ってのがたまらなく、いい。自分も中学時代は江戸川乱歩の少年探偵団シリーズやら新本格推理小説やら『フォーチュンクエスト』なんかのライトノベルやら、とにかく読み漁っていました。もちろん高校受験期に入ってもその勢いはとどまることを知らず、結局年明けて、入試の直前まで本を読んでいたような気がします。本好きの人は是非、耳をすませばを読んでほしいと思います。自分が思うに『耳をすませば』を観て軽い鬱になるいわゆる喪男の人は(自分も喪男ですが、特に鬱にはなりません)、少女マンガを読みなれていないから、だと思います。『耳をすませば』をフィクションとしてとらえられないというか……いや、それにしてもあの作品はジブリがつくっただけあって非常に完成度が高い。金欠ですけどDVDがほしくてたまりません。
ちなみに自分はよしながふみさんのマンガは読んだことがあります。『西洋骨董洋菓子店』ってのがはじめてだったかなー。彼女はとにかく人間を描くのが上手。おかしみのある表現を織り交ぜつつ、感動する人間ドラマを描ききる彼女の画力に感嘆しました。それとエッセイマンガ『愛がなくても喰ってゆけます』ってのもおもしろかった。自分はエッセイマンガといえば吾妻ひでおさんの『失踪日記』が大好きなのですが、この『愛がなくても??』もそれに劣らずおもしろかった。ただ作者が男友達などと飯を食いに行く、ってだけのマンガなのですが、『西洋骨董??』とはまた違った魅力にあふれています。それと西炯子さんのSTAYシリーズ。個人的にはこのマンガ、少女漫画の王道を上手に踏襲していて、完成度が非常に高い少女マンガだと思っているのですが、それは自分の「読み」がまだ足りないのでしょうか。個性あふれる少女たちの恋物語は男の自分でさえも見ていて中学生の時のあの甘酸っぱい記憶を刺激されるようでドキドキしてきます。それにしても西炯子さんの『ひとりで生きるモン!』って4コママンガをみたときには驚いた。あんな、少女漫画的空間を作り上げている人がこんなに毒のある4コママンガを描けるとは思ってもいませんでした。
今回は特に増田に「おすすめの少女マンガおしえてー」とかそういうことはないんですけど、みなさんも少女マンガについて思うことがあれば語ってほしいな、なーんて。憶測でものをいって申し訳ないんですけど、増田にはオタクがいっぱいいる!……と思っています。自分の好きなことについて語ることのできる、このすばらしい空間を増田民同士で共有し、さらなる「語り」の快楽へとみなさんが導かれることを願っております。ブックマークコメントとかトラックバックとかで語ることもできるんだけど、増田とか自分のダイアリーで自分の思いを吐き出すことはそれらとはまた違った魅力があると思います。ブックマークコメントやトラックバックは2chと同じように、人の意見に自分の意見をかぶせられる楽しさがあるのですが、伝えられる情報量が多くてきっとオタクの人は「もっとコイツに反論したいんだよ!俺の話を聞いてくれ??」ってな情報になるんでしょうか。最後はよく分からん話になりましたが、これからも少女マンガを読んでいこうと思います。いやー、それにしても『きんぎょ注意報』は絵もかわいいし、話もおもしろいし、いいマンガだぁ。
PS.今回も長文になってごめんなさい。なんで自分はこんなことを増田で書くのかといえば、増田は打てば響くからです。自分の個人的な日記では反応量というものに限界があって、さみしいからです。基本的に自分は読んでて人が楽しめる文章をかけないので自分のダイアリーには人がこないのです。そして自分は人の反応がほしい。こういう事情があって、こんな駄文悪文を増田にぶちまけてしまうのです。許してくださいm(_ _)m
僕は読解力がない。そう思うんだよ、増田の兄弟。
あのエントリーのどこを読めば、新古書批判になるのか分からない。
オチで「まぁ、僕の本なんかが流通するなんて笑っちゃうよね。新品どころか中古でだって、ぷぷぷ。焚書じゃんフツー」
っていうジョークでしょう。
本屋さんやってて、わざわざ森博嗣のエッセイをチェックしてたりするほど森博嗣の芸風を知ってそうな人間が、
あんなのに対して怒ってみせる。マジギレした態度をとってみせる。
あのさー。森博嗣のエントリーなんてあの著作権論を聞いてもらうためのフックじゃん、どう考えても。
「僕の本なんて、燃やしちゃえよ」ってジョークでいってる人に対して、マジギレ。
どう読んだら、こう解釈できるんだろう。本当に頭悪い僕に教えてよ、増田。
http://anond.hatelabo.jp/20070513205451
旅烏さんの批判
http://d.hatena.ne.jp/banraidou/20070512/1178981031
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/05/08/index.php
と言うのも、明らかに石原慎太郎はネットを「有害なもの」と看做しているから。
携帯電話とかパソコンといった現代文明の所産は通話による情報交換の便宜の末に、情報の氾濫(はんらん)をもたらしたといえる。その結果多くの人間たちは大脳生理学の公理になぞらえていえば、実がなりすぎて上部の大脳が肥大しすぎ肝心の幹である脳幹の発育が追いつかず、嵐が来たら上の重みに耐えきれず簡単に折れてしまうリンゴの木のように、過剰な情報を収(しま)いきれずに人間としての本質を失いつつあるような気がしてならない。
子供たちの所持している携帯電話には規制の無いまま、売春や変質者の嗜好(しこう)に応えて容易に多額の金を手にする手引きまでが盛り込まれている。それらの情報は風俗の紊乱(びんらん)にとどまらず、若い世代の人間たちの人間としての本質を狂わせてしまいかねない。こうした状況は性愛に関していえば「体は手に入るけれど、心が手に入らない」といった根源的な喪失を生み出してしまう。今時の若い女の子たちが「腐女子」などと呼ばれるような兆候は、喪失以外の何ものでもありはしない。これは若い人間たちだけではなしに、総じて情報の氾濫に巻き込まれている人間たちを本質的に衰弱させてしまう。
ネットで都知事選について言及しているブログや掲示板などを読んでみると、候補者の国家観や教育観などについては盛んに言及されているにもかかわらず、今現在自分達がそれを語っている場であるインターネットについて、候補者がどんなスタンスを取っているのか言及しているものはほとんど無いことに驚かされる。
インターネットというのは、現在、国民が自由にものを言えるツールとして非常に有用かつ重要なものになっているわけだが、その一方で、何か事件があるたびに槍玉に挙げられてしまう存在でもあり、いつ規制が入ってもおかしくない状況にあるということを、先ず皆が認識しておかなければならない。
そして、そういう状況が存在する以上、ネットユーザーとしては、自分達の表現の場を守るために、選挙時においても、候補者がネットについてどんな考えを持っているのか知っておくべきであって、そこを争点として意識できないことは非常に危険なことだと考える。
そういった観点から見てみると、「大脳生理学の公理」などという「トンデモ」としか言いようのない理屈をネットを有害視する理由に置いている石原慎太郎には、ネットについての冷静な考察は期待できないし、彼が元々規制についてあまり抵抗のない保守的な人物であるということも考え合わせると、何かのきっかけに規制の動きが持ち上がったらそのまま歯止め無しにネットの自由を脅かす存在となってしまう可能性の高い人物であると考えるべきだろうと思う。
ネットの自由を楽しみ、また、その自由の中に新たな言論の可能性を見出している私には、ただでさえいつ規制が入ってもおかしくない状況にある今の時代に、そのような人物を支持することはとてもできない。
従来の選挙における争点を越え、有権者もインターネット社会への影響といった視点を踏まえ政治家選びをしなければならない時代になっているのだということをよく理解しておきたいと思う。
偉大な筒井康隆が痔になったときに、ナプキンしてこれは快適じゃわい、とそのまま外出したら、近所の商店街でズボンの足下からパサッと落ちて来てしまい、そのまま立ち去ったってエッセイに書いてた。人生で読んだベスト10に入ります。
なんだっけかなー、ハルキ文庫版の『神狩り』あとがきだったと思うけど、山田正紀がちょうどあなたと同じくらいの年頃のことを回想してた。デビューしたもののそれだけで食うことはできず、アルバイトをしながら次回作を書きためてたっていう話で、彼は繁華街でサンドイッチマンのバイトをしながら、作品の構想を練ってたんだそうだ。朝から夜までずーっと立ちっぱなしで、誰ともしゃべらず、ただただ次作の構想を練り、帰宅したらすぐにそれを原稿用紙にぶつける。それがすごく楽しくて、毎日充実してた、って書いてたのが印象的だった。
あと、奥泉光のエッセイ集『虚構まみれ』にも、同じくらいの年頃の生活のことがいくつか書かれていた。基本的に貧乏で、まだ作家デビューもしてなかったんだけど、毎日家にこもって自分が思いつく限りの実験的手法を使った小説を書いていたっていう話。奥泉も、この頃の生活のことを、とても豊かで充実した日々で、「作家」になるためにはこういった「逼塞」の時期が必要なのだ、できれば若いうちに、と書いていたのが印象に残っている。
僕は作家ではないので、あなたが今直面しているような、長期に渡るライターズ・ブロックの経験はない。でも文筆業者の端くれではあるので、「文章を書く」という行為が苦痛に思えてしかたなかったり、まったく興味を持てなくなったりすることの苦しさ、恐怖はわかる(なにしろそれで食っていかなければならないので、書けないということは容易に生活の破綻へと繋がるわけだし)。「創作」という要素が加わった場合、その苦痛はさらに大きなものとなるだろうことも、なんとなく想像はできる。あくまで想像でしかないけど。
だからまあ、これは半分アドバイス(同じ文筆業者として)、半分無責任な言いっぱなし(作家ではない職業の人間の幻想)として聞いてもらいたい。あなたは今、貯金もそこそこあることなんだし、これから一年半くらいはなにもしなくても暮らしていけるはずだ。だからこれからの一年半くらいの時期を、二十代最後の、たぶん今後二度と訪れないであろう「逼塞」の時期として過ごしてみるというのはどうだろう。これは若い頃じゃなきゃできないし、作家以外の職業の人間にはなかなかできないことだ。孤独かもしれないし、何もしない日々が続くだけかもしれないけれど、それはとても豊かな営みじゃあないだろうか。高等遊民としてこれからの一年半を過ごすのだ。
確かに400万という金は、他の人が書いていたように、一生を託す金額としては「鼻クソ」かもしれない。だけど、独り身で一年ちょっと暮らすには十分だ。恐れることはない。余裕をもって、何もしない日々を優雅に過ごせばいいじゃないか。僕は作家ではないので、具体的に何をすれば「創作」の意欲が沸いてくるのかについては何も答えられない。しかし、「今日も何も書けなかった」と何かに追われるような日々を悶々と過ごすよりは、これから先、一年ちょっとの余裕があるのだと考えて日々を生きるほうが、まだ何かが沸いてくる可能性があるんじゃないか、とは思うよ。金が尽きたときのことはまったく考える必要はないよ。金が尽きたら働くか、あるいは野垂れ死にすればいいだけなのだから、悩むほどのことは何一つない。二択だ。シンプルだ。自由だ。
あとはやっぱり、他の人も書いてたけど、体を動かすと楽しいよ。特に働く必要がないなら、一人でできるスポーツをするといいと思う。体を鍛える系じゃなく、なるべく遊戯的なものをね。バッティングセンターとか、ゴルフの打ちっ放しとか。あと水泳も楽しい。自転車なんかもお勧め。
いやほんと、体を動かしてると、机の前に座っているときとはまったく違う言葉が見えてくる。あるいは言葉がぜんぜん考えられなくなることもあるけど、そういうときは疲れて休憩してるときに反動でぶわーっと言葉が沸いてくるんだなこれが。面白い。世の中には我々が想像だにしない面白いことや楽しいことがごく身近に、簡単にアクセスできるところにごろごろ転がっているんだけど、そういうのは時間に余裕があるときじゃないとぜんぜん気づけない。だから今あなたのように時間に余裕がある人がほんとうに羨ましい。
なんだかとっちらかった文章になっちゃったけど、これから、いつか、あなたが書く新作が、多くの読者に喜ばれ、受け入れられることをお祈りしています。
子どものころに読んだ、筒井康隆のエッセイにこんなことが書いてあった。だから筒井は、美人の嫁を見合いでみつけたと自慢していた。純粋な子どもとしてはこれを即座に否定していたのだが、成長とともに肯定するようになった。
そりゃそうだろう。女性なら本来、男性からちやほやされる特権を、ブスやデブだというだけでえられないのだから。ブスのせいで、密かにあこがれていた男性を美しい同性が容易にかっさらっていくのを、よだれを垂らしながら端から眺めるつらい体験を何年も積み重ねていくのだから。人間には生まれつきの差別があることをずっと体験し続けている人々なのだ。他人など心の底から大事にするわけがない。
ブスでも他人を大事にすることがある。それは、他人を守ることで近い未来、自分の利益になるのがはっきりわかっているときだ。恵まれない顔立ちにできる限りの笑顔を精一杯たたえながら近づいてくるときは危ない。彼女らに無償の愛などあり得ない。他人など信じていないのだから、自分のためだと思えば、他人を平気で地獄に落とす。笑顔の裏にはいびつな自己保全の感情がある。
ブスはともかく、デブは改善が可能なことが多いはずだ。痩せるだけで得る利益があるのがわかっていながら痩せないのだから、デブ女の心の奥を覗くように想像すると恐ろしくなる。
近くにいて暑苦しい感じがするのは、体型からだけではない。
672 :名前は誰も知らない :2007/03/16(金) 22:42:50 ID:pX7AgFxZO
準ひきこ森とかいう本読んだ。
俺の見たところ、例として挙げられてる学生の中に、
精神医学的な処置が必要かもしれない人が何人かいる。
こんな粗雑な克服方法を、専門家ヅラして語ってんじゃねえよボケ。
673 :名前は誰も知らない :2007/03/16(金) 23:10:20 ID:pX7AgFxZO
ああ、確かに教授ですら話しかけられないような風貌で、キャンパス内を歩いてる奴って、学生時代の俺のことだぜ。
19とか二十歳の頃の俺のバンド仲間とかも似たようなもんだったぜ。
何とか生きていこうと必死だったんだ。
そんでどうにもなってねえじゃねえかっつわれればその通りだけどさ、
俺達に触んじゃねえよ。
つうかお前の自伝だろ、これ。
674 :名前は誰も知らない :2007/03/16(金) 23:33:52 ID:zqqPXqUB0
>>672
あれね。俺も読んだ。そして燃やした。
要するにこの手の本は内向的な人間の不安を煽り立てて搾取しようってだけなんだなと
今更ながら気がついた。本当に今更だ。