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はてなキーワード: エッセイとは

2008-11-30

AV見る男の人ってなんなの?

児童ポルノマンガアニメ規制ばかり話題になっているが、普通流通してる3次元AVこそ悪質で大きな問題だろう。

児童ポルノと違い、合法に流通できるのでやり放題。そして誰もそのことに疑問を持たない。

次元規制と違い、被写体になる実在の女性被害者存在

好きでもない男とセックスさせられる女性なんて18歳以上か未満かに関係なく不幸なんですよ。本人が気付いてなくても。

お金が欲しくてとか騙されてとか無理矢理とか諸事情あるだろうが、いずれにせよ必ず女性は心身共に傷ついて不幸になります。女性はそういう生き物です。これは女性じゃないとわからないかも。

AV嬢とは違いますが、セックスが好きでお金が欲しくて風俗嬢やってる人のブログエッセイをいくつも読んだことがあります。結論としてはやはり皆「これはひどい」と言いたくなるほど不幸で泣けてきます。やはり女性にとっては良くないことです。

そういうことを考えずに、自分の欲望を満たすことしか眼中にない世の中の3次元AV愛好者は、多分この文章が理解できないでしょうが、反省するべき存在であることは確かです。

解決策として、皆2次元オカズにするべきです。被害者がいないということは素晴らしいことだと思います。受け入れ難い意見に見えるかもしれませんが私は真面目です。すぐに理解できなくても、一週間ぐらい想像力を働かせつつ論理的に考えてみていただき、賛同できなくても、筋の通った意見であることは認識してもらえると嬉しいです。

2008-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20081114024625

「私の書いた文は水村の本の書評ではない」という意味の修辞疑問文なのでそこは誤読ね。

文脈上(アブスト云々が出てきて以降で、僕がどれを書いたかは以前示した)、元増田書評をしたかは争点でないから、その自分なりの読み方は外れる。

次に、君は書評を書いた人の属性を挙げて「どれが信用に足りるか」とかいってるけど、それは的をはずしてる。私が言ったのはそんなことじゃなくて「知識」の問題。

信用足りえるには、その人の「知識」レベルがあるかの判断が先行するのだから、その程度のことは内包されている。

そのレベル素人目にも明らかな間違いを多くしでかしてるらしい。そんな本が学術的な意味で信用できると思う?んなわけないでしょ。

ということはブログで書いて批判すればいいんではなかろうか。「らしい」ではなくて元増田解釈で。「らしい」から抜け出して自ら判断するには同等の判断能力がないといけないだろう。

もうひとつひっかかるのは、「学術的な意味で信用できると思う?」の部分。信用するものじゃないし、それは鑑定人によるのかな。そういう監視の目が行き届いていればいいけど。

今のところ元増田が言っているのは、「学術レベル能力があると見なされる人がある間違いを指摘している」ことに根拠なく同意しているだけである。現段階では。

ちなみに、

トンデモ」と呼ばれたくないのなら「エッセイ」なり「フィクション」なりと名乗って満足すべきってのはわかるよね。そういうこと。

僕も読んでいないので言うのもなんだが、もう少し前に書いたけどローマ人と同じくエッセイレベルだと、なんとなく、思っているので、ガチの学術レベルでの論争なぞ望んでいないのではないかとは思うし、そうすることは無粋なのかもしれない。無味乾燥世界史教科書ローマ人を比べても。

何がどうあってもニセ科学を信じることをやめない人は「ビリーバー」って呼ばれるよね。悪いけどあれと同じレベルなんだよ。

「らしい」と言っているだけでは、例の学術レベルの人に追随する「ビリーバー」との区別がつかない。そこを聞いているんだけど。何度もね。

僕は元増田に「学術レベルの人のことを、学術レベルで理解できて、批判できるか」かどうかについて聞いているのであって、今のところ「学術レベルの人の言うことを、学術レベルでは、完全かどうかは不明だが、理解はできないにもかかわらず、何故か正しいと信じている」の段階で留まっている。ただ真の学術レベル能力を持たなくてもなんとなくわかる、ということに関しては少しは同意はするのだが、それに見合った「知識」を元増田が持っているようには見えないもので。あるならあるで自分のブログで書いてくださいな。

ということで、元増田が「らしい」といっている限りは、この件に関して同じビリーバー、同じ狢でいいんではなかろうか。

2008-11-13

404 Blog Not Foundの書き手を採点する。再び。

404 Blog Not Found:日本語は誰のものか?

導入

日本語の場合はどうだろうか。

日本が沈没しても、生き残ることができるだろうか。

現状では不可能に近いほど困難なのではないだろうか。

結論

日本語日本国に閉じ込めておくのは、日本国民ならざる日本語人に対する不当な差別なのではないか。

[…]だからこそ、私は日本国日本語を「デカップル」しておきたいのだ。

一読して頭に残るのはなんともいえない疑問符がひとつしかないのだが、あえてもう一度読んでみた感想をだらだらと書く。

とりあえず、そんなに日本語を愛しているなら自分が私的なエッセイを衆目に曝せるほどの書き手かどうかをまず気にした方がいい。このエントリの独白は、一読すると要するに自分で問題をつくっておいてそれに憤っているように思える。

まあ好意的に読み取ればそうでもないのかもしれない。

これも水村の論旨を下敷きにした文章だと思うが、日本国から「デカップル」された日本語国語として保護することは難しいのではないかな、と思った。水村が言語ナショナリストであるという一部の見解に反駁していない(と思う)ところをみると、結局、これは水村と私は(国としての日本への関わりにおいて)違うのだ、という防御線を張っている文章なのかとも思える。だとすれば質の悪い言い逃れだし、書評家としての欺瞞と呼ばずしてなんと呼ぶ。

日本語を擁護するために言語ナショナリスト水村を持ち上げはしたが、私自身にナショナルな主張はない」

こういうことを小出しに書いているのだとすれば、恥知らずとして罵倒する価値もない。これでは水村があまりに哀れに思えてくる。

「国としての日本が滅べば日本語は滅ぶ」という認識が、「だから日本語の擁護には国語としての梃入れが必要だ」という水村への賛意につながるという心情は分からなくもないが、「でも日本国日本語は分けておきたい、私は日本と仲良くないし」というのはあまりに卑怯な態度じゃないか。言語植民地をどこかに求めるとでもいうのか。そんなことをしなくて日本語が生きられるということは、日本を離れてもなお日本語に生きる小飼自身が一番よく分かっているのだろうに。

むしろ「私の愛する日本語にネーションの息をかけるな」、あるいはそのように誤読される日本語論は批判せねばならない、というのが小飼の立場からのまともな書評であったはずだ。そして、それが水村の荒唐無稽な極論とともにいずれも批判し尽くされる、というのがおそらくまともな成り行きだったはずだ。

何よりも「日本が滅べば日本語は滅ぶ」という認識を素朴に表明している時点で、この男には日本語を擁護する気もそのために自分の何かを賭けるつもりもないのは明らかなように思える。

だから、極端だが少しばかり筆を折ってみることを考えた方がいいと言っているのだ。

無意味で不誠実な書評を垂れ流して心ある日本語読者を侮蔑するくらいなら、潔く身を退いた方がよほど将来の日本語のためになるということくらいは分かっているだろうに。

つまり自制ってことだよ。

大丈夫、御前が「弾筆」しても日本語は滅びんよ。

2008-11-10

理系の人々」ってエッセイ漫画だけどさ

作者は「文系コミュニケーション能力のある人」「理系コミュニケーション能力の無いオタク」という文脈で描いてるとしか思えないんだけど

現場SEアレ読んで本当に共感してるの?

2008-11-03

超能力や霊能力

内田樹研究室 http://blog.tatsuru.com/2008/11/03_1337.php が一部で物議を醸しているようだが、

しかし、「人がこれからなすこと」については現に高い確率でそれを言い当てている人が存在する。

「人を見る目がある人」というのは、まさにそのような人のことである。

そういう人が現に存在し、その能力により、災厄を未然に防ぎ、リソースの重点配分に成功しているなら、「どうしてそういうことができるのか?」をまじめに問うべきではないのか。

「なぜ、ある種の人は時間を『フライング』することができるのか?」と問うべきではないのか。

先日、ある新聞宗教について書いた。

その中で「『超能力』や『霊能力』のようなものは現に存在する」と書いたら、科学部の編集委員からたちまちクレームがついた。

これ、内田氏が「バビル二世」の類の超能力(者)を意図しているわけではないのは自明なのだが、しかし言葉が悪かったと思う。

というのも、世の中には超能力と言う言葉を、ある種の反科学、反知性そのものの使い方で用いる人間が後を絶たないからで、超能力とか霊能力とかいう言葉には、何となく胡散臭い雰囲気が付きまとうようになってしまっている。いつも彼のエッセイを楽しく読ませてもらっている人々としては、内田氏がそういう人であるという誤解(「終にウチダタツルもあっちの世界に行っちゃったか」という誤解)を生んでしまうのはちょっとまずいのではなかろうか、と思わずにはいられない。上述の科学部の編集委員もおそらく同じことを思ったのではないか。

(実際、字面だけを見て、物理の入門書をアフィリエイトする某などが出てきているので、やっぱり誤解を招く表現なのだと思う)

この場合、内田先生超能力や霊能力ではなく、ニュータイプというべきだったと思う。

超能力とか霊能力と言う言葉の即物性や如何わしさに対抗して、ある種の人の洞察力「みたいなもの」への淡い期待を(ユリ某や丹波某のようなショーマンと区別するために)ニュータイプと呼ぼうと言うのは、昭和カウンターカルチャーのひとつの到達点であった。

2008-10-21

愛してます。演技だけど

愛してます。演技だけど。

っていうのが元のエッセイの一説。

愛してます、縁起だけど。

っていうとシリアスな雰囲気も一転、ちょっと可愛くないですか。

(いや、でも実際、縁起で好きになっちゃうことって、あるとおもいませんか・・・)

愛してます。演義だけど、

というと何か壮大な感じ。

愛してますよ。

色んなものを、演技でなく。

そして大体縁起でもない。

まとまりがないな。

2008-10-19

エッセイくん

なんか、今日増田には中途半端レベルエッセイくんがいるんだけど。テレビゲーム誌のライターレベルにはちょい足りないくらいの。

2008-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20081013210224

世界の車窓から」って超長寿番組がなかったっけ?今はやってないの?

有名文筆家の海外エッセイとかも昔からあるし。

逆に古典的な鉄のイメージがある。

2008-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20080922180946

生活維持省価値観の転換が主眼に置かれてるけど、イキガミは、試し読みしたかぎりでは、余命宣告をされた人間が残りの時間をどう生きるかを描いた作品っぽい。

星さんはエッセイで『いまタイムマシンものが書けるのは、ウェルズの「タイムマシン」の二番煎じをした人がいたおかげだ』(出典は覚えてない)とか

フィクションには発想の新鮮な意外さが要求されるが、さらに重要なのはストーリーのまとめ方。うまくストーリーが組みあわさると、強烈な現実感のある、なまなましい余韻を持った作品ができることがある。たとえばジェイコブスの「猿の手」など、三つの願いというアイデアはありふれているが、そこからの展開と結末はまったく異色。』という主旨(『きまぐれ暦』の『SFと寓話』から)のことを述べてたから、もし設定を借りていたとしても十分な独創性があれば焼き直しにはあたらない、と言っていいんじゃないかな。俺は生活維持省のほうが好きだけど。

そもそも、問題になっている「全体の利益のために誰かを殺す制度」が、星さん独自の発想なのかも微妙。『生活維持省』の数年前に海外SF既出とかいう話もあるみたいだ。国内にも類似した設定の作品は多い。

2008-08-30

http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/6e4fce9b2f00a9c2c9c142dc0c4521a1/e6

そもそもネットの中で、「善・悪」を分けるのが野暮ってもんだな。

もっと殺伐としたもんなんだよってことで。

村上朝日堂(80年代末のエッセイ)で、そういう二分法(イケてる・イケてない)がはやってるってので、

パロってからかってるエッセイがあったけど、山崎元もその時代の人か。

っつうか、JMMだって、結局はMLだから、コメント付けられないのだから、1)の原則からしたら野暮だよな。

たんなる村上龍経済観の押し付けでしかなかったし。単にネットを利用した経済評論としてうまくのっかっただけ。

で、山崎のおっさんの理屈によると、それによって「議論がクールになった」っつうんだから、

1)と9)が矛盾するじゃん。そういう論理整合性の無いものを二分法で分けるってのは、頭が鈍感で幸せなんだね。

それにさあ、なんで九鬼周造で、「いき」の分析的側面じゃなくて、そういう「しおりの一遍」っていうか

学者として頭使ってないレトリックを引くんだろ。ブックオフでそういう線引いてある奴見たら、馬鹿と思う。

信じたいことだけしか頭の中に入れてないんじゃないの。

2008-08-26

スク水作文コンテスト 応募作品発表!! すくぅうみうぎ

小説でもエッセイでもなく「作文」というのが良いね。何でもありの異種混交スク水大戦になっとる。

投票中らしいので感想は垂れないけど、フェチに満ちた文章って基本的にハッピーだよな。

http://anond.hatelabo.jp/20080826120018

いつからはてな匿名ダイアリーはこういうエッセイを書く場になったんだろうか。

はてなハイクが出来たときからだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080825123643

いつからはてな匿名ダイアリーはこういうエッセイを書く場になったんだろうか。もういい加減反吐が出る。

2008-08-22

はてブの〔名文〕タグが全く役に立たない件

いい文章を読んでみたいと思って探してみたんだが、ちょっとこれ見てみ、

http://b.hatena.ne.jp/t/%E5%90%8D%E6%96%87

出てくるエントリー読んだ?

名文でもなんでもないものばかりだよ、

増田さんへ。私は久しぶりに激怒しました。 - iGirl

これ、名文?どこが?面白いけど名文ではなくね?

最低の話

これのどこが名文?どうひっくり返っても名文とは呼べなくない?

体力を夜のうちに回復させるワザ - ビジネス本マニアックス

これ、操作ミスだよね?だよね?嘘だと言ってよ!

めんどくさいので以下省略。とりあえずはてなアイドルだけとりあげてみる。

しりとりエッセイだってよぉ - soulfireの日記

面白いけど名文とは違うような。内容は面白いよ、でも名文とは言わない。

「最近胸が垂れてきて」・・・ハァ?垂れる胸があるだけで充分だろが贅沢言うな - heartbreaking.

これは笑った。これに「名文」をつける奴は眼科行け。名文だと思うならお母さんの前で朗読して聞かせろ。改変ネタで「最近水虫がひどくて」…ハァ?痒くても足があるだけで(略」とか考えたけど、もう古いからいいか。

50エントリほど読んだけど、名文タグつけても恥ずかしくないと思ったのは2割以下で、残りは名文とは全然呼べないよ。

特に女はてなーに〔名文〕タグをつけてることが多いんだけど、これってブクマカーが「下心じゃなくて才能に注目してるんですよ」と言い訳したいだけのような気がするよ。そうでないとしたらなおさらかわいそうだ。

こんなのに〔名文〕タグつける人間は恥ずかしくないのか?

自分には感受性がないですと世界中に告白しているようなもんだぞ。

昔の卒業文集を読まされるくらい恥ずかしいぞ。

それから、〔名文〕タグはつけられるほうも実は恥ずかしいんだぞ。推敲もしないで増田に書きなぐったら名文とタグつけられてあとで書きなおせなくなったこともある。

お願いだから、名文という言葉価値を下げないためにも名文タグだけは慎重につけて。


もうやってしまった者へ告ぐ。今すぐ外へ行って十字路に立ち、ひざまづいて、あなたが汚したはてブ接吻しなさい。それからはてな中の人々に対して、四方に向かっておじぎをして大声で言うのです。『わたしがつけました』と。

PS。

qinmu 増田が「名文」だと思う例を教えてくれ。てにをは至上主義だけが名文だとは限らないぞ。

まずそちらから示すのが礼儀だと思うが? 時間あるなら自分で書いてもいいけど。

2008-08-19

惑星開発委員会 コンテンツリンク集

ゼロ年代の想像力やPLANETSで最近になって惑星に興味を持ったけど旧サイトが見れないorいちいちURL直すのが面倒くさいという人のために。

惑星開発委員会宇野常寛善良な市民)さんが大学生のころ趣味で運営していたサイト(2002~2003年)です。

惑星開発大辞典リンク

http://anond.hatelabo.jp/20071031195955

善良な市民オタク黒歴史

第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話第7話 第8話

第9話 第10話 第11話 第12話 第13話 番外編 ベンヤミン事件1 ベンヤミン事件2 ベンヤミン事件3

・善良な婦女子の不定期エッセイ

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回

・月刊クロスレビュー

ガンダム 押井守 ガイナックス 宮崎駿 ジャパニメーション ジュニアノベル前編 ジュニアノベル後編 大月アニメ 角川マンガ 富野

妄想ゲーム企画

リアル大学生活シミュレーション

石原の野望

http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/isihara.htm

スペイン宗教裁判

http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/saiban01.html

亡国対談

ワールドカップ 泣きギャルゲー サークル バックパッカー

富野小説黒歴史

接触編 発動編

オタクにならない人のためのオタ文化入門

マンガ編 アニメ編

・オタ向けアイドル小百科

キングレコード編 ビクター編

「ポスト・エヴァ」アニメ特集

元FMW社長荒井昌一「翼をください」

富野由悠季「戦争と平和」

善良な市民の(出来るだけ)週刊書評

東浩紀「動物化するポストモダン」  大塚英志「サブカルチャー反戦論」   滝本竜彦「NHKにようこそ」 

週刊クロスレビュー 

これは自力で入力してください。今現在、見れないものが割と多いです。

2008-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20080818032032

カポーティ

夢を売る人の話が入った短編集読んで、いまいち、っていう判断したけど、再評価を試してみようかな。

タブッキは

読んだことないや。

方法論にとらわれすぎた作家は何人か挫折してるけど、ちょっと手にとってみる。

町田康

屈辱ポンチ一冊最後まで読んだけどいまいちだった。

エッセイ読んでみる。

国境〜は好きでも嫌いでもない。

ホテル〜は最初らへん読んで挫折。

最後〜も途中で挫折。最後どうなるんだ。

こうやって書いてみると、腰を据えて本を読むことができない人みたいな感じだけど、

面白いと思えば一晩で読み切っちゃうので。

http://anond.hatelabo.jp/20080818023451

カポーティはどう?あとはタブッキとか。町田康エッセイとか。

それにしても私と興味を持っている作家はめちゃめちゃかぶってるみたいなのに、好きな作品がまったくかぶらんなあ。上の3人だけでも私なら、『国境の南、太陽の西』『ホテル・ニューハンプシャー』『最後の物たちの国で』って感じ。なので本はリコメンドせずに作家止まりにしてみた。

2008-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20080730174733

いやいや、独善じゃないよ。客観的な事実だからさ。

俺も最初は世間の「博士=専門知識ばかりで頭が固い」、「30近いのに実務経験、スキルなし」みたいなイメージ内面化してたんだけど、試みに適性検査受けてみたらスキルコミュニケーション能力もかなり上位だったので驚いたんだ。

振り返ってみれば、上に箇条書きしたような要素があるから能力が高いのも当然なんだが、自分では気がつかなかった。

特にコミュ力が高かったのには吹いたな。

「あなたは曖昧な文体のエッセイを読んで、その主旨を正確に理解するのに長けています」なんて言われたよ。

史料としてさまざまな文書を読んできたから、俺としては当然のことだったのだが。

もっとも、こうした博士能力企業が気がついてくれるにはかなり時間がかかるだろうし、それまではこうした見解を独善と見なされるのも無理はないと思うがね。

しかし、正直な話、日本社会博士能力をまったく引き出してないと思う。宝の持ち腐れ。博士=宝って比喩はおおげさじゃないぞ。

2008-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20080722020211

む??し星新一エッセイで書いてたな。

タイ人政治にさえ口出ししなければ大歓迎だって。

山田長政がやられたのはそれが原因だと。

2008-07-17

ベルレッテルに縛られる人たち

いや、gyaoでいま「着信アリ」をやってるわけですよ。

で、確かに秋元康原作)はあざとい。誰もが携帯を持つ時代に携帯で伝染する死と、児童虐待。小賢しいなあ、とは思うわけ。

けれど監督カメラ俳優女優もそれぞれそれなりにいい仕事はしてて、まあ康もさすがだと思ったのです。

飴のくだりあたりはちょっと泣いちゃったくらいにしてね。

こぶ平フェイス恋愛エッセイとか書いちゃうだけあって、女性の視点みたいのを書くのが巧いし(俺男だけど)。

柴崎コウは確かに後半逃げ惑いすぎだけど、最後の舞台に誘導するための演出意図だと普通に判断。

観終わってほどほどに満足。

でも、みんなのレビューみると酷評の嵐でやんの。

私はいままでそれなりにホラー映画を観てきましたが怖くないだの、音だけで威そうったってそうはいかん、怖くない。演技ヘタだの、スケールちっさいだの。

そういう押し付けっぽい意見が多い。

ホラー映画って恐くないと駄目とか、誰が決めたの?

ホラー映画って、バカだったり間抜けだったり、かと思ったらちょっと感動だったり燃えたり萌えたりするものでしょ。

というか、ホラーに限らずフィクションってそういうものでしょ。どうでもいいものでしょ。娯しんだら勝ちでしょ。

娯しめないのは、お前の娯しむ能力が低いだけだっつーの。だっちゅーの(ぎゅっ)。

批判して優越感勝ち取る餓鬼が多すぎる。

なんで勝手にてめぇの価値観を得意満面に押し付けるの?

あ、俺のは押し付けじゃないよ。

何事も減点法でしか観れないモンスターオーディエンスに、ちょこっとでもモノを娯しむ能力を伸ばして欲しいだけ。

そんなんじゃ何にも娯しめるわけがなかろうっつーの。だっちゅーの(ぎゅっ)。

2008-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20080715221642

>外だしは避妊じゃねーよちゃんとゴム使え

えーーーそうなの???!!! 誰も教えてくれなかったんだけど!!!!!

ってかそういうのってみんなきちんと調べるんだ!!!

(補足:みうらじゅんエッセイ青春ノイローゼ文庫)」の212ページで、自分が童貞を捨てたときの話の中で「彼女のお腹を白い海にした」っていう描写があって、多分それの影響だと思う。。)

あと多分中二病?ってのは一生治らないと思う。

2008-06-30

【連載】小説ITゼネコン【第一回】

 「小説」など、大上段に構えてみたけれど、ドキュメンタリータッチフィクションエッセイを連載する。

俺の名は鈴木本太。すずきポンタ、もちろん仮名だ。これから出てくる人物、企業、団体、製品名等についても、架空のものであり、偶然現実の名と重なっていても他意があるわけじゃない。米合衆国オバマ氏と福井県小浜市とが関係ないのと同様だ。

 俺は32歳監査法人勤務だ。この業界ではイケてるほうじゃない。だって、システム監査を担当としているくらいだ。システム監査を低くみてるわけじゃない。俺の身長は・・、俺のことはどうでもいい。興味を持たないで欲しい。この話の主人公国産メインフレームコンピュータとそれを構成する企業レガシーシステムなんだ。俺は、狂言回しに過ぎない。「北斗の拳」の真の主人公は「北斗神拳とそれを中心としたヴァイオレンス」であったと記憶する。いや、主人公ラオウだっけ。まぁ、ラオウが倒れた後の「北斗の拳」が面白くないのと同様、俺の人生はたいして面白いものではない。

 今回の舞台はB銀行だ。俺たちのクライアント。TVドラマか何かの影響か、俺たち監査法人は、客先の不正を暴く行政官みたいな仕事振りをしていると誤解している友人もいる。あくまでクライアントお客様から対価をいただいて、仕事をさせてもらっているサービス業なのだ。だから、ぜんぜん、上から目線ではなく、普通の客商売だよ。俺は提供するサービスを売るセールスマンも兼任しているんだ。営業担当者はいないからね。そりゃ、エンド・ユーザにマイ・カーや呉服を販売する営業とは、少し趣きも違うだろうけど、お客様あっての商売。

 国税庁検察庁とは立場が全然違う。銀行の人と話をすると、やはり、国税検査官の中には、高圧的な態度の人もいるらしい。背中にしょっているのが、徴税だから調査権があるからね。でも、やたら、高圧的な人は新米検査官に多くて自信の無さの裏返しだろうとのこと。むしろ、しょぼくれたおやじさんが、ひょいと指摘をする事項の方が怖いそうだ。

 銀行をはじめとした金融機関には、金融庁検査というものがあって、そこからも検査官がやってくる。金融庁は、金融機関に対して、業務改善命令から、免許の取り消しにいたるまで、大きな処分裁量をもっているから、銀行にとっては大きな存在だ。貸出債権が適正に管理されているかを検査する資産検査官、事務が適正な手順に則って行われているか、不正がないかを調べる検査官など、担当も分かれているようだ。システムについても専門の検査官がいる。最近は大手銀行合併にともなうシステム統合で、おおきな障害が起きたことから、金融庁システム検査にも大きく目を尖らせている。

 ITガバナンスの適正さ(システムを運営する組織、規定が整っており、正しい手順に基づいて運営がされているか)や、個人情報の管理が十分か、データの参照権限や手続きについて適正な扱いをおこなっているかなど。これらが、金融庁によるシステム検査の調査ポイントの一端である。監査法人によるシステム監査とも重なる部分は多い。ただし、見る立場が違うので切り口は違う。俺らは、処分や免許・許認可が目的ではない。クライアントシステム運営が適正にされているか否かということを軸として、あくまでクライアント経営の適正さ、透明性に関する評価・助言を行っている。だから、コンサルティングマインドも必要だ。勿論、不正を隠匿したり、促したりする助言は駄目だ。

(つづく)↓第二回

http://anond.hatelabo.jp/20080701191148

2008-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20080624134951

文章を読むのは好きだったけど、読書感想文は苦手だった。

高校の頃、読書感想文課題として出さずに教師に殴られたことがあった。俺は課題を出さなかった。で、殴られた。今思い出しても、何でそういう状況になったのか、全くわからない。

小説に対する感想といっても、あらすじと「よかったね」程度の感想しか思い浮かばない。その物語世界に入り込んで想像を膨らますようなタイプではなかったのかも知れない。俺が書くのは「メロスは走った。間に合った。よかったね」。何の価値もない。

小説の要約をすること、細部を切り取って描写することはその小説存在価値を否定しているのではないか。また、「メロスの葛藤は云々、僕も3年生のときに、友人と云々」という具合に、意味ありげだけど全く別の話に結び付けることは、その小説読書感想文ではないのではないか。そう感じていたのかも知れない。もちろん、「過去の太宰作品と比較して云々」と分析して雄弁に語れるはずもない。

このような事情があったのかなかったのか、とにかく、「僕の読書感想文」に書くことは、何も無かった。

小説が駄目ならエッセイで書けばいいじゃないの、と今になっては思うが、当時、読書感想文と言えば「走れメロスを読んで」的な、小説物語を題材にすべしという制約を感じていた。国語文学文学こそ国語であるという文学至上主義がそういう暗黙の制約を課している…というのは言い過ぎか。

俺も国語は嫌いだった。と言うより、むしろ国語の授業が嫌いだったなぁ。

2008-06-23

「食べられる物」以外は食べられないと思っておいた方がいい

http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080622/sty0806221928005-n1.htm

これを読んで思い出したのだけれど、毒キノコ図鑑か誰かのエッセイか何かで読んだ話で、キノコ取りの名人は毒キノコを覚えるわけではなく、食べられるキノコ(と、それによく似た食べられないキノコ)を覚える。というのがあって、つまり安全側に振っておけということだ。

そもそも、人が食べておいしい、無害というのは、品種改良の結果か、あるいはそういう戦略だったかというだけで、例外的なことだ。戦略というのは、捕食対象になることにより、消化されない種が広まったりだとかそういうことで、それ以外のものは、もちろん無害のものも多いけれど、腹が緩くなる程度の弱い毒まで含めると相当数の植物が毒をもつ。

たとえば、トウガラシはあきらかな刺激性を持ち、なぜか好きこのんで食べる動物人間がいて、その結果栽培されるようになり、戦略的には成功したわけだけれども、これは本来動物に補食されないためのものだったはずだ。

そういえばもう一つ思い出話で、ぼくは昔、加熱処理したそこら辺にいるカタツムリを食べたことがあるのだけれど、これは結構危ないことらしい。寄生虫の宿主である可能性があり、他にも細菌感染する可能性もある。それにそんなに美味しいものでもない。

とにかく、健康的な生活をしたければ、そこいらでとってきたものを容易に口に入れてはいけない。山菜キノコや、もちろん鳥類魚類などの動物も自分で採取、捕獲して食べる場合には十分な知識を持って当たるべきだ(個人的には川魚を生食するのはそれがちゃんとした店で出されたものでもかなり躊躇する)。

(このあとに、害のある自然礼賛主義に対する批判が400字ほど続くのだけれど、今回の本題ではないので省略)

2008-03-13

いやいやいや。

昔は、知的水準の低い人間は、満足な医療を受けられなかったり、そもそもちゃんと養うことができなくて栄養状態が悪かったりして死亡率も高かったわけで。

能力の無い人間にも最低限の生活・医療を保障する社会になったことが馬鹿大増殖の理由でしょ。

で、気がついたかも知れないけど、この問題ってば格差社会が進行すれば解決する筈。

(「昔は(もしくは昔も今も)金持ちの家に生まれた奴が金持ちで、貧乏な家に生まれた奴が貧乏なんだから、そんなことはないのでは?」と思うかも知れないけど、家系とか遺伝子レベルで見るなら「ある時点で優秀な奴がいたからその子孫も金持ち」なのであり、「悪い遺伝子が一定以上入ってきたらその家も没落する」もんです。『唐様で貸家と書く三代目』なんて川柳にあるように、昔だって浮沈がないわけじゃなし。)

余談だけど。「IQの高さと子供の数は反比例する」というのは結構前々から知られていたことで、アイザック・アシモフエッセイ中でそのことに関して危惧を表明してたりもします。

http://anond.hatelabo.jp/20070329160101

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