はてなキーワード: お笑い芸人とは
「焼きたて!!ジャぱん」という漫画を途中から読まなくなっていたので、最終巻まで一気に読んでみた。
この人の漫画は昔、「SISSORS」という美容師の漫画を読んだ覚えがある。
絵がうまくて、おもしろかったが、雑誌自体が廃刊してしまったかなにかで最後まで見れなかったような。おいといて。
同系統のシリアスな漫画を期待していたのだが、途中からギャグが頻出、
しかもこのギャグがおもしろくもないため、また最後まで読むことが出来なかった。
どうして読まなくなったのかを思い出した。
「中華一番」の時もそうだったが、このギャグリアクションというのが本当におもしろくない。パターン化するのでより一層面白くない。
どちらだと聞かれれば、あくまで後者ではあるが、それが前者と重なっていることは否めない。
別に自分の容姿の趣味が世間の基準から大きく逸脱しているとは思わないので。
テレビで美人と言われてる女優やアイドルやアナウンサーのほとんどは美人に見えるし、ブサイクさをウリにして笑いを取っている女お笑い芸人はブサイクに見える。
どちらで解釈するかで内容的に大きく変わる。
どう変わる?
【要旨】
梅田望夫さんが水村美苗『日本語が亡びるとき』の紹介をしていた。ブックマーク数は多いのだが、梅田さんの紹介にやや舌足らずな点もあるからか、反応もいまひとつのような気がする。ただ、わたしも水村さんの論を読んで非常に感銘を受けたことはたしかなので、まずは、水村さんの議論の骨子を紹介してみることにした。ただし、わたしが読んだのは新潮9月号で発表されたものであり、ここで紹介することも本の第1章から3章までの議論にとどまる、という点をご海容頂きたい。
ここで紹介したのは水村さんの問題意識であり、この問題に対して水村さんがどのように思考を進めていくか、というメインの部分については実際に「新潮」9月号や本をごらんいただきたいと思います(この一文追記)。
(追記2)梅田さんがこの本をどう見ているかについては、すでに8月時点でこの本の前身の論稿に触れられたエセーがすでにあるのでこれもご覧になるとよいかと思います。以下の記事のブックマーク数があまり多くなかったので補足しておきます。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080823/trd0808230354002-n1.htm
【本文】(本文途中からお名前を「望田」さんと誤っている箇所があったので修正いたします。大変失礼いたしました。また指摘してくださった方に感謝いたします。)
水村美苗の新刊『日本語が亡びるとき』が梅田望夫さんのブログで紹介されていた
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1
コメント欄やブックマークでのコメント欄では芳しい反応は少ないようで、梅田さんの議論とかみ合っていないし、梅田さんの高揚の理由がわからずポカンしているように見える。
これはおそらく、水村美苗および梅田望夫の問題意識がちゃんと理解されていないからではないかと思う(その点で梅田さんの紹介が不十分ということはあるかと思う)。とはいっても、本書が梅田さんの心に響いた理由をわたしは想像できるし、わたし自身も「新潮」9月号を読んでおもしろいと感じた。なので、以下で水村さんの議論を紹介したい。
水村さんの議論、および望田梅田さんがインスパイアされた問題意識というのは、たとえば、英語公用語化論のようなレベルでの「日本語の危機」というようなものではない。すなわち、日本の「国語」としての日本語と、英米の「国語」としての英語とのパワーバランス等が問題とされているわけではないのだ。「国語 vs 国語」という問題、ではないのだ。
そうではなくて、水村の議論はこうである。
水村の分け方によれば、言語には「普遍語―国語―現地語」の3レベルがある。
中世では「普遍語」としてのラテン語および「現地語」(のちにフランス語やドイツ語になる言語)しか存在していなかった。
近代国民国家の時代になると、(学術的な成果等の)「普遍的なこと」を語る言語として、「普遍語」の他に、「国語」(もと現地語)が登場した。この意味で「普遍語」の役割を果たす「国語」が複数あるというのが20世紀半ばまでの状況であった。
しかし状況は変わった。世紀末から21世紀初めをみると、もともとは数ある「国語」の内の1つにすぎなかった英語が「普遍語」なろうとしている。それに伴い他の「国語」は「普遍語」の座を降ろされようとしている(例としてフランス語の衰退が挙げられる)、と言うのが水村の議論の骨子だ。
そういうことであるから、日本語が「現地語」として滅びるといっているのではなくて、普遍的なことを語る役割を担わされてきた近代国民国家の「国語」が、英語が新たな「普遍語」となることによって、変質をこうむる、という見通しを水村は述べているのである。
以上が水村さんの議論の紹介。
このことからわかるように、望田梅田さんがこの本を読んで感動したというのは非常によくわかる気がする(追記;小飼弾さんが興奮するのもよくわかる気がするhttp://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html)。望田梅田さん自身をどのように考えているかは知らないが、わたしがこの本を読んで思ったのは、
日本という「現地」に帰属しつつ他方で「普遍的なもの」とつながっているという点では「外国人」のような存在、すなわち、「在地の普遍人」というでもいうべきメンタリティーを有している人間にとっては、今回の水村さんの本を読んで刺激を受けるのだろうな、ということだ。
英語と日本語を日常的に使用していることを前提に書評が進められている感じがする。日常的に日本語のみしか使ってない人にとっては「心の叫び」は届かないのでは
という反応などが、もうひとつの、ある意味で正しい反応だといえるのではないだろうか。
これも参照。http://anond.hatelabo.jp/20081111185728
【★追記。以上の議論から、文学においてはどんな問題が生ずるか。水村さんの見方はこうだったと思う。
近代においては、国語=国民=国民文学という等式が存在し得た。国語は普遍的な内容を記述できる言語であり、国民文学は普遍的な内容を論ずることができるものであった。もっというと、
ローカル(現地)なことがらを普遍的なレベルでとりあげ記述することを可能にしたのが
であった。
しかし、「国語」が「普遍語」としての地位から陥落しつつある21世紀初の状況を見ると、今後そのようなことは可能であろうか。
これが水村さんの問題意識である。
このような問題は翻訳論において繰り返し語られていて、水村さんもこれに言及している。】
【★さらに追記:
「別に日本語が『現地語』になるとして何か問題でも?」という反応に対して、水村さんの議論からはどのような応答があり得るだろうか、考えてみる。
「現地語」のみを読み「現地語」のみで語る、他のものには触れないし読まない。そうなると、文学が、そして、それによって表現される知性が、衰退する、という反応が出てくるのではないか。
文学とは異なるが、このことの理解を助けるために、テレビ番組を例に挙げてみよう(わたしはテレビをじっくり見る習慣を持たなくなったので、これから書くテレビ番組の状況は、幸いなことに、誤っているかもしれませんが)。
テレビ番組が低俗化していく、という説が挙げる例の一つに次のものがあるだろう。お笑い芸人をテレビに出してそのトークで番組を構成する、そのトークの中身は(試聴者もそれを知っていることは前提とされているものの)芸人同士の内輪のからみや楽屋ネタのようなものであり、ネタとして完成された作品であることは少ない。
このような内輪のみに意識が向けられ、内輪のもののみに言及し、その範囲での閉じた連環が固定される。
テレビの現状が本当にこのようなものであるかは知らないが、仮に、このような番組しか放送されていない世界になれば、テレビというメディアは衰退するという主張が現れておかしくはない。
日本語が、「普遍語」の役割を果たしうる「国語」であることをやめ「現地語」になってしまう、という水村さんらが表明される危機意識というのは、このようなものとして理解することができるのではないだろうか。
水村さんのインタビュー記事を読むと、
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20081107bk01.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20081107bk01.htm
「中途半端な国民総バイリンガル化を求めるより、少数精鋭の二重言語者を育て、翻訳出版の伝統を維持する。作文を書かせるより、古典をたっぷり読ませる教育を積む。それが日本語の生命を保つ現実的な方策。
ここで「少数精鋭」でもよいので「翻訳出版の伝統を維持する」ことが主張されているのは、上で述べたように、外に目を向けなくなることにより日本語および日本社会がローカルなレベルへと自壊していくのを防がなければという問題意識を背景とした主張だと、わたしは理解した。】
決して「大きなメディアは良質、小さなメディアは質が悪い」みたいな事を言いたいわけではないんだけど。
当時は学生だったので、学校に着いて研究室に入って、色々準備しながらPCでちょっとmixiを開いて
あれば新着のメッセージやら友人の日記やらを見て、その流れで今日のニュースを確認できるのはすごい便利だった。
当初は提供元も大手新聞社数社くらいに限られていて、ニュース日記機能も無かったのですごいシンプルに
「今日の新着ニュースを読む」だけに特化されていて、気になったら自分で掘り下げて読めばいいしすごい便利だったし。
なんか完全に手を広げすぎてグッチャグッチャになってるよなぁ、と思う。今のは。
ニュースに日記でトラックバック風の事ができるのは良いけど、それ専門の論客もどきが溢れかえるようになった。
毎日何十個もニュース日記書いて、自称中道(あるいは自称中道ほんの少し右寄り)なんだけど左右以前にただただ残念な奴。
そんなバカがほんの少しのニュースの端切れだけで勝手に「真実」や「正論」を断言して(彼らはそれを「毒舌」と言う)、
またそれに同じバカが「ニュースから来ました。全く同意です」とかつけまくるから、論客バカクラスタがさらに傾く傾く。
そんで提供元も提供元でもうただのウケ狙い合戦になってきて、最近は時事ニュースですらないのも多々あんの。
「オリコン会員100人が選ぶ、今後売れそうなお笑い芸人」て何だよ。それニュースでやらなくていいだろうよ。
そもそもオリコン会員とか「私も時代のオピニオンリーダー!」みたいな変な自意識祭りじゃないかよ。
そんな奴らのアンケート結果が世間に影響もたらすかっつの。そんで「1位はTKO」てなんだよ。そんだけ言ってそれかーい!っていう。
「エスカーラ世代の女性に聞いた男子の気を引くテクニック」て何だよ。そもそもエスカーラ世代が全然わかんねえよバカ。
■「上目遣いで舌っ足らずに話してみた」(26歳/秘書)
いわゆる天然系ですが、同じ女子からするとブーイングされる場合もありますよね。
ダメだよ男子でも。もうお前秘書じゃなくてネットアイドルになれよ。
秋葉原の駅前でメイド服着て上目遣いで舌っ足らずに『僕たちの失敗』でも歌ってろよ。きっとリアリティあるから。
あとサイゾーとかな。「ジャニーズファンの止まらぬ暴走行為」って記事でジャニーズファンを糾弾してるんだけど、
その内容が「マナーが人としてなっていない」「常識以前の問題」「こんな暴走行為が続けば、いずれ損をするのは自分たち」みたいな内容。
あのさ、、、説教強盗って言葉知ってますか?サイゾーの中の人。っていう。
人の振り見て我が振り見ずに上から目線で小金を稼いで満足気のサイゾーさんには、なんか自分の姿を映す鏡的なものを送っておきまーす。みたいな。
あとはmixiの中の人だよ。勝手にニュースの内容を端折るなよ。絶対ダメだろそれっていう。
普通の新聞記事でも提供元の新聞社のサイトの文章の半分くらいの内容になってたりする。どんだけ編集するんだよ。
あと釣る気満々の見出しつけたり、挙句一日に何回も見出しだけ書き換えたり。もうヒット数取るのに必死すぎるだろっていう。
ええ、途中からただのグチでした。ごめんなさい。俺はもう黙って新聞取って読むことにするよ。
と思ったけど新聞も新聞で一社だけ取ろうと思ったらどこも微妙なんですよ。誰かオススメを教えて。聖教とか赤旗とかそういうネタ以外で。
志村けんががっかりしていたらどうしよう。
昨日も一昨日も志村けんのお話を書いていたのに、今日は少し遅くなっちゃったから。
ちょっとここを読むのが楽しみになってきた志村けんが、なんだ今日は俺のお話はないのかよ
期待して早く帰ってきたのに、なんて少しがっかりしちゃう。
もしも毎日俺のこと書いてくれたら嬉しいのに、最近はお笑いのレギュラーないからちょっと楽しいのに
チンパンジーなんて本当は嫌いなのに、スーパーモンキーズが良かったのに、
だめだそんなこと言っちゃいけない、ブログに書いたら炎上しちゃう。
パブリックな志村けんとして言いたいことを我慢しなきゃいけない辛さ。
公人としての志村けんってなんなんだ。ただのお笑い芸人でいいんだ。
志村けんとしてはあんまりこういういじられ方はないからちょっと新鮮に感じているかもしれないし
本当に楽しみに思ってくれてるかもしれない。
でも絶対読んでないよね。わかってる。
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080923/K
お笑い芸人が話す内容とは思えない、といったことを書いたのが
発端と言えば発端でしょ。
論争するにしても、蹴られるにしても、人様に「笑って」もらえる形にしないと
これを「サブカル論壇のノリ」と書いてしまうid:toroneiさんが
全く理解できないですね。
むしろ、お笑いという文法に則ったやりとりをしようとしていると思うよ。
ガチで言い返すものなんですかね。
西野のノリは、いい意味でも、悪い意味でもお笑い界では特殊でしょ。
最後の
> お笑い芸人に対してだけした、ということは侮っていたということでしょう。
侮っていた、という言葉のチョイスも理解できない。
つまり、態度としては侮るとは正反対の姿勢をとっていたはず。
おそらく、id:toroneiさんは、批判されたらそれに対して真面目に反論する人が
好きなんでしょうね。
ダメかもしんないけど、一応紹介しとく。
http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-518.html
ちなみに俺は、村上ショージとか笑福亭しょーへーとかが
何が面白いのかわかんない。
「1回だけでいいから!」ってのはお笑い芸人の話で聞いた事あるよ。
なんか「試しでいいから付き合って」って言うと付き合える、みたいな話。
そんなんで付き合う女も微妙やなーって思った覚えがある。
うん、告白されて困る事もある、ってのは自分も経験あるから分かってるんだけどねー。
好きになる相手を選べたらなー、って思う事もあるけど、残念ながらそうじゃないからねえ。
でも、もし自分が好きな人から「告白されて迷惑」なんて言われたら、部屋の隅っこで泣いてしまいそうやから、そういうのは、思ってても言わない事にしてる。
化粧をすれば女は変わる!とか、化粧でかなりばけるから!とか女は化粧があるからいくらでも誤魔化せるじゃん!とかいうけど
人間は二通りいるんですよ、すなわち化粧栄えする人間と化粧映えしない人間です
そして私は後者です
ブスの上、化粧映えしない。終わった。
服もちゃんと勉強した。壊滅的なセンスではないはず。
化粧もした。でも映えない。
痩せた。でも美乳じゃない。顔だけじゃなく乳までブス。終わった。
会話のテクみたいな本とか買ってみたけども
美容院すら怖いのに、色々な会合に顔だしたりしてみたけども
合コンとかいってみたよ。何度も。
他の子は全員メアド聞かれてるのに一人だけ聞かれないとかwwwwwwww
露骨すぎだろJK
まあでもめげずにこっちから聞いてみたんよ。そしたら
「ごめん携帯持ってないんだー俺」って言われた。
でもあとから聞いたら、その人、友達と番号交換したらしい。
あれれー?お兄さん、さっきは携帯ないっていったよね?(コナンの声で)
一周まわって笑えてきた。
なんかもういいよ!彼氏とかいいから全然wwwwwwと悟ってみた。友達と遊ぶよwwwwと皆に連絡とってみた。「来週遊びにいこうぜ!」
……。
そう……ですか……サー……セン……
その日は結局一人カラオケだった。まさかとは思うがCと鉢合わせるとかなり気まずいのでわざわざ遠出した。何やってんだろう……
なんかもうあれかな……そろそろ二次元に本腰いれるときが来たのかもしれない。
全然じゃねーか……都市伝説じゃねーか……
寧ろ周りの男子は、「同じ学校(特に同じ学部)の女とつきあったら負け」的な感じの価値観を持っているんですけど……
「手近の地味女で妥協した」と思われるかららしいよ。おいおい言っておくけど私は地味じゃないよ!ブスなだけ!
いそいそと皆、女子の多い私立の大学とかへ向かっていってます。アレか。テニスか。テニスサークルで仲良くなってアレでコレでソレでチョメチョメか。チクショウが。しらんけど。
何?何なんだ?何がそんなにダメ?会話そんなにダメか?服そんなにセンス悪いか?
って、まあ、分かってるんですけどね。顔ですよね。ダメなのは。まあ分かってたけど気付きたくなかった。
あとなんか多分オーラがキモいんだろうな。「爬虫類みたいだね」って言われたもん。爬虫類て。いや、爬虫類は悪くない。爬虫類は結構可愛いよ。お前らは自信持て。
なんか「ベロのばして虫とか食べそうwwwww」って、合コンのとき、ちょっと酔い始めた男が言うんだよね。それで、女たちもそれにのっかってさ。「えーちょっとひどいよwwwww」「でもちょっとだけそうかもwwww」って笑ってるんよ。もうどうしろって。この空間で何をどう努力したらモテるのかと。まあでも自分までのっかっちゃって、てかのっかるしかないわなもう。ピエロになるしかないわこれ。黙ってたら「え…何マジにショックうけちゃってんの…」「てか○○のせいで空気悪くなったよね…」みたいな視線がくるし(てか過去に実際言われた。後者の台詞)、のっかるしかねぇだろ……虫を捕獲するカメレオンの真似とかしながらいつから自分はお笑い芸人になったんだろうと考えてた……いや、ごめん、それは芸人に失礼か……
それで爆笑してることにちょっと気をよくしてる自分がまた情けないよ……どんだけ賞賛に飢えてるんだよ……
この顔は自己責任なのか!
顔のせいにするからだめなのか!いや、いっそ、そうしかってもらいたい。「顔のせいなんかじゃねーよ!性格のせいだよ!」とか。だったらまだ直しようがあるってもんだろ。寧ろしかってくれ!いつも「女は顔ばかり見る」っていってるくらいだから、男は顔で判断するわけないよね?ないよね!?そこに一縷の希望を見出したい。
そういえば「○歳すぎたら、その顔は自分の責任!」っていうけどバカいうな!無責任にバカ言うなホント!○歳すぎたら劇的に顔が変わるわけじゃねーのにどうしろってんだよ!いわく気持ちが顔にでる、性格が顔に出る、だのどーのこーのバカッ!そんなんチョモランマに対する、子供が作る砂の山くらいの効果しかないよ!そんな精神論、所詮造形という厚い壁には勝てないよ!美人がにっこり→「優しい人だなぁ」:ブスがにっこり→「なにあいつニヤニヤしてんだ…キメェブス…」
最近なんだか脳内彼氏の性格と姿に一貫性が出てきたから、フィギュアにしてみようと思って作り始めた。もうこれが完成するまでに彼氏ができなかったら、これを彼氏にするわ。色んな漫画キャラからいいとこどりしたキャラだから最強。しかもこれ三次元だからね!二次元じゃないから。れっきとした三次元の彼氏だ。これは普通に「彼氏できた」って誇っていいと思う。うおおお創作意欲わいてきた!!!ディティール作りこむぞ!!!!!!!!
[TV] 戸田恵梨香さんの踊りが正直きつい-おれはおまえのパパじゃない
http://d.hatena.ne.jp/kowagari/20080906/1220662992
これ読んで、最初は「あれ?どんなCMだったけ?」と思ったんだ。けどhttp://www.m-wm.com/cm/asx/demio_cm_passion15_512k.asxこれを押した瞬間後悔にも似た感覚に襲われた。
僕自身CMってあんまり覚えてないんだけれど、ZoomZoomを聞いた瞬間すぐに思い出した。
初めてこのCMを見たときから「下手糞だなぁ」と思い失笑しながら見ていた。まぁ別にどうでもいいことなのであえて口には出さなかったが、一緒にテレビを見ていた妹が「踊り下手じゃない?」といったことで、「あ、他の人から見てもそうなのか」と思い妙なインパクトがあった。(もちろん僕が踊れるわけではないし、ダンスのダの字も知らないが)
口で言うのは難しいけど素人が演技しているような気持ち悪さ、お笑い芸人なのに恥ずかしがってる雰囲気と同じものを感じた。
もうちょっと時間かけて撮らないと・・・イメージもなんか悪いよなぁ
追記
面白い記事も見つけたので。
まあ、端から雰囲気的にノリ気のしなかった合コンだったからね。俺の態度も悪かったし。
太っているけれども、健康な人。痩せているけれども、不健康な人。
太っていて、痩せようと頑張る人。痩せているけれども、まだ太ってると思いこんでいる人。
日本には色々な女性が居ます。一緒に働いているアメリカ人とインド人はよく「日本の女性は不健康な位痩せてるね。痩せてて胸もないと可哀想になるね」と、言います。そんな人達の間にいる私はぽっちゃりなので外人には好評ですが、日本人には受けが悪いです。「生まれる国を間違えたね」と、アメリカンに励まされたりもします。
身長が165cmあるのにハイヒールを履いたりするので、満員電車で良く前に立った女性の頭を胸で押してしまう事もあります。その度に不快な顔でにらまれます。巨乳でも体重が40キロ代だったら「素敵」と、なりますが、50キロ代以上だったら「デブ」「醜い」と、なります。この国では、偽乳はありでも巨乳はなしです。
細くても足がちょっと太かったりするとデブと認定されます。服のサイズが上下ともSサイズでなければ駄目です。上下バラバラのサイズなんて言語道断です。それが美しいのです。
会社の女子あこがれの的になっている先輩は、ジムに通って割れる腹筋を手に入れた女性です。体脂肪率も有り得ない位な数字をはじき出しています。でも、その腹筋を見る度にボディビルダーを想像してしまう自分は、負け組です。
先日もテレビでお笑い芸人の人が「太っちゃったから、ダイエットしたの」と、話していました。その番組は毎週欠かさず見ているのですが、その女性が何時太ったか分かりませんでした。何時も彼女は棒のように細い手足と、ぺたんこの胴体をしていて、まるで人形。彼女は過酷なダイエットに成功して痩せたそうですが、太ってしまった体重が45キロで今は43キロで「普通に戻った」そうです。その話を聞いていたパーソナリティーの人も、痩せすぎとも言わずよかったねぇと、男性なのに言っていて、いつの間にかこの体重が普通になってしまったようです。まさに知らぬ間に。
でも、健康的で見た目もいい体重って何キロなんでしょうか。痩せようと悩んでいたら、会社のイタリアンが「最近イタリアでも、お母さん見たくなりたくないって女の子、みんなダイエットして、死んじゃう子もいっぱいだよ」と、過激なダイエットは止めろと言いましたが、やはりこの国で暮らして行くには痩せなければなりません。
服はSサイズ、またはMサイズの小さいの。Lなんか有り得ないという風潮の今。何処が太ももか分からない細い足に細い腕。骨の浮き出た胴体に小さなお尻で、小顔。胸はあればいいけれども、無くても美しい。それが今の日本。小学生もダイエットしていると、主婦になった友人にこの間言われました。なんでも小学生向け雑誌にダイエット特集が普通に載ってて、みんなそれを読んで痩せなきゃ!と、必死になるそうです。
「友達の誰かが2キロ落ちたって言うと、他の子は3キロ、4キロって痩せてって……クラスで太ってる子、ひとりしかいないわよ」時代は変わったようです。私が子供の頃は、肥満が健康児だったので、クラスの肥満児はちやほやされていましたが、今は違うんですね。
さて。簡単確実に細くなる方法ってないのかしら。ピザが日本から居なくなる日まで……ガリガリだらけになる日まで……がんばるっきゃないな。
その子がどんなことを思っているかは知らないけれど、プロってほとんどが今時の言葉で言えば
お笑い芸人って自分+相方でネタを作って稽古して披露するというイメージがあるけど、
「エンタ」は番組スタッフが数人ついて、チームでネタを作ってるんだって。
だから古いタイプを目指している若手芸人にとっては「他人の台本をやるなんて!」と不評だが、
「とにもかくにも売れないとお話にならない」と出場する芸人もいる。
マンガ家だってほとんどが「編集者の作ったストーリーをマンガ化、作品化する」仕事だろ。
この文脈でいって、「何かが違うだろ」の「何か」って何?
データはこちらから借りてます。何人か増やしてますが。
誕生日データベースhttp://thebirthday.net/y/1982
自分も82年でデータベースを見てたらなんかすごいなと思ったので取り上げてみました。
結構すごいと思うんですがどうですかねw?まあ他の世代も充分すごいんですがw
これ以外にも居ると思うし知らない有名人もいっぱい居ると思いますw
あと有名な犯罪者も入れてます。
自分はソニンと加藤あいと藤原竜也などが同学年なのに驚きました。
年下と思ってたのでw
まあ興味あったら見てください。
1982年 4月21日生まれ 安田美沙子 タレント・グラビアアイドル
1982年 4月24日生まれ イリーナ・チャシナ 新体操選手
1982年 5月22日生まれ アポロ・アントン・オーノ ショートトラックスピードスケート選手
1982年 6月21日生まれ ウィリアム王子 英国・チャールズ皇太子の長男
1982年 6月29日生まれ 矢嶋佑 映画監督・演出家・プロデューサー・実業家
1982年 8月13日生まれ シャーニー・デービス ショートトラック/スピードスケート選手
1982年 9月9日生まれ 大塚愛 シンガーソングライター
1982年 9月13日生まれ 出雲阿国 (お笑い) お笑いタレント
1982年 9月15日生まれ エジミウソン・ドス・サントス・シルバ サッカー選手
1982年 9月27日生まれ 中田敦彦 お笑いタレント(オリエンタルラジオ)
1982年 9月28日生まれ 加藤智大 秋葉原通り魔殺人事件容疑者
1982年 10月5日生まれ 吉田 沙保里 レスリング 金メダリスト
1982年 10月6日生まれ 伊調 千春 レスリング 銀メダリスト
1982年 10月10日生まれ 中野大輔 体操選手 アテネ団体金メダル
1982年 11月10日生まれ ザ・たっち角田拓也・角田和也 双子お笑いコンビ
1982年 11月22日生まれ たかし ミュージシャン(R.O.B)
1982年 12月13日生まれ 恩田美栄 フィギュアスケート選手
1982年 不明 伊藤ちひろ 脚本家 美術スタッフ スカイクロラなど
1983年 1月4日生まれ 植村花奈 シンガーソングライター
1983年 1月14日生まれ 上原多香子 歌手 | 元SPEEDメンバー
1983年 1月19日生まれ 宇多田ヒカル シンガーソングライター
1983年 1月20日生まれ 矢口真里 歌手 | 元モーニング娘。メンバー
1983年 2月8日生まれ 篠宮暁(オジンオズボーン) お笑い芸人
1983年 2月23日生まれ 近藤春菜(ハリセンボン) お笑い芸人
1983年 3月13日生まれ 桜井良太 バスケットボール選手
1983年 3月17日生まれ 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) お笑い芸人
一通り見て思ったけど男性歌手少ないねwてかいなくね?もっと頑張れよww
まあ現実的な話をすれば、お笑い芸人養成所を卒業して舞台に上げてもらう、ってだけでとんでもない競争率で、確率から言って「ほぼ無理」って言っていいくらいなんだけどね。
そんで超人的な運のよさと努力で舞台の端っこに上げてもらっても継続して舞台に上げてもらえるようになるのがこれまた信じられないほどの難易度。
さらにテレビの端っこに写ることができるかできないかなんつったらこりゃもう普通に考えてあり得ない。
そういう世界なんだけどね。
これは比喩ではない。「お笑い芸人」という職に就けば、モテる。これもう確実に、モテる。
ワナビやアマチュアではいけない。プロのお笑い芸人だ。なるべくなら、どんなに小規模でもいいから"定期的に"所属芸人のライブを行っているプロダクションが望ましい。
お笑いライブの女子観客率は、半端じゃない。それも、制服を着た女子高生から、ミニスカやホットパンツのギャル系、チュニック着たカジュアル女子、変な眼鏡のサブカル系、フォーマル着用の社会人、一通りのタイプがいる。ちなみにちゃんと熟女もいるが、これは大体が芸人の母親なので、モテとは少々違ってくる。
話を戻す。ライブでは女子ほぼ全員が「笑いに」来ている。明らかに「お笑いを見に」来ているのではない。多少滑っててもほんとに面白くても、同じようにケタケタゲラゲラ笑って、舞台上の芸人に熱い視線を注ぐ。
ライブが終われば彼女らは出待ちをして、お目当ての芸人が出てきたら駆け寄って騒ぐ。これがすごい。どんな芸人にもファンがいる。
もちろん、出待ちの輪には人気によって大小の差があるが、”イケメンでバカ”で売っている芸人にはそれなりの数が群がり、ブサイクが売りのコンビにもそこそこファンが集まってて、ダダスベってた新人にさえも「面白かったです!」と声をかける女子がいる。
そうして出待ち女子たちは
「毎回同じアイテムを身につけて手紙を渡して、顔を覚えてもらう」とか
「ライブが終わったあと声をかけて、直接次回のチケットを買って気に入ってもらう」とかの、
”芸人に食べてもらうためのテクニック(下品な表現で申し訳ないが、事実だ)”を伝授し合っている。
芸人は全員が全員、モテている。そして全員が全員、お笑いのクオリティが高いわけではない(正直、スタッフとしてずっと見てなきゃいけないのが辛いコンビもいくつかあるくらいだ)
というわけで、ライブに出れるようにさえなれば、モテの道はすぐそこである。これはもう確実である。
舞台技術者として2社程お笑いライブに関わってるが、どっちも女子の気合いがすごくて怖いくらいである。
お笑い芸人についてと言うより出待ち女子のくだらなさについての悪意溢れるエントリになってしまったのは、先日私が彼女らの一人に突き飛ばされ軽く負傷したからである。腹が立っているのである。
調光ブースに入ろうとしたら後ろから押しのけられて額を打ったあげく振り向いてみたら女子高生が「ここ楽屋ですか?」ってちげーよ!見て分かれ!扉にゴシック体で「調光室」って書いてあるでしょうがよ!
結局謝罪の一言すら貰えなかったので私は本当にお笑いファンなる女子に恐怖を覚えるものである。ちょっと周辺からの苦情も怖いのでプロダクションの制作さんに思わずファンをなんとかしてくれとお願いしてしまった。お笑いライブ出禁にだってできるんだぞ!
いまどきこういうことをmixiやblogに書くと炎上するので、増田でぷんすか書き散らして鬱憤を晴らしてみる。
でもまあそんくらい気迫に満ちあふれたモテを経験することができるはずだから、
あ、ちょっと判る。発想の逆転だよね。
不幸な過去を負の記憶としてじゃなく、それをポジティブに活用できる人はきっと強い人。
お笑い芸人に多い気がする。ホームレス中学生とかヒロシですの人とかメッセンジャー黒田とか。
辛い過去をそのままグチグチいかずに、どうだすげーだろ!って方向に持って行ったほうがお互いハッピーなんだけど。難しいよね。
ってことで自分も不幸自慢をできるだけハッピーにやってみます!
昔、昼休みに教室で本を読んでたら女子が集団で「ジャンケンして負けたら俺に声かけて触って帰ってくる」ゲームを始めました☆あるあるー!
昔、学校のイベントで男子が全員女子の制服を着て小芝居をやるとき、俺だけ先生の配慮で舞台裏でナレーター役でした☆あるあるー!
もっと昔、学芸会の劇で俺と手を繋いで出てこないといけない女の子が本番当日に自宅で泣き通して欠席しました☆あるあるあるー!
しかも何故か「お前が悪い」という事で、学校から謝りに行かされましたが玄関で帰らされました☆☆☆あるあるあるあるー!
こんな感じ?
分かってるんだろうけど、そういう女は別にスイーツ(笑)とは言わないよ。
スイーツって言うのは
もっとどぎつい時代錯誤的なバブルを含んだ意味合いがあると思う
今ちょうど30を迎える層から上にはそう言うのがいっぱいいて
まずね、「自称お笑い通」とか「自称お笑い評論家」が大嫌いってのがあるんだけどね。
お笑いバラエティ番組をムッツリした面さげて眺めてさ、所詮好き嫌い程度のレベルの物事をわざと論説ぶって言って、
他の奴と違って自分は分かってる、みたいな風にしてんのね。
中には自分では何も作り出せないし人前に出るなんて滅相も無いのもいる。
ふと、赤絨毯とか見てて思ったんだけど、芸を打つ人が、番組中のヒエラルキーの中ですごい低い位置にいんのね。
ベテランの役者タレント芸人ならまだしも、何ができるんだかわかんないタレントもどきの若い人から「評価」されてんのね。
「見てあげてる」ってなっちまうんじゃないかな?
まあたしかにどうしようもない芸人とかいるよ。
けどさ、そこまでお笑い芸人ってのは低く見られるもんなのかな?
つーかさ、ああいう番組の作りが多いとさ、困るんだよね。
「どこまでが自分(もしくは自分の延長)なのか」って問題はでかいよね。
お笑い芸人とかで、発想とか発言で笑わすんじゃなく体が変とか顔が変とかで笑いを取ると評価されない傾向があるのは
発想とか発言=自我の部分=その人そのもの
体や顔=自我以外の部分=道具=外部
ドラえもんでのび太が上半身と下半身に別れて別々に行動できる回があって、そのとき下半身がクーデターを起こすんだけど
つまり自分の身体でさえ本当は自分ではないのではないかって言う。
で、そういう自意識の解体はまったく逆ベクトルの方向にも行くことがあって、自分の体は自分じゃないか、先祖や子孫や家族や親戚も自分じゃないか、自分と近い種族も自分じゃないかみたいな解釈は発生しうると思う。
それもこれもどこまでが自分かを規定する決定的な要素がないためにいかようにも解釈可能、分類可能だっていう部分があるからだよね。
だったら適当に自分の感覚にハマった分類をチョイスすればいいと思うのよ。
これはなにも一方向だけじゃなくて、例えば人種民族ってワクを採用せず、男と女というワクを採用したりもできるんだし、
分類のやり方は千差万別。誰かが新しい分類方法を発見すると、ああそういう分類もあるよねってなって
そういう風にしか見えてこなかったりするからね。そもそも学問上の生物の分類だってけっこう適当だったりする。
界門綱目科族種なんてねえ。