「どこまでが自分(もしくは自分の延長)なのか」って問題はでかいよね。
お笑い芸人とかで、発想とか発言で笑わすんじゃなく体が変とか顔が変とかで笑いを取ると評価されない傾向があるのは
発想とか発言=自我の部分=その人そのもの
体や顔=自我以外の部分=道具=外部
ドラえもんでのび太が上半身と下半身に別れて別々に行動できる回があって、そのとき下半身がクーデターを起こすんだけど
つまり自分の身体でさえ本当は自分ではないのではないかって言う。
で、そういう自意識の解体はまったく逆ベクトルの方向にも行くことがあって、自分の体は自分じゃないか、先祖や子孫や家族や親戚も自分じゃないか、自分と近い種族も自分じゃないかみたいな解釈は発生しうると思う。
それもこれもどこまでが自分かを規定する決定的な要素がないためにいかようにも解釈可能、分類可能だっていう部分があるからだよね。
だったら適当に自分の感覚にハマった分類をチョイスすればいいと思うのよ。
これはなにも一方向だけじゃなくて、例えば人種民族ってワクを採用せず、男と女というワクを採用したりもできるんだし、
分類のやり方は千差万別。誰かが新しい分類方法を発見すると、ああそういう分類もあるよねってなって
そういう風にしか見えてこなかったりするからね。そもそも学問上の生物の分類だってけっこう適当だったりする。
界門綱目科族種なんてねえ。