はてなキーワード: お笑い芸人とは
33にしてようやくわかった。
まあ、発見したのもほとんど偶然なんだけど、実際に意図的に試したらすげー効果だった。
これマジやばいわ。
まあ、具体的な方法というより、コンセプトを説明したいと思う。(なぜなら本質を理解することが重要だから)
まず、もてるとは何かというと、女が理想とするような男のイメージを自分に投影することであり、
それが重なり合った時に、女はアトラクトされるわけだ。
でも、女の好みなんて分からないし、そもそも女のイメージなんて女固有のもので、男には本来備わっていないもの。
いわゆるもてようと必死な男というのは、そのイメージをなんとか具現化させようとするわけだけど、
ほとんどの場合、それは空回りに終わる。
そこで発想を変える。つまり、自分の情報を極端に抑えるわけだ。
自分の情報を抑えると、女は自分のイメージを投影しやすくなる。
まあ、具体的にどうすれば良いかってのは、頭を使って考えてほしい。
これが上手く行くと、「なんかあの人雰囲気あるよね!」という感想になる。
じつは「相手に好きなようにイメージさせる余地を残す」というのはエンターテイメントの基本的な考え方なんだけど、
お笑い芸人とかがもてるのもこれを肌で理解しているからなんだろう。
まあ、なにはともあれ、俺の30代は楽しいことになりそうだ。
彼が何者かというと、サバンナというお笑い芸人の高橋が考え出したピンネタである。
もともとはコンビネタでやっていたが、いつしかピンでやるようになったわけだ。
この犬井ヒロシというのがどういうものかというと、グラサンにTシャツジーパン姿でギターを持って歌いながらネタをやるといういつも同じパターンだ。
ブルースのメロディにあわせて歌を歌うわけだが、その内容というのが例えば
回転寿司屋に行った時の話やけど
回転寿司屋に行ったときにお醤油を一皿一皿たらしていくのか それとも一皿目に取ったお皿のお寿司をたいらげてしまって そのお皿をお醤油入れとして使うのかは・・・ 自由だ~!!!!
お醤油 is freedom お醤油 is freedom お醤油 is freedom お醤油 is freedom
でもレーンを流れてるやつの中に自分が希望しているお寿司がない時
それを頼むのものすごい勇気いるで!
こんな感じだ。
喫茶店で近くに座っていたカップルの男が彼女に対して自信満々で話をしているのだが、実はその話が思いっきり間違えててそれを注意してあげるのか、注意してあげないのかは・・・自由だ~!!!!
みたいなのもある。
彼は常に自由を求めているわけだ。
そして自由を求めて歌い上げる。
しかし彼は気付いていない。
二者択一までいっている時点で全然自由じゃない。
カップルの話の場合は、そもそもそこに居なければそんな不自由な二択を選ばないという自由が存在したはずなのだ。
彼はカワイソウだ。歌えば歌うほど、彼には自由がまったく無いことがわかってしまう。
電車でギリギリおばあちゃんっぽい人に席を譲るかどうか自由だ。
自転車で人が邪魔な時にベルを鳴らすか、ブレーキ音を使うかどうか自由だ。
彼が自由を歌い上げる場合、それは必ず不自由な二択しか存在しない。
彼は自由意志によって行動を決めていると思っているが、実はそうではないのだ。
だから俺は彼にこのブルースを奉げよう
犬井ヒロシの歌についての話やけど
犬井ヒロシが「自由だ!」と歌ってる歌はほんとは全然自由やないんやでって注意してあげるのか いやいやアレは自由やんね、自由の一種やんね、俺はわかってるで!的な同情で妥協して注意してあげないのかは・・・自由だ~!!!!
自由だっーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
元増田です。周囲からの評価と自己評価についてそれぞれ追加します。
無様な最期を遂げたあのお笑い芸人集団か。
http://anond.hatelabo.jp/20080708001902
約一年前にこれを書いた。
(まだ学生だけど)とりあえず仕事で、研究で役立たずにならないように、とにかく「正しい答え」を探す方法を身につけたいと思って
ビジネス関連の本を読んだ。ロジカルシンキングとかクリティカルシンキングと呼ばれるようなスキルです
それで身に着けたスキルを実際に使うように心がけたら、
ある一定のプロセスを踏んで考えれば問題点はそこそこ発見できるし、
因果関係のズレなどをチェックすれば、他人の曖昧な意見に批判を加えることは簡単にできるようになった。
でも、自分の思想、信条、感情に関わる質問、「あ な た は どう思うの?」という問いには未だに弱い。
だって、正しいかどうかしか考えていないもの。どうしたらもっと良くなるかしか考えていないもの。(←かっこよく言い過ぎた。どうしたら他人から筋の通った意見と思われるかばかり気にしている。)
考えてみれば雑談でもそうだ。
「あの映画どうだった?」
「あああれなぁ、あのシーンが○○○」←気に入ったシーンについて詳細に語る。作品内の表現という枠から一切飛び出ず、良かった点を挙げて「良かった」と言って終わり。
お笑い芸人について話していても「あいつって○○らしいよ」とかWikipediaに載っていそうな小ネタを挟んだり、「あの番組でこんな事言ってた」とか、とにかく実際にあったことや事実でしか喋れない。
飲み会だってそうだ。とにかく実際にあった面白い話を面白く話すか、そうでなければ全くの適当な話をする(関西っぽく"ノリ"みたいにアドリブを重ねていく感じ)のみ。
みんなが感情をモロに出したような熱い話とか、深みを感じさせる話をしだすと、
僕はこの方面では期待されてない空気を感じるし、「俺はこういう話はホントできないなぁ」と思いながら人の話に頷いている。
昔大阪、今は東京に住んでいるけど(出身は東京でも関西でもない)
東京でいう「ボケとツッコミ」というコミュニケーション形式は、
お笑い芸人やバラエティ番組が大阪文化をもとにコモディティ化して定着させたものであって、
まさにそれ。
東京でいう「ボケとツッコミ」とは、要は東京発のバラエティ番組のカルチャーに則るべしということだから
ネイティブ大阪人にはかえって不自然に感じる(ように思える)。
テレビ的な「ボケとツッコミ」なんて、むしろ大阪では吉本興業の劇場以外では見かけない。
逆に、東京の「ボケとツッコミ」はそれ自体がお約束化している。
お笑い芸人の真似事という共通の話題がなければコミュニケーションできないというディスコミュニケーションは
なんか最近また差別問題が絶賛好評中らしくて、差別はやめようとかいう社員研修を受けた。
北海道出身なので、差別差別と騒いでるほうがよっぽどウザイ。これ、北海道人みんな感じてると思う。
北海道人はそういう出自で差別するとかが感覚的に全く理解できない。「え?何が得するの?」ただでさえおっとりしてんのに、収穫が増えるわけでも大漁になるわけでもない儀式に参加するほど暇じゃない。そんな暇があったら家でゆっくりゴロゴロする。
その研修でどうも釈然としないのは、ただ差別はいけない、やめましょうというだけで、根本的な解決方法というものに全く触れていなかった。
挙句に、差別があることをしっかり認識しなさいとまで言い切っていた。何で差別と係わり合いの無い人の首根っこを捕まえて「差別があるんだよ、差別が! 差別すんなよ、絶対だぞ、分かったか!」って言わなきゃならないのかと思った。
アツアツのおでん。
お前、分かってるだろうな! 絶対俺に触るなよ! 絶対だぞ!
わかってるわかってる!
ドンッ! ビチャ!
うぁあああああああああああっちーーー!!! ギャーーーー!
まさにこれと同じことをやっている。お前は上島か!っと内心思った。
何が酷いって、「被差別部落問題を知らなかったのに、知ってしまった為にそれに加担した。」と言う人の例を挙げて、普通の人でもこうなってしまうみたいなことを説いていた一方で、知らないでは済まされない、差別があることを認識して周知せよ、でも差別するな。と、差別を無くしたいのか増やしたいのかまったく訳がわからない。
この普通の人は「インターネットで被差別部落問題を知ったのでついやってしまった」みたいなコメントであったが、そもそも知らなければやってなかったんでしょ? 差別を認識するから差別が起こるのに、それを宣伝して回るってどういうことなんだろ。
差別問題を風化させるのは良くない、よーく認識せよとか言っているが、大人がそんなことで大騒ぎしなければ、子供同士はそんなこと全く意識せずに仲良く遊んでいられるんだよ。「お前は差別されてる人間だ。」「お前は差別している人間だ。」大人がそう言った瞬間にドッガーン!と分厚い壁がせり出して、二人の関係は修復不可能なしこりを残す。
近くの公園では白人の子供も黒人の子供も東南アジア系の子供も、もちろん日本の子供も何も問題もなく遊んでる。そりゃあ喧嘩もすることもあるが、おもちゃとか砂場の領地のとりあいだったり滑り台の順番だったりで、相手の見た目で喧嘩している子は1人もいない。この公園では大人は介入しないのでそれが良いんだと思う。
差別問題なんてきれいさっぱり忘れたその瞬間にそれ以上の差別はなくなるんだよ。口実がなければ差別しようがないし、しようという発想にもならない。
とは言っても、差別が完全な利権と化した状況では、そういう本来の目的とは別に状況を維持しつづけたい勢力がいるもんだから、差別して無くても差別されていると主張する人が居なくならないんだが。
もし、当事者で差別問題を本気で解決したい人がいるならさ、引っ越せばいいじゃん。戸籍分割して本籍変えればいいじゃん。
で、東京に来たらいいじゃん。あんたの出自なんてだれも気にしないから。好かれるか嫌われるかの評価は、アンタの話が面白いか面白くないか?それだけだから。戸籍を遡ってまであんたらを調べる暇人いないから。せっかく若い世代では風化してるのに、自分たちで蒸し返すこと無いでしょ。
もし、部落だのなんだの言う奴が居たら、逆にどん引かれて二度と呼ばれないから。
それはいや、戸籍が自尊心だ、変えたくない、引っ越さないって言うなら・・・
だったら自信持って堂々としていろ! ガタガタ抜かすんじゃなーよこのすっとこどっこいが!
アタシはあんたを差別しているほど暇じゃない! そんな暇あったら家でケーキでも焼くわ! 昨日作った焼きプリンは我ながらウマカッタ。
出版は老舗の雑誌が次々と廃刊し、テレビは視聴率低下によって広告離れが起き、音楽は久しくミリオンが生まれていない。
一方、ネットの世界に目を向けてみるとニコ動、youtube、pixiv、twitter等々、様々なサイトが盛り上がりを見せ、大きなうねりを生み出そうとしている。テレビ等の既存メディアとは対照的だ。
だがしかし、言ってしまえばネットのコンテンツはどれもこれも素人の提供する予算もクオリティも低い代物である。
長らく映画ファンの間では邦画がつまらない理由は「ハリウッドに比べて予算が少ないから」と言われてきた。
何故、既存メディアの提供する潤沢な予算で作られたプロのコンテンツよりも、ネットのコンテンツが支持されるのだろうか。
ネットのコンテンツの中には、企業制作の予算のかけられたコンテンツも存在するが、それらも不思議と支持されていない。何十分の一、何百分の一の予算で作られたyoutubeの動画の方が支持される。
この現象を紐解くために、低調な既存メディア内において、根強く支持されるコンテンツに目を向けてみよう。
そうすると人気バラエティや人気お笑い芸人に対して、「脱力」だとか「ゆるい」だとかのキーワードが頻出していることに気づく。
二つとも、元はマイナスな意味を持っていた。「脱力」は「落胆」と同義だったし、「ゆるい」の場合は、例えば「ゆるキャラ」は当初は嘲りの目線が多分に含まれていた。
ここでは「脱力」「ゆるい」を総じて『ロウ』と呼称しよう。
今、世の中で支持されているものはそのほとんどが『ロウ』なものだ。
お笑いのネタ番組はキッチリと構成されたコントを見せるものから、数秒の一発ギャグを次々と見せるという『ロウ』なものに変化したし、別の潮流の『すべらない話』も人がいてただ面白い話をするだけ、という『ロウ』なものだと言える。
深夜バラエティがゴールデンに行って失敗するのは、『ロウ』なものから予算のかけられた『ハイ』なものになってしまったから、と言える。
そして、『ロウ』なものが何より一番溢れているのは、そう、インターネットの世界だ。
素人の一個人がお金をかけずに作った動画なんて、「ロウ」としか言いようがない。
では、何故『ロウ』が人々の心を惹きつけるのだろうか。
その答えは、コンテンツ産業の中でいち早く不況に見舞われていた出版業界を見ればわかる。
出版業界では90年代半ばから「出版不況」と言われるようになったが、既に80年代には「活字離れ」と言われる現象が起きている。
「活字離れ」という状況下で、それでも数百万部売れるベストセラーは、「文章力がない」「素人が書いたようだ」と書評家が酷評するという奇妙な現象が起きていた。
ここでも『ロウ』が支持されるという状況が立ち現れたのだ。
評論家の中島梓は著書『ベストセラーの構造』にて、「私にも書けるかもしれない、というアマチュアの親しみやすさ」が支持される要因だ、と分析した。
四半世紀経過した現在、まったく同じ分析が下されたネットのヒットコンテンツがある。『初音ミク』だ。
ネットには『ロウ』が溢れている。『ロウ』の「アマチュアの親しみやすさ」が人々を惹き付け、「私にもできるかもしれない」と思わせる。その思いは初音ミク等のソフトウェアがサポートし、発表する場所はネットが与えてくれる。そうやって生まれたコンテンツを見た人がまた同じ思いに駆られ……ネットはそうやってぐるぐると回り続ける。
地デジはおそらく失敗するだろう。何故なら双方向を視聴者からのリアクションしか想定していない。ネットの双方向は、互いに作りあい刺激しあうことだ。
一億総クリエイター社会では、受信機は同時に送信機ではなくてはいけないし、コンテンツを見る場所は同時にコンテンツを発表できる場所でなくてはならないのだ。
それはお笑い芸人を目指す奴にマネージャー業をすすめるようなもんだからなあ。将来を見越した進めでも、本人は納得しないだろうな。
2)自称元警視庁刑事の北芝さんが著書に書いた「コンクリ殺人事件にはお笑い芸人が関与」について、北芝さんご本人から公に説明して欲しい。
http://www.amazon.co.jp/治安崩壊──凶悪犯罪社会を生き抜くために知るべきこと-北芝-健/dp/4309243290%3FSubscriptionId%3D0G91FPYVW6ZGWBH4Y9G2%26tag%3Djeffbeck-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4309243290
これを詳しく聞きたいなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20090205093759
だからさ。笑いの質が「いじめ」に起因していると、いっときは笑えても、だんだん笑えなくなるんだよ。なぜか? 最初は「自分とは関係ないフィクションだから」と思っていられるんだ。でも「いじめ」というのは、どこにでもあり、誰の心にもあり、しかも、自分がいつ加害者になるか被害者になるかわからない、という、普遍性の高いものだから、ネタを見ているうちに、やがて、心当たりのあるシチュエーションが出てきてしまうわけさ。そうなると、もう他人事とは思えない。昨日までゲラゲラ笑えたネタが笑えなくなる。
そんなこと、他の誰より、お笑いに精通しているお笑い芸人が知っている。
具体的に言うと、「きれいな顔が変な顔になる落差で笑わせる」というのなら、芸人本人が笑われるだけで問題ない。でも、「変な顔を強調して笑わせる」となると「変な顔(と思われている)の人」全員を笑うことになってカチンとくる人が現われるわけだ。
http://anond.hatelabo.jp/20090204213106 が微妙にブクマされてたのでちょっと続けてみます。
まず、これは完全に自分の現時点での独断と偏見なのでアレなんですけど、でも先日の番組(ロンハーのドッキリ)に関して
ネット上で不快感や異論を唱えている方は多数見受けられますが、その割にオフラインでは全然見かけないんですね。
昨日から友人関係や会社であの番組が話題に上がっても、まあ「面白かった」「狩野がいい味出してた」的な感想に収束する。
で、その違いを考えた時に、これはもうミもフタもない話だけど、
『お前らの中で「自分はいい奴、良識のある奴アピール」するためにわざわざテレビを斜めからくさしてる奴はいないか?』と思ったこと。
ネットって表情や気分でのコミュニケーションが難しく、どうしても文字をこねて理屈っぽくなるから、そこで自己表現する材料として
「私はあんな番組、笑えないな」って言いたいだけちゃうんかと。「私は低俗な視聴者とはリテラシーが違うんですよ」したいだけじゃないんかと。
そんな良識って何かね、っていう。
後もうひとつ、あの番組から「悪意」を読み取って不快になる程度の偉そうなリテラシーって何かね、っていう。
これも私の勝手な感想に過ぎませんが、少なくとも私はあの番組からは終始、狩野という1人の芸人に対する愛が溢れていたように感じました。
あの男のキャラを、生き様を出演者やスタッフが愛してやまないから故に丁寧に仕掛けを積み重ねて、大舞台を用意して、見せ場を作って。
あれが「1人の男を悪意を持って貶めてやろう」という姿勢で作られているようには到底思いませんでした。
また、あれが貶める意味で放送された番組なら、本当に1人の芸人を笑うのではなく嗤う意味で作られた番組ならば、
なぜ私がオフで出会う人々はみんな「やっぱ狩野は憎めないわーw」的な、好意的な感想を言うのでしょうか。
「やっぱアイツマジで最低だわ。早く死ねよ」的な感想を言う人が居てもいいと思うのですが。
そもそもそんな意味で貶めたい芸人には舞台を用意しないでしょう。1枚2枚3マイケルの人のように誰からも嫌われたなら、それはただ居場所を静かに失うだけです。
そんな舞台を「イジメの助長だ」的な見方で批判する人って何なんだろう、っていう。
そんな事を綴りたいエントリの、ちょっと言葉足らずだった分の補足でした。
さらに妄想と言われると思うけど補足も補足:
さらに付け加えると、これも完全に独断ですがあの期間中、きっと狩野は「これはドッキリではないか」と考えたことも少なくなかったように思います。
いくら彼が純粋でバカでナルシストでも考える頭を持った人間です。絶対にその可能性はどこかで持ちながら戦っていたように思います。
そして、たとえドッキリであってもそれを台無しにしないよう、精一杯騙されていた(もちろん現実なら現実で嬉しいと思いながら)ように思います。
そう思えば、あの番組は1人の芸人とテレビの世界の、相当に見応えのある規模の騙し騙されあいであったのではないか、と。
もっと言えばダチョウ倶楽部が熱湯の上で「押すなよ、押すなよ!」ってやるアレの超超超豪華版だと。
アレを今更「押すなよって言ってる人を押すなんて可哀想!」なんて、無粋にも程があるだろ?っていう。そういう風に、私は見ていました。
http://anond.hatelabo.jp/20090205085352
笑いの質(笑)を求めているのは見る人なの? 芸人なの? まずはそこをハッキリさせよう。
笑いの質っていうのは無毒なことなの? 多くの笑いをとることなの? 人を感嘆させるテクニックのことなの? そこもハッキリさせようよ。
「納得ずくでやってることだから文句言うなって?」
http://anond.hatelabo.jp/20090204220010
の人が言ってる笑いの質は、見る人が求める、無毒なことだと思うんだけど、芸人が求める笑いの質はまた全然違うだろう。