はてなキーワード: 受診とは
1年半ぶりに体調が悪くなり、大事に飲んでいた頓服の薬が無くなったので、病院に診察を受けに行った。
前は予約するよう言われたので、「予約したいんですけど」と申し出たら「今月は予約枠はいっぱいなので、一般診療の日に来てください」ということだった。人気の病院だから混み合ってはいたが、1時間ほどの待ち時間で診察を受けられた。
で、次の受診日の話を看護師さんとしていたら「予約じゃなくて、一般の日に来てくださいね」と念を押された。それで予約したいなどと言われるのは迷惑なのだと気がついた。
病院を予約するってのは、特別なお得意さん患者ということなのだろうか?
私は病院の予約システムというのは「お医者さんが患者数を制限するためにすること」だと思っていた。外来に患者が詰めかけて3時間待ちになろうとも、「待ちます」と言われれば、お医者さんは診療拒否するわけにはいかない。日によっては、ご飯も食べずに診察ってことになることもあるだろう。だから、時間に余裕をもって診察出来るように、15分ごとに3人とか、1時間ごとに6人とか、決めてしまい、それ以上は診なくても良いようにするシステムだと思っていたのだ。「今日は予約の無いかたは診ません」と大義名分をかざせば、よほどの急患でない限り帰るしかない。歯医者さんに行って予約だけして帰ってくるなどということは日常的にある。
病院に行くのは半日から一日仕事で、病院行く日はほかのことが出来なくて当たり前という、私の感覚が変なのだろうか? ちょっと混み合う病院では、9時の予約で診察時間は11時とかざらにある。今行ってる病院もそうなので、運が良ければ予約するより一般で行ったほうが早く診てもらえることすらある(という話を病院側にすれば、おそらく患者さんを待たせないためのシステムとして予約を採用している相手方とケンカになることは目に見えているので、直接、病院側に話を持ち込めないでいる)。
なぜ、こんなことをくどくど書き込んでいるかというと、病状が思わしくなく、立て続けに通うことになりそうなのだが、また「じゃあ、予約してね」と言われたとき、「私は待ち時間が苦にならないので、一般で行きたいんですけど」と言ってもいいのか確認したいからだったりする。
予約システムがお医者さんのためのものなら、そのシステムにのらないというのは、たいそう迷惑なことであろうし。
予約システムが患者のためのものなら、現状、デメリットしかない私は断ってもよさそうだ。
予約システムってのは、誰のためのものなのだろう?
もう5年前の話だけど休職したことがある。
課長に昇進してから半年がたって自分なりに思うことがあったので書いてみる。
当時の俺はまだ若手だったが、運よく、部長、副部長にも気に入られていたため新しく課長に抜擢された先輩の右腕役を期待されて新組織に異動になった。もちろんうれしかったし、それに答えようと頑張った。やった仕事は過去最高の実績も残せた。でも、課長がいろいろ大変な人だった。普段はすごくいい人なんだけど、仕事になるとロジックの鬼というか、俺が出した企画書もひとつひとつロジックの矛盾を突き、なんでこの答えになってるの?という感じの人だったし、そもそも自分の中に確固たる答えがある人でそこにたどりつかない俺は徹底的にロジックで叱責されていた。「なんでできねーんだ馬鹿野郎!」と怒られるよりも、ひとつひとつ自分の間違いを指摘されてロジックの逃げ道を封鎖されていく説教は、「わたしはなにもわかっていない大馬鹿野郎です」と植えつけられるようだった。
そうしているうちにあることに気がついた。
最近抜け毛が異常に多い。枕、フローリングの床、髪を洗っているとき、髪を乾かしているとき、明らかに抜け毛が多い。でも季節の変わり目だから、なんて言い聞かせて床屋に行ったとき、床屋の兄ちゃんに「お客さん、円形できてますよ」と指摘された。あわてて家に帰って彼女に見てもらったら間違いなく円形だった。1円玉ぐらいの大きさ。そして髪を切ってやはり毛髪全体が薄くなっているのもわかった。また同時期に常に胃が重く、変な満腹感がずっと続き飯もそんなに食えなくなってきた。
原因は明らかで、もうそれしかねーだろ、という感じだったが、大学のときに実家を飛び出して、就職で東京にやってきた俺には逃げる場所もなくどうしようかとモンモンとしていた。そんな日が半年も続いたころだろうか、再びうちの課が過去最高の実績を叩きだした。祝勝会で一番の功労者として課長からも労われたのだが、それって課長が俺の当初の企画をコテンパンに叩いて直したもの。そこでなんだか心が折れてしまった。結局課長のアイディアがスゴイだけで、担当者は課長の叱責に耐えられる人ならだれでもいいんじゃねーのか、なんて思うようになり、会社を休みたくして仕方がなかった。行きたくなかった。
そして俺は心療内科へ向かった。何を求めたか自分でもわからないが気分が楽になればいいなと思って行った感じだ。
医者に、仕事のストレス、抜け毛、胃の重さを伝え簡単な質問に答えた結果、「軽度の鬱なのかもね」ぐらいの緩い診断が出た。どれぐらい緩いかと言えば、『仕事は休まなくていい』レベル。それを聞いて気がついた。「もうちょっと重ければ合法的に会社を休める。」という事実に。
2回目の受診時には、ひたすら「症状は良くならない」ということを伝えた。薬も飲まなかったくせに。
結果、適応障害という診断をいただき、課長と人事にそれを報告したところ晴れて報告して3日後には休職となった。薬を飲むこともなく、質問には正確に答えない状態という仮病でしかなかったがそれでもまったく罪悪感はなかった。後の企画担当者には申し訳なかったが。
有給休暇もたっぷり残っていたこともあり、休職期間中は自由に生活してた。彼女のために夕飯は作りつつ、あとは自由に旅行に行ったりジムに行ったり。大学生の時以来の休みを有意義に使っていた。休み始めて一か月もすれば、抜け毛は収まり、胃の重さもなくなり毎日が楽しかった。なんとなく鬱の薬にいい印象を持っていなかったので薬は一回も飲まなかったにも関わらずだ。
それでも病院の定期診断では「まだ胃が重い」みたいなことを言い結局薬は一回も飲むことなく3か月で職場復帰した。
復帰してすぐに4月を迎え俺は異動してまったく違う部署になった。休んでから、結局自分を守れるのは自分だけという精神状況になったので好きなように仕事をしてたし、新しい課長はそれを認めてくれていた。仕事は楽しくなり結果としてその課で出世することができた。
そして、課長一年目の今年。部下には丁寧に、丁寧に教育と指示をしながら半年がたった。幸い誰も休職していない。
そこで思うのは、すべてはあの時休職したから今の俺がいるということ。仮病だったけど。
偽鬱ってもちろん問題があるけど、俺はあのまま休まなかったら本当の鬱になっていただろうし、そうなっていたらもっと面倒なことになっていたと思う。だから、偽鬱ってウソも方便としてなんかもうちょっとどうにかしてやれる名前にしてあげられないだろうか、と思った。
この件、思ってたんだけど、世の中には性暴力犯罪者のことを、理性を自分でコントロールできない、つまり正常な判断能力のないクマとか野獣扱いする人がいるじゃない?
相手はクマとか野獣で制御不能なんだから責任能力なしで、襲われる女の方に自衛する責任があるっていう考え方。
更には女に性暴力衝動を喚起されたんだから性暴力犯罪者が被害者的な。
そういう文脈で性暴力犯罪者を扱うのは、知的障害者の一種扱いと同じなんじゃないかな。
で。更に、世の中には児童ポルノとか陵辱ものとかいった性暴力メディアを、「これがあるから犯罪をしないでいられる、必要な代償物なんだ」と公言する人もいるわけじゃない。
その人たちは、そういうメディアがなければ自分は理性をコントロールできません、責任能力ありませんって宣言してるわけでしょ。
それって自分たちを障害者として扱ってくださいっていうアピールなんじゃないかなあ。
モルヒネとかだって、一般では使用が禁止されてるけど医療機関での疼痛管理には使われてる。
だから、そういう性暴力衝動をコントロールできない人を障害者と見なして、そういう人たちを対象に、医療行為の一環として性暴力メディアを処方するというのはありなのかなと思うんだよね。
ちゃんと病院を受診して医師の診断を受けて認定されたら、という形で。
元の話はそういうことなんじゃないかと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20091013222011
47歳。専業主婦。子供2人いますが成人したので子育ては終了した者です。
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基本的にたいしたことないと判断できるのなら、病院へは行かないこと。近所で一番病原菌の多い場所は病院です。
ただし、39度を越える熱が3日出たら必ず受診すること。肺炎を起こす場合があるので確認が必要なのだそうです。
咳が2週間以上続いたら、慢性の疾患の始まりである可能性があるので受診したほうがよいです。
「咳が長引いている」参考アドレス。
http://allabout.co.jp/gm/gc/1732/?FM=rss_119
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私が知ってるのは、この程度のことですが、奥さんは、もっと情報を持っているかも知れません(だから、行きたがらないのかも)。今は新型インフルも怖いですし、行くのがベストとも言い切れません。
ですが、行かないのがベストかどうか? 初期治療が遅れたために、かえって、長引くこともあるわけで。
どうも、元増田さんは自分の人生の責任を他の人(奥さんとか、増田の面々とか)に持ってもらいたいようなんですが(それでいて、やり方は自分のやり方にこだわる)、自分が判断したことは自分で責任持つしかありません。
奥さんを説得できるだけの客観的な材料を集めてみてはいかがですか? 伸び過ぎたツリーの返信にこだわっている場合じゃないと思いますけどもね。
以上。
毎月生理痛が重くて辛くて、痛み止め、腹巻き、カイロジプシーしてた。
25を越えてからさらにひどくなって、とうとう痛みと吐き気で会社で倒れた。
婦人科で内診してもらったら軽度の子宮内膜症。でもこれってけっこうありがちな症状なんだよね。
内膜が増えて、内臓同士をくっつけちゃう。ひきつれて激痛。
多少の排出はあるけど、ほぼ生理にならない、って言っていいほど、毎月楽。
生理前、涙ぐんだり、イライラしたりしてたけどそれもなくなっちゃった。
なんだったんだよ、って思う。この20年、毎月毎月痛みを我慢してたのはなんだったんだ。
もっと早く知って飲めば良かった。誰か教えてくれよ、と自分が思ったので書いてみますた。
辛い誰かに届け。
http://www.oc-for-me.com/
http://anond.hatelabo.jp/20090917211324
『子どもの死亡原因の中で一番多いのは病気ではありません。年間数千人の子どもが不慮の事故で亡くなっています。不慮の事故の中で比較的多いのが頭部の打撲です。階段から落ちた、買い物カートから落ちた、抱っこしていたら落とした、ベットから落ちたとかであわてて受診します。「すぐ泣きましたか? 受け答えは何とかできていますか?意識はしっかりしているようですか?」と尋ねます。外傷の程度、出血はないか、目の瞳孔の大きさや反射に問題はないか、左右の鼓膜をみて鼓室内の髄液や出血の貯留はないか、口腔の出血、鎖骨や四肢の骨折、腹部臓器の損傷はないか診察します。「今のところ大丈夫だと思いますが、今日一日はおうちで安静にしてください。そして吐き気や異常な不機嫌、頭痛、けいれんがあるときは連絡してください。大きな病院でCTを撮ってもらうようにお願いしましょう。」と言って帰します。
子どもはその年齢に応じておきやすい事故が決っています。こどもが事故に巻き込まれないように気をつけるだけでなく、ふだんから子どもに事故をおこさせないような環境をつくることが大切です。』
違うタイプなんだろうが、うちの子も字が読めなくて苦しんでいる。
字なんて、読んだり、書いたりするのは、誰だってできると思っていて、小学校まではなにもしなかった。
名前ぐらいは、ひらがなで書けるようにはしたが、それ以上はしなかった。
入学してしばらくたってから、長い文章を読みはじめると、とにかく音読が下手なことに驚いた。
何回、同じ字が出てきてもつかえるのが不思議で。
「1行前に書いてあるだろう。よく見なさい」と怒っていた。
鏡文字や左右が逆になったり、右から書きはじめたり、下から書きはじめるのを見て、
「おまえは、わざとやっているのか」と怒ったが、本人は困った顔をしていた。
漢字練習帳が1週間でなくなるぐらい練習しても、覚えられない。
とにかく、文字を覚えることが相当苦手なんだろうと思う。
元増田氏のように、記述式の問題や口頭での質問にはスラスラと答えられる。
しかし、作文を書かせるとひらがなばかりだ。
バカにしているとしか思えないだろう。
どういう理解をしているかわからないが、ひらがなの形を丸暗記して、音で検索しているんだろうと思う。
だから、音と結びついているひらがなやカタカナは、声に出しながら書くうちに覚えた。
漢字は同音異義語が多くて苦労している。
「国会議事堂」を「黒海義児童」と書いても、誤りに気づかない。
なぜ、意味が付帯しないのか、疑問なんだが、彼の頭の中では「字」とはそういうものなんだろう。
追加
途中でアップしたので、わかりにくくて申し訳ない。
以下、どう対処したのか。
学習障害を疑って、教育相談もしたし、専門機関を受診もしたが、継続的な治療は受けなかった。
先日、米国での学習障害への治療がどう行われているかを見て、うらやましいとは思ったが。日本では似たような治療を受けようとしたら大変な手間と費用がかかる。
遠くの病院まで何度も行き、カウンセラーと話し合い、手探りでいつ終わるともわからない治療を進めるしかない。
通って受けるのを諦めたのは、働かねばならないからだ。子どもだけにかまっている余裕はない。
また、“そんなに問題ではないだろう”という扱いも受けた。深刻な子が大勢いるのはわかるが、ショックだったのは、「親子の心理的な問題ではないか」とされて、カウンセラーに「犬を飼え」だの、「気にするな」だの言われたことだ。
犬を飼って、漢字がどうして書けるようになるんだ。
勉強について他には目立つ問題はなかったから、担任の先生も「漢字が苦手」としか思っていなかった。漢字練習が嫌いでやっていないぐらいにしか思われなかったんだろう。でも、「学ぶ」の「学」は、「学習」の「学」と同じとわからない。言われれば、そうかと思うが、自分ではわからない。それは練習で補えるものなのだろうか。
書き取りは熱心にやっていた。3年生になって漢字が倍増すると、毎日机に1時間以上座って、その日出てきた漢字を書いていた。声を出して、何回も書いて、覚えたかどうか確かめのテストをする。翌日のテストの前に、テストに出る漢字をもう一度見て、おぼえておいて書く。
それが翌週になると、同じ漢字でも、違う読みを覚えることになり、また一からやり直し。
毎日、漢字の書き取りをするだけで終わるような状態では、他の勉強もできない。
もっとこの子に合った、漢字の学習方法があるのではないか。そう思って、小学生向けの漢字の参考書を何冊か取り寄せてみた。その中で、漢字の成り立ちを絵で説明している参考書が目に止まった。
絵があれば、わかるかもしれない。
その参考書は、漢字の各パーツごとに、元の意味を絵で示し、その絵と組み合わせて、漢字の持つ意味を伝える。教科書と違って、部首ごとや成り立ちの似ている字別にグループ分けして、中学生になってから学ぶような難しい字もいっしょに教えるようになっていた。
「漢字がおもしろくわかる本だよ」と参考書とワークブックをいっしょにわたしてみたら、自分からやりはじめて、「おもしろい。漢字はおもしろいんだね」といいながら、気が付くと1冊終えていた。
それ以降、漢字を覚えるのは、ずいぶん楽になったようだ。
漢字も、絵の組み合わせで、パーツごとに検索タグをつければ、音を頼りにしなくても、頭の中で整理できる。また、漢字にもいろいろなカテゴリーがあって、パーツごとにタグをつけて整理をしておけば、いちいち丸ごと覚えなくてもいい。
「草と、藤は、同じ“草”仲間」 「月がつく字は、身体の部分を意味する字が多い」という発言から想像するしかないが、そういうソフトがインストールされたような状態になっている気がする。
それ以外にも、ふりがなが付いた本をたくさん読んでいたのも良かったようだ。文脈がわかるようになり、漢字の読み方を予想できるようになったようだ。音読も以前に比べれば、格段に上達した。音読の授業の前には、先にふりがなを付けておくという知恵も身に付けた。
漢字を使って文章を書くことは苦手だが、ゆっくり練習していけばいいだろう。ワープロソフトがこれだけ発達しているから、それほど心配する必要はないかと思っている。アルファベットには苦労しているが、どうにかなるんじゃないかと思う。
元増田氏の話を読んで、光が見えた気がしたので書いた。
どうもありがとう。
将来はどうなるんだろう。字がかけないで生きていけるのか。心配だったが、元増田氏の話を読んで、この子は与えられた力で精一杯生きていくんだろうと思ったから。安心して、ホッとした。
わがままを聞いてはいけなかったろうか?
1年前、夫は肺ガンで亡くなった。健康診断を受診したときは、もう手遅れで「あと半年の命」と宣言された。夫自身には期限は知らせず、末期ガンなので苦しい治療になるとだけ伝えた。
個室に入れてもらったこともあって、家族の面会は自由に近かった。私は昼前に病院に行き、食事を共にし体を拭き洗濯ものを回収し、日常の買い物などをした。
抗ガン剤の投与で病状が回復すれば、1週間くらい帰宅し、また具合が悪くなって再入院。それを4回繰り返したころ、とうとう抗ガン剤投与で体調が悪化した。もう抗ガン剤は使えない。死を待つばかりの状態になった。主治医の先生が「残念ですが、もう手がありません」と夫に告げた。
そのときから、夫のわがままがひどくなった。
まず、私に帰るなと言い出した。一人で夜を過ごすのが寂しいのだと言う。家には高1と高3の子供がいる。心配だけれど2人で生活できない歳でもない。「今は、自分たちの面倒を自分できちんとやってくれることが、一番の協力だから、2人で力を合わせて乗り切ってね」と、言い渡し、私は病院に泊まらせてもらった。
次に「どこかに連れて行け」と言うようになった。骨に転移していて手足は骨折寸前なので歩かせるわけにはいかない。私が車椅子を押して行くことになる。大きな総合病院だったが、それでも毎日散歩していれば、あっと言う間に行くところは無くなる。「他の病棟を見たい」「リハビリ室に行きたい」と、看護士さんの指示がなければ通常患者が行かないところに行きたがりだした。「他の人だって病気療養中なんだから、そんな見物気分でよその病棟に行ったりしたらダメだよ」と諭したのだが「聞いてもみないでなんでわかる? やりたいことはなんでも『やりたい』って言えばいいんだ。ダメなことは『ダメ』と言われるから、そしたら諦めればいい」と言い張る。
3交替勤務で無茶苦茶忙しそうな看護士さんをつかまえて、「よその病棟に行きたい」なんて、どう考えてもまずいだろうということを言い出すわけにはいかないと私はためらっていた。すると、夫は自分でナースセンターまで歩いていき「よその病棟はダメだけど、リハビリ室は好きに行っていいってさ」と返事をもらってきた。「ほらみろ。やりたいことはなんでも聞けばいいんだ」と胸を張った。
その次は「素人の介護はもういらない。お前はいらないから、看護士を一人つけろ」と言い出した。痛み止めが頻繁に必要な状態になっていた。ナースコールを押してもすぐに来てもらえるとは限らない。自分専用の看護士さんが欲しいと思うのはもっともだが、ここは病院だ。看護士さんを独り占めなど出来るわけがない。「看護士さんはそんなにヒマじゃないわよ」と答えると「だから、ダメかどうか聞けって言ってるだろ」と怒る。
聞かなくてもわかる。ダメに決まってる。それでまたケンカになり、夫は自分で聞いてきた。ダメだ。当たり前だ。すると、夫は戦術を変えてきた。ナースコールを押して、看護士さんがきたら出来るだけ引き止めるのだ。「どう痛いのか、うまく説明できない」「何度薬の説明を聞いても覚えられない。こんな症状のときには何がいいんだっけ?」「頭洗って欲しいな」などなど、とにかく一秒でも長く看護士さんに居てもらおうとする。そもそもナースコールというのは緊急時に押すものだと私は思っている。気分が悪いのなんのと、いちいち押していたら看護士さんの仕事の流れに差し支える。だから、ナースコールを押す前に夫に「何をして欲しいのか」を明確にさせるようにした。それでも、2時間に1回くらいは押していたから頻繁だったのだけれど、本当は30分に1回押したがるのを必死で止めていたのだ。
ナースコールを押すときには何をしてもらいたいのか決めているので、押してから言うことは「赤い痛み止めをください」「睡眠薬の2段階目のをください」と具体的になる。これが一部のナースさんの反感を買った。入院患者にどの薬を使うかは、ドクターの指示によって看護士が判断するものだ。患者の側から薬の種類を特定するのは越権行為と思われたのだろう。
具体的には私の入浴中(10分入ってる)に点滴の針を抜きに来て、大声で夫を怒鳴ったり、入院してから一度も頼んだことがないのに「体を拭きましょう」と言ってきて熱いタオルを夫に押し当てたり、呼吸器が顔に当たって痛いと言えば「みんな我慢しているんだから我慢しなさい」と言われたり(もう、24時間以内に死ぬとわかっている患者に)、モルヒネの注射を始めたらシップタイプの痛み止めを剥がされたり、モルヒネを始めた日の夜中、何か騒がしいので起きようとしたら看護士さんに「奥さんは寝ててください」と止められたり、そのあと夫が完全に死んでから「亡くなりそうです」と起こされたり。
死に目に会えなくて、私は助かった。
とにかく最後の一カ月はわがままの言いどおしで、最期の最後に何を言われるかと、私はビクビクしていたのだ。夫の要望に応えて病院に泊めてもらったのに「素人の介護はいらない」と言える人だ。もう、死ぬとなったら、何を言い出すかわからない。夜中についウトウトしてしまい、起きたら夫が死んでいてホッとした。看護士さんに起こさないでくれてありがとうと言いそうになった。死に目に会いたがるのが普通なのに、会えなくて喜ぶのも変だから言わなかったが。
と、いろいろと気持ちが混乱した。
夫が亡くなってから1年と3カ月が過ぎて、ようやくいろいろなことが落ち着き、生活も以前のように戻りつつある。
そして、ふと「モラルハラスメント」という言葉を知った。自分のプライドを傷つけた人間に、まるで相手が悪いかのように思わせるような嫌がらせをするというものだ。
いろいろな兆候が夫に当てはまった。
ああ、しまったと思った。夫が妙なわがままを連発したのは、自分が死んでしまうという自分の尊厳への傷を回復させたかったからだったんだと思った。
じゃあ、わがままにいちいち付き合うのではなく、単純に「あなたのおかげで、私幸せでした。ありがとう」とそう言えば良いだけのことだったんじゃないかと。
そしたら、夫も落ち着いて、もっと、穏やかで感謝に満ちた最期を迎えさせてやれたんじゃないだろうか。
コメントをくださったみなさま、ありがとうございました。
ずっと心に閉じ込められていた何かを言葉にしてみたら、こうなりました。
一部の看護士さんの対応については不満はありません。夫はもちろん私も自分のことでいっぱいいっぱいで、自分では意識しておらず、また、よく思い出せないのですが、そういう扱いをされるほど傍若無人な態度を取り続けていたのだろうと思います。
夫がどんなわがままを言い出そうと「病気がそうさせるのだから」と、主治医の先生もほかの看護士さんも理解を示してくださっていました。私がうまく相談出来なかっただけなのだと思います。
闘病に付き合っている間、ずっと、夫が死んだら、せいせいするだろうと思っていました(こういう本音を書きたいから、増田でしか書けないのです)。
夫はここ10年ほどは、ずっと決まった日課で生活していました。朝起きる時間、夜帰宅する時間は、ほぽ毎日同じ時間でした。毎日、その時間になると扉を見つめます。夫が帰って来ないということがどうしても納得いかないのです。
今日、夫の仏壇を食卓の近くに据えました。よく見えるところに遺影を飾りました。これからは、仏壇と遺影を見つめようと思います。
生き辛さとか疲れがどういうふうに表れてきてるか、
それが増田の日常生活にどういうふうに影響を与えてるか(支障があるのか)、
で病院に行くか行かないかを決めたらいいんじゃないの?
ちなみに自分は「この程度のことで病院に行くなんて」と思っていたらズルズル調子が悪化して、結局病院に行く羽目になった。
迷い続けてるなら(その迷いが増田自身の中で大きくなってくようなら)一度受診してみるのも手かもしれない。
実際に病院に行くなら、自分の「癖」の現れ方、どういう状況でどうなるか、をざっとメモって持ってくと話しやすいような気がする。
「どんな調子か話してください」て医者といきなり向かい合っても、うまく話せないもんだったりするし。
医者に行くことによって生き辛さがうまく解消されてくれるかどうかは、難しい気もする。
たぶんその人それぞれに現れる症状によるんだろうけれど、対処療法的な薬出されて様子見だったりするし。
自分がそうだったから書くんだけれど、増田は「自分が強迫性障害かもしれない」て不安を、今誰にも話せない状態にいたりしない?
(見当違いのことを言っていたらごめん)
もしそうだとしたら、病院の医者に自分の感じてることを説明して聞いてもらう、だけでも少しは有効かもしれない。
少なくとも、面と向かって第三者に、自分の状態を聞いてもらうことができる保障がある。
これだけでも自分はけっこう落ち着いたりした。
元増田です。(……という名乗りでよいのだろうか。匿名ダイアリーには慣れてないので)
皆様本当にありがとうございます。
真剣に考えてくださる方がほとんどで、大変うれしく思います。
ご自身の経験を書いてくださった方とか、ありがとうございました。
お一人お一人に返信すべきかと思ったのですが、たぶん時間的に厳しいし、内容的に重なる点も多いと思うので、こちらに書くことにしました。すみません。
まず、今の考えとしては、自分一人でこっそり受診してみようと思っています。
多くの方にそう勧められましたし、内心でもそういう方向に傾いてはいましたので。
幸か不幸か、彼女は私が予約を取っていることも知りませんし。
(「病院に行ってみようと思ってるんだ」「何の?」「んー、うつとか……」という辺りで大変な騒ぎになったので、そこまで話せなかった)
……もっとも、嘘をつくのが致命的に苦手なので、何かの拍子にうっかり言ってしまうのでは(「この道は来たことがあるな」「え、なんで?」とか……)と心配ではあります。
……あと、「特定されやすすぎだ」と心配してくださった方々。
皆さんが誰を想定してるのかはわかりませんが、なんか皆さんからは普段のidでよくスターを頂いております、ありがとうございます。
だからたぶん当たっているんでしょう。
ただ、とにかく妻……とリアル知人(というか校区の人とか)に知られなければいいや、というつもりなので、あまり特定を避けるつもりはありませんでした。
普段の日記を読んでいる方が読んだらわかる、くらいでもいいかなあ、と……。
でも特定されるの速すぎでびっくりしましたが。
それはさておき、妻も一緒に受診すべき、という意見もたくさんいただきました。
これは全然考えたことがなかったので驚いたのですが……。
まあ、記事の内容から判断するとそう言われても仕方ないのかも知れません。
確かに私だって、件の時みたいな状態が延々続いているとしたら、迷わず病院に連れて行きますし。
現状では、病院に行くよう説得するのが難しそうに思います。
病院に行ったとき、ちょっと相談してみます。
記事だと本当にやばそうな奥さん、という印象を持たれたかも知れませんが、本当に優しいし(いや、ツンな時もあるけど)、社交的な人なんですよ。
新婚旅行で一緒になったカップルとか、結婚式でお世話になった花屋さんとかとまだ交友があって、時々会いに行って(かなり遠い)一緒にお茶したりしてくるとかそういうレベル。私の20倍くらい交友関係が広いと思います。(私が非コミュなんだけど)
とはいえ、「病気」なのか、と考えると違うような気もしますし、そこへ病人用の薬を投入して効果があるのか、という疑念もありはします。
まあ、私より困難な仕事をストレスなく(まあ、そう見える)こなしている先生もいるわけで、「仕事量はそのままで精神的には元気はつらつ」というのが理想だな、と思ってはいますが……それは薬でどうにかなる話じゃないかも、というのは念頭に置きたいです。
まあ、それは医者が判断する話ですね。
本当のうつ病の方はもっともっとつらいのでしょうね……。
どうか世間の理解が広まることを願っております。
では。
まず、今の増田の状況を端的に言うと、ジェンガで、あと一つ、二つピースを取れば崩壊するまでバランスが崩れた状態です。
専門っぽく言えば、意識と潜在意識に著しい乖離が生じているので、体が悲鳴をあげ始めたところ…という感じです。
あと一つ、ピースが外れて崩壊すれば、いわゆる「心が折れる」という状況に陥り、家から出られなくなる可能性が高いです。
ただ、嫁さんの理解を得られていないので、板挟み状態で、家ですら安息の地にならないので、家にも帰れず、路頭に迷う…という事態もあるかも知れません。
とにかく増田、嫁さん共に今は正常な判断が出来ない状況である、と言うことを受け止めてください。
嫁さんは自分がダウンしていたときに、増田との対話で薬を使わずとも治り、自分の方が大変だった、と思い込んでいる(そう思いたい)ので「私は増田より大変(だと思い込んでいる)な境遇でダウンしていたけど、増田との対話で治ったから、私との対話で治るはず。(治るべき)」と言う意識と「かつて助けてもらったから、今度は私の番だ」という強い使命感、責任感を持っているのだと思います。
嫁さんはとても増田思いで、強い使命感から、価値観を自分の経験でしか計れなくなっている状況です。
これを説得するのはとても大変です。理論を通しても通用しないでしょう。これは嫁さんがヤンデレなのではなく、これだけ思いが強く、使命感、責任感が強いと、視野が狭くなってしまうので、どうしても正常な判断が出来にくくなってしまいます。
恐らく、増田は自身の状況を全て嫁さんには話していないんじゃないですか?心配させたくない、話す必要がないとかで…。
もう少し状況が良ければともかく、増田は既に心身症を発症していますので、まずは嫁がなんと言おうが心療内科か、精神科を受診した方が良いです。診断書をもらっておいてくださいね。
嫁さんがどうしても抵抗して行きにくい…と言うことであれば「学校側から受診するよう『命令』を受けた」などと、受診せざるを得ない状況をでっち上げるのも良いでしょう。状況が許せば先に学校に相談して既成事実にするのも良いでしょう。
その結果、必要に応じて薬が処方されるので、まずはそれで心身症を緩和させましょう。
その後、上長(主任?校長?)にことの経緯を報告し、「医者からこう言う診断が出た、どうしましょう?」という感じで相談します。
そこで休職となるか、勤務を続けながら治すかが決まると思います。理解のない学校では退職勧奨となってしまうかも知れませんが、事実を隠しても状況がどんどん悪化していくだけです。
その後、夫婦二人でカウンセリングを受診し、根本原因と対策を練りましょう。
薬は頭痛薬と同じで、症状を緩和させるだけです。
はてなで普通にブログも書いてるんですが、妻もそれを知っているのでこちらに書きます。
夫婦関係も円満そのものだし、学級もまずまず良い雰囲気だったし。
……今年4月までは。
4月に異動があり、現在の勤務校に配属されました。
昨年、結婚後に、お互いの実家の近く(妻の勤務先も近い)に引っ越して、以来かなり通勤時間が長くなっていました。
で、今回の異動は私自身の「引っ越し先の近くへ異動したい」という希望が通った結果、ではあります。
なので、喜ぶべき事ではあるのですが……。
……つらいです。
何がつらいか、というのはまあ本題からそれるので詳述しませんが、学校の規模がずっと大きくなり、学級の人数も増え、その対応にてんてこ舞い……というか対応しきれてないですし(今までが人数少なすぎた、という話ではある)、地域にも対応が大変な保護者が多いし、本校の仕事の流れもよくわからないのに、今までよりだいぶたくさん仕事を任されるようになったし(家は近くなったはずなのに帰宅時間はずっと遅くなりました)……。
まあ、これまでも、時には
「ああ、教室に行きたくないな……」
と思うこともあったのですが、学校に行こうとすると動悸がしたり吐き気がしたり、熱もないのに一日中頭痛がしたり、というのは初体験。
通勤途中でふとバックミラーで自分の顔を見て、自分がすごい苦しげに歪んだ顔をしているのに気づき、このままではこの学校で今年度いっぱい(実際にはたぶん今後何年間も)仕事を続けるのは無理だ、と思い、心療内科に行ってみようと考えました。
万一休職とかしたら、ふとんをかぶって一日泣き暮らすとかしないで、嬉々としてゲーム・ネット三昧の生活を送る自信がありますし。
「授業が苦痛→授業の準備をするのが苦痛→授業がうまくいかない→授業が苦痛」
という悪循環にはまりつつあるので。
(授業がうまくいかない、って、本当につらいんですよ……)
ともあれ、自分は西洋医学万歳の人だし、精神科・心療内科にも偏見はないので、つらいときは医者に相談しよう、とは前々から思っていたのです。
で、近くの(でも校区からは離れた)心療内科の予約をとりました。
受診してみて、仮に
「あなたは病気じゃないです(≒その程度つらい人はいっぱいいます)」
と専門家に言われたら、まあそれだけでも気が楽になるかも知れないし、もしも抗うつ薬でも処方されればもっと楽になるかも知れないし、と思って。
……ただ、うちの奥さんが快く思わないだろうなー、というのはまあ予想していました。
うちの妻、かつて体調がかなりあちこち悪かったとき、いろいろ医者にかかって薬もたくさんもらったもののいっこうに良くならなかった(で、なんかうさんくさい健康食品で治った)、という経緯もあり、医者を信用していません。
(むしろマイナスイオンとか岩盤浴とかを信用してる感じ。「毒素を排出」して「体質を改善」する、と称するジュースを、私も毎日飲まされてます……)
とりわけ、向精神薬には強い拒否感がありますので……。
だから、心療内科のことも、おそるおそる、言葉を選んで話してみたのですが……。
……が、話したとたんにオイオイ泣き出したのは予想外でした。
「あたしが奥さん失格だからなんだ! あたしがダーリンのことちゃんと支えてあげられてないからいけないんだー!」
そんなことないので必死でなだめたのですが泣きやまず。
「ダーリンが病院とか行ったら、あたしショックで引きこもりになっちゃうようわあーん」
そこまで心療内科への偏見が強いのか、と思ったのですが、よく話を聞いてみると違うのでした。
「だって、あたしが昔つらかった時には、ダーリンがいっぱい支えてくれたでしょ?それであたしは元気になれたんだよ?」
もう10年近く前、彼女とつきあい始めた頃(お互い大学生)、彼女は本当に体調が悪く。
全身に発疹ができて、身動きするだけでもあちこちピリピリ痛む、というのが毎日毎日一日中続いたのです。
顔にも発疹が、というのは、女性である彼女には辛かったようで、精神的にもかなり苦しそうでした。
その他にも、いろいろ入院したり手術が必要だったりと、
「行ってない診療科はない」
と本人が言うくらいでした。(精神科は除く、ですが)
その頃は、午前2時ごろ電話がかかってきて、
「なんでこんな体に生まれてきたんだろう……」
「もう死にたい」
「あたしが死んでも誰も悲しまないよ」
みたいな話を延々2時間くらいされて、私が一生懸命なぐさめて、
……みたいなことがしょっちゅうでした。
まあ自分でもがんばったと思う(彼女はもっとがんばった)のですが、別に
「精神科に行くな」
と言ったことはないし(「行け」と勧めてもいないですけど)、行くというなら反対はしなかったと思います。
しかし、
「あたしは病院行かなかったよ!? 今のダーリンより、あの頃のあたしの方がもっとつらかったと思うよ!?」
いやそういう問題では……。
「だから、今度はあたしが支えてあげないといけないんだもん!なのにダーリンが病院に行ったりしたら、あたしパニックになっちゃうと思うよ!?」
もうなってるのかも知れない、と思いました。
呼吸が「はひっ・はひっ」って感じでおかしいのでどうしようかと。
……妻の言うことは筋が通らない、とは思います。
確かに、苦しいときには助け合うのが夫婦だと思いますし、支えてくれようとする気持ちはうれしいです。
パートナーの支えだけで困難を乗り切れれば確かに素晴らしいでしょう。
でも、病院その他専門機関に相談した方が楽になれる見込みがあるなら、躊躇なくそうすべきだ、とも思うのです。
っていうか、必要なら適切な専門機関を探して相手に受診を勧めてあげるのも、望ましい夫婦関係なんじゃないでしょうか。
……でも、どうも彼女はそう感じていないみたいです。
「私が辛いとき、彼の精神的な支えで(それだけで)乗り切れた。
だから彼が辛いときには、私が、私の支えで(それだけで!)乗り切れるようにしてあげなければいけない。
それが対等な2人の関係というものだ……もしそれができなければ、私は彼に支えられるだけの人間になってしまう。
だから、彼を病院に行かせてはならない」
……みたいな。
まあ、
みたいな気持ちが分からないとは言いませんが……。
でも、だからって病院に行かせまいとするのはおかしいですよね……?
気づきました。
「……うちの奥さん、元気になってなかったんだ……」
謎の健康食品のお陰(?)で身体的にはほぼ健康になり、精神面でも朗らかになった妻。
……でも、やっぱり内面的にはかなり危ういバランスだったのかも知れません。
っていうかヤンデレ?
フィクションとしては嫌いじゃないけど、身近にいるとは思わなかった……。
断っておきますが、妻とはもう本当にラブラブだしその意味では超幸せです。
っていうか、もし妻がいなかったら、とっくの昔に引きこもりになってると思いますよ、私。
……ただ……なあ……。
翌朝、
「じゃあねダーリン!いってらっしゃい!気をつけてね!」
とか、いつにも増して朗らかに送り出してくれる彼女を見て、すごく複雑な気持ちになったのでした。
私を支えなきゃ、と思う余り、彼女にストレスがかかってしまっては何にもなりませんし……。
言わなきゃ良かった、のかも知れません。
……ああ、もうすぐ明日が来ますね。
そう思うだけでもなんか胃の辺りがもやもやとするんですが……。
心療内科の予約の日も近づいてきますが、どうしたものか……。
こっそり受診してみるか、やめておくか……。
悩んでいます。
自宅の風呂場で立ちくらみを起こして、壁に頭をぶつけた。
当時は、大学に入って間もなく、自分にしては柄にもなく意気込んでいて
丸1日集中して講義を受け、テストで高得点取ろうと帰宅してからも躍起になって勉強していた。
今から思うと結構ストレスを溜め込んでいたんだと思う。
その疲れが出たのか、自宅の風呂場で立ちくらみを起こして、壁に頭をぶつけた。
痛かったのも痛かったが、頭をぶつけた直後から凄く吐き気がした。
頭をぶつけて吐き気を催したのは、初めてのことだった。
自分は、軽い脳震盪だと思い、その日は病院にも行かず普通に就寝した。
そして、次の日、朝起きるとまっすぐ歩けなくなっていた。
客観的にはまっすぐ歩けているんだろうが、自分では足元がふらふらしているような気がした。
次に、集中ができなくなった。
テスト勉強をしようと思って、机に向かい集中しようとすると吐き気がした。
次に、本が読めなくなった。
自分がどこまで本を読み進めていたのか忘れる。
既読箇所を20ページ近く読んで、やっと自分が同じページを読んでいたことに気づく。
次に、言葉が出なくなった。
「あれ!そうあれだよ!」と物の名前がすぐに出てこなくなった。
思考してから目的の単語を頭から引っ張り出すのに時間がかかる。
出てこないことも多くなった。
その段になって、ようやく何か重大な問題が自分に起こっているのではないか?と思い立った。
そして頭をぶつけてから1週間後に病院で受診し、頭部CTスキャンを撮ったのだが
診断で特に異常は見つからなかった。
その後も不定愁訴のような下記のような症状が出たり消えたりした
・偏頭痛
・光が眩しい
・顎が鳴る
・立ちくらみを起こす
・下痢が続く
・集中力低下
・記憶力低下
・感受性が希薄になる
・肩こり
5年経って、社会人になった今でも症状が入れ替わり立ち代り出ている。
正直、仕事が上手くできているとは思えない。
1度病院にかかって正常診断を受けているためか、今の自分が駄目なのは
何か別の病気が原因なのか、それとも自分自身が堕落したのか、自分でも分からない。
ただ、昔は理路整然と何事も出来ていた自分を知っているだけに
今の自分の低スペックさを嫌でも自覚してしまい、事あるごとに死にたくなる。
自分の症状をキーにネットで色々調べてみるものの、難病や誤診が多い病気、はては鬱病まで
誰にも相談できないし、病院に行くのも怖い。
このまま、ゆるゆると昔の自分を回想して年をとっていくしかないのだろうか。
何のために生きているのだろうか。
どこへ行くのだろうか。
分からない。