はてなキーワード: 即売会とは
意見そのものに対してどうこう言うつもりはないが、
販売されている作品の大半が何だかの二次創作作品
というのは事実誤認じゃないか?
引用されているDL販売最大手のサイトを見る限り、同人誌やゲームといったジャンルを問わず、登録作品の過半はオリジナル作品で、特に人気ランキングの作品なんかは大半がオリジナルに見える。単価の高い「同人ゲーム」で二次創作が壊滅的なことも鑑みれば、金額的にはむしろオリジナル圧勝かと。(もちろん少額であることと、原著作権者への還元是非は別問題だが)
アキバBlogあたりが掲載している、同人誌の店頭商業流通については、二次創作が圧倒的に見えるので、DLと店頭(即売会)で棲み分けがあるのかもしれない。
公式サイト: http://www.reitaisai.com/
・既に7回を数える東方オンリーイベント。回を追う事に規模が拡大している。
・一般的に東方界隈で「例大祭」と言えばこちらのイベントを指す。
・初期の頃は参加者が同人誌即売会慣れしていない度合いが高く、回を追う毎に全ての参加者が鍛えられていったという、ある意味希有な存在である。
・前述「例大祭」の関連イベントに見えるが、その公式サイトから一切のリンクが無い。
・その割に申込先は「博麗神社社務所」であり、普通に見れば上記「例大祭」の運営団体が行うイベントに見える。
・ドメインは「例大祭」の主催者とおぼしき鈴木某という人物が"今年に入って"取得している。(そもそも何故ドメインを取り直す?)
・申し込み締め切りまで1ヶ月程度という、例大祭シリーズにしては日程に余裕がない。
例大祭SP http://togetter.com/li/22196
なんか呟かれてますね。
鈴木某氏:例大祭の"主催者"として名前が挙がっている人物。今回の例大祭SPの発案者?
博麗神社社務所:株式会社龍某と、ボランティア運営スタッフから成る「例大祭」の運営組織。
但しボランティアといえど、即売会運営について相当コアな実務も取り扱う。
上でつぶやいてる人:「例大祭」のボランティア運営スタッフ(中核実務を担う程度の能力)
つまり鈴木某氏が、実務を行っているボランティア運営スタッフに同意も協力要請もせず、一方的かつ独善的にイベントの主催を決定して突っ走っているということだろうか。
あるいは既に何らかの手筈は整っていて、従来の運営スタッフ抜きに、イベントとしては盤石な体勢で運営する目処が立っているのだろうか?
いずれにせよ、続報が待たれる。
サークルの視点で見ると、8月の夏コミ、10月の紅楼夢の間に9月例大祭SPは些か酷なスケジュールとも思える。夏コミ落選者を拾い上げるという手かも知れないが、その割に申し込み日程に余裕がなく、ましてイベントに対する説明不足も否めないような不透明な状態でサークル参加者を募るというのは、実績のあるイベントにしては雑な印象が拭えず、いまいち判然としていなかったのだが……とりあえずサークルとしては不参加としたい。危なっかしいことこの上ない。
http://anond.hatelabo.jp/20090308182359の続き
今も相変わらず、東方の二次同人ゲームを作っている。前に参加した例大祭の後にももう一つ完成させて、例大祭とは別の即売会に参加したりして楽しんでいたが、最近少し自分の心持ちが変わってきた。
そろそろ、東方の二次同人ゲームを作るのはやめようかと思うようになってきている。
というのも、最近何の気なしにウィキペディアを見たら、東方の作者のZUNさんって1977年(3月)生まれらしい。ということは東方紅魔郷は2002年の夏だから26歳の時に作ったことになる。
一方、自分が今27歳だから、自分はその時を既に過ぎてしまっている。今の私はあのようなクオリティのゲームを作ることはできない。自分が大学生の時から、東方というゲームは知っていて、いつかはああいうゲームを作りたいと思っていたものの、臨淵羨魚という言葉の通り、思っているだけではダメで、行動しなくてはならなかった。
もちろん、自分も少しは上達しているつもりではいる。自分でプログラムを書いて、絵を描いて、音楽は素材サイトから利用させてもらったりで、ファミコン程度のゲームは一人で作れるようになった。でも、まだ頑張りが足らないかもしれない。
二次同人ゲームって楽そうに作っているイメージがあるし、実際キャラクターを自分で考えなくていいから、その点は楽に済むのは確かだと思う。東方のようなゲームを作りたいと思っているからには、やはり二次同人はよろしくないと思う。
なんかショー☆バンで4番の土山君が相手ピッチャーの威圧感で、一本足から普通のスタイルで打席に立った時に、監督がそれをたしなめたシーンを思い出した。
そう、自分は自分で(たとえ、人から評価されないとしても)自前でなキャラクターを作るべきなのだ。
東方の魅力って弾幕シューティング、キャラクター、音楽の3つが良く言われているように思うけれども、自分がさらに凄いなと思っているのは、1年に1つは作品を完成させてファンの期待に応えている、半分のステージまで遊べる体験版を公開して新規プレイヤーを開拓している、という2点。
東方以外にも同人ゲームでは魅力的なゲームはもちろんあって、(フリーゲームだから同人とは違うかもしれないけれど)洞窟物語とかおばけの行進曲はとても面白いゲームだと思う。
でも、何年も開発に時間がかかったりしていたりすると、自分としては参考にならなかったりする。作っている最中は、早く公開したいと思っているので、我慢できるのが1年間くらいなんだと思う。
別には私は弾幕シューティングを作りたいわけではなく、作ってもただの2番煎じになってしまうので、作る予定はないのだけれど前述の2点は是非とも見習いたいと思っている。
なんか固い文章になってしまったけど、要約すると、今までゲームは楽しみながら作ってきたけど、それがさらに上達という目的を意識しながら作ると、さらに楽しくなるかなーという感じ。
republic1963氏が「あるある」と楽しんでいるモテキ。
angmar氏が大ッ嫌いなモテキ。
y_arim氏が壁に叩き付けたモテキ。
超絶美人でスタイリッシュな女性が読んでいるらしいモテキ。http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20100130
オタク、二次元、リア充、草食系、肉食系、イケメン、美女、童貞、非童貞、処女、非処女、みんなに開かれている漫画とか紹介されているモテキ。http://www.cyzo.com/2009/08/post_2579.html
開かれているだろうか。「真の非モテ」にも開かれているだろうか。かつてmasao_hate氏に噛み付いたような真の非モテ達のような人間にも開かれているだろうか。
y_arim:本当に生まれてこのかた異性とかけらも縁のないキモいやつについてどう思うか久保ミツロウに聞いてみたいな。
y_arim:コンビニ店員くらいしか異性と口利いたことなさそうな極まったひとってたくさん見かけるんだよ即売会とかで……。そういうひとらはモテキ読者から見てどうなんだろうな―と思った。
開かれているかどうかは別として描かれてはいる。超非コミュがたたってアシスタント達に敵対され捨てられた漫画家・小野坂オムである。
ネタバレになるが主人公の藤本は彼の読者であり、ヒロインの1人土井亜紀とともに彼を訪ねるシーンがある。
このシーンを私は忘れない。まずオムの描写である。チビでプルプル顔をゆらしながら土井亜紀の胸を服の上から透視する漫画家スコープ・ピィ~ンとかいうキモイ変態描写である。
ふざけてんのか?
そして藤本と土井亜紀は友人関係という事になっているようだが二人にはあきらかに下心が透けて見える。特に藤本は照明助手の明るくてかわいい自称処女や、美人のインテリキャリアウーマンにモテはじめて調子乗りまくりである(たぶんネットみのもんたってこういうヤツ)。土井亜紀のほうは藤本に気があるのは序盤から変わりないが調子乗りまくりの藤本のほうは土井亜紀と「俺とは釣り合わないだろう」とネガティブ垂れ流しつつ「折りあらば付き合える(フッフッフ」とか宇野常寛的レイプファンタジーをかましているDQNなのである。
で、この藤本だがいきなり「オム先生可哀そうだなぁ・・そうだ、土井亜紀と先生ならお似合いなのでは」と土井亜紀をオムに紹介、土井亜紀とオムをくっつける作戦を始める。そして土井亜紀は皿洗いやカレー作りを藤本とともに行う。オムはプルプル顔を振るさせながらカレーを食べて和んだ表情を見せる。
ここだ。
ここの藤本「うわぁ・・・オム先生が解けていってるー、きもー(オムはキモ顔でキモ表情)」という侮辱的ギャグ表現。ここにy_arim氏の疑問に対する答えが詰め込まれている。これが久保ミツロウとモテキ読者による真の非モテへの視線そのものなのだ。
作者の久保ミツロウはオムについて「ただのキモイヤツ」としか描写していない。久保の描けない部分、この3人の関係とオムの内面について、替わって真の非モテである私が解説しよう。
まず藤本はなぜオムに土井亜紀を紹介したのか?実はこれ藤本の下心にほかならない。本当は「オム先生より自分のほうがモテる。オム先生と土井亜紀が釣り合うわけがない」と思っているのだ。土井亜紀を紹介した真の理由、それは「かわいそうなオムに好きな女を譲る優しい俺」自己陶酔と土井亜紀への印象アピールである。そして土井亜紀のほうもそれを本当は見抜きつつ藤本に対して家事上手で女の子らしい一面アピールを行い「キモいオムみたいな人にも優しい自分」で藤本への印象アップを試みているのだ。「キモいけど可哀そうまオムを2人で助けよう」という美しいテーマで共犯する2人の下心。
一方オムはリアルなキャバクラ漫画を描いている人物である。ここでいう「リアル」とは「描かれたリアル」である。この手のあるあるネタの宝庫は現実よりもむしろ書籍である。もちろん「キャバ嬢が教える男の落とし方マニュアル」「小悪魔な女になれる、恋の切り札」みたいな恋愛本を山ほど読んでいるに違いない。それをネタに漫画で表現しているからゆえの「リアル」なのだ。このオム先生が藤本と土井亜紀の下心を見抜いていないはずがない。しかし「もう駄目だ」「誰か生きてていいと言ってくれ」「誰か1人でいい、僕の手を握ってくれ」状態のオムは土井亜紀の笑顔とカレーに和んでしまった。そしてその瞬間の描写は「きめぇぇぇぇぷぎょゎ~~」的なものなのだ。
オムのぷるぷると和む表情、あれは「だめだ、和んではいけない、すがってはいけないんだ」という戦いの表情であるにもかかわらず。
これが真の非モテ陵辱漫画でなくて何だと言うのだ?真の非モテの「だめだ、でも・・」と戦っている表情にぷぎゃーするのなんて、非実在少女の「イヤッ・・悔しい・・でも感じちゃうビクッビクッ!」で射精するのと同じようなものではないか。こんなもん読んでたら似非非モテヘイトとミソジニーを同時発症してしまいそうだ。
もう一つ、非モテ藤本とモテ島田の関係。なぜか非モテにはイケメンの友人がいる事が多いように思う。一見するとそれは「俺はモテる。くやしいだろ~オラオラ」と「あぁ羨ましいモテないもうダメぽ」な共依存に見えるがそれほど単純ではない。モテとしては非モテがはがゆい存在なのだ。非モテは絶望ぶっていながらそのルサンチマンの背景には純愛しているリア充幻想がある。しかしモテのほうは失恋も浮気も経験していてプチミソジニーであることが多い。モテのモテ自慢の真意は「非モテは絶望とか言っているが、いい年してまだ純愛幻想に浸っているのだろう。お前の絶望はヌルい。世界に愛はない。お前は一生それを知らずに死ぬなんて幸せだな」というイビリであり、非モテのモテ話受容には「そうか、世界に愛は無いのか・・。ならば絶望する必要もない」という安心感が隠れている。・・のだが藤本と島田の関係にはそれがない。ポジティブでバカでいいヤツ島田とネガティブだけど純情で優しい藤本として描かれている(一応藤本が好きなキャリアウーマンを島田がトイレで喰ったみたいなシーンはあるのだが・・)。これはヌルすぎる気がする。百合オタの「女の子同士の無償の愛の共同体幻想」男verと言ったところか。このヌルい設定のままでもモテと非モテの関係を描写しようとするなら「非モテのモテ期」と「モテの非モテ期」を同時に描く、という手もあったように思うが島田はそうそう結婚してしまったので望めそうにない。
っていうかこの漫画いろいろ大雑把すぎる部分が多いのだ。サブカル設定の藤本なのに中学以降二次元でしかマスターべショーンできない設定「オタク」っぽかったりするのだ。ありえないだろこれ。モテない人って二次コンなんだっけ、みたいな、うどんもそばもまぁ同じようなもんだろ、みたいなめちゃくちゃさ。女ってケータイ小説でBL消費している森ガールみたいな感じだ。
y_arim:そりゃなんか倒錯した変態趣味だな。 RT @rdnt: でも心を抉られるのが何故か心地よくてモテキを読んでる俺 #mokradio
なぜ非モテがモテキを読むのかというのは、なぜ非モテはリア充を羨望するのか、とかオタクによるサブカル嫌悪、に近い気がする。私はハルヒやグレンラガンを限定版でDVD集めているキモオタであるが、音楽はtoeもnano machineもvenetian snaresも聞く。Sigur Rósやmúm好きがたたってアイスランド語のアカウントを取ったこともあるくらいである。これは自分がキモオタなのにリア充の「かっこいい」を「かっこいい」と感じてしまうからなのだ。おそらくオムも自分がキモいと思われていることをわかっていながら三次元の土居亜紀をかわいいと思ってしまったのだろう。頭ではわかってるのに欲望がついてきていないのだろう。階層社会について宮台は「断念とリスペクト」を奨励したが・・これコミュニケーションとかサブカルチャー受容とか性癖については変態しか生み出さない気がする。断念は可能でも自分のことを死ねと思ってる人たちを求めてしまうとかリスペクトするとか羨望するとか嫉妬するとかそれ自体倒錯した変態趣味なのだ。y_arim氏はかつて「非モテと敵対する。僕は女の子と仲良くなりたい」と言ったが(y_arim氏は言ってもいいと思うが)これを本当の非モテが言ったとしたらどうだろう。例のTogetterのように生理的な問題として「口も利きたくない」と思われている相手に対して「仲良くしたい」とか求めたり「こっちだって口も利きたくない」と反撃したりする羨望と嫌悪の同居こそ未成熟っぽいというかACっぽくないだろうか。死ねと迫ってくる人々についてはそれが自分よりもどんなに人格的・能力的に優れている人物だったとしても「死ぬかどうかは自分が決める」と言うしかない。ルイズも俺がラノベに入ったらキモがるんだろうなと思うなら破り捨てろ。リンコも俺の事嫌いなんだろうなと思うならDSごと叩き割れ。もっと嫌いなもの同士拒絶し合えばいいのだ。それがミソジニーというならもうそれはしょうがないと言うしかない。モテキとその周辺を見てそう思った。
オタでエロゲー大好きだが・・・(ちなみに、CALや同級生 DOSの頃からのガチエロゲーマーな)
痕の初音あたりから、ちょっと年齢低下が起きているなぁと思ってた。
はじるす、あたりから、本気か?と思ってたけど。マイナージャンルだしと思ってた。
ただ、最近の同人と一部商業誌とかは、ちょっとエスカレートしすぎと言うか、年齢下がりすぎだろ。
物の程度によるけど、流通に載せるものは設定を18才以上にせよ。というのは、妥当だろ。
想像は自由だし、個人的な交換も自由にすべきだとは思うし、単純所持はOKだろうが、
同人含め、通販・即売会など、販売がからむ流通ルートは規制かかったほうがいいよ。
急にというより、ここ10年ぐらいの流れの中でそろそろ言われたかって感じ。
http://anond.hatelabo.jp/20091007004822
あ、すいません。元増田です。
そこで言いたかったのは
「恋愛やら何やらじゃなくて、まず今の私に必要なのは脱非コミュだ!!ヽ(`Д´)ノ」
という話。オタクは脱せませんが。
バイト始めて、改めて自分の非コミュ具合に愕然といたしまして。
リア充に溶け込む!とまでいかなくても、
大学でゼミの子達と円滑なコミュ図ったりするにはソレが必要だったんだと最近気付きました。
.
正直な話、二次元でドキドキニヨニヨ・即売会でキャッキャウフフする事はあっても、
「よくわかんないよウワァァァァヽ(`Д´)ノ」
が今一番の回答。
.
で、元記事で言いたかったのは
・お兄ちゃんが巷でよく見かけるアベックみたいな事をしてくる様になった
・兄にそんなことされても気持ち悪い
同人グッズって、よほど頑張り続けないと飽きられやすいような。
あと、即売会に慣れた人ほど買わなくなるような傾向があるかもしれない。本とグッズ、同じ予算なら本優先、のような。
いずれも推測
作り手と受け手の分業化が著しく進んだ結果じゃねーのとか思った。
同人作品が同人ショップで買えるケースが増えたというのも、お客様意識を後押ししているというか。
昔からそうだったのかも知れないけど、受け手のほとんどは、売り子経験とかイベントのお手伝いをした経験がないのではないだろうか。
受け手の立場を考えると、遠路はるばるやってきて、場合によっては徹夜して並んで、それで入手できるかできないか分からない買い物をしにいくんだから、なりふり構わなくなる心理状態も分かる気はする。が、作り手だってわざわざ暑い中物を搬入して頒布しているんだから、それはお互い様なんだろう。たぶん、きっと。
ただ、自分の知っている作り手は、売り子をアルバイトみたいな形で知り合いにお願いして、作り手本人は他のサークルの挨拶回りに行ってるケースが多かった。そして、お昼回ったあたりで撤収。
頒布する方も鑑賞する方も参加者であるのは間違いないけど、夏コミを眺めるとその間に決して越えられない壁を時々見る。
そして、普段みんなが必要としている生活必需品や食べ物などは、素晴らしい販売のシステムに乗っかってできているんだなぁ、とか痛感する。
http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20090812/1250027545
これを読んで思い出した話。
長くなるけど、かんべんしてくれ。あと、増田に書くのは初めてなんで、読みにくかったらごめん。先に謝っとくよ。
10年位前、同人誌をやっていた。一人でコピー本作って、一人で即売会に持ち込んでいた。非コミュなので、一緒に同人誌作れるような友達はいなかった。友達はいないのに、一人で売りに行く行動力だけはあった。
それでも、一人で何度も即売会に足を運んでいると、隣近所のサークルの人間の何人かとは顔見知りになる。なんとなく友達っぽい人間も何人かできた。
その中の一人、Mは、とても辛らつな人間だった。お前の描く漫画は、絵は最低最悪に下手だけど、話が面白いなと、直球の感想をくれる。自分もMの率直さをとても気に入った。たまに飲みに行くようになった。自然に、一緒に本を作らないかという話になり、そんなことができるのかと自分のほうはとても驚いた。いままで、一人で本を作って一人で本を売ってきたので、他サークルの人間と自分が、一緒に組んで本を出すという事態がどういうことか、まったく想像できなかった。
そのことを打ち明けると、バンドで言うとソロ活動みたいなもんだ、とMは説明してくれた。確かに、あるバンドの人間が、別のバンドの人間とユニットを組んで、期間限定で活動するとかあるよな、と、その説明でやっと納得できた。それで、Mは元のサークルのメンバーのまま、自分とユニットを組んで、ソロ活動をする、という体裁になった。
二人ともその体裁が気に入って、結局、トータルで3冊、オフセットの本を出した。間にコピー本も何冊か出した。
Mは小説書きだったからかどうか、かなりの量産がきいた。こちらの”ユニット”と自分のサークルの両方の原稿を書いても、まだ余力を残していた。
自分は下手糞な上に遅筆だったので、時間の関係で、”ユニットの”原稿しか描けなくなり、一人でちまちまと本を作る余裕をなくした。
だが、Mの辛らつな台詞に触発されたか、自分でも目を覆うほど下手くそだった絵は、三冊目を出す頃には、見違えるほど上手くなっていた。一冊目と三冊目では、とても同じ人物が描いている絵には見えなかった。
本当に漫画が好きで、幼稚園児の頃から絵を描き続けて、それでもなぜかまったく上手くならなかった自分の絵が、Mに触発されてだんだん自分の理想とする絵に近づいていく過程は、自分でも驚くほど楽しかった。一皮向ける、という言葉があるが、本当にそんな感じだった。
だが、上手くなるにしたがって、自分は、だんだんと同人誌にかける情熱をなくしていった。
それまでの三冊の奥付の住所はMのものだった。本の感想は全部、Mのところに届いていた。個人でやっていたときは、ダイレクトに届いていた感想が、全部、Mの手で止まった。個人で出す一冊目のときは、煩悩を解き放っただけで形になっていたものが、その先は、数少ないながらも寄せられる感想を糧に、7冊もの本を一人で作ってきた自分だったから、感想に飢えて、徐々に情熱をなくしていったのだと思う。
甘ったれている、それはそうかもしれない。
画力がちょっとは向上して、絵を描くことじたいは前よりもっと楽しくなっていた。でも、同人誌を作っている人になら分かるだろうが、描くことが好きなだけでは本という形にはならない。その、形にする、という情熱を、もはや自分は感じなくなっていた。
最初に書いたとおり、Mは辛らつであまり人を褒めない。感想の手紙とか来てるんだろ、読ませてくれよ、と頼んだこともあったんだが、Mは、お前には絶対に見せない、という。お前みたいなタイプは調子に乗るから、下手に褒められると慢心するだろ、と続ける。
確かに自分は調子に乗るタイプだ。けど、調子に乗るからこそ、それが、次の本への原動力になる。漫画を描く、という、好きな作業以外の部分にも、なんとか、力を注げるのは、調子に乗るからなんだ。
そう自分の側の気持ちを説明してみたんだが、話なんて自分から湧き出てくるもんだ、人の感想なんか関係ないだろ、とやはり取り合ってもらえなかった。つくづく、Mと自分はタイプが違いすぎた。それは最初から分かっていたが、まさか、こんなことでまで言い争うことになるとは思わなかった。
やはり、甘ったれていたのだろう。
結局、それきり同人誌から足を洗った。同人誌を作る気力はもう残ってなかった。同ジャンルの人間にもあいたくなくなった。つまり、逃げたのだ。つくづく非コミュだと思う。
その後、しばらくして、別のジャンルに興味が出て、そっちにすっころんだ。だけど、やっぱり誰かと一緒に本を作るのはもうこりごりだと思った。だからといって一人でまた本を作って……という気力もやっぱりなかった。
いつの間にかパソコンが普及していた。これだったら本を作るほどの労力がかからないな、と思った。ホームページビルダーを買ってきて、自分のホームページってやつを作った。絵はそこで発表した。
なんて楽なんだろう、と思った。感想も、たまに、本当にたまにメールで来る、それで充分だった。一ヶ月に一通のメールでも、二ヶ月に一通のメールでも、とにかく直接、感想を読める。それがどれほどの原動力になったことか。
そのホームページも、仕事で責任のある立場になり、そこにかける時間がなくなって、結局、閉鎖した。そうして、じょじょに絵も描かなくなった。一人きりのまま、結局、自分には何も残らなかった。
絵が上手くなって嬉しかった。それも本当だ。けど、上手くなったからって、世界は何も変わらないんだってことも分かった。自分は非コミュのままで、やっぱり一人きりだ。いまは仕事だけが生きがいみたいになってる。
なぁ、どこで間違えたんだろうな?
個人的に、アニメや漫画の絵を公共の場で見えるようにすること自体に抵抗感を覚えます。
(自宅や即売会の会場内などは超OK。一応、俺もオタクなので二次否定じゃないよ。)
でも、コミケ帰りにみんなアニメやゲームの絵柄の入った紙袋を普通に露出してる件について、
紙袋を持ち歩いている本人は、全く問題意識がなかいことをきいてカルチャーショックを受けました。
恥ずかしいことでも隠すべきことでもない、と考える人も少なくないようです。
少なくとも、アダルトな絵柄の露出は流石にご遠慮頂きたいですが。
やっている当人にとって問題がないのだったら、
これはもう仕方のないことと諦めるほか無いように思います。
サンシャインクリエイションにご参加いただいている同人ゴロの皆様には、1月に発生いたしました個人情報の流出によって、4月の「サンシャインクリエイション43」及び6月の「サンシャインクリエイション44」の開催を中止することとなり、ご迷惑、及び、ご心配をおかけした事を深くお詫び申し上げます。
このたびの個人情報流出を受けて、お問い合わせ窓口や「サンシャインクリエイション42」全体反省会後におきまして、
「今回の件で今後も個人情報が名簿業者で売られる状況は変わらないので、カモは早く諦めて欲しい」
「金儲けの場を継続する義務が事務局にはあるのではないか」
といったご意見を頂戴いたしました。
このような同人ゴロ様の方々の心情に応え、お申し込みいただくねぎをしょったカモの皆様が安心してご参加いただけるよう、同様の事態が発生しないように一度も実施してない再発防止策を行うという建て前のもとで、イベント開催を継続することが、金儲けの場を維持し続けることが同人誌を作り、イベントにご参加いただいている同人ゴロ様に対する精一杯の誠意であり、責任の取り方であると考えた次第でございます。
5月上旬に、一連の再発防止策の"準備"に目処がついたこともあり、9月27日の「サンシャインクリエイション45」より開催を
再開させていただくことと致しました。
「サンシャインクリエイション45」のサークル参加申込受付開始後に、実施できるかどうか判らない状態の再発防止策の内容と、
クリエイションの目指すものにつきまして、改めてご報告させていただきます。
至らない点も多々あるかと思いますが、今後とも”ねぎをしょったカモと海鮮と共に創り上げていく即売会”クリエイションを、
何卒よろしくお願い申し上げます。
http://anond.hatelabo.jp/20080930224438 の続き。
この前のゲームを配布するため、第6回博麗神社例大祭で配布してみた。
申込の10月の段階で8割はできていたので、まあ3月には間に合うだろうという目論見のもと、申し込んだ。
実際にゲームは12月末で一応完成し、この日がくるまで、ゆっくり準備していた。
ゲームは手焼きで80部作成し、300円で配布することにした。
で、今日さばけたのは25枚ほどだった。一応の目標は半分の40部だったが、まあ妥当な結果という感じもする。
ネット上で体験版をダウンロードできるようにしていたのだが、昨日までのダウンロード数が237。
まあ、その中の1割ぐらいの人が買ってくれたのかな?という印象。
今まで、ネット上を介してしかゲームを配ったことはないので、今回の手渡しで配布という形式はとてもいい経験になった。
買ってくれた人がこのゲームで楽しんでくれたら、こんなに嬉しいことはない。
お金の話をすると、25×300=7500円が売上げということになる。
経費がサークル参加費(7500円)メディア代(5000円)電車賃(2000円)などあり、
サークル参加費ぐらいは回収できたことになる。まあこんなもんでしょう。
でも、サークル参加者に1枚ずつ配られた本家の体験版はプライスレス。
私は例大祭はこれが初参加で、前回が酷かったという話を聞いていたので、どんなもんだろうと思っていたが、まあ無事だった。
参加者は前回より増えていると思うけど、面積が3倍近いから流石に人口密度が小さくなったのだろうか。
でも、局所的には身動きとれない程混んでいたとこもあったらしい。
今後については、次の東方の同人ゲームを作っているし、残ってしまった50部近くを捌くため、また何かの即売会に申し込もうかなと思っている。
配布物が残ってしまうのは結構精神的に堪えるものがあったので、これからずっと即売会での配布をやろうとは思ってはいない。
ダウンロード形式はそれはそれで、気楽な楽しさがあるしね。完成したらすぐ配れるし。
とりあえずこんな感じ。色々あったけれども、今日は楽しかった!
「みんなに読んで欲しい」
「表現の云々」
ってのが超うそ臭いんだよね。
だったらネットで公開すれば良いのに。
本の形で出したいんだ、とかいう奴もいるけど別にネットに公開した上で本も出せばいい話だろうに。
結局、何のかんのいってお金とって売ってる時点でどう言い訳しようと商売だろ。
即売会なんかでは未だに「参加者」とか気持ち悪い概念で「みんな対等です」とか言ってるけどもはやそんなの成立して無いだろ。
もう完全に商売じゃん。金目当てじゃん。
読みたいという要望があったから?
じゃあネットで公開すれば良いよね?
人の権利侵害して金儲けする行為がここまで堂々と街中で行われてるのは先進国として異常じゃないの?
「儲けが出てるのはごく一部」「趣味の一環」
この手の言い訳はもう飽きたよ。
単に売れてないからそうやっていいわけしてるだけじゃん。
儲けが出るような構造で活動してるんだから結果的にどうであろうと関係ないし。
そもそも、商売目的じゃなかったら違法行為が許されるって理屈がわからん。
マジコン売ってる奴の方がまだマシだわ。
たしかにそういう事情もあるのかもしれませんね。
だからといって、十把一絡げにしてしまうのはある意味門戸を狭めることになる
しかし、その某大手同人ショップの別の店舗にも行きましたが、狭い中で
手前が商業誌と全年齢もので、奥が成人向けという店舗構成になっていて、感心したのですが…
秋葉原の店は広いんですから、工夫すればきちんと成人向けと全年齢向けをきちんと分けられると
思いますけどね。
おっしゃる通り。
先日コミケに初めて行ってきましたけど、意外と全年齢の方が多いという印象でしたね。
(3日目に行かなかったからだというのもありますが。)
そんな人間から見たTwitterの利点がいくつかあるので、ここにまとめておきます。
■知り合いが増える。
「同人」というものの醍醐味は同じ同人作家との交流だと思います。
今までは自分のHPと相互リンクしたりイラスト交換したりといったものがメインでしたが、最近はmixiやpixivなどのSNS上のが多いと思います。
ですがpixivも然り、特にmixiはすでに知り合いの人とマイミク・マイピクになることがほとんどです。
TwitterでのFollowはお互い知らない人間であることが多いので新たな出会いが生まれやすいと思います。
しかも普段からReplyで頻繁に会話もできます。(絵描きなのに文字での交流はどうなの?というのはここではスルーします)
現に私はTwitterから知り合った絵描きさんが非常に多いです。
同じ絵描きなら誰でも好きな絵描きさんはいるものだと思います。
そんな憧れの人(Twitterをやっていること前提ですが、)の私生活が覗き見えます。いわゆるストーカー。
自分が大好きなあの人はこんな人だったのか!とあらためて見れます。
逆に凹むこともあるかもしれませんが、大抵の人にとってはうれしいことなんじゃないかな、と。
■普段見れない絵も見れる。
絵描きTwitter-erは自分が描いた絵のURLをタイムライン上に載せることがよくあります。
pixivとHPだけを巡回しているだけでは見れない落書き等をもらさず見れることもあります。
■自分の絵を見てる人と話せる。
自分の絵を見てくれている人からFollowされることが稀にあります。
やっぱり同人活動しているならば、自分の作品に関して色々言ってもらえるのはとても励みになりますし何より嬉しいです!
絵をUPしたあとにReplyで感想が飛んでくるとまた絵を描こう!と思えますし。
すごーく珍しいことだと思いますが、自分の好きな絵描きさんが実は向こうも自分のことが好きだった、なんてこともありました。
■即売会中でも連絡がとれる。
特に大きな即売会(コミケ・サンクリ・コミティア等)では同じくして参加している同人作家さんがタイムラインにいることがあります。
そんな人と開催中でもTwitter上で会話ができます。(実際は忙しくて難しいかもしれませんが。)
開場前の挨拶回りのときに行こうとしてたサークルさんが「いま挨拶回り中でスペースにいません」と発言していればすれ違いが防げたりします。
■絵のノウハウが聞ける。
Twitterがもつ「つぶやく」という性質上、絵描きさんは絵に関するつぶやきがやっぱり多いです。
同じ絵描きからすると「なるほど」と思うことがかなり多いです。
2chの同人ノウハウ板に書かれるようなことが向こうから入ってくるのはすごく助かります。
■好きな作品について語りつくせる。
これは同人作家に限ったことじゃないかもしれませんが・・・。
同じジャンルの人をFollowしていけば必然的にそのジャンルの話題が多いタイムラインになっていきます。
そうすると普段なかなか語れないような作品に関する会話が沢山できてとっても楽しいです。
この他にも、イベント当日あなたのサークルスペースに行くので新刊1部のけといてー。とか言っておけたり。
要は今までできなかった交流が一気に円滑にできるようになることが同人活動においてとてもプラスな方向になっていると思います。
ひとつ、うざい話を書く。
もう10年以上前のことだ。某大学に入学した1年生の俺は、桜咲くキャンパスでさっそく某部活の勧誘に誘われた。
勧誘の人に腕をひっぱられてついていった部室で、1年上の女性の先輩が俺を熱心に勧誘してくれた。
先輩はむちゃむちゃかわいかった。色が白くてかわいくてボーイッシュ。
俺は男子校出身で女性免疫0だったけど、下心を隠しつつ、彼女に憧れ入部した。
だけどしばらくして、その先輩には部活の仲で、先輩と同じ学年の彼がいることがわかった。ラテン系のイケメン。
その頃=年齢だった俺は非モテ意識が強くて、憧れるけど俺なんかとは釣り合わない、無理だわ、とは思っていた。辛かった。
その男の先輩とは学部が同じだったので仲が良かったので余計に辛かったかもしれない。
さて、1年経って2年になった。俺は相変わらず一人。
ところが、2年の春、ほどなくして彼女はひっそりと部活から退部した。
理由は、体が弱いから。でもそれは表向きの理由だよなと思っていた。先輩同士が別れたのだ。
だが、当時の俺(相変わらず=年齢)がそれにつけ込めるほどの力はない。
モチベーションを失った俺は、ほどなくして別の理由で退部した。
恋愛をするだけのスキルなどまるで持っていなかった俺は、精一杯できることとして、お互い退部してからも彼女とコンタクトをとり続けた。とはいっても、年に何回か、学内でばったり会って立ち話をする機会だけだが。
そんなごくごく遠い関係のままだったが、先輩彼女の卒業式では、彼女とたまたま会って(いや、俺が学内を探してたからかもしれないが)、記念写真を撮れた。彼女は袴だった。今はその写真はなくなっているが。
ここで、俺と彼女との知り合いとしての関係は終わる。もう10年前のことだ。
そして、時は数年流れてある日。
部屋の大掃除をしていると、彼女のメールアドレスを見つけた。どこかで交換したものだ。
当時は1-2回メールを交換したあと、ぱったりメール交換もなくなっている。そんなものだ。
だが俺は出来心で、そのメールアドレスから彼女のホームページを探し始めた。
当時のメールアドレスから、その人のHPスペースがある程度推測できた。
だが、当時SEになっていった俺は、彼女のHPスペースにある隠しページを見つけ出した。
俺は、その掲載内容をみて仰天する。
彼女はある作品に傾倒した腐女子だったのだ。(作品名は伏せる)
そんなふうには全く見えなかったが、、、
物書き系のページだったが、文学的なセンスがあり、非常に読める文章だった。腐女子としての彼女も輝いていた。
俺は、ハンドルネームを使って接触を試みた。全然知らない人として、年数回掲示板で受け答えをしていた。
キモいな俺。
最後の更新から1年近く経過した。掲示板にも全く書き込みはない。もちろん、ページも更新されない。
恐らく、彼女の生活に重大な変化が起こって、腐女子はやめたのだろう。
そう思った。
もうオンライン上でも会うことはなかろう。俺は、彼女のページのブックマークを消去した。
そして、時はさらに数年流れる。
ある時、また俺はふと出来心で彼女のページを開いた。ブックマークからは消えていたが、暗記するほどだったということだ。
なんと、彼女のページは復活していた。
俺はそこで彼女の結婚を知る。彼女は腐女子から貴腐人になっていた。
そこに書かれていた記事によると、当初は隠れだった腐趣味が旦那バレして、最早隠す必要がなくなったようだ。すっかりあけっぴろげに書いている。エロだらけ。
俺はがらがらと彼女のイメージが崩れると共に、なんだかもう笑ってしまった。
今俺が彼女と会ったらどうなるだろう。リアルでは、大学卒業から時が止まっている。
彼女は、たまに某腐系のonly即売会で売り子しているようだ。
俺の女性の知り合い(これもまたそれなりにオタ)をそそのかして、うまいこと即売会に行ってしまおうか。
だが腐趣味即売会で男とばったり会うほど向こうが迷惑なこともなかろう。まして、何年もヲチしてきたなどと知ったらどうなってしまうだろう。相手にとって、これほどキモいこともない。
そんな恐ろしくキモいことを考えつつ、まあそんな一方的で非現実的なことも起こりえてしまうんだな、と。
はー俺きもいきもい。あー10年ぶりにキモい考えを吐き出した。
同人誌を値切らないで! - FANTA-G - 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/fantag/diary/200808190000/
エロゲ制作者・妹尾拓ブログ: 同人イベントで値切る人は普段、本屋やゲーム屋でも値切っているのでしょうか?
http://atf.sblo.jp/article/18222772.html
値切るというやり方ではなく、コミュニケーションのあり方の問題。「お金がない」「○○円だったら買う」「一冊でも売れたほうが在庫も減って見てくれる人が増える」。商売人根性や消費者利益を持ち出して値切ろうとする、その買い手の頭が足りないだけ。「サークルの書き手はプライド(愛情)を持って本を出している」と言うのだから、そこをくすぐるようなコミュニケーションをすればいい。サークル主催者とのコミュニケーションに価値を見い出さず、安く買うことに価値を見い出そうとする、その買い手のココロは貧しいと思う。しかし、値切ることを即売会から排除するべきとは全く思わない。極端に言えば「あなたにはタダであげる/あなたには売らない」といったえこひいきも許されるのが即売会。それに対して「拒否する/怒る」ことも自由。商売ではないんだから。
たくさんついてるコメントの中で下のコメントが一番すっきりしていると思う。
なんか本気の本気で心の底から勘違いしてそうな気がしてきたから補足するとね。(本気と書いてマジと読む)
「32ページで700円」とかふざけた値段の本ってのは世間の常識的な感覚ではありえない。ただ、”同人誌”っていうものを作ると印刷費用の関係からその値段になってしまうってだけの話で。でも高校大学の漫画研究会の人々はそれでも「自分の描いた漫画を読んでもらいたい」から、「ごめんなさい、こんな値段ですが僕の本を読んでください。おねがいします」って売っていたわけ。もともと同人誌即売会(コミケ)ってのはそういう”場”で。
買い手も作り手ばっかだから印刷代もだいたい見当がつくから、できるだけ数多く買いたい買い手は「(700円だけど・・・原価300、いや350ってとこか・・・落としどころは600か?)ん?? 500円でどう?」ってごく普通にやってた。
で、いつからか微妙にそういう感覚がすっぽり抜けてる人々が増えてきて。
(なんとなーく、”大手でしか買わない”人々が関係してる気もする。あちらは売り手市場であそこで値切るバカはいない。)
裏返っちゃったのが「普通」の人が周期的に出てきて驚く。
イベントに適合しない会場を借りたことが事故を招いた、って論旨なんだから
自分たちに合う場所がないなら「作れ」とか言ってるんだぞw
芸に走りすぎてうまく伝わらなかったか。
趣旨は
「なぜオタク叩きばかりが先行するのか。確かにイベント自体には問題があるが、エスカレータが原因であるのは明らかで、そこから目を背けさせるような言動についてはそれを間違いであるとしか言いようがない。
しかしエスカレータのみに問題がありイベントには問題が無いという主張にも賛同できない。他のイベントで発生せず、この場でこの事故が発露したのは何らかの原因があり、その点も究明する必要がある。そしてあらゆる対策を練るべきだ。
結局他人のままではいられないのだから、問題意識を持つべきだ。」
というところだ。
うむ。http://anond.hatelabo.jp/20080807171207を芸を省いて書き直してみるか。
なぜかオタク叩きや、一時的なものなのだから、まずは反省してやりすごせよというような結論を多く見かけるが、これについては異論があります。
はじめにポジションを申し上げておくと、私は別にイベント自体についてはそれほど思い入れがない。今回の事件があり、興味があって初めてイベントの概要を詳しく調べたが、模型系の特定の趣味を持った人々の一大イベントであるということはわかったりました。
しかし、こういった場合は即売会という性質上、人が多く集まることは目に見えています。イベントの規模と比較して、会場が小さくなりぎて、ぎりぎり、余裕を持たずに行っているという印象を受けたます。
事故を発生させるに至った当事者は、失敗から学び二度とこんな事が起こらないようにすべきで、そのために一番確実な対策はイベントを止めることだが、それすら視野に入れるべき問題であると考えています。
だが、しかし、今回の事件で一番問題であるのは、加重に耐えられなかったエスカレータであるのは間違いありません。なのに人間は理解できないものを嫌うという性質があるとはいえ、オタク叩きの方ばかりに目を向けず、根本的な原因を探るべきだと思います。
たとえば、同等製品が名古屋でも事故を起こしているが、このときもエスカレータを走って上ることが原因の一つにあげられました。だが結局はあのときは、多くの論調は「走ることは日常的に行われているのに、それを考慮しなかった強度設計が問題である」という結論であったように記憶しています。すくなくとも、利用者を強烈に批判するようなものは見たことがありません。
そのため、エスカレータを走って上ることはしないで、という啓蒙はおこなわれましたが、今回故障したエスカレータを含め同型機種には対策が施されたわけです。
今回の事件はエスカレータメーカが一番、この問題が重大であるかと言うことは一番よくわかっているだろうと思います。だから処置はする。しかしその措置は社会的な圧力があるかどうかによって全然違うのではないでしょうか。言ってしまえば、似たような会社はたくさんあると思います。ただ社会的な圧力上がるかないか、社内的処置として行うのと、公的に経過を公開して処置を行うのとでは全く話が違うでしょう。公的に経過を公開すれば、そのノウハウが伝わり、各社がその知識を利用することで同種の事故を防ぐ事ができるかも知れない。こういった観点からすれば、こういう方向に行くのが一番よいのではないかと考えます。
こういったことが、一部のオタクを嫌う感情から、重大な問題の存在を隠匿するようであっては、社会的に大きな損害でしょう。
ただ、そういったところでエスカレータだけが原因か、といえば、他にもあることは指摘せざるをえません。
言ってしまえば、参加型のイベントで人が多く集まるという形でやるには、規模が大きくなりすぎているのではないでしょうか。また、会場の選定を間違っていないでしょうか。
<これについては補足をする。つまり、ビックサイトは大規模なホールのほとんどが広い入り口と通路でつながっているが、その中でなぜ限られた通路しかない場所を使用したのか、ということについて、疑問があると思っている。全ホール貸し切りというわけではないのだろ?>
また、エスカレータに欠陥があり、そこが根本的な原因でいつか事故が起きるかも知れない状況であったとはいえ、なぜこのイベントで起きたか、ということについては、もしかしたら運かもしれませんが、それにしたって原因はあるはずです。その原因分析は相応に行われるべきだと思います。その結果としては、施設の制限を事細かに事前に把握して的sてうな誘導プランを策定する、といったことや、はてまた運が悪かった(確率論的に避けようがなかった)という結論であるなら、オカルトに頼ってみるという方法だってかまいません。
私が知る限り、この種のイベントは毎回問題を抱えているように見えますが、運営方法について改善の余地があるのではないでしょうか。愛好家の集まり、アマチュアであるから一定以上の金が出せない、というような事を理由に参加費の値上げや各種サービスの有料化等に反対している論をインターネットなどで読みます。また、改善案等を提案する人がいても、コストを理由にそれを押さえ込む動きもよくみます。
しかし、それでいいのでしょうか? スムーズに運営するために相応のコストは当然なのではないでしょうか?その結果、今回の事故がこのイベントで起きてしまったのだとすれば、それはもう成立しないのだから、中止するという抑止方法も選択すべきです。
運営する会場の規模がイベントに比べて小さいのならば、さらに大規模な会場を探すことも選択肢です。またイベントの種類に適した適切な会場に移り、無ければテントなどを用いた仮設営などでも会場を作ることも考えるべきです。それらが無理ならば、少なくとも会場に似合っただけの規模に抑えるべきです。少なくとも、特定の時間帯や開始直後に集中させずに、抑制し分散する対策は必要だと思うのですが、現状十分にとっているのでしょうか?
それらのエスカレータの事故がこのイベントで起こってしまった事実は厳粛に受け止めるべきだと思うのですが。
考え方としては、オタク系イベントの中でも随一の知名度と規模を誇る割に、開催基盤がワンフェスに比べて脆弱なコミックマーケットで発生しなくてよかった、ともいえるのではないでしょうか。海洋堂ならばチョコエッグを始め一般的な知名度もわりとありますし、ワンフェスのみで収入を得ているわけでなく、柱となる事業があります。原因究明についてはきちんとした結果とノウハウを公表してくれるでしょう。
いえることは今回たまたまエスカレータの部分に問題がでましたが、今回これが大丈夫でも、同じ体制では他のところに問題が発生したかも知れません。そういった考え方をしても、イベントの規模が問題であって、参加者に問題がある、とは考えられないでしょう。
イベントに問題があるのは、その参加者の問題もありますが、原則的にはイベントの運営方法に問題があると考えます。そこで参加者についてたたいたりもdないにしたところで、またその参加者がすべての責任をおたっと頃で、原因究明は遅れるばかりで何の利もありません。
最後に、このトラックバックツリーの大元の増田の話を引用します。
事故が起きないようにする防衛策と起きたあとの対応策の両面に問題があるはずなのに極々狭い視野で決め付けや陰謀論に走ったりしてるからもう見てらんない。
ビックサイトはオタク系イベント以外でも利用します。エスカレータもビックサイトにあるのがすべてではありません。誰も人ごとでいられないでしょう。
クソつまらん文章だな。クソだこんなもん。