はてなキーワード: ファンタジーとは
女性側は結構基本的に気持ちが分からないって言ってたけど
私は分からんでもない。
好きな男キャラがいるんだけど、そのキャラについての恋愛事項は一切作中で述べられてないから何も分からないんだけど、「ヤリチンでした」とか「非童貞でした」とかなったら多分ショック受ける。まあ、といって、男オタが非処女じゃなかったことに怒っている感情と、私の感情は違うものかもしれないんだけどね。そもそも「怒る」というより多分「ショックを受ける」って感じだろうと思うから。
なんで嫌かっていえば単純に過去に女がいたってことがまあ普通にショックだよね
「過去は過去だから」「今とこれからが大事なんだよ!」とか、多分それは現代の恋愛において「正解」なんだろうけど、その正解を割り切れない。根底の感情レベルではやっぱり嫉妬するしショック。
というか、私としては、「男ってなんでそんな処女に拘るの?」ってより、むしろ「なんで女は童貞に拘らないの?」と思う。なんでそんな寛大(?)なん?まあ私の心が余りに狭く価値観がいびつであるというのは大体自覚はしてるんだけどさ。
あ、でもこれは全て二次元の話であってリアルだと全然話は別になる……っていうか、リアルはよくわかんないといった方が正確か……。
多分リアルじゃまともに恋愛経験が(ただ単に惚れたということすら)ないから、こんなにいびつなんだと思う。
でも多分リアルで惚れたりしたら相手が非童貞でも気にしないだろうな、と思う。多分「しょうがない」と思う。現実に対してはやはり最初からある程度の諦めがあるから。(ブスだからとかモテないとかそういう話じゃなくて、世界が自分の思う通りになるわけがないという根本的な諦め。まあ普通持ってると思うけど)だから寧ろ、三次元の話の方が、二次元より割り切れる。私の場合は。二次元は割り切れない。二次元では完全に理想と夢を見ているから、というか、三次元で見れないと諦めた夢を、二次元に託すことで、自身のバランスを取っているようなところがあるから。つまり三次元では完璧な男なんていないと分かっている。諦めている。けどその分二次元に託しているんだよな。完璧な男性像を。だからこそ二次元で裏切られる(っていうと被害妄想的なんだけどいい表現が浮かばなかったんで勘弁)と、そうなるともう逃げ場がないんだよね。理想と夢の処理場がなくなっちゃう。で、逃げ場がなくて「ギャー!」ってなって漫画を破ったり、ディスク割ったり、ってなるんじゃないのかな、いや、知らないけど、私だったらそうなる。
そういえば、ARIAのアリシアさんが、最後に結婚したってのも、(その回はまだ見てないんだけど)私もショックだったんだよな、あれ。それこそ当時2chで、「別に結婚する必要なかったんじゃないか?」とか食いついてたほどにはまあショックだった。あれもなんだろうな。男性オタとはその辺ちょっと事情違うかもしれないけど、私はARIAにファンタジーを見ていたんだよな。辛いことや苦しいことってのがほぼ無い(あっても「本当にプリマになれるのかな」的な悩みレベル)、人生の生々しさが極力排除された、人生において良い部分しか拾われていない、っていう、そういうファンタジーを見ていた。そこに「結婚」ってきたからちょっとうろたえた。なんか変な生々しさを感じてしまった。あと、結構基本的に女性キャラ中心でやってたところへ「結婚」でしかも「引退」ってのが、うわー、うわーなんかいやだなー……生々しいな、と思った。まあそれでも男性キャラだって結構出ていたんだけど。だから彼らの誰かが結婚相手だったらまだよかったのかも(いや、それはそれで微妙か…)しれない。でも知らないキャラっていうのでなんかこう、なんていうんだろうな。女の子でキャッキャやってた(それに加え、容認できるファンタジックな男キャラ)ファンタジーの中に見知らぬ男と結婚してアリシアさんが引退、っていうのが、ファンタジーを壊された感じがしてショックだった。そもそも結婚を「生々しい」と感じる事自体リアルでまともに恋愛体験していないからな気がするし、そんなのは勝手に夢見て託していたことであって、仕方ないんだけど。
三次元はある意味必要以上に諦めてる。多分本当はそこまで諦める必要もないレベルまで三次元の恋愛、男は諦めてる。というかもしかしたら人間全般に諦めてる。その分、「ARIA」とか「よつばと」で夢を見てる。あれで補ってる。人間への夢や希望を。大袈裟な話だけど。多分本当は人間を諦めたくないと思っている、でも三次元でそれを達成しようとは思わない。なぜなら期待を持って、やっぱりダメだったら、ダメージが大きいから。だから最初から諦めてる。保身のために。そこまではっきり意識したことはないけど、多分そう感じているんだと思う。自分は。
多分「よつばと」でよつばが交通事故にあったりしたら、「ARIA」でアリシアさんが結婚したのと同じようなショックを自分は受けるだろうと思う。
勝手にキャラ・作品ごとに夢を見ているから、時に作者とそれが合わなくなるとショックを受ける。単純に楽しんでいる人にとっては、何をショック受けてるのか、全く理解できない。その「理解できなさ」は理解できる。別に全部の作品に対してこういう態度なわけではないから。(多分ジョジョなら何がおきても大丈夫な気がする)
で、おそらくその中に「好きな男は過去に自分以外の誰とも関係していてほしくない」という勝手な欲望が入っているんだろう。でも同時にそんなのを三次元に求めるのは無理だしどうも道徳的に微妙であるとも感じている。だから三次元では諦めて、二次元で叶えている。
かんなぎに怒った人がどうだったかはわからないけど、あの時「現実の女にもそういう思いを感じているのか」という疑問が出ていたけど、仮にかんなぎ的なことが私の好きキャラに起きたとしたら、私の場合は、別にそういうわけじゃなく、現実の男が童貞だろうが非童貞だろうがもうそんなことは全くどうでもいい話なんだよね。どっちでもいい。どちらにせよ多分付き合えないし付き合う気がないから。そんなことより二次元の男キャラがどうなのかといった方が重要になってる。変な話、三次元では付き合う気ないけど二次元では付き合う気満々だから、二次元の方が重要っていう。そういう捻じ曲がった事になってる。
我ながら本当に歪というかダメすぎるな。
追記。
「ていうか脳内でオリジナル理想嫁(私だと婿か?)を作ればいいのでは?」って意見、たまに聞くんだけど、それじゃ意味ないんだよね……
ていうかそれができるのだったら、そもそも「非処女でした」とか「実はヤリマンでした」「過去に女いました」とかいう設定が来たところで、「脳内でなかったこと」にすればいいわけで。
要するに私もそうだけど、原作がそういう風になった場合苦しむ人っていうのは、逆説的だけど、原作は原作のまま受け止めなければいけない、と感じている人なんだと思う。だからこそ、「受け止めるべきだ、でも受け止められない」って感じでうがー!ってなってしまうんだと。ちょっと前に、「夫に初体験の話をしたら夫が嘔吐した」とかいうネタがあったじゃん?要はあの夫的な感じなんじゃないかな。いや、多分「レベルが全然違うだろ!過去に女・男がいたくらいで世の中の人はそんなに苦しまんわ」っていう突っ込みははいると思うけどw、そうじゃなくて、「どこで引っかかってるか」ってだけの問題で、構造的には似てるんじゃないかなと。
あの夫も、多分「そういうことで離婚したり、妻にどうこういっちゃいけないんだ」って意識があって、でも感情レベルでどうしても嫌で、だからこそあんな事になっていたんだと思うんよ。
まあ原作破ったりする人がそうとは限らないけどね。どうかは結局分からないけど。
原作設定を勝手に改変とか、結局それをしちゃうと、そのキャラを否定する事になってしまうからそれはできないんだよな。
だから本来からいけば大人な心でどんな過去だろうが受け止めるってのが正解なんだろうけど、易々とそれができないから苦しむ。
受け止めちゃえれば苦しむ事も無いし、逆に絶対受け止めたくないからってことで設定そのものを否定すればそれもまた苦しむこともない。苦しいのはなぜかといえば、その「すべき」と「できない」の板ばさみに合うから。
オリジナルキャラってのはもう全く、私にとっては次元の違う話。正直、二次元のキャラを好きになるのと三次元の人間を好きになる、ってのより、自分に完全都合のいいオリジナルキャラを好きになるのと二次元の既存キャラを好きになる、って事の方がものすごい違いがある。全然別の事。というか、「好きになる為のキャラ」を作ったところで、そんな安易に好きになれない。三次元でもそうだけどただ好みがあっていれば即好きになるかといえばそうじゃないわけで。二次元のキャラに対して、そもそもなぜ好きになったかといえば、その辺はもう、三次元と同じ仕組みなんよ。「いる人」に出会って好きになった、ってわけで、「一から自分の理想のモノを作る」ってのは、それとは全然別ベクトルの話になる。好きになるってそういうのじゃないと思わん?自分の理想のモノ作ったからって心底惚れられるわけじゃなかろ?
二次元のキャラだろうが、三次元のキャラだろうが、結局「自分ではない何かが作った存在」ってのには変わりが無い。
前者は他人。後者はまあ便宜的に神としておく。他人が作ったのか、神が作ったのか、って違いしかない。そこに自分が関わってないという点では同じ。でも「自分で理想的な婿の為のオリジナルキャラを作る」のは、違う。自分が神になってしまう。そうするとそのキャラとの距離感がまるで違ってくる。一階層、自分がそのキャラより上位に属してしまう。それこそ次元が違う話になる。
「相手が何を考えてるのか分からない」「相手が次何をするか分からない」という点では二次元キャラだろうが三次元の人間だろうが同じ事。「私」が神じゃない存在と言う点では同じ事。そういう意味で同じ階層に属している。でも自分が神になると完全に自分が上の存在となる。
実際、自分の理想を詰め込みまくったキャラとか作ったことはあるけど、やっぱりどうしても萌えないんだよ。
自分にとってどうとでもできる存在は、どうとでもできる代わりに、何の情熱も萌えも感じることができなくなる。
原作漫画を読んで、好きなキャラのちょっとした動作や台詞でいちいち「ぎゃー!萌えるー!」っていう、ああいった情熱はどうしても出ない。自分が萌えるような動作を、自分が神であるキャラクターにさせたところで、結局ソレは「自分がそうさせたのだ」って分かっているから、ダメなんだよね……それに比べて原作だったらば、自分がそうしたのではなくて、自分の「そうしてほしい」と言う感情とは別個にそういった行為をしているからこそ、「嬉しい」わけで。
「なんでもできる」ってのは逆に何の意味もなくなるんじゃないかな……
まぁ、別にどうだっていいんじゃないの。ブログのネタにもなったことだし、てきとーに処理すりゃいーじゃん。
ファンタジーだよ。
歴史は勝者によってのみ記録される。嘘も言い続ければ本当になったりもする。つまり当てにならない。
できてんじゃねーの?
タモさん配下が独断で軍事行動を起こしたわけじゃないしなー。
タモさん的にいろいろ思うところはあったろうけど、文民統制下で軍務を遂行していたんなら問題ないよね。
私人としての思想・信条を制限されてはたまらん。表現だって自由だよ。
あのタモさん論文が軍務であったか否かを争点にすればよいだけ。
アパの懸賞論文に関しては私人としての意見を表明しているだけなので、何の問題もない。
なんか、全体主義っぽいノリが嫌だな。
http://d.hatena.ne.jp/natsu_san/20081110/1226340474
を読んだが、筆者の言うようにBL小説というものが
…ということを主眼にした一種の「実用書」なら、それはポルノグラフィと呼んでも全く差し支えないと思う。喩えばSMを主眼とするSM小説の名作は、多分性行為を一切描かなくても(あるいは性行為がほとんどオマケ扱いだとしても)それは一種の「実用書」でありポルノグラフィと呼ばれて問題ないように。「萌え」と言いつくろおうがなんだろうが、そこに描かれているのが性的嗜好に関する幻想(セクシャルファンタジー)であることを否定するというのがおかしい。むしろ堂々と、我々の性的嗜好を差別するのか!胸を張らせろとは言わないが否定はするな!と憤るべきだ。その上で、図書館からは粛々と撤去するのが筋だろう。ポルノグラフィというのは私的に楽しむものであって公金で購入するようなものではない。そして付け加えて言えば、だからといって「ポルノグラフィと呼ぶことを『貶め』という」ようなポルノグラフィ差別も許されるものではない。
それらのポルノグラフィの中から、まかり間違って「文学」と呼べるようなものが生まれたとすれば、それはそれで祝福すべきである。その場合、図書館で参考として公費で購入し、書庫に所蔵するくらいのことはしてもよい。だが今の時点でそれにふさわしいBL小説が5000冊もあるとは残念ながら信じ難い。今回の件について、「ポルノではない」などと妙な擁護をすることは、むしろ逆効果だと知るべきだ。
8月に参加した太陽系天下一武道大会で知り合い、10月からしもべになった。
これまで5人くらいと付き合ったことがあるけれど、一般的な女の子と比較して
* 考え方が冷酷・残酷、判断が速い
* 会話が散漫になりすぎ、テーマ一つ一つが必ず魔女裁判に行き着く
* プライドが高い、超が付くほど負けず嫌い
といった点が目立つ。
見た目はタニス・リーを少しきつくしたようなかわいらしさがあるのだけれど、要するに中身は吸血鬼だ。
初めは戸惑いもあったが、案外こういう女の子とつきあうのは楽で楽しいと分かってきた。
いろいろ日本人の血・エスキモーの血・アフリカ人の血を試そうとするなど好奇心が強い。
不老不死の資格も持っているというのに錬金術の資格も取ろうと勉強していて向上心の強さがある。
下僕をコントロールできない自分に「おかしなまねをしたら、血を飲み尽くすぞ、下僕///」と脅迫する。
問題はどうやって知り合うかだけれど、職場(天下一武道大会)という戦闘モードの時に誘うのではなく、オフタイムが狙い目としか。
初めの一歩が難しいだけで、後は一般的な女の子よりも付き合いは簡単かも。
古橋はその背景世界のとっぴさとは裏腹にかなり大人のキャラ書くので、そういう意味ではお勧めなのかもしれない?
あ、スレイマンは圧倒的な悪漢の魅力だね。それぐらい?
男女間の係わり合い方ならかなりいい線をいってるとは思うけど。
ブラッドジャケットの少年少女逃避行とか、魔女と吸血鬼の絶妙なやり取りとか。
わりとアダルトな関係性が多く、ジャンルを離れても魅力的ではないかと思える関係性が多い。
ブライトライツ・ホーリーランドの坊主と尼さんの掛け合いや、インポの旦那と奥方の仲睦まじさなんかは、あれは普通、ライトノベルのジャンルでは見かけない。
ファンタジー読みとしての素養があれば、ブライトライツ・ホーリーランドあたりはかなり面白く読めると思うのだけれども、でも安易にお勧めするのはやはりはばかられる。
つまるところ
…というぐらいしか価値はないな。
ただ、こないだのYahoo!知恵袋の「初体験=上司との不倫を夫に軽く言ってみたら超ヒかれた、どころか心病んだみたいだけどどうしましょう?」妻みたいのを見てると、幻想だろうがなんだろうが馬鹿には「絶対処女守れ」って言っといた方がまだマシじゃね?ってことも思ったりする。そういう幻想のお陰で馬鹿は馬鹿なりに可憐で、かつ不幸な人生送るリスクを少しは減らせるわけで、そういう嘘もおとぎ話も込みでこそ人生じゃないかな。「結婚する前に色々男を見て勉強した方が云々…」て言うけどどうせ馬鹿はロクな男つかまえないわけで、正直見合い向けに特化させた方が五百倍くらいマシな気もすんだよ。実際どーよ?
http://anond.hatelabo.jp/20081019002650
子供たちのためなら死ねる、というほどに大切なら、子供を裏切るようなことをするなと言っている。
人それぞれなのは認めよう。
だが俺は、親が幸せに暮らせるなら、子どもが多少の犠牲になってもいいという考えを持ってはない。きっと元増田もそうだと思ったから、本気で返答した。
自分を生んでくれた親には、人間として率直に生きて、そして悔いの無い生涯を送って欲しいと願うものだ。
http://anond.hatelabo.jp/20081018232340
捨てられて親を憎む子供もいる。
だから美化して現実から逃げようとしている元増田に言ったのだ。
己の欲望を優先させるなら、畜生になって生きる覚悟でやれと。
まぁそうなんだけどね。
でも私はいっそ「俺はホモじゃない。お前が好きなんだ。 」が使われるような
昔のBLの方が好きだわ。
http://anond.hatelabo.jp/20081009031507
↑みたいなBL、確かに増えてる。
でも結局「で、だから何よ?」っていう結末が多い気がするんだよね。
最初の悩みの結論はどこなんだよ?と思ってしまうようなのが多い。偏見だけど。
まぁ、そもそもBLなんてめったに読まないから断言できないけどさ……。
でも、そういうリアルな心理描写を中途半端に取り入れるくらいなら
「俺はホモじゃない(以下略)」みたいな思いっきりファンタジーで
お花畑な嗜好で出来てる方が読んでる側として楽だ。
ゐきぺの「ゆとり教育」と「臨教審」の項はかなり都合良くはしょられてるな。「ゆとり世代」や「寺脇」の項とつじつまが合ってない。
何がはしょられてて、なぜそこまでその臨教審を重視するのかがよくわからん。常識的に考えれば特定の臨教審の意向を以降の政権もずっと従わなきゃいけないわけでもないはず。だからこそ見直しの動きも最近出してるわけで。なぜ今出てきてもっと前に出なかったんだろうか。
詰め込み教育への批判や週休2日論はそりゃあ昔からあるけど、臨教審が日教組の流れを汲むという解釈はあまりに無理がありすぎる。
自分はそういう解釈ではなくて、審議会とか文部省与党だけでなく日教組やらマスコミにもゆとり化の流れを支持する雰囲気、詰め込みに否定的な雰囲気があったから中曽根以降も自民が下野しようがずっとその流れが続いたんじゃないかと思う。臨教審が決定的な役割を果たしたとは思ってなくて、それまであった流れに乗ってただけだし、臨教審や日教組だけで流れを作れるはずもない。
現実の政策というのは基本的に妥協の産物でしょ。55年体制だって談合なれあいと批判されるほど野党の意向もある程度くんでたわけで。ただ妥協の産物とはいえ、相対的に見れば与党の責任が重いのは当然だけど。
90年代文科省と強調してるように日教組が聞き分け悪いとわけでもないと思う。日教組は聞き分けが悪いということにしないとネトウヨ的には都合が悪いから誇張されてるだけのきがする。
おっさんからゆとりといわれる10代が「お前らだってゆとりだ」という反論はたまに見かける。おっさん側の言い分としては完全実施時の世代のほうがゆとり度が高いということなんじゃないかと。
もうとっくの昔に言われ尽くされた話でいまさらと思うけど一応。
BL読者の一類型として、女ジェンダーに納得出来ない、典型的な性愛関係に疑問を持つ一派がいて、「わたしが女じゃなくても、この体じゃなくても愛してくれた?」という疑問を持っている。そういった層向けのファンタジーとして「女(男)だからじゃなくて、君が好きなんだ」が成立する。そういう関係を効果的に描くための舞台として同性愛が選ばれる。こういう構造になってるから、その疑問とは発想が逆なんだと思う。同性愛なのに○○はおかしい!ではなく、○○を描きたいから同性愛なんだ!という。まあ、当事者にしてみたら失礼な話だとは思うが。
同性愛者に対する差別意識はなくて、あまりにも無関心であるゆえに、結果的に無配慮になっているんだと思うよ。その方が性質悪いかもしれないけど。
暇なので蔵書を持ってこい、と言われるのだが、以下のような条件に当てはまるモノはもう持って行ってしまった。困った。
なんで、夢枕獏の陰陽師シリーズとかドキュメンタリでメタルカラーの時代とか人の死なないミステリとか宮部みゆきの時代物とか経済学の啓蒙書とか科学の啓蒙書とか持ってってたら好評だったのだが手持ちがつきた。困った。
で俺の勝手な都合で
ってのがあるから、ほんと困った。
部屋にあるミステリって謀殺ばっかじゃん気むずかしいSFが山と積んであるじゃんあとはライトノベル(高感度ユーザー様向け系)だし。「理科系の作文技術」とか「プログラマの数学」とか持ってってもダメだし。「ザ・ゴール」もダメだろうなあ。
難しいよ…
「アッー!」っていうネタが貼られるたびに、馬鹿らしい!男が突っ込まれて「アッー!」とか嬌声あげるなんてありえない!と思っていた。あの体験をするまでは……。
ある日のこと、突然排便と共にどす黒い血が出てきた。何じゃこりゃーと親に相談したら「そりゃ医者に見てもらったほうがいい」って話になって、肛門科に行くことに。先生(♂)に症状を説明すると「ではお尻をこちらに向けてください」と言われ、仕方が無く四つん這いでお尻を突き上げるポーズ。この格好はかなり屈辱的だ……とか思っていたら、何の合図もなしにいきなりズボッと指を突っ込んできた。不意の攻めに思わず「アッ!」と軽く声が漏れる。しまった!と思った時には後の祭り。看護婦さんにもその声を聞かれ俺涙目。しかし、そんなのお構いなしで、先生の指が俺の中を蹂躙。その間「ダメッ!声が出ちゃう!」とか「くやしい!くやしすぎる!」とかエロマンガのヒロインような台詞が頭の中をぐるぐる回っていた。
そんなわけで、指だけでこんな状態なんだから、多分もっとぶっといモノ突っ込まれたら「アッー!」って言っちゃうだろうなぁって思った。……っていうか、特殊な性癖に目覚めさせる気か肛門科。
おれには前増田の話はすごく夢があるように感じられるんだけど。
「SF映画批評するのに古典SF小説全部読んでる必要がある、と言ってるのと同じ」っていうはてブのコメントを見て、全然SF知らんのにガチ評論の必要性があるならどうすっかなーということをちょっと考えてたらなんとなく面白かったので、とりとめもなく書く。
SF映画のガチ評論をしてみようって考えたら、まずはSF好きな奴に話ききにいくかなあ。おうよ、ちょっとSFについて教えてちょー。誰読めばいいの? そもそもSFってなんぞ? どこで流行ってんの? なんかわかりやすいSF論のお勧めある?
んで大体SFの概要をつかんだあとは、どうするかな。1、2冊はお勧めされた奴を実際に読んでみると思う。(誰に質問したとしても、必ず「夏への扉」を読む羽目になるのだろう)そんでああこういう感じかーって思ったあと、次はもう個別撃破じゃなくて全体像の把握に行くかな。SF小説批評の材料として使うには、作品のあらすじとメインアイディアと作者の略歴把握してSF史ではどういう位置づけをされてるかを把握しときゃー十分かな。それは古典SF小説そのものを読まなくても、SF評論家の人の書いた文献を読むだけで把握できる。はず。そういうのある? ってこれは図書館で司書にきくかな。あるって言われる。貸してちょいいよー。SFガイドとかSFベスト100とか、そういったSF評論をまとめた本ってどのくらいあるんだろ。100冊くらい? 一日2冊で2か月弱。これはもう全部読めそう。んじゃそれを図書館行ってもりもりSF論を読みつつ、メモって、どうも大物っぽい奴の名前は検索かけたらSFマガジンって雑誌でよく特集組まれてるし、んじゃこれ専門誌っぽいからバックナンバーぱら見しよーかーとか。あとなんか有名っぽい賞があるな。受賞作品の傾向とスポンサーも調べとくか。
こんな感じで毎日SFを考えた生活を送れば、1年後には的は外さぬガチ評論ができそうって思えた。最初に興味がなかったとしても、やってる間にSF好きになって、そしたら加速するかなと。
なんか懐かしくなってきた。青春時代にネットもなく彼女もおらず運動音痴で音痴で無趣味でぶさいくで友達いない俺は、一日中海外SFとファンタジーの有名作品を黙々と読んでいた。それと並行して毎月ドラマガとウォーロックとSFマガジンとログインとニュータイプも読んでた。そういった雑誌に掲載されてる書評は次に読むべき1冊を探すための貴重な道しるべだった。そんな暇あるならサッカーでもすればよかったのにと思わんでもないけれど、サッカーしてたら絶対あのクソクソ超絶面白い「蜘蛛女のキス」をホモじゃん! って切り捨てて読んでないからまあいいや。大丈夫よバレンティン、これは、全部、夢の中のお話なんだから。ちょっとエッチな福袋じゃなくて、喜多嶋隆の海外SF紹介コーナー目当てで読んでるんだ!って己に言い訳しつつ購入したコンプティーク。「殺人プログラミング」がドエロいという評論を読んですみやかに購入し、まあ衝撃的にドエロかったんだけど(町中の人間をたった一言で催眠状態に陥れることができるって設定は今思い返しても天才ちゃうか。しかもド田舎なのに全米ナンバーワンレベルの美人ばっかり住んでるの)、そこからモダンホラー御三家を知った。黙々とエロいクーンツをこなし、キングを読んで読んで読んですぐにマキャモン。そうこうしてるあいだにあの超怖い「リング」が発刊されてモダンのホラーの言ってる場合じゃねえよ! 怖いよ! 超怖い! 日本人すげえの? じゃあ和製ホラーもっと読まないと! って小池真理子読んで鳩が豆鉄砲食らったような顔になってうろうろした。でもあのころのがつがつした焦燥感に駆られた「ジャンル内の有名作品は全部目を通すぜ」読書ってやけに楽しかった。
ところで映画評論家の人が映画批評のために参考文献としてSF評論読むかーって思ったときに、SF界が想像以上にてきとーな業界でまともな評論が一本もなかった場合、映画評論家はどうするんだろうなあ。しゃーねえなあ、じゃあ古典SF全部読むべか! ってもりもりSF読んでどんどん造詣深くなっていって、そのうち肩書が「映画評論家・SF評論家」ってなるのかね。5年後とかに。知り合いの教授はいろいろやっててふと気がついたらアベック評論家って肩書きになってうろたえてた。
友達からボーイズラブの本(ギャグ)をかりたら面白かったから、他のも読もうと漫画と小説を何冊が買ったら全部エロだった。
しかもその中に2冊がなんで規制マークついてないのって思うくらい激しいエロでぎょっとした。
少女漫画でよくエロが過激だって問題になってるけど、ボーイズラブも似たような現象なんだろうか。
ボーイズラブ好きの友達に聞いたら、今のボーイズラブはエロ入ってないのを探すほうが難しいって言われたし…。
それって読者がそういう内容を望んでるから増えてるんだよな。
何かの雑誌であったボーイズラブ特集で、女性がボーイズラブを好むのは
「自分と関わりがないからファンタジーとして見れるから。あと女性はエロよりも心理描写を好むからエロ目的で買う男性とは違うのよ!」
みないなこと書かれてたけど、純粋にファンタジーとか純愛を楽しんでるなら、必ずしもエロはいらないはず(作品によっては入るのはあるだろうけど)
本当に心理描写を好んでるんだったら、エロばっかの内容の本がこんなに多く出るはずない。
確かに男性向けのエロ漫画と比べると心理描写が細かく書かれてるけど、
別にボーイズラブにエロを入れるなとは言わないけど、それにしたっておかしいくらいエロ多いよね。
何か無理やり鬼畜めいたことさせてるのとかあったし…。マゾ願望でもあるのこの漫画家?
ボーイズラブ知らない人が、男同士を絡ませたエロ本でしょ?って言ってるのをよく目にするけど、
これじゃあそう思われてもしかたないよなあ…。
それに反論する人もいるけどさ、こんな現状じゃ説得力ないような。
もちろん純粋に心理描写を楽しむ人もいるんだろうから一概には言えないけど。
男性向けのエロ本は男好みの女ばかり書かれて面白くない。女性が描いたエロの方が面白い。でも男女だと生々しくて嫌。
そんな条件に叶ったのがボーイズラブだったんじゃないかなあ、って思えてならない。
つまり女性にとってのエロ本みたいな(限られた人しか読まないけど)
それにボーイズラブって規制がゆるいみたいだから、未成年の女も気軽に買えちゃうしね。
ボーイズラブを好むのは純粋だ、ファンタジーだから、とか言ってても、結局は綺麗事めいた理由をつけてエロが見たいんだろ?って突っ込みたくてならない。
身も蓋もないけど、やっぱり人によるんじゃないかなぁ。ある程度カテゴリわけできる程度には派閥みたいのがあるだろうけど。
トラバで上がっている人たちの例では、女性にやや強引な行為をするって例が今のところ多いけど、される側のファンタジーを持っている男の人もいると思うよ。
あと、よく教え子にセクハラとか痴漢とかのニュース見ると「馬鹿だな!」とは言ってるけど
それが女子の目があるゆえのポーズなのか、
現実と欲求をごちゃまぜにするなよ!って本当に思ってるのか、ヘマしやがったwなのか
どれなんでしょうか?
自分は「ばかだな」的反応をしないタイプなので参考意見にはならないかもだけど、この発言の場合に「女性の目」を意識することってありえないような気がするよ。
via アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
まあ、どのくらいの数のNHKアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないNHKアニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、NHKアニメのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にNHKアニメを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う4期、10分×14年のアニメは避けたい。
できれば2クール、長くても70話にとどめたい。
あと、いくらNHKアニメ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
朝ドラ好きが『おはなはん』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
NHK知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、さわやか3組程度は見ていた
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「CCさくら以前」を濃縮しきっていて、「CCさくら以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも70話だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなNHKアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「NHKアニオタとしてはこの二つは“コメディ”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のファンタジーアニメオタが持ってる古代中国への憧憬と、小野不由美のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも小野不由美な
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「攻殻機動隊だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
ハリウッドなら3D実写映画になって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
NHKでこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは少年少女のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「無人惑星サヴァイヴ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける伊藤和典の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも2部構成、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
前半・田菜編を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
押井や富野だったらきっちり横浜編だけにしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて田菜編を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ伊藤がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でナディア見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
エヴァよりも前の段階で、庵野の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がテレビアニメでこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるエヴァンゲリオンでしか庵野を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
佐藤の「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない学校祭を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『学園アリス』最終話は追試以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はムリョウにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうギャルゲー風味の育成をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にNHKを選んだ。
CCさくらから始まってNHKで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のひきこもり時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。