はてなキーワード: タブーとは
妻と昔話をしていたとき、自分がよく学級委員をしていたという話をした。(not自慢話)
すると、学級委員なんかになるなんて信じられない。人に押し付けられて、断れないから
そうなんでしょ。それがいまだに続いてるからあんたは駄目なんだ。とか、
学級委員なんかになる人は、自分の満足のためにやってるだけで、なんにもえらくない。
等々いろいろ言われました。
それ以来、その話題はタブーにしてます。基本的に人の嫌がることをすすんでやる(いい方の
そういえば、何か手伝ったとして100%こなせなければ、99%Okでも文句を言われるのが常です。
それが大したことでなくても。奥さんではありながら、価値観の違いに驚かされます。
なんか怨みでもあるんですかね?
いやサラリーマンとして言うが。
同業で開業してそれをやったら、間違いなく叩き潰される。
飲食店や小売業に関しては当てはまるところもあるかもしれないが、それ以外の業種で
顧客を持ってくってのは、会社に敵対するっていうことで、もともといた会社が大手であればあるほどやばい。
大体サラリーマンの顧客っていうのは多くの場合会社の肩書きあってのもの。
名刺を捨てたら離れていくことが多いし、仮に離れなかったとしても会社とのしがらみは残る。
それでもやるメリットがある人もいるかもしれないが、基本的に会社を敵に回す行為だってことは覚えておいた方がいい。
仕入れルートや人脈はともかく、顧客を会社から持っていった場合相当の攻撃を覚悟しなきゃならない。
ただ、サラリーマンの方が信用や人脈、ノウハウの獲得がしやすいってのは確か。
その分失えないものも増えるけど。
うちの弟は異常に母親と仲がいい。
弟と母はいつもリビングのカーペットの上で仲良く添い寝してる。
互いの体に腕をまわして抱き合いながら、体をつねりあったりくすぐりあったりと恋人レベルのイチャツキ。
幼稚園児ならまだ甘えん坊で許されるだろうが、弟はもう中3。
身長170センチ超の15歳男子が中年太りの母親とちちくりあってるのは正直ものすごく気持ち悪い。
私や父親が見ててもおかまいなしに堂々とやってるので、本人たちには近親相姦的なうしろめたさはないらしいが
それにしても気持ち悪いのでやめてほしい。切実に。
私と父親は、マジで気持ち悪いから度を越したスキンシップはヤメロと何度も諭してるんだけど、
「だってぇ~仲良しなんだモン」で一向にやめようとしない。おーこわ。
普通なら思春期を迎える前に近親とイチャイチャするのはタブーだと自然にわかるものだと思うんだけど。
彼は精神のどっかの部分が未発達なまま止まってしまったんだろーか。
しかもヤツはDVも併発していて、機嫌が悪い時は母親をボカスカ殴ってる。
以前殴られた母親が転倒して頭打って失神したこともある。
母親も母親で、殴られても1時間後にはもうケロっとしてまた弟の乳首つねったりしてイチャついてるし。
ヤバイ。自分で書いてて怖くなってきた。
もうやだこんな家。
元増田です。
スポーツにおける走り込みや筋トレだって、そのスポーツをやるにあたって「なぜそうするのか」という理論を理解してこそ意味があるのであって、そこを理解せずただ走りこみや筋トレをさせたって、やらなくなったら筋肉はあっという間に落ちるだけ。
まさにわが意を得たり!のたとえ話。
本来「詰め込む」というのはそういうのをわかってやることのはずなんだが、
詰め込んだだけの知識もそれと同じで、詰め込んでいる期間だけは非常によく「できる」けど、所詮底が浅いから、やらなくなったらあっという間に忘れて、将来ほとんど役に立たない。
というものだと思われてるんだよね。情けないことに。
「わかる」ことと「できる」ことは違うんだが、日本の教育は「できる」人間を育てることに特化していて、その実「わかる」人間を育てていないと思う。
ただ、これは難しいところだと思う。とりあえず「できる」ようになってから概念いじくり回してる間に「わかる」ようになるという面もあるし、「できる」ようになる前に「わかる」ことに集中するのはかなり辛くて効率もなかなか上がらない。そのあたりのバランスは個人差もあるから難しいところなんだけど。
遠山啓なんかの功績もあって初等教育ではかなり工夫もなされているんだけれど、それでも
でも、なぜ分母と分子をひっくり返して掛ければ分数の割り算をしたことになるのか、そもそも分数の割り算とはどういうことなのか、それがわかっている人間って、実は少ないんじゃないのか?
というのが現実だからねえ。
まして、カリキュラムが欠陥だらけの中等教育となれば目も当てられないことになる。
こういう教育方法が、模範回答ばかりを求めて、自分で試行錯誤して考えられない人間を育てているんじゃないかと思う。模範回答を出すことが得意な「優等生」は、大学入試までは順調な人生を歩めるが、その後の人生で躓くことになる。
それはどうかな。むしろマニュアルを覚え込むことに従順な奴の方がリア充になりやすいと思うけどね。世間の流行にとりあえず乗っておけば大けがはしないよ。
あと、あなたが引用したnext49氏の日記はちょっと別の問題じゃないかと個人的には思ってる。むしろ「空気を読め」という風潮がそういう学生を作っているのだと言いたい。俺の体感で言うと、「自分の考えがあってもタブーに触れることを恐れる余り、それを口にすることを無意識に禁じている」ような人は結構多いし、実際のところ自分と違う意見を言われるとキレる人間は世の中に多いからそれは正常な適応だと思うんだ。大学の(まともな)研究室というのは忌憚なく議論ができる数少ない場(ということになっている)なんだが、臆病な卒論生にはなかなかそれを実感できないことは多いよ。
他者を見下したり、否定したりするのは、そうすることによって自分を肯定しようとしているんだと思うよ。
っていうか、非モテっていうジャンルの人が攻撃的になるとかそういうのって、自意識過剰だと思うぞ。
っていうか、他人の意見を気にしなければいいじゃない。
どういう対象であれ、肯定的な評価と否定的評価の双方があるんだから、気にしても意味ないって。
ただ、日本社会の価値観は多様なのに、その多様性を受け入れる土壌がなぜかないのが日本。
それは否定できない。
他方、人の多様性を前提に構成された国の代表格が米国。
でも米国では黒人、白人、黄色人種、アラブ系。宗教の違いとかから、タブーみたいなものが
たくさんあるみたいで、結構やりにくいらしい。
多様性を前提にしても、やりにくいのは変わらない。
本来であれば「クラス全員で順番に平等にやる」という事を身につけるための「○○係」なんだよね。
みんながやりたがらない仕事に対して「みんなで平等に分担してやろうぜ」という発想を身につけて欲しい所が、「占い(籤)で決めようぜ」となってしまう。
それよりも問題なのが、この問題をタブー化しちゃった親の方だろう。
俺には文脈からは「教師に解決出来ないなら仕方がないし学級崩壊よりはマシだから黙認すっか」みたいな印象を受けるんだけど、だとしたらそれは違うだろうと。
「先生、私たち保護者も学級崩壊阻止のため(ひいては我が子のため)に協力しますから、『占いコーナー』のような変則的なやり方はやめる方向でお願いします」じゃないのかと。
http://anond.hatelabo.jp/20100921020124
教師と連帯して解決策を模索するという(俺の認識内では)当たり前の手順を保護者が最初から放棄しているように読める点が問題だと言いたかったんだ。描写されてないだけで実際は違うのかも知れないけど。
とりえあずベストを尽くしてそれでも駄目なら、占いコーナーなり木刀でシバき倒すなり何でもやればいいと思う。その時点で教師も保護者も一定のコンセンサスは得られてるだろうし。
日本の戦争犯罪は無秩序で規律を著しく欠いた軍隊に典型的なもので、ソヴィエト赤軍とか中国国民党軍とか同様の例は沢山あるからね。
ナチスのやったことはそれよりもさらに一段階重い罪であり、そしてナチス的なるものはドイツから消え去ったわけではない(実際、ドイツに限らず西欧ではネオナチ極右政党がかなりの力を持ってるしそいつらが在特会並のごろつきであることは有名)というだけでそのことは明らかでしょ。
逆に、日本の「修正主義者」並の人間なんて旧連合国を探せばいくらでもいるんだよ。原爆投下や東京大空襲の肯定論者とか、西欧の植民地体制での搾取の否定論者なんてむしろ多数派なんじゃないかって勢いだし。ドイツだって国防軍(ナチスのSSとは別物)はむしろ民族の誇り扱いされてて、ナチスのユダヤ人虐殺に協力していたことはタブーだったわけだしね。
むしろ日本は客観的に見て歴史に対して総じて謙虚だと思うけどね。そう思われてないのは中韓の政治的な意図というよりもむしろ欧米のオリエンタリズムや、それに迎合する日本のサヨクが原因じゃないかと俺は思うよ。
人は自分が有能であることの証明は容易に行なうが、無能であるという証明は難しい。
今現在の人間は過去の可能性の発露である、君は君の可能性の発露を今生きている。
まあ大雑把に言えば、生きるということは生物が保持している遺伝情報の最適化であるのである。
要するに自分に発露しうる可能性がこれ以上無いという証明は、そのまま死刑宣告であるからである。
故に、我々は価値観の多様化という安全弁を設けた、世界に一つだけの花であり一人ひとり違う種を持っていいのだよ、君は君のままでいいのだよ。
こういった価値観の多様化は1と2の間に無限の値をとる哲学であり、理性的に両者の差異を自覚しにくくすることに成功したのである。
しかし、この哲学は多くの1を土台にしたものであることは2である我々には本質的には理解されていなかった。
我々は結局2であることを自覚することもなく1である人々の犠牲の上に漫然と社会を運営していたのである。
ここでの1とは発展途上国を指す。
物質面で言うならば、それはつまり国際競争力であり技術力である。
この世界では金が無ければ物は手に入らないのである。
つまり物資を得ようとするなら方法は二つだ、安いものを高く売って差益を得るか、武力で奪うかの二択である。
我々は価値観の多様化という一種の欺瞞によって、この美しい世界の理屈を間違ったまま認識した。
世界の様相は全く変わっていないのに、我々は自ら産み出した新しい認識によって世界の構造が変わっていったかのように振る舞い、誤って学習した。
古代→中世→近代→現代という古典的歴史認識は我々を誤った結論に導き、これを信じる宗教を育んでいる。
しかし、現実はどうであろうか?
1と2は決定的な違いがあり、1という数字はどれだけ優秀な観察眼をもってしても2より少ないのである。
特異な君はそれだけでは無価値である。
たったこれだけの当たり前の現実すら歪んだ我々の視点からは認識できない「タブー」となっている。
かつてタブーだったものは何か?
古代→中世→近代→現代という古典的歴史認識とは全く別の意味で世界は多様な価値観に満ちている。
そこには1と2という単純な違いがあるだけである。
野生的直感が勝利する時代が来ているのだ。
野生的直感は1と2を理性によらず選別することができる。
人権の時代は終わった。
万物に平等な人権などはなから存在しえないのだ。これからは(というか世界はいつもそうだが)人間は生きているだけで価値があるわけではないのである。
中国を見よ、インドを見よ、あるいは道を踏み外しかけているがアメリカでもいいだろう、人権なぞ存在しなくとも国が発展すればそれで良いのだ。
彼らは我々がやったのと同じように、安価な労働力と確かな技術力で他国の経済を壊滅させ己の利益を得ているのである。
一般的に生物は自らより多くの子をなす、生き残るにはそれらと戦う、生きるという本質は奪うことであり、それしか無いのである。
弱ったもの、劣ったもの、本質的に無気力なもの、無産者、これらを不要なものとして切り捨てる時がきた。
我々は2であらねばならない、あまねく万物は生きるために2であろうとしそのために死力を尽くして戦っているのでありそれが正しい姿だ。
不能者を抱えて弱りきった我々の国家は野生的にあくまで合理的に、不要なものを捨て去り社会を形成する必要がある。
いや、国家の枠が無かったとしても我々が生きるために無能なものはいらないのである。というより、そのような余裕のある国家ではなくなったのだ。
この新しい野生的で至極当然な価値観は若い世代に確実に浸透している。
なんか色々と混乱してて何から整理していいのかわからないから、書き出してみることにした。
私は1992年生まれの17歳(大学受験生)で、父が死んだのが1996年で3歳の時。今は2010年だから、14年経ってる。
父に関する記憶は、ほとんど無い。あるとしても、棺が焼却炉に入っていく場面しかもう覚えていない。
17年間生きてきて、母から父については何も教えてくれなかった。「3歳の時に事故で死んだ」くらい。
だから私は周囲の人が「父はこういう人だったんだよ」と言ってくれるのを頼りに、自分なりの父親像を描いていた。
きっと父がいたら、こうしているだろうな、とか。父さえいれば、とか思ってた。
そんなこんなで今日2010年7月、私が家の掃除をしていたら、いつも閉まっているはずの金庫が開いていた。
母が書類を持ってどこかへ急ぎ足へ行ったことから、急いでいて鍵を閉めるのを忘れていたんだと思う。
私は興味本位でその金庫を覗いた。するとそこには、家の契約書?とか保険?の書類とか、そういうのがいっぱいあった。
なんだつまんないと思いながら見ていくと、埃がかぶっている分厚い真っ黒のファイルを見つけた。
すると、父に関する書類がたくさん出てきた。遺産相続、和解契約書、戸籍、新聞の切り抜き、資格の何か免許書?、献血の賞状、弔辞…
見るのが怖いと思いつつ、開けちゃったから見ちゃおうという好奇心から、全部読んだ。
それが間違いだったのかもしれないと今思ってる。
父は××運輸で働いていたらしい。色々な資格の証明書があった。どんだけだよ。
父は献血が好きだったようだった。表彰状があった。126回ってどんだけだよ。
父は学生時代から行動派だったようだ。毎週キャンプとかどんだけだよ。
そこには私が教えてもらった父と、知らない父とがいて、とても面白かった。
生きていればよかったのにって思った。
父の死因が明確に記載されていた書類を見つけた。
「平成8年×月×日、××町にて、ブームを倒して駐車中の40tクローラークレーンのオペレーターが、10tトラックで入荷してきた止水矢板を卸すため、ブームを約33度に上げたうえで、40tクローラークレーンを約7m前進し停車したところ、その反動で主巻ボットンブロックをフットピン部に固定してあった台付ワイヤーが切断し、ボットンブロックが前方にふられて、荷姿の写真を撮影中の故 父の名前 氏に当たり、同氏は午前8時10分頃死亡した。」
はっきり言って、これの意味が全く理解できなかった。でも、次の新聞記事で少し理解した。
「作業を始める前に、クレーンの重さ約三百五十㌔のフックが、近くにいた父の後頭部を直撃、父は脳挫傷で即死した。警察の調べによると、クレーンの運転手が、フックを固定していたワイヤを外さずにアームを上げようとしたため、ワイヤが切れ、反動でフックが振り子のように動いて、約五㍍離れたところで作業報告用の写真撮影をしていた父に当たった。父はヘルメットを着用していたが、フックがぶつかった際、はね飛ばされたという。」
この時昔の記憶が一気に戻ってきた。そういえば小さい頃おばさんが、
「病院に運ばれたけど、目が開いたままで植物状態だったんだって。もう植物状態でもいいから生きてほしいってあの時は思ったよ。朝の5時に出勤して8時に死んだんだって、気の毒にね。」
みたいなことを私に話してくれたのを思い出した。
なんかもう、今まで父のことをそんなに考えていなかったのに、これ読んだ瞬間涙が止まらなかった。よくわからない感情が頭の中を動き回ってた。
少しだけ、クレーンの運転手を憎んだ。あんたさえいなければ父は生きていたのにって、その時は思った。今は思わないようにしてるけど。
戸籍を見つけた。父のものだった。私の名前、母の名前が載っていた。でもそれとは別に、違う人の名前も載っていた。
戸籍によれば、父はバツイチだった。しかも私の5歳年上の長男もいるようだ。
自業自得で自分勝手だと言われれば否定はできないけれど、小さいころから信じていたものが一気に崩れていった気がした。
しかも、年金手帳を見ると、母の名字も今と旧姓とは異なるものが書かれてあった。母の戸籍はなかったけれど、母もバツイチなのかもしれない。
遺産相続の書類には、私の名前と母の名前、長男の名前とその母の名前、そして住所が書かれてあった。
父が働いていた会社のお偉いさんの名前も沢山書いてあった。住所も。
金庫の隅にA4の黄色い紙が、綺麗に折られてた。開いてみたら、赤いペンで絵が描いてあった。
私はすぐにわかった。これは3歳だった私が、人から「父は頭を怪我して死んだんだよ」と伝えられた言葉を頼りに描いた父の絵だった。
あの頃の私は、何を思ってこれを描いたんだろう。
頭から血が流れている父の姿は、どうやって想像したのだろう。
なんかもう、よくわからなくなった。
何をしていいのかわからなくなった。
何をすればいいのかわからなくなった。
私はこれから、どうすればいいですか。
この記事を書いた増田です。
いきなりですが長文すみません。
この間吐き出すだけ吐き出してからずっと椅子に座って、ぼーっとしてました。
今ブクマ見たら凄いことなってて驚きました。ありがとうございます。
色々なことを考えました。殺した相手を復讐するか、血のつながる兄に会いにいくか、もっとたくさんの情報を仕入れるか、
家族とは何か、父とは何か、一番良い死に方とは何か、片親であることは悪いことか、などなど。
自分の中で答えが見えないものを、ただひたすら探し回ってました。答えなんか出る訳なく、殆ど眠らぬまま今を迎えました。
でもブコメを見て考えていくうちに、ほんの少しだけ理解できるようになりました。
一方的に受け取るのは申し訳ないと思ったので、少しですが答えさせて下さい。
■何で増田に書いたのか■
恋人や友達にいきなりこんな話したってどうしていいのかわからなくなるだろうし、
母や親族に直接聞ける話題でも無いし、そうなると人間で話を聞いてくれる人は私の周囲にいません。
Twitterだと連投は嫌がられるし、元々そのようなツールではないし、ブログなんて持ってないし、mixiやってないし、
一番の理由は、身元を知られずに誰かに聞いてほしかったからです。匿名性があるから、私が誰かわからないと思います、多分。
■「普通に」生きればいい■
逆に普通って何ですか?
だってごく一般的な、両親が揃った家庭を普通とするならば、私は3歳から異常なわけで、
異常な私がすることって普通とは言い難いのではないかと思います。
今回の件を水に流して忘れて生きるというのが普通ならば、そもそも水に流そうと思っている時点で人とは違います。
普通に生きることって簡単なようですごく難しいです、今の私にはさっぱりわからない。
多分、世の中から父の存在を消せば、普通になるのかもしれませんが、それは無理なので一生普通には生きられません。
■何故父に不満を持つのかわからない■
私は小さい頃から父の人柄や評判を積み上げてきました。
それはみんないいことばかりだったので、私にとって完璧な父が頭の中にいました。
だから今回離婚歴があると知って、ショックでした。
私の思っていた父とは違う、と思いました。まあ、私が勝手に妄想していただけの自業自得ですが。
街中で父母子が手を繋いで歩いているのを見て、ああいうのが本来の家族であって、父さえいれば私もああだったと思ったこともありました。
でも今回の件で気づいたことは、愛が移動することで、笑顔の場所が変わるということです。
だって離婚する前は、違う人たちにその笑顔を振りまいていた訳です。
そう考えると、なんか、納得いかないというか、すみません上手く表現できないです。
母とはあまり話しません。性格が180度違うのに自己主張が強い為、話す度にぶつかり合います。
私が遅れてきた反抗期というのも少し関係しているかもしれませんが。母の口から父の話を聞いたことはありません。
母は父が死んでから高血圧になり、ちょっとしたことで倒れるようになったそうです。
だからもし私が父の話をしたら、母は具合を悪くするかもしれません。
もうこの話題はタブーなのかなと思って、父に関することは他の人に聞くようになりました。
これ以上仲良くしようとも思わないし、仲悪くしようとも思いません。
■また悩んだら増田に書けばよい■
もう増田に書きません。なぜならここは悩み相談をする場所では無いからです。
なので今回私が一方的に思ったことを吐き出したことに罪悪感を感じています。
不快に感じられた方もいるようで、本当にごめんなさい。
ですがブコメを読んでいくにあたり、少しずつ整理していこうと思うようになりました。
おそらく多くの人はこれを見ないと思いますが、私はどうしてもお礼を伝えたかったのです。
こんな風にしか伝えられませんがお許し下さい。
中学校時代、男子は「イケてる男子」と「イケてない男子」に二分されてた。
今思えば、顔やスタイルの善し悪しとは無関係だった。
でも、服装、髪型、仕草、それらが「イケてる男子」と「イケてない男子」を遠めにも判別できるほど分けていた。
服装や髪型が「イケてない」男子だったわけじゃなくて、それらの服装やら髪型は「イケてる男子」にのみ許されたものだった。
少なくとも、僕はそう信じてた。
僕ら「イケてない男子」は女子と深く関わることが許されなかったから、その実情の深いところはわからなかったけど、男子がたった二つのグループに分けることができたのに対して、女子の身分制度はもう少し細かく序列があった。
でも、ここでは便宜的に「イケてる女子」と「イケてない女子」の二つしかなかったことにする。
今だから言えば、「イケてない女子」に好意を持つことは恥ずかしいと思っていた。
たぶん、女子も同じように「イケてない男子」に好意を持つことはタブーと思ってたんじゃないかと思う。
バカなことをしてた。
「イケてる」か「イケてない」かなんて、入学して数ヶ月のポジション取りだけで決まるというのに。
僕は男子高に進学して、その後3年間、異性との交流はほとんどなかった。
そして大学に進学したときに、同じようにポジション取りを間違えた。
中学の頃のそれに比べると、身分制度はゆるやかだったけれど、カーストは存在した。
繰り返すけど、カーストは緩やかだった。
身分の越境も稀ではあるけどたまにあった。
でも、基本的には住むところも話す言葉も別だった。
いわゆる合コンというのはあちら側の住人の遊びで、僕らの参加は不可能だった。
今、30間近になって、素人童貞を返上することが出来た。
でも「イケてる」「イケてない」の身分制度の呪縛からは抜け出ることが出来てないような気がする。
というより、30間近になって非モテを語ること自体が気持ち悪い。
でも、これも呪いなんだ。
某県の某高校で,何年か前にフェンシング部に所属していた俺が,高校生活2.5年をかけて会得した技術を書いてみる。
というのも,あれからフェンシングに関わることなく過ごしてきたせいで,せっかく汗水流して会得した知識が,どんどん頭から消え去ってしまっているので,ひとまずここにまとめてみる。といっても別に大した成績もろくに残しちゃいないんだがね…。初心者とか現役フェンサーで初心者に毛の生えた程度の高校生が,ちょっと暇つぶしにでも読んでくれて,なおかつ参考にでもしてくれれば本望です。ちなみに,ルール改正前だから,振り込みとか,ばんばん使ってました。あと,用語は適当に使っていたので,細かいところは勘弁してくれ。ここではフルーレを主に解説して,オマケ程度にサーブルについても書いた。
短い(速い)ファントと,長い(遅い),伸びのあるファントね。前者は相手の反撃が期待される時,もしくはコントルアタックを予期した時など,わざと隙の小さいアタックをして相手の反撃を誘い,それから攻撃権を得て攻撃できるメリットがある。具体的にはピスト端に追い詰めての最初からコントルリポスト狙いのアタックなど。手数を用意した攻撃もこれの組み合わせがいいだろう。長いファントは隙が多すぎるので,あまり使わない方がいい。疲れるし。長いファントは,その伸びがメリットだが,初心者はただ遅くなりがちなことが多いからだ。闇雲に打つと疲労の原因になって自爆しちゃうから,相手より早く動けないうちは,相手を追い詰めて短いファントで仕留めよう。ただ,スピードが加算されてきたらこのファントは一発で仕留めるのに有効になる。振り込みと組み合わせてもいいし,ただ突くのもいい。オススメはオクターブ。これはガチで,カルトなんぞいくなら最初からオクターブ狙いでいった方がいい。フェンシングは相手の意表をつけ,というのが俺の師匠の言った言葉。まあ問題はその攻撃範囲にたどり着くまでなんだが…。
何が言いたいかというと,初心者は短いファントを主軸にしつつ,長いスパンでスピードのある長いファントをものにして,最後には使い分けようということ。
パラードはいつからか完全に払ってから攻撃するという習慣が身についてはいないだろうか?思い出して欲しい,攻撃権を得るためには,審判にわかるように相手の剣を払う動作(バッテ)をすればいいということを。相手の剣を音がするくらいの小さい力でちんと叩くだけでいいのだ。そのほうが隙も小さいし,動作も素早い。大きな振りがフェンシングでは致命的なのはお分かりと思う。あとパラードは攻撃が来てから,では遅いと思う。攻撃が来そうな時を把握して,来た瞬間に叩く位が調度いい。懐近くまで剣先が来てからでは遅いのだ。これからは来てから払うでなく,相手の攻撃に先行して攻撃権を取るように防御をして欲しい。ちなみにこの最小のパラードは時に振り込みの餌食となることがあるが,大きなパラードで防ぐのも,相手に付け入らせる隙を与えるようなものだ。これは後に書くコントルパラードで対処をするなどした方がいい。パラードで隙を作るな,である。
大多数の人が使うデフォルトのパラードはカルトパラードだと思う。したがってカルトパラードに対するフェイクと,そこからのアタックがまず最初に練習されると思う。つまりいかにデフォルトとしてのカルトパラードを崩すか,に焦点がおかれることが多い。つまり,デフォルトのパラードをちょっと変えてやるだけで,相手のいつもの技が通じない,という状態にでき,大きなアドバンテージを得ることができる。そこでおすすめするのがコントルパラードである。時計回りに回すアレである。あってたかな?まあとにかく,コントルパラードで全て引っ掛ける,単純ながら大きな効果のある防御をしよう。円の大きさは意外と大きくても隙が小さいので,オクターブに来たアタックでさえ引っ掛けることができる。しかもそれが攻撃権取得に有効であるから,万能である。見た目はカチャカチャ汚くなるが,キレイな防御をしろなどというルールはどこにもない。海外の選手を見てみればいい。
ここで話しているいくつかのテクニックは,相手と同等か,もしくはより早く動けることを前提としている。つまり相手のアタックを見極めて叩いたり,逃げながらコントルアタックができたりするのは少なくともその瞬間は相手より早く動けることが必要なのだ。相手の突進を受けるにも,スピードを変えながらフェイクをするにはこちらには余裕がなければできないことだ。だから,よく足を鍛えることをおすすめする。
コントルアタックは「逃げ」の行動として時にタブー的な指導を受けることがある。確かにフェンシングでは攻めの姿勢が重要視されることが多い。しかし,相手の意表をつく,という俺の勧める戦法で言えばコントルアタックは実に有効な攻撃の手段だ。それにコントルアタックが得意であれば,相手の攻撃の抑止力ともなりうる。コントルアタックはいくつか種類があるが,どれもコンスタントに使えるのがいい。まあそのシチュエーションに適したのがあるだろうが,同じ技は次は効かない,という心構えで繰り出そう。個人的におすすめなのは,相手が突進バカみたいなやつ(剣先を大きく外すなど,胴体ガラ空き君)に対して,突いてからすぐに引くやりかたである。名称は悪いけれどしらない。初心者だと,こういう追い詰め型に苦戦することがあると思うが,このコントルさえマスターしていれば怖くはない。特に日本ではコントルアタックタブーな風潮から,相手の意表をうまくつく有効な技として活躍すると思う。概して初心者のフェンシングでは変な攻撃パターンに苦戦しがちであるが,それぞれの攻撃法に対する,攻略法を学ぶことも大切である。柔軟な戦法も大事だが,こういう奴にはこの型のコントル,こういうヤツにはひたすら攻める,などお決まりの対処をするのも,下らない戦法に苦戦してぐずぐずするよりは何倍もいい。
つまり,カルトフェイントからオクターブ,シクストフェイント(振り込み)からセプティムへなど,上半身へのフェイントから下半身に深く突き込む戦術で,相手の意表をつくという点で有効である。下を突くのは必ずしも長いファントである必要はなく,フェイントをうまく使えば短いファントで十分に脇腹を突ける。ただ,攻撃後はすぐ戻るか,そのままもつれ込む形にするなど,失敗した時の対処も考えておくのがいい。ちなみにこのフェイントの回数は1回にとどめておくのが言いだろう。2回なんて器用なことできやしない。
先程解説した,相手の突進に対処するやり方である。あいてのプレパラーションにびびってただ下がれば,当然ピストの端に追い詰められ,仕留められるのがおちだ。なので,下がるときにも相手の剣をバッテする,ボディフェイントで相手をビビらせる,コントルアタック(突き逃げ・ダッキングなど織りまぜて)をするなど,単純に逃げるのはお勧めできない。そこに戦術・戦略があれば別であるが,下がって下がってリポスト,というのはあまりにも攻撃権がないターンで無力すぎる。ただ,相手のファントの伸びやスピードがある場合,相手の攻撃範囲に入らないように注意すべきだ。あえて入り,攻撃を誘うにしても,こちらの動きが相手より速い必要がある。下がってリポストなりしなきゃならないからね。だから,さきほど言ったように相手よりスピードの面で上回っている事が重要なのだ。
これは攻撃の戦術で,プレパラーションやフェイントの動きと,二番目のアタックの動きを変えることである。縦というのは,剣先を大きく動かすプレパラーションや,クーペのフェイントのことであり,横はというのは剣先をくるくるとしたり,小さな動きのプレパラーションや,デガジェのフェイントのことである。この,異なる動きの組み合わせが相手の意表をつき,うまくアタックが決まることが多い。大きく動いてあまり見えなかった剣が急に小さなフェイントを繰り出す,もしくは頻繁な小さなフェイントをしていた剣先が急に姿を消す,というのはされる側にとっては嫌なものだ。この原則を覚えて,実践で試してみて欲しい。
単純な技。ステップを使いながら攻め,ピスト端近くに追いつめたところで,相手に攻撃をするぞ!と二歩迫る仕草をして一歩下がるのを2回繰り返す。相手は2回目くらいでこないのか…?と思うので,3回目で攻撃をする。コツは2回のフェイントでは力を入れていかにも攻撃をする姿勢をつくり,3回目は急にスピードを落とすなりして,あきらかに戦意をなくしたフリをしつつ迫ることだ。そうすると3回目に相手は誘われて単純にアタックをすることがあり,そこに合わて突いてやるだけでいい。なぜなら攻撃権がこちら側にあるからである。
これも一つの技的なもの。ピストの端に追い詰める前にファントをうつ。あーあ届かなかった…的な感じでルミーズしつつ,そのままの姿勢でフレッシュに持っていくと相手の意表を突ける。
気持ちで勝った方が試合にも勝つ。お願いします!と声を出し,相手の目を真っ直ぐに見る。
個人的にはビスコンチがオススメ。振り込みしやすいし,手首が自由に動く分接近戦で有利。
プレパラーションや,普段の姿勢は常に動くようにする。剣道より動きに幅のある分,相手に動きを読まれないように心がけたい。コツはステップをふみつつ剣先も揺らしておくこと。攻撃に入る瞬間をフェイントでごまかすようにするとよい。
これまでちょこちょこ解説してきた意表をつくこと。つまりトリッキーな動きや戦略を積極的に用いよう。フェンシングはリポストやファントを100回練習したところで試合に勝ち進めるとは限らない。それよりもルールを熟知し,技を考え出し,トリッキーに振舞う,頭を使う方が有効なことが多い。特に高校生から始めたフェンサーは技術的に経験者より劣るところが大きいので,人がやらないようなことを積極的にとりいれつつ,相手と同じ土俵で戦わない戦法をするのがいいと思う。ファントの速いやつにファントで挑んでも負けるのがオチなのは明白だよね。あと相手にあわせて戦法を変えるのも重要。リーチの長い相手に遠くからちょこちょこやってもうまくいかないだろう。特に背の高い相手に対しては剣先をいつもより高めにして上をカバーし,ステップを多めに使って懐に飛び込むのが有効だったと思う。
いくら形の練習をしたりルールの勉強をしたところで,実際に試合で勝たなければ意味がない。古来の剣術においても,試合で使われる複雑な技よりも,単純で気迫のある攻撃のほうが意外と有効であったりしたらしい。技に溺れず,本当に役に立つ技を磨き,試合で十分に扱えるようにならなければ意味がない。あと本番では練習の8割とかそれくらいの実力しか出せないなどと言われるが,そのギャップを埋めるためにも練習試合はどんどんやるべきである。試合でしか分からないこともあるだろうし,試合の中で編み出される技術というものもある。試合においては練習でしたこと以上の挑戦は控えるべきという人もいるが,本番試合は最も経験値を稼げるいい機会だ。余裕があるなら色々試してみるのもいいだろう。
サーブルはやったけど,特に活躍できなかったので一つだけ。サーブルは「切れる」競技だけど,実際突く方が早いので,手首とか顔面を突くのが相手の意表をついて良いだろう。
・会社名 「面白法人カヤック」http://www.kayac.com/
・社長名「柳澤大輔」
・どんな会社?
社員数97人。Webデザイン界では一目置かれる会社。独自プロジェクトは数知れず、国からも仕事請け負っている。
それ以外に、飲食事業も持っている。鎌倉のどんぶり屋bowlsもカヤック。
●ソーシャル系アプリを実際にモバゲータウンで6本作っている。
エヴァンゲリオンARアプリ http://www.lawson.co.jp/eva/ar/
ぐるなびラーメン http://ramen.gnavi.co.jp/
藤子・F・不二雄ワールド http://www.fujiko-f-fujio.jp/
いきものみっけ(国家プロジェクト) http://www.mikke.go.jp/
ACCS 社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会 http://www2.accsjp.or.jp/
食べ物が落ちた!→3秒ルール71% 食べる29% http://www.kayac.com/member/report/
社長著書「アイデアは考えるな」「面白法人カヤック会社案内~給料はサイコロを振って決めています」「ウェブで一発当てる方法~スマッシュコンテンツ成功の法則」「この「社則」、効果あり。」
~事件の発端~
日経ビジネスにある『ソーシャルアプリのゲームについて』という記事でカヤックの社長が業界タブーの本音をぶっちゃけてしまう。
また、開発工数の問題だけでなく、開発コストも価格破壊が起きています。例えば、「pixiv」と言うイラストサイトをご存じでしょうか。ここは、イラストの上手な多くの一般人が自分のイラストを投稿するサイトですが、ここでゲームのイラストを描いてもらう学生を見つけると、驚くほど安い値段でゲームを制作できたりします。
・わかりやすく翻訳
学生は相場を知らないから絵が欲しければpixivいけば安くそれなりのブツが手に入るよ。
クリエイターを安く買い叩ける場所、それがpixiv。これぞ価格破壊です(キリッ)…本当は絵師の世界では今その問題に苦しんでいる所。http://togetter.com/li/20030
Webのゲーム業界>>>コンシューマーゲーム業界だね。
↓
社長、Twitterで不適切な発言を指摘される。急いで修正(元記事の魚拓 http://megalodon.jp/2010-0510-1851-46/www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20100510/224700/?P=3)。といってもまずい部分えお削除しただけでした。
↓
Twitter住民の怒りのコメント。社長、うっかりコピペ連発でお返事。
↓
Twitter住民、コピペを指摘。社長、「コピペではありません、誠意を持って対応しました」
↓
Twitter住民、絵師、ゲーム業界人、Web制作者などなど、「カヤックとは縁を切る」、「絶対許さない」など怒り大爆発。
「クライアント、ユーザ、そして僕らプロダクション。3者を本当の意味でハッピーにすること」
(推測される本音:絵師さん達などから搾取して自分たちがハッピーになること)
・カヤック問い合わせ先
https://www.kayac.com/contact/
〒248-0006
※受付3階
TEL:0467-61-3399