2010-07-14

僕の非モテ年代記

中学校時代、男子は「イケてる男子」と「イケてない男子」に二分されてた。

今思えば、顔やスタイルの善し悪しとは無関係だった。

イケてるサイドにブサイクチビもいた。

でも、服装、髪型、仕草、それらが「イケてる男子」と「イケてない男子」を遠めにも判別できるほど分けていた。

服装や髪型が「イケてない」男子だったわけじゃなくて、それらの服装やら髪型は「イケてる男子」にのみ許されたものだった。

少なくとも、僕はそう信じてた。

女子もまた同じように、身分制度があった。

僕ら「イケてない男子」は女子と深く関わることが許されなかったから、その実情の深いところはわからなかったけど、男子がたった二つのグループに分けることができたのに対して、女子身分制度はもう少し細かく序列があった。

でも、ここでは便宜的に「イケてる女子」と「イケてない女子」の二つしかなかったことにする。

今だから言えば、「イケてない女子」に好意を持つことは恥ずかしいと思っていた。

たぶん、女子も同じように「イケてない男子」に好意を持つことはタブーと思ってたんじゃないかと思う。

バカなことをしてた。

イケてる」か「イケてない」かなんて、入学して数ヶ月のポジション取りだけで決まるというのに。

僕は男子高に進学して、その後3年間、異性との交流はほとんどなかった。

そして大学に進学したときに、同じようにポジション取りを間違えた。

中学の頃のそれに比べると、身分制度はゆるやかだったけれど、カースト存在した。

繰り返すけど、カーストは緩やかだった。

身分の越境も稀ではあるけどたまにあった。

でも、基本的には住むところも話す言葉も別だった。

いわゆる合コンというのはあちら側の住人の遊びで、僕らの参加は不可能だった。

今、30間近になって、素人童貞を返上することが出来た。

でも「イケてる」「イケてない」の身分制度呪縛からは抜け出ることが出来てないような気がする。

というより、30間近になって非モテを語ること自体が気持ち悪い。

でも、これも呪いなんだ。

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