中学校時代、男子は「イケてる男子」と「イケてない男子」に二分されてた。
今思えば、顔やスタイルの善し悪しとは無関係だった。
でも、服装、髪型、仕草、それらが「イケてる男子」と「イケてない男子」を遠めにも判別できるほど分けていた。
服装や髪型が「イケてない」男子だったわけじゃなくて、それらの服装やら髪型は「イケてる男子」にのみ許されたものだった。
少なくとも、僕はそう信じてた。
僕ら「イケてない男子」は女子と深く関わることが許されなかったから、その実情の深いところはわからなかったけど、男子がたった二つのグループに分けることができたのに対して、女子の身分制度はもう少し細かく序列があった。
でも、ここでは便宜的に「イケてる女子」と「イケてない女子」の二つしかなかったことにする。
今だから言えば、「イケてない女子」に好意を持つことは恥ずかしいと思っていた。
たぶん、女子も同じように「イケてない男子」に好意を持つことはタブーと思ってたんじゃないかと思う。
バカなことをしてた。
「イケてる」か「イケてない」かなんて、入学して数ヶ月のポジション取りだけで決まるというのに。
僕は男子高に進学して、その後3年間、異性との交流はほとんどなかった。
そして大学に進学したときに、同じようにポジション取りを間違えた。
中学の頃のそれに比べると、身分制度はゆるやかだったけれど、カーストは存在した。
繰り返すけど、カーストは緩やかだった。
身分の越境も稀ではあるけどたまにあった。
でも、基本的には住むところも話す言葉も別だった。
いわゆる合コンというのはあちら側の住人の遊びで、僕らの参加は不可能だった。
今、30間近になって、素人童貞を返上することが出来た。
でも「イケてる」「イケてない」の身分制度の呪縛からは抜け出ることが出来てないような気がする。
というより、30間近になって非モテを語ること自体が気持ち悪い。
でも、これも呪いなんだ。