はてなキーワード: イコールとは
高校生のとき、サッカー部の先輩から「将来、お前は女に引っかかって身を落とす」と予言されたことがある。そのときは、「全くこの人はなに言ってんだろう?」と思っていた。
先輩からのその忠告は、お金の話だと思っていた。大金を貢いでしまうとか、プレゼントを買い続けるとか・・・まぁ、当時高校生で女の子と付き合ったことも無かったから、そういうイメージしかわかなかったのだけれど。
お金も確かに女難の1つではある。けれども、僕は人に対してお金を使うのはあまり好きではない。
女難とは「生活の優先順位」の問題なのだろうと最近は考える。それは、単に仕事の優先順位を女性が上回ってしまうと仕事がダメになるという単純なものではない。異性と、自分の生活と、それぞれをどう扱っていくかが問題になる。女性の優先順位があがり、自分のその他の部分が「おろそかになった場合」それは身を滅ぼすことにつながる。
若い頃、あまり遊ばなかったせいか、数ヶ月まえの自分は完全に意中の女性に対するウェイトが生活の中で大きくなりすぎていた。しかも、そのときに、仕事にも以前ほど熱を感じなくなるという状態だったので自分のポジションとしてはやや危うかったのだろうと振り返ることが出来る。
大切な女性が出来ることによって、自分にとっての価値観が大きく揺らいでしまった。自分にとって大切なのは彼女であるという感覚、「ということは仕事は自分には重要でなかったのかもしれない」という誤った錯覚。それが結果として自分のバランスを崩すことにつながったんだと思う。
すこし考える時間を作って、自分を見直して冷静になることはできたように思う。彼女とは今も仲良く付き合っているけれど、以前ほど自分を見失わないように気をつけている。
新たな大切なものが出来ることと、すでに持っている物の価値が失われることはイコールではない。確かに見え方が揺らいでしまうけれど。
「若いうちにしっかり遊んでおいた方がいいよ。」という文句は良く耳にする。それは、女性で自分の生活を揺るがさないような習慣をつけておけよ、という意味であろう。単純に、若いときに女の子とセックスをしまくればいいということではない。女性とせっするということにある程度なれて、自分の生活を女性によって揺るがされないようにして置けよ、そうすれば、歳をとってからも安定して仕事や家庭生活に打ち込めるからな、ということだろうと思う。
とすれば女性との良い付き合い方とはどんなものだろうか?相手も大切にして、自分の生活・仕事も大切に出来る。それは、彼女との時間を楽しむために、仕事に全力で取り組むということだろうと思う。一方のために、もう一方の手を抜くのではない。新たな大切なものを作ることで、さらに今の自分に磨きをかける。書いてみると当たり前だけれど、この当たり前を実感することが以前は出来なかったと思う。
大人として自分をしっかりと確立して人と接するというのは、こういうことだろう。そうして自分を確立していけば、大切なものを創ることに恐れを感じなくていいんだろう。むかしは、魅力がわからなかった結婚も、最近では少し良いかと思えてきた。
すごいわ
おめでとう
まだよ 今のとこ
どう思う?完璧!何よ
僕ら子供が欲しくて代理母は決まったんだけど、卵子 提供する気ない?
その頃 別の独身女も 屈辱を味わっていた
きてたのか
いいわ 会う
ブラインド・デートに応じた
似合うよ
あとはふたりで
よろsく
ソーダ取ってくるけど あなたは?
行ってくる
いい子だろ?
私レズじゃない マジ?
男連れのとこ見ないから
ダブルプレーは悦妙だった
好プレーだ
チャールズさん
チップでいい
友人のペイシェンスと彼女の夫は、週末、ハンプトンの家に私を招いた。
楽しくてスマートで、J. Crew のカタログから飛び出してきたよう。
もし彼らの家がビーチになかったら、きっと彼らのこと好きじゃない。
彼が運転席に載って、私が車に乗ると。
それで?
アツアツね。
ラブラブだった。ここヒューストンへの、西ブロードウェイ・マディソン72番地からの道のりずっと。
ハンプトンの来客は、彼らの夕食のためにいつも歌うことを要求される。
ブローカーは投資のアドバイス。設計者はデザインのアドバイス。
翌朝、私は気分良く起きた。
目を見張って、動くことも出来なくなる。
フルチンだった。
すぐ戻ってくるよ。
彼は無頓着に、うれしそうに、ぶらぶらさせて立っている。
こんなとき何をして何て言ったらいいのか分からない …Great.
ただ分かるのは、ピーターの前でコーヒーを飲むのは難しいということ。
何かあった?
さっき廊下でピーターとばったり会ったの。彼、下着をつけてなかった。 …すごいわね。
いい天気だ。
キャリーにナニ見せたの?
トイレにに行く途中だったからさ。
そう。"トイレに行く途中"
えっと…今日は何する?
やっとのことで"おいしいマフィン"をバッグにつっこんで、NYへ帰ってきた。
なによそれ。なんでそんな格好なの?あんたとヤるつもりだったのかしら?
わからない。性欲も感じなかった。
見せつけたかったのよ。サルと同じ。
それで、でかかった? ―胡椒はいかがですか?
下さいな。どうもありがとう
これでいいです。 ―ほかに胡椒の方は?
実際、このテーブル全員が欲しがってる。
それで私、彼女に「何でうろたえてるのか分からない」って言ったの。
そうしたら「分からないでしょうね、独身だもの」って。
何それ?独身女は友だちの”旦那”のナニを覗こうとして、ビーチハウスをふらついてるっていうの?
友人はどうだったの?何か違いが?
結婚したら、これまでの関係は白紙。結婚したら独身女の私たちは敵なのよ。
唯一、法律事務所で働く、独身弁護士だからか、ミランダはこの問題の考えを述べた。
結婚した女は脅えてるのよ、だって私たちがセックスできるから…いつでも、どこでも、誰とでも。
そんで怯えてるの、私たちがいつかどこかで旦那を寝取るんじゃないかって。
私は既婚者と寝たことはないわ。
何でそんなこと言えるの?結婚指輪はずせば、わかりはしない。
まさか!すべての結婚したひとがそう思うわけじゃない。
シャーロットは結婚を、必死になってでも入会したい社交クラブのように思ってる。
そうね、みんなじゃない。独身女を恐れないで、哀れむ人もいるからね。
そんなことない!
あれってほんとやだ。
オーケー、わかった、あるわ。ディナーパーティーで独身が自分だけだと、みんなの見る目が・・・
そうよ。はっきり言って、既婚者は敵なの!
ミランダは正しい?私たちは敵?
なんだよwwwそれだけかよwww
最初からそう言った方がはえぇじゃねぇかよwww
理解するのにずらずらずらと言葉をかさねなきいけない比喩ってなんだよwww
なんのために比喩にするかわかってねぇじゃねぇか。
この安全性の差を、ekkenみたいな馬鹿にも理解できるよう説明するのに
いいか?んじゃんまekkenが馬鹿だとしようや。で、おまえは馬鹿にも理解できるように説明しようと、比喩を持ち出したんだろ?
んでその説明に何日、何行、何回誰とやり取りするはめになったんだよwww
馬鹿に理解させることができてねぇんだからお前の落ち度だろwww
どうかな?(キリッ
じゃねぇよwww
相手がどうだろうが、相手に理解させようとして持ち出した以上、それができなかったんだからお前の比喩は意味を成してねぇんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100908184459
こっちは「twitterとはてぶの安全性の差とかけまして、パスワードの文字数の違いと解きます。その心は?」って言ってるようなもんなのに
なんで馬鹿に「理解できるよう説明する」はずだったのに、謎かけになってんだよwww
おかしいだろwww
お前、誰かに何かを理解させようと説明するときに、いきなり謎かけすんのかよwww
説明に失敗したのを人のせいかよwww
いいか、そもそもお前の発言には「攻撃者」がどっちなのかがはっきりしねぇ。
はてブってのは、単独じゃ成り立たないブクマ・言及ツールだ。だからこそ一般的にブクマした側が攻撃側とみなされる。
お前が言ってんのはそうじゃなく、ブクマされた方が「反撃」をした場合、もしくはその元ブクマの攻撃が的外れだった場合に、第三者が「攻撃」した場合だろ。
「実名ブログ」「匿名ブログ」「実名twitter」「匿名twitter」「実名はてブ」「匿名はてブ」で攻撃者が相手に攻撃を届かせるまでに必要な手間
じゃねぇんだよ。
「実名ブログ」「匿名ブログ」「実名twitter」「匿名twitter」「実名はてブ」「匿名はてブ」に"対して"攻撃者が相手に攻撃を届かせるまでに必要な手間
だろうが。
んで、「手間」っていうシステムを問題にするんだってなら実名・匿名が関係ねぇだろ。おおもとの発言で言えば、「実名ブログ≫匿名ブログ」の部分がなりたたねぇ。
実名なら電凸等の「リアル攻撃」も可能だ、っていうネットのシステムから離れて言うなら、今度は「実名ブログ≫匿名ブログ≒twitter」が成り立たねぇ。
実名Twitterと実名ブログがイコールになるからな。(もちろん実名はてブもだ)
「実名ブログ≫匿名ブログ≒twitter≫はてぶ」の安全性の差ってのはよ、「手間の問題」だけじゃ説明できねぇんだよ。
だから「パスワードの文字数」っつーたとえがよ、「攻撃に手間をかけさせるほど安全性は増す」だっていうなら、その比喩は説明として不適当だ。
比較してみるといいよ
じゃねぇよwww
お前は比較してみたのかよwww
彼はまだ、20代半ばだったと思います。
彼の心が少々不安定であることは、以前から聞いていました。
彼の死を聞いた時、最初に思ったことは「信じられない」でした。
しかしそれは嘘ではありませんでした。
嘘ではないと分かった時、心に浮かんだことは「うらやましい」でした。
死にたいと思っても自殺さえ満足にできない意気地なしの私には、
最後の一線を越えられる彼の勇気が「うらやましい」と思ったのです。
彼は自殺する前の最後の日記を「しっぱいさんどめ」と書き、そこで
「こわいよ」
と何度も繰り返していました。
思えばあれが最後の言葉だったのかも知れません。
彼が死んだと本当に理解した時、
「私も一緒に連れて行ってくれ」
そう思いました。
自殺してはいけない、自ら死を選んではいけないという言葉を良く聞きます。
私の父母は良く言います。
「その体は両親が与えたのだから勝手に傷つけてはいけない」と。
本当にそうでしょうか。
彼らが子供をほしがったから、私はこの世に生み出されました。
少なくとも生まれてきたことは自分の意志ではありません。
私は時々思うのです。
「何故この世に生まれてこなければならなかったのか」と。
生まれてきた意味を探すことが人生の意義だとも聞かされていますが、生まれて来たくなかったと思う自我を持つ者にとって、生きることは苦痛でしかないのです。
じゃあ死ねよと。さっさと死んでしまえと。
自分でもそう思います。
でも怖くてできないんです。
けれど「怖い」って思うことが「生きたい」って思うこととイコールではないと思います。
今の自分は、生かされているのでしょう。
他人に生きる意義を預け、自分では何も考えない。
それが今の私です。
死を選び実行できた彼がとてもうらやましいです。
こちらこそ、ありがとう。
無神論だった人間が宗教に傾倒していく課程の生の声って、すごく興味深い。
(大概もう倒れ臥しちゃった後の、いい事尽くめマンセー!って声しか出ないから)
どこの世界に属していても「同じ程度の悪」からは逃れられないし、逃れられていると思っていてもそれは気のせいで目をつむっているだけだと思うようになった。テロ行為そのものは何を信じていようがあるだろうし多分、水で水死する人がいるから水が悪いんだと言うようなものなのかなあ、と思うようになってきた。
個人的には現在の日本が諸外国よりもそうした宗教がらみの悪業から逃れているのって
無神論者が多いからだと思っているので、
目をつぶっているだけで同じ程度の悪が存在している、という考えは面白かった。
具体的に何を持ってそう考えてるんだろう。
「一神教という思想があるから人が死ぬんだ、一神教が悪い」というのが
「水で水死する人がいるから水が悪いんだ」に変化したのって、
宗教が(扱いによっては凶器だが)必要不可欠だという認識が生まれたからだよな。
けどその場合の死というのは自らの行為で水死という結果がでただけなんだから
水死しても自業自得だよ、という事でもあるよな。
そこまでの覚悟が生まれたのはすごいと思う。
「だから同じ水でも、水死するような水には近づかない」にはならず
むしろその水に突っ込んでいこうとしてるんだもんな。
それって自殺願望…じゃないよな?
(水死することもあれば、させる事もあるんだから、自殺とは限らないけど)
悲劇をもたらす思想は追い詰められた人や自然現象が厳しい世界の人たちに根ざしている気がする。目の前のつらいことから救いを求める際には厳しい内容が含まれざるを得ないのではないかと。そういうものにすがりたい気持ちなんだ
「悲劇をもたらす思想」の構造については全く持って同感なんだけど、
そこから「そういうものにすがりたい」ってどう繋がってるのかな。
例えば、貧困や、弾圧。家族が殺される、ってのが「追い詰められた厳しい世界」で
「厳しい内容が含まれざるを得ない」ってのは、相手の思想の攻撃的な否定や報復の事だよな。
それらにすがりたいというのは…何を求めているんだろ?
仏教でも神教でもホメオパシーでもいいんだと思うよ。ただ、区切りとしてきっぱりとしたものを求めたいと思うと洗礼だとかの形がはっきりしているものがいいと思ってる
イニシエーションはいわば信者の釣りと確保だから、これは納得できる。
会員様だけ10%割引でお得ですよ!って会員証みたいなモンだからな。
iphoneで適当に局を合わせて、あんまり騒がしくない番組を選ぶ。
特にお気に入りの番組があるわけではなく、ラジオを聴くためにラジオを流す。
仕事のことで頭がいっぱいになって、
できないことばかりが目について
なるべくなるべく冷静に考えようとするんだけど
だんだんどこかに押し流したくなって
価格ドットコムだとか
ぐるぐるまわって欲しくもない物に囲まれる生活を想像する。
これってけっこう中毒性あるのだ。
どうにも気持ち悪く、後悔の念を持ったまま寝るのが耐えられなくなった。
貴重な空白の時間がジャンクなもので満たされる気持ち悪さというか
まずいものを食って腹いっぱいになってしまった感じ。
そんな時、昔よくラジオを聴いてたなあと思い出すように聴き始めた。
そうすると“ちょうどよい”のだ。
頭の中では“空白”の領域を残したまま、夜の時間が流れていくのを感じられる。
時間の流れの速さはネットを見ている時間よりもずっとゆっくり。
60分が過不足なく60分ある。ちょっとした充実感。
こっから先は個人の妄想になるのだが、
選択肢がたくさんあることは豊かであることをイコールではない。
適度に“ない”ことが大事なのだと思う。
その適度な空白は、あなたが染み出すための貴重な領域と思うから。
君と出会えて本当によかった。
君が居れば何も恐くなかった。
だから、君が居なくなる事は何よりも恐い。
でもね、君は居ないんだよね。
全部解ってるよ。
恐いんだ。本当に本当に本当に、恐くてしかたないんだ。
君が心配だなんて全部嘘なんだ。
俺が心配なんだ。
女々しい、情けない、こんな男で・・・
でも楽しかったよ。本当に楽しかったんだ。
ケンカばっかで、どうしようもないバカだったよね、お互いに。
でも本当に幸せに溢れていたと思うよ。
これからは一人で頑張らないとね。
いや、でも僕には友達も居るし、会社の皆も優しくしてくれる、それに家族だって居るんだ。
君もそうだろう?
だからさ、絶対に堕ちないでほしい。
君が居るだけで幸せになれる人はいっぱい。
それってイコール、君が居ないだけで辛い思いをする人がいっぱいいるんだよ。
人を信じよう。
いつか自分を信じられるようになった時、あなたの事を思い出すでしょう。
その時、僕は何を考え、何を感じるのか。
君は何を考え、何を感じるのか。
答えなんてないし、正解なんてない。
だから間違えることもない。
どんな事があっても、僕らの過ごした楽しい時間、辛い時間、全部が全部大切な事には変わりない。
本当に大切な時間だ。
そんな時間を過ごす事ができないのは本当に嫌だ。辛い。
でも、君のタメに、僕のタメに。
パソコンの性能が限定されすぎていたがゆえに、無限の可能性を持っているように喧伝されていた時代だから――まあ大昔と言ってかまわないだろう。
俺はまるでチョコレート・バーを待ちわびるガキんちょのようにワクワクしていた。つまり、チョコレート・バーを齧る以外の道楽を知らなかったんだな。
「本名だけは伏せておけ。頭にwwwのつくキチガイ世界では住所と名前と性別と所属とクレカ番号は命と同等の価値を持つ。というか、それらはほとんどイコールで結ばれているといってもいい。だから、ガキども、何があっても自分を殺せ。生き延びたくば、な。ガチョウども」
教官が教練所で俺らを横一列に並べて、まず浴びせたセリフがこれだった。
正直なところ、そん時はまだ匿名でいることの重要性を俺たちはこれっぽっちも了解していなかったのだと思う。むしろ、教練所が『フルメタル・ジャケット』よりよっぽどお上品な事実のほうが驚くに値したし、記憶に残った。
匿名であることの重要性を心から理解しようがしまいが、俺たちはとにかく教官の命令に従った。第一に死にたくなかったし、第二に多少の危険をおかしてでもも俺たちはウェブの世界に居座りたがったからだ。初めてネットにつないで三日後には、もうチョコ・バーは俺にとって必須栄養素ではなくなっていた
ミッチェルが死んだのは、訓練も半ばに差し掛かったころだった。死因は炎上死。イナゴ共に本名を暴かれ住所を暴かれ姉を犯され両親を殺され家を焼かれ、ミッチェルはその中で灰になった。彼は自分から本名をイナゴどもに教えたりなどはしなかった。ただ、うっかり漏らした周辺情報からあらゆるプライバシーを同定されてしまったのだ。
教官はミッチェルの通夜で追悼の辞を述べた。ただ一言、「彼は運が悪かったんだ」と。そのとおりだ、とその場にいた俺たち全員は思った。ミッチェルは彼の「運」を己の力量で上げ下げする術を知らなかっただけだ。
訓練の終盤になると、もう一人残らず真理に到達していた。
「匿名であることが大事なのじゃない。俺たちが本名で活動するにはあまりに未熟だから、バカやってしまうからその自衛策が必要なだけだ」と。日本は未成年のありがちな若気の至りを笑って許してくれるほど、器の大きい社会じゃない。
それはそれでいい。社会ごと変革しようとしなくてもいい。まあ、たしかにいつか頭のイカれた改革者が出てくるかもしれない。だからソレは俺たちの役目じゃない。俺たちにとって重要なのは、そんな美しくも狭量な世界でどのように生き延びていくか、ということだ。
本当は、実名で活動してもいいのだ。住所や銀行口座を晒してもいいのだ。自分が守れるならば。失敗しないなら。仮に何かをやらかして攻撃をうけても、誰の助けも借りずになんとかできるなら。あるいは頼れる誰かがいるならば。逃げ切れるならば。
だが実際問題、俺たちの誰しもがそんな逃げ足がはやいわけでもないし、そもそもミスをおかさないわけでもない。一片のミスをおかさなかったとして、それでも食ってかかってくるキチガイはやはり一定数存在する。
ガキの未熟さの本質はミスの犯しやすさにあるのではない。打たれ弱いところにある。精神的に、あるいは社会における地位的に。そして、イナゴ共が大好物なのはまさにそういう、「やわらかい部分」なのだ。
教官についてある噂を耳にしたことがある。彼の息子はある有名私立大学に通う前途有望な文学青年だったらしいのだが、ふとした気の緩みでテストでカンニングまがいの行為をしたことをウェブで漏らしてしまい、運の悪いことにそれが当人の教授に捕捉されてしまった。
教官の息子はそれでその学期の単位を全部取り消され、自身は恥ずかしさとショックのあまり、大学を中退してしまったらしい。ひきこもりとなった彼が自室で首をくくったのは、それから半年後のことだ。息子の死がきっかけで、教官は若者たちにネットサバイバル術を教え込もうと決意したという。
今でもtwitterのTLを眺めるたびに、教練所を卒業した日のことを思い出す。
「貴様らはこの肥溜めを今日で卒業する! これからも匿名でいくか、それとも本名で生きるか、それは貴様らの自由だ! だが忘れるな! どちらの道を歩むにせよ……不運にあったときのためのリスクヘッジだけはやっておけ。死ぬな。生き延びろ。どんなことがあっても、だ」
「刑罰が死ぬまで続くか」と「死ぬまで許されないか」はイコールでは無いんだ。
女叩きをする人の一部、と述べたわけで
元増田と必ずしもイコールで結んだ覚えはないんだけどなぁ。≒くらいのきもち。
美醜第一主義っていうのは、女叩きのよく見られる傾向ではないかなぁ。
要するに、異様に「イケメン」とか「ルックス」にこだわるっていうね。
でも、そういう価値観を推し進めていくことで
損するのはむしろ「ルックスがいまいちな人」なんじゃないかっていう。
もっと言えば、女は顔とカネしか見ない、みたいなよくある女叩きの言説は(これは「男女ともに一緒」としても意味は変わらない)
結果的に、ルックスやお金に不自由な人の首を絞めてるんじゃないかなーと。
イケメンとかそーいうのにあんまりこだわんない方が、パートナーは得やすいと思うし
世の中の男性も女性もそこまで心狭くないというか、あんたの心が一番狭いんじゃねーの?
狭いだけならまだしも、自分で自分追い込んでね?オマエイケメンならそんな文章書かないだろ?みたいな。
というか、一緒にすんなよ気持ちわるいから、みたいな。そんなに俺の心狭くねーんだよと。
男女別に関係なく、バッカじゃねーの?と物申してみた感じ。ついでに、女叩きの全般に見える傾向にもちょっとなんか言ってみた。
でも、イコールとはだーれも言ってないよ?
ライフハックの類を読むと必ずといっていいほど「インプットだけでなくアウトプットも」という主張が折り込まれている。アウトプットすればするほど、思考が研磨されてされ視野が広がり物事に対する捉え方が深まっていくのだ、という過激な主張をする人間も中にはいる。とても甘美な考え方だ。今の自分に満足していない人間ほどこの思想に転んでしまうだろう。
しかし、よく考えてみてほしい。果たして「成長」とはそんな単純なものだろうか。「アウトプットすればするほど」は素朴な「経験値主義」に基づいている。「経験値主義」とは何か。ファミコンゲーム『ドラゴンクエスト』の主人公を思い浮かべてほしい。彼は王さまの特命を受け、世の中を悪に染めようとする竜王を倒さんと旅に出る。しかし、旅立つ時点で彼は完璧な「超人」ではない。武器は何も持っておらず、レベルは1。下手をすると城の周りをうろついている最弱モンスターにすら撲殺されてしまう。それを防ぎ、竜王を討伐するために彼はいったい何をするか。モンスターをひたすら倒し、経験値を得てレベルアップを計っていくのだ。ここではどのような戦術を取るか、どうやって鍛えあげるかといった内容は問われない。ただ数をこなしてモンスターを倒すことが成長へのロードマップなのである。このように「超人」になるには「数をこなすだけでいい」という「成長」を極めて単純化した思想を「経験値主義」と呼ぶ。『新書がベスト』の「とにかく新書を読みまくれ」という小飼弾の主張もこの範疇の中に入る。
だが、現実は成長をこのように単純化できない。ただ素振りをしまくるだけではイチローは生まれないし、本を読みまくっただけでは立花隆にはなれない。アウトプットも同様だ。現代の女子高生は毎日何通も携帯メールを用いてアウトプットをしている。しかし、彼女らの国語力が上がったなんて話は出てこない。むしろ、事態は逆の方向に向かっている。彼女らの打つ文面はどんどん奇形化し、普遍性をなくし、当人らでしか読み解けない内容へと進化を続けている。アウトプットの仕方によって人はどんどん劣化していくという一つの事例である。
現在はブログの登場によって容易にアウトプットする場を手に入れることができる。経験値主義者たちもブログでのアウトプットを称揚する。勝間和代がその一人である。彼女のブログ名はずばり『私的な事柄を記録しよう』である。タイトルからして素朴な経験値主義が顔をのぞかせている。日々、インプットをしたものを咀嚼し、ブログという場所に発表することによって考え方が整理され、思考が洗練されていくというものだ。気をつけろ、これは罠だ。考えを文章に落としこむことは整理とイコールではない。「私はこう考えた」と思考を凝り固めることだ。「私はこう書いたんだからこういう考え方でこういう人間である」と視野を狭くし、新たな扉を閉ざしていく。あとからの修正ができなくなってしまう。様々な視点を取り入れ、ごちゃまぜにし、意外な繋がりを持って発展を見せる……それこそが思考の洗練である。アウトプットをしてしまうとそこで思考が停止する。
小飼弾も勝間和代もブログでアウトプットをしたから今の地位があるのではない。彼らの経歴を見ればわかるが、今の豊穣なアウトプットに繋がる下地をせっせと作る時期が存在している。果たして彼らが下地を作っていく時期に、アウトプットにも時間をかけていたら今のような地位を手に入れていただろうか。例えばブログが注目され、そこから書籍を出すような広がりを見せる人たちがいる。しかし、彼らは往々にして長い社会人経験を経たあと、今までのインプットを有機的に結合させ、それをもって視点を提示し、そのユニークさに注目が集まっているのである。アウトプットが斬新な視点を生み出すのではない。むしろ、逆だ。
経験値主義に踊らされ、愚直なまでにアウトプットをしている人間はどこか窮屈で可哀相だ。井戸を枯らしているようにしか見えない。毎日せっせと書評や映画・アニメの感想を書いている、そう、そこのあなた。まずはブログを閉じることから始めよう。あなたは経験値主義に毒されている。アウトプットすればするほど、あなたは自分の井戸を枯らし、ユニークさをなくしている。経験値主義から脱却し、真実の成長を果たそう。
別に、具体的に特定のどこかを想定した話じゃない、というエクスキューズをとりあえず書いた上で、と。
洗脳の恐ろしさとかサンクコストとかはもちろんやっかいなんだけど、も一つやっかいなのが「人間関係」なのよね。当然ながら組織内のメンバー同士の間には身内同士で改めて布教するわけはないんで普通に人付き合いが成立してるし、友情も同志愛もあるし、入ってくる年齢層や階層なんかによっては、男女のカップルが成立してるケースもあって、そういう状況である日「目が醒めた。俺は抜ける」と発言するとどうなるか、はまぁ想像に難くはないところ。
そういう横のつながりもあるし、さらにやっかいなのが縦。まずは自分をその道に引きずり込んだ「先輩会員」。往々にしてその人には日頃から組織の活動以外の局面でも世話になってるの。なので、「俺が抜ける」イコール「先輩の顔に泥を塗る」なのよね。客観的に外から見ればその先輩って「俺」を騙してカルトに引き込んだ「詐欺の加害者」なんだが、義理と人情と浪花節な文化圏で育つと、なかなかそうは割り切れないのよね。
で、先輩が問題なら当然に後輩も問題。この場合の後輩とは「俺が騙して引き込んだ犠牲者」なのだ。いやもう、その責任について真面目に考えはじめると、いまでも夜中に飛び起きるね。
■http://anond.hatelabo.jp/20100809011728
Permalink | トラックバック(0) | 01:26
■で
昔の「欧米に追いつけ追い越せ」「日本を文化国家に」からずいぶんおちぶれたな。
Permalink | トラックバック(0) | 16:52
■http://anond.hatelabo.jp/20100808160707
おまえばかだな。
公共の福祉じゃないか。
Permalink | トラックバック(0) | 16:14
それでは人権と同じになってしまう。公共の福祉が指示しているものはたんなる日本人全体の欲求であってはいけない。もっと日本人の欲求に反するキチガイみたいな目標をもち、それでもって人権を虐げる必要がある。もともと高度成長期の不必要に難解な入試問題も大学受験競争も経済界も邦楽界も日本人離れした目標による日本人の抑圧だったはず。なのに今ではそういう公共の福祉がないのではないか。
Permalink | トラックバック(0) | 15:43
■http://anond.hatelabo.jp/20100808120540
公共の福祉が消えるかもしれないという未曾有の事態になってるんだな。数十年前までは公共の福祉はあって当たり前だった。しかしここ最近ずっこけて日本が統率者不在のただの集団になった。それを戻すための統治行為論的状態になっている。
Permalink | トラックバック(1) | 12:07
■http://anond.hatelabo.jp/20100808115014
確かに、公共の福祉が特別感をなくしているよな。政府権力者が国民の中に埋没して憲法が想定していない状況が生じている。
Permalink | トラックバック(1) | 12:05
■http://anond.hatelabo.jp/20100808114639
つまり、一心同体の国民がこれで幸せだ、と思える利益の外に、政府権力担当者の利益というのがあって、そいつでもって国民の利益が抑圧されているのが日本だよ。だから学校にせよ何にせよ、国民が「これで幸せになるのに何でそうしないんだ」って場合は、政府が絡んでいるんだよ。そういうことでしか憲法は説明できない。
あと、憲法を説明するには、政府権力担当者というのは国民の支持や意識により生まれたらいけないものであり、国民から分離ないし乖離し、別の利益共同体を形成し、常に国民の利益に相反していないといけない。でないと人権と公共の福祉が混同して憲法が崩壊する。早い話、政府権力担当者的利益共同体は、一般国民の幸福を抑圧する形でこの社会の中に入り込み、領分を確保してなければならないわけ。
そういうふうに、日本人一般の利益が、政府権力者という特別な人間の利益に抑圧され、政府権力者は自己利益だけを追求し、国民を益したらいけないわけだ。しかしここ最近、その構造が感じられなくなってきた。これは一体どういうことなのか。
Permalink | トラックバック(2) | 11:50
■http://anond.hatelabo.jp/20100808114039
だから政府権力担当者の利益と国民の利益は同じじゃいけないんだよ。政府権力担当者には一心同体の日本国民とは別の特別の利益があって、それが公共の福祉になるんだから。
Permalink | トラックバック(1) | 11:43
■http://anond.hatelabo.jp/20100808113024
だから、人権は金になる、と言ってる奴の利益が公共の福祉だろ。つまり公共の福祉というのは政府権力担当者の頭の中の都合だよ。そうであるとすれば、日本国民の中に政府権力担当者という特別な領域を置いて、国民全体とは関係のないそいつらの利益が公共の福祉であると言える。
Permalink | トラックバック(1) | 11:35
■http://anond.hatelabo.jp/20100808111925
だから実質的衡平の原理なんてなくて、人権それ自体が公共の福祉なのではないか。つまり、公益というものを、ここが人権で、ここが公共の福祉と分けられず、人権即公共の福祉になっているから、憲法は説明がつかないだろ。だから公共の福祉ってのは人権とは関係のない別の利益を指していて、その利益に反しない限りで人権が認められるというわけだが、じゃあその利益とは誰のどんな利益なのか。
Permalink | トラックバック(1) | 11:23
■http://anond.hatelabo.jp/20100808105728
つまり人権行使と別の利益が確保されていないといけないわけだが、問題は、その利益も国家行政の活動によりもたらされる以上、実は人権行使と同じじゃないかということ。つまり人権と公共の福祉は結果的に同じ公益になるわけ。その公益の中身を、ここは人権で、ここは公共の福祉というふうには分けられないんだよ。なぜならそれは別のものではなく同じものだから。
Permalink | トラックバック(2) | 11:04
■http://anond.hatelabo.jp/20100808104757
なら公共の福祉とは、国民の人権行使とは関係のない国家や行政の利益ということになるが、国家や行政の構成員も国民であって人権を行使できるんだが。それとも公共の福祉とは、人権行使とは別の、人権行使から結果的に得られる、国家や行政の利益なのだろうか。しかしアメリカで言う公共の福祉とは人権とは別にみんなで共通に実現しようという価値なので、国家や行政の利益でなくて、国家や行政の活動によって得られる、社会一般の人権行使とは別の利益なのではないか。
Permalink | トラックバック(1) | 10:52
■http://anond.hatelabo.jp/20100808103923
その人権相互のバランスをとる公共の福祉とやらはやはり特定の誰かになるのではないか。それは誰なのか。その人が国民であったならば人権論とは矛盾しないのか。その特定の誰かの考え方によって人権が調整されるとすると、その考え方と人権の問題はどうなるのか。
Permalink | トラックバック(1) | 10:42
■http://anond.hatelabo.jp/20100808103209
Permalink | トラックバック(2) | 10:35
■http://anond.hatelabo.jp/20100808102426
国民全員の人権行使による特定の誰かの利益が公共の福祉ということでいいの?それなら別に矛盾ではないが。公共の福祉がみんなの幸せという意味なら、人権行使の状態と一致するから矛盾。
Permalink | トラックバック(2) | 10:29
■http://anond.hatelabo.jp/20100808101319
その弁護士バカだろ。公共の福祉=他人の人権とか説明したらおもいっきり混同してるじゃん。何で「公共の福祉が憲法の最高価値で、人権はそれに適合するように行使しなきゃいけない」という真相を教えないのか?ってかそれ以外に実務を説明できる考えはない。
人権を金に接続して、人権も満足、金も回って満足ってのは同源だから、この最高状態を公共の福祉と呼び、人権がそれに適合的に行使されろってのが12条の意味だろ。
Permalink | トラックバック(3) | 10:16
■http://anond.hatelabo.jp/20100808100617
憲法には人権と公共の福祉が書き分けられているわけだよ。だったらそれに対応する何かが別異のものじゃないとおかしいだろ。しかしお前のいうとおりだと同じものを指示してるとしか思えんわけだが。仮に全ての概念はあいまいな部分を含むとしても、人権と公共の福祉の場合、同一感が強すぎる。
Permalink | トラックバック(1) | 10:08
■http://anond.hatelabo.jp/20100808100251
なら人権イコール公共の福祉になるだろ。おもいっきり矛盾してるわけだが。
Permalink | トラックバック(1) | 10:04
■http://anond.hatelabo.jp/20100808095706
公共の福祉は公益だろ。すると人権行使で金が回るってのは全部同じ公益だろ。だから人権と公共の福祉が同じものを指しているってことで矛盾する。
■http://anond.hatelabo.jp/20100808095235
じゃあそれと公共の福祉の関係はどうなるんだ。お前の言い分だと人権と公共の福祉が混同しているようだが。
Permalink | トラックバック(1) | 09:54
■結論
Permalink | トラックバック(1) | 09:25
■http://anond.hatelabo.jp/20100808091041
金よりも、お前が犯罪をしたときに逮捕して獄に送る警察や裁判所、んでお前にどんな教育を施すかについて権限を持っている中央官庁の権限の方が強大なわけだが。
なんで人権は金より学歴、社会的地位や職務権限で差がついていることを認めないんだ?
Permalink | トラックバック(1) | 09:12
■http://anond.hatelabo.jp/20100808090418
一概に金だけとも言えない。少なくとも世の多くのサラリーマンは学校で16年も勉強漬けにされ、本来の人格と乖離した高級な感情や言語を刷り込まれて虐待を受けている。だから妥協でしょ。だから裁判官とか役人みたいな上級職につけなかった落ちこぼれがやたら金を強調してるんだよ。
Permalink | トラックバック(0) | 09:07
■http://anond.hatelabo.jp/20100808090309
つまり金の論理で人権を制限しているんだろ。人間のクズは死ね。
Permalink | トラックバック(2) | 09:04
■http://anond.hatelabo.jp/20100808090043
Permalink | トラックバック(1) | 09:02
■http://anond.hatelabo.jp/20100808085311
お前みたいな会社員は善良な市民に飯を供給する能力があるから天皇に存在を認められているだけであって、お前みたいな醜い奴が仕事以外の場所で人格を発露することは本来認められていない。天皇からすればお前みたいなサラリーマンは結果を出す能力があるからビルの中に隠れて仕事をしてもらうようになっているわけで、天皇が本当に評価しているのはお前じゃなくて宮崎駿とか学者のように素晴らしい芸術や研究をしている人間なんだよ。
Permalink | トラックバック(1) | 08:54
■http://anond.hatelabo.jp/20100808084349
会社員なんて掃いて捨てるほど居るんだから大きな視点からは人権はないよ。それにお前みたいな発想をしている奴は健全な市民や子供にバッシングされるように仕組まれてるから、地下でゴキブリのように這いずり回るしかない。結局常に評価され、最後に盛大に評価されるのは宮崎駿みたいな天才とか大学の学者とか森毅みたいな教養人だろ。要はゴキブリに人権はないんだよ。
Permalink | トラックバック(1) | 08:49
■http://anond.hatelabo.jp/20100808084006
お前が会社の書類とかで形だけでも最高級の語彙を使わないといけないのは、お前の卑劣な人権を高級な人権が抑圧している証なんだがな。そしてお前は高級な言語の中でいかに卑劣な目的を実現するか熟考を重ねるうちに自己欺瞞の矛盾に埋もれてゆき、歳をとってからNHKの教養番組などにいじめられ、鬱を発症して自殺することになる。つまり悪は働けるときに利用されるだけで利用されて、社会からポイされたら学者や教養人に人生を否定されて不満たらたらのジジイになっていくんだよ。
Permalink | トラックバック(1) | 08:41
■http://anond.hatelabo.jp/20100808083639
Permalink | トラックバック(1) | 08:37
■http://anond.hatelabo.jp/20100808083021
ねーよ。人権の価値は、脳みそ筋肉にして働いているかどうかより、いかに難しい入試問題が解けたか、そして高度な教育を受けて人格が洗練されているかで決まる。お前は日ごろ使用しなければいけない言語を形だけでも最高級なものにすることを強制されて卑劣な人権を虐げられているんだからくやしさで泣き喚けよ。
Permalink | トラックバック(1) | 08:34
■http://anond.hatelabo.jp/20100808082701
人権の価値は正社員かニートかではなくどこの大学に入ったかで決まる。
Permalink | トラックバック(1) | 08:29
■http://anond.hatelabo.jp/20100808080401
人権を金の論理で制限するところが最悪。どうせ世の中なんて金につなげられるかどうかで全てを見ているんだろ。んでしまいには「お前も満足したし政府も金を生めて満足したしハッピーエンドじゃん」とか言うんだろ。要はお前が最悪。人間のクズだな。
Permalink | トラックバック(2) | 08:05
■http://anond.hatelabo.jp/20100808080237
Permalink | トラックバック(1) | 08:03
■http://anond.hatelabo.jp/20100808075947
最低の発想だね。
Permalink | トラックバック(2) | 08:01
■政府の発想
人権は金になる。
あ、なんかわかった。
嘘をつくっていうことと、本音を言わないってことがイコールになる人とならない人がいるってことだと思う。
嘘をつく=本音を隠さず、すべていうって言う思考だと、当然「志望動機は?」って聞かれたときに
「給料稼ぐためだけにこの会社に来たんです」って言わないといけない、本音を包み隠さず言わないと
いけないと思い込んじゃうんじゃないかな。
ある意味純真無垢。
でも、まぁこれは社会に出る以前に学校とか、もっとミクロにいうと家族というコミュニティでも障害が
発生する発言だよね。
社会に出るまでにどうやって生きてこられたんだろうか、と心配になる。
思春期は膨れ上がった性欲と妄想が上手く制御できずに暴走してしまう事がままある。
その暴走は後にふと思い出す度に奇声を発しながら悶絶してしまう暗黒の歴史を生み出してしまうものだ。
そしてそれは思春期の暴走とイコールで語られがちな男子中学生だけではないのだ。
女子中学生にだって性欲はあるし、妄想はするし、暴走してしまうのだ。
俺には姉がいる。
姉は性欲と妄想をこじらせてしまったのだろう。
俺はその冬の日、炬燵に半身を突っ込んでうとうとと、夢半ば覚醒半ばという状態だった。
不意に下半身に、主に股間のあたりに違和を感じた。
なんだ? と思うまもなく、小学生の可愛らしいおちんちんが今まで感じた事の無い奇妙な温かさに包まれた。
しかしそれはすぐに痛みに変わった。
外の空気を知らぬ亀頭を守護する包皮が無理やり明けられようとするあの激痛である。
俺の意識は完全に覚醒し、一体何が起きてるんだ!と炬燵布団を捲り上げた。
姉が居た。
炬燵のヒーターの赤い光に照らされて、信じ難いことに全裸だった。
姉の手は俺の俗的な穢れとは無縁のおちんちんに触れていた。
お、お姉ちゃん・・・なにしてるの?
俺は問うた。
本当に何をしているのか分からなかった。エロという新世界をまだまだ知らない当時の俺にとって、姉の行動は理解の外だった。
あ、起きちゃった?
姉は平然としていた。
俺が返答しかねていると姉は再びおちんちんに視線を向けて、作業を始めた。皮むきである
痛っ。
え、痛いの?
痛いからもうやめてよっ、なんなのいったい!
俺は炬燵から脱出しようとしたが、しかし姉の両腕が伸び、下半身に絡みついた。そう、絡みついたのだ。獲物を逃がさぬ蛇の如く。
おちんちんが先程と同じ温かさに包まれた。
今度はおちんちんの先っちょの方に物理的なくすぐったさが走った。身体がびくんと震えた。
姉を見た。
姉が俺のおちんちんを口に含んでいたのだ。
それは恐怖だった。
口というのは食べ物を食べるところであり、食べ物を噛み潰すところであり、食べ物を飲み込むところだと俺は思っていた。
姉がおちんちんを口に入れている光景を見て、俺はお姉ちゃんにおちんちんが食べられてしまうと恐れた。
お姉ちゃん、やめてよっ!
俺のその必死な声に、姉はおちんちんを口から放して、きょとんとした顔で俺に言った。
え、気持ちよくない?
姉は阿呆だった。
だが姉の言う通りだった。
エロに対して無知であっても、たまに雑誌やテレビでおっぱいなんかを見たとき、股間が膨らむのは自覚していたし、
それが性的な興奮や欲求だとは分からなくても、胸がドキドキして何ともいえない感覚に囚われていたのを。
風呂上りのお姉ちゃんの下着姿なんかを見た後では、なんかおちんちんがむずむずしていて、ズボンの上から擦るとちょっと気持ちよくなっていたりした。
姉は思春期を暴走させていた。
そして俺も思春期の萌芽が芽生えつつあった。
だから姉がまたおちんちんを咥えて、舌で舐め始めた時、恐怖は既に薄れており、代わりに奇妙な好奇心があった。
ちょぴ、ちゅぴという湿った音がたまらなくエロかったのを覚えている。
小学生のおちんちんは非常に敏感である。敏感すぎて快感というよりは痛みのようだった。
姉が舌で舐めるたびに、腰がびくびくと震えて浮き上がった。ぶつかって炬燵が音を立てるほどに。
姉は静かにするようにと言った。
俺はこくこくと頷いた。なんだかとてもいけない悪戯をしている気分だった。
一分ぐらいして、いきなりそれはやってきた。
あぁっ、と思ったときには既に始まり、終わっていた。
おちんちんの奥から突き抜けるような一瞬の快感が怒涛の如く押し寄せて、おちんちん全体を駆け抜けて、先っちょから迸って消えた。
足が棒をさしたかのように一直線に伸びて緊張し、苦痛の呻きのような声が口から漏れていた。
射精ではなかった。精液はまだ作られていなかった。快感は十分にあったが。
いつの間にはーっはーっと肩で息をするほど疲れていたが、それは心地良さを伴っていた。
姉が炬燵から這い出し、うーむと唸りながら、これが精子? などと言っていた。
苦くないなぁ。ぬるぬるしてるけど。ていうかしょっぱい感じ?
姉よ。それは精液ではなく恐らくおしっこ混じりのカウパー液なんかではなかろうか・・などと当時の俺は言えるはずもなく。
ただ俺は姉の全裸姿に釘付けになっていた。
それまで仄かな興奮を覚えていたとはいえ、射精のような経験をした後で見る姉の裸にとてつもないエロを感じたのだ。
姉は俺の視線に気づくと、自分の身体を見回し、ははぁそういうことね、と言わんばかりの顔でおっぱいを指差し、触りたい? と聞いてきた。
俺は頷いていた。
姉が近づいてきて、密着するかのような距離で止まった。
いいよ、と姉が言い、俺はそろそろと手を伸ばした。
とても柔らかい。押し込んでみると、その分だけ指がおっぱいに沈んだ。
もっと強く。
と言われたので、指でぐっと押してみると肋骨にあたった。
あーもう! と姉はいきなり怒ったような声を出し、俺の右手をとると、自分のおっぱい押し付けた。
こう! こう! こうすんの!と姉の手が俺の手ごとおっぱいをぐにぐにと揉みまくった。
俺は顔面から火が吹き出そうだった。
左手も使ってひとしきりおっぱいを揉んだ後、一旦離れて呼吸を落ち着けて、姉は言った。
舐めてみる?
もちろん頷いた。
乳首を口に含むと汗の匂いがした。
それ以上に良い匂いがした。
姉の匂い。
視界一杯に姉の肌があって、唇におっぱいの柔らかさがあった。
もう何が何だか分からなかった。
ただ一心不乱に姉のおっぱいを舐めていた。
姉の手が俺の頭に添えられていて、まるで褒められているかのように撫でられていて。
なんだか姉が凄く好きになっていた。それまでも結構好きだったし、兄弟仲も良かったけど、
こんなにお姉ちゃん大好きよぅという気持ちになったのは初めてだった。
不意におちんちんが姉の太ももの辺りにあたり、うぁぁっ、と呻きながら再び達した。
立っていられなくなり、尻餅をついてしまう。
姉も俺と同じように座り、両手を後ろについて、言った。
ちょっと見て。
俺は見た。
姉の両脚が開かれていくのを。膝。太もも。その先を。
その奥を。
と、その後、姉のあそこを舐めたりしているところで親が帰宅し、お互いに慌てながら着替えて、終わった。
それから姉がまたそういう事をしかけて来ることもなく、あの日の出来事を話す事も無かった。
精通を迎えた俺はあの日の事を何度も思い返しては妄想のネタにしていたが。
きっとあれは姉の思春期の過ちだったんだろう。色々とこじらせて、暴走してしまったんだろう。
思春期を経た俺にもよく分かる。
そういう事は、まぁやりすぎのいきすぎだったけど、あるんじゃないかなぁと。
お互い大人と呼べる年齢に達した頃、姉と二人で酒を飲んでいると、ふとあの日の事を思い出した。
姉はそろそろ酔いつぶれる頃だったし、俺も酔っていたし、何の考えもなく切り出してみた。
そういえばさぁ、あの日のこと、覚えてる?
うん。
姉は即答した。
え? と思う間もなく、姉の手が伸びてきて、俺の唇に触れた。
そして姉はんふふと笑って、またしてみる? と言った。
どうすべきか・・・。
・・・せめて酒のせいだと、言い訳させてほしい。
>意識を周知させるしかないでしょ。
じゃあ既知の人間に向かって言えば良い。未知の人間には言えない。簡単なこと。
君が言ってるのは解決策であって、それがイコールで
>だから「嫌なら見るな」としか言いようがない。
この結論に結びつけるのは、短絡的な思考すぎる。これは間違いなく誤り。
>馬鹿が「嫌なら見るな」を振りかざして暴れてるからと言って、
>特定状況下における「嫌なら見るな」の有効性は消えないでしょ。
>元増田が「全敗」だと言っているのに対する反論なんだから、
>「特定状況下においては有効なんだから全敗ではない」ということが示せればそれでいい。
ああ、そんなところに食いついてたのか…悪かった悪かった
じゃあ特定状況下では勝てるってことで異論は無いよ。
彼らの頭の中では「批判者」という集合が一つの人格を持ってるんだよ。
だから、その人にとっては「一回目の批判」でも、言われた人からすればそれは「何度目かの批判」なわけだ。