高校生のとき、サッカー部の先輩から「将来、お前は女に引っかかって身を落とす」と予言されたことがある。そのときは、「全くこの人はなに言ってんだろう?」と思っていた。
先輩からのその忠告は、お金の話だと思っていた。大金を貢いでしまうとか、プレゼントを買い続けるとか・・・まぁ、当時高校生で女の子と付き合ったことも無かったから、そういうイメージしかわかなかったのだけれど。
お金も確かに女難の1つではある。けれども、僕は人に対してお金を使うのはあまり好きではない。
女難とは「生活の優先順位」の問題なのだろうと最近は考える。それは、単に仕事の優先順位を女性が上回ってしまうと仕事がダメになるという単純なものではない。異性と、自分の生活と、それぞれをどう扱っていくかが問題になる。女性の優先順位があがり、自分のその他の部分が「おろそかになった場合」それは身を滅ぼすことにつながる。
若い頃、あまり遊ばなかったせいか、数ヶ月まえの自分は完全に意中の女性に対するウェイトが生活の中で大きくなりすぎていた。しかも、そのときに、仕事にも以前ほど熱を感じなくなるという状態だったので自分のポジションとしてはやや危うかったのだろうと振り返ることが出来る。
大切な女性が出来ることによって、自分にとっての価値観が大きく揺らいでしまった。自分にとって大切なのは彼女であるという感覚、「ということは仕事は自分には重要でなかったのかもしれない」という誤った錯覚。それが結果として自分のバランスを崩すことにつながったんだと思う。
すこし考える時間を作って、自分を見直して冷静になることはできたように思う。彼女とは今も仲良く付き合っているけれど、以前ほど自分を見失わないように気をつけている。
新たな大切なものが出来ることと、すでに持っている物の価値が失われることはイコールではない。確かに見え方が揺らいでしまうけれど。
「若いうちにしっかり遊んでおいた方がいいよ。」という文句は良く耳にする。それは、女性で自分の生活を揺るがさないような習慣をつけておけよ、という意味であろう。単純に、若いときに女の子とセックスをしまくればいいということではない。女性とせっするということにある程度なれて、自分の生活を女性によって揺るがされないようにして置けよ、そうすれば、歳をとってからも安定して仕事や家庭生活に打ち込めるからな、ということだろうと思う。
とすれば女性との良い付き合い方とはどんなものだろうか?相手も大切にして、自分の生活・仕事も大切に出来る。それは、彼女との時間を楽しむために、仕事に全力で取り組むということだろうと思う。一方のために、もう一方の手を抜くのではない。新たな大切なものを作ることで、さらに今の自分に磨きをかける。書いてみると当たり前だけれど、この当たり前を実感することが以前は出来なかったと思う。
大人として自分をしっかりと確立して人と接するというのは、こういうことだろう。そうして自分を確立していけば、大切なものを創ることに恐れを感じなくていいんだろう。むかしは、魅力がわからなかった結婚も、最近では少し良いかと思えてきた。
「女」の部分を、政治とか、株とか、ネット上での議論とか、いろんなことに置き換えても通じる文章。
新しいものはどうしても良く見えるもの。自分の腕の中にあるものの価値をみつめつづけられるか?
×「女で身を落とす」 → ○「女で身を誤る」 見てて恥ずかしいから修正希望。
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