はてなキーワード: イコールとは
小学校時代に同級生だった親しい友人に
「これは松本人志の最高傑作だから観てみて」と、【働くおっさん劇場】のDVDを借してもらった。
内容は、素人の中年男性を松本人志がイジる、ムチャぶりをさせてクスクス笑う、
という内容で、はっきり言って何も面白くなかった。
どれか一人はめちゃくちゃ面白いのかな、と思って見続けたけれど
やっぱりどれも面白くなかった。
なんだろう、あの心に忍び寄る背徳感というか
胸の圧迫感。
自分がいじめられていた経験が(いじめる側も)ある所為なのか…。
松本人志は好きだったけれど、どう見ても「ストレートないじめ」にしか見えないし
私の価値観が変なのかと思って、とりあえずAmazonレビューを見たら
そういう受け取り方をしたという評価はほとんど無い…。
もしかして、こういう手法の笑いって、大多数が「面白い」と思う水準なのかしらと半信半疑になりつつ
他にも評価のテキストを検索すると、やっぱりあった。酷評だけのまとめページが。
別に松本人志がどういう人なのか知らないし、嫌いになるわけじゃないし
彼の芸風を否定はしないけれど
一番ショックなのは、すごく信頼していた、価値観の方向性の似た友人が
これを「最高傑作」と太鼓判を押すセンスだ。。
どこで笑ったのか謎だ。でもオッサンが素でオロオロと挙動不審になっている様を
松本人志が煽ったり変な要求をさせたりする内容で笑ったにほかならないんだろうけど…。
ああいうのを本気で面白いと思う人が怖い。
正しいとか悪いとかは言うつもりないし、無駄な議論だと思うけど
自分は人生でああいう非コミュっぽくて他者からの圧力に抗体が全然ないタイプの人を
いくつか見てきたけど、同じようにそういう人を迫害したがる人が必ず存在していて
それが凄く許せなかった、という経験がいくつかある。
別に正義感バリバリで擁護したりはしないけど、そういうコミュニケーションの場で脆弱な人を
何の愛情もなく笑いものにしたりする人が心底理解出来なかった。
でもそういう事する人って無意識で、悪気や悪意がある、というふうにも見えない事が多いから
逆にそこが怖かった。自分がそうならないようにフォローしないとすぐに加速するなって思っていた。
もちろん、こういう体の笑いが好きな人が、同じようなコミュニケーション傾向にある事がイコールではないけど。
なんだか自分で言語化すると、急に偽善的な主義主張だとも思えてくるなぁ。
やっぱり素直にいじられてるオッサンを見てゲラゲラ笑える方が「スレてない」って事なのかな…。
友人に、このDVDどうだった?って聞かれたら何て言えばいいのやら…。
だからこそ「外国人に馬鹿にされていた情けない政府が変わっていく」ことが喜ばしいんじゃないの
お前らこそが日本の癌ってことに早く気づこうぜ。
鳩山のときもそうだけど、日本のトップを馬鹿にして喜んでやがるクズども。
それを馬鹿にするってことはイコール自分たちが馬鹿ってことだぞ。
しかも外国人にルーピーって馬鹿にされて大喜び。馬鹿じゃねーの。
恥ずかしくないのか。国辱行為に喜ぶなんてお前らホントに日本人かよ。
自民信者は麻生は政局よりも経済政策を優先させて偉いとか言ってるが、
一丸となって経済政策すべき、っていうんならもうちょっとは今のトップ応援しろや。
お前らこそが日本の政治をぐらぐらにしているわけ。
一年ごとに総理が変わるのもお前らがトップを見捨てているからなの。
無能はお前らだっての。いちいち総理やめさせて何がしたいんだよ。
政策が気に入らないってんなら提言すりゃいいの。陰口の言い合いなんてレベル低すぎだよ。
ネットで人気の評論家連中はベーシックインカムなんて夢物語に逃げ込んでるしな。
「これで全て解決!(キリッ」てか。それってハルマゲドンでぜんぶ綺麗になるっつってたオウムとどう違うんだよ。
でかいこと持ち出してぎゃーぎゃー言い合ってるだけで今の問題が解決したら政治家なんていらないよ。
ほんと、アホばっかだわ。こんなニュースばかり見てると日本に帰りたくなくなるね。
こっちじゃ反対するにしても「いかに政府に届かすか」をきちんと考えて行動してる。どんな奴でもな。
いつ死ぬのか分かったら努力するか?しないだろ。
実際にはいつ死ぬのかなんて全く分からないという事実を知っていながら、明日も来週も1年後も10年後も生きているだろうと思い込めるから、未来への努力が出来るんじゃないの。
それから、悔いのない日々と努力とはイコールの関係にはないと思う。
いつ死ぬのか分からないから悔いのないように毎日を過ごしましょう
努力云々ではなくて、今日できることは明日後悔しないために今日のうちにやっておけってことかと。やるべきこと・やりたいことに対して1日24時間って驚くほど短いと思う。
いつ死ぬのか分からない=自分の持っている生きる時間は分からない、だから悔いのないようにってなったのかな。
支離滅裂ですまない。
もしかしたら俺がそうだったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。
専門家に明確に診断を下してもらった事はないが、他人に理由もなく偉そうにされたり何度も人格否定をされたり、自分の意見を持つ度に一々嫌味を言われると無意識のうちに「あ、もしかして俺って考えたらだめなのかな」と思ってしまう。
そして何も考えられなくなる。自発的に動く事イコール周囲から攻撃を食らう事だと、冷静になって考えてみればおかしい等式が頭の中で成り立っている。更に他人と接点を持つ事自体が自発的に意見を主張し、同時に相手の意見も聞くという事なのでそれができない自分はいつまでも冷静になれなかった。
自分で自分をそんなにマッチョだとは思ってないから、どんな攻撃にも堪えられる状態になるまであるいは永久に動く事をやめてしまう。ここが「何をやってもだめかもしれない」「自分には尊厳が存在しない」として言葉に出てくる感情になる。
俺の場合は精神科の医者が「一度引きこもってる家から離れてひとりで暮らしてみたらどうか」と親その他にも話を通してくれたのでようやく気付けたが、そうやって他人が救済できる場がない人はどうすれば良いんだろうかと、ふと考えてしまう。
少し話しが逸れますが、僕の勉強法はほとんど、「読むだけ」、「見るだけ」だったと思う。
成績はといえば、まあ中の上、大学受験の偏差値で60ちょいくらいだったと思うけど、ノートにまとめるって必要性を感じなかった。
今でもそう思う。
いわゆる教科書というものは、最初からまとまってたように思う。
重要な事柄には詳細な説明があったし、そうでもないところは"それなり"だった。
"それなり"の部分がいらない知識かといえば、前後をつなぐ上で削るわけにはいかないものだった。
教科書という体裁をとるために、事実や公理に至った背景なんかは端折られていたけれど、そこそこ楽しめる物語性があったと思う。
文系科目の教科書はどれも普段の読書の延長で読んでたし、イコール勉強だった。
ノートは演習問題を解くためのものだった。
ノートにまとめるってなんのためなの?
大学だと、二冊(あるいは数冊)の本を読み比べたり、矛盾する二つ実験データや仮説から考えるときに紙にまとめる必要があったけど、高校の勉強ってまとめなくても教科書に最初からまとまってたよね。
そんなに分厚くもなかったし。
ですが、彼の推進したい「光の道」のプランには同意できません。
では、NTTはそれを了解するでしょうか?簡単ですね、同意するわけがありません。正論がまかり通る世の中ではないことは、ネットの皆さんなら周知のことと思います。
彼がアクセス回線会社を作るというのは、NTTのインフラの先行者利益を捨てろ、と言っているのと同じです。事実彼は「イコールフッティング」をよく使います。
では、公正競争のためにNTTはイコールフッティングになる必要があるでしょうか?ないですね。どれだけ赤字垂れ流してでも全部独占していた方がいいじゃないですか。彼は「我々はメタルから退けというのか」と言ってますが、正にそのとおり。退いてくれればいいんです。ソフトバンクが(できればKDDIも)退いて、肩たたき間近の人にはとっとと出て行ってもらい、浮いたお金でNTTとアクセス回線整備を主に担当している東西の子会社でやればいいのです。ソフトバンクが介入する必要はありません。
これは特に孫正義が主張している「地方ほど赤字だから変えろ」という問題に直結しますが、地方民というのは基本的にいまだムラ社会から抜け切れておらず、「どこの馬の骨とも知れぬモノ」を毛嫌いします(まあ私の世代でもそういう人はいますが)
単純にメタルを光に置き換える場合、NTTとソフトバンク、どちらが信頼できるでしょう?
国のバックボーン、すなわち信頼がある元公社と、大企業とはいえ民間の会社、田舎のおじいちゃんおばあちゃんは、どっちの人の話を信頼するでしょうか。田舎は資本主義じゃありません。社会で動くのです。
これはアクセス回線会社設立にしても同じ。自分の経営が悪いからと言って、はいはいと他人のアドバイスを聞く奴(しかもそれがコンサルでも無い同業、競争相手)が居るでしょうか。こちとら長年かけて壱からやってきたんだ。よそもののひよっこが、偉そうなくちを聞くでねえ、とげんこつ叩き込むに決まってます。
そりゃ一般人の立場だとそうだろうね。
乞食が世界経済の心配するかい?キリスト教皇が誰に決まるかって心配するかい?
逆にアメリカの大統領が乞食一人を心配するかい?(雇用問題として認識するのは別問題な)
天皇についてどうこう感じないのはその人がそれ相応の立場でない事。
もしくは気にする必要がなく、興味がなくても済む立場なだけから。
もし現実でそういう事を言ってたら
私はそういう事を気にする必要がなくても全く関係なく暮らせる立場の人ですよ。
またそのような知識も教養もないですよ。とふれ回ってるのとイコールって事だ。
逆に一国の代表たる立場でそんな事を言ってたら速攻左遷や首。
ただそれだけだよ。
『「寄生対象に見られる事≠好意」だから。これを当然の如くイコールしてある論調には頭痛が。
"男"としては軽蔑してるから"金"の部分を経済的に利用してやろうとする女もいるんですよ。女性はそういう目に遭う事ないのかな』
というブックマークコメントを付けるのもなんだし、もっとちゃんと書きたくなったので、久しぶりにエントリを立てました。
以前、「寄生対象としてだけではなく人格を尊重して好きになって欲しい」という交際相手への要求を、
「幼稚な願望」だか「男らしくない願望」だかと皮肉っていた女性がいた。その女性はきっと、
交際相手から人格を無視されATMや庇護者としてだけ扱われることに全く異議を唱えないご立派な人なんでしょうが、
わたしはひとをそんな目で見てつきあいたくはないし、実際にそんな交際はしてこなかったし、
「人格はいらない。財布としての機能だけが欲しい」と本気で思っているような女性も真っ平です。
人間らしいお付き合いがしたいよねー。ということのどこがお子様レベルの高望みなんでしょうね。
あと、「交際相手として扱われたいなら対等な人間として扱われることは諦めろ。両方望むのは男の欲張りだ」
という理屈を振りかざす人も存在するのですが、わたしにとって恋愛対象の人は同時に対等な人間なので、
これもちょっと何言ってるんだかわからないですね。
要するにこういう人々は、「女性様に利用価値を見出してもらっているのに文句を言うとは何様のつもりだ?」、
あるいは「私は結婚相手として意識されたことすらないのに、男ときたら、あれはいやだこれもいやだと贅沢なんだよ!」と
言いたいだけなのだと思われるが、こちらとしては「あなたに寄生対象として見てくれと頼んでない」、あるいは
「あなたが経済的不安を抱くのは勝手だが、やつあたりするのはやめてほしい」としか言いようがない。
そういうおかしな人たちは横に避けておくとして、たいていの人は性別に関係なく、
人格を無視された上で見栄だの金だのだけに執着されても侮辱としか思えないものだ。
男女ともにそうであるはずだ、と思う。
「仕事や経済力に惹かれてもらえば嬉しいでしょ。甲斐性があると見られてるってことなんだから」
「男として認められてると思えばいいのに」
と無邪気にのたまう女性が多く見えるのに対して、なぜ男性の多くはそれを嫌悪するのだろうか。
それは男性にとって「寄生対象としてのみ扱われた時に生じるリスク」」が、圧倒的に高いからに他ならない。
想像してみて欲しい。人として尊重していない男性、その経済力だけが目的である男性に対して、
いざその男性の目が離れた状況になった時の女性がどうふるまうものか。
もっとも最悪な可能性は結婚詐欺(オプションとして睡眠導入剤、練炭)だが、問題はそれのみにとどまらない。
結婚することに合意したとして、まず、その女性は、夫婦間の貞操に対して非協力的である可能性が高い。
浮気しないでくれと言っても、ATM―――いわばお財布なんちゃらとしか思っていない男の人格を
「うっかり別の男の人と生で中出ししちゃったテヘッ」と言ってカッコウ戦術に出ることにも
罪悪感や抵抗を感じないだろうことは想像に難くない。
また、身勝手な要求をされる可能性も非常に高い。何度も言うがその女性にとって相手は体裁・金銭のための道具にすぎないのである。
嫌だと拒否することを、強制的にされたりさせられたりする可能性が高いということだ。
拒絶したら生活を人質に取られるか、恫喝でやらされるか(何せ男性の気持ちなど尊重していないのだから躊躇はないし、
興奮状態にある女性が通常より利己的になることは言うまでもない)、
「ドラマのように出来ないお前は男失格だ」など言葉の暴力で攻撃されることもある。
「以前からやりたかったことをお前の金で試せない私は被害者だ。何のために結婚しているのだ」という自己中な理屈で逆ギレされる可能性もある。
一言で言ってしまえばヒューマン・ライツの問題であり、人格を無視され現金引出機としてだけ扱われるということは、
そうした生活の自己決定権を侵害される危険性が極めて高いということだ。
歴史的に男性はそれを侵害されてきたし、今なお世界中の国や文化圏では、婚姻関係において上述のような暴力的状況が出来(しゅったい)している。
夫婦が本格的はじまりである。
結婚をする関係にある女性に、「人として」尊重した上で好意を抱いてもらわなければダイレクトに心身に損傷を負う危険がある。
それが男の抱えている深刻なリスクである。お子様願望だの、ありのままのボクを愛してだのというぬるい話ではない。
だからこそ男性は「自分を寄生対象としてしか見ようとしない女性に対する嫌悪感」が無意識レベルでも強い。
この女はアレだと勘づいたら早急にシャッターを下ろしてそれ以上近寄らせないように「自衛」するのも当然である。
でなければ「結婚をする関係性」になる以前に、まずを食らう可能性がある。
とにかくそういう女性が近寄ってくることには「リスク」しかないのだ。
「「収入・地位に関心=好意を持たれてる=モテてるってことだよね~♪」」などと
、無邪気に喜んでる場合ではないのである。
その女性の経済的関心がちゃんとこちらを一個の人格として尊重した上で付随されているものなのか、
それとも完全に「財布」という記号にしか見えていないのか、見極めなければ手酷い傷を負うことになる。
「養ってと迫る女がいるだけで甲斐性だと考えている男もいる。理屈に合わない」
「男をモノとして扱う鬼女に平気で給料全部吸い上げられてる奴隷男が山のようにいるじゃないか。何がリスクだ」
という反論が聞こえそうなので一応。
そういう男性は単にリスクを顧みず結婚しているだけの話であって、リスクそのものが無くなったわけではない。
女性より法的立場が弱く、扶養の義務を持っている限り、危険はどんな男性の上にも平等に降りかかる。
信頼関係を築き上げた女性が相手の時でさえ、本当に結婚に踏み切ろうと言う前には足がすくむものだ。
そういう恐怖を克服しても、この人がいい、この人を信頼した、信頼すると自分で決めたからリスクも背負う、
と思える相手でなければ結婚できませんね。わたしはね。
そのリスクを深刻な危機感として感じない男性も中には存在するというだけの話である。
えーと。蛇足だけどついでに。
「年齢がアラサーに差し掛かってるから、どうしても男性のことを考え始めると地位や年収でおおざっぱに認識しちゃうけど
オンナノコとして当然なんですう。えーんえーん。でもワタシ根は無害で純粋な子羊だから。
いざリアルで相対すれば男性をモノ扱いしたりしないよ!そんなことするのはビッチだけだよ!」
などと言う女性が時々いるのですが、メディアで年収年収・遊んで買い物して旅行は年○回・専業主婦で楽になりたいなどと
寄生虫臭いことを喚き散らしていれば、
「あー、男を生活安定させるための道具としか思ってないのね。
女としての自尊心を回復して同性に見栄を張るためのツールとしての夫が欲しいだけなのね。
単に魅力がないだけで中身はビッチじゃん」
と冷ややかに突き放されるのは当然でありまして、
「リアルでは少女の心を失わない純粋なワタシ」などと言い訳しても説得力など皆無であります。
だって、文章だけだって十分暴力になりうるからね。
このエントリだってある種の女性にとっては暴力になりうるのを見れば一目瞭然でしょう。
「私婚活中なんです。凄く焦ってるのでお付き合いしてください。まだ結婚してないのは友達の内で私だけなんです。
飲み会で友達に同情されるのはもう嫌なんです」という告白だかなんだかわからないような告白を受けて、
「そんなこと焦る必要ないと思うけど、金が欲しいだけなら風俗で働けばいいんじゃない?」
とニッコリ笑って言ってしまった経験のあるわたしですが、
風俗行けなどという暴力的な言葉を返されたくなければ、無自覚に暴力を振るわないように気をつけた方がいいと思います。
(これ言われた時は、「うわー・・・つきあったら『友達が飲み会で自慢していたことを全部私にして。経験ないのは私だけだから』
とかムチャクチャな要求をしてきそう。しかもそれを飲み会で友達に全部自慢しそう。絶対無理」と思いました)
http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2010/0517001413.php
結局、性が乱れている事を「文化」、「普通」、「常識」として「長い物には巻かれろ」って言っているだけじゃない。
ちなみに異性への愛情と性欲はすんごい関係があります。
イコールとは言わないまでもね。
どんな関係があるというの?
この人と付き合いたい、一生、添い遂げたいっていう異性とただ性欲処理がしたいってだけの異性は別。
大事に思っている人が結婚まで貞操を守るのなら性欲は抑えておく事ができるもの。
どちらも倫理観を持つし、干渉しあうものだしね。
この文化においての貞操観念は、恋人や配偶者しか性交渉を持たないことを意味するよ。
結婚まで婚前交渉しないってのはとtttっても少数派なのよ。
それはスタンダードではないです。
宗教を例にとるなら、イスラム圏の人に日本人が豚肉食ったら不真面目と怒られたようなイメージだよ。
ここは日本なので日本の文化を尊重できない人間のほうが、いくらか不真面目のニュアンスと同じ方向に位置すると思う。
いい?日本人であると思われる君に説明しているのが奇妙だけど、
ちなみに異性への愛情と性欲はすんごい関係があります。
イコールとは言わないまでもね。
これも同じ人間同士なのに説明しなくちゃいけないのも奇妙だ。
んで俺が言いたいのは「世の中(日本)では婚前交渉は普通だから、お前はそれを非難することは出来ない。
しかしながら、お前がそのように生きるのは自由だ」
になるよ。
しかしまぁ、奇妙だ。なぜこんなことを説明しなくちゃわからないのか?
ここからは邪推といわれてもかまわないが、
まず処女では無い人間を非難したいという気持ちがあって、そこから話を構成してないかな?
婚前交渉が普通な事など、同じ日本に住んでればわかりそうなものなのに。
同じ人間なら異性への愛情と性欲がまったく別なものとはしないだろうに。
この保守的な日本においても、すでに学校で避妊に対する指導があるとすら聞くしなぁ。
説明が必要なのが不思議。
それは、非難ありきで話しているなら納得できるんだよね。
幸せって自分で選択するものなんだってことを元増田は知らないんだね。
例のスレの夫達のように
「後悔、でも今更捨てられないし…」みたいに幸せになれなかったことを後悔させてしまうことになる。
そうなったらそうなったで、その「夫達」は「離婚はしないが妻が処女でなかったことに鬱屈を抱えて生きる」ということを自分で選択しているんだよ。
そんなのの責任まで背負い込もうと思う必要はない。
気団には残飯スレでなくて他の処女関連スレもあるんだけどそれらは覗いたことある?
もしないならこっちを読んでみな。
ttp://namidame.2ch.net/test/read.cgi/tomorrow/1145676721/
妻が処女だった場合も非処女だった場合も、妻を愛してる夫はどちらにもそれなりに居るんだってことが分かる。
つまり「結婚した時点で処女であること」というのはひとつの長所に過ぎん。
長所には違いないが、気にしない男にとってはなければないでいいという程度のな。
哺乳動物は本能的にどちらかといえば処女を忌避するよ。経産婦の方が人気があるそうだ。
こと日本においては新卒優遇と同じで、「自分色に染められる」ことに価値を見出す。
これだけ情報が氾濫してる現代において、処女と無垢は必ずしもイコールじゃないのだから
ほんとは染めるなんて不可能なのにな。
そういうのとは別に、自分の初体験が若気の至りだったと思うのなら、
そして今の彼氏が好きでたまらないんだったら、
「あなたが初めてだったら良かったのに」とかなんとか言っとけよ。
吐き出したいことがあって来たけど
今ちょうどやりとりがさかんに行われているらしい事項が
あまりに不毛でやってられないから
あとでにしたい。
こういう話題に一言乗りたい輩は多いらしいね。
この手のはなしになるとしばらくやり取り続くし。
ネットだけじゃなくても。
ああ結局自分もそういうことになるのか?
でもこういうこと考えてる輩もいくらかは存在してらっしゃるわけですね
っていうのが分かるのは有効かもしれないけど、別に知りたくないのもたしか。
正確に言うとかなりどうでもいいんだけど
自分の性別が今と逆でもきっとそう思う。
こういうこと書いてるのはどうせ乱れた女なんだろとか言う輩が出ませんように。
逆にもてない女なんだろとかいう輩もいませんように。
とにかくスルーしてくれるくらいの度量はあってくれるといいね。
涼宮ハルヒの消失を友人と見てきた。
で、映画館を出た後に作品のテーマなんかについて一通り友人と駄弁っていると、友人はふとこう言った。
『ってか、朝倉ってこえーな。キョンに作中十八日の朝、話しかけてた時、同日キョンの横腹刺したことを覚えてたんだろ?』
この発言に俺は驚きを隠せなかった。
というのも、俺は作中で彼女がキョンを刺した際、その後すぐ時空の修正が為されたものだと思っていた。
何故なら、そうでもしないとあの時刺されたキョンがすぐにでも死んでしまう状態であったからだ。
しかし、もし仮にそうだったとしたら、ここには重大なタイムパラドックスが生じるのである。
というのも、十八日の朝以降、確かにキョンは時空改変に戸惑い、色々錯乱を起こしたりしていた。
十八日の明け方前に時空修正が行われたのだとすれば、その行動は起こり得ない。つまりタイムパラドックスが起きる。
よって、キョンが刺された直後に時空修正は行われていないという結論に達する。
ならば、一体いつ時空が修正されたのかといえば、これは恐らく、キョンがエンターキーを押した直後から、キョンが病院のベッドで目覚める直前までの間であろう。
つまり、作中における二十日の放課後から、二十一日のキョンが目覚める期間までの間である。
逆に言えば、十八日の明け方前から二十日の放課後の間には、時空修正は行われていないということになるのである。
つまりその間、朝倉涼子が彼の横腹を刺したという記憶は、確かに朝倉涼子本人の中で残っていたのではあるまいか。そうにも関わらず、彼女は教室や長門の部屋、あるいはエレベーター内において、キョンに対して何の含みもなく会話をしたりしている。
コイツは恐ろしいことだ……と、俺の友人は言ってのけたのだ。全面的に同意したい。
ところで、朝倉涼子がそのこと(キョンを刺したこと)を覚えていないというパターンもなくはない。
というのも、『キョンを刺した朝倉涼子』ノットイコール『十八日の朝以降の朝倉涼子』であるというパターンだ。
これが一体どういうことかと言えば、つまり前者の『キョンを刺した朝倉涼子』が、十二月十八日の時間修正が行われる以前の時間の、もっとくわしく言えばキョンを殺害しようとして長門に消去されてしまう以前の彼女であり、その彼女が十二月十八日の明け方前に、タイムスリップしてきたということだ。
朝倉涼子は原作『涼宮ハルヒの憂鬱』にてキョンを殺害しようとしているが、ここには当然長門による妨害が加わってくるであろうことが、彼女には予想できたであろう。
ならば、彼女が時間を越えて、十二月十八日以降の"無力化状態の長門"がいる未来にて、キョンを殺害しようとしたとしてもおかしくはないのではないか。
そして、それを達成した後に、再度『涼宮ハルヒの憂鬱』における時間軸へとタイムスリップし、夕暮れの教室にて次手であるキョン殺害を果たそうとした。ということなのではないだろうか。
つまり、キョンを刺した朝倉涼子は、時空が改変される以前の朝倉涼子であり、時空が改変された以降の朝倉涼子とは 別人なのではないだろうか。
そういうパターンも、有り得る。
あるいは他のパターンがあるとしたら、彼女が単純にキョンを刺した時の記憶を、十八日の朝の時点で忘れるか、消されるかしているというパターンか、のどちらかであろう。
(因みに、当然十八日の朝以降において、長門はキョンが刺されたことを記憶していない。でないと文芸部室においてキョンとのあのようなコンタクトは成立しない。恐らくはあまりにショッキングな出来事だったので一時的に当時の記憶を喪失したか、あるいは当時の記憶を何者かに奪われたのであろう)
『コンピューターおばあちゃん』大好きな方は回れ右して欲しい。
コンピューターおばあちゃんが怖い。
楽曲そのものではなく、「情報機器を自在に操り能動的利用を図る高齢者」という意味でこわい。
歌詞のなかのおばあちゃんだけだならまだいいが、「誰だって歳をとる。いわんや悪人をや」。
総ての高齢者がコンピューターおばあちゃん、もといリテラシー老人になったらと思うとこわいぞ。すごいこわい。
人口に占める高齢者割合に比例してネットリテラシーをもつ高齢者だって年々増加している。
そして困窮。「パソコン?そんなん持ってないけどケータイで十分だよね」「どうも情弱ゆとりです(笑)」。
さて、政党政治家は支持者を増やすためにすこし本意の裾をずらしてのばして近づくのは、確実に高齢者方面だ。
選挙に勝つためには、投票率ふくめ人口で大きな割合をしめる高齢者により有利な政策を提案しないとならないから。
ネットという拡声器を得て、ただでさえ大きな声をさらに張らせて叫びはじめる日本全国の高齢者。
彼らが「使い方」を覚えることがこわい。
受動的閉鎖的な利用ではなく、いわゆるネットの力を駆使して叫び始めることがこわい。
本当に困窮している先人を追い詰めたいとは毛頭思わないが、
「高齢である」というだけで社会的弱者という盾を若年層の頭頂部に押し付ける層も確実に存在している。
もはや「高齢である」ことはイコール「弱者」にはならなのではないか?
端的に言えばカネをガッツリ貯め込んだジジババがさらなる悪知恵をつけて生産年齢人口を圧迫することがこわいのだ。
コンピュータおばあちゃんは決して孫の味方なんかじゃない。
でかくて重い筐体を抱えて孫にのしかかるモンスターにだってなりうるのではないか。
戦争や苦しい時代を生き抜いただとか苦労して育ててやっただとか必ず出てくる配慮は今回一切排除させてもらって言う。
こわい。
だからこれ以上悪知恵をつけないでくれ。
私が将来そのひとりになる時がきたら、どうなっているんだろう。