はてなキーワード: あんまとは
なんとなく、気が向いたし、夏休みだし、暇だし、実家の荷物整理してて当時のノートなどが出てきたから、自分の大学受験浪人時代の記憶を増田に投下。
塾や予備校にいった経験がなかったので、同級生の話を聞いて、家から通いやすく、授業料が免除になりやすいという代ゼミ(代々木校)に行くことにした。試験を受けて、結局、75%免除になった。これが結構でかかった。
代ゼミでは、フルタイムで授業を受ける学生を「本科生」と呼ぶ。自分が入ったのは本科のTKコース。東工大向けコースな。
東工大の理由だけど、地球科学やりたかったけど、東大に対する食わず嫌いと、北海道大学と京大は遠いっていう絶妙な混ぜ具合の結果。
基本は平日午前2コマ、午後2コマ。1コマ90分。
水曜の午後だけは1コマだったと思う。
そして土曜午前に2コマ。
本科生は代ゼミが主催する模試のうち、いくつかを無料で受けられる。
ちなみに3学期制だった。
後になってから知ったことだけど、難関校向けコースほど、講義間の教室移動が少なく、科目を担当する教師が人気講師になるという傾向がある。これが、講義の時にいい席が取れるかどうかにつながる。友人から聞いた話では、この椅子取りゲームの不毛さが他の予備校から揶揄されているそうだ。
自分は、普通に朝からずっとど真ん中一番前に座ってたし(9時講義開始で8時過ぎぐらいに来て予習していた)、人気講師の講義を受けたいとか思っていなかったからあんまりそうした問題はなかった。
それでも、東工大コースで行われる人気講師の講義のときは、東工大コースじゃない人にど真ん中一番前を取られたりしてて、なんともいえない気分になったことはある。8時に教室開くのに、8時前から待ってる奴がいるのよ!
4月の最初のうちは、どの講義も教室が満杯だった。クラス担任の職員さんが最初の挨拶で、「まずゴールデンウィーク明け。そして夏休み明け。クラスの人数が減っていきます。悲しいことですがそれが事実です」という内容の話をしていたことを覚えている。(確か、担任から「今、東工大コースは120人」と聞いた気がする)
実際、文系科目を中心にどんどん人が減っていった。自分は何も考えず“コース料理”は全部おいしく頂いたわけだけども、ツウな代ゼミ生は、同じ英語でもコースで用意された英語ではなく、好きな講師の英語を受講しにいくらしい。
なので、まあ夏休みも明けたら、コースの通常講義でも、人数の差が笑えるぐらいになっていた。
それからさすがに東工大コースだけあって、男10対女1ぐらいの比率だった。最終的にはフルタイムで講義を受ける女の子は3人ぐらいになるんだわ、これが。
そういう感じなので、教室の雰囲気は講義次第、講師次第でまったく変わる。
それから男女比的に女は女で固まってた。みんな友達を作りに来てるわけじゃないので、休み時間に世間話するぐらいの関係だったけど、ひょんなことから、女の子の一人と仲良くなったら、他の女の子とも仲良くなった。浪人時代は、ほとんど女の子とばかりしゃべってた。
女の子と親しくなった話。ゴールデンウィーク前ぐらいだったと思う。隣にいた奴が「授業についていけない。おれ、もう、死にたい」とか言い出して泣いてしまったので、「俺もしょっちゅうそう思ってる」「まだ10ヶ月あるから頑張ろう」とか必死になだめてたら、後で、女の子が「大変だったね」と声をかけてきた。
それがきっかけでその子とよく話すようになったら、他の女の子ともよく話すようになった。
その「死にたい」って言ってた奴は2学期からは来なくなったので、まさかと思ったら東工大コースよりひとつ下のコースに変わっていた。やっぱり自分のレベルにあったところにしたいということだった。それもありだと思った。
平日 | |
---|---|
7時頃 | 起床 |
8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習。講師に質問しにいくなど |
9時~12時 | 午前の講義 |
12時~13時 | お昼。天気がいいと明治神宮で食べてた |
13時~16時 | 午後の講義 |
17時頃 | 帰宅 |
17時半~19時 | スポーツジム。水曜は15時過ぎに帰るのでプール |
19時半 | 夕食 |
21時~23時 | 予習・復習 |
24時 | 就寝 |
土曜 | |
---|---|
7時頃 | 起床 |
8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習 |
9時~12時 | 午前の講義 |
午後 | デート |
日曜は模試があれば、模試に行って終わったら模範解答で答えあわせと次の日の予習。ある意味、平日に近い。
模試がない日は、午前・午後使って一週間分の復習。デートとか、草野球もあったり、結構遊んでいる感じ。
こう、規則正しい生活を送れたのも母のおかげですね。
教室でも、ぱっと見た感じ何人かは彼氏・彼女持ちだった。お昼休みに携帯で甘い会話してたりとか。自分の付き合ってた彼女は、高校の同級生で向こうは現役で大学入ってて、最初はものすごく負い目というか、いろんなネガティブな感情があったけど、僕も向こうもそれぞれの日常で居場所を見つけて適応していった。向こうも「君がッ 大学受かるまで携帯電話を持たないッ!」って感じで、保守的で義理堅い子でよかった。ちょいオタだけど。このままこの人と続いて結婚しました。これ、ノロケな。
1学期も終わりに近づき、「夏期講習どうするの?」なんて話をしてたけど、普通に代ゼミ経験値の低い僕は「東工大」が冠につく授業を取った。そしたら別次元だった。まわりが……ほとんど……現役生……。現役生ばかりの教室に緊張感はない。真剣に講義を受けてたら、講師から「君は本科生か」と言われて、教室で浮いてしまったこともあった。ちなみに、ツウの代ゼミ生は、夏期講習は人気講師のオリジナル講義を受けるらしい。
夏休みに父に「どうせなら東大ぐらい受けろよ」と煽られて、東大受けてみるかと思って、志望校を東大理Iに変更。年の途中からコースを変えるとなると、結構お金がかかるようだったので、東工大コースのまま、2学期から夕方に行われている東大現代文・古文・数学・英語を増やした。物理と化学がないのはお金の問題と東工大コースの講義で充分だと思ったから。必然的に午後の時間がなくなったから、2学期からはジムには行けなくなった。そしたら入試の頃までに10kgほど太った。浪人で太る人、痩せる人いるけど、僕は激しく太るほうだったね。
で、この夕方の講義にものすごくかわいい女の子がいて、その子のことを東工大コースで絶賛したら「その子は後輩だわ」ってことで、あとで紹介してもらった。でも、馬が合わないオーラが出まくってた。そういうこともあるさ。
他の予備校のことを知らないから、比較してどうとはいえないけど、個性的な人が多かったと、社会人になっていくつかの研修やセミナーを経験した今でもいえる。
印象に残っている人について
小太りのお兄さん。大学の非常勤では食っていけないことを漏らしていた。メルカトル図法の世界地図に気候分布を色分けで塗ったものをノートに書いていて、それをその講師に見られて「地中海性気候のCsのsって何のことですか?」と聞かれたので「sommer trocken(ゾンマトロケン)、夏に乾燥」と返したらびっくりされた。あなたが講義で言ってたことですよ!このときに作ったノートは妹が継承した。
コビルドの英英辞書をもって講義を受けてたら、「君、それ一冊あれば、僕は要らないよ」といわれたので、それ以降、講義では机の上に出すのを控えた。「朝、講義前に来れば英作文の添削をする」と公言してたので、公言した以上添削しろよという感じで毎週添削してもらいにいった。
「僕の講義を録音して、繰り返し聞きながら、マネしなさい。最低50回」・・・マジで利く。これが周りで大ヒット。
「東工大受けるお前らなんか、どうせ、英語捨ててるんだろ?」「サイボーグ雨宮」など、数々のゆるい話題を振りまき、講義の時間を癒しに変えた人。1コマぐらいこういうのがあっても良いと思う。
エロサイボーグ雨宮。本当に息を吐くようにエロトークをかます。気をつけてないと、エロトークだとわからず、「あれ、わかりませんでしたか?お子ちゃまですね」といわれる。「数学的一昨日法」「数学的人生法」は傑作だった。
クラス担任の職員さんから「この人の講義には絶対に遅刻しないこと。居眠りしないこと」と注意されてたけど、最初はヤクザかと思ってびっくりした。実は、小心者のいい人。「意識の低い奴はいらねぇんだよ!」といってチョークを投げたことも。本科の最終講義は、自分の大学生の時の話をするのが恒例らしい。ゲーム屋のバイトの話が面白かった。「第一志望に落ちたら第何志望でもいいから大学にいけ。2年も予備校にくるな。大学にいってから頑張れ」と。
土曜午前にサテライトで中継講義(教室に入りきらないため)。あまりの人気っぷりに、一度、「生亀田見ようぜ」ってことでクラスの友達と一緒に始発に乗って椅子取りに参加したけど、それでも一番前から10列目ぐらいだった。話を聞いたら、一番前の人は前日より前から並んでいるらしい。マジ無理。ノート作成術は役立つ。
津守先生の英語で毎週英作文を添削してもらったと書いたけど、2学期のある日、機嫌の悪かった兄に「お前が受かるってことは、他人が落ちるってことだ。お前なんか受かんないほうがいい」といわれて大喧嘩になって、酷い有様になったけど、もう癖になってたのか泣きながら次の日に添削してもらうために英作文を書いていた。
「東大」を冠する講習と、馬場先生の英語のオリジナル講義を取る。さすがに冬期講習ぐらいになると、現役生も本気なので緊張感が違う。逆に本科生は元気がなくなる時期。自分もつらかったので、クラスの友達と一緒に馬場先生の講義をとって心の栄養に変える。4月からずっと大学受験中心の生活だったから倦みと緩みが出てくる。これは油断とかじゃなくて、体の底から湧いてくる倦みと緩み。泥の中にいるような感じになる。成長を実感できなくなる。現役生のパワーに負けるようになる。こればっかりはどうしようもない。乗り切れるかどうかって話。
3学期になると、本科の講義はほとんどないのと同じになる。夏休み明けより暗い顔が多かったのは、仕方のないことだろう。最終講義では「頑張ってね」みたいな話で送り出される。講師が大学生だったときの話、自分が夢をつかめなかったことなど。クラス担任は大学の数学の教科書を見せてくれた。
自分は東大じゃなかったら東京理科大という方針でいた。東京理科大のセンター利用なら確実に受かるので、これを滑り止めにして、国立の本番前に調整として早稲田の教育・理科を受ける。なんで早稲田の理工にしなかったかというと、東大に落ちた場合に早稲田に行こうとは思わなかったし、教育のほうが試験が簡単だったから。親からは「早慶の両方受けなくていいのか」とか、「早稲田にも入学金を納めなくていいのか」とか再三聞かれたけど、方針は譲らなかった。模試は最高でC判定(合格率40%ぐらい)だったけど、この頃には、だいぶ吹っ切れてて、つみあがったノートを復習する日々。ダメだったら、ダメでいいじゃんと、普通に思っていた。
話には聞いていたけど、浪人生がその自慢のノートを広げている姿を見ると、現役生は顔の色を変える。本当にそうだったから、笑った。だって、ノートが全然違うもの。10ヶ月間必死にまとめてきたんだもの。模試の結果からセンターの得点率は9割はいけるなと思ってたら、ピッタリ9割だった。僕のころは東大を受ける場合は800点満点で、8割ぐらいが足切りラインといわれていた。
総合723点で、国語が147点だったのがギャグだったけど、他で落とさなかったから良かった。好きだったから無駄に一生懸命勉強した地理は85点。現役時代と変わらない得点。試験なんてそういうもんだ。
次の日、自己採点で集まった東工大コースの面々。みんな一様に暗い。一番よく話してた子は数学で大失敗をしたといって、無表情になっていた。そういうことはある。
あるときの東工大模試で化学だけが異様に簡単だなと思って、次の日クラスで話したら「めちゃくちゃ難しかったよ!」とか言われたことがある。結果が返ってきたら化学が全国3位。たまたま自分のホームランゾーンの試験だったってこと。だから逆だってもちろんある。試験が空振りゾーンにくるときが。
東大の入試っていうのは、今もそうか知らないけど、あいうえお順に受験番号が決まる。だから、前年見た顔をまた見ることがあるという。同じ教室に高校時代の友人が二人いてびっくりした。「そういえば名字似てるしね」とかいって笑って挨拶した。
2日間かけた試験だったけど、得点率でいうと、英語が満点、国語が8割、物理と化学が6割、数学が3割という感触だった。数学が空振り。当落線上ギリギリだなって思いながら気分は後期試験に。
でも、後期試験対策の手が付かない。僕は既に燃え尽きて灰になっていた。
アメフト部のウォリアーズが胴上げすることで有名な東大の合格発表。普通に見に行って、普通に合格を確認して、普通に生協の合格者用の袋をもらってその場を去った。途中後輩に会って「落ちました」と聞いた。僕の態度から後輩も僕が落ちたと思ったらしい。そのくらい僕は醒めていたし、合格者用の袋はもらってすぐにかばんにしまっていた。
兄に言われたことだが、自分が受かったことで誰かが落ちたのはまぎれもない事実だ。
「そういう態度は逆にいやらしいですよ」と後輩に言われた気がする。
そこは、どうなんだろう?僕は「勝ってガッツポーツをしない」という武道の古臭い考えは好きだ。
ただ、この場合、僕は武道的な考えから喜ばなかったというより、喜ぶ元気もないぐらい疲れていたんだと今は思う。
という感じ。
現役の人は、これから頑張れ。
学生の頃ちょっとだけROのベータ版やったことあるけど、全く面白くなくて10時間もやらずにやめた。
むしろハマる人の気持ちが理解できないなあ。何が違うんだろ。
まぁ俺の場合、普通のRPGやるときもいかにストーリーが面白い(=俺好み)かってのが基準になるから、それ以外の要素ってあんま興味ないんだよね。クリア後のやりこみ系も、大抵途中で飽きてやめちゃう。
ゲームそのものは好きで昔は相当やってたんだけど(1日12時間くらいやったこともある)、大学院に入った頃くらいからほとんど触らなくなって、社会人となった今ではそもそも家にゲーム機が無い。結局のところ、ハマる人とは根本的に何かが違ったのかなあ。
何かを短期で覚えるとき、
皆さんは書いて覚えますか?
それとも声に出して覚えますか?
みなさんの覚え方を教えていただきたい。
自分独自のやりかたで覚えている方も、「教えたくないなぁ」とか思っている方も、
ぜひお願いします。
自分はとりあえず書いて覚える方だけど、あんまり頭に入ってこない。
しかもそんなに書く時間がない。
さて、国政選挙編。
http://anond.hatelabo.jp/20090725024708
http://anond.hatelabo.jp/20090726002306
このエントリ↑の続きです。
俺は、上記のエントリからも予想がつくと思うが、国政選挙では、小泉流の構造改革路線を支持した。公共事業をガンガン削れ。既得権益を完全に打破すべきだ。自民党をぶっ壊す。この言葉を俺は、断然支持した。これで日本が良くなる。脂ぎったオヤジたちは、消滅はしないが、間違いなく勢力は弱くなる。日本の赤字状況も改善されるはずだ。公共事業に依存するのは、一種のパターナリズムだ。それよりも、自発的起業体制を整えるべきだ。労働者派遣など、行き過ぎた面もあると思ったが、痛みを伴う改革である以上、一時的にはやむを得ないと思った。
安倍首相の下で参議院選挙が行われたとき、俺は、悩んだ。小泉流を継承する経済政策については、安倍晋三を支持できる。しかし、「美しい国」のフレーズの下、前面に提示してくる保守的価値観には合わない。価値を国家という装置によって押し付けようとする姿勢に嫌気がさした。価値は家族や地域、コミュニケーションなどの空間で形成されるべきであって、国家が押し付けるべきではない。価値の多様性、多元性を認めるべきだ、というのが俺の立場だ。
この時の選挙で、民主党は、公共事業の拡大による景気対策を主張した。これは昔の自民党と変わらない。脂っこいオヤジたちの世界だ。民主党案では、国の財政状況を改善できるのか、と。
昔からの自分の政治信念を優先させるならば、自民党。しかし、価値の押し付けには反発がある。悩んだ末、俺は、批判票として、共産党候補に入れた。結果は、自民党の大敗、民主躍進。民主党の政策には、賛意を示す点もあるが、構造改革路線を批判した点には賛成できなかった。
結局、自民党も、構造改革路線からの後退を始めた。このとき、自分が支持する政党がなくなった。精神的、価値的な次元では、多様性、自由を容認すべき。経済については、選挙の足を引っ張り、既得権益をむさぼる利権団体をぶち壊し、財政再建に取り組む。自分の立場は、ここなのに。決して異常な立場ではない、と思っているのに。
このエントリ(→http://anond.hatelabo.jp/20090726011213)にも多少関係のある話ですが、自分の立場は、保守、リベラルという枠組みで自己規定することができない、という自覚はある。上記のエントリは、おそらくアメリカの共和党と民主党の対比をモデルとした保守、リベラルの対比だと思う。特徴的な人物と言えば、共和党がレーガンで、民主党がリンドン・ジョンソン、かな。
このような枠組みに、自分は当てはまらない。政治理論に関する文献は、大学の時にかじっただけであんまり詳しいわけではないが、自分は、典型的な保守でもないし、典型的なリベラルでもない。自分の立ち位置がわからない。こういうのは、変なのかな。
自分の考え方の奥にある話。なぜ公共事業が無駄、と思われるのか。
一言で言うと、役に立ったと実感できないから、だと思う。橋を造る、道路を整備する、としても、すでに現状に特に不満がないならば、役に立つ実感を得ることができない。
例えば、3年ほど前、とある県のとある県庁所在地に住んでいる20代後半男性の「俺」の実家から徒歩10分ほどのところに、新しい橋が建設されました。橋を渡ったところに大型の買い物施設があるわけではありません。近隣住民は、通常の生活をしている限りではあんまり使いません。自動車を利用する人たちも確かに以前よりは便利になったと思いますが、以前も不便で不満だらけだった、というわけではありません。もちろん、トラック運送業者の方々など、自動車運転を専門としている方はどう思っているのかはわかりません。だけど、日常生活で自動車を使うレベルの人間では、過去の状態に不満があったわけではない。
つまり、20世紀後半に自民党が色々開発してくれたおかげで、ある程度、生活基盤が整備されているわけです。新たに道路や橋を造っても、確かに便利になったといえばそうだけど、別に以前の状態に不満があったわけでもないのです。公共事業の成果を実感できない。だから道路、箱モノを造る公共事業が無駄、と思われるのです。
裏を返すと、役に立つ、と実感できる公共事業を実施すれば、支持を集めることができる。
例えば、名古屋の天守閣工事。詳しくは、このエントリを参照→http://anond.hatelabo.jp/20090726163635
名古屋在住ではないのでわかりませんが、名古屋市民が役に立ったと実感できるならば、有益な公共事業だと思います。
そして、今、現在。
自民党の政策は、箱モノ行政から脱却できていない。生活者レベルで役に立ったという実感がないのに、公共事業の投下。だから、利益を与える代わりに票を得るという構造だ、既得権益だ、と批判の対象となる。麻生首相は大型公共事業を実行したが、あくまで目的は景気対策。生活者の利便性の向上、ではない。だから、特定集団の支持(=業界団体の票)しか集められない。公共事業を遂行しようとするならば、生活利便性の向上以上の正当化根拠が必要だと思う。
では、民主党はどうか。箱モノ行政を支持する人たちは、相対的には自民党よりも少ないが、民主党内部にも、存在している。あくまで私が書いた最初のエントリは、とある県のとある県庁所在地の話なのです。とある県のとある県庁所在地の民主党系の市長は、箱モノ行政体質を改善して、赤字財政をなんとか立て直している、というだけ。
だから、民主党政権になったら箱モノ行政を改善する、という期待感はあるが、実際のところは不明。予算の組み替えは、現実路線なんかに走らずに突っ切れるならば、凄い。高速道路の凍結も断固として実現できるならば、凄い。だが、実施できるのかという面は不安。
道路や箱モノよりも、医療や教育にお金を回すべきだという民主党の方向性自体には賛成できる。民主党政権が誕生した場合、戦後の日本が形成してきた社会システムをどれだけぶちこわすことができるのか、は個人的に注目している。また、民主党案では、財政赤字の解消ができるか不安。ま、これは自民党案でも同じだけど。プライマリーバランスの問題はどこに消えたの?
今の自民党の迷走を招いたのは、おそらく、安倍晋三がバカだったからだと思う。
小泉さんは「痛みを伴う改革」と言った。ある程度の「痛み」は織り込み済みなんだ、と。小泉が選挙で圧勝した以上は、国民は「痛み」を共有すべきだ、と思った。だから、安倍が惨敗した参院選の結果に、俺は、国民のわがままさを感じた。かく言う俺も、安倍晋三を支持しなかったんだけど。
小泉改革への批判と受け止められているが、俺は、安倍晋三の選挙対策がバカだったから、と思う。小沢さんが「国民の生活が第一」と、生活者レベルの問題、さっきの自分の言葉でいえば、役に立ったかどうかという実感を改善すると訴えたのに対し、安倍ちゃんは、「美しい国」。イデオロギーには、やはり信者しかついていけない。イデオロギーを前面に出せば、神々の争い、世界観闘争を生み易く、反発も招く。しかも、安倍ちゃんの場合、バカ右翼と同レベルで、歴史的検証を欠いている。こういうこと書くと、お前はサヨクか、と思われるけど、俺は福島瑞穂の憲法観もカスだと思っているからね。私はやや特殊な立場です。
憲法改正よりも、生活レベルの改善。イデオロギーよりも、景気や、雇用を争点化した方が支持が集まる。これに着眼した小沢さんは、参院選で大勝利。自分は支持しなかったけど、選挙対策能力の高さはさすが、と思った。
イデオロギーを前面に出さず、小泉さんの後継者として政治改革、経済政策を実行していればよかったんですよ。結局、それがわからなかった安倍ちゃんは、保守観丸出しのイデオロギーを表明し、反発を招いた。その後の自民党の顛末は見ての通り。福田、麻生と続き、小泉改革を揺り戻す。昔の自民党に戻ったといわれても仕方がない。
選挙というのは単一の争点で戦うものではないが、経済政策に関しては自民党は行き詰まりを示しているんじゃないかなーと思う。自民党政権で恩恵を受ける人が特定化、特権化され過ぎていて、国民の一部にしか恩恵が受けられない。恩恵を受けない人にとっては、なぜ恩恵を受ける特別な業界があるのか、という理由が欲しい。なのに、その理由は、もうすでに賞味期限切れ。
サブアカウントとの切り替え方法なんですが、
それ、私も知りたいです。私の場合、ユーザー切り換えのページさえ使ってなくて、画面の右上でいったんログアウトして、またログインするという方法です。
エスカレーターあんまり関係ないけど、街を歩いてると、歩く速度が遅い人が多すぎてイライラするな。
遅いくせに大人数で集まって追い越せなくしたり、横に並んで道塞いだりしやがる。
もっとキビキビ歩けっつーの。
ちょっとオタクよりのものからオシャレなものも、クラシカルなものも好きです。
大学では芸術を学ぶことにし、無事そういう学科にはいることができました。(美大じゃないよ)
サークルは映研にはいり、趣味を共有できる仲間たちと、毎日楽しい日々をすごしています!
と、思う。そんな私だと思う。間違いじゃない。
でも、中学のころからいつも心にひっかかってることがある。
「私は、芸術が好きなんじゃなくて、
“芸術が好きな私”が好きなだけなんじゃないだろうか?」
大学に入って学科やサークルの人たちと喋るうち、その思いは強まった。
みんなが私よりもっと単純に、もっと純粋に、芸術を愛しているように見える。
いや、皆結局自分が好きだけど、気づいていないだけ?心のそこから自分に酔えてるの?
考えてもわからない。
部活にも入っていなかった。入れば良かったと6年間後悔し続けた。
友達も少なかった。クラスの打ち上げに、ほんとは行きたかった。
親友とよべる友達がいた。でもその子に感じるのは劣等感ばかりだった。
私には逃避の場所や、アイデンティティを確率するためのなにかが要ったのだと思う。
いつも何かしらにコンプレックスを抱いている私だったから、
そんな私を私自身が知っていたから、
そしてそれを私が知っていたから、
私はいつも、芸術をただのオナニーの道具に使ってる自分に気づいてしまう。
「私、こんなの知っててすごいでしょ?」な、中二な、人たちが大嫌いなのに、
結局、そんな人たちと変わらない自分がもっともっと大嫌い。
(このへんでややこしいのは、
私は「人よりいろいろ知ってる自分」を演出するために芸術を使ったけれど、
その知識は、ネット上にいるような本当に知っているひとたちと比べれば浅い浅いものであることも知っていた。
ので、自分に浸りきるということすら完全にはできなかった。)
そんな自分を変えたいから、
もっと本気で芸術を愛したいから、もっと本気で芸術を知りたいから、
それが「日常」になってしまえば、逃避の場所にはならないだろうと思ったから。
そんなことを考えながら大学に入り、
私は「りあ充」になってしまった。
(私にとってそれは、充実しているひと、というよりは、当たり前のことをできるひとたち、という意味を含んでいた)
というより、無理にでもなった。中高時代を取り返すように。大学デビュー!
私はまっとうな大学生として、まっとうな大学生活を送っている。
模範的な、という意味ではなくて、ちょっとした堕落を含めて、典型的な。
毎日、ちょっと退屈で、ちょっと楽しい。
つまり、心のよりどころが、
あんまり必要じゃなくなってしまったのだ。
そうすると、また、やっぱり私は気づいてしまう。
私は、なんでも好きで、なんにも嫌いじゃない。
そして、なんにも好きじゃなくて、なんだって嫌いだ。
私は映画も絵画も音楽も文学も漫画も演劇も建築も、西洋問わず好き。
私は自分の知識の浅さを理由に、「嫌い」とか「面白くない」と言うことができない。
私は特に好きな監督、俳優、劇団、画家、音楽家、アーティストというのがない。
私は、何かに執着している人(たち)の臭いが嫌いでたまらない。
なにかをちょっと好きになろうとして、だけど「そのもの」の良し悪しより、
「それを好きなひとたち」の臭気にやられて(ネット上だと特にね)、私は「そのもの」自体が嫌になってしまう。
でもその知識を放棄することを私はしない。
そしてその人たちに笑顔を絶やさない。
私は常に、芸術それ自体をみることをしなかった。
私や、誰かの付属品としてしか、見れなかった。
大学に入って、本気でそれと向き合うことが怖い。
また、すぐ嫌いになってしまいそうで、でも好きになりたくて、
でもそう思うとやっぱり好きになりたい、なんて、
もう、無限ループ。
いつまでたっても出られない。
なぜ昔から考えてきたことにいまさら頭を悩ましているかというと、
こんな私にも好きなひとができてしまった、らしい、から。
その人は芸術をとても深く愛していて、
私が知っているなかで一番の、私なんか及ばないくらいの知識と見解を持っている。
私が周りと比べてちょっと多めの知識を持っている事で、私をちょっと気に入ってくれている、らしい。
その人に見合うような私になりたいな、と最近思い立った。
私は、また、芸術を好きになる「言い訳」を見つけてしまったらしいのだ。
こんなんじゃ、だめだと思う。虚しく、つまらない気分になる。
それに、そんな私が見破ってしまって、嫌われてしまうんじゃないかと思う。
ああ、どうしたらいいんだろう。
騙し騙し生きて行く、それでも良いって、
「そんな私」ごと愛してしまうって、そういう選択肢もありなのかもしれないけれど、
でも、本気で芸術を愛したら、きっと楽しいだろうと思う。幸せだろうと思う。
そういう自分になって始めて、自分を心から愛せるんじゃないかと、期待してしまう。
これは答えを出す問題ではないのでしょうか?
この矛盾を抱え込んで、これと共に生きてゆくべき問題なのでしょうか?
私はいま、答えが欲しい。不安なのかなあ。
日本語でおkな文章でごめんなさい。
運が良ければ、ここにいる賢そうな文章を書くひとたちが何かしらこたえてくれると聞きました。
パソコンばっかりやって、経験のないことを経験したような気分になって、
知識ばっかりで頭でっかちになってる現代っ子スイーツ文化系女子(笑)な私に、誰か答えをください。
(笑)をつけないと自分を提示できないっていうのも、悲しいよね。
もう4時すぎかあ。まだレポート終わってないのになあ。
子供の頃は一年が長く感じて、大人になるとあっという間に感じるっていうじゃん。
それの説明として10歳ならその一年は十分の一で、40歳ならその一年は四十分の一だからっていう説明があるよね。
でさ、そろそろ人間って400歳ぐらいまで生きれそうじゃん。たぶん。
そしたらさ俺二十歳だからさ、俺が感じてる一年っていうのの二十分の一しか感じないわけじゃん。
だから俺の18日が山田一男(400)の一年分ってことになるよね。やべーっしょ、それ。
なのに本人はあんまり気づいてなかったりするわけだよ。
俺の18日間が一年なのに「今年ももう終わりか」とか言ってるわけ。あたりめーだよw
それぐらいになったらさ、やっぱり価値観が変わるわけだよ。
たぶん悟るためには時間感覚の変化ってのが必要だなと最近思ってて
長老とか時々ウルルンとかで出てくるけど長生きすれば必然的に悟ってしまうんだと思うのよ。
だけどさ、今だと120歳くらいになるとボケボケになっちゃうじゃん、人間。
だから、明晰な頭で400歳くらいまで生きれるようになれば、すげーことになるね。
科学が進歩したら、そうなるんだけど、今俺が感覚として目指してるのはそのまた逆ね。
5分前に生まれたとするなら1年はそれの12×24×365でしょ。ついさっきなら一年は無限に感じる。
この感覚をつかめれば、それまたすげーでしょ。精神と時の部屋みたいな。でも、それって難しいのよ。
俺が俺であることを証明するのは記憶だからね。それを捨て去るのは難しい。だけど、意味みたいなものを捨てればできるような気がする。
つまり、新しい意味付けをすればいいのかもしれない、それが新しく生まれたってこと。まぁ逆にいえば意味なんてないっていうか。
http://anond.hatelabo.jp/20090801194217
同じ投稿を消しては書いています。
あんまり何度も書いて消ししてるから、途中から別の人が楽しくてやってるんだと思ってた
なんだろう、増田猫みたいな?
あんまりどころか全く機能してないんじゃないかな。
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000031072009
「集合知」とやらが機能するためには、対象となる「それ」をよりよい物にしようという人々が一定割合以上存在する事が必須条件なはず。
ゲーム分野の場合、その割合は他の「集合知の成功例」と比べても低すぎるように思う。要するに、ゲーム分野をよりよくしようとか微塵も考えていなかったり、むしろゲーム分野がこの先どうなろうが知ったこっちゃないという人達の声が多すぎる気がする。
そんな人達の声を集めて、果たして「集合知」は機能するだろうか?多分しないだろうね。確かに有益な声もゼロではないだろうけど、作り手がそれをくみ取る手間を考えると割に合わなさすぎる。
たとえばこれ↓。ゲーム関係の個人ブログではそれなりに知られてる所だが、
ファミ通レビュー低評価の悔しさをバネにしてアップデートに力を入れた『白騎士物語』
昨年末発売されたPS3用ゲームソフト「白騎士物語」が、ゲーム雑誌「ファミ通」のクロスレビュー評価であまり良い点数ではなかった事を作り手が深刻に受け止め、その後アップデートによる機能追加や改善に力を入れた、という記事。
ブログ主自身はこれを肯定的に受け止めているが、コメント欄が酷い。
未完成品を出しておいて、何をいまさら。。。
納期優先で出すからこんなことになる
もはや、ワゴンに1980円で常駐しているじゃないか
墜ちた信頼は取り戻せない
志が高いけど結果イマイチなのはレベル5じゃいつもの事じゃ
ワゴンゲームもがんばってるな
有料アルファからベータに移行した感じか
口だけ番長の日野の言葉は額面通り受け取らない方がいい。
こいつの言うことが最も信用ならんのはGKだろうが痴漢だろうがよく判ってるはずだろうに。
ホモ日野!夏休みの宿題を休み明けてから今から本気出してやってるって言ってる様なものだぞ・・・
最初から本気出せよ、糞レベル5デスめ!!
いや最初からちゃんと作っとけよw
アホか
いくらアップデートしてもクソゲーだけどね
まあ、1stWAVEも結果、微妙なんだが、元が元だけにしょうがないか。
そのまま放置ってよりはよっぽどいいよ。そのまま続編に繋げてくれ。っていうか1作目が30万人デバッグで2作目が真作ってオチ?w
何をアップデートしてもゴミはゴミなんだよね
どれだけ改善しようがFF12以下
よく頑張った!
でもね、いくら改善しようがクソゲーだからしょうがないわ、絶対プレイしないと思うw
ゴミを幾らアップデートしてもゴミ
さっさとこんな失敗作見限って
新作に力注いだ方が建設的だろうに
根本的にシステム自体がクソなのに
的外れな修正しても意味ねんだよ
白騎士は色々とクオリティが低い。
ツッコミ所が満載のゲームだった。
LV5のゲームはもう暫く買わないだろう。
こんなのがズラズラ出てくる。2chあたりはもっと酷い(笑)。
しかし、もしこんなのがオープンソースプロジェクトとかで慢性的になったら、どうなる?そのプロジェクトは発展すると思う?
バージョンアップするたびに「それくらい最初からやっとけクソが」「何をやってもクソアプリなのは変わらんよ」という声が全体の2、3割を占めるプロジェクト。うまくいくかな?
日本のゲーム産業が海外に追い抜かれているとたまに評判になるが、その要因の一つには、日本のゲーム産業の足を引っ張る事そのものがエンターテインメント化してる連中の多さもあるんじゃないかな。
最下段、「日本のゲーム産業」を「日本のアニメ」とか「日本の政治」に置き換えてもいいかもね(笑)。
自分個人向け(直面している問題/個人的関心)情報をpull型で取得する方が重要だよな。
リアル社会の情報でも一般的で誰でも欲しい情報は検索すると割り合いすぐみつかる。
リアルの実体験やリアル知人のアドバイスの方が有益だったりすると思うんだよね。
はてブ、増田使ってる奴は、ネット社会の情報扱うのはうまそうだけど、
非モテ/非コミュネタおおくて個人向け情報取得するのは下手そうだよね。
タゲのおにゃのこ、どう口説くかなんて、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1222717732
テロはありえんだろ~。
そんな気力も体力も、残ってないって。
少ない収入で、将来の見通しも、何もないけど
つつましく生きてくよ。
ときどき、損得なしに、ちょっと誰かのためになることして。
世の中がどうなるのか、誰かがどうかしたいのかわからないけど、
まわりが幸せになれることを願って、生きてくよ。
当方IT屋。非プログラマ。失業がほぼ確定した。TVAに就職したい。FDR神社があったらお参りするのに(いや日本人としてそれはプライド捨ててるだろ)。ありがたいことに、雇用調整助成金の拡充と、雇用保険の給付要件の緩和のおかげで、向こう半年くらいは延命できる見込み。問題は労働市況の谷がその程度で済むかどうか誰にもわからないことだ。IT産業構造調整臨時措置法案が審議されているという話はまだ聞いていない。
ダイクストラ大先生は「景気が悪くなると悲観論が出てくるのはいつものことだ」と仰っているし、資本集約的技術であるクラウドコンピューティングや ISAM への技術的退化ともいえる BigTable 等はまだ萌芽的で、ましてクラウドを信頼しない委託計算の暗号理論は緒についたばかりで(代数学を全く知らない身としてはほんとに使い物になるの?と思うが)、分業も進んでいないから(要するに Linux や Windows Server の為にはかつて IBM が完備していたような職種別ツールとマニュアルがない、バックアップ関連は特に壊滅的)、現状の知識(労働)集約的な仕事のやりかた自体が数ヶ月で覆されるというのは現実的でない。もちろん方向性としては IT はどんどん資本集約的になるとは思う。ただ、OS(VMハイパーバイザとか、ストレージエンジンとか)を書く人間以外は何も知らなくていい、というところまで行くかどうか。計算機に何ができるか、一般人はまるで知らなかった 1960 年代とは違うのだ。
バンプ・オブ・チキンの『乗車権』という歌は産業予備軍説について歌っていてとても恐ろしいけれども、加藤智大くんが『ギルド』に共感したほどにはあの歌が今自分にあてはまっているとは思えない(思いたくないだけかも)。IT業界の転職は同分野が多い、という話も、前回の景気後退時に土建業で、前々回に金融業で聞いた話と全く同じだ。実際、未経験者可、の仕事では家内と二人で食っていくのは無理。キャリアチェンジを図るなら、雇用調整助成金による自宅待機で家賃と食費を賄いつつ、地元でアルバイトを探してとっかかりにするくらいしか思い浮かばない。
MRとかっていまどうなんだろう。一応 MedLine くらいはやれといわれれば検索できるだろうし、高校程度の無機化学の素養はある(あんまり忘れてない)けど‥
ともかく、ラッダイト運動のようなことを今やっても無駄なのは確か。社会が安定している分、自分たちの力で状況を変えられる可能性は古典経済学の黄金時代よりもはるかに小さい。リスクを極限まで減らしたければ人生そのものがリスクなのだから、-2価の硫黄化合物を吸引して天国なり地獄なりに移住すればいいのだが、自分ひとりではないのでいまひとつ踏み切れない。
一応、家内に「もし東南アジア、香港、インド等で仕事することになったら一緒に来れる?」とは言ってみた。仕事があるかどうかは知らない。通貨価値の格差と、アジア人英語なら自分でもなんとかサバイブできるんじゃないかという程度のことしか考えてない。たぶん暑くて死ぬ。家内が日常生活に必要な英語を習得するのはなんとなく私より早いと期待しているけれども。チャイナ本土は勘弁。中国語と名のつくものは広東語であれ北京官話であれまったくわからない。だいたい高校時代、漢文で落ちこぼれて赤点を取り続けていたのは国立文系進学クラスで私くらいだった。
NSDAPとか満蒙開拓団とかで人を募集してませんかね。あ、中共のサイバー攻撃要員の口とか、神楽総合警備の求人とかも、あれば、是非。桑名藩とかで京都御所の警備要員とか。国際興業のロビイング部門とか、幸福実現党の五反田勤務とかもいいかも‥
http://anond.hatelabo.jp/20090730214832
組み込みか。ただ、組み込み系で使われてる言語は未経験なんだよね。
まあ、覚えたり理解すればいいだけなんだけどさ。
しかし、プログラムがものづくりという感覚がだいぶ薄れてしまって…。
初めのころは世の中のATMとかはきっとこういう処理になってるんだろうなあ
とか考えたりもしたものだけど、今はあんまりそういうことも思わない…。
まあ、タッチパネルとかのプログラムがどうなってるのかは気になるけど。
外部の装置と内部のプログラムを連動させたりとかは、自分の仕事では絶対にないので。
信号の受信ってどうなってるんだろうって感じ。
仕組みという点ではゲームセンターのメダルゲームなんかも見るのが楽しい。
http://anond.hatelabo.jp/20090730224844
働いてみてわかったんだけど、自分はひとつのことに集中してしまうみたい。
よく好きなことは仕事にするなって言うけれども、
できることなら好きなことに没頭して生きていきたい。
職人さんとか、あこがれる。
基礎を身につけたら後は試行錯誤を続けて、
その中で自分に何が足りないのか、買ってくれる人は何を求めているのか、
自分がその要求に答えるために足りないものはなんなのか、
そういったものを突き詰めながら、生活が成り立つのであればそういう生き方にあこがれる。
小学2年生だったかな.
「なるほど,それは確かにもっともだ!」と.
以降,長年その思考法を採用してきたのですが,
ようやく間違っていることに気づきました.
そもそも自分に問いかければ相手がどう感じるかがわかってしまうというこの思考法,
明らかに思いやり,つまり他人に思いを馳せるという行為が抜けていますよね.
確かに簡単だし適用可能なケースが多いので使ってしまいがちですが.
相手を思いやるトレーニングをする機会を逃してしまうので大きな損失だと思います.
むやみに使うべきではないという意見に賛同します.
でも代替するフレーズも見あたりませんね.
簡単にいうと「相手の気持ちになって考えましょう」なんですが.
相手の気持ちってどうやってわかるの?→自分の気持ちを参考にしてみよう!→自分の気持ちでokなら相手もokだろ
という元の木阿弥になる危険性も.
「相手の気持ちになって考えましょう.
でもやっぱり他人の気持ちはわからないことも多いので失敗することもあるでしょう.
そのときは,なるほど相手はそういう気持ちだったのか,と学びましょう.(迷惑かけたら謝るのも忘れずに)
そして次は失敗しないように気をつけましょう.(多分また失敗するだろうけどへこたれずに)」
こんな感じですかね.あんまり明快ではないですが.
もっと素敵なフレーズ求む.