はてなキーワード: あんまとは
天皇家の皇太子様みたいな人間を育てたいってなら別だろうけどさ。
そういうケースの場合、大抵は単に親が変な幻想持ってるだけな気がする。
まぁこれは偏見だけど。
まあ、我が家の(俺を含む)大人達はは元々テレビをあんまり見ないんだけれども、小学生の息子はそういうわけにもいかないので夕方や食事中はテレビを付けたりしている。その時にどんな番組を見せるかで嫁とお袋(つまり姑)で意見が対立している。別に同居しているわけではないので、今ではお互いその話題に触れようとはしていないけれども。
嫁は、知育がてらクイズ番組ならば見て良しという方針だが、お袋はクイズ番組こそ見てはダメ、らしい。
理由を尋ねると、
子供が起きている時間帯に流れる番組の中には質の低いのが多い。特に、クイズ番組の体裁を取っていながら、回答者の知恵や機転を競うのではなく逆に無知蒙昧さをさらけ出したり頓珍漢な回答で笑いを取るようなのは悪質きわまりない。そんな番組を見ていたら孫達はいずれ大人を馬鹿にし始める。そうでない番組もなくもないが、子供のためにも一括してシャットアウトすべきだ。
まあ確かに、アホな答えを書いて島田紳助に突っ込まれたりするシーンで息子は時々「あいつバカじゃねーのw?」と言ったりしているので(その都度嫁は息子に言葉遣いを注意するのだが)、お袋の意図を伝えたうえでとりあえずその番組だけでも違うチャンネルに変えようという事で妥結した。今後も少しずつ増やしていく予定だが、代わりに流す番組の選定に苦慮中。
http://anond.hatelabo.jp/20090811205525
勘違いしないで欲しいのは、嫁も俺も子供に能動的にテレビを見せる気は全然無いって点。俺ら自身が殆ど見てないんだもん。ゲーム機は全部俺(か嫁)の所有物扱いなので、俺(か嫁)が判断した時だけ一時的に貸し与える方式になってるし。
だけど、テレビがリビングにある以上は子供はテレビを見たがるわけ。その時何を見せるかを考えた時、クイズ番組くらいしか見る側見せる側双方が納得するジャンルが無いわけよ。小学生の息子がアニメやバラエティを差し置いてNHKニュースを見たがり始めたら逆に心配する(笑)。
まあ、「知育」という言葉の使い方が悪かった。元々息子が「クイズ番組なら知識増えるでしょ」と言い出して嫁が丸め込まれたような形で定着した習慣なので、これをきっかけに方針を考え直すつもり。
http://anond.hatelabo.jp/20090811210051
「あの芸能人はお馬鹿キャラで売っていて、わざとアホな答えを書いているんだよ。」というところから、お馬鹿キャラが売れるのは何故か、何故この番組の視聴率がいいか、まで教えてあげなよ。
そういったファンタジーの裏側を知るにはまだ早すぎる。どちらにしても「どうせあれもヤラセだろ?」と言い出して大人や社会そのものをナメるだけなのでその意見は採用出来ない。
http://anond.hatelabo.jp/20090811210656
まずはご自身の子供で実践していただきたい。何らかの効果があったら後からでもいいので報告よろしく。
http://anond.hatelabo.jp/20090811211214
http://anond.hatelabo.jp/20090811211530
まあ、無理矢理大人の価値観に合わせられるのもどうかなーと思う。まだまだ遊びたい盛りだし。
その代わり、中学に上がってから徐々にそうしていこうと思ってるよ。高校入るくらいにはテレビ卒業させたい。
http://anond.hatelabo.jp/20090811214002
なんというか、既に面白いとかつまらないとかいう軸で評価しなくなっちゃってる。「今日の晩ご飯どうしよう」と思った時に運良く料理番組が放送されていれば見る。なければ見ない、みたいな使い方になってる。その結果殆ど見なくなっちゃった。
ネットに関しては、PCは夫婦の所有物なので嫁か俺の許可がなければ電源を入れられない(ログオンパスワードを教えてない)。携帯はまだ持たせてないけど、いずれは俺の使い古しを(ネットとメールを停止して)貸す予定。あくまでも「貸す」ので充電器は俺が持っておくし、発着信履歴やらは利用明細でチェックする事は事前に告げておくつもり。
とりあえず「完璧な管理下に置いた上で自由に使わせる」ってのが我が家の基本方針かなあ。これも嫁と散々話し合った事だけど。
DVD買ってきて見せるのが落としどころかと思うのですが、どう思われますか?
http://anond.hatelabo.jp/20090811153657
言ってることが分からん。結婚したらええやん。
妻帯者ゆえの転勤させづらさも生まれるし。それでも飛ばされてどっちも離ればなれになるって、普通の企業やったらあんまりせえへんよ。
学部ではずっとレポートは手書きで、大変だった。何が大変って、ボールペンで手書きなものだから間違えたら修正テープ。修正テープをいままでどれだけ使ったことか。それから、再提出になったら間違ってる箇所は修正しちゃいけなくて、新しく書かなきゃならない。ほんとに大変だった。無駄な意味で。こんなことやってる間に他の大学生はもっとちゃんとした勉強してるんだろうなあとか思っていた。ということでそういう点から、それぞれのメリット・デメリットを書いてみる。
とかだろうか。他にもいっぱいあった気がするけれど、最近あんまり手書きで書かないので手書きに対する抵抗が薄れている気がする。とある流体の実験中にあった、みんなが関数電卓で計算してホワイトボードに書きまくるっていう「人間エクセル」がいままでで最大の無駄だと実験で感じたことを思い出した。あれはほんとお笑いだったなあ。
この文章だけ見ると、なんだか自分の子どもが死んだのにそのことよりもお姉さんのことの方がショックなんだなぁ、と思ってしまいます。
本当はそうじゃないのかもしれないけれど、どんなに言い方に気をつけても奥さんはこの話(お姉さんのお墓参りに行きたいという願い)を聞いたらあんまりいい気はしないんじゃないかと思います。
「お姉さんよりも私達の子どもの弔いをすべきなんじゃないの?」と思うのではないでしょうか。たとえお子さんの弔いを終えていたとしても、です。奥さんにしてみれば自分のお腹の中にいた我が子の死はいくら弔っても足りるものではないからです。
奥さんの心情を第一に考えてあげないと夫婦仲に亀裂が生じる原因になると思います。
俺の書き方だと、勝間さんに共感してるようにみえるだろうか?
俺もそうだけど、あれが好きという男は、あんまりいないんじゃないかな。
ただ、ものの考え方の基本が、自分のやりたいことをしたい! というエゴイストであることは、
似てるかもしれない。
その意味では、元増田の、あたしさえ稼いで「プレゼント」もよこせば、
主夫やってくれるんでしょ? というような論法は
実際に主夫してる立場からすると腹が立つ、そういうことを俺はいいたいんだ。
つまり、そこまでいうなら、二千万でも稼いでみろよ! と。
http://anond.hatelabo.jp/20090810062153
何者か特定されるとヤバい身の上なので、職種は書かないけどクレーム係1年2カ月。
自分自身には落ち度がないことで怒鳴られるのってやだよね。胃のあたりがキリキリ痛むよ。同じ立場の先輩に聞いたら「私自身とは関係ないことだから、1時間怒鳴られたらいくらって計算して、おかげさまで給料をいただけます、ありがとうと思って、就業時間が過ぎたら、何もかもきれいさっぱり忘れてしまえばいい」だそうで。
すごいなあ先輩とは思うけど、私はそうはとても思えそうにないので、ちょっと考えてみた。
こちらに怒鳴ってくる人ってのは、ご自分も怒鳴られてるのね。先様には丁寧に謝ってるんだろうけど、心の中に鬱屈が溜まっていて社内の人間に向かうと爆発しちゃうって構造なんだと思う。取引先が怒ってるから、ドミノ倒しみたいに連鎖してくる。こちらが怒鳴る立場の相手がいれば、そこで発散できるのかも知れないけど、それは出来ても嫌だし。元増田みたいに、相手に先手打たれて、こちらがクレームをつけるはずの相手から、逆ギレされたりね。
んで、よく考えてみたんだけど、多少なりとも怒鳴られるのが減った対応は、相手の事情を突っ込んできいたときだった。「まあ、そんなことが。大変な思いをさせてしまいました。申し訳ありません」こんなカンジの対応だった。あとは謝るだけじゃなくて良いところを伝える。「現場ではこんな風にがんばってるんですが、努力が足りなくて申し訳ございません。がんばります」とか。
元増田が「私個人には関係ないし」で済ますことが出来ないのなら、積極的に両者を取り持つように働きかけるという手もある。
あんまり溜めこんで爆発しないうちに、増田にガンガン書き込んで発散するという手もある。
どうか、自分を大切に。
正直疲れた。配属されて1年も経ってないんだけど、辞めたい。しんどい。
うちはOEM商品が主なので、消費者から直接苦情がきて怒られることは殆ど無いんだけど、
その代わり、取引先からクレームを受ける営業さんにものすごく怒られる。
こちらは「すみませんでした」「すみませんがお願いします」とひたすら頭を下げる。
同じクレーム係(と言っても2人しか居ないんだけど)の先輩は、
「増田ちゃんを怒ってるんじゃないから気にしちゃだめだよ」
と言ってくれるけど、怒鳴られることになかなか慣れない。
もしクレーム係が20代そこそこの女2人じゃなくて、
もうちょっと年数積んだ男の人だったらこんな言い方されないのかな、なんて思ったり。
ってこれはあんまり関係ないかな。
(たぶん自分の話し方が悪いんだと思う。怒らせない話し方が出来るようにならないといけない)
最近、原因の分からないクレームの調査や、クレーム係以外の仕事が山積みのため、残業が続いている。
営業の人には工場は頭が悪いと言われ、現場の人には疫病神扱いされ、
どうして同じ会社の人にこんなに責められてるんだろう。
私の前任の人が逃げるように辞めていった気持ちが身にしみてよく分かる。
昨夜は寝ようとして布団に入ったのだけど、次の日の仕事のことを考えると、
心臓がどきどきしてきて、眠れなくなってしまった。結局一睡もできなかった。
母はいつも私の友人を見ると眉をひそめてあれやこれやと欠点をあげつらった。
小学生の時はいいなりだった。あの子はかわいくないから、あの子はバカだから、あの子はデブで怠けものに違いないから、あの子の親は変だから、だから付き合うなと言われて、遊びの誘いを断り続けたこともある。学校では仲良くし続けても帰り道の途中からいつも一人ぼっちだった。家に帰ってから遊ぶ相手は誰もいなかった。むしろ家に帰ってから遊びに出かけること自体が許されていなかった。
中学生くらいからそういう母の戯言は聞き流すようになって、ときどきは休みの日に遊びに行くようになった。とは言ってもお小遣いをもらっていなかった私はみんなの遊びには加われないことが多かった。プリクラもマンガの貸し借りも繁華街もゲーセンも私にとっては入ることのできない場所だった。次第に友人関係はフェードアウトしていき、部活のつながりだが残った。毎日毎日学校に行って帰るだけの日々だった。部活の練習試合に行くのすら気が重かった。母にお金をくれと頼むのがしんどかった。
金を出さないと言われたことがあるわけではない。でも、暗黙の了解で、遊びに行くのは禁止だった。休日は家にいなければならなかった。休日家にいないことは、私にとってはすなわちお金が必要だということで、そのことを母に告げるときの針のような視線が痛かった。
母は私の友人を見かけたり写真で見たりするといちいち欠点をあげつらった。まるで自分自身が責められているようでいつもつらかった。彼女たちは別に悪い人たちではなかった。未熟なりに欠点はあったにせよ、話をしていて楽しい相手だった。でも母はいつも彼女たちを気に入らなかった。私の嫌いな人たちに限ってほめちぎった。
しんどかった。話をしたくなかった。何も頼みたくなかった。私の交友関係に土足で踏み込んでくるそのやり方が気に入らなかった。
だから私はただ口をとざして、数少ない友人とだけ学校生活を過ごした。学校での生活は悪くはなかった。よくもなかった。少なくとも苦ではなかった。
休日は苦だった。家にいても外に行っても責められているような気がした。家にいればいれでなんやかんやと小言を言われたり、友達もいないのかと嘲笑われたりするのだ。かといってどこかに遊びに行けば、罪悪感がずっと心の中を支配していて楽しめなかった。実際に楽しい思いをすることもあまりなかった。お金がなかったから。そのくせ、どこかへ行くと母は必ずお土産を要求した。土産としてなにか買って帰らなければ家に入れてもらえなかった。ただちょっと近所に行くだけでも、友達の家に遊びに行くだけでも、土産を買って帰らねばならなかった。大した金額のお金を持っていない私にとって土産を買うことはとても辛いことだった。お金がないことがいつの間にか心の深く深くに根を張ってしまい、お金がないことを理由に誘いを断るようになっていった。友人たちはそうか、仕方ないよねといって特に責めなかった。誘いを断るたびに私はひどく落ち込んだが、友人たちは決して責めたりはせず、みんなで出かけた後は私にお土産をくれたりした。私はそれを返せないことをひどくすまないと思ったが、彼女たちは気にしなくていいと言ってくれた。本当に心優しい人たちだと思う。
大学に進学して、そこで私は愕然とした。お金の使い方がわからなかった。一人暮らしを同時に初めて、そこで買い物ができなかった。スーパーのどんな品物も高く思えた。すぐにお金が尽きてしまうような気がして、しばらく空腹のまま過ごした。私の中でお金は使ってはいけないもので、遊びにいってはいけないものだという固定概念がすでにできてしまっていた。もちろん遊び方もわからなかった。飲み会も初めてだった。休日にどこかに行くというのは考えられなかった。学校とバイト先の往復、友達ができても遊びの誘いを罪悪感から断っていたらすぐにフェードアウトして行ってしまった。頑張って何度か遊びに行っても、同じような金の使い方はできなかった。なくなってしまう、生きていけないという思いの方が強くてお金が出せなかった。ファミレスの食事など地獄のようだった。高い。高い。どこへ行ってもお金がかかる。どんどんお金が飛んでいく。私は恐慌状態だった。生きていける気なんてしなかった。その結論として選んだのが、部屋にできるだけひきこもり、友人を作らず、とにかくアルバイトをし続けるということだった。
通帳にはどんどんお金がたまっていった。それでも私には足りなかった。どんなに稼いでもためても、すぐになくなってしまう気がしてしょうがなかった。100円のものを買うのにすら何十分も悩んだ。自販機で缶ジュースを買うことすらできなかった。コンビニは私の敵だった。
やせ細っていく私を母は笑った。一人暮らしなんてできるわけがないと思っていた、帰ってきなさいと笑った。でも私は帰らなかった。母は怒って私の通帳を取り上げて新車を買ったが、私はただ黙々とまたアルバイトをしてお金を貯めた。歯をくいしばって泣きながら、体も壊して、でも働き続けた。いつもお金がなかった。お金を取られないように細かくいくつもの通帳に分けて管理した。徹底した管理で家計簿の一円単位まできっちりと毎日記録した。毎日お金のことしか考えていなかった。
大学時代の友人はいない。あの時をどうやって過ごしたのかも覚えていない。時々、高校時代の友達が遊びにきてご飯を食べに行くと、高いけど大丈夫?とみな聞いた。私は泣きそうだった。泣きそうでも大丈夫と答えて笑った。みんなやさしかった。私の頼む量が少なくても何も言わなかった。私が店の前でためらうと別の店にする?私あんまお金ないんだよねと先回りして気遣ってくれた。
その優しさに私は何も答えられていない。なにも返せていない。
社会人になった年は特にひどくて周囲の人と合わせてお金を使うことがひどくストレスだった。それでも我慢して使っていたら慢性の胃炎とめまいと貧血が常に襲ってくるようになった。表面上は笑って過ごしても休日は布団から起き上がれなかった。ただ、救いだったのは同期はみなお金がなかったことだ。無計画に使って、給料日前には後いくらしか残ってないとげっそりした顔で言っている同期もいた。スーツが買えないと愚痴をこぼしている同期もいた。その中でお金がないというのはそれほど苦痛ではなかった。お金がない、という状態を誰かと共有したのはその時が初めてだった。いや、正確に言うと私は今も相変わらずあまり使うたちではないので彼らよりはずっとお金があったのだが、でもあとこれだけしか使えないという感覚の共有とそれを口に出してよいことが新鮮だったし、救いだった。彼らに合わせるのは大学時代よりは苦ではないということに気づいたのはしばらくしてからだった。それからは徐々に体調も戻って、少しずつ使える額を増やしていけるようになった。同期とは今も仲良くしている。たまに飲みに行くこともある。休日にまで会うことは少ないが、でも浅くゆるくつながり続けている。
今でも時々悪夢で目覚める。所持金も口座もすっからかんになっている夢だ。そのくせ必要な出費が次から次へと押し寄せてきて途方に暮れる夢だ。いまだにあの感覚が私の中に残っているのだと知って暗澹たる思いに打ちひしがれる。あの底知れない闇の底を思い出して恐怖する。いまだに、ケチくさいなどと嫌味を言われることがある。それでも少しずつ、人より遅い成長をして、なんとかつかみ取ってきた。異常から正常な方へ、誰かの親切や優しさに導かれてやってくることができた。この感謝は誰に返せばいいのだろう。与えられたものは誰に返せばよいのだろう。どうやって返せばよいのだろう。お金で返すのは汚いだろうか。そういうことをなぜかぐるぐると考え続けている。
境界性パーソナリティ障害だから。
よくあることで、運が悪かったんだな。気にするな。問題はそこからどう脱するかだ。
この障害はあんまり薬は効かないので、優秀なカウンセラーを頼れ。
「カウンセリングルーム」で検索して、もっとも頼れそうな人に頼め。
わたしにそれを教えてくれた人にたどり着くだろう。
頑張れ、信じろ。
必ずたどり着く。
彼と初めて会ったとき、私は
「世の中にはこれほど自分の理想にどストライクな外見の男性がいたのか」
と激しい衝撃を受けた。
世間一般でいうところのハンサムとは微妙に違うのだが、私の好みのど真ん中を剛速球で貫く顔。顔だけじゃなくて体型も声も、服のセンスも。
知り合ってみると、彼の性格も非常に好ましかった。気持ちがとても優しくて、さりげない心配りが出来て、礼儀正しく、誠実で聡明な人だった。
センスが良くて能力があって、いろんなことを率なく器用にこなせるのに、驚くほど謙虚で控えめ。
彼のことがわかればわかるほど、「世の中にはこんなに素晴らしく好ましい人がいるのだなあ」と私の驚きと好意は深まった。
彼女持ちであることは知っていたので、私は恋に落ちなかった。ただ、この人と付き合っている人はうらやましいなあ、とちょっとだけ思っていた。
その後、多少の月日が流れ、ばらばらに生活していた彼と私は、なんとなく再会した。
彼のかっこよさ、好ましさは変わらなかった。というよりもむしろ成長した分、より素敵な人になっていた。
私たちはたまたま二人とも恋人がいなかった。だからなのかなんなのか、私たちは何度か一緒に食事に行った。
私たちは以前よりも親しくなった。
私の心の中に多少の期待がなかったと言えば、嘘になる。
彼ほど私の理想に近い男性は、いなかった。おそらくこれからもこんな男性には会えないだろう、とも思った。
こういう男性と恋人同士になれたら、本当に素晴らしいよなあ、とはよく考えた。
しかし、依然として私のその思いは、夢想の域を出なかった。何度も一緒に出かけて、スカイプやメッセで毎晩のように話をして、どんどん親しくなったのに、私は自分が彼の恋人になれるかもしれないということを、あまりリアルにとらえることが出来ていなかったのだ。
ある晩、私は呆然と部屋の真ん中に座り込んでいた。
その日、仕事が終わった後の彼が、私の部屋に泊まりに来ることになったのである。ふと気がついたらそんなことになっていたのだ。
ふと気がついたらというのも、思えばあんまりな言い草である。そもそも彼が長距離通勤を苦にしていることを知った私が、「帰りが遅くてたいへんなときはうちを使っていいよ」と先に言ったんだから。
しかも別にそのときの私は、少女のように無邪気だったわけでもなんでもなく、ちゃんとそれなりの意図があって言ったんだから。
言われた後、彼は嬉しそうに笑ったんだから。そりゃ来るだろうよ。
めでたいじゃないか。喜べ自分。
なのに私は、喜べなかった。自分が喜んでいないことに気づいて、それがすごくショックだった。
そして私は、そのとき唐突に、自分が彼に恋していないことに気づいたのだ。
彼のことは本当に素晴らしい人だと思っていて、好ましく感じていて、これほど素晴らしい男性にはもう二度と会えないだろうなとまで確信しているのに、一緒にいるときはいつもちょっとときめいているというのに、でもなぜか私は彼に恋していない!
私は完全にパニックを起こしていた。一体なに言ってやがんだこの女、と自分のことを殴りつけたい気持ちでいっぱいだった。
その晩私は、ベッドを彼に譲って隣の部屋に客用布団を敷いて、自分はそこで寝た。
彼はちょっとびっくりしたような顔をしていたが、そりゃびっくりして当たり前なんだが、なにしろ控えめで優しい紳士であるので、そのまま一人でベッドに寝てくれた。
二人の間には何事も起こらなかった。もうどっちもそれなりにいい歳した大人だというのに。この話を知った友人は驚いてのけぞっていた。無理もない話だ。
更に驚くべきことに、そのような清らかな夜は、その後二度ほど繰り返された。
そしてそのまま私たちは恋に落ちず、終わった。
原因は主に私である。
彼は一度「一体ぼくのことどう思っていますか」的なことを聞いてきたんだが、私も自分が彼をどう思っているのか、まるでわからなかった。
その後、主に彼が出来た人格の持ち主であったがために、私たちはゆるやかに友人に戻った。
しかし、その間も私はずっとパニック状態だった。
私は何を考えているんだろう。彼の何が不満なんだろう。いやもう全然不満はない、ほんとにない。だったらなんで彼に恋しないんだろう。
彼と一緒に居ると、いつも楽しくて優しい気持ちになれるのに。ちょっとどきどきもするのに。だから私は自分が彼に恋をしていると思っていたのに。
でもなんだかそれは違うらしい、かといって何が違うのかわからない、これは一体、どういうことなの!? ああ申し訳ない、とにかく彼に申し訳ない。
そんな考えが延々と頭の中を回り続けた。
彼と私は、ふとしたことでまた行動を共にすることが多くなった。やはり未だに彼はかっこよく、優しく、私は彼といると楽しい。
期待する気持ちはさすがにない。自分は彼に対してそれなりに酷いことをしてしまったと思うし、未だに申し訳ないと思っている。
ただあの時頭の中を回り続けた疑問だけは、未だに残っている。彼の顔を見るたびに、その疑問が蘇って、不可解な気持ちになる。
どうして私は彼に恋しなかったのだろう。恋できなかったのだろう。私は自分自身の心が、本当に理解不能だ。
頼む、ほんとに誰か、私にその答えを教えてくれ。
その後、もしかしてこれが答えかもしれない、と思うものを見つけたような気がする。
ありがとうございました。
どこへも誘わなかったら誘わなかったで「休みを無駄にした」とかぶつぶつ言ってくる人だから、「たかがヒトデぐらいで」「たかが星ぐらいで」「たかが飯ぐらいで」とか言い出したらどこへも行けないし、あんまり興味ないことでも誘ってみることにしているんだよ。
あんまり好きじゃないので、いつも斜め読みしかしてないけど、
最初の頃は計算高い主人公達だったのにいつのまにか路線変更してた。
グルジアのグルジア人優遇政策に対し、いつでも逃げられるように、南オセチア州のオセチア人は、ロシアのパスポートを入手していた。ロシアのパスポートを持っているということは、ロシアの国民であるという事になる。南オセチアは、二重国籍者の自治州となっていたわけで、ロシアはロシア国民を守る義務があるし、グルジアはグルジア国民を守る義務があるというわけで、二重国籍者達を、両方の国家が守ろうとして、戦争になってしまった。
最初に砲火を開いたのはグルジア軍であり、ロシア軍の反撃は、当然となる。
この騒動の原因は、グルジア側にある。グルジアのグルジア人優遇政策によって、オセチア人が冷遇された事から始まっている。正式に国籍を持ち、国民である以上、平等に扱わなければならなかったのに、それが出来なかったという点で、グルジアの人々には、近代国家の資格が無い。どこかの強国に支配してもらった方が良いだろう。
南オセチアの人々がロシアのパスポートを入手し、二重国籍者になってしまった事も、問題をややこしくしている。
日本でも、外国人参政権とか、多重国籍の容認とか主張している政党があるが、多重国籍者というのは、どっちつかずの蝙蝠みたいなモノで、どちらの社会にも、溶け込む気が無いということになる。
国家を否定し、市民だけで社会を運用すればうまくいくという考え方は、Anarchism(無政府主義)の主張である。軍隊を無くせば戦争が無くなるというのであれば、警察を無くせば犯罪が無くなり、消防署を無くせば火事が無くなり、医者を無くせば病気が無くなるのであろうか。
過去のAnarchist達は、既存の組織を破壊し、社会が上手く回らなくなったところで、今度は自分達が組織を形成して、社会の中枢を握り、独占するという行動を取っていた。要するに、アナーキズムの実体は、既得権益層を追い出して自分達がそれに成り上がりたいという運動でしかない。
社会における運動というのは、基本的に、利益を追求する為の運動であるが、全体の利益を追求せずに、個々の利益を追い求める人ばかりになると、社会は低迷を始める。その低迷の中で利益を確保しようとし、出身民族優遇のような個別の利益を求めると、オセチア動乱のように外患誘致にまで至るのである。
移民や外国人労働者という内乱要因を、わざわざ導入したがるのは、それが正しい事だと信じているのであろうか。だとしたら、死ななきゃ治らない病気にかかっていると診断せざるを得ない。
匿名の日記というのはいいなぁと思って書き始めてみたけれど、コメントがものすごくつくのにびっくりしている。
否定的というか、なんで元記事にそんなに喧嘩売りたいんだろう?ってのばかり。
夏休みだからなのかな。それともここって元々そういうとこなのかな。
もちろん、作れる時間に帰れれば作るだろうけど、とにかく妻に晩飯をサボらせないために早く帰りたい。
彼女の言い分だと、自分と幼子のためだけだと張り合いがあんまりないから気分の乗らないときは簡単に済ませてしまうらしい。
それが月一ぐらいだったらしょうがないと思うんだけど、どうも結構な頻度っぽいんだよな~・・。
ののしりあいというほどでもなく、意見の相違からちょっとした言い争いになった。
初めてなのでちょっと自分でびっくりするほどへこんでいる。
ネット歴はそれなり。
2000年から始めたから、ちょうど9年だ。最初はISDNだったのを覚えている。
HPも作ったしWeb日記も書いた。ブログも作ったしMixiのIDも持っている。
いままでうまく人間関係やってきたんじゃなくて、初めてネット上の誰かと交流したんだということに気付いた。
サイトには一応掲示板を付けたが、書き込みがあるのが苦痛だった。
「うわーい、コメントもらっちゃった★」ではなく、「げ、書かれちゃった。返事どうしよ」だった。
検索サイトには登録したが、ほかのサイトに書き込むこともなかった。
ブログだって書くだけで、ほかの人のブログにコメントもトラバもしなかった。
もちろん宣伝書き込みなんかしない。ごく少数の友人に生存報告としてアドレスを教えるだけ。
だからヒット数は伸びなかったし、コメントなんかつかなかった。
すごく気楽でよかったけど、知り合いに見つかってからは放置。
Mixiは一応どんなもんだか気になって、2ちゃんで招待してもらった。
足跡機能の気持ち悪さ、「××さんは×分前にログインしました」と表示される気持ち悪さ。
どーしてもなじめずに、友達の日記をたまにのぞくためだけにIDを残している。
あんまりいかないもんだから、MixiかMixyかスペルわかんなかったくらい。
Yahooアバターなんか使うわけない。ログイン中かどうかなんて告知したくない。
そもそもネットしてるかどうか知られたくて、メッセンジャーも入れてない。
会社で最低限必要なIPメッセンジャーも、表示名をわざとわかりにくくしている。
2ちゃんはたまに発言してたけど、コテハンなんか入れるわけもない。
なれ合いがすごく嫌いなんだ。若年層中心のネットに多い「読み逃げ禁止」文化がすごくいや。
挨拶しなきゃいけない、ほめなきゃいけない、感想言わなきゃいけないとかホント気持ち悪い。
ついったーの繋がりは非常に弱くて、フォローもリムーブも断りなしに勝手にやって、という空気がある。
それがよくて、結構ハマってる。
好き勝手につぶやいたり人のを読んだりしているうちにいつの間にかふぉろわーも50人を超えた。
何がよくて私をフォローしているのか分からない。
そのうちの数人と、コメントやり取りするような仲にいつの間にかなった。
そんで、独り言に突っ込まれて軽い言い争いになった。
ツイッターは誰かに発信しているのと、自分の独り言として呟いているのとの区別がすごく曖昧だ。
もちろんWebに公開している以上、すべてが情報発信であるべきだ。
でも、そんなわけにはいかないじゃないか。
ついったのTLにあるのはほとんど独り言だよ。
でもたいていの場合、独り言ってつっこみどこ多くて読んでて不愉快。
もう少しわきまえるべきだと思った。
なんか散漫な文章になったな。
ディスプレイの向こう側の人と交流している、というのをはじめて感じたんだという話。
好きな子がいた→ふられた
つらいので彼女でもつくろうと思い、以前より積極的に動いた。
一件だけ手応えらしきものがあった。
2日に1回くらいはメールがくるし、遊びの誘いも頻繁にくる。
会ってもいい雰囲気。話も趣味もほどほどにあう。
でも見た目は、あんまり好きじゃない。
このままこの子とつきあうんだろうかと思うこともあるが、いざとなると悩む。
何よりあんまり好きじゃないし、気持ちもそれほど燃えあがらない。
会って遊んだりするのは楽しいけど、何だかなあと思ってしまう。
悩んでる内にその子とは別の職場のバイトの子が気になってきた。
食事にさそったら来てくれたし、多少は話もできたけど、そこまで仲がよくなれたわけではないし、恋愛にはまだ遠い。
でも、どちらかと言えばこっちの子の方が好みだと思う。
違和感を感じつつ、積極的な方の子とくっついてもいいけど、あとで後悔するかすぐ別れてしまいそう。
だからどうってわけでもないが、増田に書いてみた。