自分からも質問をしながら家事育児をするつもりがない・しないASD男性は結婚すべきでない。
ASD男性が夫となったとき、育った環境が父親が家事育児をしない家庭だった場合、結婚したら家事育児をまったくしない上に、家族との感情の交流がごく薄く、思いやっても思いやられる事がない、妻にとって負担ばかりが大きく心身しんどくて報われない何の罰だろうかという生活になる可能性が高い。
家事育児しなくても妻や子供とのコミュニケーションを試行錯誤する人もいる、(家事育児をするしコミュニケーションを工夫する余力もある人は今回関係ないですね…)ことは知っているが、大抵は男尊女卑ベースの慣れ親しんだ環境を再現し、母親は家庭のことを皆やるものだしそれが仕事だからと妻に丸投げして当然で相手の負担は意識もしない。相手への労りも家族皆を心配することもない。もし自分の世界観にそぐわない事、聞きたくないこと、自分の知らないことを聞かされたときはヒステリックに拒否反応を起こして、反応自体が激烈でなくとも相手への恨み怒りを持って悪感情を態度に表す。
妻はまだ育っていない子供と体と知識は育っているのに金をいれる(ほとんどいれない場合もあるようだ)もののある意味通行人より頼りにできない気難しい同居人と化した夫の機嫌伺いと世話に追われる。その機嫌にふりまわされる生活の中での赤子でもない成人にけかる余計な手間暇、その手間暇は報われないし馬鹿にされたり機嫌次第で罵詈雑言を受ける、物を壊される、暴力すらある。
隣にいる大人が家庭内で一緒に子供を監護する大人としての振る舞いをしない、出来ないのは、子供を監護する立場として、家族として同じ空間にいることが非常に大きなストレスだ。その振る舞いには悪意を感じたりするし、安心出来ないし、一応は大人で父親であるのに不甲斐なさにがっかりし通しで始終傷付き回復しない。
妻がその様子を晒せば選んだ責任がある、自業自得と冷ややかに嘲笑される。
おまけに子供にはその夫からの遺伝での気難しさなどの特質から苦労もごく多く、そうでない場合は少数派かと思われる。
家事育児の作業を日常として分担するならば物理的に妻の負担が減る。
妻は夫に心寄せて精神面で頼れはしないながらも、同志としての信頼と並走者がいる生活をある程度の安心をもって回すことができるはずだ。
日々の心身の負担が大きいだけではなく心の交流がない、労ってもほとんど何も返ってこない、却って更に心遣いを奪われる生活は心が荒廃する。自己肯定感は擂り潰されて、何時なら死んで逃げても迷惑が最小限か、あまり責められないだろうかばかりを妻は考えるようになる。
家族との感情の交流がごく薄く 俺ASD疑いくらいだけど(精神科でそういう話になった)、これは確かにその通りっぽいんだよなと思う。家族に限らず対人間全般での話だけど。 という...
そんないつもいつもエモーショナルなものを求めてるわけでもなくて…例えば具合が悪いとか怪我した家族に大丈夫かどんな状態か心配したり、助けはいらないかちょくちょく声をかけ...
うちの家では誰かが歌い始めるとその場にいる誰かが続きを歌い始めて最後は一緒に歌う 歌わないと「ハイ父ちゃん!」とかいって催促する 最近これもしかして一般的じゃないんじゃ…...
どこのカエルの唄と静かな湖畔だよそれ
童謡に限らずCMで流れた曲とか流行ってる曲とか歌詞わかんないやつとかなんでも歌うんだよ あとはコーヒー淹れるとき「飲みたい人は情熱的に手を挙げて」とか「飲みたい人は575で飲...
ガイの一家はガイ
キミの親は子供を将来何にしたかったんやろねぇ…
分からん……結局普通の中小企業会社員になったけども……
じゃあたぶん宴会部長だよ!!
平安時代は連歌が流行って、うちもよくやったな
ASD男性には女の中の女みたいなカサンドラ妻を引きつける何があるのだろうか ある種の暴力なのかな
カサンドラ症候群は医学用語ではなく、女が被害者ぶるために作られた言葉です。