もし、わたしがコロナに罹患したら、職場は閉じるか開けるかの判断が迫られる、同僚たちも検査を受けなくてはいけなくなるかもしれない、クラスターになろうものならもっと大変だけど、もし感染をさせていなかったとしたって検査結果がでるまでの数日間は職場を閉じる必要がでてくる、そしてその判断のための労力や、もし閉じたとしたら実際的な損失のことを思うと、現実的に職場に対して迷惑がかかるわけで、なるべくそのリスクを減らさなくてはいけないというのが、まあ社会人として、組織の中の人間としての常識的な判断だと思う。でもしかし、現状いつどこでコロナにかかるかというのは全くわからなくて、正直いつかかってもおかしくないわけで、コンビニで、昼食で、満員電車で、毎日の買い物で、見えない菌を自分が完全に避けられているとは到底思えないのです。いま、罹らないでいるのは、たまたま近くに罹った人がいる、という状況がなかっただけで、それはもう運としか思えない状況にあって、正直なところ、わたしたちが気にしているのは、コロナに罹ることというよりも、罹ったときに、その行動を責められないようにすること、なのである。つまり、友人に会ったり、飲み会に行ったり、旅行に行ったり、観劇したり、といった、自分が楽しいことをして、罹ったときに、なんで我慢できなかったの?って怒られたりしたくないなーみたいななんとなくそんな気持ちが自粛のモチベーションです。まあ言葉としては怒られなかったとしても「やれやれ」みたいな冷たい目になっちゃったらいやだからね。世間からの誹謗中傷とか、生命の危機とか、あと医療機関の皆様に迷惑が掛からないようにとか、そんなだいそれたことじゃなくて、職場に迷惑かけたらやだなー怒られたくないなー、という涙ぐましい社会人としての性質、みたいなものです。
かといって、わたしは自分の感覚で、怒られたくないなっていう自粛をしてるけど、強制的な制限もあるわけではないから、あたりまえにそれは個人個人によって違うわけで、個々人の按配でやってくださいね、経済もまわしてくださいね、注意もしてくださいね、旅行もいってくださいね、でもかからないようにしてくださいね、かかったら注意が足りなかったんだと思いますよ、みたいに言われ続けるの、なんなんだろう。まじでなに。
わたしの世界には、仕事と仕事以外があって、勤務時間は仕事を一生懸命やるけど、正直なところは、勤務時間外は仕事にしばられたくないんですよね。勤務時間以外のともだちとの食事まで上司に指示されたり、管理されたりするなんて、これまでだったらありえないことで、やっぱりそこに居心地の悪さを感じてしまう自分がいて、ほんとうはそんなこと口出しされたくない、と思う。それに、飲み会に行ったり、旅行に行ったり、観劇したりという、もしそこで罹患したときになんとなく責められてしまいそうな「不要不急」と呼ばれるものだって、それを成り立たせるために、それを仕事としている人がいるわけであって、で、そのひとたちは現状収支が成り立たないくらいひっ迫していて、わたしが後回しにしているうちに、きっとどんどん失われて行ってしまうんだろう、お店も、舞台も。自分の好きなものや大切にしていたものをずーっと我慢してるうちに、好きなものはどんどん失われていく。
この生活がどれくらい続くのか、あと1年なのか、5年なのか、もしかすると一生?と思うと、はー、こんな無理ゲーみたいな世界で生きていかなければいけないことがつらい。政府って、国って、こういうときなにかしてくれるんですかね?助けてくれないんですかね?まじで。