いじめられる奴は良く「いじめる側が 100% 悪い」だとか「いじめられる原因はない」だとか寝言をほざくわけだが,本気で言ってるんだろうか? 自分が美人でないから,頭が悪いから,特別な才能がないから,コミュニケーション能力がないから,空気が読めないから,笑い方や喋り方が気持ち悪いから,聞いてもいないのに自分の話ばかりするから,いじめられるのに.それは適応してる側の人間から見れば明らかであり厳然としてそこにあるのに,そのような寝言をほざくのである.すなわち,自分に人間的魅力がないから,弱いから,いじめられるのである.そういう「本当のこと」に向き合ってしまうと,絶望して死んでしまうから,救いがなくて崩れてしまうから,見ないように見ないように自分を騙しているだけである.だから「本当のこと」を言われると怒る.
弱者は自分の弱さにすがったままで許されると思っているのだからおめでたい.ただただ弱いだけだから周りからの罵倒に対し言い返すこともできず心を病んで自傷するしかないくせに,自分の弱さを少しでも省みて改めようともしないのに,おめでたい奴等である.
弱いから「基本的人権」だの「平等」などにしがみつき,そんな本当は誰も信じていないような幻想にすがるしかないのである.「自分は弱いから仕方ない! 」「才能なんてたまたまそいつに与えられただけじゃないか! 」「努力できるのも才能! 」「環境が悪かった! 」「今はたまたま評価されていないだけで俺は天才だ!」「親ガチャで当てただけ!」「天然美人には勝てない!」
勘違いしないでもらいだいが,僕はいじめは極めて卑劣な行為だと思っている.いじめる側の卑劣さは当然徹底的に追及されるべきである.それによっていじめられる側が自殺するなんて馬鹿げてると思う.だいたい奴等は自分は全く潔癖ではないくせに,批判していることに関しては潔癖である自信があるのか,自分を正義の側において「悪」を断罪しているつもりなのである.人間の醜さの極みだなあと思う.
でもなあ,それと同じくらい自分の弱さにすがって正当化するのはずるくて醜い行為なんじゃないかと思うわけです.気持ちは痛いほどよくわかります.自分は不当に傷つけられてきて,自分が本当は正しい,自分は悪くないと思わないと正気を保てない.だいたい人生は理不尽の極みであり,魅力が与えられている人間との間には決定的な不平等がある.
これは完璧に僕の私見だし多くの例外があるだろうからあまり真に受けないで欲しいんだが,僕は学科の女子学生があまり好きではない.数学的に頓珍漢で的外れなこと,難しくもないのに「これは難しくて〜」とか「私これわからなかったから教えてもらったんですよ〜」とか恥ずかしげもなく言えるなあと思う.かわい子ぶってヘラヘラ笑っている.まあそれも考え抜いた先の生き残る術なのだろうが,それで許されると思っている.そして許されている.僕は「男女には脳の構造の差があって仕方ないのだ」というのはあまり信じていないし,ここまで生き抜いてきた彼女らなら本気で勉強すればそれくらいできるのでは?と思うのだが,でも彼女らはとにかく「弱い」だけで許されている.かかってる圧力が違う.弱さにすがっている身近な例だなあとは思う.
まあ,救いがないですよね.絶望的で理不尽で,もう今すぐにでも泣き崩れてしまいそうなほど残酷で,つらいです.しかし,そういった理不尽を飲み込んで挑み戦い続けるしかないんじゃないかなあと思います.まあ人から傷つけられなければ成長はないわけで,傷つき果てたその果てに強くなる道は開かれるのではないかと僕は信じています.他人から足腰立たないほど痛めつけられても,とりあえず生きときましょう.むしろ他人から集中砲火を浴びることで自分を見つめ直して強くなれるかもしれません.(まあたいそうしんどいですが)
いじめはダメだ。でもいじめられるような事をしてもダメだ。 これらはそれぞれ独立してる。だから相手が悪いとはならない。 じゃあ見た目や生まれつきの特徴なら?それは産んだ親...
■弱さ まで読んだ
女子学生たちは「(自分で苦しまずとも)助けてもらえる何らかの才能があった」けど元増田は助けてもらえる才能もない弱者ということ?