2017-10-18

オッスオラ絵師承認欲求の塊だ!オラを褒めてくれ〜!



褒められたい。

ひたすらに褒められたい。


絵を描き続けて早20年ちょい。

物心ついたときから絵を描いていたと思う。

小学中学校所謂クラスの中に一人はいる絵が上手い奴」枠だった。

遠足やら校内イベントなんかのしおりやの表紙の絵を描いたり、

なんちゃら啓発ポスター、みたいなのにも何度か選ばれた。

高校大学美術系に進んだのもあり、

クラスの中に一人はいる絵が上手い奴」枠が40人くらい集結したということで

個人でめちゃくちゃ注目されることはなくなったが、

在学中に参加したコンクールコンテストはいくつか入賞することもできた。

社会人になった今では、絵からは若干ズレるがグラフィックデザイナーとして仕事をしつつ

絵はもっぱら二次創作だが趣味で続け、その方面お小遣い稼ぎ程度の絵仕事をもらったりもしてる。

と、自己紹介のようなお絵かき遍歴を振り返るタイミングがあり

ふと「なんでこんなに絵を描くのが好きになったんだろうか」と考えて、

「毎回誰かしらが褒めてくれる=自分を認めてくれている(気がする)」からだと気づいた。

小学中学では絵を描くと「上手だね〜!」「すごいね〜!」と親や先生友達が、

高校大学ではコンクールコンテスト入賞して認められた気になり

今はSNSpixivでのRTいいねコメントがそれに当たる。

自慢じゃないが、私は技術を除いた人間としての自分自身に自信を持てるところがかなり少ない。

まぁこれについて語ってもしょうがないので語らないが、とにかく自信がない。

そんな自分が唯一『第三者から自分という存在好意的な目で認めてもらえて、かつ、それによって自分自分を認めてあげられる」のが、絵が多少描ける、ということなのだ。

絵が描けるからいいね!と話しかけてもらえる。

絵が描けるからコミュニケーションきっかけができる。

絵が描けるから、好きなあの絵師も反応を返してくれる。

絵が描けるから自分でもいっちょまえに、少しいい気分にも浸れる


うーん、我ながら寂しい奴だと思う。


たまに、絵が描けなかったとしたら自分には何もないんだろうな、とか

誰にも認知されず、自信の無さからこちからも歩み寄れず、

孤独を感じる今よりもっと孤独を感じてるんだろうと寂しくもなる。

でも「多少なりとも絵が描ける」のは間違いなく自分構成するひとつ

それで少しでも自分存在自分で認めてやれるなら、

まぁ「承認欲求の塊絵師」でもいいかぁ。と思うことにした。

承認されることに味をしめてしまったしな。

結局何が言いたいかというと、

絵をちょっとでも気に入った絵師がいたなら、そのRTいいねボタンを一発ポチッとしてくれ、ブックマークしてくれ。

あわよくば「好き」とコメントを送ってほしい。

RTしてくれた人のホームは必ず見に行くぞ。

「これ好き>RT」なんでツイートがあったらその一瞬であなたへ好感度MAXだ。

そして、私に「自分はちゃんと存在を認められてるんだ。」と思わせてくれ。

束の間の「承認されてる感」をくれ。

オッスオラ絵師承認欲求の塊だ!オラを褒めてくれ〜!

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